銀嶺が青むまで   作:小栗チカ

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鷹の山別れ 3

自然と視線が上がる。

地吹雪の向こうに、世界で一番冷たく美しいオベリスクが垣間見えた。

それは、この地の真の支配者の象徴。

全ての存在を凍てつかせ、死に追いやる苛烈な冬将軍のおわす難攻不落の雪山だった。

そうだ。

ああ、ああそうでした。

私はバケモノと戦う兵士になっていて、ここは私の所属している部隊が、そのバケモノを押しとどめるべく総力を持って築いた極寒の地獄でした。

それを証明するかのように、身につけているのは極地用に特化した戦闘服。

背後を見れば当然家はなく、冷たい岩の洞窟を照らすのは、この濃い瘴気と極限の寒さにおいても未だ枯れずにいたヤドリギでした。

その輝きは、まるで先ほどまで見た家の明かりの名残のようで。

胸の内が絞られるように痛み、目が熱くなり視界が歪みます。

 

『お前はもう守られるだけの小娘じゃない。立て! 戦え! バカの一つ覚えのように泣くな、このヒヨっ子が!』

 

強く激を飛ばすロート隊長の声が頭の中で聞こえてきて、私はマスクを外し手袋で涙を拭いました。

そうだ、泣いちゃダメだ。

泣いている暇があるなら、すぐに戦場へ戻らないと。

そうだ、銃は?!

改めて周囲を見渡し、岩壁に立てかけてある銃を見つけました。

それは先程の夢? で父が使っていたものであり、私が部隊に入った時に支給され、私に馴染むよう改造を重ね続けている愛用のものでした。

マスクを身につけ、数歩歩いて銃を手にします。

見慣れた傷と凹み。

そして銃に詳しい同僚や先輩から教えて貰い、改造をした跡が残っています。

間違いなく私のものです。

間違いなく私の──。

 

…………私の?

 

頭に不意に湧いた疑問。

何でこの銃が、私のものってことになってるの?

何で私はこの場所を知っているの?

まるで何度も来たかのように。

こんな場所知らない。

ロート隊長って誰?

ていうか、私は兵士じゃないよ。

ただの田舎に住む高校生だよ。

急速に冷めていく自分の思考。

覚醒し浮上する感覚。

あ、これ夢だ。

瞬間、景色は急速に暗転し、私はゆっくりと目を開いた。

 

真っ白い天井に、煌々と光る蛍光灯。

腕に違和感があって見ようとして、赤い液体の入った点滴の袋が目に入った。

点滴の先は器具とチューブで繋がっていて、私の腕に届いている。

さらに見ると、両隣にもベッドがあって私と同じように眠っている人達がいた。

……何ここ、病院?

私、怪我か病気でもしたっけ?

頑張って考えようとするけど、全然頭が働かない。

そして体の訴えを私は聞く。

お腹空いた、喉乾いた。

身動ぎをすると、ヒールの靴音がして人がこちらにやってきた。

白衣を来た女の人。

オシャレな色付きの眼鏡をかけ、私よりも背が高く、でも私より細身だ。

 

「おはよう」

 

お医者さんと思しきその女性は、にこやかに声をかけてきた。

故郷の言葉ではない。

学校で散々習ったこの世界の共通語と呼んで差し支えのない言葉。

私は声を出そうとして、舌と喉の奥が乾燥している上に力が入らず、たまらず咳き込んでしまった。

 

「ああ、大丈夫よ。無理しないで」

 

分かっているからと言った風に彼女は頷いた。

 

「私の話す言葉はわかるかしら」

 

声を出そうと舌を動かし、唾を何度か飲み込んだけど、声を出すには至らず頷いた。

 

「そう。私はアウロラ・ヴァレンティーノ。ここは軍事医療施設で、私はここに勤める医者にして研究員です。貴方はある理由でここへ運び込まれたの」

 

ある理由?

何それ。

思ったが、彼女は平たい端末を操作しながら言葉を続ける。

 

「貴方の身元を簡単に確認をさせてね。貴方の名前は、ネネ・モリヤマ。年齢は十七歳。出身地は極東。それはわかるかしら」

 

頷くと、彼女は安心したように小さく笑った。

 

「基本的な記憶はちゃんとあるようね。良かったわ。体力が回復してから諸々話をさせてもらうから、今はゆっくり休んで」

「あ、あの」

 

彼女が立ち去ろうとするのを感じ、私はどうにか声を上げた。

 

「何かしら」

 

小首を傾げる彼女を観察する。

メガネの向こうの視線は冷静だけど、体は何となく強ばっている。

若いお医者さんのようだし、緊張しているのかな。

頭の中を共通語モードに切り替えながら、体の訴えを口にした。

 

「すみません、喉が、乾いたんですけど」

 

そう訴えると、彼女の目の光が鋭さを増し体に緊張がみなぎるのを感じた。

 

「……何を飲みたいのかしら」

 

変な質問だ。

反射的に思ったけど、私は正直に今飲みたいものを口にした。

 

「えっと、……ほうじ茶ラテをアイスで」

 

すると、彼女はあからさまに困惑した表情を浮かべた。

あ、正直すぎた?

 

「ほうじ茶ラテ」

「あ、すみません、お水でいいです」

「……水」

 

彼女は困惑の表情を崩さない。

え、私何かおかしいこと言ってる?

単語、間違えたのかな?

お互いに戸惑う中、不意に彼女は笑った。

お医者さんの笑顔ではない、彼女の素の笑顔を見たような気がした。

 

「あの」

「ごめんなさい、水でいいのね」

「はい」

 

笑顔で確認する彼女に私は頷く。

そして、平たい端末を操作しながら彼女は口を開いた。

 

「ほうじ茶ラテ、好きなの?」

「はい。今私の中で流行の飲み物です」

「そう」

「麦茶のアレンジも飲んでました。ラテとか蜂蜜とかレモンとか入れて」

「蜂蜜は栄養価が高くて良さそうね」

 

作った麦茶をアレンジして飲むのが私の夏の定番で、毎年弟たちの分も作って一緒に飲んでいた。

そして気付いた。

私の家族はどうしたのだろう。

是非ともたずねたかったけど、何だかとても疲れてしまって思わず目を閉じる。

彼女が頷く気配を感じた。

 

「やはり回復しきれていないようね。一通りの回診が済んだら持ってくるから、それまで待ってて」

 

そして今度こそ立ち去ろうとする彼女に、私は目を開きとっさに声をかけた。

 

「あ! あの、私の家族は、どこにいますか?」

 

私は気力を振り絞ってたずねる。

 

「父と母と、弟が二人いるんですけど」

 

彼女は物憂げに視線を下げた。

 

「そう。貴方はご家族のこともちゃんと覚えているのね」

 

彼女は再び私を見た。

メガネ越しのその視線は強く、私の喉元を凍りつかせ言葉を封じる。

 

「詳しい状況は体調が回復し、一通りの検査を終えてからお話します。今の段階で言えることは、貴方は死んで蘇ったということです」

「え」

「ごめんなさい。でも、後でちゃんと説明します。約束するわ」

 

その言葉と視線に、私は彼女からこれ以上何かを聞くのは無理だと悟った。

彼女は、後で話すと言ってくれた。

ならば、その言葉を信じよう。

それは彼女の都合もあるだろうが、私のことを考えてくれた上での判断だとも思ったからだ。

不安がないといえば嘘になる。

でも私は、彼女の視線とその表情に嘘がないことを感じ取り信じることにしたのだ。

 

「わかりました」

「ありがとう。それじゃあまた後で」

 

彼女は安心させるように笑って頷き、踵を返した。

そして部屋から出る直前、

 

「ごめんなさい」

 

そう一言残し、彼女は部屋を出ていった。

何故彼女は謝ったのか。

誰に、何に対して謝ったのか。

当然私に分かるはずもない。

ドアが閉まる音とともに、突然視界が開けた。

 

晴れた青空。

吹き付ける熱風。

私にとっては初めての街で、誰かにとっては馴染みの街。

そんなどうということのない都会の夏の空の下で、それは突然おこった。

地面がたわみ、躍動し、耳をつんざく轟音と共に突き出す大きな何か。

立っていられないほどの激しい揺れとともに、ビルの瓦礫とガラスが大量に降り注ぎ、先行して逃げていた人々と、お父さんとお母さんと望をあっという間に押し潰した。

咄嗟に手をかざし、飛び散る瓦礫やガラスの破片から顔を守る。

手を下ろし、私は立ち尽くした。

……あれっ、お父さん、お母さん、望。

呆然とその瓦礫を見つめる。

今ここで、お父さんたちがこの瓦礫に──。

 

「寧々!」

 

後ろを走っていた至が、叫んで私を突き飛ばした。

続いて何かが地面から吹き出し、その衝撃で私は吹き飛び、既に落ちていた瓦礫に激突した。

いた、る……。

頭と体を強く打ち、視界が暗転した。

…………。

地の底を何かが這うような音に目が覚めた。

その音に、揺れに、危険なものを感じ取ったからだ。

体と頭が痛い。

でも、起きなきゃ。

痛む体を押えて立ち上がり、周囲を見渡した。

建物が壊れ、地面はズタズタ、火事が起こっているのか建物のあちこちから黒い煙が上がっている。

過去のニュースの記事や動画で見た、大きな地震が起こった後のような、そんな無惨なものだった。

大きな地震が、起こったの?

私はそれに巻き込まれたの?

しかし奇妙なのは、地面から突き出す太く凶悪な棘が、何本も何本も生えていることだった。

おまけに光っている。

見れば、先程までいた場所にも棘が生えていた。

そうだ、至はどうしたのだろう。

無事だろうか。

私は数歩歩いて声を張り上げる。

 

「至、どこ? 返事して!」

 

新たに生えていた棘の近くを通った時、顔にビチャリと液体が落ちた。

続けてそれは雨のように落ち続け、口呼吸をしていたせいでそれが口に入ってしまった。

すぐに吐き出す。

だが、それの正体を知った。

血だ。

認識した瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。

続いて襲った不吉な予感に、呼吸が荒くなる。

しかし確認しなくてはならない。

ゆっくりと、私は首を動かし目線を空へと向けた。

棘の先に、人が刺さっていた。

見覚えのある容姿と服装。

それは重力に従い、刺さった部分から徐々にふたつに裂け始めると、私の目の前に落ちた。

肉と骨が潰れ足元に広がるそれは。

 

「至……」

 

私はそれに呼びかけた。

…………。

嘘、嘘、何? 何これ?

足元が深い沼にはまったかのように、どんどん沈み込んでいくような感覚。

現実感なんてとっくに消え失せている。

でも、頭の片隅で冷たく告げる声がした。

これは現実であり、確定した過去であると。

そして今まさに、お前に危機が迫っているのだと。

何かがこちらに近づいている足音が聞こえ、目線を向けて絶句した。

……な、何、あの生き物。

あんな生き物、この星に存在するの?

それは鬼のような顔と大きな尻尾を持つ二足歩行の、あえて言うなら犬っぽいそれが、瓦礫や人を喰らいながらこちらへとやってくる。

さらには、変な音を立てて飛ぶ一つ目の卵っぽいそれがワラワラとこちらに向かってきていた。

我が目を疑う光景だが、あれらはどこからどう見ても、人に対して危害を加える存在であることは明らかで──。

心臓が激しく鼓動を打ち、頭の中では警報が鳴り響く。

に、逃げなきゃ。

でも足が動かない。

色んなことが一気に目の前に降り注いで、頭も体も全く対処できない。

その時、別の方向から呼ぶ声が聞こえた。

見れば瓦礫の向こうに、消防士さんらしき人達が、私に向かって声を上げている。

母国語ではない、この地の共通語。

早くこっちに来いと言っている。

途端、涙があふれた。

 

自分が死ぬことよりも、家族の傍から離れたくなかった。

離れたら最後、もう二度と会えなくなる気がして怖かった。

そのままへたり込み、ただただ泣きたかった。

でも、体は生きようと私に行動を促す。

行かなきゃ。

私は涙を拭い、ギクシャクと足を動かし始めた。

生きて、安全な所へ逃げて、落ち着いたらまたここに来よう。

その時に思う存分泣けばいい。

みんな、必ず、必ず戻ってくるからね。

そして瓦礫を乗り越え、荒れ果てた道路に降り立った時、轟音と共に私は吹き飛ばされた。

体から立て続けに嫌な音が聞こえた。

地面に強く叩きつけられ、意識が急速に遠のく。

唐突に喉元に迫ったものを吐き出した。

体が熱い。

上手く呼吸ができない。

今度は、何が起こったの?

真っ赤に染った視界と薄れていく意識の向こうに、またしてもこの星に絶対にいないはずの生き物がいた。

黒くて四足で、髭を生やした厳ついおじさんの顔をした獣。

背に生える蜘蛛の巣のような翼は、赤く不吉に輝いている。

消防士さんたちが必死で人々を逃がそうとし、しかし、それが繰り出した右手の一撃で、彼らと瓦礫はあっさりに吹っ飛んだ。

それは悠然と消防士さんたちがいた辺りへ歩を進め、瓦礫から人を掘り出し貪り始めた。

……私もああなるのか。

視界はさらに赤く暗くなり、意識もつられて朧気になる。

私、死ぬんだ。

唐突に悟った。

このまま放っておいても、もう手遅れで。

ならばと、私は全ての力を手放す。

……死んだ後に食べられるといいな。

だって痛いの嫌だもん。

そして、私の世界は終わりを迎えた。

 

『貴方は死んで蘇ったということです』

 

不意に聞こえた言葉に、私は我に返った。

目の前に広がる白い天井を見つめる。

蘇ったって、何?

状況が理解できない。

これからどうなるのかもわからない。

検討もつかない。

さっきのお医者さんが謝った姿と声が、とても不吉なもののように思えた。

荒くなる呼吸を整えようとするが上手くいかない。

寒い、怖い。

目を閉じ、無慈悲に照らす光から逃げるように顔を手で覆う。

お父さん、お母さん、怖いよ。

私、どうなっちゃうの?

しかし、家族の誰もが私に応えてくれることはもう二度とない。

だってみんな、私の目の前で死んでしまったのだから。

自分一人、無限に続く暗闇に落ちていくような気がして、体を丸めて心細さと恐怖に耐えた。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=68614
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