血液が沸騰していると錯覚するほどの怒りを、私は今日初めて経験しました。
彼女は司令官を、公衆の面前で侮辱した。
私の司令官を、私の英雄を貶めました。
正直、神風さんが跳ばなかったら、各提督たちのために用意された観覧席から駆け出していたと思います。
それは、他の三人も同じ。
明らかに激昂していたのに、神風さんが
「消え……え?今の何?ねえ大潮、どうして神風さんが、雪風の後ろにいるの?」
「わかんない。でもアレ、脚技……じゃあないよね?」
「ええ、脚技の最長移動距離は飛魚の10メートル。300メートルもの距離を、一足で移動なんてできないはずよ」
いいえ。
二人は見逃したようですが、動きを見た限りでは、アレは間違いなく脚技。しかも、初歩の飛魚です。
ですが、二人が言ったように飛魚の移動距離を遥かに超え、それだけでなく、跳んだ瞬間に白い円形の壁のようなモノや、航跡上に放電現象まで起こさせました。
それは通常の飛魚ではできません。
「アレは神風の最終手段。『
「赤備え?それって、武田の赤備えとかの?」
「満潮は博識だな。だが、赤ではなく紅だ」
なるほど。
刀身を紅く染めた日本刀を振るっている神風さんは、たしかに頭の黄色いリボン以外真っ赤。
その姿は、正に紅備えと言えます。
「それを使うと、あんな距離を瞬間移動できるようになるの?」
「使う。と言うのは正確でない」
「それってどういう……」
「紅備えなどと大層な名前をつけているが、あれは技ではない。あの状態の神風を、紅備えと称しているだけだ」
「あの状態って……ん?ちょっ!ちょっと待って!まさか神風さん、装甲をゼロにしてるんじゃないでしょうね!?」
「満潮の想像通りだ。正確にはゼロではなく、第二装甲と本来なら弾を扱うための艦力全てを、刀身に纏わせている。刀身が紅く染まっているのは、その副作用だ」
それはつまり、第二装甲の内側に満ちている、艦娘本人を砲撃の余波から守り、男性でも抱えるのが困難なほど重い艤装を女子供の身で軽々と扱える膂力を与える強化外骨格。第一装甲しか纏っていないってことですよね?
それでどうして、あんな……あ。
「空気抵抗……」
「その通りだ朝潮。艦娘を中心に球状に展開している第二装甲を纏ったままでは、あんな速度は出せないし安定もしない」
「ですが、それでも精々、飛距離が数メートル伸びるかどうかですよね?」
「そうだ。だがそれは、《自前の身体能力のみ》で脚技を使用した場合だ」
「自前の?それ以外に使えるモノなんて……」
ありました。
それは第一装甲によって与えられる、数万馬力もの外付けの筋力。
信じたくはありせんが、神風さんはそれを使って……。
「神風の馬力は約38000。そんな高出力で脚技を使えば、艤装分の重量を含めても高々150kg足らずの神風なら、音速くらい超えるだろう」
「脱帽ね。第一装甲にそんな使い方があっただなんて、実際に見るまで考えもしなかったわ」
満潮さんの言う通りですね。
第一装甲による膂力は、精々艤装を扱うためのモノとしか認識していませんでした。
でも、神風さんはソレを脚力として利用した。
私も駆逐艦の端くれなので、使える物は何でも使って戦うを信条としていますが、神風さんのような発想力はありませんでした。
「相変わらず無茶をするね。小十郎君。アレ、体への負担は相当なものじゃないのかい?」
「おっしゃる通りです元帥殿。初手の飛魚で、音の壁を突破するほどの速度を生身に近い状態で出したために、急激な気圧変化で血液の循環不純を起こし、高山病に近い症状が出ているでしょう。もしかしたら、目もまともに見えていないかもしれません」
「そんな状態で、雪風君を翻弄しているのかい?」
「ええ。体の不調は精神力で無理矢理ねじ伏せ、半ば失った視力は気配を読むことで代用しているはずです」
司令官の右隣に座っている、どこかの長老みたいな風貌をした人の質問に、司令官は誇らしそうに答えました。
アレに、それほどのデメリットがあるとは……。
だって、神風さんは苦もなく戦っているんですよ?
紅い軌跡が尾を引き、言葉通りの龍の巣に迷いこんだ雪風さんを、その紅い牙で斬り裂き続けています。
「雪風は、喧嘩を売った相手が悪すぎましたね。試合と言う括りでなら勝てたかもしれないのに、余計な挑発で
「そう言えば、長倉君は神風君と面識があったんだったね」
「最初は呉所属でしたからね。直接話したことはありませんが、彼女のことは良く知っています」
私たちが来る前から司令官の左隣を陣取っていた女性提督が、感慨深げに神風さんのことを話し始めました。
いつも執務室で寝ていたとか、毎日のように他の艦娘と喧嘩していたとか言ってますね。
でもそれ、今と大して変わってなくないですか?
あ、神風さんと言えば……。
「神風さんは龍の巣と言っていましたが、アレは戦舞台ではないのですか?」
「そのバリエーションの一つ。いや、通常の戦舞台がバリエーションだと言った方が正しいか」
「では、アレが戦舞台の元になったと?」
「少し違う。順番的には、戦舞台の方が先に出来た」
これはナゾナゾなのでしょうか。
戦舞台が先に出来たのに、神風さんが今も続けている龍の巣のバリエーション?
「神風は元々、上位艦種の死角に潜り続けて翻弄するために戦舞台を思い付いた。だが、完成とはとても言えぬ時期に、とある出会いと別れがあったんだ」
「出会いと、別れ?」
それが、龍の巣を編み出す切っ掛けになったと、司令官はおっしゃりたいのでしょうか。
ん?長倉提督が、何やら思い出したように司令官を見ていますね。
「暮石中将。それはまさか、シーレーン奪還作戦時の……」
「なんだ、長倉君も参加していたのか」
「ええ、当時は艦娘として。ですが」
長倉提督が元艦娘?
は、とりあえず置いておきましょう。
それよりも今は、神風さんにアレを思い付かせた切っ掛けの方が気になります。
「駆逐古鬼と、天龍型二番艦の龍田。その二人が、アイツの戦闘スタイルを決定付けた」
「深海棲艦と、龍田さんと言う人がですか?」
「そうだ。くだんの駆逐古鬼は、窮奇と同じような特殊な個体だったらしくてな。当時、シーレーンを奪還するために展開していた艦隊を中央突破し、ブルネイを発ったばかりの神風達と会敵した。その結果は、どうなったと思う?」
「えっと……。神風さんがいたのですから、勝ったんじゃないんですか?」
「いいや、その逆。惨敗だ。駆逐古鬼は取り逃がし、当時は天龍だった辰見は左目を失明。龍田は、戦死した。その龍田が神風に見せたのが、あの龍の巣なのさ。龍田は未完成だった戦舞台の完成形を、思い付いた神風より先に披露して見せたんだ」
なるほど、それで順序が逆になったのですね。
おそらく、神風さんが元々完成形として思い描いていた戦舞台は、通常の戦舞台で間違いないと思います。
ですが完成する前に、思い描いていた完成形以上の完成形を目の当たりにしてしまったから、龍の巣を目指すことになってしまったのでしょう。
「それにしても、なかなか決めないわね。神風さんなら、腕の一本や二本ぶった斬って雪風を戦闘不能にできそうなもんだけど」
「たぶん、やらない半分。できない半分だと思います」
「それ、どういうこと?」
「おそらく神風さんは、雪風さんを心底後悔させるために、あえて致命傷を避けているんだと思います。でも反面、肝心なところで波に足を取られたり、逆に雪風さんがタイミング良く体勢を崩したりするので、決定打を与えられないんです」
満潮さんが感じた疑問は、私も感じました。
でも見ている内に、先ほど説明した結論に至ったんです。
ですが、私程度でも至れる結論に、満潮さんが至れなかったのが少し意外ですね。
「小十郎君。神風君に、アレ以上の隠し球はあるのかい?」
「私が知る限りではありません。ですがまあ、アイツのことですから、私に教えていない隠し球の一つや二つはあるかもしれません」
「君の娘らしいね。血が繋がっていないのが、嘘みたいにソックリだよ」
「お褒めに与り、光栄です」
「心配してるんだよ僕は。まさか、君ん家の家伝まで教えてないだろうね?」
「教えました」
カデン?
家電の使い方など教えてどうするのでしょう。
まさか司令官のお家の家電は、使い方を懇切丁寧に教えなければ扱いきれないほど複雑な……。
「家電じゃなくて家伝。この空気でボケるのやめてくれない?」
「まあまあ満潮、朝潮ちゃんらしくて良いじゃない」
「そうよぉ。おかげで一区切りついたし」
ボケてません。
私はいつでも真剣です。
今だって、神風さんの戦闘を見逃がさないように必死……で!?
雪風さんを蹴り跳ばしたと思ったら、蹴り飛ばした先に先回りして背中の魚雷発射菅を斬っ……たら今度は、捻り駒で回転しながら上中下段に三連撃……が、終わる前に正面へ移動した!?
「ね、ねぇ、司令官。神風さんってぇ、分身もできたのぉ?」
「分身と言えなくもないが、あれは高速移動による残像だよ。質量はないがね」
荒潮さんの質問に答えた司令官に、満潮さんが「ガ○ダムネタやめろ」とか言っていますが、私にも分身しているように見えます。
大潮さんの「ドラゴ○ボールみたいな戦闘だね」と、呆れながら言ったセリフの意味はわかりませんが、私も艦娘でアレほどの高機動戦闘が出来るとは思っていませんでした。
アレに比べたら、通常の脚技での移動すらスローモーションに思えます。
『重ね重ねよ。束ね束ねよ。
神風さんが、かろうじて立っているだけの雪風さんから100メートルほどの距離を空けて突きの構えを取ったと思ったら、唄のような言葉が観覧席に流れました。
これは神風さんの声?
何かの呪文のようにも聞こえますが……。
「小十郎君、これは……」
「ええ。うちの家伝の虎の巻に書かれている唄です」
「へぇ、呪文なんてあったんだね」
「呪文ではなく、心得のようなモノです。俗に言う虎の巻が、その流派なりを学んだ者にしか意味を成さないように、アレもうちの家伝を扱う者にしか意味がありません」
「でも、呪文じゃないんだろう?」
「はい。少なくとも私は、あんな唄を唱えたりしません。ですが神風の場合は、性格的にうちの家伝を扱うのに向いていません。なので、あの唄を呪文代わりに唱えて、精神を集中させているんです」
「なるほどね。じゃあ、ソレで決めるつもりなわけだ」
「いいえ。神風は一番初歩の術しか使えません。決め技は、あの刺突の構えから繰り出す何かでしょう」
そこまで言うと、司令官はおもむろに席を立ちました。
まだ決着は付いていないのに、どこかへ行かれるつもりなのでしょうか。
「最後まで、見ないのかい?」
「見ずとも結果は見えました。なので、出迎えてやろうと思います」
そう、元帥さんに言い残して去ろうとした司令官のお顔は、いつもと違っていました。
きっと、最愛の娘を思う存分自慢できて、表情を取り繕うのも忘れるくらい、嬉しかったのでしょう。
本当に、神風さんには敵いませんね。
戦闘の実力はもちろん、司令官から向けられている気持ちの大きさでも。
私には、司令官を怒らせることができません。
私には、司令官を喜ばせることができません。
今の私には、司令官に……。
「こういう時くらい、誉めてやらんとな」
と、言わせることができませんもの。
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