結婚から一年を迎えた、提督と山城のとある一日───────
チュンチュンと、雀の鳴く声で目を覚ます。思いの外早く目覚めてしまったらしい。
朝日の眩しさに目をこすりながら隣を見る────山城はもう起きているみたいだ。布団が綺麗に畳まれている。
低血圧で、若干ふらふらとしながらも、居間の扉を開けると、
「あっ。あなた、おはようございます」
最愛の妻が笑顔で挨拶してくれる。
エプロン姿で朝食を作る山城の姿は、なんの誇張でもなく女神のようで、その上、振り返りざまに微笑みながら挨拶するもんだから、思わず感想が声に出てしまう。
「今日も可愛いな。エプロンもやっぱり似合っている」
「なっ、朝からよして下さいっ!」
そう照れる山城はやっぱり女神のようで、なんてこともない朝の一時にも幸せを感じる。その幸せを噛みしめているからか、ただのあくびのせいか、目を涙で滲ませていると、
「ほら、朝食が出来ましたよ」
山城が手慣れた様子でお盆を運んで来てくれる。今日は味噌汁と卵焼き、焼鮭そして昨日扶桑が持って来てくれた漬物だ。
扶桑は、定期的に手作りのものをうちに差し入れに来てくれる。曰く、「私が来ないとあの子が寂しがりますから」だそうだ。
まあ、あれほど姉さまにべったりだった山城のことだ、その言葉に間違いはないだろう。実際、扶桑は何度も泊まりに来たり食事を共にしたりしている。
「もう! 今日の会議のために多めに作ったんですから、早く食べましょう」
そう言って、するするとエプロンを解きながらいつもの席に座る。今日は、私を含む元師だけでの会議があるのだ。あまり気が進まないが、この山城の朝食があれば頑張れそうだ。
「いただきます」
「いただきます」
私も向かいの席に着き、一緒に食べ始める。うん、とてもおいしい。
「おいしいよ、山城。起きてすぐ、こんなに美味しい料理を食べられるなんて幸せだなあ」
「たくさん練習しましたから」
「あはは、最初は爆発したりで大変だったなあ。ほんと上達したよな」
他愛のない話をしながら、今日一番大事なことを言う。
「今日で、一年だな」
「ええ、早いものですね」
山城は箸を進めながら、薄く微笑むのみだ。妙に落ち着いているな……
「まあ、記念といってはなんだが、プレゼントを買ったんだ。玄関にあるから、食べ終わったら開けてみてくれ」
「えっ……」
山城は、驚いたように目を丸くしたかと思うと、パクパクと食べるスピードを上げる。顔には出さないようにしているが、早く開けようとしているのが丸分かりで微笑ましい。
これだけでも、買った甲斐があったというものだ。
「ごちそうさま」
てきぱきと食器を片付け、パタパタと玄関に向かっていく。
私も山城に倣い、急いで鮭をのせ、ご飯をかき込む。すると、
「こ、これ……!」
山城が少し興奮気味に駆け込んできた。
「素敵ね、これ! とても気に入ったわ。特に、桜を散りばめたようなデザインが美しいわね」
と、喜びながら、私があげた和傘を広げる。
想像以上に喜んでくれて、こっちまで嬉しくなる。かなり悩んだけど、正解だったみたいだ。夢中になっているのか、いつものくだけた口調に戻ってしまっている。
「んんっ! すみません、少し取り乱しました……」
山城は、咳払いして謝罪すると、ゴソゴソとさっきまで着ていたエプロンのポケットの中から何かを取り出す。
「これ、私もささやかながら贈り物を用意したのですが、こちらも開けてみてくれますか?」
そういって、しかくいプレゼント箱を差し出してくる。
驚いた、山城のほうも密かに記念の品を用意してくれていたらしい。
「あ、ありがとう。すぐ、開けるよ」
箱を開けると、落ち着いた紺色のネクタイだった。やばい、嬉しすぎて涙が出そうだ。
「すごく嬉しい。すぐにでも締めてみたいから、急いで着替えてくる!」
大慌てで歯を磨き、スーツに着替えて鞄を引っ掴む。玄関前までいくとすでに山城が待っていた。会議の時間が近いのを考慮してくれたのだろうか。
「少し、失礼します。じっとしていてくださいね」
そう言って、私の襟を正し、するすると手際よくネクタイを締めてくれる。ネクタイなぞ締めたことがないだろうに、こっそりと練習してくれたらしい。
「よし、ばっちりだわ。似合っていますよ、あなた」
「そ、そそそれは、よ、よかった……」
笑顔で夢にも見なかったようなことを言ってくれる山城が眩しすぎて、挙動不審になってしまう。
「じゃあ、いってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
飽和状態の幸せから一旦身を引くように、家を出る。
しかし、山城の柔らかな『いってらっしゃい』の声が頭をぐるぐる回って、外に出た瞬間にうるさいほど聞こえる蝉の声も耳に入らない。
本当に、自分なんかには勿体ないほどよくできた妻だ。
そんな誇らしさを胸に、私は大本営へと向かった。
◆ ◇ ◆
困った。これは良くない事態だ。
今日の会議は、『最近多発している提督の不審死』について、元師それぞれの見解を共有するはずだったのだが、のっけから若手の元師が、
「僕からすれば、大体の予想はついているんですけどね」
などと言っておきながら、いざ我々が詳しく尋ねると、
「まあまだ未確定なので何も言いませんけど」
とはぐらかすもんだから、女元師がいらいらして先ほどから空気がギスギスしているのだ。
現在、この国の海軍には三人の元師がいる。
まずは、さっきから場を乱している若い元師。次に、実力だけでここまでのし上がった女性の元師。そして私だ。
昔はもっと多くの元師がいたのだが、最近の不審死によりここまで数を減らしてしまっている。
「先程から思わせぶりなことばかり言ってばかりで、詳しい内容が全然見えてきません」
「そうはいってもねえー」
「そろそろ中身のある発言をしたらどうですか。これでは会議の意味がありません」
「いや、だから未確定なんだって。はっきりしていないことをここでは言えないかなー」
「ですから……」
これでは埒が明かない。しばし黙っていたが、ここは私が口を挟む。
「割り込むようですまないが、君は何か分かったことがあるか? ちなみに私には何もないのだが……」
女元師の方を向き、自分の報告を済ませつつ、尋ねる。今のところ意見を出しているのはこの若手元師だけなのだ。
「いえ、特には……」
「では、また日を改めることにしないか? 後になればはっきりするかもしれない。悔しいが、現状我々にできることはなさそうだ」
「ええ、そうしましょう!」
私の提案に若手元師も同調してくる。
「わかり……ました。今まで通り最善を尽くす、ということで」
「申し訳ないね」
というような感じで、あっさりと何も進まないまま会議を終わらせてしまった。本当に悔しいが、いまだ敵の尻尾すら掴めていないのだ。
「今夜はうちの艦娘達をどうかよろしく頼みます」
帰り際、若手元師に声をかけられる。今日は夕方から、この元師のところの西村艦隊の面子が私達の結婚一周年を祝ってくれるのだ。
「いいや、こちらこそ悪いね。こんななんでもない記念日を祝ってもらって」
「いえいえ、できることなら僕も参加したいぐらいですよ」
でもやることがあるので、とぺこりとお辞儀をすると去って行ってしまった。いまだに距離感が掴めないからこの人は苦手だ。
得たものはなかったが、どっと疲れた。早く山城のいる我が家に帰ろう。
◆ ◇ ◆
「お帰りなさい。思ったより早かったんですね」
玄関を開けると、山城がパタパタと出迎えてくれる。掃除中だったのか、ホコリ取りを片手に少し汗ばんでいる。
「すぐにお昼の準備をしますので少しだけ待っていてください」
会議が早く終わったためか、まだ昼飯は作り始めていないらしい。それならちょうどいい。
「なら、久々に外に食べに行かないか? 夕方からの準備で忙しくなるし」
「外食ですか? たまにはいいですね。では、帰りに買い物も済ませてしまいましょうか」
山城も久々の二人の外出に少し嬉しそうだ。微笑みながら賛成してくれる。
「そうと決まれば、外出の準備をしてきますね」
そう言うと、急ぎ足で居間の方に戻っていく。私は……まあこのままでいいか。
「お待たせしました」
部屋から出てきた山城は、白と水色のワンピースに、控えめな麦わら帽子をかぶっていた。
いつもとは違う姿に見惚れて何も言えないでいると、
「ほら、行きますよ」
山城は少し恥ずかしそうに、左手で麦わら帽子をおさえて顔を隠しながら、そっと右手を差し出してくる。
手を、繋いでいいということだろうか。ハッとしてその手を取ると、山城は満足そうに前を向く。
そのまま、二人で外に出る。
大した会話はなかったが、控えめに手をつないで寄り添いながら歩く時間は、私達らしく、何物にも替え難いものだった。
◆ ◇ ◆
結局、近くのファミレスで軽く済ませることになった。山城が言うには、初めての経験らしい。全然気付かなかったが、艦娘は外の世界に疎いのだろう。店内に入ると、物珍しそうにあたりをキョロキョロしていた。
私達は、奥のこぢんまりとした席に座り、メニューを開く。
「こ、こんなにたくさんの種類が……」
山城は目を輝かせながら、右に左にページをめくっていく。
こういうたまに見せる子供っぽさに、不意にドキッとさせられるのだ。
「決まったか?」
しばらく悩んでいるようだったが、声を掛ける。
「ではこの、はんばぁぐにします」
「おお、それはいいな」
結果、私も同じものを頼んだ。違うものを頼んでいれば少しずつ交換できたのに、とちょっとだけ後悔したのだが。
服は扶桑が選んでくれたこと、久々に艦隊の皆と会うのが楽しみだ、などと話を聞いているうちに、
「お待たせいたしましたー」
料理が運ばれてきた。ハンバーグのいい匂いが食欲をそそる。しかし、店員が私達の前にプレート置こうとした時だった、
「あっ……」
「おっと」
グラッとバランスを崩し、料理が山城の方へ倒れていく。このままじゃ、頭からかぶってしまう、といったところで、私がひっくり返りかけていたプレートをおさえる。
「すみません! すみません! 失礼いたしました!」
「いや、いいんだ。結果的に何もこぼれていないし」
ぺこぺこと頭を下げる店員を穏便に返して、私達は食事を始める。山城の不幸体質にももう慣れっこなのだ。
「あの、ありがとうございます、いつも……。不幸だわ……」
「なーに言ってるんだ。冷めないうちに食べるぞ」
そう言って私が食べ始めると、山城もそれに続く。ちら、と見てみるとナイフとフォークの使い方に苦戦しているようだ。
それでも、美味しいですね、とふうふうしながら食べる姿が微笑ましくて、つい顔が綻んでしまう。
「な、なにか可笑しいことでも……?」
「いーやぁ」
山城は腑に落ちなさそうな顔をしていたが、続きを食べるとすぐに夢中になっていった。
夕食のこともあるので、私達は腹八分目に店を出た。ただのファミレスだが、こういう時間も悪くなかった。
「また来ような」
「ええ、いつか、また」
今度は、ぴざ、というものを食べてみたいです、と意気込む。
ファミレスが初めてだったように、一年経ってもまだまだやりたいことは残っているのだ。山城にはこれからも色々な経験を増やしていって欲しい。
◆ ◇ ◆
帰りに買い物をして、家に戻る。それなりの人数をお迎えするのだ、必然的に買うものも結構多かった。
「皆が来るまでまだ時間があるから、家を完璧に片付けておきますね」
「私も手伝うよ、たまには家事もしなくちゃな」
「そうですか? では和室の方を重点的に掃除しましょう」
食事会は和室でやるみたいだ。確かにうちの和室は広いから、十人くらいは余裕で入るだろう。
「了解だ」
早速テーブルを用意して布巾で拭いていく。早く来る娘もいるかもしれないからさっさと終わらせてしまおう。
大体の作業が終わったので、山城の様子を覗ってみる。今は脚立に登り、天井の照明を拭いているようだ、なんとなく危なっかしい。
「あっ、あなた。終わりましたか?」
横目で私を見るや否や、振り返って尋ねてくる。その状態で振り返ると危ないんじゃ……
「そろそろ夕食の準備を……きゃっ!」
危惧した通り、バキッと脚立のストッパーが壊れ、山城が背中から落ちていく。
「危ないっ!」
私はとっさに山城をキャッチしようと駆け出す。
ドンっ、と鈍い音共に全身にも鈍い痛みが走った。
「いつつ……」
山城は大丈夫だろうか? 視界が何かに覆われ、手にもやわらかい感触が……
「うーん、どうなって………………っ!!」
急に目の前が明るくなる。山城の体で視界が覆われていたのだろう。起き上がると、山城が真っ赤になりながら右腕で胸を隠すようにおさえている。
どうやら、後ろから胸に手を回す形で倒れていたらしい。感触から察するに、かなりガッツリ触ってしまった。
「て、提督……! 狙ったの……!?」
「お、落ち着け、狙ってない! と、とにかく無事なら良かった」
「あ……助けてくれたのに、すみません……」
状況を理解して、落ち着いてくれたようだが、私の安心も束の間で、山城はしょんぼりと下を向いてしまう。
「やっぱり、不幸だわ……」
「最近はすごく調子良かったのに、油断するといつもこう……!」
よく見ると、じわりと目が涙でにじんでいる。やっぱり、無理して妻らしく振舞っていたらしい。いつもの山城で十分満足なのだが。
「嫌よね、こんなにいつも不運な妻なんて……。愛想を尽かされないように、って頑張ってきたのに……!」
悔しそうに続ける。山城にとっては不運だったかもしれないが、私にとってはラッキーだったんだが……
しかし、本気で落ち込んでいるようなので、少し恥ずかしいが本心を伝えることにする。
「そんなことで愛想尽かすかよ、お前のそういうところも含めて惚れたんだ」
「それに、妻として頑張ってくれる山城も好きだけど、やっぱり普段通りの山城を見せてくれるのが一番嬉しいんだ」
がっしりと山城の肩を掴み、真剣な表情で話す。かなり臭い台詞だがこういうのは勢いが大切なのだ。
「そうなの……?」
「そうだ」
「提督……」
「こらこら、もう提督じゃないだろ」
「うう、あなた……」
久しぶりのいい雰囲気で、じっと見つめ合っていると、
ピンポーン
チャイムが鳴る。西村艦隊のメンバーが到着したらしい。
…………やっぱり、山城の不運は健在だな。
◆ ◇ ◆
「……邪魔するわ」
「久しぶりだね、提督」
「お邪魔しまーす!」
次々と西村艦隊の面々が入ってくる。皆で一緒に来てくれたようで、一気に七人全員揃う。
こんなに賑やかになったのは、この家に越してきて以来だろうか。
「これ、皆からのお祝いよ。これも一緒にいただきましょう」
「私も作るの手伝ったんだから! 絶対においしいわよ!」
出迎えをする私たちに、扶桑と朝雲が両手いっぱいのお土産を差し出す。
ちらちらと見えるだけでも、お寿司にから揚げ、お酒の瓶などそれはもう大量だ。
「それはありがたいな、ぜひこれも一緒にいただこう。夜は相当に豪勢だぞー」
「ふふ、それは楽しみです」
もらったお土産を開いていくと、『やる気MAX!!夜狼』と書かれたドリンクがちらりとでてきた。
……誰だ、こんなものを入れたのは。
でもまあ、せっかくだし、次の機会に使わせていただこう。捨てるのはもったいないしな。
『かんぱーい!!!』
夕食前の盛り上がりに火を付けるように乾杯が始まる。いつも元気な最上や朝雲だけでなく、満潮や山雲も楽しそうにしてくれているのが嬉しい。
「ほら、旦那さん、お注ぎしますよ」
「あっ、ずるいです。姉さま、私にもお願いします」
「あらあら、そんなに一気に飲んで大丈夫?」
扶桑がお酒を注いでくれる。旦那よばわりは恥ずかしいんだが……
それを見た山城が負けじと私を押しのけ、扶桑もなんだかんだ言いながら、嬉しそうに山城にお酒を注いでいく。
「ほんと変わらないわね、あなたたちは」
「でも、相変わらず仲が良いようで安心したよ」
「眼福です~」
「な、なんでよ!」
それを見た周りがここぞとばかりに、次々とちゃかしてくるが、山城は必死で言い返している。
そんな光景に昔を思い出す。色々あったが、鎮守府で過ごした日々は本当に楽しかった。
こうして西村艦隊の皆が集まれているのも、それぞれが過去と向き合い、前進しようとする決意の結果なのだ。
そう、考えるだけでも、酒がすすむのだ。私は、いつにないペースで酒を喉に流し込んでいく。
「ああ、山城は世界一かわいいなあ……」
「ああっ、提督が酔い潰れてるよ!」
「もうっ! この人はお酒が入るといつもこうなんだから……」
そう言いながらも、山城は私を楽な姿勢にさせ水を飲ませてくれる。いつも、申し訳ない。
でも、まだだ、まだ私は酔っぱらってないぞ……
◆ ◇ ◆
「うーん」
眠ってしまっていたらしい。目を覚ますと、駆逐艦組や最上も眠ってしまっている。騒ぎ疲れてしまったのだろう。
少し気持ち悪いが、立ち上がると扶桑が台所で皿洗いをしてくれているのが見える。
「悪いな、そんなことまで」
「あっ、目が覚めたのですね。あと、これは自分からやったことなので気にしなくていいですよ」
なんなんだこの、溢れ出る良妻感は。姉妹揃ってけしからん。
「それはありがたい。ところで、山城は?」
「山城なら、時雨と外の空気を吸いに行きましたよ」
「そうか。私も外の風にあたってこよう」
「ふふ、いってらっしゃい」
そんな大げさな、と思ったが、扶桑の表情は妹を思う姉の顔で、何も言えなくなる。
やっぱり姉さまには適わんな。
トイレを済ませ縁側に向かうと、扶桑の言った通り、山城と時雨が座っていた。
話をしているようなので、邪魔をしては悪いだろうか。盗み聞きをするようだが、私は陰に腰をおろす。
「久しぶりだったね、皆で集まるのは」
「ええ、そうね。とても楽しかったわ、昔を思い出すようで」
「あはは、なんだかんだ皆このメンバーが大好きだからね」
「満潮も?」
「もちろんさ。ああ見えて、今日はすごく楽しそうにしてた」
「それなら、良かったわ……」
「…………………………」
決して会話が弾んでいるとは言えないが、二人の間にはある種の信頼感のようなものを感じる。
よく考えると、山城にとって、扶桑の次に仲が良かったのは時雨だったかもしれない。
しばらく沈黙が続いていたが、時雨が何とはなしにぽつりと口を開く。
「………………ねえ。山城は今、幸せかい?」
「……ええ、とても。間違いなく今の私は幸せだわ」
「ふふ、口癖のように不幸と言っていたあの山城がこんなことを言うようになるなんてね」
「ま、まあ運がないのは変わらないままだけれど」
あっさりと山城が認めたことへの歓喜で、一気に酔いも冷めていく。今まで怖くてきけなかったことだったが、そう思ってくれているようでとても安心した。
ただ、言葉とは裏腹に山城はどうも浮かない表情だ。
「でも、時々思うの。私だけこんなに幸せでいいのか、って」
「………………………………」
「まだみんなは、戦っているのに」
ぽつりと零れた、そんな山城の不安を時雨は真剣に聞いている。その顔は、悲しんでいるようにも、怒っているにも見えた。
そして山城がすべて話し終えると、ゆっくりと穏やかに口を開く。
「今の山城はね、僕たちの夢なんだ」
「かつて艦として生まれ、沈んでいった僕たちが、人間として幸せに暮らせる。そんな未来があったんだ。それは素晴らしいことだとは思わないかい?」
予想外の時雨の発言に、山城は驚いたような顔をしている。
時雨は、夢見る少女のような、それでいて子を見守る母のような、そんな複雑な表情で続ける。
「今の山城を見ていると、救われるんだ。痛くて、辛くて、悲しいことばかりだったけど、でもそれは無駄じゃなかった。僕たちのような兵器だって、幸せを掴める時が来る。それを山城が証明してくれている。それだけで、頑張れるんだ」
「そんな……こと……」
目を閉じ、それでいて嬉しそうに語る時雨を横に、山城の目にじわじわと涙がにじんでく。
「だから、山城にはもっともっと幸せになって欲しい。いや、ならなくちゃいけないんだ。僕たち艦娘の分も、無念にも沈んでいった船員たちの分も……」
「っぐ、ええ…………!」
ぼろぼろと涙を零す山城の背中を時雨が優しく擦る。そんなものを見せられたら、こっちまで泣けてくるじゃないか。
じっとその様子を眺めていたら、ふっと時雨がこちらを向く。
「そういうわけだから、提督、山城を頼んだよ」
「えっ、提督!?」
やばっ、見つかっていたらしい。申し訳なさそうに出ていくと、山城が目を丸くしている。
「じゃあ、僕たちはもう帰るよ。夫婦の夜を邪魔しちゃ悪いからね」
「最後の一言は余計だなあ……。でも、ありがとう。またいつでも歓迎する」
「うん、また来るよ」
そう言って、時雨は部屋に戻ると寝ている最上たちを起こしていく。扶桑は、一緒に戻ってきた山城の赤い目に気が付いていたようだが、何も言わずに笑顔で出迎えてくれた。
本当に、山城は仲間に恵まれているな。
「それでは、今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ来てくれてありがとう」
「姉さま、ぜひまた来てくださいね」
皆を見送りに玄関まで行き、扶桑とあいさつをしていると、
「じゃあ、またねー!」
「またくるわ」
元気な声が外から聞こえてくる。まったく、こんな時間なのに元気な奴らだ。
やれやれと思いながらも、いざ帰ってしまうとなると寂しさを感じる。
「おう、いつ来てもいいからなー!」
角を曲がり、皆の姿が見えなくなるまで見送る。
急にしん、とする家に山城と二人。これが日常のはずなのに、なせかこの瞬間は非日常を感じる。
「あの、さっきの聞いていたんですか?」
「さあなぁ」
「ちょっと、どっちなんですか!」
さっきの時雨との会話を気にする山城だが、適当にごまかしておく。こういうのはあまり聞いたと言わない方がいいだろう。
山城が、真剣に悩んで時雨に打ち明けたことなのだから。
◆ ◇ ◆
二つ並んだ布団にそれぞれ入る。今日は色々あったが、寝る前のこの光景はいつだって変わらない。
隣に山城を感じるこの瞬間が、一日で一番大切な時間なのだ。
「最高の、記念日だったな」
「ええ、来年もまた皆を招待しましょう」
「だな。それにしても、本当にあっという間だった」
今日一日を振り返る。
今日も、そして今日までのこの一年間も、光のように過ぎていった。明日、また明日と、十分に感傷に浸る前に次々と新しい一日がやってくるのだ。
そんな一時の感傷に浸っていると、隣から控えめに呼ばれる。
「ねえ、あなた……」
「なんだ?」
「どうして、私だったの?」
どうして結婚相手に山城を選んだのか、ということだろうか。そんなこと、もう随分と前から答えは出ている。
「わからん」
「……随分と適当ね」
「じゃあ逆に聞くが、どうして私の指輪を受け取ったんだ?」
「確かに、そう聞かれるとパッと思い浮かばないわね……」
「だろ? 理由なんか、ないんだよ。いつの間にか好きになってた」
結局は積み重ねなのだ。山城と過ごした時間の、その時に感じた気持ちの積み重ね。
「ただ、惚れ直したというか、やっぱ好きだなって思わされた時の記憶ならあるぞ」
「自分から聞いておいてなんだけど、改めて言われると恥ずかしいわね。でも、気になるわ」
こっちだって恥ずかしいのだが、山城が気になるならもう話してもいいか。今となっては思い出話だし。
「覚えているか? 私が当時の上司を殴り飛ばして帰ってきた日のこと」
「もちろん覚えているわよ。あの時は大変だったわね、まさか自分の艦娘を馬鹿にされたってだけでボコボコにしてきたんだもの」
あの時のことは、今思い出しても頭にくる。
扶桑型を欠陥姉妹などとぬかした挙句、西村艦隊を雑魚呼ばわりして……
「上司に喧嘩売って、倍にして返されてボロボロになって帰ってきた私を、皆は慰めたり、あるいは避けて行ったりしてたな」
「でも山城、お前だけは違った。事情を聴くなり、引っ叩いたんだぜ、仮にも上司でボロボロの私を」
「そ、それは……」
今になって、気まずそうに顔をしかめる山城を見て、笑ってしまいそうになる。あの時は数日間あまり口をきいてもらえなかったのに。
「『そんなんで私達に恩を売ったつもりですか! それで提督を辞めさせられたら私達はどうなるんです!』ってな」
「でも、嬉しかった。俺が見えていなかったことを教えてくれた。人を叱るってのは、勇気が要ることだ。山城が、その損な役回りを買って出てくれたんだ」
どうでもいい相手には、叱るなんてことはしない。いつもそっけなかった山城の、実は優しい所が見えた瞬間だった。
山城の方を見ると、少しむずがゆそうにしているが、悪い気はしていなさそうだ。
「でもまあ、それ以上に、最後の『でも、少し嬉しかったです。私達なんかのために本気で怒ってくれて』ってのが決め手だったな。あれにはドキッとさせられたよ」
「も、もう分かりましたから! これ以上は、恥ずかしいわ」
一方的に話すのは少し癪だったので、ちょっとからかってやった。
両手で真っ赤な顔を隠す山城に満足すると、今度はこちらから質問する。
「で、山城の方はどうなんだ?」
「えっ?」
「私に惚れ直したとかいう記憶はないのか?」
私は、真剣に山城の顔をじっと見つめた。すると、山城の方もじっと私の目を見ながら答える。
「私のあなたへの愛はいつだって更新されていますよ。昨日より今日、今日より明日の方がずっとあなたを愛しています」
「……上手くなったな、山城も」
「ふふ、どうでしょう」
今のこそばゆい程の台詞が、どれだけ本気なのか、知る由もなかったが、私はそれで満足してしまう。
ただ、この薄暗い部屋の中、ぼんやりのとした明かりに照らされた山城の瞳は吸い込まれるほど美しくて、吸い込まれるような錯覚に襲われる。
山城のあごに手を伸ばし、くいっと引き寄せると、山城も何かを期待するように薄く頬を染めている。そして、どちらともなく顔を近付け、
「んっ……」
浅く、それでいて長い口付けを交わす。一見あっさりだが、内側から燃えるような熱いキス。
どれだけそうしていただろうか。毎日のことだが、長いようにも短いようにも感じる。
そして、かつて夢にまで見た幸せを噛みしめながら、一日を終える挨拶を交わす。
「じゃあ、また明日」
「ええ、おやすみなさい」
「おやすみ」
そっと、目を閉じる。
そうして私達は、なんてことのないこの日常を、今日と変わらない明日を、願って眠りにつくのだ。
いつまでも変わることなく、この幸せが続きますように────