転生した羊の姫は,あの日の勇者に憧れる 作:ふふ歩
「メルちゃん私ね…眠っている間、ずっと夢を見てたんだ」
ーー呆然とする僕を見つめながら、ルゥシィは静かに言葉を続けた。
「メルちゃんがまだメルちゃんじゃなくて、何処かのお星様の世界で男の人だった頃から、お嫁さんに出会って、絵本の作家さんになって、お爺ちゃんになって死んじゃって…この世界に来るまでの夢を、ずっと」
「ルゥ、ちゃん…」
それは、正しく前世の僕の人生の歩み。
僕がルゥシィの心に触れ合った時に、彼女は僕の思った以上に深く、僕の心の奥に触れてしまったのだろう。
それが分かったから、僕はもう慌てふためく事は止めて、静かに問いかけた。
「…ねぇルゥちゃん。僕が前の世界で書いてた物語で、何が一番好き?」
「勿論、勇者様とお姫様の物語!! カッコイイし、ワクワクするし!!」
「ーーありがとう。僕も一番好きだったから、生涯をかけて書き続けたんだ。気に入ってくれたのなら嬉しいよ」
ーールゥちゃんが、この世界の第一号のファンだね、と言うと、ルゥシィは嬉しそうに無邪気に笑ってくれた。
「やったぁ〜!! ねぇメルちゃん、今度、その絵本の絵、描いて見せてよ」
「うん、勿論。ただ、前の世界と比べて手の大きさとか、感覚が全然違うから、少し練習しないとだね」
「へぇ〜、そう言うの職人さんみたいで何だかカッコイイねぇ」
まるで、いつも通りの会話のように、今まで胸に秘め続けていた秘密が、僕の口から滑り出してくれた。
これなら、先ほどのルゥシィの問いかけにも、しっかりと淀みなく答えられそうだ。
準備運動のような会話を止めて、僕はルゥシィの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ーーさっきの質問に答えるよルゥちゃん」
そう告げると、ルゥシィも僕と同じように不安な気持ちを会話で誤魔化していたのだろう…先ほどまでとは打って変わって、服の裾を握り締めながら、視線を落として俯いた。
きっと怖いのだろうーーこれを聞いてしまったのならば、もしかしたら今までみたいにいられないのではないかと思って。
そしてそれは僕もそうだ。だから、続く言葉を言う僕の握りしめた手からは、じっとりと汗が滲み出る。
「ーー確かに僕は、世界で一番妻を愛してる。
それはこの先、何年、何十年、何百年経ったって…世界が変わったって永遠に変わらない」
一欠片の嘘も、誤魔化しも、言い淀みもなく、僕は言い切った。
「そして、もし妻がこの世界に生まれ変わってくれていたなら、僕は会いに行きたい。
だって、約束したからーー見つけてくれるって、言ってくれたから」
それは僕の根幹ーーこの先例え何があったとしても、この気持ちは絶対だ。
「…………そっか。そうだよね」
ルゥシィは僕の言葉は聞いて、俯きながら、ふ、と微笑んだ。
それは諦めと納得、寂しさを感じるような、儚げな笑みだ。
「ならーー「ーーだけど!!」…っ!?」
その後に続いた、零れ落ちるようなルゥシィの言葉を全力で遮る。
何故なら、彼女は誤解しているからだ。
僕の心に、最も鮮烈であろう核心に触れてしまったからこそ、見えなくなってしまっている事実に目を向かせなければならない。
「ーーそれは
ゆるゆると顔を上げたルゥシィの額に、自分の額をコツン、と当てる。
少しでも、僕の思いが、僕の熱が、彼女の心にとどくように。
「確かに僕は妻と約束をしたよ。
ーーけど、それは
けど、今僕が生きてるのはこの世界なんだ。どんなに大切だって、前の世界の事を持ち出して、投げ捨てたり、軽んじちゃったりなんかしちゃ駄目なんだ」
「メル、ちゃん…」
「でも、今までの僕はそう思っちゃってたんだ…!! 馬鹿だ…僕は、馬鹿だよ…!!」
僕の声に熱が篭っていく。
それは、僕なりの懺悔だったーーあれだけ大切に思われていたと言うのに、育てられてきたと言うのに、守られていたと言うのに、そんな人達のいる大切な世界を、約束が果たされるまでの止り木のように考えてしまっていた自分を罰するための言葉。
「ーーそれに気付かせてくれたのは、ルゥちゃんなんだよ」
「え…わた、し…?」
僕の言葉に呆然とするルゥシィに、力強く頷く。
ルゥシィと心を通わせ、彼女の思いを知って、彼女を守ろうと決意を抱けたからこそ、僕はこの自分の中のエゴに気付く事が出来たのだ。
傷付いたルゥシィを命がけで守ろうとした事で、今まで漠然とただ憧れていただけの目標の途方も無い高さと、自分が目指すべきカタチを見出す事が出来たのだ。
そして、そんな彼女を失いかけて、その温もりを繋ぎ止められたから…僕は、この世界の大切さに気づく事が出来た。
「ーーみんな、ルゥちゃんのおかげなんだよ。
ルゥちゃんは、僕にとって掛け替えの無い友達なんだよ」
「メル、ちゃん…」
「世界で一番愛してるのは彼女だけど、前の世界の約束は僕にとって特別で、大切ものだけどーーそんなの関係無い」
「う、ぁ…メ゛ル゛ぢゃん゛…」
ルゥシィの瞳から、止め処なく涙が溢れ、声は湿り気を帯びていく。
そんな彼女を、僕は強く、より強く、力一杯に抱きしめる。
「ーー僕にとって…メルリア・メリーシープにとって…この世界で一番大切な友達は、ルゥちゃんだよ。ルゥシィ・スワローテイルなんだよ」
「うぁぁぁ…うあぁぁぁ…!!」
もう、ルゥシィは声も上げずに、ただただ泣き叫んだ。
魔力から伝わってくるのは、今まで抱いていた不安と焦燥と、それが晴れた事の安堵が、痛い程に伝わってくる。
「わ゛…わ、たしぃ…!!
メ、メルちゃんが…いつも、何処かの、誰かの事を…見てるみたい、で…!!」
「うん…!!」
「ーーだ、だからっ!! 私っ…凄く、凄くっ不安で…!!
メルちゃんが、いつか、何処かに飛んで、行っちゃうって…!!」
「うん…うん…!!」
途切れ途切れで、支離滅裂だけれど、それはルゥシィの血を吐くかのような慟哭だった。
子供の心は、純真故にその機微には敏感だーーきっと、ルゥシィは自然に感じ取っていたのだろう。
ーー僕がいつも、子供達から一歩引いた所にいた事を。
ーー僕がいつも、前の世界というフィルターを通して、この世界の事を見てしまっていた事を。
だから、いつもルゥシィは僕を気にかけてくれたのだ。
常に何処か浮ついて、何処かに離れていってしまいそうな僕を、必死に繋ぎ止めてくれていた。
『ーーねぇ、メルちゃん。一緒に飛ぼうよ』
そういつも僕に声を掛けて、まるで船を港に結びつける
僕がこの世界から、離れ離れにならないように強く、強くーー。
ーールゥシィと一緒に、僕も、沢山、沢山泣いた。
こうして融け合った心が、二度と離れないように、強く、強く抱きしめ合いながら。
「ねぇ、ルゥちゃんーーいつか、一緒に世界を見ようよ」
「え…?」
そして、少し泣き止んでから、僕はルゥシィにそう伝えた。
これは、もう一つ僕が今回の事件を機に考え付いた事だ。
「一緒に色々な場所に行って、色々な人に会ってーーそして、もし妻を見つける事が出来たら…その時は、1番最初に紹介したいんだ。
ルゥちゃんが、この世界で一番の友達だって」
「うん…うんっ!!」
まるで子供の夢想のような約束ーーけれどそれは、この世界で最初に交わす、掛け替えの無い人との約束だ。
「約束しよう、ルゥちゃんーー小指を出してみて」
「え…? こ、こう…?」
僕は右手の小指を立てて見せると、ルゥシィもそれに倣ってぎこちなく小指を出した。
それはこの世界の風習には無い、この世界にとっての
前世の世界の僕の国で、子供達が約束を交わす時のおまじないだ。
簡単にやり方を説明してから、互いに差し出した小指同士を絡め合う。
「じゃあ行くよ、せーのっ…」
「「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーますっ」」
「「ゆーびきったっ!!」
ーー10歳の誕生日、それは魔族にとって大切な日。
この日僕は二度目の生涯の中で、一番最初の、一番大切な約束を、一番大切な友達と交わした。
前の世界の妻との約束と同じように、僕は絶対にその約束を忘れないだろう。
このお日様の匂いのする笑顔がある限り。
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ーーそれから暫くして、真夜中の病室には再び静寂の帳が降りていた。
響くのは、穏やかな寝息だけーーそこには、一つのベッドで、仲睦まじく寄り添うように眠るメルリアとルゥシィの姿があった。
その寄り添う肩に、そっと毛布が掛けられる。
「ふふ、可愛い寝顔…きっと、素敵な夢を見ているんでしょうね」
「ああ…」
そんな2人を、父と母ーーバフォメットとグレモリーは愛しげに見下ろしていた。
「ーー心融、か。まさか、こうして目の当たりにするとは思わなかったが…」
バフォメットが、感慨深げに呟く。
心融ーーそれは、魔力を通じて心を通わせるという、真の絆が無ければ不可能と言われる秘奥中の秘奥。
それを果たした者同士は、言葉を交わす事無く互いに心を伝え合い、知識や記憶を共有する事が出来る。
更に強固な絆を結べば、例え世界の果て程に離れていても心を通わせ、
魔族、人族問わず、伝説に名を刻んだ勇者達が、掛け替えの無い仲間達と交わしたと言われる伝説の一端を担う魔法だ。
ーー無論、それは簡単な事ではない。
心を通わせるという事は、全てを曝け出すという事。
心に秘した事や、決して表に出せないような恥部や欲望、決して思い出したくない記憶までも共有してしまう。
それでも、互いを想い合い、互いの清濁全てを受け入れることが出来なければ成立しないのだ。
ーーつまりメルリアとルゥシィは、生涯のパートナーとも言うべき存在となったという事だ。
「本当にこの子達ったら、私達の想像なんて、あっという間に飛び越えてくれるわよね。
…嬉しいけど、ちょっと複雑だわ」
グレモリーが2人の頭をそっと撫でるーーただ、その瞳は悲しみに揺れていた。
ここに来たのは、ただの偶然だったーーバフォメットとグレモリーは2人の様子を見にここを訪れたに過ぎない。
そっと病室を覗いて帰ろうと思っていた2人の耳に聞こえて来たのは、メルリアとルゥシィの会話。
その内容は、一緒に暮らしていた自分達ですらも理解出来ないものばかりだったが、これだけは言える。
ーー自分達の娘は…メルリアは、何か途方も無い程の秘密を抱えているという事だ。
突如閃いた天星織に、時折見せるやけに大人びた態度ーー何処となく、違和感を覚えてはいた。
けれど、目を背けてしまっていた。
そんな筈は無い。私達の娘に限ってーーそうやって否定し続けていたけれど、とうとうそれは確信に変わってしまった。
「ーー
何で、こうまでして、あのお方と同じ道を、メルに辿らせようとするのよ…!!」
星の世界の知識や人格、記憶を持ったまま、星から舞い降りた魂の異邦人。
強大な魔力を有し、類稀なる天の星の力を振るい、魔族や人族、そして世界すらも揺り動かす、世界が生み出した超越者。
ーー彼らの呼び名は、魔族と人族の中でそれぞれ違う。
人族に生まれたならば、人々は称賛を込めて彼らをこう呼ぶーー勇者と。
そして魔族に生まれたならば、人々は畏怖と敬意を込めて彼らをこう呼ぶーー魔王と。
それはバフォメットとグレモリー、そしてナベリウスが、かつて命を賭して仕えた偉大なる主と同じ道。
メルリアは、魔王となるべく生まれたのだ。
「ーーもう嫌よ…私達から、もうこれ以上…大切なものを奪わないでよ…!!」
その栄光と、その最期を見届けたグレモリーの瞳から、止め処なく涙が溢れ落ちる。
その肩を優しく抱き寄せて、バフォメットは愛する妻の涙を優しく拭った。
「ーーモリー、そんな事はさせない。させてなるものか。
僕達は確かに、魔王陛下を守る事は出来なかったーーしかし、まだこの子がそうなると決まった訳じゃない」
バフォメットの瞳に、炎のような激しい光が灯る。
それは、己が役目を果たせずに心折れ、主の最後の言葉に従って、子を成し、平和な片田舎で平凡な余生を送って、ただ朽ちていこうとしていた彼の心を再び燃やす、意思の炎だった。
「ーー魔神が再び生まれた以上、再び世界は動き出す。
10歳にも満たぬこの子が、単身で奴らに立ち向かったという事実も広がっていくに違いない」
そうしたら、魔王領に蔓延る者達がすぐに動き始める。
空席となった魔王の座を巡って未だに暗躍を続ける魑魅魍魎達ーーかつて現役だった頃に、バフォメットですらも御する事が出来なかった魔族の闇と、メルリアは対峙しなければならないのだ。
しかし、例え100年の時が経っていても、先代魔王の残光は未だ消えていない。
バフォメットやグレモリー、ナベリウスのように、魔王の意志を正しく受け継ぐ者達が、魔王領の首脳部には未だに残っているのだ。
「ーー彼らに文を送り、先手を取るんだ。
そして、その時が来るまで、僕達がメルを…そしてルゥシィを育て上げ、守ろう。
もう二度と失ったりしないように…!!」
「貴方…!! ええ、そうね!! この子達があれほどの決意をしてくれたんだもの。
今度は、私達の番よね…!!」
自らの
ーーそんな彼らの決意など知らず、メルとルゥシィは眠り続けている。
だが、それでいい。
彼女達のような子供達はその時が来るまで、こんな安らぎの一つ一つを噛み締めるべきなのだ。
「ーー今はただ、安らかに眠れ…お休み、メル、ルゥシィ」
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ーーその明け方、一つの文を括り付けた伝書鳩が空を舞った。
それはごく些細な、しかし確実に世界を動かす切っ掛けとなる手紙。
そんな事は露知らず、メルリアとルゥシィは、再び平和な日常に戻っていく。
そして、ルゥシィが退院し、千切れた翅が元に戻り、再び飛べるようになった頃、魔王領からの使者が来るとの知らせが村中に響き渡った。
それは、メルリアにとっての日常の終わりと、新たな始まりを告げる鐘の音になる事をーー、
「メルちゃーん!! 早く早くー!!」
「待ってよルゥちゃん!! 速すぎるよぉ!!」
ーーこの時2人は、まだ知らない。
ーーーー第一章『幼少編』 完
取り敢えず第一章完結まで走り切る事が出来ました。
これから何話かかけて妻サイドの話を書いてから、第二章を開始する事が出来ればと思っています。