氷陰様主催の、神様転生杯の投稿小説です。
「私ね、犬を飼ってみたい」
「え?」
本や砂が乱雑にまき散らかされた薄暗い図書館の中で、僕は地べたにライフルを置きながら、慣れた手つきで部品を整備し始める。周囲に居る大人たちは、この国を圧している憎き独裁者を討つべくありとあらゆる作戦を言い合っている。
そして同い年ほどの少女と、眼鏡越しから目が合った。
ここのところ戦いっぱなしだったし、ロクな環境にも落ち着けていないから、女の子の服や顔はすっかり土まみれ。
それでも少女は、真っすぐに微笑みながら、
「ゆったりとね、家の中で飼いたい」
少女は、拳銃を組み立てつつ、
「誰かに噛みつかせたりなんかさせない、爆弾を括りつけたりもしない。ただただ、家の中で一緒に暮らしたい」
「ああ、それはいいな」
迷うことなく、少女の言葉に同意する。
このY国で出来ることはといえば、独裁者様をあがめること、適当な疑いだけで殺されてやること、独裁者様を囃し立てること、それに不満を抱いて銃を握る、それぐらいだったから。
少女は、暗がりの中でほんのりと笑い、
「犬と、あなたと一緒に暮らす時間って、きっと楽しくて、」
少女は、ちょっとだけうつむき、
「しあわせ、なんだろうね」
「うん」
半ば本能的に、生返事のように応えてしまった。
それでも少女は、とても嬉しそうな顔をしてくれたんだ。
「頑張るよ。その夢、僕もかなえたいから」
「うん」
ライフルを整備し終える、少女も拳銃を組み終える。周囲の大人たちも、それぞれの武器を持って重い腰を持ち上げた。
その際に、独裁者の笑顔がまぶしいポスターが目に入る。外はもちろん、便所の中ですら拝めるありふれた見世物だ。
ふん。
こいつのせいで、人々がたやすく死んでいった。「反乱の疑いがある」、その決まり文句とともに。
僕は戦う。
この国を平和にするために。犬を飼ってみたいから。
この少女と、幸せになりたい。
――数分前までは、そんなふうだったのに。
「どうして」
どうして。
潤沢な爆発物を食らって、念入りな銃撃に見舞われて、遊び半分でナイフだの何だので執拗に狩られたけれど、僕は死体の下敷きになりながらで何とか生き残った。
僕だけ、生き延びてしまった。
なかば原型を留めていない街中で、僕は四つん這いのまま、地を覆う黄色い砂を握りしめる。もう動くはずの無い仲間たちを、少女をずっと眺め続けている。
夢、とは思わない。
死体の山なんて、この国ではよく見られるものだから。
――それでも、夢と思い込みたかった。
「自分の番」がやって来るなんて、思いもしていなかったから。
ため息。
少女がかけていた眼鏡は、爆風か何かで吹き飛んでいったのだろう。
たぶん、自分の最期なんて把握すらできないまま、天国へと旅立ったのだろう。
そして政府軍は、あぁー終わった手間かかったなー、とでも考えているのだろう。
僕は、ここからでもよく見える、バカでかい宮殿をじっと見据えた。
あそこに、「魔王」と呼ばれた独裁者がいる。
元は貧民街に住まう孤児だったのだが、類まれなる知恵と身体能力を駆使して、あっという間に軍の指揮官へと成り上がってみせた。
前代の独裁者も「魔王」のことを信頼しきっていたのだが、魔王は突如としてクーデターを引き起こし、もののあっさりと前代独裁者を討ち取ってみせた。しかも素手で。
そうしてトップにまで登り詰めた魔王は、右手に国旗を、左手に独裁者の首を掲げながら、その足だけで宮殿の屋根に登ってこう訴えたのだ。
この国を、救いたかった。
それが、クーデターにまつわる行動原理だった。
あまりにもあんまりな威風に、国民は歓喜した。
――今となっては、これだが。
拳を握りしめる。
結局はあんたも、疑心暗鬼にまみれた独裁者になっちまった。まあそれもそうか、裏切りだの何だので王の座を引きずり降ろされたくなんかないもんな。
ひどい話だ。
魔王はこの世にいるけれど、どうやら神は存在しないらしい。
ほんとう、ひどい話だ。
――少女の前で、ゆっくりと立ち上がる。
なら、僕がこの国を救ってみせる。。
のんびりと犬を飼うことができるような、そんな国にしてみせる。
やるしかない。
―――
数十年後――
「ここは、どこだ?」
僕は、魔王の自爆特攻を受けて死んだはずだ。それは間違いない。
だのに今は、真っ白の中にいる。
本当にそうとしか言いようがない。上を見ても、左右に目をやっても、下を覗いてみても、目に映るものは白ばかり。
試しに地面へ手を伸ばしてみたが、いつまでも感触すら伝わらない。まるで宙にでも浮いているかのような――
まさか、ここは、
「よくぞ来た」
「わ、」
突如として声が響いて、脈絡もなく人が目前に現れた。
目をこする。
老人だろうか。しわだらけの顔に、銀混じりの白い長髪、白いローブめいたもの。その右手には、黄色い枝のような杖を握りしめていた。
「あ、あなたは?」
「わしは神。お主の世界における、神だ」
「……神?」
この世で最も嫌いな言葉を耳にして、考える前に顔が強張った。
しかし自称神は、これっぽっちも真顔を崩さないまま、
「疑っているようだな」
そして自称神は、杖を虚空に向けた。
真っ白い空間から、真四角状に切り抜かれた映像が映し出される。それだけでも驚嘆に値するというのに、僕に見せられた映像は、
「――お主はY国の貧民街で産まれたが、魔王と呼ばれた独裁者の『鎮圧』行為により親を亡くした」
喉から、うなり声が漏れた。
「そしてお主は反乱軍に参加し、間もなくとある少女と惹かれあう。……やがて少女を失ったお主は、決意を胸に、反乱軍の新リーダーとして魔王軍と交戦。数年にわたる戦いだったが、お主の意志力で魔王を、Y国から追い払ってみせた」
これまでのすべてが、僕と神の前でダイジェストのように流され続ける。中には僕しか知り得ないような場面も映し出されていて、もはや疑う余地もない。神には何でもお見通し、ということか。
「Y国のトップとなったお主は、『人も動物も、穏やかに暮らせる場所』というスローガンのもとでY国を復興してみせた。人も、そして動物たちも、お主には感謝したものだ」
「……わかるのですか」
「わかるとも」
笑顔で溢れるY国民が、犬と散歩をしている子供の姿が、Y国ではじめて作られた動物園が、僕の前でしっかりと映し出されている。
これらの場面は、夢でも幻でもない。
魔王を追い出したあと、僕は動物に対して、可能な限りの保護を打ち立てたのだ。
少女の夢を、一日たりとも忘れたことはなかったから。
「お主の行動により、Y国には笑顔と命が満ち溢れた。民は――いや、それどころか、世界じゅうがお主のことを英雄と呼び、神と祀った。……まあお主は、神呼ばわりはやめてほしいと言ったがな」
「まあ、はい」
「それもいい。いずれにせよ、お主の活躍で世界は大きく動き出した。お主の精神に共感し、人々は新たな道を歩み始めたものだ。その前進が、わしはとても喜ばしい」
Y国が軌道に乗ってからというもの、世界中からやれ「Y国を見習うべき」だの「彼こそ真の人間」だの「高潔な精神そのもの」だのと、毎日のように耳当たりの良い言葉が届いてきたものだ。映像の方も、それらの場面をしっかり物語っている。
改めて、ほっとする。自分のやっていることは正しい、世界も変わろうとしている――あの子に報いてやれている、そう思えて幸せだった。
僕は、思わず口元を緩ませる。
――そのとき、神は重く重く、息を吐いた。
「……そうして今日も、お主はY国へ全力を注ごうとした。ところが突然、魔王が宮殿の窓をけ破り、お主のもとへと突っ込んでいった」
「ああ、はい。そうですね」
あのときの魔王の姿は、一生忘れられそうにもない。
いたるところに生傷を生やし、伸びきった髭は炎のように揺らめき、その目は嘘みたいに血走っていた。そんなふうになってしまっても、ぼろぼろの軍服は着込んだまま。
「自分を蹴落としたお主を殺すために、奴は愚かにも自爆を果たした」
「……自分はともかく、奴は死にましたか?」
神は、「ふん」と鼻息をついて、
「ああ。あの悪魔は、まちがいなく死んだ。魂となって、こちら側へ飛んできた」
あまりにも、人間味が感じられない言い方。
やはり神からすれば、無作為な殺人なんて許せるものではないのか。悪魔呼ばわりだし。
「そうですか。……それは、安心しました」
「ああ。……それにくらべ、お主の死はまこと残念に思う」
その言葉に、僕はざーとらしくため息をついてみせて、
「あなたは、神様なんですよね」
「ああ」
「なんとか、ならなかったんですか。僕はともかく、みんなの……あの子の命は、どうにかならなかったんですか?」
その質問に対し、神はほんの少しだけ、間を置いた。
「ほとんどの世界においては、神々は密接に人と関わりあう。時には隣人として、時には試練として、時には愛する者として」
「そ、それじゃあ」
「……『お主の世界』における神々は、基本的には敵にも味方にもならぬ」
「そう、なのですか」
「ああ。そもそも神の存在意義とは、あらゆる手段を以て、世界に流れを促すこと。それこそがわしら神の義務であり、喜びでもある」
――なるほど。
どうしてあの子が、あんな目に遭ったのかが分かった気がする。
とにかく停滞さえしなければいい、そこに善悪は関係ない。神々とは、そういうスタンスを貫いているのか。
俯瞰的な価値観が、かえってリアリティめいたものを感じさせる。
「それに」
「それに?」
「お主の世界は、良くも悪くも進歩が速すぎた。独自の文明を築き上げ、やがて神という存在を必要としなくなっていった。数千年前からな」
「……だから、僕の世界には神がいない……いえ、いなくなった、と?」
神は、小さくうなずき、
「それに、これ以上わしらが手を貸そうとすれば、人間達はわしらのことを異物として見て、排除までするだろう」
神は、重く重く息を吐いて、そして、
「だから、わしらも姿を見せることはない。殺されたくは、ないからな」
その言葉を前に、僕は小さく唸るほかなかった。
宮殿から回収した専門書も、砂まみれの小説にも、焦げたコミックにすら、余計な世話をする神に対しては辛辣な末路ばかりが描かれていたっけ――
「だからこそ、わしは何もできなかった。なるだけ、死ぬことは避けたかったからな」
その言葉には、黙って同意するしかない。
同意するほか、なかった。
「いずれにせよ、お主の国はこれからも幸せに繁栄し続けるだろう。その先のことは、まだわからぬがな」
「いえ、十分です。……それよりも、聞きたいことがあります」
「うむ」
息を、大きく吸う。
息を、大きく吐いた。
「あの子は、天国にいますか?」
「――天国や地獄などという概念は、この世界には存在しない。そんなものは、人間達が語り継いでいるゲン担ぎにすぎない」
「な、なんですって。じゃああの子は、死んでおしまいなんですか!?」
「いや」
神は、それでも真顔を変えずに、
「彼女は、Y国へ転生を果たした」
転生。
その言葉が、まずは耳に入った。
次に、どういう意味なのかを頭の中で咀嚼し始め、
「て、転生って、あの転生? 生まれ変わる?」
神は、小さくうなずいて、
「過去の記憶をすべて浄化することで、あらゆる命は次なる生へと転生することができる。記憶の重さにもよるが、浄化までには数十年から数百年はかかる」
「な、なるほど」
「あの『悪魔』もそうだ。良くも悪くも、あらゆるものを積み重ねてきたからこそ、あと数百年は転生することはかなわぬ」
神の淡々とした物言いに、僕は心の中で理解した。
腐っても魔王と呼ばれているのだ。そんなやつの人生など、一言二言でまとめられるはずもない。
名前が残るという事は、良くも悪くもそんなものだ。
「……あの」
「うむ」
「あの子は、あの子はどうなっていますか? まだ、魂の浄化を?」
「いや、もうY国へ転生を果たした」
へ、
「彼女の『偉業』が神々に認められ、特例で手早い転生が許されたのだ」
「ど、どういう? 偉業とはいったい?」
そして、神は、
「――お主の、力の源になれたこと」
ただの隣人のように、穏やかに微笑んだ。
神の笑みを目の当たりにして、しばらく言葉が湧いてこない、考えることすらままならない。心だけが、素直に躍っていた。
「お主は偉人だ。世界を進歩させた業績も、悪魔の後追いをしなかった点も踏まえて」
悪魔という単語に、強い引っかかりを覚える。
これまでの発言といえば、良くも悪くも俯瞰的な、それこそ神らしい言葉が多かった。だからこそ「ただの」人間に対して、こともあろうに悪魔呼ばわりとは、何らかの私情を察せざるを得ない。
「あの」
「うむ」
「どうして、そこまで言うんですか? もしかして、本当に悪魔か何かだったんですか?」
たとえ「魔王」が人間じゃなくとも、納得はできる。単身で宮殿に潜り込める身体能力とか、いとも簡単に自爆せしめる胆力とか。
神は、実にうんざりしたようにため息をついて、
「あいつはな」
「はい」
「……やつは、わしの加護を受けた人間だったのだ」
「……は?」
は?
「あいつだけ、常人離れした身体能力を持っていただろう? 平気でお主と自爆を果たす胆力もあった。あれらは全て、わしが与えた加護なのだ」
はい?
「わしの加護は、あらゆる生物に向けて無作為に選ばれる」
「どうして、そんなことを」
「それもすべては、世界が停滞しないようにする為だ。……お主も知ってはいるだろう? 歴史を変えた偉人などは」
うなずく。
「国を築き上げる者、国を滅ぼす者、文明を切り開く者、神をも恐れぬ兵器を考案する者。そのほとんどは、わしの加護を受けている」
「ほんとうに」
「もちろん、加護抜きで世界を動かした者もいる。神としては、それは大いに構わぬ」
神は、何もない地面を見下ろし、
「どのような結果であれ、世界さえ動かしてくれればそれで良い。それで良いのだ」
世界を動かした偉人とは、良くも悪くも周りに影響を及ぼしてばっかりだ。結果として人が死ぬことなんて、何ら珍しいことでもない。
――と、いうことは、
神からすれば、一度はY国を救ってみせた魔王すらも偉人扱いなのだろうか。
けれど神は、魔王のことを頑なに悪魔呼ばわりしている。未だ、偉人などと讃えてはいない。
「……あの」
あの子の死体が、フラッシュバックする。
「あいつは、偉人などではないのですか? 悪魔、でしかないのですか?」
「ああ」
即答された。
「奴は加護を受けたにも関わらず、結局は同じ歴史を、独裁を繰り返すだけだった」
あ、そうか。
変化を促す神からすれば、同じことの繰り返しなどは不本意そのものだろう。忌み嫌ってすらいるフシもある。
「奴は愚かだ。力があるにも関わらず、己が安定ばかりを求めおって」
「……なぜ、あいつはあんな風になってしまったんですか? 最初は清廉潔白だったはずなのに」
ずっと気になってはいたのだ。拳一つで車すら吹っ飛ばしてしまう超人が、なぜに深い疑心暗鬼を抱く必要があったのか。
そんな僕の疑問に対し、神は「それはな」と前置きし、
「恐れたのだ。別の加護持ちが、自分の前に現れることを」
「え――」
「何でも手に入る地位というものは、加護があろうがなかろうが決して手放したくはないものだ」
――うなずく。
「奪われることを恐れた奴は、加護持ちを服従、或いは抹殺しようと、あらゆる手を尽くした。些細な理由で粛正したり、自分は敵ではないと洗脳を施したりな」
「……そういう、ことだったんですか」
「ああ、それだけだ」
杖の先端が、地を突く。弾けるような音が、この世界全体に反響した。
「お主のように国を建て直せば、世界を動かした偉人としてわしに認められたものを。あの臆病者め」
「……認められれば、どうなるのですか?」
「待ち時間なしで転生を行わせる。ふたたび、加護を与えてな」
魔王は、偉人として認められることはなかった。
だから慣例通りに、長い年月をかけて魂を浄化しているのだろう。次に転生できた時は、恐らくは加護なんて没収されているにちがいない。
「奴はまこと罪深い男だった。わしの加護を持っているにも関わらず、停滞を望み、あまつさえ世界を揺り動かしたお主を殺してしまった。……神の面汚しめ」
最後のつぶやきには、神らしからぬ感情が色濃くねじ込まれていた。
――だろうな、と思う。
神からの力を受けておいて、魔王は代り映えしない歴史に逃げてしまったのだ。それは神からすれば、この上ない裏切り行為といえよう。
まさに、悪魔そのもの所業だった。
「それに比べ、お主はよくやってくれた。世界を、大きく動かしたのだからな」
「いえ、そんな」
ふたたび、空間の一部に映像が生じる。
「加護を受けていないにも関わらず、お主は加護を持った人間を国から追い出した」
何重にも仕掛けられた罠にかかり、傷だらけになる魔王。
「そしてお主は、長きに渡る独裁の歴史に終止符を打ち、一つの国を豊かに復興せしめた」
宮殿の入り口で、両手で国旗を振るう僕の姿。
「お主の行動を見た人々は、お主に続くよう、その精神を改めていった。大いなる変化、といってもいい」
Y国のみんなが、世界中の皆が、僕の名前を明るく元気よく叫んでいる。自分の行いは、けして間違ってなどいなかった。
「お主は、世界を大きく動かしてくれた。わしはもちろん、他の神々も、お主のことを偉人として認めておる」
映像が、ぷつりと切れる。
そして神は、大きく、誰よりも、
「よくやってくれた。お主には、神としてまことに感謝している」
溢れんばかりの笑顔を、僕に向けてくれた。
言葉が、出てこない。
けれど、嘘ではないのだと思う。
僕は確かに、独裁の歴史を断ち切った。世界中のみんなが、僕のあとに続くよう道を歩み始めた。そうなるまで数えきれない犠牲を払ってしまったけれど、神からすれば「良くも悪くも」なのだろう。
そういう仕組みならば、それはそれでいい。
僕は所詮人間だ。神の思想をとやかく問うつもりはない。
「あの」
「うむ」
「僕は、偉人なんですよね? なら、すぐにでもY国へ転生させて欲しいのですが」
「――そのこと、なんだがな」
神が、深くふかくうなだれる。
「そろそろ本題に入ろう。転生のことを、理解してくれたようだからな」
その様子に、自分の身が強張った。だっていまの神からは、「申し訳なさ」めいたものが伝わってきたから。
「お主に、頼みたいことがある」
「なんです?」
神は、杖を虚空に指し示す。
瞬間、僕の目前に映像めいた何かが鮮明に映し出される。薄暗い城内めいた場所、紫色に輝く巨大な魔方陣、それを取り巻くエンジンめいた機械。そこから一歩ほど離れた場所に、ローブを着込んだ若い男と、甲冑を身にまとった大男が突っ立っていた。
「ここは、お主とは違う世界だ」
「――え」
神は、ローブを着込んだ若い男を杖で差し、
「こやつは『皇帝』。もちろん加護持ちで、これまでいくつもの国を支配してきた。それ自体は別に良いのだが、別の世界へ侵略しようとなると話は別だ」
「なぜ?」
「世界が混ざり込んでしまえば、いったいどうなるかがわしらにもわからないからだ。もしかすれば空間の均衡が崩れ、すべてが無に堕ちるかもしれぬ」
「え――そ、それは! 何とかならないのですかッ!? この世界を担当している神々は何をしているんです!?」
「……ことごとく、返り討ちにあった。この皇帝はあまりにも偉大で、先進的で、ついには神殺しを実現させるまでに至ったのだ」
神は、重く重く唸る。
今更、でたらめとは思わない。加護のとんでもなさは、この身を以て体験しているから。
「そして皇帝は、次なる侵略先を選び出した」
「それは?」
「――お主の、世界そのもの」
「はあ、」
は?
「事態は一刻を争う。転送装置は今にも完成を迎えようとしている」
「こ――この世界に、こいつらを止められる人はいないんですか!?」
「いる、『勇者』と呼ばれる一行がな。だが、とても間に合いそうにもない」
「じゃあ、」
「そこで、だ」
そして神は、僕の目をじっと見据えて、
「お主に、この事態を解決してもらいたい」
「な――僕が!? でも、どうやって?」
「……本来なら、転生を用いることでしか世界に降り立つことはできぬ」
「ということは、子供からのスタートですか? じゃあ間に合いませんよ!」
いくら加護を盛っても、タダの子供がどうこう出来るはずがない。ましてや相手は加護持ちなのだ。
狼狽する僕をよそに、神はいたって冷静に、真顔で、
「憑依転生を、行う」
「ひょ、」
「あの甲冑の男――『皇帝の忠臣』に」
皇帝の隣に立つ、黒い甲冑を身にまとまった男のことを杖で差す。
男の背中には、頭なんて作業的に砕いてしまえそうな鈍器が、金具で収納されていた。
「記憶を、そして加護を持たせたお主の魂を、あの男に憑依させる。本来なら皇帝に憑依させたいところだが、神の加護のせいでそれもままならぬ」
「なるほど。で、それで? もしかして、不意を突いて皇帝を殺せと?」
「そうだ」
己が手を見る。
僕のせいで、また、決して少なくはない犠牲を払うことになるのか。
ひとたび剣を皇帝へ振りかざせば、皇帝のことを好いている者が、もしかしたら皇帝の家族が、僕に復讐の牙を剥いてくるかもしれない。
いや、噛みつこうとするだろう。
――あの子の死体が、フラッシュバックする
「やります」
「……すまない」
「いえ。それよりも早く、憑依転生をさせてください!」
「わかった」
そして神は、杖を両手で握りしめる。そして大きく息を吸い、吐いて、ふたたび息を吸う。
そして僕は、見逃さなかった。
神の手が、震えていることを。
「どうしました? 何か、問題でも?」
神は何も答えない。あまりにも静かすぎて、真っ白い世界がより白みがかって見える。
いまわかることは、神は恐怖のあまり、その身を震わせている事実だけ――
「あ、あの」
近寄ろうとした。
けれど神は、ゆっくりと、僕のことを手で制した。
「すまぬ」
「い、いえ」
「……まったく、怖いな。わしは神なのに」
「え?」
神は、杖を両手で握りしめ直す。
「聞いてくれ」
「はい」
「――憑依転生とは、いわば世界の摂理に反した行為だ。何せ元ある命を、別の命で完全に上書きしてしまうのだからな」
無言で、肯定する。
「魂そのものを消すなど、例外中の例外だ。魂が一つ消えるごとに、変化する可能性が大きく下がってしまうからな」
何ら疑問を抱くことなく、うなずく。
「……だからこそ」
「はい」
「――憑依転生を行えば、わしは消滅する」
はあ、
は?
「命という世界の変化の源を、神の都合で消してしまうからな。これ以上の冒涜は、今までに聞いたことはない」
「そ、そうなのですか? いや、そうか……」
「うむ。こんなことは他の神が許さぬし、世界の摂理にも反する。魂とは命あるもののすべてであり、触れざるもので、何よりも重たいもの。神の手前勝手で弄ることは許されないのだ」
「じゃ、じゃあ……あなたが、こんなことをする必要はないでしょう!? 『この世界』はあなたの管理下じゃない、この世界の神に憑依転生をさせればいい!」
「……だろうなあ」
吠えたける自分に対し、神は、ほっと苦笑いをこぼし始める。
「本来は、そうするべきなんだろうなあ」
「じゃあ、どうしてあなたが」
神は、くつくつと小さく微笑んで、
「この世界の神はな、怖がったのだよ。自分の死に」
――その言葉には、黙って同意するしかない。
同意するほか、なかった。
「だから、わしがやるしかないのだよ」
僕は、もう一度だけ問う。
「……いいんですね? 本当にいいんですね?」
「ああ」
神は、僕の目を見て、
「わしの世界を、守りたいからな」
――神に、そっと近づいていく。
「わかりました、やります」
「……そう言ってくれると思っていた」
「やりますよ。世界の危機なんですから」
「どっちの、かな?」
「両方ですよ」
「……お主を選んだことは、まさしく正解だったようだな」
神々は待ち続けていたのだろう、この危機を打破してくれそうな偉人が現れることを。
それが僕だった、ということか。
「お主なら、皇帝の後追いなどはせぬだろう」
「もちろんです」
「だろうなあ、お主はそういう男だものなあ」
僕の手を、ぎゅっと握りしめた。
僕はたまらず、笑ってしまった。
「神様」
「うむ」
「あなたは、神の中の神です」
「……そうか」
神が、白く輝いていく。見えなくなっていく。
「なあ」
「はい」
「わしからの加護を、どうか自分の幸せのために使ってくれ。それは、せめてもの詫びだ」
「わかりました」
僕は、神の行く先を心から祈る。
やるしかない。
―――
数十年後――
「ここは――そっか」
真っ白い空間の中で、僕は力なく笑う。久々の故郷とすら思う。
剣も魔法も飛んでこない安寧の中で、僕は背筋をうんと伸ばす。ここに戻ってくるまで色々と大変な事があったが、死んだ今となっては単なる良い思い出でしかない。
僕は、世界を救えた。
とても、気分が良い。
「――お待ちしておりました」
「わ、」
突如として声が響いて、脈絡もなく人が目前に現れた。
目をこする。
背が高く、白いローブめいたものを着込んだ、黒い短髪が特徴的な女性――女神だった。その手には、見覚えのある黄色い杖を握りしめていた。
「私は、あなたの『元の世界』の神です」
「ああ、そうでしたか」
そうして僕は、兜を脱いで、
「役目を、果たしました」
「はい。あなたのご活躍は、この目でずっとずっと見届けさせていただきました」
そして女神は、僕の黒い鎧をじっと見つめる。
「あなたは皇帝を討ち果たし、侵略装置を永久封印し、何度も何度も襲い来る皇帝の残党にも勝利した。そして皇帝の代わりを務めようと、身を粉にしてまで政治に身を投じましたね」
「そう、ですね。そんなこともありましたね」
「加護を駆使し、あなたは出来る限りの政を敷いた。おかげで人々の精神は前進をはじめ、新たな技術も次々と芽生え、空すらも飛べるようになった」
語るたびに、女神の顔が明るくなっていく。それらの結果を耳にするたびに、そんなこともあったなあと僕は思う。
「大変、だったでしょう」
「そう、ですね」
「その傷だらけの鎧が、あなたの活躍を何よりも物語っています」
女神から、どこか熱めいた視線が伝わってくる。
「――たくましい」
「そうした」感情については、僕は気づかないふりを貫く。
前世においても、独身のままで生き抜いてきた。
「すみません。皇帝の魂は、どうなりましたか」
「あ、ああ、ごめんなさい。皇帝の魂ですが、何事もなく転生し終えました。掟により加護も与えられましたが、今は建築家の卵として才を振るっているのみです」
「そうですか。……本当にこれで、すべてが解決したんですね?」
「はい」
「じゃあ、今度こそ僕は転生できるんですね? Y国へ」
本心を口にした瞬間、女神の顔に若干の陰りが生じた。
僕は、心の中で謝る。
僕には、どうしても好きな子がいるんだ。この事実だけは、何度生まれ変わっても忘れるつもりはない。
「そのこと、なのですが」
「なにか?」
女神は、黄色い杖を小さく揺らす。
「あなたに、お願いがあります。私からの、神々からの」
「え。なんですか? もしかして世界の危機ですか?」
もしもそうならば、やるしかない。
僕に与えられた加護は、それらの不安を消すためにある。
「……さすがです。その精神が、眩しい」
咳。
「あ、ご、ごめんなさい。ええと、ですね」
「はい」
瞬間、
女神の顔つきが、真顔そのものと化す。予断も許さぬ雰囲気をまとったまま、女神が僕に近づいてくる。
「あなたは、これまでに二度も、偉人としての人生を全うしました。世界はおろか、神々の存在すらも守っていただけました」
うなずく。
「そんなあなたのことを、神々は称賛しています。もちろん、私も」
「ありがとうございます」
「……そんなあなたに、神々から提案があります」
どういうことだろう。
そう口にする前に、女神は黄色い杖を、
「あなたに、神になっていただきたいのです。けして揺るがず、そして高潔たるあなたこそ、かの大神の後継者に相応しい」
神の中の神の杖を、僕に差し出した。
――これまでにない経験を前にして、僕は何も言えない。なんて答えれば良いのか、ぜんぜんわからない。
「人として生きたあなただからこそ、神が触れざるあの世界を見守っていただきたいのです」
「……そんな。僕は、神なんて」
「いえ」
女神は、きっぱりと首を振った。
「大神の自己犠牲を見届けた神々は、大神を見捨てた事実に長い疑問を抱き始めました。摂理を破ることは神にとっての絶対の悪である、死とは神だからこそ絶対に抗えない感情である、これらにどう折り合いをつけるかで何度も何度も討論を重ねたものです」
そして、女神は真っすぐに僕を見た。
その黒い瞳に、僕の情けない顔が映っている。
「そして、この討論にようやく決着がつきました。あなたが偉業を成し遂げ、その寿命を使い切ったその日に」
「……それは?」
そして、女神は、
「大神に等しいあなたにならば、この命を捧げてもかまわない」
そして女神は、僕の前でひざまずいた。その両手で、黄色の杖を差し出しながら。
「男神たちは、揺れないあなたの心に惹かれました。女神たちは、人として世界を揺り動かすあなたの歩みに心を奪われました」
目の前の女神は、頭を下げたまま、
「私はあなたと出会い、はじめて恋というものを覚えました」
――思う。
これから先、皇帝のような規格外がふたたび現れるかもしれない。世界の変化を求め、人外の力を与えている以上は、そういった「偉人」の誕生も考慮すべきだ。
人外たる神の力は、良くも悪くも大きい。だからこそ、神の力というものはそう簡単に無かった事などにはできない。二度ほど経験しているから、よけいにそう思う。
神の力を消滅させるのに、時には神の命すらも差し出す必要性が出てくるかもしれない。そんなものは誰だってやりたくもないし、神とて否定するだろう。
けれど神々は、言った。
大神に等しい僕になら、命を捧げてもいい。
けれど僕は、ただの人として転生を果たしたかった。あの子と、ふたたび巡り合いたかった。
――犬と、あなたと一緒に暮らす時間って、きっと楽しくて、しあわせ、なんだろうね。
僕は、大神の杖を握りしめる。
あの子の世界を、守るために。
「わかった」
やるしか、なかった。