藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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藤原千花はお礼したい

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 ラーメン天龍では、いつものように皿洗いをする藤井の姿があった。ただ彼の心境としては最悪そのもの。同年代の女子からあんな言葉を言われた経験の無い藤井にとって、それはどんな刃物よりも強烈に胸に突き刺さった。

 

(俺は女の敵……女の敵なんだ……

 一生彼女なんて出来ない童貞のまま死んでいくんだ……)

 

 水洗いにより、手荒れがひどい藤井の手。幸い、季節は梅雨が明けようとしている。冷たさに悶えることは少ないが、やはりヒリヒリと染みる。だが、今はそんなことどうでも良かった。

 深く考えすぎではあったが、彼はまだこの広い社会を知らない。大人であれば「そんなことは無い」と励ますだろう。しかし、彼の父親は元々寡黙である。敢えて口に出すことなく、大人の階段を登りつつあるのだろう、と前向きに捉えていた。別に間違いではないのだが。

 時刻は夜の七時を回っていた。藤井は部活をやっていない、いわば帰宅部。その代わり、帰ってすぐ店の手伝う家族思いの青年。だが本音としては、バイト代と称した小遣いに直結するため、仕方なくである。本人的に、店を継ぐなんて気は毛頭ない。かと言って、夢もない。どこにでもいる男子高校生なのである。

 

「……らっしゃい」

 

 父親の気怠そうな声。来客。

 客を迎え入れる態度ではないが、それが妙にこの店の雰囲気にマッチしている。夕飯時。路地裏にあるせいで、チェーン店に比べると一日の来客は少ない。それでも、保証された味。根強いファンは多いのだ。

 

「こんばんはー」

 

 そしてこの、藤原千花もその一人である。

 

 昨日聴いた声。それが藤井の耳に直ぐ届いた。

 台所に落としていた視線。それを入り口に向けると、昨日見た彼女の姿があった。上品でお洒落な制服。昼間の彼女(伊井野ミコ)とは違った魅力を醸し出すあの子が。

 

「あっ……」

 

 図らずして、視線が合う。互いに思わず声を漏らす。

 戸惑いの表情を見せる藤井。彼を見て笑みが溢れる千花。対照的な二人ではあったが、変な緊張感みたいなものは一切感じられなかった。

 その段階では、千花が何をしに来たのか分からない。彼は皿洗いを止め、コップに水を注ぐ用意をする。しかし、その前に声を掛けたのは彼女だった。

 

「こんばんはっ」

「ど、どうも……」

 

 店内に入ってきた千花は、彼と向かい合う。椅子に座る様子も無いことから、食事目的ではないのだろうと彼は察する。幸いなことに、店内に他の客は居ない。店主も何も言わずに新聞を読んでいる。少しぐらいならいいだろうと、藤井も彼女に向き合った。

 

「生徒手帳届けていただいたみたいで。ありがとうございました。無くしたと思ってたので助かりましたー」

「いやそんな。わざわざお礼なんて……。こちらこそありがとうございます」

 

 藤井は素直に驚いていた。

 あの金持ち高校に通う生徒。そんな彼女がこんな寂れたラーメン屋に来ることもそうだが、こうしてお礼を言いに来る律儀さ。自分がどれだけ先入観で判断していた人間か、彼は少し申し訳ない気持ちになる。

 

「それで何ですけど、何かお礼をしたくって」

「え、いやそんないいですよ。お気持ちだけで」

「いえいえ! それだと私の気が治らないんです!」

 

 彼女は、あざとくムスッとした表情を見せる。もちろん無意識。しかし、伊井野とは違った可愛さを持った千花。それが藤井の目にどう映ったかは明らかである。

 

(は? 可愛すぎるんですけど)

 

 男なら誰しも美人には目が無い。面食いなんかじゃないのに、彼はそう自分に言い聞かせる。

 とは言ってもだ。お礼なんて彼は受け取る気になれなかった。いくらしんどい思いをしたと言っても、店の落とし物を届けただけ。これが仮に交番に届けてたとしても、謝礼は要らないと告げていたぐらいだ。

 

 そんな彼に気付くはずもない彼女。必死に頭を捻っていた。

 藤井からすればある意味当然の行いも、千花からしたら全く持って違うもの。こうして律儀にお礼を言いに来たのも、彼が律儀に届けてくれたから。だが彼が「内心面倒くさい」と思っているとは知らず。それでも、彼の優しさが嬉しかったらしい。

 

 だがそれは、表の理由に過ぎないのである。だが、本当の理由を彼に面と向かって言えるはずもなかった。

 

「何がいいです?」

「本当に結構ですよ。逆に申し訳ないですし」

「だったら何が欲しいですか?」

「話聞いてました?」

 

 自分の家だからか、彼は昼間のような緊張は無かった。二人きりではないこともあるが、不思議と千花の声、トーンが心地よかった。話は全く噛み合っていなかったが。

 

「でもわざわざ届けてくれたんです! お礼の一つでもしないとバチが当たりそうです!」

「大丈夫です。それぐらいじゃ当りませんから」

 

 甘々しい声で言われるもんだから、藤井も何とリアクションすればいいか分からなかった。加えて、頼もしかった父親の存在。こんな会話を聞かれることが恥ずかしくて堪らなかった。

 

 ちょうどその時。引き戸を開けて入ってきたのは一人の中年男性。どうやら普通の客らしいと、藤井は察する。店主である父親は、彼に目配せをする。

 

『このまま話すのなら、家に入れるか外に出るかしろ』

 

 寡黙な父親ではあったが、何より客を大切に思う人間だった。ここで二人が話していれば、他の客に迷惑になる。それを十分に理解していた彼。返事に代わって、そのまま厨房を出た。

 

「藤原さん。ちょっと外に出ましょう」

「あ、はいっ」

 

 藤井は思わず彼女の名前を呼んでしまう。

 突っ込まれたらどうしようかと、頭を巡らせる。風紀委員のあの子から聞いたと適当に誤魔化そう。案外結論は早く出た。

 彼らが生活するのは、ラーメン屋の上。二階である。しかし、そこに入れる選択肢は最初から無い。

 「二度目まして」の千花にそんなことを言う勇気なんて、藤井が持っているはずもなく。万が一上げてしまえば、彼女のボディに悩殺。何をしでかすか分からなかった。

 一方で、千花は外に出るよう言われた理由が分かっていなかった。藤井の後ろ姿を眺めながら、彼へのお礼をバカ真面目に考えている。

 

(でもなんか、普通の人だなぁ)

 

 彼女がそう思うのには、自身の過去が大きく関係していた。

 これまで出会ってきた人物。男女問わず、何か一つでも秀でたものがある人間ばかりだった。親が政治家と元外交官の子どもなんて、全国探してもごく一握りしか居ない。幼少の頃から「世間の普通」と掛け離れた生活を送っている。彼女にとっては、これまでの過去が「普通」なのである。

 

 そんな彼女が抱いた第一印象。「普通の人」。

 何を持って普通の人なのか。藤井は千花とはまるで違った生活を送ってきた。彼女の過去と重ね合わせるのであれば、彼を普通と呼ぶのは可笑しな話なのだ。

 しかし、彼女は素直にそう思った。特徴のない人。そういう人間とは何度も会ったことがある。それとはまた違うのだ。

 

(あ、こんなに断る人初めてだ)

 

 彼なりの遠慮。それが、千花の目にはそう映った。

 落とし物を届けてもらったのは今回が初めて。しかし、これに似たケースは何度もあった。その度、両親が先方に「お礼」として菓子折りを贈っているのを彼女は見ていた。先方の大人も、遠慮しながら受け取るのが常。それなのに、彼は違った。

 そして千花は気付く。妙に大人びた彼の雰囲気に。同年代の男子で、こんな雰囲気の人は今まで居なかった。言わば、彼が初めて。年上かもしれない。はたまた、年下かもしれない。それだと言うのに、不思議な安心感。

 

 二人、外に出る。

 街灯もあまり多くない。この道を一人で来たのかと、藤井は申し訳なさに苛まれた。なるべく明るいところで、と思った彼は、店の目の前で千花と向き合った。

 

「あの、本当にいいんです。落とし物を届けただけでそんなお礼なんて」

「それが普通じゃないんですか? 助けてくれたらお礼をするのが」

「ま、まぁ……間違いじゃないですけど。でも、俺的にはそんなことをしてもらうほどのことはしてませんから」

「私的にはお礼したいんです!」

 

 いかにもお嬢様だ。藤井は考えた。

 相手の心情を考えようとしない、自己中心的な考え。お礼をしたいと言う気持ちはありがたかった。しかし、押しつけになってしまえば、ありがた迷惑になる。それを彼女は理解していない。

 

 藤原千花。彼の顔を見上げて、考える。

 譲らない。自分がここまで言っているのに。名前も知らない彼は、やはり彼女にとって初めての人種だった。

 お世辞にもカッコいいとは言えない顔立ち。いかにも年頃の男子らしく、小さなニキビが頬にある。秀知院学園にそんな男子がいるはずもない。身嗜みには恐ろしくうるさいのだ。常に上品でなければ、通うことが許されない。

 

「……お名前は何て言うんですか?」

「えっ、お、俺ですか?」

「貴方以外に居ますか? この場所に」

「そ、そうですよね……あはは……」

 

 急に強気になる彼女に、藤井は思わず狼狽た。

 ここで自身の名前を言う必要性が感じられない。しかし、お礼を受け取る受け取らないの話でここまで引っ張っているのだ。断るとまた面倒になるかもしれない。彼なりの冷静な判断。

 

「藤井太郎って言います……」

「おいくつですか」

「えっと、高校二年です」

「同級生じゃないですか!」

「あ、そ、そうなんですね」

 

 「もうっ!」千花はプンスカと頬を膨らませた。怒っているように見えて、怒っているわけではない。彼の無駄な年上感が違ったことに妙な感情を抱いていたのだ。それが何なのか、千花に分かるはずもない。無論、藤井に分かるはずもない。

 

「藤井くん、いいですか? ここは素直に私の言うことを聞いてください。同級生としてのお願いです」

「なんでですか。要らないと言ってるじゃないですか」

「生徒手帳を落とすのは、秀知院生として恥なんです。それを助けてくれた感謝をしたいんです」

 

 彼女にとって、落とし物を届けてくれたことじゃないのだ。落とした物が悪すぎた。それを悟られないように、これまで誤魔化してきたが、その余裕が無くなってきたらしい。一方で、藤井は。

 

(いや重い!! そんな大袈裟すぎる!!)

 

 彼からすれば、たかが生徒手帳。落としたところで何の痛みもない。

 しかし、今この世の中。顔写真付で名前まで載った手帳を落としただけで、悪用される危険すらあるのだ。

 特に、秀知院学園生。親は金持ちが多い。過去に、それで揺すられる事案もあったとか無かったとか。その噂を、千花は知っていた。仮に、彼が生徒手帳を落としたことを「藤原家」に密告したとすれば、自身の小遣いに直結する。

 

 口 封 じ(賄賂) ――――。

 

 政治家の娘、藤原千花。汚職である。

 怪しい分子は、圧力で黙らせる。悲しいことに、これもまた政治家気質なのである。それぐらい、彼女にとって小遣いというのは重要で、比重の重いもの。これが無ければ、何も出来ないのだから。

 だが、藤井は彼女が政治家の娘であるなんて知るはずもない。彼女の今の苦労は全て無駄なのである。悲しいかな、政治家の父親を見てきたせいか、かなり用心深くなってしまったようだ。

 

 生徒手帳を届けてくれた伊井野ミコには、ジュースを一本ご馳走している。そして一言。「このことは内緒だよっ」と。元々、千花のことを尊敬していた彼女を堕とすのは簡単だった。無論、千花は無意識であるが。

 

「受け取れません。大通りまで送りますから、気を付けてお帰りください」

 

 切り上げるように、藤井は大通りの方を指差す。

 次の発言を考えていた千花。あからさまに顔を歪める。そして、視線は大通り――――ではなく。彼の手に行った。

 

(ひどい手荒れ……)

 

 手伝いで毎日皿洗いをしていることもあり、彼の手はかなりカサついていた。保湿する柄でもない彼は、特に気にしている素振りもない。

 ゴツゴツとした男の人の手。これもまた、彼女には珍しく見えていて。加えて、ラーメン屋の手伝い。きっと沢山苦労をしてきたのだろうと自己完結させる。やがて、自らの鞄から小さめのソレを出す。

 

「手荒れが酷いです。良かったら、これ使ってください」

「ハンドクリーム……ですか?」

「そうです。お母様から貰ったんですけど、保湿に良いですから」

「いやそんな! 本当にいいんです!」

「もうっ! いい加減私の言うことを聞いてください。大丈夫ですから」

 

 彼女の圧力。食らいついたら離さない執念。恐るべし金の力。

 ここまで断り続けた藤井だったが、根負けである。大きくため息を吐いて、彼女に向き合う。

 

「……分かりました。使わせていただきます」

「それで良いんです。はい、手を出してください」

「はぁ」

 

 彼の右手に乗せられる液体。それを手に馴染ませると、それまで乾き切った両手が喜んでいるのが分かった。一年中乾燥している手。この湿った感覚は久々だった。そのまま、彼女はケースごとギュッと握らせる。

 

「えっ、ちょっと」

「差し上げますっ。お礼ですから」

「で、でもお母さんから貰ったものを……」

「いいんです。だって、藤井くんが使った方がいいと思うから」

「(は? 天使じゃん)」

 

 微笑む千花、照れる藤井。ここがラーメン屋の前というのが何とも可笑しな話である。ロマンチックの欠片も無い。

 照れ臭そうに「ありがとう」と言う彼を見て、千花は申し訳ない気になる。本音では口封じでしか無いそれを、素直に喜んでくれたのが。

 その場に居るとボロが出そうになった彼女は、一言言ってそのまま立ち去ろうとする。

 

 それなのに、今度は藤井が呼び止めた。

 

「あ、あのっ!」

「はい?」

「よ、良かったら……ま、また来てください」

 

 もう二度と会えないかもしれない。不思議な彼女。

 そんなことを思ってしまったのだ。すると、自然と口が動いた。ただ、会えなくなるのは嫌な気がしただけ。友達になりたい、付き合いたい、そんな感情ではない。藤井にとってそれは、生まれて初めての気持ちだった。ハンドクリームを受け取った時点で、彼女に買収されたと知る由もないが。

 

「はい。また食べに来ますねっ」

 

 その言葉は事実。ここのラーメンは彼女のお気に入りでもある。放っておいても勝手に来るのだ。それは千花本人がよく分かっていた。

 「二度目ましての彼」。その認識は、彼女の中にしっかりとこびりついていた。

 そして、これまでの男子とは違った何かを持っている人として。不思議な高揚感があった。そして、そのまま大通りに。慣れた手つきでタクシーを呼ぶ。

 

(内緒にしてって言うの忘れちゃった)

 

 変に浮き足立っていたせいか、肝心なことを伝え忘れる。

 千花らしいと言えばそれまでだ。彼女は考えた。これから戻って言うべきかどうか。

 だが、ここで戻って念を押すように言えばかえって怪しまれるかもしれない。幸い、藤井は千花とは生活レベルが違うのだから。彼女は無意識のうちにそんなことを考えてしまう自分が嫌だった。

 

「タクシー遅いなぁ」

 

 そんな自分に嘘を吐くように。いつもより来るのが遅いタクシーに愚痴りながら、昨日のラーメンの味を思い出していた。

 

 

 

 

 





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