2019年11月9日に江田島で開催されたゾンサガオンリーイベント「ゾンビィナイトォエタジマァ」で頒布した短編を、C98エアコミケを盛り上げるために投稿します。
うん、投稿忘れてたんだすまない。
オリ主というわけでもないキャラクター2人しかとゆぎりんしか出てこないので軽く読んで楽しんでください。
無編集なので何もかも適当。
もしかしたら暫くしたら消すかもしれません。

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注意
この作品は漫画「最後のレストラン」のパロディです。
登場人物は全てオリジナルですから、クロスオーバー性を求めないようお願いします。
また身内向けのお遊びネタが多分に含まれますが、その点も御容赦願います。


最後のカクレガBAR

 隠れ家、という言葉がある。誰しも自分の隠れ家の一つぐらい持っている、あるいは持ちたいと思っているだろうが、読んで字の如し、余人を避け、浮き世から遠ざかってリラックスするための場所だ。

 たいていはシックで、落ち着いた、大人の雰囲気に満ちた場所が多い。隠れ家レストラン、隠れ家カフェ、隠れ家バーと枚挙に暇はない。勿論いい加減なネット記事に“隠れ家風”とか書いてあると一気に信憑性は下がり、ただ照明を落としただけの大衆居酒屋みたいなお店がないことはない‥‥。ただ隠れ家というのは基本的に他人に紹介されたり、あるいは自分で見つけだしたりするものなのだから、そういう失敗もまた隠れ家探索のスパイスであろう。

 さて、前置きは長くなったが、ここ江田島にも隠れ家は存在する。

 

「マスター、お任せで一杯」

 

 眠たげな風貌をした男が空にしたグラスを下げ台に上げ、和らぎ水をグイッと飲み干す。若干頬は赤いが、飲み慣れた様子だ。僅かな肴と、何故かタブレットとタブレットペンが机の上に置いてある。

 

「いい感じにメートルが上がってきたねぇ、センセ。さて次はどうするか。メシに合わせて純米もいいけど、そろそろ吟醸のキいた奴も悪くないねぇ」

 

 カウンターの中で、年齢不詳の女性が愉しげに酒瓶を吟味する。冷蔵庫からアレを出してコレを戻して、とっかえひっかえして漸くお目当ての一本を決め、鮮やかな動きでグラスに注ぐ。すこし升の中にこぼし、受け取った男は先ずは速やかに一口。手元が狂えば升すら乗り越えてくる、なみなみと注がれた酒に喉が唸る。

 相変わらず、いい酒だ。飾るように置かれた瓶のラベルは日本酒には不釣り合いなアニメ調。力強く、酸味が利いている。まるでフルーツジュースだ。こういう味があるから日本酒はやめられない。とりあえず肴も食べ尽くしたテーブルには、こういうストロングで、ピンで飲んでしっかりと立つお酒がマッチするのだ。

 

「こういうのも悪くないだろ? もう普通の酒は飲み飽きたんじゃないか?」

 

 

「そんなことないよ。いつも美味いメシと美味いサケ出してもらって、大満足だよ。静かで、落ち着いて、のんびりできるし」

 

 あと安い、と男は口の中だけで呟いた。経営成り立ってるのかなぁってぐらい安い。本土で同じような飲み方したらアッーという間に破産だ。美味いサケが飲みたい。毎日でも飲みたい。しかし懐事情はあんまり芳しくはない。世の飲兵衛が抱える代表的な悩みだろう。

 その点では広島というのは飲兵衛には嬉しい街だ。何せ日本の三大酒都とも呼ばれる西条を擁し、西条に限らず日本酒造りが盛んで種類も多い。大衆酒も充実していて、瀬戸内海の豊富な海産物が肴として実に優秀だ。もっとも彼の隠れ家では広島の酒に限らず、日本全国どこのお酒でも出てくる。マスターの好みで、たまにおもしろい酒も飲めるのもいい。

 

 

「まぁ普通の酒って言葉もおもしろくてね。ほら、日本酒ってのもブームがあるからさ」

 

「ブーム? 例えば?」

 

「そうだなぁ。例えばサケってのは随分昔は、甘ったるくてべたべたして、とても飲めたもんじゃないって言われてた時期もあった。そのあとキレのある辛口の、北の酒が持て囃されるようになって、やがて有名な銘柄の台頭とかで今度はフルーティーな酒が人気になった」

 

「あー、具体的に銘柄が思い浮かぶねー」

 

「別に悪いことじゃあないんだよ。酒造りも試行錯誤で、いろんな酒が次々と生まれてるわけだしね。とはいえ世間の流行ばっかりが注目されて変な日本酒像ができあがるってのも、ちょっと釈然としないんだよねぇ」

 

 いつもはそんなに喋らないマスターも、酒の話になると少々饒舌になる。あれがこれが、と愉しげに冷蔵庫から出してはちょびっとお猪口に注いでペロリと味見。それを横目で見ながら、男はタブレットにペンを走らせた。

 明日までにあと5ページ。本誌はできてるからコレはオマケのコピ本。とはいえ手は抜けないし、いつものことである。問題は、ない。

 

「そう考えると、やはり最近の日本酒のキーワードは“挑戦”と“再発見”かもしれないな」

 

「なんだいそれ」

 

「新しい味を作り出す挑戦と、流行の波濤に揉まれて隠れてしまった味の再発見」

 

 見たことのある銘柄も、見たこともない銘柄もある。古い銘柄も、新しい銘柄もある。日本酒は生き物で、常に味は変化し続けるし厳密に同じ味の酒は存在しない。

 買ったあとも変化し続けるのだから、もう一期一会と言ってもいいのだ。男も常連だが、中々この世の酒を飲み尽くしたなんて言えるわけもなく。まだまだサケ・ウェイを極めるには遠い。 

 

「しかし今日はいつにもまして静かだねぇ」

 

「‥‥こないねー。今日は特に、誰もこないねー」

 

 静かで落ち着いた隠れ家も、かつては海軍兵学校とも呼ばれた海上自衛隊の教育機関に隣接している都合上、中々豪快な客も多い。弁えた客が殆どだが、それにしても今夜は殊更に静かすぎる。不自然なくらいに。

 

「こういう日は、もしかしてアレかな」

 

「アレ?」

 

 まだ今日は一度も使っていない鉄板を磨きながら、マスターが唸る。外を通る車の音も、1階の大きなスナックから響くはずの客の歌声もしない静かな夜だった。

 隠れ家とは浮き世から離れ、普段の生活を忘れて楽しむ場所である。言うなれば、それは空間的というよりは世界的な閉鎖状態を生み出す場所なのだ。古くから、怪談の類というのは日常的な場所を題材にしたものは流行らない。例えば夜、というだけで、人間が普段暮らしている昼の世界からの隔離空間なのだ。夜の学校、人通りのない路地裏、滅多に車の通らないトンネルなどは意外に思うかもしれないが身近な異世界である。

 

「ましてや此処は江田島だ。何か溜まるんだろうねぇ。“そういう”話は尽きないんだよ」

 

 入り口を見れば、街灯の明かりも差し込まない真っ暗闇。店の外に何も存在しないかのような。あぁ確かに、とっくに逢魔が時は過ぎているけれど。

 

「言われてみれば何か出そうな雰囲気、だなぁ」

 

「だろー? まぁ誰が来たって客は客なんだが‥‥」

 

 

カラン、カラン

 

 

 控えめな鳴子の音が響く。扉を開ける、音はなかった。

 

「‥‥あら、ここは一体」

 

 美しい女性だと、男は思った。一番に受けた成熟した印象から女性と言ったが、よく見れば少女と呼んでもいいくらいに若い。立ち姿が美しかった。自然な立ち方だが、あれは作られた立ち方だとすぐに気がついた。同じような仕事をしているからだろうか。“魅せる”ことが生業の人間だと。

 紅白のだんだら模様の着物と、濃緑の膝丈の袴と黒のタイツ、ブーツを履いている。成人式だってここまで歌舞いた格好はすまい。コスプレと言われた方がしっくりとくるが、不思議と板についていて、着慣れた風だった。

 しかし何より、やはり美しいのは風貌だろう。しっとりとした濃い茶髪を無造作に結い上げ、それが逆に色っぽい。少女の瑞々しさを残しながら艶めかしい、麗しさが感じられる。その時の流行に左右されない、まさに時代を超越した美少女だ。

 

「えぇと、わっちは確か」

 

 しきりに首元をさすっては辺りを見回す。肌に触れる空気、目に入る照明の光すら何が何やらといった雰囲気。こちらを見る二人まで、全く視線が辿り着いていない。

 男は訝しげにマスターを見た。この店に通って長いが、着物の男はさておき着物の女を見るのは初めてだった。ましてや妙ちきりんな、コスプレめいた格好なんてイベントでもなければ町中でも中々見られない。そして江田島でイベントなんてない。

 

「いらっしゃい、お嬢さん。まぁ掛けなさいよ」

 

「掛け、る‥‥? えぇと、ここは一体どういう場所でありんすか?」

 

「ここはBARだよ。日本酒BARさ。居酒屋、飲み屋、酒屋、まぁいろんな言い方はあるかもしれないが。だから先ずは、まぁ掛けなさいよ。立って酒を呑む奴はいないだろう?」

 

「はぁ‥‥? お酒しか呑まないお座敷、でありんすか?」

 

「そんなところだよ」

 

 怖ず怖ずと、カウンターに腰掛ける。そして再びきょろきょろ、しかしやがてぴたりと視線がマスターに向けて止まる。早い。肝が据わる早さが尋常ではない。芯からの芸人だ。自分の中で一本筋通ったものが、芸があるから、それを芯にするからどんなところでもペースを乱さずに在ることができるのだ。

 そういえば空手の息吹とか、スポーツでは「プレ・パフォーマンス・ルーティーン」と呼ばれる、事前に自分のリズムを作る行為を、何もせずに自然体で作ることができている。少女の面影を残す、と表現したが、成る程それでいながら熟練の芸人であるわけだ。

 

「ここではお酒を呑むことができるんでありんすか? 酒蔵、というわけでは」

 

「違う違う。まぁ流儀じゃないけど、先ずは水でも飲んで落ち着きなよ」

 

 ウォーターサーバーから水を注いだグラスを見ては素晴らしい工芸品でも見たように驚き、水を口に含んでは天上の甘露のように驚く。まぁ水道水と違って水も出所が確かだけれど、そこまで驚くことだろうか。

 

「この切子、こんなにまっすぐで、随分と上等でありんすなぁ。お水も氷室から出したばっかりみたいに冷とうて」

 

「マスターこのグラス、そんなに値打ちモノなのか?」

 

「んなわけあるかい。まぁそのあたりの事情は、なんとなく分かった。お嬢さん、別にお客さんの氏素性なんて普通は気にしないんだが、あんた何処の人だい?」

 

 とりあえず、と白瓜の浅漬けを出してやり、マスターはやれやれと溜息をつきつつ尋ねた。

 喉が渇いていたのだろうか。彼女は上品な仕草ながらも一気に水を飲み干し、これまた品よく一息ついて答える。

 

「わちは、ゆうぎり。芸妓のゆうぎりでありんす。ここはお座敷ではないようでありんすが、酒だけを楽しむというのも、また粋なお遊びでありんすねぇ」

 

 ハイチェアに腰掛けながらも、彼女は僅かに斜めに脚を揃え、そこに畳があるかのように美しく三つ指をついて頭を下げた。

 ゲイシャといえば、ニンジャ・テンプラと並んで外国人が憧れる日本の風景の一つだ。諸説あることは承知しているが。その仕事の本質は、宴会での場つなぎというか、余興として芸事を披露することにある。宴席に華を添える、という言い方の方が粋だろうか。いわばパフォーマーだったわけである。

 芸事というのは実に多岐にわたるが、基本的には唄や舞などが主で、一般にお座敷遊びと呼ばれるゲームの類の方がお手軽だが、芸事を本当に楽しみたいのならば、やはりこちらの方が一流の芸妓の腕前を知ることが出来る。

 三味線や唄などは地方と呼ばれる、いわゆる一般に知られた芸妓さんの格好をしていない人たちが担当する。が、もちろん一流の芸妓ならばこちらも出来て当然。彼女からはお座敷一つを最初から最後まで自分の仕切りで回せるような、そんな熟練さが感じられた。

 

「芸妓っていうと、芸者さんか。俺もそういう絵を描いたことはないから詳しいわけじゃあないが、最近の芸者さんってのは随分とハイカラなんだなぁ」

 

「これは旦那はんからの頂き物でありんす。まだ何回か袖を通したばかりでありんすが‥‥」

 

 やや、顔が曇る。そして首元をさする。

 いったい何をそんなに気にすることがあるのか。職業病だろうか、一挙手一投足が気になってしまうのは。あまりじろじろと見るのは失礼だろうが、ちょっと好奇の視線を逸らすことはできそうにない。そんなことを考えながら煙草に火をつけた。

 

「おや、それは」

 

「あ、悪い。煙草は苦手だったか?」

 

「いえ、舶来物の珍しい煙草でありんすね。御贔屓のお侍はんが吸ってはりました。わちも一服、いただいても?」

 

「ウチは禁煙じゃない。構わんよ」

 

「では炭を」

 

「すまん炭はないんだ。マッチでいいかい?」

 

「これはまた舶来の、貴重な物をありがとうございます」

 

「いやスーパーで大量買いしたもんなんだが、なるほどねぇ」

 

 懐から器用に、立派な朱塗りの煙管を取り出し、袂から小ぶりで上品な煙草入れの煙草を詰めて火を点ける。

 マッチを見るのは初めてなのだろうか。どうにも火の点け方を知らないようだったから、男が擦ってやって火を点けた。最近の子はマッチの擦り方とか知らんよなぁ。マスターはどこか訳知り顔だが、こんな一生に一度会うか否かという相手に、どんな思うところがあるのかしら。

 すぱ、すぱ、と火をつけて、ふぅ、と大きく一息。紅茶のような爽やかな匂いがする。柔らかく、仄かに甘い。煙管を嗜む友人の吸っていた煙草とも違う匂いだ。

 

「ふぅ、漸く人心地ついた気分でありんす」

 

「そりゃよかった。それで、どうする?」

 

「どうする、と仰りますと?」

 

「ここはBARだ。酒を呑む店だよ。あんたは客なんだから、マスターの私はお望みの酒を出すだけさ」

 

「わちの望みの酒、でありんすか。おもてなしするばかりで、わち自身がお酒を楽しむなんて味を覚える以外にはありんせんでしたが、これもまた神仏のお導きでありんしょうか‥‥」

 

 きょろきょろと再び店内を見回す。カウンターの上にはずらりと酒瓶が並び、男も全てを飲んだことがあるわけではない。目移りしたって仕方がないのだ。ざっと見渡しただけで数十本の酒が並んでいるのだから。

 

「‥‥わちは一度は終わった身。ここは浄土か、あるいは胡蝶の夢か。どちらにしても、これっきりというのも寂しいでありんすなぁ。今このときに至るまで、そして今これからを感じさせてくれるような。そんなお酒が、飲みとうございますねぇ」

 

 

『これからと、これまでを感じさせてくれるお酒』

 

 

「って、マスターどうすんの。こんなふわっとしたオーダー受けてさ」

 

「あんたも今日“おまかせ”って頼んだじゃないか」

 

「それとこれとは話が違うでしょ。酒、飲み慣れてる風だけどさ。なんか妙な感じだよ? 格好も言葉遣いもだけど、なんかこう、それだけじゃないような、まるで異世界の人みたいなさ」

 

「まぁ慣れたもんだよ。しかし“これから”と“これまで”ねぇ‥‥」

 

 マスターは三本ほどの瓶をカウンターに出した。内緒話、というわけでもない。そもそも狭い店だ。何を話したって筒抜けになってしまう。

 ゆうぎりは何処から取り出したのか、優雅に扇子で口元を隠しながら二人の様子を眺めていた。お座敷の芸妓といえば客を楽しませる芸人なわけだが、このぐらいの太夫になれば客を試すようなこともするのだろうか。それでも嬉しい、みたいな大人のやりとりをするのだろうか。どうにも想像しがたい世界である。

 

「このお嬢さん、芸妓っつうこたぁ、十中八九は京都の人間だろう。地域によって芸者も呼び方が違うからな。お侍って言葉が出てくるなら古くて江戸、しかし服装からして維新は終わってると見た」

 

「コスプレの設定の話かね」

 

「そう思って聞いときなって。で、だよ。江戸中期ぐらいから明治初期までの日本酒は、灘の酒が幅を利かせてた頃だ」

 

「灘の酒? 確か三大酒都の一つだったなぁ」

 

 先ほど取り出した三本の酒は、それぞれ神戸の灘、京都の伏見、そして広島の西条の酒である。

 灘の酒は言うまでもない、鎌倉時代ぐらいには既に酒造りが始まっていたらしいが、人気となったのは江戸時代中期からである。大阪湾から発し、輸送の便を駆使して大量の灘の酒が江戸に運ばれ世間を一巻した。

 一方で伏見の酒は灘に比べると海路に遠く、流通の点で負けていたことに加え、元々お公家さんには伊丹の酒が御用されていたこともあり明治以降までは息が細い。そして西条もまた御当地の酒に過ぎず、近代の酒造と流通が確立されたのは明治に入って遅くになってからのことであった。

 

「灘の酒ってのは硬水で造り、僅かな酸味と、力強い味わいから男酒と呼ばれる。伏見も女酒だが、流通の歴史を見ると男酒の方が飲み慣れてるだろう。となると女酒の方が、となるんだが‥‥」

 

 じゃあ西条か伏見の酒を呑ませるか、っていうのも芸がない。酒都の酒は確かに美味いが、どちらかといえば大衆酒のイメージもあることに加え、特別な酒として出すとなると面白味に欠ける。もちろん美味い。本当に美味いのだが。それでいいのかと偏屈の虫が騒ぐのである。

 そもそも男酒とか女酒とか、ただの諸元の一つに過ぎず味の表現をするには足りない。もっと素直に、ありのままに酒の味を感じて勧めるのなら。

 

「このあたりかな」

 

「マスター?」

 

「最近、九州の酒を集め始めてな。結構いい酒が手には入ったから、こいつを出してやろう。あんたも呑むだろ?」

 

 勿論、呑む。即答だ。

 あれでもない、これでもないと冷蔵庫をひっくり返し、やがて取り出した一本の酒がカウンターの上へ。

 

『鍋 島』

 

「‥‥で、ありんすか。藩士の方々もよぅ遊びに来んしたが、その由来のお酒でありんすか?」

 

「由来っちゅうかまぁ、それに肖って佐賀の酒造が造った渾身の一瓶ってところかな。まぁ呑まんね」

 

 ゆっくりと注がれた酒を、零さないように慎重に慎重に、いや先ずは迎えにいって一口。これで零れることはない。

 口に含んだ瞬間に感じる、酔いの覚める感覚。

 

「九州のお侍さん方は挙って焼酎ばかり飲まれてはりましたけど、はたしてお酒の方は‥‥」

 

 口から迎えに行くこともなく、ピンと背筋を伸ばしたままで一口。ハッと目を見開き、そして男が一声。

 

「美味いっ! 九州の酒は初めてだけど、これは美味いぞっ!」

 

「ほんに、美味でありんすねぇ。甘いのに、爽やかで、お米の甘さが感じられるでありんす」

 

 口に含むと、僅かな発泡感が舌を撫でる。そして甘み。フルーティーな、果物めいた甘みが増えてきた中で甘酒のような、お米本来の甘みを感じる不思議な味わいだ。まさに甘露。そんじょそこらの酒とは明らかに込められたモノが違う。

 

「佐賀も福岡も、いい酒が多い。昔から酒造りをしている蔵もある。でもこの酒造は大正末期の創業だ。暫くは目立った銘柄はなかったが、地元のために未来のためにと長いこと苦労してコイツを作り出した。その後は日本一の酒の賞をとって、今では大人気ってわけだ」

 

「日本一‥‥」

 

「地元の米と水で、地元のために未来のために努力を惜しまない。権威ある賞をとっても、酒ってのは簡単に味が変わってしまうから、毎年毎年手は抜けないし、進化も止まらないのさ」

 

 今でこそコンビニやスーパーで簡単に帰るお酒も、かつては免許で厳しく販売が取り締まられており、誰でも簡単に売ることができるものではなかった。三十年ほど前に緩和され、それにより安い酒が世間にあふれ、地元の酒屋や酒造は危機に瀕した。倒産する酒屋、酒造もあったと聞く。

 そこで地元に愛される酒として生まれたのが鍋島だった。まだ二十年ほどの歴史しか持たない酒だが、杜氏が直接販売店を厳選し、中々手に入らない拘りの酒だ。丁寧に、そして休むことなく造られる酒はまさに未来を諦めず努力し続け、地元の名を世界まで知らしめた挑戦の酒とも言える。

 

「逆境に対する叛逆、と言ってもいいかもしれんな」

 

「どんなに辛い逆境でも勝負を諦めず、逆転のチャンスを手繰り寄せる努力をする。王道で、言葉にすると簡単だけど中々難しいよな。ちなみにマスターはどんな叛逆とかしたい?」

 

「‥‥世に蔓延ってしまった“広島焼き”とかいう言葉に対する叛逆かな。奴らを駆逐する」

 

「マジなトーンやめて」

 

 ジャッ、ジャッとヘラを擦り合わせ、殺気を放つ。広島の人間のNGワードに対する怨みは根が深い。

 うっかりお好み焼きのことを広島焼きなんて言ったが最後、もうダメだ。助けられない。諦めた方がいい。

 

「どうだい、美味いだろ。“これから”は感じられそうかい?」

 

「えぇ。わちもどんな環境にあっても負けずに、挑戦していかなあきまへんなぁ」

 

「それがいい。でもまだだろ?」

 

「え?」

 

「まだ“これまで”を味わってない。温故知新って言葉もある通り、“これまで”があっての“これから”さ。こいつも飲んでみなよ」

 

 

『松 浦 一』

 

 

 どん、と印刷された飾り気のない名前。そして日本の昔ながらの絵柄全部乗せのような背景。スタイリッシュ、とは言い難いが不思議な魅力がある。お酒といえば祝い事に飲むものというイメージが強い。まさに日本のお酒の原風景のような、そんなラベルだ。

 

「ほう、これはまた古風というか、ストロングというか」

 

「最近の流行はフルーティーな甘みと爽やかさを持った酒で、ワイングラスで出したりすることも多い。けどこういう昔ながらの風味が感じられる酒も当たり前に美味いよ」

 

 仄かな発泡感と、芳醇でとろみのある飲み口。ラベルには17度とあるが、かなりストロングだ。焼酎めいた香りも感じる。しかし強いファーストコンタクトに対して、満遍なく舌を撫でた後は柔らかく豊かな後味と甘みが広がる。

 成るほど流行りからは外れているかもしれないが、この味からは積み上げられた歴史と自信が伝わってくる。

 

「ここも面白い酒造でねぇ。なんでも河童のミイラを守り神にして、お祀りしてるんだとか」

 

「河童のミイラ?!」

 

「みいら、でありんすか。いったい何のことでありんしょう。河童の話はあちらこちらで聞きんしたが」

 

「即身仏みたいなもんだ。嘘か真か、まぁそういうことはどうでもいいのさ。酒造は代々その河童を受け継いで、大事に祀って、同じように大事に酒造りを続けてきた」

 

「続けて‥‥?」

 

「あぁそうだ。逆境に瀕して叛逆のために挑戦するのと同じように、今までと同じことを、大事にしてきた自分を続けることも大事。つまり“これまで”あっての“これから”ってことなのさ」

 

 環境が変われば人も変わらざるをえない。変化し、適応しなければいけない。しかし変わらぬものがなければ、芯となるものが弱ければ、何の意味もないのだ。アイデンティティをなくし、動く屍になってしまう。それでは続くものも続かないし、変わるものも変わらない。

 どんな逆境に陥っても、今までの自分を見失ってはいけない。そしてその上で、挑戦しなければいけない。未知へ。未来へ。

 

「成る程、よう分かりんした。この二杯のお酒は、わちに大事なことを教えて、そして思い出させてくれたでありんす。何が起こったのか、何が起きるのかも分かりんせんが‥‥。こうしてここにいるからには、きっと“これから”もあると思いんす。このお味と“これまで”を忘れずに、どこに行こうと、何があろうと、わちも頑張っていきんす」

 

 すらり、と髪の毛を無造作に結い上げていた簪を抜き、カウンターに置く。はらりと、しっとり香る髪が踊り、鮮やかに笑った彼女の顔を一瞬隠すと―――

 

「‥‥消え、た?」

 

「こりゃ酒代ってところか。随分とまぁ、見事な簪じゃないか。私には、似合わないだろうけどね」

 

 飲み干したグラスと、簪。あとは着物に焚きしめていた香の匂いぐらいしか残らなかった。まるで夢でも見ていたかのように。しかしそれは彼女にとってもそうだったのだろうか。

 

「いったい何だったんだい今のは」

 

「さっきも言っただろ。ここはカクレガだ。浮き世と離れたところだから、たまーにああいう客も来るんだよ。酒自体も神事に使われることが多いとなると、本質的に呼び寄せやすいモノなんだろうな。今までも何回か来てるんだぜ?」

 

「マジかよ」

 

 まだ残していた松浦一をグイッと干した。やはり最後まで美味い。

 今までただただ酒を飲んで、美味い美味いと言うばかりであったが‥‥。酒造りの裏にあるエピソードとか、そういうところまで調べて楽しむというのもアリなのかもしれない。

 

「まぁ頭でっかちな飲み方はあんまりお勧めしないがね。酒に興味が湧いて、色々調べてみようって気になるのは自然な流れか」

 

「あんだけ立派な説教しておいてよく言うよ。ちゃんと納得できたんかね、あの嬢ちゃんはさ」

 

「そればっかりは本人にしか分からんな。私も普段から大層なこと考えながら注いでるわけじゃない。方便と言ってしまえばそんなものかもしれないが、まぁ腑に落ちる瞬間ってのは人によって違うしね。それが酒なら、酒を注いだ身としては冥利に尽きるって感じかな」

 

 いつの間にか換気扇からは下の階のスナックから、歌声が漏れてきていた。通りを結構な勢いで飛ばす車の音、ライトの光すら入り口から見える。いつも通りの店の風景だった。さっきまで正真正銘のカクレガだった様子など微塵も残っていない。

 面白かった、という気持ちもある一方で背筋に走る悪寒も本物だった。非日常は、適度なそれで十分だ。あんまりにも浮き世離れしたことがあると自分まで引きずられちまいそうになる。

 

「マスター、ちと寒いわ。もう一杯おくれよ。また佐賀の酒とか、あるかな?」

 

「おう、勿論。これは古伊万里のさ‥‥」

 

 彼女に本当に“これから”があるならば、また何処かでああやって会うこともあるのだろうか。そしたらそのときは、また今日の感想を聞くことができればいいのだが。適うことならば、今度はカクレガではなく浮き世で。

 すっかり醒めてしまった酔いを取り戻すように、酒を口に運ぶ。殆どいつも通りに戻った中で、瞼の裏に焼き付いた艶やかな花魁の姿が掠れてしまわないうちに、タブレットの上で戯れに筆を走らせた。

 この一枚の絵がお披露目されるのは、また少し後の話。妙に親しげな男との中に、彼女の仲間たちが怪訝に思うのも、また少し後の話。彼女たちが佐賀を飛び出して全国に羽ばたくのも、また少し後の話である。

 

 

 

 



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