借間で一人暮らしをしていた一般大学生の多田力也は、夏におでんを食べたくなったのが災いし、異世界トリップする羽目にっ!
異世界は、見覚えは無くともどこか懐かしい雰囲気。付喪神との遭遇、新たな危機、深まる絆。練物が紡ぐ物語が始まる。

※RPGツクールでこの話を題材に遊んだときに、消した小説です。ゲームの方はスクリプトがバグって進行不能になりました。

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RPGツクール用のテキスト化がされた小説です。SEやキャラクリエイト、RPGの面影があります。非表示設定にしていたオリジナルの方も、閲覧可能にしておきます。


夏のおでんは火傷が怖い

 早朝に目が覚めて、外で鳴くクビキリギスがうるさい。ジーー、ジーー、と絶え間無く鳴くのをイラついても仕方がない……と、割り切れるワケもなく。枕を抱えて二度寝を試みるよりかは、いっそ起きた方がマシだとトイレに立った。

 都市開発を逃れた平地の田んぼに囲まれた土地柄故に、自然と人工が混沌としている。慣れてしまえば気にならなくなるのだろうが、それはつまり諦めるという意味であり、遮音を高めるのが建設的だろう。ただの学生が実行するかは別として。

 カリカリのベーコンと目玉焼きが乗ったトーストをかじり、舌に残った油や塩気をコーヒーで流す。テレビのタイムシフトで昨日のニュースを聞き流していると、地震で鍾乳洞内の地底湖に閉じ込められた観光客の救出劇が報じられていた。助かったのはよかったが、ああはなりたくない、と安堵と怖気が混じったため息が漏れる。

 

 それが今朝までの俺。

 今の状況を端的に言うと、俺の左腕が肘から先までちくわに飲み込まれている。

 

 どうしてこうなったんだ?

 いやほんと、どうしてこうなったんだ俺ぇ!?

 

 混乱している脳は思考の停滞を許すことは無く、どうにかこの問題を解決しようと、現状に至るまでの再確認から足掛かりを探る方向に移行した。

 俺は今日、恐らく人生で最低最悪のピークにあたる日に……。日没後からの予想外だった急な冷え込みに、体調を崩してしまう兆しを経験則から察知し、夜はおでんを食べて汗を流そうと思い立ったのだ。

 そして初心者マークは新しい、シルバーの軽自動車(は中古だが)に乗って、最寄りのスーパーでおでんの材料と安売りしていた菓子パンを買うと、帰宅後に手早く味噌おでんを作ったのである。

 時間の問題で大根はまだ味が染み込んではいなかったが、上々の出来に満足していたと記憶している。その後は……そう、残った味噌おでんが腐らないよう冷蔵庫にしまおうとしたとき。俺は何となく鍋の蓋を取り、気づけば小皿によそって電子レンジで温めていた。おかわりである。

 バクッ……ズズズッ。

 我ながら幼稚で横着だとは思いつつ、立ったままちくわをストローのように口で咥え、おでんの汁を飲んだ。

 

「あちぃ!?」

 

 舌への灼熱感。

 加熱し過ぎたのだとこのときは思った。驚いた拍子に手から小皿を落としてしまい、小皿は中身を床にぶちまけながら、小気味よい音を立てて砕け散った。

 

「あーあ……やっちまった。とりあえず、掃除機を。隣の部屋にあったっけ。──なッ!?」

 

 グンッ、と、正体不明の引力が俺を猛烈に床へと引き寄せていた。そして、加速度的にその力は強まっていく。ふと、目線を下げると──紛うことなきTHEちくわが、仔猫と変わらないぐらいの大きさに肥大化し、こちらにその口を向けて待ち構えていた。

 

「うわぁあああぁあああぁっ!?」

 

 恐怖心が飽和し、一度悲鳴をあげて発散されると、思考は次第に冷静になっていく。

 俺はスマートフォンを取り出し、まずは父親に電話を掛けた。片腕を飲み込んだちくわは緩やかに蠕動し、今度は片足を飲み込もうと迫っていた。

 

「もしもし、どうした。お前の方からはめずらしいな。……それで、要件は?」

 

 その落ち着き払った声は、一家の精神的支柱を何十年とやってきた凄みを帯びていた。

 

「あのさ、ちくわに襲われて、一人じゃどうにも出来ないし、父さんなら助けてくれると思ってさ。電話したんだけど、救急車呼ぶべきかなッ!?」

 

「……。必要ない、切るぞ」

 

 スマートフォンをベッドにぶん投げたい気分になった。

 

 俺は次に動画を撮った。片足まで飲み込んだちくわは緩やかに蠕動し、侵略している様子を撮影した一分程度のムービー。無加工のそれを大学の友人に送った。身に迫る怖さが、ただごとではないと伝わったはず!

 

「ンーー?ンんッ!?なんだこれ……。あいつ、面白いヤツだったんだな!」

 

 SNSのネタとしてアップされた通知をみて、やるせない気持ちになった。

 

「駄目だぁ……誰も信じてくれねーのな。はぁ、この状況を、一人でどうしろと」

 

 天井を眺めたところで妙案が降ってくるでも無し。ちくわは一定に、確実に、俺の体を飲み込んでいく。流砂での事故も、こんな気持ちなのだろう。静かな絶望。

 

「どうしてこうなったんだ」

 

 スマートフォンを取り零し、頭だけになった今の俺の姿は、傍から見れば恐らくこけしのようで、かなり滑稽だろう。そんな自分を嘲笑する気力さえもが、失せてしまっていた。

 床に落としたスマートフォンは、無操作から三分の経過でスリープ状態になった。今はもう、何をするにも手遅れである。

 こんなことなら、昨日一口三百円の宝くじを十枚買ったお金で、おでんよりもっと美味しい物を食べてりゃよかったなと後悔しながら、俺は現実逃避に目を瞑った。

 

◎ニ⊃

 

 ちくわに飲み込まれてから、早くも三十分が経過していた。というのも、ちくわの中は歯抜けの口でモゴモゴされているようなほどよい圧迫と蠕動運動が続くばかりで、死ぬとばかり思っていた心境にも少しばかりの余裕が生まれ始め……。そうなってくると行き急ぐ現代人らしいいつもの癖で、左腕の腕時計で現在時刻をマメに確認していたのである。

 最近の腕時計は水晶の振動がどうたらでまず時間がずれることはないと聞きかじった覚えがあるので、経過時間はまず確実だろう。

 

「真っ暗ならパニックになっていたところだろうけど……まぁ今んとこ、部屋の灯りが透けてて視界を確保出来てるし、酸欠で息が苦しいってワケでも無いしなぁ……ふぁ~ねむっ。って、いかんいかん」

 

 三百六十度モチモチなちくわの内側はちょっとしたベッドのようでウトウトしかけたが、緊張感を維持せねばッ!!と己に渇をいれた。

 

 変化が起きたのは、そんな時だった。足の先に触れた、形ある何かの固さを感じ取ったのである。依然としてちくわトンネルに終わりが訪れた気配は無く、それは驚くべきことに、時を同じくして向こう側からこちら側へとちくわに飲み込まれた、ほとんど同じ境遇の人間の足であったのだ!

 

◎ニ⊃

 

「いやはや、この度はお互いとんだ災難で。あんたがそっちからきたってーことは、だ。そっちも出口があるんで?」

 

「そうですね。あなたと私はさながら通信用ケーブルを移動するモンスターで、神の意志によってすれ違っているんでしょうね。ちくわでやらせる神はきっと、ろくでもないヤツだ」

 

「へっ?んーとまー、よくわからんが神がろくでもないってのにはまったくの同意見だ。……なんだか俺たち気が合うな。どうも他人のような気がしねぇ。魂の波長が合うっていうか」

 

「狭いちくわの中ですれ違ってるんだから。魂の波長どころか、心音まで聞こえてますよって……顔の辺りすれ違うんで、右に避けましょ」

 

「へいへい右な。それは俺から見ての右か?不幸なすれ違いはごめんだからな。簡単なのは互いに背を向けあうか、片方だけでも外向いてりゃ……」

 

「柔らかいちくわの壁に密接して窒息死、なんて鉄板ネタ土産にあの世へ行きたいならご勝手にどうぞ」

 

「いや、やめとく」

 

「鏡写しの左右は、ととっ、頭の上下逆だったから……。だとすると、あれ?どっちが右だっけ?!」

 

「おいおい!そっちがしっかりしてくれねぇと困るよ。俺はこういう、もの考えるのが苦手なんだ」

 

「えーっと、あなたからみて右で、私も右でいけるはずっ!……たぶん」

 

 ちくわの中で俺は初対面の男とファーストキスしてしまうかもしれないという、かなりレアケースでデンジャラスな遭遇を体験してしまいそうな……割と平和で地獄な窮地に瀕していた。こんな状況だから、語彙力の低下も仕方ないな。

 ちょっと待てよ?と冷静になって、互いの顔がすれ違う最後の最後で鏡写しなら反転しているのだから、左右を誤った事に気づいた俺は、全力で仰け反ってデンジャラスを滑り込みで回避することに成功した。していたのだが……。

 

 すれ違う瞬間垣間見た男の素顔。男は目を固く瞑っていたが、それが他人にしてはよく似ている、とはとても片付けられない程に見慣れている自分の顔と瓜二つで。

 俺は驚きのあまり、仰け反る力が抜けてしまい、弾性力で男の無防備な唇へとダイブした。

 

「「おええ゛~~っ」」

 

 二人の汚らしい空えずきの声が、ちくわの中で暫し響いた。

 

「お前には、末代までちくわに喰われる呪いをかけてやるッ!!」

 

 俺に瓜二つな男は、恨み言を残して去って行った。ちくわの緩やかな蠕動運動で。

 

 また一人になって。

 

 俺はこの後一体どうなってしまうのだろうか。深く深く思考の海に沈み込んだ俺はありうる可能性を模索したが、長かったちくわトンネルの出口の方が、確かな答えを得るよりも先に迎えた。

 

「ハッ!?こ、ここはっ!」

 

◎ニ⊃

 

「ここは……どこだよっ!」

 

 畳に土壁、障子に穴あり。用途不明な物々は婆ちゃんの家で見覚えのあるような、生活に役立つ道具の数々。

 随分と古風でこじんまりとした一室には、立派な戸棚が開きっぱなしになっていた。立ち上がり戸棚の中を覗いてみると(ざる)の上に見紛うこと無きTHEちくわが一つ、こちらに口を向けて待ち構えていた。

 

「ッ!?」 

 

 俺は軽く目眩を覚えた。

 あの運命的な引力の渦への、対抗姿勢をとって待ち構えたが、これはただのちくわだったか。と肩透かしを食らう。

 知らない部屋、開きっぱなしの戸棚にちくわ……これらの情報から導くに、どうやら俺はこのちくわの口から異世界に吐きだされたと推察出来る。

 あの男はここで抵抗すら出来ずに吸い込まれ、代わりに俺が出てきたのだろう。

 状況を再認識し整理する。江戸時代の日本のような、どこか懐かしい雰囲気は、反面よそよそしく。違和感が刺のようにささって抜けないでいる。

 断定しよう。どうやらここは、現代日本ではないし、ましてや海外のそれとも雰囲気からして違う。もったいぶるようだが、どうやら俺は・・・。

 

 差異のある世界、異世界へと来てしまったのだ!!

 

 江戸川乱歩の小説みたく、ひとまずはあの男に成りすますのがベターだろう。箪笥からは無難な色の服を取り出し、夏祭りで覚えた浴衣の着こなし方を実践する。

 

「前髪を落ち着かせたら、それっぽいか?」

 

 誰かに「お前、楽しんでないか?」と聞かれたら、否定は出来ない。目的だったあの男へ似せることを、失念したワケではない。ただ、何事にも優先順位がある……つまりは気分だ。

 脱いだ現代服の処理をどうするか、逡巡し、ひとまず腕時計諸々布でくるんで、紐で結んで放置した。

 

「さっ、外行くか!」

 

「~~♪」

 

「おーいそこの人」

 

「?~~♪」

 

 今、確かに目があった。なのに、あっぱれなほどスムーズに、彼女は打ち水を再開した。自分の家の前でもなしに、打ち水をする人はいないだろう。近所の人との会話でこの男の情報を得られると当てにしていたのだが。

 

『末代までちくわに喰われる呪いをかけてやる!』

 

 瓜二つのあの男。カッとしたら、口汚くなってたもんな。と、自分のことは棚に上げて、彼の世間での評判を察した。……それはさておき、無視は堪える。

 

「あのっ!悪気は無かったんです(?)。すみません。三分だけでもいいです。時間をいただけませんか?」

 

 日本人奥義・低姿勢ッ!年若い相手には効果的だ。

 まともに食らった彼女の方はというと、桶と柄杓を取り落とし、わなわなと震えだした。……いや、なんで?

 

「あ、ああっ、あのぉ!?貴方はその、でも……やっぱり私のことが、見えますの?」

 

 話せたのかと思えば、何を寝ぼけたことを。現にあなたは“ここにいる”じゃないか───と、反射的に口から出かけた言葉を、グッ、と飲み込んだ。

 ここは話に聞く昔の日本に限りなく近い様子だが、そっくり同じではなく差異のある世界、異世界だ。この異世界の常識を知らない俺が、見えたらおかしい人を見つけ、さらには捕まえてしまったのなら。

 それは今後喜ばしい展開に発展するとは考えにくい。と判断するのが、健全な現代男子の異世界教養レベルなら当然の帰結だろう。

 ……話しかけたそのとき、すでに手遅れなワケだが。

 

「あの~?」

 

 町娘Aとしか認識していなかったのを改めて、よく見れば櫛目が通った黒髪が生来のはねっ毛で耳の上辺りで弧を描き、化粧っ気がない素肌と少女趣味なリボンが幼い印象だが、背丈は成人女性のそれだし、顔立ちは凛としている。

 今も彼女は頬を上気させ、潤んだ暗い瞳を、上目遣いにしてこちらをじぃーっと覗いていた。──眼前に蜘蛛の糸が垂れてきたカンダタのような、表裏一体の邪悪な笑みを浮かべながら。

 

「気のせいです。さようなら」

 

 嫌な予感に従って、言葉早口に拒絶を意思表示して、彼女がリアクションをとる前から逃げだした。

 

「その反応は、ぜぇーーーったいに見えてますね!?確信し、ちょ……逃がすかーーっ!!」

 

 桶と柄杓をほっぽって、彼女はグッと腰を落とし、チーターが獲物に跳びかかるようなタックルを決めると、鮮やかな手つきで間接技に移行する。

 

「すみませんでした!タップ、タップだってッ!あなたが見えてる問題解決したでしょ!?といて!技といて!」

 

「じゃあ、逃げずに私の話を聞いてくれますね?」

 

「それは……」

 

「折れちゃえよ☆」

 

 ポン☆と、拍子木の打ち鳴らした音が、脳内で流れた。

 

「折れましたぁあああぁあああぁ!!聞きます聞きます!それはかなり効くぅーー!?」

 

「では、合意の上で。貴方が出てきたお部屋に移動して、腰を据えてお話しましょう♪」

 

 こんな合意が、成立していいのだろうか。

 彼女は上機嫌に俺の首根っこを掴み引きずって、勝手に人の部屋へと入ろうとする。……まぁ、俺の部屋でもないのだから、文句は言えない。

 それよりも、だ。

 道のど真ん中でこれほど騒いでいるのに、徹頭徹尾無言で、冷淡な態度をとる町人の様子が、鼻についたのだった……。

 

 連行された部屋の中。試しに外へ逃げるポーズを取ると、「駄目です」と背後から聞こえる。俺がもしももう一歩進んだならば、背後からチーターが跳んできて骨を折ることになっただろう。俺は向き直って座った。観念したと思ったのだろう、彼女はやはりにこやかだった。

 

「私、柄杓のツクモガミで、名を熊囲七夕(くまいなゆ)と申します」

 

 俺はお茶を一口飲んでからこう言った。

 

「柄杓のツクモガミぃー?」

 

 我ながら、かなりアホっぽい声が出たが、それを気にする余裕が無いほどに、この女性、熊囲七夕が言い放った言葉を咀嚼するのに難儀した。

 視線をさ迷わせ、すると彼女の右腕が、禁断症状のように、ぷるぷるっ、と震えていることに気がついた。

 

「何、さっきから震えてるけど、大丈夫なの?それ。体調悪いなら、無理せず帰った方がいいよ」

 

「まだ帰れませんよっ!?……ただ、日課の途中だったといいますか。毎朝水撒きをしないと落ち着かなくって。半分病気ですね、たはは……」

 

「興味本意で聞くんだけど、それにはどんな理由が?」

 

「私たち、神の中でも下級なツクモガミは、人に認識してもらわないと次第に存在が薄くなって、限界を迎えるとタンポポの綿毛を吹いたみたいにパッ……と、消えてしまうんです。ですからっ!私は柄杓のツクモガミらしく毎朝水を撒いて、道行く人の、今日は涼しかったなーって意識を、集めなくてはいけないのです」

 

「存在を認識、ね……。手段が間接的なのは、ツクモガミが見える人が少ないから?でも俺には見えてるワケだし、個人差があると」

 

「そうですね。それに加えて、そういった見える人、私たちは“巫女気質な人”と呼びます人達は、等級の高い上位神の寵愛と祝福を受け、引き換えに絶対の信仰を捧げている者が多いです。それに上位神は独占欲が強いので、信者を隠してしまう。信仰は、ご利益のあるところへ集まるのです。人間でいう、お金みたいなものですね。……って、私ったら饒舌になっているようで、余計なことまで。気に障りましたか?」

 

「まさか。世辞じゃなく、感心したし、もっと聞きたいぐらいだよ。知らなかったことばかりだ」

 

「知らなかった!?……いや、だからこそですか。巫女気質があって、神の加護を受けていないのが、目の前にいる貴方ですし。存在が消えかけていた私が、おかげで調子が良くなりましたからねっ!」

 

 まさか、認識を稼ぐ為に……。

 彼女の饒舌さの真意が透けて見えた気がしたが、さておき。彼女の言うこと全てを肯定すると、熊囲七夕は柄杓のツクモガミであり、人に認識されないと、存在が希薄になるのが神という存在らしい。

 存在が希薄になればますます人に認識されなくなる。いつか消えてしまうという恐怖は、遅効性の毒のように、心を徐々に蝕んでもおかしくないだろう。

 

「その、強いんだな」

 

「強い?私がですか?」

 

「だって……消えかけていたんでしょ。なのに平然としているから。強いな、って」

 

「なるほど。人間の価値観は分かりませんが、受け入れてからは案外慣れますよ。私が特別、鈍感なのかもしれませんがね。たははー、っ」

 

「ぁ」

 

 自分の失言を、激しく後悔した。慣れれば平気?鈍感だから?そんなワケがない。磨耗した心は痩せ細り、弱っているが、それでも芯は真っ直ぐで、誇りがあって……。彼女の気位の高さを軽んじた、明らかな失言だった。

 あんな虚しい笑い方を、俺がさせてしまった情けなさ。

 二度目はないと、心に誓った。

 

「なぁ、七夕ちゃん」

 

「?なんですか」

 

「小腹が空かない?このちくわ食べようぜ」

 

 努めていい笑顔でサムズアップして、戸棚の横によけていたちくわを笊ごと持ち上げた。

 

 瞬間。

 獲物を見つけた狼のように、ソレはこちらの油断を待っていた。ちくわから生じる、抗いようのない絶対的な引力の渦が、俺を吸い寄せる。まるでどちらが捕食者で被捕食者なのかを、雄弁に語っているようにみえた。

 うわぁあああぁあああぁ!!!──と、心の中では、有らん限りに叫んでいた。他人がいる手前、醜態を晒したくないという気持ちが、表面的な冷静さを保つのに一翼を担っていた。

 不幸中の幸いか、反射的に飛び退いたとき、宙を舞った笊がちくわの腹を押さえつける形になったことで、その吸引力は、以前の時よりもずっと弱まっていた。それでも、現状維持がやっとといったところだが。

 さっきから慌ただしい音を立てるのは俺ばかりで、畳の縁に爪を立てて持ちこたえる必死さも彼女には伝わらず、突然の奇行に唖然としているようだった。

 

「どうしたんですか急に、ああ、食べ物が」

 

 何の恨みがあってか、ちくわは俺だけを器用に吸い寄せているようで、だから致命的な二人の認識の違いが、そうさせた。彼女は悪気があって、偶々ちくわの上に乗っかって、押さえつけていた笊を拾い上げたのではないのだ。

 再開する猛烈な吸引力に非情さを嘆く暇もない。どうせ伝わらないと半ば諦めながらも、切羽詰まって彼女に吼えた。

 

「そのちくわはただのちくわじゃない!まだ巻き込まれて吸われていない今のうちに、とっとと逃げてくれッ!」

 

「……ちくわ?なるほど、このちくわが慌てさせる原因なんですね。私がなんとかします!」

 

 危険だから逃げろ、と言ったつもりだった。

 しかし、彼女は俺の力になろうと思考を巡らせていた。常ならその気持ちは凄く嬉しいし、道徳的なのだけれども、この急場では、まず怒りが込み上げてきた。

 

「アホか!何も出来ないからさっさと行けって──」

 

「アホで結構、この大馬鹿野郎っ!!伊達や酔狂で助けようなんて思っちゃいません。私には要因に心当たりがあって、私に協力してくれたなら、何とか出来るかもしれないんですよ!」

 

「そんなこと……」

 

 命に関わることじゃないと、俺は知っていたから。

 他人を巻き込まないことしか考えておらず、必死になってのこの時間稼ぎだって、自分が助かろうだなんて最初から念頭にすらなく、問題解決に本気になっていなかった。

 出来ないだろ、と言うのはとても簡単だ。

 だが、彼女の真摯な言葉を受けて、感じるものがあった。

 俺の知らない要因を、異世界の住人かつツクモガミな彼女には心当たりがあるのはなるほど至極当然で、後は俺が、彼女を巻き込んでしまう覚悟を決めるだけだった。

 

 ……俺はなにを、怖がっていたんだろうな。

 

「俺はどうすればいい?」

 

「いい顔できるじゃないですか。……そうですね。抵抗をやめて、楽に座っていてください。私の話を聞いて、たまに相槌を打つ程度で。楽にしていてもらって結構です」

 

 彼女は着物のシワを気にせず腕まくりをすると、目を薄く開いて、呼吸を整えている。

 俺はちくわへの抵抗をやめ、案の定右腕の親指から飲み込まれた。ここからじわりじわりと膨らむことを俺は知っている。

 

「ふう、では。……私は熊囲七夕と申します」

 

「改まって自己紹介?ちゃんと覚えてるよ」

 

「自己紹介に違いませんけど……察しません?」

 

「無理」

 

「即答て。やれやれ……にぶちんですね。ほら、まだ貴方の名前を聞いていなかったものですから。話の便宜上、教えてくれたっていいでしょう?」

 

「ああ、それは確かに失礼だった。俺は多田力也(ただりきや)。覚えるときは、その者、ただ力なり……って、かっこよさげに覚えてくれ」

 

「力也さん。では、私の名前は、熊に囲まれて七裂き、夕日の赤が映えるぜっ!の熊囲七夕(くまいなゆ)と覚えてください」

 

「勇ましすぎるだろっ!?もうちょっと女の子してくれ」

 

「?ずっと女性ですよ。……さて自己紹介を続けます。一度話しましたが、私は柄杓のツクモガミ。姿形こそ似せていますが、人間ではありません」

 

「似せてるって?」

 

「人間に親しまれる姿に似せているんです。私以外には、動物の姿だったり、植物の姿だったり様々な形がありますが、神の本質はどれも違いがありません」

 

「人の信仰、言い換えると認識か。それを集めて、生きていると」

 

「もうちょっと複雑ですが、そんな感じです。それぞれが理想を持っていて、叶えたいと強く思っています。私を含めて」

 

「へぇ……そうなんだ。理想を求めて、姿形に囚われない……ん?七夕ちゃんもしかしてだけど、さっき言ってた心当たりってまさか!」

 

 ここまでの流れからして、間違いない。

 つまり、この拳を飲み込んでいる最中のちくわは、一種の神的存在なのだ!

 

 考えてもみれば、おでんのちくわは筒状。出汁を飲むのに、ストローのように扱って飲むことが可能である。生物の進化は魚類から始まる、そう、ちくわは魚類だ。一説では蝶や蚊も、ちくわの遺伝子から血や蜜を吸うようになったらしい。

 もしかしたら、ビックバンの衝撃は世界とちくわをつくったのか?古くからあるということは、人間の尺度でいうと、それだけで神秘を帯びるしな。

 以上。

 ちくわ=神であるという場合を前提に飛躍させた思考を、一度落ち着いて、客観的に考え直してみる。

 

「無理があるかなーって」

 

「何の事かは知りませんし聞きませんが、恐らくこのちくわは神隠しの媒体でしょう。それを除けば、ただのちくわです」

 

「神隠し、神様が人を隠すっていうアレ?」

 

「そのアレです。上位の神のなかには、気に入った人間の舌に刻印を刻み、どこへ逃げ隠れしても見つけだして、半自動的に、媒体を使って手元へと誘うことが出来たりします。離れている距離によっては、数回に分けるそうですが。心当たりは……あるようですね」

 

『バクッ……ズズズッ。あちぃ!』

 

 ……。あれだァーーッ!!

 ちくわで出汁を飲もうとして火傷したあのとき、刻印とやらを刻まれたのだろう。横着はするもんじゃないね、罰が当たってしまった。

 

「どうすれば、神隠しを回避出来るんだ?」

 

 原因は分かった。反省もした。話し始めてからずっと、ちくわに念力的な何かを注ぐ仕草をしていたが、もしかしたら、妨害電波でジャミング的なことをしているのかもしれない。

 

「解析完了。すぅ~~~~っ……爆ぜよッ!!」

 

 次の瞬間、俺の右腕を包んでいたちくわは爆発四散した。

 

「やった!始めて使う神通力だったけど、上手に出来ましたよ。ぶいっ!」

 

 見事、右腕は衝撃の大きさの割に目立った外傷一つ無く、ちくわから解放されていた。それは喜ばしいことだ。だが、失った代償は大きく、突然の爆発に、俺の心臓は太平洋の海上にカタパルト射出されて未だ帰って来ない。

 もしかしたら、静かの海まで飛んだのかもしれない。この世界に月があるかは知らないが。少なくとも、太平洋は無いだろうな。

 

「あの~?助かりましたよ力也さん。私にお礼の言葉を言うなら今ですよ」

 

「……こ」

 

「こ?」

 

「このけしからんダイナマイト娘め!驚きすぎて心臓止まったかと思ったわ!爆発する珍品柄杓として質屋に売り飛ばしてやる!」

 

「し、質屋はいやーーっ!?あそこにある道具達って、陰険で嫌がらせしてくるんですぅ」

 

 知るかよそんなこと。

 ……ツクモガミジョークなのかもしれない。すっかり毒気を抜かれてしまった。

 

「まったく、調子が狂いっぱなしだ。……ありがとう。こんな裏技、俺一人じゃ出来なかった。おかげて神隠しに怯えなくてよくなったし」

 

「それほどでも、いいんです。あと、舌の刻印を解除しない限り、第二第三のちくわが来ますよ」

 

「まじで?」

 

「大真面目です。私には刻印は消せませんが、ここから東に大きな城下町があるので、そこでなら解呪もあるいは……」

 

「そうなのか。じゃあ、俺は城下町に行くとするよ」

 

「それなら、まずは一緒にお店で旅の準備をしましょうか。茶屋で買える特産品はお得なので、買って損は無いです。それから、薬や道具も必要ですねぇ」

 

「うん。え?ちょっと待って。一緒にって、旅に七夕ちゃんもついてくるの?」

 

「乗りかかった舟ですから。あと、外は魑魅魍魎がうじゃうじゃいるんで、一人で行かせて死なれては夢見が悪いですしね。私が守ってあげますよ」

 

「ははぁ~っ、ぜひお願いします。七夕様ぁ!」

 

「ちょっと、からかってます!?いきなり七夕様だなんて、神様扱いしないでください!普通で普通で!」

 

「んじゃあ、頼むわ」

 

「それはそれで腹が立ちますね。・・・でも」

 

 歯切れの末尾は、これを話すまいかとためらいがある様子だった。急かさず無言で、続きを話し始めるのを待つと、ようやっと決心したようで、思わずこちらが仰け反ってしまいそうな強い眼差しを向けられた。

 

「力也さん」

 

「は、はい」

 

「よろしければ、私に信仰を捧げませんか?粗末な神の祝福ですが、魑魅魍魎と戦えるようになれますよ。私が力也さんを守ると大見得を切りましたが、私も力也さんも、今の強さのままだと、たぶん蟹にも勝てないですし」

 

「蟹にさえっ!?」

 

「それと、魔術が使えるようになりますね」

 

「分かった。信仰を捧げるにはどうすればいい?」

 

 芝居がかった動揺を引っ込め、俺はすぐさま承諾した。食いつきの良さに若干引かれたが、それもやむなしだろう。だって魔術使いたいもの。

 七夕ちゃんは、『理想を叶えたいと、強く思っています。』とも言っていた。つまりは、元気になったついでに、色気が出たということだろう。と、納得しておく。

 

「いいんですか!ちょっと待ってください。この神の契約書に力也さんと私がサインして、それから心の中なり言葉にして、私に感謝するだけで信仰になります。お手軽簡単ですよね!」

 

 墨を磨り始めた七夕ちゃんに、小筆と一緒に渡された神の契約書なる物を読む。なになに、『甲は生涯、乙に対し信仰を捧げることをここに誓う。』か……シンプルに重いな。

 俺は甲の欄に名前を書けばいいのだろう。

 

「ささっ、どうぞ」

 

 墨の溜った硯を受け取り、小筆で自分の名前を書いていく。名前の画数が少ないと字が潰れにくくていいが、バランスが難しく、やや悔いが残るA型な俺であった。

 

「汚いけど、これでいいのか?」

 

「ええ、上等です」

 

「んー、とくに変わった気はしないけど」

 

 体に回路が通った感覚、これが魔力か!……とはならず、何だか期待外れなのが本音だ。

 

「最初はそんな感じだそうですよ。徐々に実感すると思います。さぁ、行きましょう!」

 

 俺の目の前で今、胸の高さで手を揉んでニコニコ笑う七夕ちゃん。知れば知るほど強かで、どこまでが演技だったのかは不明だが、裏の見える善意というヤツは、案外気持ちがいいものだと初めて知った。

 

「よろしくな、熊囲七夕ちゃん。その名前、よく似合ってるよ」

 

「ありがとうございます?それって」

 

「一難去った後の夕日は綺麗だな、ってこと」

 

「まだ昼ですよ」

 

「・・・知っとるわい!」

 

 上手いことを言おうとしたけど、急には無理だな。と反省した後、俺達は町の店を巡るのだった。

 

 

 前を行く七夕ちゃんは、無尽蔵の体力で張り切っていた。

 

「ここが薬屋です。軟膏、薬草団子、霊酒に秘薬。他には病気の薬がありますね。こっちが武具屋。あれが茶屋。あの道を右手に折れた先には宿屋がありますが、使うことは無いでしょうね」

 

「分かった。それで、質屋はどこにあるんだ?」

 

「さっきのは冗談じゃなかった!?」

 

 何を言っているのか解らず一瞬思考が止まりかけたが、爆発する珍品柄杓として質屋で売ってやるとか自分が言っていたなと思い出した。

 無言の間を嫌った七夕ちゃんが決意のファイティングポーズをとり始めたので、俺は慌てて白旗を振り誤解をとく。

 

「違う違う。危険な旅に出るなら、部屋の家具や道具を売ってお金にしたいって話」

 

「あ……そういうことですか。売られる道具達には同情しますが、いいと思いますよ」

 

 仲間意識で反対されるかな、と万が一の場合に備えて屁理屈を用意していたが、ツクモガミの道徳的にはセーフだったらしい。他人の物を売ろうとしている俺はゲスに違いないから、余計なことは言わないでおく。

 

 七夕ちゃんの案内でついた質屋の主人に話を通し、荷車を借りた。部屋から売ってもよさそうな物を積んで往復すれば、「これだけあれば旅は十分でしょう」と七夕ちゃんのお墨付きをもらえる程度のお金になった。売られていく道具達が、どこか寂しげに見えて立ち止まっていると、目を光らせた主人が話しかけてきた。

 主人曰く、「売れる時は、買い戻す人がほとんどなんですよ」と。あの楽器が店に並ぶのは六回目で、商売道具を売った芸人連中にはよく逆恨みされて困ると笑っていたのが恐ろしい。世の中上には上がいるものだ。

 

「一度中に入ってみたかったんですよねー」

 

「ああ……茶が美味い」

 

 七夕ちゃんは基本的に人には見えないから、テーブルが別々の客同士の距離感がベターだよね。と、店の前で確認したばかりなのに、真横から話しかけてくる。案外、人見知りするタイプなのかもしれない。ナチュラルに相槌を打ち、入り口に立て掛けられた葦簀(よしず)を睨んだ。

 

「それはよかったわ。特産品のおやきもいかが?しょっぱいのがお茶に合って美味しいの」

 

 茶屋の看板娘に独り言を拾われて、続くセールストークに乗るのも悪くないなと思った。

 

「じゃあ三つ。二つはくるんで土産にしてください」

 

「ありがとうございます。お勘定の際にはお渡し出来るよう、準備の方をしておきますね」

 

 それほど待たずに出てきたおやきは、たしかに濃いお茶と合って美味しい。保存が効かなそうだが、味と腹に溜まるという点では優秀だろう。……横のキラキラとした視線が痛い。それを無視して、情報を収集する。

 

「これから、城下町の方へ行こうと思っているんです」

 

「あらま、そうなの。でも、これから行くのは一度考えた方がいいと思うわ」

 

「?なぜです」

 

「この時期は高天山(たかまさん)からの雪解け水で毎年川の水嵩が増すのだけど、この前の嵐で橋が流れちゃってね。仕入れも大変なのよ、採算が合わなくて出せないメニューもあるし、はぁ……」

 

「それが好きでくる人が遠退くのは、痛いですね」

 

「そーなの。父さんも泣く泣くよ、でも商売だから。って、話が逸れたけど、川渡しの舟も探せばあると思うわ」

 

「なるほど」

 

「でもね、そうやって川を渡るのも止した方がいいわ。……最近、よく人が死ぬって聞くのよ」

 

「物騒な話ですね」

 

「町もピリピリしているでしょ?腰に刀を差した退治屋が山から下りてきているし、きっと川で悪神が出てきたのよ、イヤだわぁ」

 

 最後は声を一段落として言う内容に、まいってしまった。

 たまらずといった様子で突然店の外へ飛び出した七夕ちゃん。それを追うべく、急いでお茶を飲み干し、勘定の後に土産を受け取って彼女を探すと、思いの外茶屋の近くでいじけていた。横に並ぶが、無言が続く。

 

「……聞かないんですか」

 

「うん、しばらくこうしていようか。歩いてもいいし」

 

 見上げると昼間の空は痛いほど澄み渡った青で、うっすら月が浮かんでいるのを見つけた。こうして空を眺めていると、思い出す。

 

 あれは雨の日。小さな駅で降りた俺達は、反対側の改札の隅でうずくまり、すすり泣く他人を目撃した。半笑いで、女学生に声をかけるべきか俺に問いかけてきた友人に、正体不明のイラつきを覚え、強引に手を引いて駐輪場へ向かったのだ。

 感情的なときの言葉は無責任だけれど、当人は感情という(あぶく)が全てにみえて、本心と勘違いしやすい。そして傷つく。無責任に他人の飾っていない言葉を引き出すのはフェアじゃない、と、あの時の俺は漠然とイラついていたのだろう。

 

 七夕ちゃんは歩き出していた。確かに、通りには刀を差した男がちらほらといる。狭い道に折れて進み、別な通りに出て、柳の木陰で立ち止まった。俺の顔を一度見た後、別な何かを見つめている。横に並んで視線を追うと、そこには女性が集まっていて、一つの井戸があった。

 

「あの人達は同じ長屋に住んでいて、洗濯仕事を終えたら、井戸の傍でああして町であったことや日常の些細な事を話しているんです」

 

「そうなんだ。ねぇ、さっき土産に買ったおやきが二つあるから、食べなよ」

 

「一度食べてみたいと、思っていたんです」

 

 手渡したおやきを口元に近づけると、しばし見つめ、ちびりと齧りついたのを見届けた。

 

「あまじょっぱいのが、俺は気に入ったかな。茶があればもっとよかったけど。しまったな」

 

「力也さん、私は満足です」

 

「そっか、なら今度は別な味も試したいね。城下町で呪いが解けたらさ、仕入れの問題で今は出てないメニューを頼むのがいい考えだと思うんだよ。別におやきにこだわらず、城下町で美味しい物を探して回るのもいいね。きっと栄えているから、いろいろあるとみた」

 

「無駄遣いは駄目ですよ。評判がいいのを選りすぐってですね。私は食べなくても生きていけるので、一口だけくださいね」

 

「……なら、もう一個あるおやきはいらないな」

 

「買ってあるものは仕方ないので食べますよ」

 

「どうぞ」

 

 しかし素直じゃないね。と、心中でため息を吐き、おやきを半分に割ったものの片方を七夕ちゃんに渡すと、俺もおやきに齧りついた。うん、美味い。

 サワサワと葉擦れの音が涼やかで、ゴロンと寝転がりたい気分になる。……というか、夕方からこっちは昼で、ちくわでも眠れなかったのが今になってつらい。緊張の連続だったから、余計に疲れている気がする。

 

「ねぇ、昼寝していい?」

 

「茶屋で休んだばかりじゃないですか。準備を終えましょう」

 

「……あい、分かった」

 

 質屋で物を売る際に、部屋で旅に使えるとよけていた(かさ)や短刀、麻縄、鏡、櫛、筆記道具と日記、それらに足して履き物などを新しくしたりして、通行手形を貰いにこの町の神社へと向かった。……どうして神社?

「私は神社には入れませんので」と、アドバイスだけを受けて、一人神社の鳥居をくぐった。

 

「通行手形を発行していただきたく参りました」

 

 役所には小綺麗で巌のような男が座り、重々しく言葉を発した。

 

何故(なにゆえ)、通行手形がいる?」

 

 俺は「誤解しないでくださいね」と前置きをして、七夕ちゃんに言われた通り、べぇーと、舌を目一杯出した。

 

「それは……神隠しの呪印。神に選ばれたのだな」

 

「はい。そして、旅行が許されていると聞いています。通行手形を発行していただけますか?」

 

「よろしい。用意しよう。……その体は既に神のもの、大事にするのだぞ」

 

 男は俺をみて、その実は俺の背後をみているのだろうが、忠告と共に通行手形を手渡してくれたのに一礼し、急いで七夕ちゃんと合流した。

 

「ほら、通行手形をもらってきた。この舌が役に立つとは思わなかったな」

 

「……みんな、神が怖いんですよ。さておき、これでいよいよ旅立てますね!」

 

「その前に、俺は昼寝したいね……流石に疲れた」

 

「力也さん、まだ寝ないでください。背負って行きたくはないですし、私は地面に転がしますよきっと」

 

「……それもいいか」

 

「ちょっと!?本当に寝る人がいますかっ」

 

 思考が鈍り、軽い悪ふざけのつもりで斜面の草原に倒れ込み、それが心地よかったものだから、起き上がる気力が湧いてこない。寝入る前、お疲れだったんですね、と耳もとで優しい声が聞こえたような気がした。

 

 目が覚めるとまだ外は明るく、体中の筋肉が軋む。手をついた畳の滑っこさに、ここは部屋の中だと気づく。

 上体を起こして振り向くと、二つに折った座布団が俺の枕になっていて、微光を発して「すぅ……」と寝息を立てる柄杓が傍らに落ちていた。


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