藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜 作:なでしこ
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今後もお待ちしております。
「えっと……何にするかな」
学校終わりの藤井は、ショッピングモールの中にある本屋に居た。時間的にも、彼と同じ高校生が多い。放課後だというのに、参考書を覗く彼ら。藤井は鼻で笑う。
そんな彼がこの場にいる理由。店に置くためのマンガを買いに来たのだ。
ラーメン屋と言えば、出来上がるまでの時間潰しのためにマンガが置かれている所が多い。天龍も例外ではなく、年季の入ったモノがズラリと並んでいた。だが、こうして定期的に本屋を覗くのも彼の役目。父親から渡されたお金で「必要であれば買ってこい」との命を受け。
だが、これが意外と難しい。客の年齢層に合わせた選択をしないといけないのだ。これまでは一度買っていた続編を買うだけで済んでいたが、そのマンガが完結してしまったため、また一から考える必要があった。
そうして頭を悩まして、三十分が経った時。ふと店外に視線を送る。すると、目の前の玩具屋に見覚えのある顔があった。
藤原千花。思いがけぬ遭遇である。
彼女は定期的に天龍に足を運んでいた。その都度、藤井と少し会話する程度の関係に。以前のような距離感は無かった。とは言っても、互いに連絡先も知らない。だからこそ、彼にとってここでの遭遇が不思議でならなかった。
幸い、手には商品を持っていない。せっかくだから、と彼なりに勇気を振り絞って目の前の玩具屋に顔を出した。
「何してるの? 藤原さん」
「あっ! 藤井くんー」
初対面の時より、緊張感は無い。彼は安堵する。自分から話しかけておいて、しどろもどろになるのはあまりにもダサすぎるからだ。千花も彼に会うとは思っていなかったからか、素直に驚いていた。
「テーブルゲーム部で使う新しいゲームを探しに来たんです」
「何か珍しい部活だね……」
「それが面白いんですよぉ」
藤原家では、父親である藤原大地の検閲がかなり厳しい。ゲームはおろか、マンガに関しても読むことを許されない。そんな父への僅かな反骨心。テーブルゲームは、彼女なりに見つけた逃げ口だった。それでもテレビゲームを知らない千花にとって、それは十分な娯楽になっている。
本来であれば、部員と一緒に探しに来るのだが、この日はたまたま一人。彼女も変に気を遣うことなく、藤井に向き合っていた。
「決まったの? 新しいゲームは」
「うーん。気になってるのはこの『人生は二度目だよゲーム』です」
「……なにそれ?」
「妻に逃げられた四十歳男性が、第二の人生を送る軌跡……だそうです」
「いや重いわそれ。途中で投げ出しそう」
「でも全年齢対象なので、社会勉強目的かもしれませんね」
「逆に子どもの夢壊さない?」
彼女の選ぶゲームは、一癖も二癖もあるものばかり。他の部員もそれは重々分かっていた。それなのに、妙にリアリティがプレイヤーの遊び心をくすぐるみたいで。結果的に熱中してしまうという。
藤井も、彼女に対して軽口を叩けるようになっていた。人とは違う感性を持った千花。突拍子もないことを言う彼女の言葉が面白かった。他の女子には無い魅力を持った彼女。見ているだけで笑みが溢れてしまうような。
「藤井くんは何してたんですか?」
「あぁマンガ買いに来たんだよ。店に置くためのやつ」
「そうだったんですね」
「でも決まんなくて。今日は諦めようかな」
父親からも、無理に買ってくる必要はないと言われている。お金を使わないのならそれで問題も無いのだから。苦笑いをするしかない。
ところが。千花はそんな彼を見て思う。これはチャンスじゃないか、と。
「だったら私、オススメのマンガありますよ」
「え、もしかして詳しかったり?」
「まぁそうですね。あはは。とりあえず行きましょう」
嘘である。
この女、親の都合でもっぱら世俗的な単行本は読めない。世間一般で流行しているマンガの知識は一切無い。
だが、そこには抜け道もある。電子書籍だ。流石に彼女の持っているスマートフォンには手を出していない。そこでひたすら自分が読みたかったジャンルのマンガを読み漁り、その界隈への知識は十分。したがって一概に嘘とは言えないのだが、ここでは嘘に当てはまるだろう。時代に感謝する千花であった。
ここでそんな嘘を吐いたのは、彼の信頼を得るためである。
詳しい知識を持っていれば、藤井も素直に自身の提案を受け入れると考えたのだ。千花らしい浅はかな考え。手に持っていた『人生は二度目だよゲーム』を定位置に戻し、先導するように本屋へ行く。
藤井的にも、彼女の発言を疑おうとしなかった。
妙にそれっぽいのだ。彼の先入観。オタク気質がありそうという雰囲気。そのせいで、説得力があった。大人しく彼女の後に付いていく。
少年マンガ、でもない。青年マンガ、でもない。そこで藤井は、足を踏み入れたことが無いコーナーに進んでいることに気付いた。
「これですこれ! すっごく面白いらしいですよー!」
「な、なにこれ?『壁ドン・ロマンス』……?」
「女子高生の間で話題沸騰中なんですっ」
この女。家では読めないマンガを、天龍で読むつもりでいた。
彼に買ってもらえれば、小遣いの節約にもなる。したたかさというか、ただ腹黒いだけである。しかし彼女はその事実に背を向けて、ひょいっと一冊差し出す。
しかしだ。彼はさすがに頷けなかった。確かに彼女オススメのマンガであるのは分かるが、何せ路地裏のラーメン屋に置くようなマンガではないのは明らかだ。
「でも流石にウチのお客さんは読まないんじゃないかな……」
「大丈夫です! 壁ドンにグッとこないお客さんは居ませんよ!」
「ウチの客層知ってる? 中年オヤジ9.5割だよ?」
「関係ないですっ! ラブはサラリーマンを救います!」
「何言ってんの?」
話の筋が通っていない彼女の提案。普段からこう言った類のマンガを読まない彼にとって、少女マンガは一番選択肢に無いモノだった。とは言っても、どうしてもと勧めてくる彼女のことを蔑ろにするのも気が引けた。
(参ったなこりゃ……)
藤井のマンガ代は、父親から預かったモノ。だから下手に選ばないのだ。その分、自らの小遣いから差っ引かれるのが目に見えていたため。本来ならすぐ断る彼も、千花の子犬のような視線が痛く胸に突き刺さっていた。
「でもラーメン屋には不釣り合いだよ」
「……あはは。そうですよね。ごめんなさい熱くなっちゃって」
冷静な判断をしたのは藤井。流されることなく、しっかりと目の前の状況と先のことを見据えて判断することが出来た。
一方の千花。お礼の時と同じように譲らない彼に、むすっと頬を膨らませる。しかし、今回はあの時と状況が違う。口では謝るも、残念さを隠しきれずにいた。
「それじゃ私、テーブルゲーム買ってくるので!」
「あ、あぁそれじゃ」
後ろ姿。明らかに落ち込んでいる。彼はそんな彼女を見ないように視線をマンガに落とした。先には「壁ドン・ロマンス」。すると、彼女は気付いていなかったらしいが、人気マンガにありがちな「試し読み」が出来るようになっていた。
特に深いことを考えることもなく。無料なのだから、そんな軽い気持ちで藤井はそれを手に取った。
『お前、俺のものになれよ』
「(うわぁ……)」
彼の中でそれは、THE・少女マンガである。
現実でこんなことをやってしまえば、ただの痛い奴。これが流行っているのだから、世間の女子高生がどんだけ飢えているのかがよく分かる。一度開いてしまったソレを、途中で閉じる気にもなれなかったらしく。続けてページを読み進めていく。
『私、あなたが居ないとダメなのっ!』
『そんなに俺が良いのか?』
『あなたの……あなたの彼女にしてください!』
『やれやれ。可愛い子猫だな、お前も』
ドS彼氏の誕生である。だが、現実でこんなカップルが居たらどうなるか。モラハラ、DVに繋がるだろうと周りの友達から叩かれるのが目に見えている。だからこそ、リアルに無いロマンチックを読者は求めるのである。試し読みを終えた彼はどうか。
(なにこれめっちゃ良い!!)
藤井の中に眠る女々しさ。覚醒の瞬間である。だが決して恋愛対象が男とかでは無く、マンガへの感情移入の一つ。世間一般の女子高生の気持ちが少し理解できた彼であった。
試し読みをしてしまったせいで、続きが気になって仕方がない。千花にあんなことを言った手前、買いづらくなったのも事実だが、幸い彼女はこの場に居ない。発売されている五巻までまとめ買いを決意する。
父親に何と言われるかは目に見えている。それでもいいのだ。気になるから。小遣いの使い道の一つだと割り切って購入した。
「あれ? 藤井くん何買ったのー?」
「ふ、藤原さん!? 帰ったんじゃ……」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。私はこれから学校に寄って帰るところです。ここ出た所にタクシー呼んだので」
「タクシー……さすがっすね…」
千花も学校終わり。帰宅するのにタクシーを使うことが彼は理解出来なかった。それは単純に、藤原家が金持ちだからである。藤井の同級生にタクシー通学している人間なんて居ない。歩きだったり、電車だったり。それが普通なのだ。
「もし良かったら途中まで乗っていきませんか?」
「電車で帰るのでいいですよ」
「外、雨降ってるみたいですよ」
「……マジっすか」
「マンガ、濡れちゃいません?」
傘を持ってきていない彼。それは大きな問題である。
ここで千花の提案に乗れば、それは無事解決する。しかし、タクシーで帰宅することに大きな抵抗感は否めなかった。
しかし。彼は既に、彼女の厚意を一度踏みにじっている。結果的に購入したわけだが、千花はその事実を知らない。
「……お世話になります」
「はい了解ですっ」
一度ぐらいいいだろう。幸い、財布には余裕がある。
彼女の隣に並ぶと、甘い匂いが鼻を刺激する。側から見たら、カップルに見えなくもない二人。すれ違う高校生たちの懐疑的な視線にも、藤井は気付いていなかった。
ショッピングモールの目の前には、彼女が呼んだであろうタクシー。見慣れたデザインの車。藤原家専用とかではないらしい。雨に濡れまいと、彼女はそそくさと乗り込み、彼も後に続いた。
車内は微かに冷房が効いていて、心地の良いものだった。運転手は彼女一人と思っていたのか、藤井の存在に少し驚く。だが彼が目的地を告げると、深いことを考えず車を走らせた。
二人だけの車内。互いの膝の上にはテーブルゲームとマンガ。千花の視線は、無意識にマンガに向けられていた。
憧れだった。マンガ本を、普通に買えることが。電子書籍で簡単に読める世の中になってはいるが、マンガ本を手にした時の喜び。小さな頃に買ってもらった絵本と同じ感覚。彼女の中で、もう二度と味わうことが出来ない。そう思っていた。
「……マンガとか読めないの?」
「えっ?」
「いや、何か……そういうの厳しそうだから」
窓の外ばかり見ていた藤井。二人きりの空気。何か話しかけないと、変な気まずさがあった。だから、素直に頭に浮かんだ言葉を投げかけたのだ。それが、今の彼女の心情と重なっていたと知る由もない。
「……父の検閲が厳しくて。そういったものは読んじゃダメと言われてるんです」
「辛いな、それ」
「それが私にとっては普通なので、何とも思いませんけどね」
嘘である。
そんな健気な憧れは、そう簡単に消えるはずもない。あのマンガの匂い、厚み。それを簡単に買うことが許される彼のことが羨ましかった。
少しだけイタズラしたくなった。だから、あのマンガを勧めてしまった。また悪いことをしたなと心の中では思っていても、彼は疑うことをせず諭してくれる。同級生と男子とは思えないほど、落ち着いていた。
そこで初めて、藤井は千花を見る。
笑っている。微笑んでいる。そう見える。
でもなんだろうか。少しだけ寂しそうな顔をしている。
彼は荒れたままの右手を頬に当て、考える。読めなくても、詳しいのは事実だろう。何かしら抜け道があるに違いない。
それはそれで、ここで何を言うのが正解なのだろう。いや、そもそも正解なんてあるのだろうか。こうして彼女と話しているが、千花も立派な
「でもいいんです。今のままでも十分楽しいので」
「そっか」
「生徒会、テーブルゲーム部、大切な人たちと過ごせてるから」
本心である。
これまで、彼女の日常には生徒会のメンバーや、同じ部員が居て当たり前だった。彼らが居れば、飽きない。毎日が楽しくて、キラキラしてて、心がふわついてしまうような。
だけどそれは、自分に言い聞かせているように。
千花は、心の奥底に眠る
それからすぐ、天龍の近く。
「停めやすいところで」藤井が言うと、店から最短距離の場所に停める。プロの運転技術である。
ドアが開き、お金の用意をする。しかし、彼女はそれを受け取らなかった。差し出しても、一向に受け取ろうとしない。あの時とは違って、タクシーの中。あまり長く問答を繰り返すことが出来ず、藤井は引かざるを得なかった。
「それじゃまた来ますね」
「……あの藤原さん」
「はい?」
千花に勧められたマンガを買った。検閲が厳しくてマンガを読めない彼女が、教えてくれたのだ。それを黙り込むのはどうなのだろう。
彼女の厚意。また踏みにじるのはどうなのか。買ったマンガを貸してあげる、これはダメだ。きっとすぐにバレる。だから、一番の解決策は一つだけだった。
「……用意してるから。君が読みたいマンガ」
「え……?」
「また来てください」
でも、やっぱり恥ずかしさを拭えなかった。
藤井のような男子高校生が、少女マンガを買ったという事実を、バリバリの女子高生である千花に伝えることが。だから、こんなカッコ付けた言い方になってしまう。
タクシーを降りた彼は、逃げるように走って店の中に消えて行った。
それを待たずして、走り出すタクシー。千花は彼の座っていた場所を見つめる。妙な空白感。不思議だった。
藤井の言葉の意味は理解出来なかった。でも、自分のことを思ってくれた発言だったことには違いない。微笑む。幸せな気持ちだった。
「すみません。やっぱり秀知院学園には寄らなくて大丈夫です」
口が緩んでしまうから、今は誰にも会いたくない。
彼女はこの日初めて、自分に素直になった。
評価していただいた方々。
・いろは坂さん・みえるさん・ぽん吉さん・桜田門さん
・サージカルカルマスクさん・ザックローニさん・粉みかんさん
・枕魔神さん
ありがとうございます。
評価していただいた方を、定期的に(五話ごとぐらい)ご紹介させていただきます。