銀嶺が青むまで   作:小栗チカ

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深山の拠点
プロローグ


その山は、ただの山だった。

観光地となる史跡や寺社仏閣、風光明媚な風景があったわけではない。

山肌を覆う豊かな植生は、大なり小なりの生物の営みを支え、その営みから生まれる大地の恵みは、雨水と共に川や地下水となって平野に流れこみ、海へと注がれる。

そして、海は蒸発して雲を作り山に雨や雪を降らせる。

そんな自然界の循環が正常に行われるだけだった山に、数は少ないものの人々が住み、その恩恵と理不尽を等しく頂戴しながら、不便で平和な生活を送っていた。

だが、大崩壊と呼ばれる人類最大にして最後の災厄が発生し、山の営みは終わりを告げた。

地殻を突き破りヒト社会の文明を滅ぼした審判の棘と、海を干上がらせる程の地殻の変動。

そして、あらゆるモノを喰らうバケモノの出現。

山は姿を変え、瞬く間に荒廃した。

人を含めた生態系は当然壊滅。

険峻な岩肌を晒し、何処からあふれる瘴気は、いかなる存在を立ち入ることを躊躇わせる魔境となった。

 

だが、一面だけを見ればさほど大きな変化はないように思える。

元々山とは、反文明、非日常の象徴とされ、神やバケモノが住むとされる畏怖すべき場所だった。

人社会の不都合を隠し、時に神秘的な、時に死と隣り合わせの恐怖の体験をする、人知を越えた異界としての存在。

ならば、この山はどうだろう。

異界としての側面は、何も変わってはいない。

そして今、その異界の深夜に、高さ五メートルほどの崖に取り付き登攀を試みている二人の吸血鬼(レヴナント)がいた。

審判の棘の中途半端な光で照らされたその歩みは、あまりに稚拙で退屈になるほど遅い。

しかし、若さと無知と深夜のハイテンション、崖の下で吸血鬼の持つ技、錬血(れんけつ)を発動しながら歌を歌う吸血鬼の力によってゴールへ確実に近づいていた。

深夜の山に朗々と響き渡たるその美声は、歌詞の情景を鮮やかかつ朗らに表現する場違い極まりないものだ。

しかし、金銭を要求出来そうな程に上手かった。

 

「堕ちちゃった奴隷さん『オオリャアアアアアッ!』」

「先輩やめて!」

「落ちるからやめろ!」

 

忠実なモノマネを交える歌声に、笑いを堪えながら岩にしがみつく吸血鬼たちだが、彼らに構うことなく先輩と呼ばれた吸血鬼は意気揚々と歌い続ける。

 

「女王の尖兵・傀儡さんも『ソンナハアアア!』」

「やめて!」

「マジやめろ! 笑わせんな!」

 

ゲラゲラ笑いながら、それでもしぶとく吸血鬼たちは岩肌にしがみつき、滑落の危機に耐えていた。

そして歌い終えた吸血鬼は一息つき、改めて岩壁を登る吸血鬼たちを見上げた。

 

「どーだー? 登りきれそうか?」

「笑わせなきゃ登りきってたわ!」

「もー、ホントに先輩はさー! あー、おかしかった!」

「そっかそっか」

 

応じる吸血鬼たちの言葉に、見上げる吸血鬼は厳ついマスクの向こうで満足そうに頷いた。

 

「もう一曲必要か?」

「や、もう大丈夫っす!」

冥血(めいけつ)のストックも心許ないだろ? 自力でいくよ」

「おう。気いつけろよ!」

 

危機を生み出したにも関わらず呑気に注意を促す彼に、岩に取り付く二人は笑った。

しばらくして、どんな奇跡か二人は見事に岩壁を登りきった。

しかし喜ぶ間もなく、未だ崖の下にいる仲間のために手持ちのロープを設置しようとして彼らは気付く。

岩の陰に鉄の箱。

中身は丸めて格納されていた縄のハシゴだった。

疲れていた二人は不審に思うどころか嬉々としてそのハシゴを設置し、無事に三人は崖の上で合流を果たした。

 

「おし、難関突破ー!」

「よっしゃあ! オレっち凄くね?」

「シューちゃんの力のおかげだろうけど頑張ったよな」

「よし、どっか広いスペース見つけて一休みしようぜ」

 

三人は互いの努力を称えながら武器と荷物を担ぎ、深夜の山道を歩き出す。

本来なら月や星の光しかない漆黒の闇の包まれている山道だが、審判の棘の光が彼らの行く手をほんのりと照らしていた。

 

「何か思い出すな」

 

シューちゃんなる男の言葉に、三人の中で一番背の低い少年らしき男が反応した。

 

「何をっすか?」

「大崩壊が起こる前の年だったかな、ダチ数人と山へ初日の出を見に行ったんだよ」

「初日の出か」

「すげー、めっちゃ元気じゃないっすか」

「大晦日の当日にノリで行こうってなってな」

「無計画すぎ」

 

三人は賑やかに笑いながら、状態の悪い坂道を歩き続ける。

 

「有名な寺もある山でさ、こんな感じで道が光で照らされていたんだよ。人も結構いたし、全然怖くなかった」

 

話しながら男は懐かしむように視線をめぐらした。

両手剣を背負う男は、その男に顔を向ける。

 

「でも夜の冬山だったんだろ。寒くなかったのか」

「登っている最中はアチーくらいだよ。しかも何かテンション上がっちゃって、走るわ歌うわ汗かいてさ。で、寺から先が入山規制かかってて、寺の近くの展望台で待つことにしたんだ」

 

男はマスクの下で顔を歪めながら、両腕を抱え込んだ。

 

「そしたら待っている間に汗が冷えてさみーのなんの! 我慢できなくてさ、日の出前に開店した蕎麦屋に駆け込んで、結局そこで初日の出を見た」

「見れたんすか?」

「見れたよ。案内されたのが外のテラス席だったからな。メッチャ寒くて蕎麦の丼抱えて初日の出したわ」

「何つーか、バカだなあ」

「若かったんだよ」

 

両手剣の男の言葉に、シューちゃんなる男は今までとは違った笑顔を浮かべたが、マスクを付けていることもあり他の二人は気付かない。

先行する少年が振り向いた。

 

「今も若いじゃないっすか。てかオレら、年取らないっしょ?」

「……ああ、そだな」

「つまり今もバカってことか」

「バカって言うな。そう言う方がバカなんだぞ」

「ガキかよ」

 

三人は再び笑い、男の話した初日の出を見に行くようなノリで異界の道を進んでいく。

彼らは気付かない。

先程のハシゴにしても、今進んでいる道にしても、自然にできたものではない。

だから、二股に分かれた道の中心に建てられた木製の道標にも、違和感を覚えることはなかった。

 

「右の道、行き止まり。進むな危険」

 

読み上げる両手剣の男の言葉を受けて、背の低い男が右手側の道を少し進んで覗き込む。

 

「あ、柵がある。でもその奥、開けてる。広場っぽい」

「おー、じゃあそこで一休みするか!」

 

進もうとするシューちゃんの腕を、両手剣の男ががっしりと掴んだ。

 

「待てよ。危険って書いてあんじゃん。しかも柵あんだろ。何でわざわざ進むんだよ」

「ちょっと休憩するくらいいいだろ」

「そーっすよ、ゴロちゃん先輩慎重すぎ」

「お前らが危機感なさすぎなんだよ!」

「まあまあまあまあ」

 

シューちゃんは、ゴロちゃんと呼ばれた両手剣の男の肩に手を置いた。

 

「日が落ちてからずっと歩いているし、お前らもさっき頑張ったじゃん? さすがに休憩させたいリーダー心ってのがあんのよ」

「気遣いはありがてーけど、危険って書かれた場所に行くのは」

「だーいじょーぶ、だいじょーぶ! チョロッと様子見するだけだから」

「その大丈夫の根拠が知りてーよ」

「先輩、柵越えたけど全然大丈夫っすよ!  早く早く!」

 

二人のやり取りを無視して先に行ってしまった少年の声が道の奥から聞こえた。

ゴロちゃんなる男は、目元にはっきりと苦渋の表情を刻む。

 

「あのバカ」

「ほらほら、アイツだけ行かせる訳にもいかねーだろ。行こうぜ」

「しょうがねーなあ」

 

どうにも嫌な予感がしてならないゴロちゃんだが、イッシー少年を放っておくこともできず、シューちゃんに続いて歩き出す。

そうして柵の目の前までやってきた。

柵自体は足で跨げる高さではあったが、慎重派のゴロちゃんは柵に書かれていた警告文を見逃さない。

 

「おい」

「ん?」

「この柵、ここを越えたら死ぬって書いてあんだけど」

「イッシー越えたけど、ピンピンしてっぞ」

「いや、あのな」

「心配すんなって! 俺たち三人揃って頑張れば大抵のことは何となるから!」

「それが余計に不安を煽ってんの、わかってんのか?」

 

シューちゃん吸血鬼が柵を跨いで先に進んでしまい、ゴロちゃん吸血鬼は嘆きのため息をこぼしながら柵を跨いで彼の後に続く。

そして三人は、広場と呼んでも差し支えのない開けた場所にたどり着いた。

 

「休憩するには十分の広さだな」

「あっ、どうせならここで一晩過ごします?」

「まあ待て。まずは安全の確認だ」

 

言ってシューちゃんは広場の中心部へ歩き始め、二人も続いた時だった。

三人はほぼ同時に、極めてマズい地雷を踏み抜いたことに気付く。

ゴロちゃんは天を仰ぎ、痛みをこらえるように目を固く閉じた。

 

「なあ」

「なんだよ」

「今、頭ん中にさ『堕鬼(ロスト)が血を求めて乱入してきた』って赤い文字が浮かんだんだけど」

「へー、俺もだぜ」

「オレもオレも!」

 

三人は顔を見合わせ、そして今来た道を見た。

地面から火の粉の様な光が次々と湧き上がり、それは急速に人の形、否、元は人であったであろう異形の形とっていくではないか。

それは、血に飢え暴走した吸血鬼の成れの果て、堕鬼だった。

 

「あーあーあーあー、そういうことかよ、ちくしょうがっ!」

「何だよ! だったら具体的にそう書いとけよ! 思わせぶりにしやがって、バカじゃねーの!」

「断言してもいいし賭けてもいい。お前らバカだから、それでも絶っ対! 先に進んでた! だってバカだからなっ!」

「バカって何度も言うな!」

「そーっすよ! バカって言う方がバカなんすからね!」

 

三人が言い争っている間にも、堕鬼は続々と増えていく。

シューちゃんはそれ睨む様に見据え、片手剣を構えた。

 

「しゃーねー! ここは三人で乗り切るぞ!」

「おう!」

「生き残ったらお前ら、反省会だからな!」

 

二人もそれぞれの武器を構え、堕鬼の群れと対峙する。

先ほどの登攀で腕と手、指先の疲れは残っているが、この状況でそれを嘆くことはできない。

全力で戦わなくては灰と化して散るか、自我喪失の末に堕鬼になる運命は避けられないのだ。

 

「生きるぞ。絶対に三人で血涙の泉を見つけるんだ!」

 

シューちゃんの叫びが合図となり、三人の若く愚かな吸血鬼の死闘が始まったのだった。

そして、その戦いを察知した存在がいた。

彼らが戦うその場所から直線距離にして五キロほどの場所に、小さな集落があった。

大崩壊の影響でほとんどの家屋は倒壊していたが、最近建てたと思しき小屋があり、そこに一人の吸血鬼と一匹の白いメスの犬が暮らしていた。

今は高いびきをかいて眠っている主人が与えてくれた寝床は、彼女のお気に入りの場所の一つである。

そこで平和な眠りについていた彼女だが、彼女の鋭敏な聴覚と嗅覚は、この山で戦いが起こっていることを報せた。

彼女は顔を上げ首をめぐらす。

その視線は正しく、三人の吸血鬼たちが戦う戦場へ向けられていた。

しばしそちらを見つめていた彼女だが、やがて大きなあくびを一つすると、再び寝床に丸くなって眠ってしまったのだった。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=68614
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