銀嶺が青むまで   作:小栗チカ

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鷹の山別れ 1

ガタン!

電車が大きく揺れて目が覚めた。

あ、少し眠っちゃったか。

見れば、電車が駅から発車したところだった。

目を凝らし駅を素早く確認する。

次で降りる駅だ、寝過ごさなくて良かったあ。

私は胸をなでおろし、参考書をバックにしまうと西日に染る車内を見渡した。

この電車は、山と川の間をぬい高原を走る観光列車であり、この地域に住む人々の足でもある。

スマホを見ているスーツを着たおじさんや、居眠りをしている買い物帰りとおぼしき女性、大きな荷物を持つ観光客も結構いた。

大きなザックを足元に置き、賑やかに談笑する海外のグループ客に、車窓からの風景を写真に撮ろうとするオシャレな女性客たち。

いいなあ、平日に旅行なんて羨ましい。

あの人たちの目には、この景色がどう見えているんだろう。

きっと私とは違う見え方をしているんだろうな。

電車は川を横断し、位置を変えて川と並走しながら走り続ける。

私はこの後のことに意識を向けた。

 

今晩は外食だ。

お母さんが、十数年ぶりの同窓会で実家へ戻ったから。

下の弟は、外食できることをとても喜んでいた。

お母さんの作る料理は美味しいけど、家とは別の場所で食べる料理はまた別の美味しさがある。

そういえば、食べたいもの考えていなかった。

お父さんは考えておけよって言っていたけど、私は特にこだわりはない。

……ファミレスでいいんじゃないかな。

前菜、スープ、魚、肉、デザート、ドリンクバー。

お手ごろ価格で一通り揃ったファミレスは最強ですよ。

そんなことを考えていたら、電車は家のあるいつもの駅についた。

電車は私と少しの人を下ろし、再びゆっくりと次の駅へと走り出す。

それを見送ることはせず、私は改札へと向かった。

 

私の住んでいる所はぶっちゃけ田舎で、山と畑と牧場、温泉と天文台はあっても高校はなく、私は高校のある市街地へ電車とバスで通学している。

無人の改札を抜けて閑散とした構内を出ると、いつもの国道がお出迎え。

連なる山々と、収穫を終えた野菜畑を眺めながらいつもの道を歩いた。

山の向こうへ太陽が沈み始め、周囲は濃いオレンジ色の光に染まっている。

全てが黄金に変わったかのような錯覚は、冷たい風が吹いたことで呆気なく覚めた。

まだ雪が降る季節ではないけど、山は紅葉のシーズンを迎える頃で朝晩はだいぶ冷え込むようになってきた。

ネットやテレビのニュースでは、都会は暑い日々が続いているそうだが、ちょっと想像が難しい。

指先がだいぶ冷たくなってきて、手の甲を覆うように上着の袖を伸ばしていると、前方から軽快なエンジン音とともに軽トラがやってきた。

運転手が窓から身を乗り出す。

 

「おーい寧々ちゃん、お帰りー」

 

帽子を目深に被った、近所に住むおじいさんだった。

 

「ただいまでーす」

 

私も笑顔で答えると、車は減速し私の近くで止まった。

国道とは言うが、こんな田舎を走る車はあまりない。

おじいさんが手招きしたので、怪訝に思いつつも車に近づく。

どうしたのかな?

疑問がそのまま顔に出たのか、おじいさんは帽子の奥で表情を曇らせて言った。

 

「寧々ちゃん、聞いたか? この辺りにシカか何かが徘徊しているって」

「シカか何か?」

「ああ」

 

おじいさんは頷く。

 

「詳しいことはわからんが、人じゃないでかい影を見かけたって藤森さんとこの婆さんと奥さんが言っててな。そしたら他にも見かけたって人が出てきて、暗くなる前に見つけようと役場と猟友会の連中が探している。俺もこれから見回りに行くところだ」

 

厳しい冬に備えて、食べ物を漁りに動物たちが山から出てきたのだろうか。

有害獣として駆除対象になっているのは、ご存知シカとイノシシで、最近はサルとハクビシンが仲間に加わった。

果樹園で、許可もなくお金も払わず、時間無制限で食べ放題をするからだ。

やられた側は死活問題なので、徹底抗戦やむなしというスタンス。

ここでの自然は、人の管理下におけるような存在ではなかった。

常に向き合い、観察し、情報を集め、生存をかけて知恵を絞って戦う存在だった。

 

「寧々ちゃんも見かけたらお父さんでも誰でもいい。すぐに知らせるんだぞ」

「はーい。教えてくれてありがとうございます」

「じゃ、気をつけてな」

 

おじいさんは軽く手を上げると、車をスタートさせて行ってしまった。

私はそれを見送り、歩道へ戻ると誰もいなくなった風景の中を再び歩きだす。

おじいさん一家は、自分たちの作った美味しい野菜をお裾分けしてくれる。

お孫さんたちは県外の大学へと行ってしまったけど、夏休み期間中は手伝いに来てくれたと嬉しそうに言っていた。

ふと、最近ちょくちょく考えていることが頭の中で浮上する。

私、高校卒業して大学に受かったらどうなるんだろう。

でもまずは受験に合格しなきゃね、でも都内での生活なんて全然実感わかないね。

そんなことを友達と話すことはあっても、具体的なことは何一つとして考えていない。

今は目の前の勉強をこなし、勉強の合間に友達と遊んだり、気晴らしに二週に一回、足を少し延ばして下の弟とデイキャンプ、そんな毎日を繰り返している。

芽吹く淡い色の自然が眩い春、強い日差しと清々しい風が吹き抜ける観光客で賑わう夏、連なる山々が赤に黄色に染る秋、全てのものが色をなくして凍えるような冬。

ずっとこの景色の中で生きてきて、これから先もそうなんだろうと思っていた。

中学を卒業するまでは。

高校に入学し、家とその周辺でほぼ完結していた世界がちょっとだけ広がったことで、不思議な予感が生まれたのだ。

私は、一度はここを出ていくのだろうと。

大学なり専門学校は県外の学校で、私は家を出て新しい景色の中で生活をすることになるのだと、そんな根拠のない自信みたいなものがあった。

後はそう、家と住んでいるこの土地がほんの少し窮屈に感じて、広い世界に出てみたい。

田舎娘の都会への憧れと言われてしまえばそれまでの、そんなあやふやでミーハーな希望が、根拠のない自信を後押ししているような気もした。

 

家々が固まって建っている集落が見えてきた。

その中でも比較的新しい私の家も見えたけど、違和感を覚える。

そろそろ家の電気をつけても良い時間なのに電気がついていない。

もう学校から戻っているはずの弟たちも、非番のはずのお父さんもいないのだろうか。

外に出たとか?

そういえば、さっきおじいさん、大きな影を探してるって言ってた。

三人も探しているのだろうか。

スマホを取り出し、思い直してしまう。

まずは家に戻ろう。

お父さんはグースカ昼寝、弟たちは宿題そっちのけでゲームをやっているだけかもしれない。

そうして歩き続けて家まで後わずか。

家の電気はやっぱりついておらず、駐車スペースにお父さんの車はなかった。

やっぱり出かけているのかな。

ガーデンライトが灯る庭を抜けて扉に手をかけると、扉はいつもの手応えと共にあっけなく開いた。

あれ? 誰かいるのかな。

 

「ただいまー」

 

薄暗い玄関に向かって呼びかける。

 

「お帰りー」

「えっ」

 

思わず声をあげた。

台所から聞こえてきた声は、今日ここにはいないはずの人の声だった。

 

「……お母さん?」

 

靴を脱ぎスリッパを履いて台所へと向かうと、西日の指す台所にお母さんの姿があった。

回る換気扇、お湯が沸いているのだろう湯気が立つ鍋、作業台にはいくつかの調味料と計量カップ。

えっ?

立ち尽くす私に、お母さんは作業の手を止めてこちらを向く。

逆光で、顔がよく見えない。

 

「お帰り寧々。どうしたの?」

「だってお母さん、今日、実家に戻るって言ってたから」

「え? 何で戻らなきゃなんないの?」

 

同窓会で久しぶりに故郷の友達と直で会ってくるって言ってたじゃん。

そう言おうとしたが、お母さんは肩をすくめた。

 

「変なこと言ってないで、荷物置いて着替えておいで。夕飯作るの手伝ってよ」

「……うん」

 

うなずいたものの、私は身動きが取れずにいた。

あれー……、私、思い違いでもしていたのかな。

でも、昨日の夜も今朝も、その話していた。

うん、間違いない。

しかし、お母さんはここにいる。

 

「寧々」

「うん、わかってるって」

 

なーんか腑に落ちないけど仕方ない。

手伝いしながら色々確認をしよう。

台所から離れようとして、何気なく振りむきたずねた。

 

「今日の夕飯、何?」

「あんたの好きなものだよ」

「私の?」

 

私は笑う。

 

「もしかして、おはぎとか?」

 

冗談めかして言うと、お母さんも笑った。

 

「何言ってんの。人の血よ」

「は?」

 

思わせぶりな口調に、反射的に声をあげた。

何の冗談。

お母さんなりに、様子がおかしい私に気を遣っているのだろうか。

だからわかりやすく苦笑いを浮かべた。

 

「何それ。ああ、トマトソース系のご飯ってことね。はいはい」

 

確かに好きですけどね、トマト、イタリアン。

私は今度こそ台所から離れようとした時、大きな打撃音が響いた。

思わず身をすくめ、その音のした方を見る。

お母さんが、作業台に拳を握っていた。

な、何?

え、お母さんがやったの?

そのお母さんと言えば、私の方を向いて笑っていた。

顔、逆光で見えないのに、なぜか笑っていると感じた。

 

「お母さん?」

「寧々、あんたが今食べたいものは何?」

「え」

 

今食べたいもの?

今私が食べたいものは──。

 

「人の血でしょ?」

「違うよ」

 

私が答える前にお母さんが先回りして言うが、私も負けじと即否定した。

頭の片隅で、赤いランプが灯るのを感じる。

 

「人の血って何それ、意味わかんない」

 

私は身構えながら言葉を続けた。

 

「何であんな金臭くて生臭いものが、私の好きなものになるわけ?」

 

数多あるはずの選択肢の中で、何故それなのか。

血といえば月一の憂鬱で面倒なイベントの印象もあり、好きになる理由が何一つ、どこにもない。

すると、お母さんが再び拳を振り上げ、そして作業台に叩きつけた。

その音に恐怖を覚えながら、私はお母さんを見つめる。

 

「お、お母、さん」

 

え、何? そんなにキレること?

おかしい。

おかしいよ、なんなのこれ。

この目の前にいる人、本当にお母さんなの?!

混乱する私に構わず、お母さんは強い口調で言った。

 

「子どもじゃないんだから、我がまま言わないの! あんたが食べたいものは人の血でしょ!」

「違う! 私はそんなものいらない!」

 

頭の片隅でさらに輝きを増す赤いランプ。

私は無意識のうちに口を開いた。

 

「あ、あなたは、あなたは誰?」

「あんた何を言って──」

「あなた、私のお母さんじゃない!」

 

声を荒げるお母さんの形をした何かに、私は語気を強めて言い返した。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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