銀嶺が青むまで   作:小栗チカ

17 / 42
木枯らしの吹く拠点
プロローグ


その家族は、よく見聞きする普通の家族だった。

広大な土地を持つ国の西にあり、周囲は風光明媚な山と湖に囲まれ、国内外から訪れる観光客によって成り立つ小さな町。

そんな町に、父と母と子、母方の両親が暮らしていた。

父は軍人、母は看護師で日々多忙で家を空ける時が多い。

そんな境遇を見かねた母方の両親が、孫の面倒を見ることで家族は形を保っていた。

そんな両親を見て育った子どもといえば、周囲の懸念をよそに父の明るさと母のしっかりとした性格、そして祖父母の面倒見の良さを受け継いだ子に育った。

 

「大丈夫! 妈妈(マーマ)のご飯より、老爷(ラオイェ)姥姥(ラオラオ)のご飯の方が美味しいもん」

 

食事に不自由がないか聞いた時、明るく元気に答えた子どもに、母が大きなショックと小さな屈辱を受けたエピソードは笑い話になっていたほどだ。

だが、両親の働きは無駄ではなかった。

このままの稼ぎを維持できれば、将来、子どもを首都や大都市の学校にも通わせられるし、望むなら海外への留学も叶うだろう。

あとは本人の努力次第だが、選択肢が増えたことで子どもの未来は明るく大きく開かれたのだ。

大人の誰しもがそう思っていた時、その開かれた未来から唐突にそれはやってきた。

後に『大崩壊』と呼ばれる地球規模の大災害である。

天を突くような巨大な審判の棘と、海を干上がらせる程の地殻の変動。

そして、あらゆるモノを喰らうバケモノの出現。

人の築き上げた文明は呆気なく崩壊し、人類を含めたあらゆる生物が存亡の危機に陥った。

大崩壊からしばらくは生き残った家族だが、道路は寸断、崩落し、山間の町は陸の孤島と化したことで地獄は始まる。

物流は途絶え、声を上げるも助けはなく、飢餓と寒さとバケモノによって住人は尽く蹂躙され一切の例外なく死に絶えた。

大崩壊後の世界ではよくある不幸な話。

こうして、この家族の話は幕を閉じる。

往生際の悪い一部の人類が、生き残るために禁断の業に手をつけなければ──。

 

月日は流れ、場所も変わる。

ここはヴェイン。

吸血鬼(レヴナント)とわずかな人間が住み、周囲は赤い霧に覆われた全てが乾いた土地。

女王討伐戦後に現れた赤い霧は、天候がいかに変わろうとも晴れることは決してなく、霧に触れればバケモノを含めたあらゆる存在に計り知れない痛みと恐怖を与えるという。

結果、霧の外にいるバケモノの侵入を阻むことは出来たが、霧の内側にいる存在は霧の外へ出ることはかなわなくなった。

その様に誰が呼んだか『赤い霧の牢獄』とも呼ばれるようになった。

 

この地の人口の大半を占める吸血鬼は、生存のために人の血を必要とした。

飢えが満たされず暴走したが最後、人の意識をなくした堕鬼(ロスト)となり、未来永劫、人にも吸血鬼にも仇なす存在と化す。

だが、女王討伐戦後に現れた『血涙の泉』と呼ばれる植物から採れる『血涙』が、人の血の代わりとして吸血鬼たちの乾きを癒し、その芽である『ヤドリギ』は吸血鬼の乾きを加速させる瘴気を浄化した。

しかし、この地を統治する臨時総督府による血涙の過剰な徴収と、稼働する吸血鬼と堕鬼の増加による瘴気は留まることを知らず、ついにはヤドリギと血涙の泉を枯らし始めた。

行動半径が狭まり、血涙の絶対数が減り続ける状態に陥ったこの地は、弱き者は無慈悲に淘汰される過酷な弱肉強食の理が支配する地となったのである。

 

そんなヴェインの東、市街地から離れた街道を、降り注ぐ太陽の光を浴びて走り続ける人影があった。

走る影は二つ。

子どもを背負う大人と、大きなザックを背負う子ども。

フードを目深に被り、瘴気を遮断するマスクをしているため顔は見えない。

審判の棘と、点在する瓦礫の合間を縫うようにして懸命に走るその姿は、捕食者から必死で逃れようとする草食動物を思わせた。

 

「妈妈、苦しい……!」

「ごめんねクゥシン、あと少しで休憩するからもうちょっと頑張って!」

 

滝のような汗を流し顎を上げて喘ぎながら走る子どもに対し、女はマスクの奥で息を切らしながら表情を歪めて応えた。

深夜から休憩を挟みつつ走り続けた二人の走るペースは、午後に入って明らかに落ちていた。

各地に点在するヤドリギは、瘴気を浄化するだけでなく吸血鬼たちの移動手段ともなっている。

しかし、彼女たちにはヤドリギを使えない理由があった。

 

「リアム、体調はどう? 変わりはない?」

 

女の呼び掛けに、背負われたリアムと呼ばれた少年は頷いた。

彼女たち同様、フードを被りマスクを身につけているが、そこから垣間見るその青い目は、はっきりと不安に恐怖に彩られている。

無理もない話だった。

共に居た母や仲間と離れてただ一人、女たちと共にここまで来た上に、自分たちのために懸命に走る彼女たちは、少年にとって脅威の存在でもあった。

今までいた場所から離れる際、女は言った。

 

『あなたが血を流さない限り、私とクゥシンはあなたに危害を加えない。だから、ケガだけはしないように気をつけて』

 

女たちは吸血鬼。

そして少年は人間だった。

 

■■■

 

女の名前はシーハンという。

半年以上前、血涙を求めて探索していたシーハンと仲間たちは、辛うじて形を残していた避難所で人間たちを発見した。

乾きと堕鬼になることへの恐怖に囚われていた仲間たちは、シーハンの反対をよそに避難所を乗っ取り人間たちを飼い始めたのである。

元は人間の看護師だった彼女は、人間の少年ウィリアムとその母、そして二人の男女たちの体調管理を担当することになった。

しかし、徐々に衰弱していく人間たちを見かねたシーハンは、人間たちと内密に相談しウィリアムだけを連れ、娘のクゥシンと共に今まさに脱走している最中であった。

行先は臨時総督府の治安維持部隊の詰所である。

しかし、仲間たちはそれを見逃すはずもない。

血涙が不足する現在、ウィリアムを含めた人間の血は極めて貴重な食料だった。

シーハンの離反に怒り、死に物狂いで追いかけてきているのは想像に固くない。

おまけに仲間たちは、ヤドリギを使って距離を瞬く間に縮めることができるが、人間を連れているシーハンたちはヤドリギを使えない。

己の足で、目的地に目指す他なかったのである。

しかし、吸血鬼の身をもってしても彼女達の体力はとっくに限界を超えていた。

それでも走る彼女達の目に、人目をしのげそうな瓦礫の山が写る。

シーハンは背後の娘に向かってとっさに叫んだ。

 

「クゥシン、あそこの瓦礫まで頑張って!」

 

呼ばれたクゥシンは、ヘロヘロと走りながらようようと頷く。

そうして三人は、元は店と思しき瓦礫の山にたどり着いた

幸い他に吸血鬼はいない。

影に隠れるようにして荷物を下ろし倒れ込む娘に、ウィリアムを下ろしたシーハンはザックから水筒を取り出した。

 

「本当によく頑張ったね、クゥシン。お疲れ様。ほら、汗拭いてこれ飲んで」

 

荒い息のまま顔を上げたクゥシンは、差し出されたタオルと水筒を受け取り、そのままの姿勢で汗を拭き始めた。

普段なら行儀が悪いと叱るところだが、今は大目に見ることにし、リアムにも水筒とスティック状の袋を渡す。

 

「はい、遅くなっちゃったけどお昼ご飯だよ。しっかり食べてね」

 

彼は頷いて恐る恐る受け取ると、マスクを外した。

そして、ポケットから手帳を取り出しページを開いてシーハンに見せる。

 

『ありがとう』

 

彼は心因性の失声症を患っていた。

大崩壊から女王討伐戦を経てのこの現状を思えば、その理由を多く語る必要はないだろう。

本来なら専門医に診てもらう案件だったが、仲間たちは下手に喋るより静かでいいじゃないかと笑って受け流した。

シーハンが離反を決意した理由の一つである。

彼女は笑って頷き、スティック状のレーションにかぶりつくウィリアムを観察する。

金色の髪に青い目、ソバカスを散らした典型的なアングロサクソン系の子ども。

長期間栄養状態の悪い中、血を吸われ続け軟禁生活を送っていたその姿は、不自然にむくみ、陽の光に下でそのまま溶けてしまうかのように儚げだった。

 

「ねーねーリアム、それ美味しい?」

 

クゥシンは起き上がりリアムに声をかけると、彼は一瞬戸惑ったが、その屈託のない元気な笑顔に目元を緩め小さく頷いた。

それを見て、クゥシンは満面の笑みを浮かべた。

 

「良かった! ご飯、いっぱい持ってきたからね。リアムは人間だもん。しっかり食べて元気だして、絶対に妈妈たち助けようね!」

 

再びリアムは頷き、クゥシンは嬉しそうに、でも照れくさそうに水を素早く飲む。

そんな二人の様子にシーハンは内心で安堵した。

表向きは、比較的良好な関係を築けているようで何よりだ。

クゥシンが言うように、人間は体調を維持するために一日数回の食事は欠かせない。

念の為にと三日分の食料をもってきたが、それはクゥシンが背負う荷物を増やすことに繋がっている。

吸血鬼となり身体機能が著しく上がったとはいえ、クゥシンの体格は子どものままだ。

その負荷は大きいはずだが、彼女は快く引き受けた。

それどころか積極的に関わり、はりきって手伝いをしている。

シーハンは、その理由を十分にわかっていた。

汗を拭きながら水を一口飲み、マスクをつけ直して顔を上げた時、シーハンは思わず目を見張った。

 

北東にある山岳地帯。

いつもは雲や霧のヴェールを被って姿を隠している山々が、陽光を浴びて姿を現していた。

その姿に、シーハンの記憶は揺さぶられ、記憶の山並みがオーバーラップする。

故郷から見えた花の名を持つその山は、常に冠雪し雲と霧をまとっていたが、たまに見せる山容は険しくも美しかった。

しかし、宗教上の理由に加え、登山自体の難しさと目まぐるしく変わる激しい気候が全ての登山者を退け、時に死に至らしめた人類未踏峰の山でもあった。

人の手垢がつくことなく、古くから信仰の対象となっていた気性の烈なる神の座。

その山によく似ていた。

身動ぎをしなくなった母の姿に、クゥシンは怪訝な表情を浮かべてその視線を追い、そして声を上げた。

 

「あ! リアム見て見て! 山だよ山!」

 

言われるがまま、リアムはクゥシンが指さした方を見た。

 

「いつも見えないのにね。あんなだったんだー。キレイだねー」

 

故郷の風景の記憶を欠損しているクゥシンは無邪気に声を上げて喜ぶが、その横にいるリアムは食い入るように山を見つめる。

似ていた。

自分の住んでいた場所からいつも見えていた、連なる峰という名を持つ国で最も高い山。

綺麗な湖と森の向こうに見える岩山は、夏は山登り、冬はスキーにと、家族で出かけた思い出の場所でもだった。

その思い出に、バケモノに食い殺された父と妹を思い出し、リアムは絞られるような胸の痛みを覚えてたまらず俯く。

 

「リアム、どうしたの?! どこか痛いの?!」

 

そんなリアムの姿に、クゥシンは慌てた様子で声をかけた。

リアムは、灰白色の髪以外はアジア系の女の子の顔を見つめる。

その表情は、心からリアムのことを気遣うものだった。

少なくとも彼にはそう見えた。

リアムは首を振り、手帳に文字を綴ると彼女に見せた。

 

「えっ、大丈夫なの? なら良かったあ」

 

安心し胸を撫で下ろしたクゥシンは、さらに文字を読み進める。

 

「えーと……へー、あの山、故郷の山に似てるんだ。すごい偶然だね」

 

言われてリアムは改めてその山を見たが、先程とは違い、少しばかり様子が似ているだけの明らかに違う山だった。

さっきはショックを受けるほど似ていると思ったのに。

その差を不思議に思ったが、文字を付け足しクゥシンに見せる。

 

「ん? 少しだけ? そっかー。でもちょっとでも似てるなんて、やっぱりすごい偶然だと思うな」

 

リアムの発言に二人のやり取りを見守っていたシーハンだったが、改めて山に視線を戻せば、リアム同様、故郷の山に少し似ているだけの山並みがそこにあった。

思わず拍子抜けしたが、かの山はさらにその姿を見せつけているように思えた。

腕を広げ、彼女たちを招くかのように、受け入れようとするかのように。

シーハンはこの時、危険な山に挑もうとする登山家や探検家たちの気持ちを少しだけ理解した。

魅せられた。

近づき触れたい。

その頂きにたどり着きたい。

神と同じ目線で世界を見てみたい。

その強い衝動に、体は前へ前へと動こうとする。

それは危険だと警鐘を鳴らす脳裏の声にシーハンはどうにか我に返ったが、その衝動は心に残ったままだった。

 

「あ、また隠れちゃった。キレイなのに恥ずかしがり屋さんなのかな」

 

娘の言葉どおり、山は雲の向こうへと瞬く間に姿を隠し山岳地帯はいつもの風景に戻っていた。

シーハンはそれを見届け、おもむろに口を開いた。

 

「あの山へ行ってみようか」

「えっ?!」

 

驚き一斉にこちらを見る子どもたちに、シーハンは思わず笑う。

それに構わずクゥシンは困惑した表情を浮かべてたずねた。

 

「妈妈、あの山に登るの?」

「さすがに登らないよ。どう考えても今の私たちには無理でしょ」

「だよねー」

 

ホッとした表情を見せる娘に、シーハンは言葉を続ける。

 

「でも、お膝元までなら行けそうよ。山の中なら追っ手の目から逃れやすいし、一晩過ごすくらいなら、今の私たちの装備でも何とかなる」

 

古今東西、山はその環境から人や社会の目から逃れやすく、様々な不都合を隠すために利用されてきた側面がある。

シーハンはそれを利用してやろうと思ったのだ。

 

「……うーん」

 

クゥシンは母の言葉に頷こうとして、リアムの様子に眉をひそめる。

彼の表情にははっきりと不安の色が浮かんでいた。

それは、彼自身の体調の不安もあろうが、それ以外の理由がその顔を曇らせていることをクゥシンは察した。

 

「急いで行かなくてリアムの妈妈たちは大丈夫なの? 酷いことされない?」

「それは間違いなく大丈夫。彼らがリアムたちを手にした理由は、その血が目当てだからね。これから先も頼りにしたい貴重な食料を、みすみす無くすようなことはしないよ」

 

シーハンは顔を引きしめ、安心させるように落ち着いた声音で子どもたちに語りかける。

 

「それにあそこを出る前にも言ったけど、彼女たちの望みはリアムを無事にサーベラスに届けることなの。それさえ出来れば、リアムと私たちの証言から、リアムの妈妈たちを助ける手筈を必ず整えてくれるから」

 

人を保護をしたい臨時総督府は、人の情報さえあればこの地の際から底まで手を伸ばし、決して逃すことはしないだろう。

悪名高き地獄の番犬(サーベラス)を使って──。

 

「だからこそ、私たちは彼らに捕まることなく無事でいる必要があるの。わかるわね」

「うん。……リアム」

 

クゥシンは頷きリアムを見た。

リアムは不安な表情を崩さぬままクゥシンを見、そしてシーハンを見た。

シーハンは腰を下ろし、リアムに目線を合わせた。

 

「直接的でないとはいえ、私たちも貴方たちに酷いことをした。私たちは所詮人の血を主食する吸血鬼で、不安に思って疑うのは当然よ。でもね、私たちは本当に貴方と貴方の妈妈たちを助けたいの。だから今だけはどうか信じてちょうだい」

 

シーハンの言葉と態度にリアムは逡巡した。

だが、シーハンの視線と表情、彼を心配そうに見つめるクゥシンの目に、嘘偽りのないことを感じた。

彼女たちは紛れもなく恐ろしい吸血鬼ではあるが、最初に出会った時から自分や母たちを気遣い、庇い、待遇を少しでも改善しようとしてくれた。

彼女たちの過去の行いを思い出し、信じる価値があると判断したウィリアムは、意を決して頷した。

途端、クゥシンの表情が花が鮮やかに咲くかのように輝いた。

 

「リアム、ありがとう! 私も妈妈も頑張るからね!」

「ええ」

 

娘の言葉にシーハンはしっかりと頷く。

この小さな体と不安な心で、精一杯勇気を持って信頼してくれたウィリアムの決断に、シーハンは胸の奥から喜びが湧き上がるのを感じた。

娘も同じことを感じただろう。

それは重たいものでもあったが、その重さが改めて決意を固める手助けにもなった。

娘のため、ウィリアムのため、自分を信頼し覚悟を決めて我が子を預けたウィリアムの母たちのため、絶対に目的地へたどり着くのだ。

 

「じゃあ行こうか。日が暮れる前にはたどり着きたいから、また頑張って走るよ」

「うん!」

 

二人を見つめながら言うと、クゥシンは元気よく返事をしウィリアムも続いて頷く。

シーハンは笑顔を浮かべ、毅然と立ち上がった。

日に照らされた乾いた大地はそんな三人を静かに見守り、一陣の風が山岳地帯に向けて吹き抜けていった。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=68614
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告