東北の冬寒い……。
これで暖かい方と言える東北民すげえ……。
十五夜お月様、見て跳ねる。
という、童謡のフレーズをご存じでしょうか。
『うさぎ』という歌なのですが、幼稚園などで歌う機会もあったと思いますので、開戦前に幼稚園などに通っていた人は知っているかもしれませんね。
もっとも、今の状況で跳ねるのはうさぎではなく、私の首かもしれませんが。
「ええ、知ってるわ。お月見したくなるような満月だから、暗殺には不向きね」
とは、呼び出された浜辺で月明かりに照らされていた、血でも被ったかのように赤い駆逐艦のお言葉です。
おっしゃる通り、今日は暗殺には不向きですね。
なんせ、暗殺とは夜陰か人混みに紛れて、もしくは対象に察知されづらい遠方からが基本。
今の状況は、その全てから外れています。
ですが人目はありませんから、彼女がやろうと思えばできるでしょう。
「解説ご苦労さん。それは何?あなたなりの現実逃避?」
「そう受け取ってもらって構いません」
そりゃあ、現実逃避もしたくなりますよ。
だって、既に抜いてるんですよ?
抜き身の刀身を肩掛けにした神風さんが、妙にギラついた目をして立ってたら、現実逃避の一つや二つはしたくなるでしょ。
「来いとは言ったけど、本当に来るとは思ってなかったわ。意外と度胸があるのね。大淀」
「これでも艦娘ですよ?この程度の度胸は備えています」
嘘です。
正直に言うとビビりまくっています。できることなら今すぐ逃げたいです。
だって、やる気満々だとは思ってませんでしたもの。
精々、暮石中将との関係について根掘り葉掘り聞かれるか、その件の文句や嫌味を言われる程度だと思ってたんです。
なのに、神風さんは完全に戦闘態勢ですよ?
これでビビるなって言う方が無理です。
「私を、どうするつもりですか?斬りますか?」
「うん。あなたの返答次第じゃあ、斬るつもり」
これは、観念した方が良さそうですね。
艤装を装備しているならともかく、そうでない今の私には彼女へ対抗する手段がありませんし、逃げるのも不可能でしょう。
それに……。
「ここは監視カメラからも、哨戒用ドローンの巡回範囲からも死角になっていますね。どうして横須賀所属の神風さんが、こんな場所をご存知なんですか?」
「昔、呉に居たことがあるのよ。その当時、私を敵視してた奴らから、ここへよく呼び出されてたの」
「イジメられてたんですか?」
「失礼な。私がイジメられるようなキャラに見える?」
いえ、まったく見えません。
仮にイジメられていたとしても、真っ向からやり返してたと思います。
あ、そうだとしたら、単にイジメられていた自覚がないだけかもしれませんね。
「そろそろ、本題に入って良いかしら」
「ええ、良いですよ。そして答えは、NOです」
あら、神風さんって、驚くと思ったより可愛らしい顔をするんですね。
私が質問を聞く前に答えたのが、そんなに不思議ですか?
「先生との肉体関係をやめる気はあるか。そう、言いたかったんじゃないですか?」
「ええ、最終的にはそう聞くつもりだった」
「そうですか。なら、その前の質問は、先生を愛しているか。ですか?」
「そうよ。その答えも……」
「当然、NOです。私って意外とせっかちなので、二つまとめて答えさせていただきました」
神風さんのことは、元帥閣下から聞いて多少は知っています。
彼女は表向き、あの人の養女ということになっていますが、聞いた限りではそれだけに留まりません。
彼が提督になった最大の切っ掛けは、神風さんが彼を想うあまりに自身を人質にしたからですし、彼女が艦娘になることを選んだのも、奇兵隊の補給を確保するためでした。
そんな神風さんに呼び出されたら、暮石中将に関するなんらかの用。さらに、会って早々に睨まれたのを加味すると、私が暮石中将に体を使った復讐をしているのに気づいて文句を言うつもりだと容易に予想できます。
それを踏まえて、神風さんがしてくるであろう質問を予想すると、先の二つに行き着くわけです。
「では、ズバッとどうぞ。できるだけ、長く苦しむようにしてくれたら最高です」
「そんだけ足をガクガクさせといて、よくそんなセリフが吐けるわね。怖くないわけじゃあ……ないんでしょ?」
「当たり前です。本当は逃げたいですし、それが叶わないのなら命乞いの一つや二つしたいです」
ですが、私は苦しみたい。
地獄を見たい。
あの子が味わったであろう恐怖や絶望、そして痛みを、ほんの少しでもいいから共有したい。
だから、あの人にも抱かれました。
好きでもない、むしろ恨んでいるあの人に体を貪られる屈辱を味わうことで苦しめる。
あの子を裏切った罪悪感で苦しめる。
そう考えて、今でも機会があれば抱いてもらっています。今日だって、神風さんに呼び出されていなければ彼の部屋へ行くつもりでした。
「どうしたんですか?斬らないんですか?だったら私は失礼します。あの人も、待ってくれているでしょうから」
今日、久しぶりにあの人の顔を見て思いました。
私はあの人を求めている。
あの人に抱かれるのを、楽しみにしている自分がいる。あの人が責任を取ると言ってくれて、喜んだ自分がいる。
私には、それが許せないんです。
私は幸せになっちゃいけない。
そんな権利は、私にはない。
私とあの子がお世話になっていた孤児院が空襲を受けたあの日、あの子の手を離してしまった私に幸福など不相応。
あの子が艦娘なんかになる切っ掛けを作った私は、絶対に幸せになっちゃいけないんです、
だからこれ以上、私の気持ちが変わる前に斬ってください。
「嫌だ。斬らない」
「どうしてですか?神風さんは、暮石中将がこれ以上苦しまないように、私を始末しようとして呼び出したんでしょう?」
「そうよ。あなたがいたら先生が苦しみ続ける。だから私がこの手で、あなたの首をハネるつもりで呼び出した」
「だったら……。だったら斬ってくださいよ!私を痛め付けてくださいよ!じゃないと私は、私は……」
あの人にのめり込んでしまう。
あの人を愛してしまう。
こうなって初めて思ったのですが、女とは不思議ですね。
今でもあの人を憎んでいる。毎回、嫌々抱かれている。
それなのに、今ではできるだけ一緒にいたいと思っている。私を求めてほしいと思っている。
精神が肉体を凌駕すると言う話はよく聞きますが、私の場合は肉体が精神を屈服させようとしているんです。
私の女としての本能が、あの人に抱かれたことによってあの人を求めるようになりつつあるんです。
だから、完全にそうなる前に私を……。
「斬らない。あなたはそのまま、苦しみ続けろ」
「苦しみ、続ける?」
「そうよ。ただし、条件を付ける」
「条件……ですか?」
「ええ。あなたは金輪際、先生に抱かれちゃ駄目」
「それでは、私は……」
「苦しめる。何故なら、あなたは先生を愛し始めてるから」
お見通しでしたか。
これは年の功とでも……言えませんね。
たしか、刀を鞘に納めている神風さんと私は同い年ですから、年の功なんて言っちゃったら私まで年寄りみたいになっちゃいますもの。
「それともう一つ。これは先生には言わないでね?」
「え、ええ、秘密にしろと言われれば秘密にしますが……」
「じゃあ言うけど、あなたの妹、まだ生きてるわよ」
「ちょっと何言ってるのかわかりません」
いや、本当にわかりません。
あの人の話では、あの子は自身が撃った魚雷の爆発に巻き込まれて粉微塵になりました。
あの人があの子の件で嘘をつくとは思えませんから、あの子が生きている可能性は皆無です。
なのに何故、神風さんはあの子が生きているなんておためごかしを……。
「どうも未練があったらしくてね。たま~に、朝潮の体を乗っ取ることがあるみたい。今日だって、ちょっとだけ出てきたし」
とても信じられません。
もし、それが本当だとしたら、私がやってきたことは全て無駄。ただ単に、あの子を裏切っただけになるじゃないですか。
いや、待ってください。
神風さんは「乗っ取ることがある」と言いました。
それはつまり、陳腐な言い方をすれば幽霊として、今の朝潮ちゃんに取り憑いてるってことになりませんか?
だとするなら……。
「それ、生きてるって言えるんですか?」
「他人のとは言え体があるんだから、生きてるって言っても良いんじゃない?二重人格みたいなものよ」
正確には解離性同一性障害です。
詳しくは割愛しますが、本人にとって堪えられない状況をこれは自分のことではないと感じたり、あるいはその時期の感情や記憶を切り離してそれを思い出せなくすることで、心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害です。
解離性同一性障害はその中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して別の人格となって表に現れるものです。
これを朝潮ちゃんに当てはめ、常識の範囲内で分析するなら、彼女がそうなった最大の要因は朝潮艤装との適合でしょう。
朝潮ちゃんの歳で養成所にいたと言うことは、幼い頃に両親と死別している可能性が高い。
そのことを感情と記憶から切り離す、解離性健忘の状態だったあの子は、艤装との適合時に見ると言われている先代使用者の記憶を見たことで、その感情と記憶に人格が生じさせてしまったんじゃないでしょうか。
要は、辛い過去の記憶と感情という人格の種に、妹の記憶という型が与えられて、先代朝潮という人格が形成されたんです。
「説明ご苦労様。でもさ、直接話したことがあるんだけど、そんな感じじゃなかったわ。間違いなく、先代の朝潮よ。だって私と先生のことや、あなたのことも知ってたもの」
「それ、本当ですか?」
「嘘ついてどうすんのよ。あなたを騙して、私に何か得があるの?」
何かしらあるんじゃないですか?は、置いといて。
神風さんが言ったことが本当なら、先に説いた仮説は破綻しますね。
何故なら、解離性同一性障害は本人の経験ありきなのです。
さらに、艦娘が適合時に見る先代の記憶は一部だったはずですから、神風さんが本人だと断じるほどの記憶は得られないはず。
だとするなら、本当にあの子の魂とでも呼ぶべきモノが、朝潮ちゃんに宿っている?
だったらそれはもう、解離性同一性障害では片付けられません。
内在性同時存在……とでも、言えば良いのでしょうか。
「ちなみに、あなたと先生の関係も知ってるわよ」
「な、なんで知ってるんですか!?まさか、神風さんが話したんですか!?」
「あなたのニオイが先生からしたって話を満潮たちにした時だと思うから、私が話したと言えなくもないわね。どうもアイツ、表に出てない時に朝潮が見聞きした情報も得られるらしいのよ」
そもそも、そんな話を軽々しくしないでください。
気にもとめてないようですが、横須賀鎮守府の司令長官と元帥秘書艦が密通してるなんて普通にスキャンダルですからね?
ああでも、妹がどんな反応をしたのかは気になります。
「それで、妹はなんと?」
「姉さんならべつに良いかな。だってさ」
「そう……ですか」
どんな気持ちで言ったのでしょう。
妥協してでしょうか
それとも、心の底から私なら良いと思ってくれたのでしょうか。
「参考までに聞いときたいんだけどさ。やっぱ痛いの?」
「は?」
「だぁかぁらぁ!初めての時は痛いのかって聞いてるの!」
「そんなの……」
人によると思います。
例えば、激しい運動をすると膜が破れることがある。と言う話を、聞いたことはありませんか?
本当に破れるのかどうかは知りませんが、私のようにデスクワークが主な艦娘ならともかく、それ以外の艦娘は命懸けで動き回っていますから、膜なんてとっくの昔に破れちゃってる可能性が一般人より高いです。
なので、相手の男性の一物がアホみたいに大きくない限りは、恐れるほどの痛みはないと思いますよ?たぶん。
ちなみに、私の場合は時間をかけてゆっくりとほぐして頂いたので、想像していたほどの痛みはありませんでした。
それは良いのですが、神風さんはどうしてそんなことを……。
「あ、もしかして今晩、迫るつもりなんですか?」
「はぁ!?私が?誰に?先生に!?あり得ないから!」
「では、角千代さんですか?」
「ちょっ!なんであなたが角ちゃんのこと知ってるのよ!」
「暮石中将からお聞きしました」
神風さんとその人が良い仲なんじゃないかと気にしていました。
それに悩んでましたよ?
角千代さんとやらは、彼が最も信頼している部下の一人で、それこそ神風さんを任せても良いと思える人だそうです。
ただ……見た目に抵抗があるそうなんです。
実際に見るまで信じていなかったのですが、神風さんが乗ってきた車を運転していた世紀末生物を見て、アレと娘が付き合ってると知ったら、あの人じゃなくても拒否反応を起こすと思いました。
「で?どうなんです?」
「どう……とは?」
「二人の関係ですよ。暮石中将たちとは別に来ましたし、もしかしてデートとかしてたのでは?」
あ、赤面して私から目を逸らしたのを見るに、これはしてますね。
初めては痛いかどうかを聞いたので肉体関係にはなってないでしょうが、キスくらいはしているかもしれません。
そんな二人の関係を、神風さんは言い出せずにいるのかもしれませんね。
ならば、妹のことを教えてくれたお礼に……。
「神風さんが明日のエキシビションマッチに勝てば、暮石中将は上機嫌になるでしょうね」
「そりゃあ、私が勝って機嫌が悪くなることはない……。ん?まさか、誰かと賭けでもしてるの?」
「話が早くて助かります。呉提督との賭けで、神風さんが勝った場合は朝潮型の九、十番艦を得られることになっています。そうなれば、上機嫌になってお二人のことも了承してくれるかもしれませんよ?」
「そう上手くいくかはわかんないけど、やる価値はあるわね。でも、十番艦ってあの生意気な小娘でしょう?なんで先生はあんなのを……いや、あの子が船なのかしら」
「船?」
「こっちの話だから気にしないで」
まあ、そう仰るなら詮索はしません。
何に思い至ったのかはわかりませんが、暮石中将が霞ちゃんを欲しているということは理解してくれたようですので。
「ねえ。大淀って、雪風のことは知ってる?」
「呉の雪風は、波乗り時雨や鬼畜艦夕立どころか、守護神 長門や餓狼 足柄などの上位艦種のネームドすら上回るとされている艦娘ですよ?知らない人の方が珍しいです」
「じゃあ、持ってるだけの情報をちょうだい」
「タダで、ですか?」
私は大本営所属の艦娘。
しかも元帥秘書艦なので、閲覧できる情報は鎮守府の司令長官並み。第一級機密までなら、元帥閣下から許可を取れば閲覧できます。
故に、ただの艦娘では閲覧が許されない戦闘記録も見ることが可能。
なので私が持っている情報は、値段も確実性も高いですよ?
「報酬は情報の質次第で考える。だから、教えて」
「後払いですか。まあ、良いでしょう」
私的にも、呉提督には一泡吹かせたいですしね。
それに、私ですら閲覧を許されない神風さんの戦い方にも興味があります。
なので、仲間にすら『死神』と揶揄される、海軍最強の駆逐艦の情報を余すことなく教えます。
孫子曰く……
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。ですものね」
「ええ、あなたも刮目しなさい」
私は実戦経験がありません。
なので、歴戦の艦娘がどういう者なのかがいまいち想像できませんでした。
ですが、実物が目の前にいました。
私の目に映る彼女の体は小さいはずなに、私の視界を占領するほど大きく見える。
紅の瞳には燃え盛る自信。
両手は容易く折れそうなのに、巨人の腕のように力強い。
両足は、一歩歩くだけで突風を巻き起こすんじゃないかと思えるほど、しっかりと大地を踏み締めています。
そして彼女は……。
「私が、本物の駆逐艦を見せてあげる」
と、嵐を巻き起こす宣言をしてくれました。
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