銀嶺が青むまで   作:小栗チカ

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鷹の山別れ 2

そうだよ、これはお母さんじゃない。

心配症で、お節介で、口うるさいお母さん。

あまりの口うるささに、正直げんなりすることもあったし、進路の件では言い争いになることもあった。

でも、こんなに声を荒げて物にあたり、自分の主張を押し付けてくるような人じゃない。

私の意見を、まずはちゃんと聞いてくれる人だった。

 

「寧々」

 

お母さんの形をしたものが、小さな子どもに言い聞かせるような、忍耐を感じさせる声音で私を呼ぶ。

 

「いい? 私たちが共に喰らいあうことは世界の再生、いえ、新たな世界を作りだすための始まりに過ぎない。これで終わりじゃないの。ここから始まるのよ」

 

……何言ってるの? この人。

お母さんの形をしたものが語る単語の意味はわかる。

でも、言葉として連なると全くもって理解ができなかった。

そして確信する。

これ、絶対にお母さんじゃない。

じゃあ、これは何?

頭がクラクラした。

私が混乱している間にも、お母さんの形をしたものは語り続けるが、私の中の色んなものがそれを拒絶する。

お母さんの形と声で、こんな話は聞きたくなかった。

でも我慢した。

お母さんがそうであるように、話を一応聞いて、その後で私の意志をちゃんと伝えようと思ったからだ。

 

「ちぎれて散らばったあらゆる生物を喰らい、飲み込み、一つとなって、私たちは新世界の礎となる。これはこの星の、荒ぶる自然、神々の意志なのよ、寧々」

 

台所にさす太陽の光の量は乏しくなり、周囲は徐々に闇に包まれようとしている。

それを背景に、お母さんの形をしたものは両腕を広げた。

私を招くように、迎え入れるように。

 

「人の血肉を喰らって生きることが、これから生きるあなたに与えらえた、とても大切な役割、存在意義なの。ね、良い子だからわかってちょうだい。そして言うことを聞いて」

 

それのあまりの突飛な言葉の数々とは裏腹に、その優しげな口調と態度が怖かった。

暖かな包容力のようなものの向こうに、私の全てを容赦なく飲み込み、押し潰し、同化しようとする気配を感じたから。

グレートマザー、地母神的なあれやそれ。

おぞましかった。

気色悪かった。

でも私は、最大の勇気を振り絞ってお母さんもどきを見据えた。

 

「そう。なら今、私が食べたいものを言うね」

 

そして私は用意した言葉を口にする。

 

「私が食べたいものはね、お母さんの料理だよ」

 

相手の雰囲気が瞬時に不穏なものに変わった。

だけど、怯まずに思いを言葉にし続ける。

 

「冷食でも、お惣菜でも、レトルトでもいい。インスタントラーメンでもいいよ。仕事で疲れている時に簡単に作れて、十分すぎるほど美味しいし!」

「寧々」

「お母さん、料理作るの好きで得意だったから、それでも頑張って作ってくれましたけどねっ! それと私は、お母さんの料理を家族みんなで食べたい。自由気ままなソロ飯も好きだよ。でも、あんたの言う新世界とやらを作るには、最初から最後まで延々とぼっちで共食いしなきゃならないんでしょ。そんなのは嫌。お断りだよ!」

 

言って、私はとっさに壁に手を伸ばした。

指先に台所の電気スイッチの感触。

お母さんもどきの正体を暴いてやろうと、躊躇いなくスイッチを押した。

プラスチックを弾くような音と共につくはずの蛍光灯は、完全に沈黙している。

え、嘘、何で!?

何度もスイッチを押すが電気はつかない。

その間にも、それは目を赤く光らせ、獰猛で禍々しい空気を発しながら距離をつめてきた。

 

「寧々、あんたがそんなに聞き分けの悪い子だとは思わなかった。どうやら厳しくしつけ直す必要がありそうね」

「嫌! こっちこないでっ!!」

 

私は肩にかけていたバックを、力任せにそれに向かってぶん投げた。

それに当たって、外ポケットに入っていたスマホや小物がバラバラと音を立てて落ち、続いて鞄も床に落ちる。

相手が少し怯んだその隙に逃げようと思って身を引いたけど、予想だにしなかった障害物に阻まれた。

開けっぱなしだったはずの台所の扉が閉まっている。

押しても引いてもびくともしない。

ため込んでいた恐怖が、ついに堰を切って口からあふれ出た。

 

「やだ、やだやだやだっ! 何で!?」

「寧々、大人しくなさい」

 

言ってそれは私に向かって手を伸ばす。

私は手前にあった椅子をそれに向かって勢いよく押し付け、再び相手が怯んだ隙に閉ざされたドアを必死で叩いて叫んだ。

 

「誰か開けて! 誰か! 助けて! お父さん! 助けてお父さん!!」

 

椅子を振り払い、それの手が私の腕をつかもうとした時だった。

 

「寧々、そこから離れろ!」

 

その声に反射的に私は扉から離れ、足がもつれてつまずいた瞬間、家が震えるような大きな破裂音が二発鳴り響き、固く閉ざされていた扉が蹴破られた。

そして、お父さんが現れた。

お父さんはお母さんの形をしたものを、手にした細長い塊で容赦なく殴りつける。

たまらず仰け反り倒れるそれは、血よりも鮮やかな赤い目を薄闇に輝かせ叫んだ。

 

「き、貴様ら、何故ここに!」

「寧々、耳を塞げ」

 

お父さんはそれの頭に鉄の先を押し当てながら言った。

 

「今すぐ失せろ」

 

耳を塞ぎながら聞いたその声は、地鳴りのように不穏で低く、薄闇に見えるその眼光は凄まじい怒りと殺意に満ちていた。

間髪入れず、鉄の塊を中心に恐怖を煽る轟音が炸裂した。

しかし私は見た。

それは頭を吹き飛ばされながらも、黒い影となってお父さんの横をすり抜け、台所から逃げ出すのを──。

お父さんは廊下に向かって叫んだ。

 

「至! 望! そっちに行ったぞ!」

「ああ! さっさと出てけよ、このクソがっ!」

 

廊下で至が応じ、何かを叩く音と共にバタバタと駆け出す音が聞こえた。

程なくして玄関のドアが開く音がして、

 

「みんなこっち! こっちだよ!」

 

誰かを呼ぶ望の声がした。

 

「いたぞっ!」

「ハッハー! きちょタン見っけたあっ!!」

「手間ぁかけさせやがって、殺せっ!」

「ぶっ殺せ!!」

「確実に仕留めろ!」

「イナゴと一緒に煮込んで佃煮にして食ってやるわ!」

 

役場と猟友会の人と思しき男の人たちの怒声が聞こえ、物々しい足音とともに家の庭を通り過ぎていった様だった。

……あれ、本当に役場と猟友会の人たちなのかな。

見たことないけど、未開の土地で元気いっぱいに狩猟生活を送る部族の人たちぽかったな。

私はへたりこんだまま、ぼんやりとそんなことを考えていたが、パチンという音ともに台所は白い光に照らされた。

我に返り、眩しさに目を細めながら音のした方を見れば、お父さんが大きな銃──鉄の塊の正体──を片手にこちらを見たところだった。

その表情は、薄闇の中で見た凄まじい怒りは微塵もなく、私を心配し気遣うものだった。

……お父さんだ。

本当にお父さんだ。

もう大丈夫なんだ。

ぐしゃりと、私の中で何かが崩れて、目から涙が溢れた。

 

「寧々、大丈夫か?」

 

銃を近くの壁に立てかけ耳栓を外し、私に目線を合わせるように腰を落とすお父さん。

聞きたいことはあった。

今までどこに行っていたのか。

その銃はなんなのか。

アレは一体なんなのか。

でも、私は構わず腕を伸ばした。

 

「お、おどおざあああん」

 

同じように腕を伸ばすお父さんに私は這うようにしてすがりつき、子どもの頃のように泣いた。

今も子どもだけど、それこそ小学校に上がる前の本当に小さな子どもに戻ったような、そんな不思議な気持ちだった。

 

「ああ、もう大丈夫だ」

 

私を抱きとめたお父さんは、やっぱり小さな子どもをあやすように肩をしっかり抱き、落ち着かせようと背中を軽く叩いてくれた。

 

「ねいちゃん」

 

お父さんの肩の向こう、涙で霞む台所の出入り口で望が心配そうに、至もその隣で何とも言えない複雑な表情で私を見ていた。

しばらく泣いて、少しだけ心が落ち着いてきたせいか、グシャグシャに泣いている姿を見られるのが恥ずかしかった。

もう、何なの、これ。

ついさっきまでは普通のいつもの夕方だったのに、あのお母さんもどきめ!

また涙があふれてお父さん肩に顔を押し付ける。

お父さんは黙って私の背中を優しく叩き続けてくれた。

そうして泣き続けて、涙と鼻水ダラダラで顔がばっちくなった頃、至がこちらにやってきた。

私に向けてティッシュの箱を突き出す。

 

「使えよ。顔が酷すぎる」

「至、その言い方はなんだ」

「事実だろ」

 

お父さんは咎めるが、至はぶっきらぼうに言い返してティッシュの箱を私に押し付けた。

嬉しかった。

この一年ほど、ずっと素っ気なくて冷たい態度をとっている弟が、ぶっきらぼうでも優しくしてくれたことが嬉しかった。

私は腕を動かしてそれを受け取る。

 

「ありがと」

「いいからさっさと拭きなよ」

「うん」

 

私はお父さんから体を離し、ティッシュで顔を拭いた。

泣いてだいぶ落ち着いたけど、運動した後のようにすごく疲れた。

ああ、本当に最低。

 

「寧々」

「……ありがとう。もう大丈夫」

「そうか、立てるか?」

「うん、多分」

 

お父さんの手を借りて立ち上がった。

体は重かったけど立ち上がることはでき、お父さんは安心した表情で頷いた。

そして、私たちは廊下へ移動した。

念の為警察に見てもらうからと、家の状態を今のままにしておく必要があるとのことだった。

お父さんがスマホで職場に電話をしている間、至はスマホでお母さんに連絡をし、望は階段に座る私の隣に腰をおろすと声をかけてきた。

 

「ねいちゃん、平気か?」

「うん、ありがとう。もう平気。のぞむんは平気? 怪我とかしてない?」

「うん。でもお腹空いた」

 

その言葉に先程の恐怖を覚えたが、私は努めて明るくたずねた。

 

「のぞむんは、今何を食べたいの?」

「お寿司! ステーキ!」

 

明快にして即答。

ペカーっと顔を輝かせて言う弟に、私は呆気にとられ、そして自然と笑顔になった。

 

「そっか、いいね」

「お前、いっつもそれな」

 

スマホから顔を上げ、横から口を挟む至に望は唇を尖らせた。

 

「何だよ。じゃあ、いたるんは何食べたいの?」

「いたるん言うな。俺は焼肉かな。ジンギスカンとか」

「ジンギスカーン? 全身臭くなるからヤダ」

「この後どこにも行かないんだからいいだろ」

「そーだけど、臭くなるのヤダ」

 

意見を交わし合う弟たちを私は見つめる。

ああ、平和ないつもの風景だ。

私は心からホッとした。

そして、電話を終えたお父さんがこちらにやってきた。

 

「至、母さんへの連絡は済ませたか」

「うん。心配してこっちに戻るとか言い出したけど、大丈夫だからって止めた」

「そうか。後で父さんからも連絡しとくよ。それと警察来るの、一時間以上かかるそうだから、その間に夕飯を食ってこよう」

 

お父さんが言うと、望が立ち上がって詰め寄った。

 

「お父さんお父さん、俺、お寿司かステーキが食べたい!」

「あ! 焼肉かジンギスカンが良いって言ったろ」

「それ、いたるんが食べたいのだろ」

 

お父さんは呆れたように弟たちを見た。

 

「お前たち、お姉ちゃんの意見は聞いたのか。寧々は何を食いたいんだ?」

 

その問いかけに私は少しだけ間を置き、そして小さく笑って答えた。

 

「おはぎ、じゃなくて、イタリアンなら何でも」

「わかった。じゃあファミレスな」

 

すると弟二人が揃って露骨に不満げな表情をした。

 

「えー、またいつものとこー?」

「ワンパターンすぎんだろ」

「ステーキも焼肉もイタリアンある。みんなの希望が叶うぞ、良かったな。ほら、さっさと支度して来い」

 

弟たちはブーブー言いながら、それでも階段を駆け上がっていく。

私は立ち上がった。

 

「お父さん」

「先に外で待ってな。父さんは母さんと役場へ連絡済ませてから行くから」

「わかった」

 

私は頷き、玄関へ向かうと靴を履く。

いつものスマホやバックがないのは心許なかったけど、状況が状況だし仕方がない。

そして玄関のドアノブに手をかけた。

 

「寧々」

 

声をかけられ振り向く。

お父さんはスマホを片手に持ったまま、私を見つめていた。

玄関の灯りに照らされたその立ち姿は、先程とは打って変わってどこか儚げだった。

思わず声を上げる。

 

「お父さん?」

「うん」

 

お父さんは少し考えた様子で視線を下げ、そして私を改めて見た。

仕事で日焼けした顔に浮かぶその表情は、いつもの静かで思慮深く穏やかなものだった。

 

「父さんたちはいつでも、お前と一緒にいるからな」

 

何の脈絡もないその言葉に、疑問と不安を覚えた。

でもこれ以上心配はかけたくなかったから、私は大きく頷き笑顔を向けた。

 

「うん、ありがとう」

 

言ってドアノブに手をかけ、ドアを押し開いた瞬間、冷たく凍りつくような風が家に吹き込んだ。

 

「わっぷ!」

 

思わず目を閉じ、次に目を開いた時、私の周囲が一変していた。

温もりをはぎ取り、切りつけるような凄まじい冷気。

吹き荒ぶ風は、岩の上に積もる雪を狂ったように吹き飛ばし続け、夜空を凍てつかせんばかりだ。

……あ、あれ? 何、ここ。

慌てて辺りを見たけど、そこに家の名残は微塵とない。

お父さんや弟たちどころか、人のいる気配すらない。

山々に囲まれた私の故郷は、冬になると氷点下を余裕で下回る厳しい寒さの土地だった。

でもここは故郷とは違い、人どころか生物の営みすらも排する、生や命からかけ離れた世界だと感じた。

何で私、どうしてこんな所にいるの?

混乱しみっともなく取り乱す私に、頭の片隅で何かがパチンと接続した。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
https://syosetu.org/?mode=kappo
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