藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜 作:なでしこ
沢山の評価、感想。そして誤字修正。
本当にありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
夏休み。高校生にとっての楽園。海、花火、肝試し。青春の代名詞。学生全員に与えられた特権である。
藤原千花も例外ではない。生徒総会を終えるまでの激務。その間、遊びという遊びから遠ざけられていた彼女にとって、これから一ヶ月はフリーなのだ。何をしようが自由。勉強? そんなものは彼女の頭に入っているわけもなく。課題以外机に向かう気はサラサラ無かった。
実際、彼女の予定はほぼ海外旅行で埋まっている。日本に居ないのだから、その本気度がうかがえる。ここ数年、姉妹たちと世界を巡ることが夏休みの決まり事になっていた。れっきとした貴族の生活。一般の高校生の青春が霞んでしまうほどのド派手な
夏休みに入って二日が経過。よく晴れた日に、藤原千花はいつものラーメン屋で『壁ドン・ロマンス』の最新巻(六巻)を読み進めていた。こうして彼女が来たのは久々。厨房でテレビを眺める藤井も、不思議と声を掛け辛そうにしていた。
そもそも、友達というわけではない二人。こうして会話をしないことの方が自然なのである。千花はもとより、藤井もそのことは理解している。下手に声をかける必要は無いと考えていた。
「また続きが気になる終わり方……この作者分かってますね……」
「次は三ヶ月後だね。今日もまた熱中してたみたいで」
「待てませんよぉ。仕入れたら教えてくださいね」
笑う千花。冷静に見れば、自ら買うつもりの無い発言。だが、藤井は彼女の家の事情を知っている。特に何も感じない。
それに、この虫を殺さない笑顔。仮にイラついていたとしても、こんな顔を見せられれば気が抜けてしまうような。無意識にやってしまう千花は、小悪魔的な素質が抜群である。
読み終えた丁寧に本棚に返す。その丁寧さに感心する藤井であったが、これまでの彼女とは大きく違うことが一つだけあった。
「すっかり夏ですねぇ。外は半袖でも暑いですし」
「だねぇ」
健全な男子高校生なら誰もが視線を奪われるであろう、藤原千花のプロポーション。破壊力抜群の胸部とそれにより強調されるクビレ。フワフワしている彼女がそんなダイナマイトボディを持っているのだから、ギャップ萌えという点でも男子のポイントは高い。
それを分かっているのか、分かっていないのか。千花は比較的薄着で身体のラインがハッキリ分かる服装。暑いという彼女の発言を聞いた男共はきっとこう言うだろう。「その格好で暑いですか? だったら裸になったらどうですか?」――――。
無論、藤井も例外では無い。豚骨の匂いが強烈なラーメン屋においても、時折冷房の風に乗る彼女の甘い匂い。頭がビリビリ痺れてしまう感覚。そして何より。
藤井太郎。高校二年生。おっぱいへの憧れが止まらないのである。
貧乳、巨乳、程よいぐらい。人類の誕生から現在まで。全男共が繰り広げてきた論争。その中で巨乳派の彼。自分を慰める時には専らそう言う女の人が対象になる。
これは何もおかしなことでは無い。男であれば誰しもが通る道。特に思春期真っ只中の男子高校生である彼。男子校通いということもあり、性への知識だけが溜まっていく。
だが、男子校。女子と触れ合う機会が格段と減る。中学時代まで組み立ててきた抗体が日に日に減っていくのだ。彼的にも、千花を目の前にしてそれを痛感していた。
「そうだ。私明日から海外旅行なんです」
「へぇ、海外……すごいね。本当に」
「藤井くんの夏休みの予定ってどんな感じなんですか?」
「特に何も。ずっと手伝いかなぁ」
会話の続かない返答になってしまったが、事実なのだから仕方がない。藤井自身、友達が居ないわけではない。ただ毎日遊びに出るかと言われれば違う話。互いの利害が一致した友人とメッセージアプリで連絡を取り合い、流れで遊びに行くぐらいだろうと。これと言って予定を入れていなかった。千花と正反対である。
「退屈じゃないですか?」
「まぁ、退屈だね」
「……それなら! 私がレポート送りますよぉ」
「レポート?」
唐突な彼女の提案。藤井は聞き返す。
同時に店主が「醤油豚骨・薄め」を差し出す。それ手に取った千花は、レンゲでスープを一口。安定の味に感動しつつ、藤井の問いかけに答える。
「私の海外旅行レポートですっ! どうです? 気になりませんか?」
「(やべえ、全然気にならねぇ)」
藤井的に、千花は不思議な人だった。
唐突にこんなことを言ってくるくせに、一緒に帰ったあの日のように、心に沈んでいるであろう闇を吐き出してくる。無視してもいい言葉でも、つい聞いてしまうような。それを魅力と捉えるのなら、藤井にとって千花は魅力的な女性だった。
ただ交際するとなれば、話は変わってくる。千花から見て、藤井は明らかに平民である。生活環境も違えば、培ってきた常識も違う。それが分かっていたからか、彼は彼女と接する上で無意識に一線を引いていた。
「まぁ……ね。麺伸びるよ。早く食べたら?」
秘技・回答濁し。どういうつもりで言ったのか分からないが、下手に興味が無いと言えば傷つける可能性があった。ここは彼女を傷つけず、自分も傷つかない最善の選択。
――――のつもりだったが。
藤原千花。回答を濁されたことに勘付く。この女、海外旅行レポートとか言いながら、深層心理ではただ言いふらしたいという欲があるのだ。無論、深層心理である故、本人に自覚は一切無い。心の奥底に眠る承認欲求がこのような形で出てくる。そのせいで、自分にそんな思いがあるとは気付く筈もないのだ。
だがそれ以上に。この提案には「別の狙い」があった。
「興味……無いですか? どうでもいいですか……?」
「いやめっちゃ気になるなぁ」
藤井は優しい嘘をついた。
ここで興味がないと言ってしまえば、彼女の大切な何かが壊れてしまいそうな気がして。
彼の嘘。咄嗟に出たこともあり、その表情には少しだけ遠慮が見える。決して鋭い方ではない千花も、藤井のその雰囲気が特徴的で。不思議な気分になる。
ラーメンを啜る。いつも通りの味。緊張しているわけではない。それでも、彼がそう言ってくれたことは決して嫌では無かった。
「それなら決まりですね」
「……だねぇ」
そうは言われても。
海外旅行レポートなんて、彼にとっては何のことかよく分かっていない。彼女から何か言い出すだろうと溜まりかけの皿に洗剤を付けた。
ところが。千花は待っていた。彼から連絡先を聞かれるのを。
男から連絡先を聞かれることに、大した感情なんて気にしていなかった彼女。現に白銀や石上に対しては自分から「交換しよう」と投げかけている。
しかし「壁ドン・ロマンス」を読んでそれは大きく変わる。決してモテない女主人公に、モテモテの学校一のイケメン。そんな彼が恥じらいながら連絡先を聞いてくるシーンがあるのだが。
(これはやばいです。可愛いです)
そのシーンを読んでしまった彼女の中で、憧れという感情が生まれてしまう。そしてそれが「現実でも味わってみたい」と進化を遂げて。
彼女の周りに居る男。連絡先を教えても損がない人間。したがって、目の前に居る藤井太郎に白羽の矢が立った訳だ。無論、海外旅行レポートなんてそれを味わいたいが故の口実。
それだというのに、彼は自身に背を向けた!!
これでは当然、連絡先イベントは発生することもない。意識を皿洗いに向けた藤井に困った千花は、急いで麺を全て食べ終わる。そして頃合いを見て彼に話しかける。
「藤井くん、これ見てくださいよぉ」
「今ちょっと手が離せない。食べ終わったらお皿そこに置いてていいよ」
無視!!
正確にはリアクションしているため無視ではないのだが、今の千花には十分無視に値する。最新巻を読んだばかりで少女マンガ脳になってしまった彼女。明日からは海外。この欲求を満たすのには、今この瞬間だけしかないのだ。
店主は暇そうに新聞を読んでいる。とは言え、二人きりではないため変なことは言えない。
「この子、可愛いと思いませんか?」
「どれどれ?」
この女、男の欲求につけ込んだ一撃である。
全く興味を持たなかった藤井であったが、女子の写真なら話は別。画面には、先日撮影した写真。
そこには、四宮かぐやと千花が映る。彼女は、自らの欲求を満たすために親友であるかぐやを売ったのだ。彼女を指差しながら、彼にそう言うと、藤井はうなずいた。それ以外、特に感想は無かった。四宮かぐやにこの事実を伝えれば、とんでもないことになるだろう。そんなことは知らずに、彼はそのまま皿洗いに戻る。
おかしい!!――――。この行動の裏側には「連絡先を聞いてこい」という暗号が込められているなんて、伝わるはずもない。百人中百人が気付かないだろう。
藤原千花、万事休す。白銀やかぐやのように、頭の回転が速い訳ではない。これ以上、
前者は有り得ない。それだと目的が変わってくる。今の彼女は「男に連絡先を聞いてほしい」だけ。言い方はアレだが、教えるとは言ってないわけで。そうなると、後者も意味が無い。こちら側からのアクションに限界を感じた彼女は、小さくため息。
「結局、その、なんだ。レポート? 送ってくれるの?」
藤原千花、脳内に一筋の光!!
神は彼女のことを見捨てていなかった。皿洗いを終えた藤井は、肝心なことを言わない彼女を見かねて、そんな問いかけ。
この千載一遇のチャンスを彼女が見逃すわけがない。「むふふ」とお口にチャック。黙って彼のことを見つめる。
「そういう時はどうするのが正解だと思いますか?」
「はい?」
「連絡を取り合う時って……分かりますよね?」
彼女なりの最大級のパスを送ったつもりだ。
後は藤井がゴールに押し込むだけ。千花としては、ボールに触るだけで簡単にゴール出来るレベルのパスを送ったのだが――――。
(は、何!? 何その目!?
も、もしかして試されてる……!?)
藤井太郎。この男、そもそもが女子と面と向かって話すのが苦手なタイプ。それが災いして、これまで交際経験も無い。彼女の言葉よりも、表情に意識が集中してしまったのだ。
流石の彼女も、近くに店主が居ることもあり、変なことは期待していないだろう。ならなんだ。何を求めているのだろうか。
いやそもそも、海外旅行レポートの話はどこにいったのか。頭の中に出てくるのは疑問符のついた事ばかり。しかし、ジッと彼女に見つめられれば、まともな判断が出来なくなるのも無理はない。
言葉が出てこない。何を期待しているのか分からない彼女に対して、何を言えばいいのか分からなかった。
ところがだ。よくよく考えてみると、連絡する以前に連絡先を知らないことに気付く。途端に冷えていく頭。あぁなんだ、と。嬉しいような、悲しいような。
「……あっ。分かった。連絡先ね、連絡先。教えてよ」
俺としたことが――――。こんな単純なことを忘れていた自身が恥ずかしい。変な勘違いをしてしまいそうになったが、寸前のところで踏み止まることに成功する。
が!! そこは藤原千花。少女マンガのように聞いてくることを期待していた彼女。ようやく吐き出させたソレが平然としたモノで、期待を大きく裏切られる。
「違いますっ!! こういう感じじゃないですっ!!」
「え、違うの!?」
違わないが、違う。言葉では上手く説明できない感情。
何度も言うが、少女マンガで熱くなった頭。思い通りにならないとそうやって大声を出したくなる。藤原千花。熱くなった心。生徒会のメンバーなら何度も見てきた彼女の姿。しかし、これを初めて見た藤井は戸惑うだけ。そして思う。何か不味いことを言ったのかと。
「ごちそうさまでしたっ」
「ちょ、藤原さんっ! 待って! 待ってってば!」
代金を支払った彼女は、店主への挨拶もそこそこに店を出る。後から追いかけてくる藤井。側から見たら見事な痴話喧嘩である。
父親である店主に見られたくもない光景。だが、彼はすぐ彼女に追いつく。ある意味、痴話喧嘩に近い雰囲気が二人を包んでいた。
「えっと……何か気に障ること言った?」
「……いいえ違います。ごめんなさい。藤井くんは何も悪くないです」
外に飛び出して、太陽の日差しを浴びたからか。不思議と、千花の沸騰した頭は冷静さを取り戻していく。天龍の空気から解放されたのもあるのだろう。
彼女にとってそこは、ラーメンと共に少女マンガを読むことができる空間。まるで異世界に飛んだかのような。現実の自分とかけ離れた自分で居られる世界。決して広くない空間でも、時折来るこのラーメン屋は、千花にとって心地の良い場所になっていたのだから。
「いや……ならいいんだけど」
「……明日は早いので、今日は帰りますね」
自分は面倒くさい人間だ。
藤原千花。彼女は心の中に浮かんだ感情を、笑顔に変えて握り潰す。あんなワガママに付き合ってくれる人間なんて、居ないのだから。だから、生徒会のメンバーのことは好きだった。
あぁ、痛い。笑いたくないのに笑うのは、すごく痛い。
昼下がり。大通りに出ようとする彼女を、藤井は呼び止めた。
まただ。また、そんな顔をする。一緒に帰ったあの日見せた顔。
何を考えているのか分からない、不思議な表情。自ずと言葉が出てくる。
「俺、藤原さんのレポート気になるんだよ」
「えっ……」
だから彼は、そんな優しい嘘を吐く。
あの日と同じように、柔らかくて、彼女の心の底を撫でるような。
あの日のこと。彼女。ついこの間のことなのに。すごく遠い昔に感じられて。だから、黙って藤井の言葉を待っていた。
「その……嫌じゃ無かったら連絡先、教えてくれないかな」
文言が変わっただけ。
言い方が優しくなっただけ。
たったそれだけ。
それだけなのに。さっきよりも胸に突き刺さる。
照れ臭そうに頭を掻く、藤井太郎という男子高校生の言葉が、深く、深く。
「もちろんですよ」
彼女は、日差しに負けない笑顔で彼に応えた。
藤原千花に挟まれたい。