魔女「そうまでしないと斬れない燕もどうかしてるわ」
農民「・・・やはり、そう思うか」
見上げれば、いつも空があった。何処までも続く、青い世界。縛るモノなんて何一つ無く、そこで自由に飛び回る鳥達。
そんな彼らに・・・憧れた。
あぁ、羨ましい。重力から解放され、何も考えずにただ風を受けて広大な世界を行き交う。
どれだけ気持ちいいのだろうか。一体、どんな景色が見えるのだろうか。
しかし、我が肉体は人の身。空を飛ぶなんて事は叶わない。いや、飛行機などを使えば出来るには出来るがそういう事では無い。
実際、空を飛びたくて戦闘機のパイロットになった事もある。飛行機の操縦士になった事もある。
だが、私が求めたモノはそこには無かった。
戦闘機なんて最悪だった。重力から解放されたいのに、寧ろ重力の嵐に晒された。飛行機は客や機体の事を考えて、そもそも速度を出せないし、アクロバティックな操縦なんて論外だ。
極めつけは周囲を鉄の塊が覆っている事だ。これではまるで囚われているみたいではないか。所詮、お前達人間にはこの程度が限界だと、そう言われているみたいだった。
絶望した。心底、絶望したとも。
色んな事を試した。然れど、鳥のように飛ぶ事は終ぞ叶わなかったのだ。
そんな私が気付けば、燕になっていた。
いつこうなってしまったのか、なんて分からない。どうしてこんな姿になったのかも分からないし、欠片も興味が無い。
ただ分かる事は夢を叶えれるという事だ。
翼を広げた。大きく、視界に溢れる程の大空へと羽ばたく為に。
「━━━━━━━━━!!」
そうして私は空を翔んだ。
どんな気持ちだったなんて分からないし、覚えていない。もう色んな感情がごちゃ混ぜになって・・・それでも楽しいと思った。その日から私は一週間、休む事も忘れて翔び続けた。
不思議な事に幾ら翔んでもまるで疲れない。
今、こうして羽を休めているのは少し気に触る事が出来たからだ。
私は空を翔んでいた。しかし、突如として目の前に大きな壁が現れた。ソレは城だった。空を貫く巨大な城。
巫山戯るなと憤った。この私が、あれだけ焦がれた空の道を寄りにもよって人間が塞ぐなど・・・だが、私には城を壊す程の力は無い。
それでもこの怒りを何処かにぶつけたい。
さて、どうしようか・・・と暫く鯱の上で考えた。そして、思い付いた。
そうだ、城の持ち主に糞をぶち撒けてやろう、と。
こうして地上を見下ろして気付いたが、何故かは分からないが今の時代は少々昔のようだ。まるで戦国時代のような武士や古い髪型をした女性が行き交っている。
ならば、この城には城主が居るのではないか?
そう思ったが吉日、私は早速隙間をすり抜けて城の中へと入った。場所は恐らく最上階の部屋。バカは高い所が好きだから、美しき空を穢す馬鹿もきっと高い所に居る筈だ。
道中は私に驚いた人間で混雑したが、今の私にしてみれば止まっているも同然。縛るモノが無くなり、自由の身となった私を止められるモノなど居ない。
人混みを速度を落とさず、寧ろ上げて難無く潜り抜けて目的地へと到着。一際大きな部屋の奥にちょんまげの偉そうなジジイがこちらを驚いた目で見ていた。
そんな阿呆面を見て、余計に腹が立った私は糞をお見舞いしてやるだけには飽き足らず、何度も啄いたり、途中で美味しそうなご飯を摘んだり、兎に角好き放題して、置き土産としてそのちょんまげの禿げている部分に糞をくれてやった。
カンカンに怒り出したうんこ垂れに愉快な気持ちになり、ルンルン気分で私はその場を飛び立った。これで少しは気分が晴れた。また、この広い世界を満喫するとしよう。
◇
それから暫くして、私は今日も今日とて青い世界を飛び回っていた。時に速く、時に緩く、時にはただ風に乗るだけ。思う存分、目的の無い空の旅を満喫していた。
そんな時だ。何やら、風を切る音が聞こえ、傍らを急速に何かが通り抜けた。
果たしてそれは・・・矢だった。
何事かと下を見下ろせば、軽装をした幾らかの人間が矢を弓に番えてこちらを狙っていた。
私は狩りの標的にされていたのだ。
慌てて逃げ出した。本気を出した私に地を這う人間如きが追い付ける訳も無く、難無く逃げ切る事に成功したが数日後にまた人間に狙われた。
そんな事が何度か起こり、流石に疑問を抱いた。
自分で言ってはなんだが己の身は小さな燕。別に珍しくも無いし、色が変な訳でも無い。極々普通の燕だ。
そんな私を態々、弓なんて言う消耗品を使って捕らえる必要はあるのだろうか?と。
そう思った私は少し調べてみた。
すると、どうやら私には懸賞金が懸かっているらしかった。道端で話す主婦の会話を聞いて、実際にその掲示板を見て分かった。
幾らかの価値があるかは分からないが、何やら各地の殿様から報奨金を与えられるらしく、それ目当てで近頃の私は狙われているみたいだった。
ふむ・・・・・・きっと、城を見掛ける度に見付けたちょんまげ全員にうんこをお見舞いしてやったのが悪かったのだろう。
うんこを当てられれば、誰だって怒るし、そうする為にうんこを喰らわせていたので特に後悔は無い。大体、銃すら無いのに人間が私を捕らえる事など不可能なのだ。
そんな訳で掲示板にうんこをお見舞いして、その場を去る。立つ鳥、うんこを残す。
◇
日に日に私を襲う人間は増えたが予想通り、危機を感じる事など一切無かった。寧ろ、最近では矢の気配を感じて無意識に避け、おまけに矢の先にうんこを乗せる事まで出来るようになった。
あぁ、楽しい。やはり私を縛れるモノなど、何一つありはしないのだ。今では最高速度で森を駆け巡る事だって出来る。
そこで、ふと、疑問に思った。最高速度とは言うが果たして本当にそうか?もっと出せるのではないか?何故なら、私を縛るモノなど何一つありはしないのだから。
空高く舞い、地平線を見据える。
果たして、どれ程の速さまで達する事が出来るのだろうか。柄にも無く緊張していた。
下手をすれば死んでしまうかもしれない。だが、それでも一度やりたいと思えば、諦める事なんて出来はしない。
翼を畳んで真下に向かって急降下をする。
頃合いを見て翼を広げ、地平線に向かう。
グングンと速度は上がり、景色が瞬く間に線になっていく。そうして私は音を━━━━━━━━置き去りにした。
◇
音を置き去りにして暫く。
相も変わらず、私は翔んでいる。しかし、空ではなく森の中。と言うのも己が自由だと、更に知りたくなったから、こうした障害物を切り抜けて翔んでいるのだ。
やはりと言うべきか、特に苦労する事も無く、スイスイと森を掛け巡れる。予想通りとは言え、少し残念だ。
私は燕となり、自由となった。しかし、自由を実感するには不自由なモノが不可欠だ。
不自由があるからこそ、自由がある。とんだ皮肉だとは思う。だが、事実として地を這う人間達が不自由かどうかを比較する必要すら無くなったただの障害物と化し、私は不自由を感じてしまっている。
あぁ、何処かに私の渇きを癒せる不自由なモノは居ないものか・・・。
そんな物思いに耽っていると、突如として目の前が銀色の何かで満たされた。ほぼ反射で躱したソレは刀だった。
躱せたが、羽根を少し持っていかれていた。何事かと一度上空に上がって様子を見てみる。するとそこには一本の扱い難そうな長刀を持った男が居た。
少し悔しそうな顔でこちらを見上げる男。
それを見下ろす私。
無性に嬉しくなった。不意打ちとは言え、あそこまで命の危機を感じたのは初めてだった。しかし、それも失敗に終わり、知ってしまえばもう私に当たる事は無い。
彼奴の間合いに入る為に態と少し離れた位置から急降下し、地面スレスレを翔ぶ。正面から互いを見据え、男は一瞬だけ驚いたが即座に刀を握り直し、見詰め返して来た。
言葉は通じないし、交わしてすらいない。それでも互いが求めている事はなんとなく分かった。
そして、交差する私と男。
刀を振り抜いた男を嘲笑うかのように、頭にうんこをお見舞いして、私は天高く飛び去った。
◇
別に決めた訳では無いが日に一度、日没直前に私と男の勝負は行われる。そして、毎度毎度うんこを投下して私は翔び去る。
あぁ、哀れ哀れ。人の身にしてはよくやった方だとは思うがやはり敵わない。愉快で堪らない。私を斬り落とす為にここ何日かはおかしな修行をしているみたいだが、それでも最早掠りもしない。
何処まで行っても所詮は刀一本、幅が僅か数センチにも満たない物で私を斬れる訳が無い。なんせ、それ以外は全てが逃げ道となるのだから。
日々、僅かな風すらも感じ取って空を翔ける私の方が何枚も
そう・・・思っていた。
なんとあの男、刀を二本に増やしがったのだ。残像などでは決して無い。正真正銘の全く同じ刀を一瞬だけもう一本増やしたのだ。
今までは刀を(人間視点で)ほぼ同時に見える程速く返していただけだった。ほぼ同時と全く同じ、人間からしたら大差無いだろうが、燕からしたらその意味はまるで違う。
なんせ、0.1秒未満が当たり前の世界だからな、我々燕の世界は。
まぁ、簡単に避けれるんですがね。
しかし、意味が分からない。人間を遥かに凌ぐ動体視力を持っているが故にあれが幻でもなんでもない事は誰よりも分かる。
なんなら、身体まで増やしていた始末だ。
双子だとか、何かしらのカラクリ道具でも使ったのかと思ったがどうにも違う。一瞬だけ、私を斬り付ける瞬間だけ二人に増えるあの妙技。
よく分からんが・・・別に私もやろうと思えば出来なくも無いだろう。なんてたって人間が出来たのだから。
人間に出来て燕に出来ぬ事無し。
そんな訳で烏滸がましくも手応えを感じているあの男に、全く同じ技プラスもう一体増やす事で格の違いを見せ付けてやった。
残念だったな人間!我々燕は既にその道を四千年前に通過しているのだよ!あぁ〜気持ちいい!超気持ちいぃ!
アッハッハッハッハッ!うんこも三倍だオラァ!
フハハハハ!!精々、その無駄に長い刀でうんこでも干しておくんだな!フハハハハ!!
◇
あの男は今日も懲りずに刀を握り、振り回している。素人目に見ても彼の剣技とやらは凄まじい事は分かる。しかし、その目標が私を斬る、では全てが無意味に等しくなってしまう。
どれだけ速く振るおうとも光の速さを超える事は出来ない。どれだけ先読み出来ようとも燕は更にその先を行く。
そもそもとしてのスタート地点が、ゴール地点が違い過ぎたのだ。人間の限界はすぐにやってくる。しかし、燕に限界はやって来ない。他でも無い私がそれを実感したのだから。
感謝はしている。彼のお陰で私はその事に気が付けた。道端の木偶の坊でも動かぬ障害物でも無い、彼と言う
だからこそ、これで終わりにしよう。もう迷わない。私は燕だ。誰よりも速く、誰よりも自由に空を翔ける大いなる翼を持つ存在。
刮目せよ。
人間では決して辿り着けぬ極地、人智を超えた燕の絶技を。
我が生涯最大にして最高の好敵手に・・・この一撃を捧げよう。
◇
男に名は無い。強いて言えば、数多く居る農民の中の一人、なんて言う珍しくも誇らしくも無い称号があるだけ。
そんな彼が刀に出会った。
森の奥で只管に刀を振るい続けた老人に出会い、そして魅入られた。
美しかった。美し過ぎた。
刀が、ではない。それを振るい続けている人間が、だ。
目的など無く、先の見えぬ長い長い道のり。その過程で培ったものを一欠片とて余さず圧縮して詰め込み、漸く辿り着ける極地。
ただそれだけだ。世界平和とか、なにか野望がある訳でもない。ただ刀を振るい続けた。目的らしい目的も無く、漠然とした理想を抱き、刀を振るった。
無論、それは決して楽なものではなかった。・・・だが同時に辛いとも思わなかった。楽しくて仕方無くて、ある時は休む事も忘れて何日も刀を振るい続けた。
師はとうの昔に死んでおり、全てが独学。あの日見た景色だけを頼りに彼は刀を振るう。
そうしてどれだけの時が経っただろうか。男はふと思った。
何かが足りない。
何かは分からないが、何かが決定的に欠けていた。今では刀を寝ていても寸分の狂い無く振るえるし、多くの技を編み出し、魅せる為の舞までも生み出した。
しかし、足りない。圧倒的に何かが欠落していた。
男は考えた。何がいけない、何が足りない。考えて考えて・・・結局、答えが出ぬまま、また刀を振るい続けた。
そんな時だ。眼前に黒い物体が突如として現われた。
男は反射的に回避・・・と同時に反撃を繰り出す。
確実に殺れた。
何かを斬り付けた事など無いが、そう思えてしまう程に完璧な一撃であった。しかし、結果は散々な物。
攻撃は掠っただけであるし、おまけに頭に生臭いネットりとした何かを掛けられた。それは・・・黒い物体・・・燕のうんこだった。
男は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の鳥を除かなければならぬと決意した。己の剣技を真っ向から破り、おまけにうんこを直撃させられたのだ。未だ嘗て無い侮辱に合い、それは男を奮い立たせるには十分な出来事であった。
その日から、男には明確な目標が出来た。
あのうんこ鳥を必ずやぶった斬ってみせる。
しかし、相手は速度も回避もこちらの想像を遥かに凌いだ。今まで通りに鍛えても何一つとして奴には近付けない。
目で追う意味は無い。光を反射して認識する目では光を超える奴を捉える事など不可能だからだ。なので起きてから寝るまで凡百状況下で視界を塞いで過ごした。
先読みも無意味。どれだけ読もうとも奴はこちらの動きを見てから対応している。それを可能とする出鱈目な動体視力と飛行能力、この二つが合わさる事で逃げ場を無くすしか手は無くなる。
故に刀一本では足りない。かと言って、両手に持っては精度も速度も落ちるだけ。ならばと、身体を増やした。
だが、それでも奴は嘲笑うかのように全く同じ技、それを更に改良したもので技を打ち破った。
それなら、こちらも更に増やすまでのこと。
そうして繰り返す修行しては奴に敗北する日々。これが日常だった。男にとってのいつもの日常だったのだ。
しかし、その日は唐突に終わりを告げる。
その日もいつもと変わらぬ夕暮れ模様だった。いつもの様に刀を振るい、いつもの様に奴がやって来る。
だが奴の雰囲気が違った。他よりもよく視えるようになったからこそ分かる、明確な違い。
あぁ、今日が最後なのだな。
男は感じ取り、そして迎え撃つ為に構えた。
過去に男は無限に繰り返す試行錯誤の末に構えは必要無いと結論を出した。にも関わらず、男は確かな構えを取った。
それはたった一羽の燕を討つ為に編み出した秘技。正に神業とも言える男の集大成。
「秘剣 燕返し」
気配だけを頼りに光を超える速さで二羽に分かれる燕に寸分違わず刀を振るう。しかし、一瞬の刹那にそれはもう一羽増え、ガラ空きの男の懐へと突き進む。
刀を振り切る前に男の敗北は決定したかのように見えた。
然れど、それは想定済み。同じくもう一人増えた男が新たな燕を捉え、三羽同時に斬り落とした。
斬り落とした・・・その筈だった。
「━━━━━━━!!」
斬り落とした三羽は霞のように消え、男の背後に一羽の燕が突如として姿を現す。
気配がまるで無かった。己を通過した事にすら気付けなかった。
そう、これこそが燕が至った極地。音、光だけでは飽き足らず、時間、空間までも置き去りにした絶対回避の空間跳躍。
何人足りとも捉える事は叶わず、何も成せずにただ己を通り抜けられる。
勝利を確信した燕はそのまま大空へと
もう二度と合わぬから。これが最後と決めたから。
しかし、燕の予想を裏切るかのようにそこには信じられないモノが写っていた。
「無剣━━━━━━」
刀を振り切る男の後ろ姿。それが僅かにブレて、透明なナニカが浮き出る。男は振り返っていない。いや、振り返る時間すら無い。
燕ですら動けないでいるような、極々僅かな、文字通り時が止まったかのような刹那。まるで男のような造形をしたソレはある筈の無い刀を振り上げ、真後ろに居る燕へと振り下ろした。
「━━━━━━燕殺し」
己の敗北を悟った燕は受け入れるかのように、ソッと瞳を閉じた。
◇
『無剣 燕殺し』
それは身体ではなく、形無き精神を切り殺す防御不可能の必殺の一撃。痛みは無く、傷も無い。然れど確実に死に至る、燕を討ち取る為だけに男が辿り着いた答え。
形があるからこそ、光の速さを越えられない。ならば、形を捨てたなら、ソレには時間の概念すら無くなる。
幾ら速くとも時間がほんの僅かでも動かなければ、それは止まっているのと同じこと。気付けば斬られていた、故に回避不能。
・・・しかし、燕の敗北かと言われるとそうでは無い。
例え、神のような技を身に付けようとも所詮は人の身。今まで散々亜音速を超える燕と真正面から対峙していたのだ。
これまではその衝撃諸共斬り伏せていたが、無剣を使い、それも出来なかった。後からやって来る身体を引き裂き、引き潰すような衝撃に襲われ、男は既に息絶えた燕の元まで吹き飛んだ。
「・・・・・・ははっ、結局・・・斬る事は叶わなかったな・・・」
悔しさと少しの達成感を最後に、男は瞳を閉じた。
この世界線の小次郎は原作よりもちょっと強化されています。
次回は設定的なものでも載せようと思います。