藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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雨の音で誤魔化そうか

 

 

 

 

 

 その日は、強い雨が降っていた。

 

 春も中頃。季節の変わり目であることを知らせるかの様な豪雨。窓の外に広がる黒い空を眺めながら、藤井は一つ息を吐いた。

 思い返されるのは、あの日のこと。藤原千花の父親、大地との会話。自身が思っていた以上に柔らかい人で、本当に快く付き合いを認めてくれた。まだ高校生だから、気楽に。なんて言ってくれるほど。

 

「千花ちゃんに会いたいなぁ……」

 

 自室のベットに横になって、つぶやく。力の無い声は、やがて天井にぶつかって消えていく。

 千花にはあの日以来、二週間近く会えていなかった。桜が見頃だった季節は終わって、梅雨の足音が強まっている。せっかくの休みだったが、彼女にも用事がある。三年生になってより忙しさを増している千花。最後の生徒会活動に注力する彼女の邪魔になってはいけない。そうは分かっていても、最愛の恋人に会えないのはやはり辛い。タイミングが合わない苛立ちが、勉強する気力を削いだ。

 

 背中に感じる慣れた感触。そろそろ干した方が良い布団だったが、今日の雨では無理だ。また明日、また明日と言い聞かせる。

 

「そんな太郎くんのために、参上しましたよっ」

「……えっ? ち、千花ちゃん?」

 

 体を起こして、開けっ放しにしていたドアを見る。するとそこには、藤原千花の姿があった。白のワンピースがよく似合う。だからこそ、こんな狭い家には不釣り合いでもある。

 彼女が藤井の家に上がったのは、今日が初めてだった。だから、彼の目から見て今の状況は違和感でしかない。そもそも、今日は約束も何もしていないのだから。

 

「実は用事が無くなって。さっきメールしましたけど、見てないですか?」

「……ほんとだ。気付かなかったよ」

「ふふっ。下でお義父さんから『部屋に居るから上がっていきなさい』って」

「親父が? 付き合ってることまだ言ってないのに……」

「太郎くん、分かりやすいですから。お言葉に甘えて、勝手に来ちゃいました」

 

 藤井の父親から渡された鍵をジャラリと見せつける。不思議そうな顔をしていた彼も、ようやく事態を飲み込むことができた。彼女が家に入ってきたことにも気付かない辺り、それだけボーッとしていたということだ。

 

「隣、どうぞ」

「はい」

 

 別に床が汚れているわけでもない。彼女が座れる座椅子だってある。だが、藤井の口からは隣に来るように促す言葉。彼が普段眠っているベッドに腰掛けることに、ほんの少しの抵抗感。嫌ということじゃなくて、純粋な申し訳なさ。

 でも、千花の心は素直に頷いた。抵抗感より、興味の方が勝ったのである。鞄を床に置いて、ちょこんと腰を下ろす。少し沈んだ感覚に、藤井は違和感を覚えた。

 自身のベッドより、少し硬め。心のどこかで期待していたような、雲の上に居るような感覚はなかった。

 

「すごくシンプルなお部屋ですね」

「まぁ、テレビぐらいだよ。最近点けてないけど」

「スマホが有ればどうにでもなりますもんね」

「そそ」

 

 彼の部屋は彼女の言う通り、テレビと勉強机ぐらいしか置いていない質素な部屋だった。その代わり、中央に置かれているテーブルの上にはイヤホンだったり、CDが乱雑に置かれていた。

 いかにも男の子っぽくて、千花は口元が緩んだ。完璧に片付いているよりも、こういう生活感のある彼を見れて、どこか嬉しかったからだ。

 

 素っ気ない藤井の返答から、言葉が続かなかった。

 千花は彼の隣に座っているとは言え、ギリギリ肩を抱ける距離。この微妙な距離感が、会話を続けるか否かの判断を鈍らせていた。

 ドアも、窓も閉まっている。聞こえるのは、外で強く打ちつける雨の音だけ。今まさに、ここは密室状態だ。そこでようやく、千花はこの状況が異質なモノであると気付く。

 

 二人きり。思春期の男女が二人。それは、そういうことだ。

 胸が跳ねる。肝心なところに今頃気付いてしまったからか、今は藤井の顔を直視出来ないで居た。無論、それは彼も同じなのだが。

 用事が早く終わって、その足でラーメン天龍にやって来た千花にとって、この展開はある意味特殊イベント。想定していないといえばそうだが、本人はここに来るまで「ラッキー」程度にしか思っていなかった。

 

「雨、酷かったでしょ?」

「へっ……?」

「千花ちゃん?」

「あ、えっと……そうですね」

 

 だから、あからさまに狼狽えてしまうのだ。

 あははと苦笑いして誤魔化して見たものの、反応の鈍い彼女に気付かないはずもない。藤井は少し懐疑的な視線を向ける。

 

「もしかして」

「はい……?」

「具合悪い?」

「えっ」

「いや、雨に濡れたのかなって。寒くない?」

「……あはは。もうっ。大丈夫です」

 

 藤井太郎は、どこまで行っても藤井太郎なのだ。

 変に緊張していた自分が可笑しくなって、千花は頬を緩めた。そして彼に向ける視線は柔らかくて、包み込む様なモノ。

 彼なりの優しさに笑って返す。少しだけ申し訳なかったけど、これで彼も安心してくれるのが分かっていたから。千花の思い通り、藤井は安堵の表情を浮かべていた。

 

 でも、消えない事実がそこにはあった。

 今、この家に、二人きり。

 意識するな、と言う方が酷な話なのである。藤井は、千花に悟られないようにチラリ、またチラリと視線をやる。

 白のワンピースを着ている彼女はいつもと違って、どこかしおらしかった。元より、彼の前だと生徒会で見せる奔放な一面は(なり)を潜めている。藤井自身そのことは分かっていたのに、この違和感は胸に居座っている。

 

「……二人きりですね」

 

 千花の口から漏れた言葉には、色んな意味が込められている。

 藤井は、その意味を考えようとしなかった。考えてしまうと、きっと、自分は自分を抑えられなくなる。分かっていたから。

 返答を待っていた彼女にとって、藤井太郎のリアクションは期待を裏切ったモノであることには違いない。恋人である自身が勇気を振り絞って言った言葉だ。単純だけど、深い意味が込められたセリフ。そこは読み取ってほしい、なんて我儘を説明する気にはなれなかった。

 

「……二人きりだね」

 

 なんてつまらない返答だろう。藤井は自嘲した。

 ここで気の利いたセリフをぶつけることが出来たのなら、きっと大きな進展が二人を待ち受けていたはずなのに。自身が蓄えてきたボキャブラリーはこの程度かと嫌気が差す。

 

 千花は、彼の部屋の良い匂いにようやく慣れてきた。まるでアルコールが入っているような、頭がふわつく感覚。もちろん、酒の匂いなんて最初からしないのだが。

 隣に居る彼を見る。何も無い天井を見上げていて、まるで自身を避けているように見える。だから千花は、自ずと動き出す。

 彼の隣にピタリとくっついて、左腕に自身の腕を絡ませる。当然、天井を見上げていた藤井の視線は彼女に向かう。

 

「せっかくですから」

「千花、ちゃん」

 

 肩にコツンと当たる恋人の頭。肘のあたりには、彼女特有の柔らかな感触。左腕ごと包み込むような包容力すら感じてしまう。

 すごくドキドキする場面であるのに、藤井は意外と冷静だった。自分でも首を傾げてしまうぐらいに、不思議で。

 いや、それ以上に。すごく、心地が良かった。彼女とこうして、二人きりでのんびりとくっついていることが。そこには、いやらしさなんてものは存在しない。とっても綺麗で、潔白で、優しさに溢れた空気感。

 

「……あったかいです」

「うん。俺も」

「眠たく、なりますね」

 

 互いの体温を感じている。平熱よりも高いソレは、風邪を引いているのではないかと思わせるほど。でも、そんな野暮なことはもう聞かない。二人は、もう二人だけの世界に入り込んでいるのだから。

 

 藤井の鼻を抜けるのは、千花の香り。シャンプーの甘い匂いが、彼の心臓を鷲掴みする。彼女を離すなと言われているような錯覚に陥る。無論、そう言われずとも離すつもりなんて毛頭に無いのだが。

 雨の音。先ほどよりも強く、窓に打ち付けている。下手をすれば彼女の声すらかき消してしまうほど。もっと綺麗な家に住みたいだなんて思っていても、割と気に入っているのが本音。

 

「ねぇ」

「なに?」

「こういう時って……どうするのが正解なんでしょう」

 

 千花の問いかけに、藤井は何も言わなかった。

 いや、言えなかったのだ。恋愛経験の乏しい彼にとって、彼女の質問に答えるだけの知識は持ち合わせていない。生憎。

 正解なんていうのは、きっとある。藤井は考えるが、正解を導き出すまでの方程式すら組み上がらない。彼女の熱で汗ばんでくる左腕に意識が引っ張られて、上手く頭も回らなかった。

 

(……俺は、この子を)

 

 どんな綺麗事を並べても、藤井の奥底には確かにある。

 藤原千花を、抱きたいと。それは、至って普通の感覚なのだ。彼女は、たった一人の存在。恋人が恋人を抱きたいという思春期の少年らしい素直な感情が湧き出る。

 そこで、彼女の問いかけに戻る。そもそもの話、何故彼女は正解を導き出そうとしているのだろうか。彼の中で生まれる疑問。彼女の質問に対してではなく、自身の疑問を解消するべく思考が回る。

 

 千花もまた、藤井と同じなのだ。

 彼のように恋愛経験が乏しく、こういった場面に遭遇したのは今日が初めて。どうすれば良いのか分からないから、だから彼に問いかけた。

 なのに、藤井はその質問に対して何も言わない。黙って考えているだけ。言ったは良いが恥ずかしくなった千花は、ただ彼の左腕にしがみつく力を強めるしか無かった。

 

「千花ちゃん」

「はい」

「俺は千花ちゃんが好きだ」

「私も太郎くんが好きです」

「だから」

「……だから?」

 

 ――――君が欲しい。

 

 なんて、クサイ言葉は出てこなかった。

 ここまできて、恥ずかしさを捨て切れない自分に驚く。だが、言葉を待つ彼女を待たせるわけにもいかない。藤井は、左腕にくっついた彼女をゆっくり剥がして、向かい合って見せた。

 二人、目が合う。座高は藤井の方が高い。だから彼女を見下す形になってしまっていたが、そのおかげで上目遣いの千花を見ることが出来たのだ。

 藤井の胸は、まぁ高鳴った。血液がすべて下半身に集まっているんじゃないか、なんて勘違いしてしまうほど。でも間違いなく、彼の全身を流れる血液は沸騰しそうなほど熱く、赤く燃えている。

 

「あ―――」

 

 吸い寄せられるように、唇が重なった。

 千花も少し驚いてはいたが、すぐに彼を受け入れた。瞼を閉じて、五秒ほど。藤井の方から離れて、また二人見つめ合う。

 

 蕩けそうな目をしていたのは、千花だった。

 自分からするのは、やっぱり恥ずかしかったりする。だから、こうやって彼に促すしか出来ないのだ。でも、それを察して行動に移してくれる辺り、藤井太郎は自身にとって最高の相手なんだと実感する。

 何より、口づけの幸福感。初めてのキッスから少し経っているというのに、その新鮮味は消えることがない。藤井と同じように、千花の血液もまた燃えたぎっている。

 

「千花……」

「……ぁ」

 

 今日、二度目のキッス。

 一度目のような、軽く触れるようなモノではない。藤井は、初めて千花の唇を優しく噛んだ。

 筋肉が反射する千花を、彼はそのまま抱きしめて。千花もまた、彼の腰に腕を回した。対抗するように、彼の唇を噛み返す。

 

 甘い。甘い。甘すぎて、体が蕩けてしまう。二人きりの世界。彼らはただただ恋人の存在を確かめていて、口内に侵入するソレすら受け入れた。巻き込み巻き込み、巻き込み返す。互いの味。初めて感じた恋人。お互いに、下半身に集まる快感の元が疼き始めていた。

 

 何分だろう。無我夢中に互いの唇を噛んでいた二人だったが、息苦しくなったのか。藤井の方から離れた。伸びる糸に視線は落ちない。ただただ、相手の瞳に吸い込まれていた。

 そのまま、藤井は千花の両肩に手を置いて、優しく、優しくベッドに倒す。彼女は驚くことなく、ただただ藤井の顔に見惚れていた。

 

「もう……我慢が」

「……ま、待ってください」

「ど、どうして」

「声……聞こえちゃうかも……」

 

 途端に冷静になった千花は、ようやく彼から顔を背けた。

 心に広がる海の中から、ひょこっと顔を出した羞恥。二人きりだから、感覚が鈍っていたのだろう。だから、ここで一旦。冷静になるようにと無意識のうちに警鐘を鳴らした。

 

 だが、その行為が藤井には逆効果だった。

 出会った中で、今日が一番だった。彼女の頬は、まるで林檎のように丸く腫れていて、覆い被さっている彼の鼓動を早めたのだ。

 

「雨、酷いから大丈夫」

「理由になってないですよぉ……」

 

 三度目の口づけは、とても長かった。

 やがてそれは、彼女自身に口づける引き金となって。

 

 その日は、強い雨が降っていた。

 藤原千花の声は、藤井太郎にだけ届いていた。

 

 

 





 桃色髪と太郎なんで、二人の子どもは「桃太郎」ですね(適当)

 もう少し後日談は続きます。
 ご感想、評価いただけたら泣き喚きます。
 モチベ爆上がりするのでよろしくお願いします(乞食)

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