転生した羊の姫は,あの日の勇者に憧れる   作:ふふ歩

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先日投稿した第5話に、知人が書いてくれたメルちゃんの素晴らしいイラストが追加されていますので、宜しければ是非ご覧下さい。
今回は少し予定を変更して、メルちゃんが見る夢と…もう1人の主人公の話です。


羊の見る夢かくれんぼ

 

 

 

 

 

 その夜、僕は夢を見た。かくれんぼの夢だ。

 

 

 

 

 

ーーもういいかーい?

 

 

 

 

 

 僕は果ても、足元すらも見えない暗闇の中を、誰かを探して歩いていた。

 

 

 

 

 

ーーまぁだだよ……。

 

 

 

 

 

 何処かから、すすり泣くかのような、苦しげで、寂しげな声が返ってくる。

 

 

 

 

 

ーーもういいかーい?

 

 

 

 

 

 僕はその声に答えながら、その声をする方向に、ひたすらに、ひたすらに歩いていく。

 風は冷たく、足元は覚束ず、先も果ても見通せない暗闇の中を、それでも、応えてくれる誰かの声を求めて。

 

 

 

 

ーーまぁだだよ……。

 

 

 

 

 そして永遠のように長い時間を歩いた先に、『彼女』はいた。

ーー灰色の仮面の隙間から、涙を零して、隠れもせずに佇んでいる……まるで、誰かに見つけて欲しいかのように。

 

 

 

 

ーーみーつけた!!

 

 

 

 

 もういいよの声も待たずに、僕は彼女の袖を引いた。とんだルール違反だけれど、そんなの構いやしない。

 驚いたように振り向く彼女の表情は、灰色の仮面に隠されて伺い知れないーーけれど僕には、『彼女』がとても驚いているのが分かった。

 

 

 

 

ーー今度は、君が鬼だよ?

 

 

 

 

 にっこりと笑いながら、僕はそう告げたーーだってかくれんぼは、そう言うものだから。

 見つけて、隠れて、見つけて、隠れて…ずっとずっと続くのだ。

 ずっと、一緒に遊べるのだ。

 

 

 

 

ーー遊んでくれるの?

 

 

 

 

ーーうん、勿論だよ。

 

 

 

 

 『彼女』の表情を隠していた仮面がひび割れて、地面に落ちるーー現れたその顔は、とても良く知っている女性(ひと)だった。

 

 

 

 

ーーありがとう。

 

 

 

 

 涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、浅葱色の笑顔を彼女は浮かべた。

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーー子供の頃、私の人生は灰色で、いつも仮面を被っていた。

 

 

 

 

 厳しい家庭、厳しい両親、厳しい躾ーー幼い頃から約束された成功目掛けたレールを走るだけの、何処までも恵まれた牢獄。

 

 

 

 

 皆が求め、皆が羨む、清楚で可憐なお嬢様ーーいつしか私の仮面は、私そのものになっていく。

 唯一それを脱げるのは、夏休みにだけ会える時間が出来る、仲の良い友達に会う時だけ。

 

 

 

 

ーーそこで出会った一つの物語に、私の心は燃え上がった。

 

 

 

 

 それは、勇者と魔王の物語。何処までもありきたりで、勧善懲悪のハッピーエンドな英雄譚。

 どんな困難も打ち砕き、弱気を助け、強気を挫き、友情に熱く、情に脆い…どれも、私が一つも持っていないものを持った、憧れの存在。

 

 

 

 

 その日から、私の人生はほんの少しだけ色づいた。

 成長するにつれて増えていく、私を『成功者』とやらの型に嵌めるための儀式の合間に、私はありとあらゆる勇者の物語を読み漁った。

 勉強すると言う名目で図書館に通い、古今東西の文献に触れる。

ーー何も知らない大人たちは気付きもしなかった。

 物語だけでは満足出来なかったので、その次は参考書を買うフリをして本屋でこっそり漫画を買った。

ーー良い成績を収めてさえいれば、部屋の中で何をやっていても誰も関心など払わなかった。

 

 

 

 

……だんだんと、何だか楽しくなっていった。

 

 

 

 

 古本屋で大好きなシリーズをまとめ買いした。

ーー隠し場所に困って、したくもない習い事の道具を捨ててスペースを作った。

 こっそりと貯めたお小遣いで、ゲーム機とゲームを買った。

ーー通信学習や、徹夜で勉強をする振りをして、何周も何周もやり込んだ。

 

 

 

 

 勿論何度かバレた。

ーーそうしたら、今までロクに注意を向けなかった癖に、大人達はまるでこの世の終わりであるかのように大袈裟な大言壮語を並び立てて、私の大好きなモノに汚物を投げつけてくる。

 はっきり言って八つ裂きにしても飽きたらない所業であったけど、グッとこらえる。

 

 

 

 

ーー何故なら私がいつものようにお嬢様の仮面をもう一度被り直せば、ほら元通り。

 

 

 

 

 暫く殊勝でしおらしくしておけば、また騙されてくれるーーだって、私は『いい子』なのだから。

 一時の気の迷い、ちょっとした反抗期…私の被った仮面に気づきもしないで、それっぽい理由を付けて、また目をそらしてくれる。

 

 

 

 

ーーけどその度に、私の心はささくれ立つ。

 何でこんなに大好きなのに、素敵なものなのに、こうまでして心に秘めなければならないの?

 こんな仮面が私の『ほんとう』だと思っているの? 私の『ほんとう』はこんなものじゃない。

 

 

 

 

 ねぇ見つけてよーー誰か私を見つけてよ…私の『ほんとう』を、誰か見つけてよーーーー!!

 

 

 

 

…そんな風に、いつも私の心は叫んでいた。

 

 

 

 

 何度も仮面を引き剥がして叩き壊し、全てを投げ出して逃げ出そうと思った。

 けど出来なかったーー何故なら、私は諦めきれなかったから。

 いつか私の『ほんとう』に気づく人が私の目の前に現れて、私の大好きな素敵な物語を、同じように素敵だと言ってくれる人が現れてくれる事を。

 

 

 

ーー今思えば、私は強がっているだけで臆病だったのだろう。

 

 

 

 文字通りの反抗期で中二病そのものだ。今思い返せば恥ずかし過ぎて転げ回りたくなる。

 それに私がそんな好き勝手が出来たのは、両親や周囲の大人達が守っていてくれていたからだーー守る立場になった今は、本当にそう思う。

 そんな事を気づきもしないまま、私は仮面の中に『ほんとう』をひた隠して、ひた隠して…次第に、その仮面に取り込まれていった。

 

 

 

 

 そして時が経って、大人になった私の下に見合い話が転がり込んだ。

 相手は親戚が経営する会社の、取引先の企業に勤める人ーーどうしても、と言う言葉に押されて、渋々話を引き受けた。

 

 

 

ーー最早自分自身の顔となったお嬢様の仮面を被って、決められた日の決められた時間、決められた場所に両親と共に会いにいく。

 

 

 

 着ていく服は、お気に入りの浅葱色の着物ーー『ほんとう』の私が、昔から好きな色。お仕着せばかりだった私のささやかな抵抗。

 

 

 

 

ーーホテルのレストランの指定された席に向かうと、そこにーーいた。

 

 

 

 

 第一印象は、優しそうで、気弱そうな人だった。

 緊張で、ガチガチになっているのが一目で分かるーー悪い人では、無さそうだ。

 でも私の仮面は嫌らしいことに、ひたすら都合のいい『役割』を演じてしまうーー少し緊張しているように、何処までも理想の『お姫様』のような振る舞いでお辞儀をし、微笑んで見せる。

 

 

 

ーーそれはもう慣れて、慣れきってしまった私のいつもの処世術(かめん)

 

 

 

 でもその時は、何故かチクリ、と胸が痛んだ。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 そんな醜い作り物の見せかけの笑顔を見た彼は、呆然とした表情で私を真っ直ぐ見つめてきた。

 暫くの間、沈黙の帳が降りる。

 

 

 

 

ーー何よ、何か言いなさいよ。

 

 

 

 

 何だか居た堪れなくなってきたその時、彼は突然、椅子を蹴倒すほどの勢いで立ち上がり、がばり!! と私に向かって頭を下げて叫ぶようにこう言った。

 

 

 

 

『ーーーー結婚して下さい!!』

 

 

 

 

『…………え?』

 

 

 

 

 あまりにも唐突な、ムードも何もあったものでは無い初対面の人からのプロポーズ。

 思わず、『ほんとう』の私のままの間の抜けた声が出た。

 

 

 

 

ーーその後は、お見合いも何もあったものじゃ無かった。

 

 

 

 

 あちらの両親からバシバシと叩かれ、叱られながら、私に対して羞恥で顔を真っ赤にして何度も何度も平謝りに謝る彼と、引き攣ったような表情を浮かべながらそれを宥める私たち。

 

 

 

 

ーー面白いやつ。

 

 

 

 

 ぱきり、と、私の仮面に罅が入る音がした。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 何度かの交流の後、交際が始まった。

 そして初めてのデートの日を迎え、ありきたりな観光をして、ありきたりな会話をして…でも何処か楽しくて。

 

 

 

 

 その帰り道、レストランで食事をした。

 

 

 

 

 色々な事を話している内に、不意に趣味の話になった。切り出したのは私の方ーーそこに、決意を込めていた。

 

 

 

 

 もしこれで彼が、私の『ほんとう』を晒せる人じゃなかったら…もう二度と、この仮面を脱がずに生きていこう。

 

 

 

 

 そしてその時はせめてこの人みたいな、一緒にいて何処か心地いい人と一緒に生きていくのも良いかもしれない…そんな諦めと妥協に塗れた決意。

 そんな何処までも自分勝手な私の思いを他所に、彼は辿々しく答えた。

 

 

 

 

『ーー学術書や、実用書を、読むのが…』

 

 

 

 

 それを聞いた私は、残念に思う前に『ああ、やっぱりそうなんだろうなー』と納得してしまったのを覚えている。

 だって彼は本当に色々な知識を持っていて、昼間に巡った動物園の動物たちの、今まで聞いた事の無いような習性を教えてくれたり、私が投げるどんな話題にも、打てば響くような調子で言葉を返してくれていたから。

 

 

 

 

ーー嗚呼、でも、やっぱり貴方もそうなんだね。

 

 

 

 

 私の『ほんとう』が好きな事とはまるで真逆の世界で生きる人。

 仮面を被った作り物のお姫様を幸せにしてくれる、ありきたりなシンデレラストーリーの王子様だ。

 そんな人と一緒になるのなら、無邪気で、幼稚で、陳腐な物語の好きな『ほんとう』の私なんて、邪魔なだけ。

 

 

 

 

ーー被っていた仮面が、ズブズブと私の顔に沈み込んでいく。

 

 

 

 

 『ほんとう』の私を完全に覆い隠して、今日から、これが私の顔になるのだ。

 でも、でもせめてーー最後のこの時だけは、『ほんとう』の私の目でこの人を見よう。

 

 

 

 

ーーさぁ、どんどん貴方の事を話して見なさいよ。

 

 

 

 

ーー今日限りで消える『ほんとう』の私を、少しでも楽しませてくれなきゃ承知しないんだから。

 

 

 

 

 そんな期待を込めて、私は彼を真っ直ぐに見つめた。

 彼の瞳は、何処までも純粋で、綺麗だったーーそこには、私が映っている。

 その顔は、今まで見た事無いくらいにワクワクとした、子供の頃みたいな期待に満ちていた。

 

 

 

 

ーー何だ、そんな顔も出来たのね私。

 

 

 

 

 何を今更と思うけれど、何故だか少し嬉しくなりながら、彼の言葉を待つ。

 

 

 

 

 彼は一瞬だけ目を瞑り、そしてもう一度私を真っ直ぐに見つめてきた。

 それまでとは打って変わったように込められた熱量ーー思わず、息を呑む。

 

 

 

 

 

『ーーこれまでは、そうでした』

 

 

 

 

 

ーーえ?

 

 

 

 

 

『でも最近は、絵本を…書いているんですーー小さい頃からの、夢だった、勇者の物語を』

 

 

 

 

 

ーーその時走った衝撃を、私は永遠に忘れないだろう。

 

 

 

 

 

『ーーあの日、両親から勇者への憧れを切り捨てられたあの日から、僕は物語を読んだ事がありません』

 

 

 

 

ーー待って。

 

 

 

 

『両親の庇護下から解き放たれてから手にした事はあったけれど、どれも心を震わせることは無かったんです』

 

 

 

 

 

ーーねぇ、待って?

 

 

 

 

 

『ーーだから、無いなら作ればいいと、思ったんです。あの日心を震わせたような、そんな物語を』

 

 

 

 

ーー待ってよ…待って…こんなの、酷過ぎる。

 ずるい、ずるいーーこんなの、馬鹿みたいじゃない。

 あれだけ我慢して、あれだけ悩んで、あれだけ決意したのに…そんな私のこれまでを、吹き飛ばしちゃうなんてーー。

 何て酷い、ご都合主義のハッピーエンド…あり得る訳がない。

 

 

 

 

『なら今になって、どうして書こうと思ったんですか?』

 

 

 

 

 声が震えるのを、全霊で抑えて問いかける。

 嘘、嘘よ、絶対に信じない。

 こんなの、都合が良すぎるもの。

 

 

 

 

『それはーー』

 

 

 

 そして、言い淀む彼を、もう一度見つめる。

 私の仮面が、必死に彼の言葉を否定しようとする。

 

 

 

ーー聞くな。

 

 

 

ーー聞いてしまえば、もう後戻りは出来ないぞ。

 

 

 

ーーそんな幼稚な夢、いつまでも共有出来る訳がない。

 

 

 

ーーまだ会って間も無い相手に、何をお前は期待しているんだ。

 

 

 

 精一杯自分を押し殺していた理性が、それ以上話を聞こうとするのを拒否しようとする。

 でも、もう私は私自身に嘘を吐きたく無かった。

 

 

 

ーーだから、私はただ真っ直ぐに彼の瞳を見つめて、彼の言葉を待つ。

 

 

 

 

 全てを諦めようとしていた私の前に現れた、あの日の憧憬そのものの『勇者』ーーならば、その目の前にいる私は何?

 

 

 

ーー私は、なっていいの?

 

 

 

 勇者にとっての、姫になっていいの?

 

 

 

『ーー貴女に、会えたからです』

 

 

 

『貴女に会えたから、僕は諦めていたあの日の憧憬を思い出せたんです』

 

 

 

『この憧憬を、貴女と共有したいと思ったんです』

 

 

 

『だから…今度、僕の作品を見てくれませんか?』

 

 

 

ーー聞いた。

 

 

 

 

ーー聞いてしまった。

 

 

 

 

ーー私の付けていた仮面は、粉々に打ち砕かれた。

 

 

 

 

 そして彼は、私にまるで捨てられた子犬のような目を向けてきた。

 自分の告白が、私に受け入れられるのか不安で一杯なのだろう。

 

 

 

 

 

ーーそんな顔するんじゃないわよ。

 

 

 

 

 

『ーーーー素敵だと思います!!』

 

 

 

 

 

 だから私は身を乗り出しながら、彼の手を取っていた。

 

 

 

 

 

ーーこっちから大歓迎よ!! 絶対に逃してなんかやらないんだから覚悟しなさいよ!!

 

 

 

 

 

 だって、こんなの運命に決まっている。

 私たちは、出会うべくして出会ったのだから。

 

 

 

 

 

 その日から、私は一切我慢するのを止めた。

 

 

 

 

 

 勇者に守られるだけの存在なんて真っ平ごめんだーーだって、私は彼の傍で、肩を並べていたいのだから。

 

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 

ーーふと、目を覚ました。どうやら、夢を見ていたようだ。

 目の前には、もう見慣れた老人ホームの中庭が広がっている。

 

 

 

 

『ーーきっと僕を見つけてね。僕も、君を見つけるから』

『ええ、きっと見つけるわーーだから、貴方も私を見つけて頂戴ね』

 

 

 

 

ーーあの日の約束から、何年かが経った。

 あの日から私はすっかり気落ちして、見る見る内に衰えていった。

 当然の事だ…彼は、私の半身で、比翼の鳥だったのだから。

 

 

 

 

ーー半身の私に残っているのは、消える寸前の燃え滓だけ。

 

 

 

 

 勿論、私はその燃え滓のような日々を懸命に生きた。

 周りに迷惑をかけないように、あの人の弔いはしっかりと済ませたし、子や孫に残す遺産や身の回りの整理も既に済ませてある。

 だって彼は言ったのだーー『僕を追いかけるのは、もう少し後でいい』と。

 そうでないと、すぐに私が見つけてしまうから、と。

 

 

 

 

「……懐かしいわねぇ、かくれんぼ」

 

 

 

 

 若い頃の事を思い出す。

ーー子供が生まれて間も無くの頃、家族全員で、近所の公園でかくれんぼをした。

 彼も私も、小さい頃そんな事をやった事が無かったから、むしろ子供よりも私達がはしゃいでいたような気がする。

 

 

 

 

…いや、というよりも、はしゃぐ私に、彼が付き合ってくれたのだ。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

『まぁだだよーー」

 

 

 

 

 私がそう言うと、公園の何処かから子供達の声に混じって、悪戯めいた彼の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

『まぁだだよーー』

 

 

 

 

 普段みたいに私が追いかける事なんてあまり無かったから、今すぐにでも飛び出したい気持ちを抑えて、そんなやり取りを繰り返す。

 

 

 

 

『もういいよーー』

 

 

 

 

 そして、彼の合図が聞こえると、待ってましたとばかりに飛び出して、子供達をあっという間に見つけ、最後に彼の姿を探す。

 すると彼は、これ見よがしに隠れ場所から動いたり、物音を立てたりして、わざと見つけられるような素振りを見せてみせるのだ。

 

 

 

 

「みーつけた!!」

 

 

 

 

『見つかっちゃったなぁ…君には、叶わないや』

 

 

 

 

ーー嘘おっしゃい。

 

 

 

 

 初心者の私に遠慮して、わざと見つけやすくしてくれたの、バレバレよ?

 

 

 

 

ーー思えば、いつもあの人はそうだった。いつも私に遠慮して、いつも私に合わせてくれて…。

 

 

 

 

…いつも、私の隣に寄り添ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、もういない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼はもう、この世界にはいないのだ。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 私がどんなに呼びかけても、返事は帰ってこない。

 それでも、私は何度も呼びかけるーー返事が返ってくるまで。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 ねぇ、返事をしてよ。今度は私が鬼なのよ?

 返事が返ってこないと、私捕まえに行けないじゃない。

 私、ちゃんと待ったよ?ーー沢山、沢山、待ったよ?

 もういいじゃない。

 もう追いかけてもいいじゃない。いくら貴方が鈍臭くったって、このままじゃ私追いつけなくなっちゃうわよ?

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 でも、返事が来ないのなら、まだ追いかけてはいけないという事なのだろう。

 だから、グッと我慢する。

 あの日から壊れてしまった仮面を継ぎ接ぎにして、また被るーーまだ私は頑張れると、『ほんとう』の私を覆い隠す。

 でもーー、

 

 

 

 

「……寂しいよぅ」

 

 

 

 

 隙間から、ポロポロと涙が零れ落ちる。

 

 

 

 

「……独りにしないでよぅ」

 

 

 

 

 隙間から、彼がいなくなってからずっと我慢していた言葉が漏れる。

 

 

 

 

「だからーー」

 

 

 

 

 最後にもう一言…もう一言だけーーそう願って、溢れそうになる嗚咽を抑えながら、声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉と共に、風が吹き抜け、木々がざわめいてーー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もういいよーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え…………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が待ち望んでいた、大好きな優しい声が、確かに聞こえた。

 

 

 

 

 

ーーやっぱり、ずるい人。

 

 

 

 

 

 私が諦めそうになった時に、全部ひっくり返してしまうんだもの。

 

 

 

 

 

「ーーこんなに待たせておいて…!! 見つけたら、文句を言ってやるんだから!!」

 

 

 

 

 

 そう一声叫ぶと、私は体を飛び出し、中庭を抜け、空へと飛び上がり、あの人の声目掛けて走り出した。

 その先には、太陽のように眩しい光が溢れている。

 その光の中に飛び込む前に、私はちょっとだけ後ろを振り向いた。

 

 

 

 

ーーそこには、私がいた。

 

 

 

 

 幸せそうな笑顔を浮かべて、眠っている。

 

 

 

 

「さようなら、私ーーさようなら、私を生んで、育ててくれたみんなーー」

 

 

 

 

 私自身に、家族に、そして世界に、一言別れを告げる。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、別の世界で勇者になってくるーー!!」

 

 

 

 

 

 

 誰かに聞かれたら、何だそりゃ、と言われそうな、とんでもなく馬鹿らしい、荒唐無稽の言葉。

 

 

 

 

ーーでも許して欲しい。

 

 

 

 

 私と彼にとって、それは何よりも大切な、世界を超えた約束なのだから。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「えいっ!! やぁっ!!」

 

 

 

 

 そして、何処か別の世界、何処かの国の、何処かの屋敷の庭先で、1人の少年が熱心に剣を振っていた。

 絹のような蜂蜜色の髪の毛に、透き通るが如き緑の瞳ーーその顔はまるで少女と見間違うほどに美しいが、振るう剣は大人顔負けなほどに鋭い。

 

 

 

「おお、ライルよ、精が出るな!!」

 

 

 

 そんな少年に、屋敷から姿を現した彼の父が声をかける。

 その瞳は、優しく誇らしげな光を放っていた。

 

 

 

「はい!! 父上!! おはよう御座います!!」

 

 

 

 それに気づいた少年ーーライルは、元気良く挨拶を返すと、再び剣を取り、素振りを始める。

 その鋭さに満足げに頷くと、父は以前からの疑問を彼にぶつけた。

 

 

 

「ライルよーー何故そこまで己を鍛えるのだ?」

「はい!! 将来騎士を目指す身ーー鍛錬は早いうちが良いかと!!」

 

 

 

 正に模範のような息子の言葉に、しかし父は頭を振った。

 

 

 

「確かに我が家は代々騎士の家柄ーーだが、お前の目指す『先』はその程度ではあるまい」

「……バレてしまいましたか」

「ーー馬鹿者、お前が母の胎から取り出された時、最初に抱き上げたのはこのワシぞ? おべんちゃらなど通用すると思うてか」

 

 

 

 そのように吐き捨てる父だったが、その瞳は優しく弧を描いていた。

 

 

 

「ここには余計な耳も無いーー正直に答えるが良い」

「はい、では遠慮なくーー!!」

 

 

 

 

 

「ーー私は、勇者になりたいのです!!」

 

 

 

 

 

 何処までも愚かしく、真っ直ぐな言葉。

 父はまるで礫を喰らったかのようにぽかん、と呆けたかと思うと、次の瞬間ビリビリと響き渡るような豪快な笑い声を上げた。

 

 

 

 

「くぁっはっはっはっは!! 勇者…そうか、勇者か!! その意気や良し!!」

 

 

 

 

 そしてガシガシと荒々しく我が子の頭を撫でると、そこから数歩離れて、転がっていた木剣を取った。

 

 

 

 

「ならばワシも勇者の父となれるよう、お前を鍛えねばならんな!! その決意と共に打ち込んで来い!!」

「はい!! 父上!!」

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 魔力、魔族、種族間の対立ーー思い描いていたファンタジーの世界は、やはり物語のようにはいかないらしい。

 

 

 

 

ーーそれでも、私は今日も、私自身を鍛えるために今日も剣を取る。

 目指すは勇者ーー人類の希望、英雄、完全無欠のハッピーエンドの体現者。

 例え夢想理想と笑われても、私の決意は変わらない。

 

 

 

 

(ーー絶対に、あの人の所へ行くんだから!!)

 

 

 

 

 勇者(わたし)を必ず待っている、世界の何処かに生まれ落ちた(かれ)の元へと。

 

 

 

 

 それは私がこの世界に生まれ落ちて、『6年目』に改めて抱いた決意だった。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「もういいよーー」

 

 

 

 

 ふと、自分の口から漏れ出た声で目が覚めた。

 どうやら、寝言を言っていたらしい。

 

 

 

 

 昨日の騒ぎに反して、僕の目覚めは爽やかだった。

 内容は思い出せないけれど、前世の大切な思い出の夢を見たせいかもしれない。

 夢に出てくるのは、当然僕の運命の人ーー。

 

 

 

 

「ーー待ってるよ。僕の勇者(ひめ)

 

 

 

 

ーー今日は、いい日になりそうだ。




妻ことライルくん、転生完了!! メルちゃんLOVEのあまり数年の時間軸を突破してきました。
やはり愛の力は偉大(確信
彼の動向は、ちょこちょこ番外編的なもので書いていこうかと思います。
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