銀嶺が青むまで   作:小栗チカ

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シーハンさんが吸血鬼として目覚めたのは、女王討伐戦が始まって間もない頃でした。

それよりも少し先に、彼女の旦那さんが同じように目覚め、眠り続ける娘の為にと壮絶な戦いに臨みました。

結果、旦那さんは行方不明となり戦死扱い。

入れ替わるように娘のクゥシンさんが目覚めました。

戦いに不慣れな娘さんを守りながら、苦労して血涙を集めるシーハンさんに、討伐戦を生き抜いた吸血鬼たちが手を差し伸べ、彼女たちは仲間となりました。

吸血鬼たちの心にまだ余裕があった頃の、つかの間の平和な時のことです。

しかし、時間の経過とともに閉塞し、乾きを増していくこの地の無慈悲な在り方に、吸血鬼たちは追い詰められ疲弊していきました。

それは、シーハンさんたちも変わりません。

 

「私にはそれでも頑張れる支えがあった。あの子がいたからね」

 

そう言って、シーハンさんはダイニングに目を向けます。

視線の先には、食後の紅茶を飲み、茶トラさんやリアムさんと筆記で楽しそうにお話をするクゥシンさんがいました。

故郷のことや、自分がなぜ死んだのかすら忘れてしまったクゥシンさん。

それが良い方向に働き、生前の健康的な明るさと活発な性格を残すことができたのでしょう。

そんな娘さんがいたからこそ、荒んだ同族や凶悪な堕鬼を相手に、懸命に知恵と勇気を振り絞って生き抜くことができたのです。

 

「でも、仲間だった彼らはそうではなかった。討伐戦で記憶を散々無くして拠り所がなかった彼らは、先の見えない不安と乾きの恐怖にとらわれ始め、過酷な血税の徴収に疲弊していった。そんな時に、リアムたちを見つけた」

 

乾き、荒み、追い詰められた吸血鬼たちの目の前に、求めてやまない極上の食事が現れたのです。

シーハンさんが止める間もなく、彼らは人間たちに襲いかかり、その飢えと乾きを満たしたのでした。

そして保護区を抜け、捉えた人間たちを家畜にして生活を始めたのです。

生前は看護師、吸血鬼になってからは衛生兵として働いていたシーハンさんは、その行為に反対しましたが、聞き入れられませんでした。

 

「血涙を探さなくても、人を飼って生き血をすすれば乾きは癒される。彼らは苦しみから逃れるために人間性を捨て、獣になることでこの世界に適応する道を選んだんだ。そしてわかった。初めて会った時に手を差し伸べてくれた彼らは、もういないとね」

 

すると、ベティさんは皮肉げに小さく笑いました。

 

「ああ、お仲間さんの気持ち、ちょっとわかるよ。私もネーネに会った頃は、そんな獣になりかけていたからね。先の未来が見えないこの地で、人間性を持ったまま生きていくのは、辛いし苦しいししんどいから」

 

弱者から搾取して強者は生き残る。

そんな世界の理に適応するため、人間性を捨てて獣の道を選びとった彼らを、シーハンさんは強く咎めることはできませんでした。

しかし、それを目の当たりにしたクゥシンさんは、初めて見る人への吸血行為に大きなショックを受け、同時に激しく嫌悪しました。

年頃の娘さんにある潔癖性と、生前に培われた倫理観や正義感を持ち越していた彼女は、その行為を受け入れることが出来なかったのです。

そして、ウィリアムさんたちがろくな食事や生活環境を与えられず、いいように吸血されて衰弱していく姿にとても心を痛めていました。

 

「誰に似たんだか、娘も娘で気の強い所があって、止めるように彼らに食ってかかっていたんだよ。最初のうちは彼らも適当にあしらっていたけど、娘がそれでも食い下がるもんだから苛立ちが募っていたんだろうね」

 

そして、事件が起きました。

クゥシンさんの正論に苛立ちを募らせていた彼らは、シーハンさんが留守の間にクゥシンさんに人間の、ウィリアムさんの血を無理やり飲ませようとしたのです。

激しく抵抗するクゥシンさんでしたが、大人の男性の吸血鬼たちの力にはかないません。

さらに心臓に居座る寄生体の欲求に正気をなくし、ウィリアムさんの血を口にしようとしたその時、シーハンさんが戻って事なきを得たのでした。

 

「血涙を与えたことで娘は正気を取り戻したけど、泣きじゃくって言ったよ。自分が怖い、あんな風になるのは嫌だ、リアムたちに怖い思いをさせたくない、吸血鬼になんてなりたくなかったって」

 

シーハンさんは口を真一文字に結び、苦渋と後悔の表情を浮かべました。

しかし、耐えきれずに顔を手で覆います。

そんな彼女の肩に、ベティさんは労わるように手を置きました。

 

「ああ、酷い話だ。連中はきっと、自分たちと同じ思いをクゥシンにさせたかったんだろうね」

 

肩から手を離し、ベティさんは眉間に深いシワを刻みました。

 

「獣になり下がると精神年齢も若返るのかね。大人が子どもに八つ当たりなんてみっともない。ああ、本当にどうしようない話だよ」

 

ベティさんは怒りと呆れをこめて、大きくはっきりとため息をつきました。

そして私は、クゥシンさんがウィリアムさんと常に一定の距離をあけている理由を察しました。

自分の身の内に潜む抑えがたい衝動を知った彼女は、ウィリアムさんに恐怖や不安を与えないよう、万が一の時に危害を加えないよう配慮をしていたのです。

本当はもう少し近づいて仲良くしたい、お話したいと思っているでしょうに。

 

「シーハン」

「……すみません」

 

ベティさんに呼びかけられ、シーハンさんはゆっくりと顔を上げました。

 

「私は看護師だったから、リアムたちの面倒を率先して見ていたけど、環境が最悪な上に不安と恐怖によるストレスで精神状態が悪化していた。人間たちも限界だったところにこの件があって、私もいよいよヤバくなってきていた」

 

今すぐにでもクゥシンさんを連れて、ここを離れるべきことは分かっていました。

しかし、シーハンさんの生前の職業倫理が心にしっかりと根を張り、衰弱していく人間たちを見捨てることが出来なかったのです。

そして、人の心を持った頃に助けられ、人と獣との間で葛藤し懊悩する姿を知るが故に、仲間を見捨てることもまた出来なかったのです。

 

「そんな時だった。ハオランが、夫が私に言っていたことを思い出した」

 

ハオラン。

シーハンさんたち母娘の自己紹介とここまでの話を思い出し、ある閃きが脳裏に走りました。

まさか、シーハンさんの旦那さんって──。

私の様子に気付くことなく、シーハンさんの話は続きます。

吸血鬼として甦り、酷い事情を知らされ混乱するシーハンさんに、先に目覚めていた旦那さんは笑ってこう言ったそうです。

 

『大丈夫だよシーハン。世界が滅ぶだの、人類滅亡の危機だの、周りはずいぶんと大袈裟なことを言っているけど、俺たちのやるべきことは人間の時と変わらないんだ』

「俺たちは娘を守り、娘の未来を切り拓く。選択肢の幅を広げる。そのために俺たちは一生懸命働くんだ。君は看護師の仕事を、俺は軍人としての職務を全うする。な? 変わらないだろう? って」

 

亡き夫の願いを思い出したシーハンさんは、看護師としての職業倫理と仲間への情を苦渋の思いで捨て、娘さんの未来を守ることを選択しました。

 

「私は娘と逃げようとしたけど、娘はそれを拒否した。リアムたちを見捨ててはいけないって」

 

『リアムたちを見捨てたら私、ずっとずっと後悔する。マーマもきっと後悔する。逃げるならリアムたちも一緒だよ』

『マーマ、私はね、リアムたちを助けたいの!』

 

「あの子は、あんな目にあっても諦めていなかった。それどころか、その為なら何でもするからって助けてあげてって。あの子はリアムたちを助ける選択をした。娘が覚悟を決めて選んだ意志を無視して、逃げることはできなかった」

 

ここから皆で逃げるため、シーハンさんはウィリアムさんたちに協力をお願いすることにしました。

しかし、今までのお仲間の行いから、不信や怒りを通り越して、諦め自暴自棄になっていたウィリアムさんの母親とお仲間は聞く耳を持ちません。

ですが、シーハンさんたちも諦めずに説得を続けました。

その姿と、元々彼らの面倒を積極的見ていたシーハンさんや、吸血鬼らしからぬ素直さと明るさをもつクゥシンさんに、彼らは不信を貫くことも、憎み切ることも出来なかったのでしょう。

彼らはシーハンさんたちに協力をすることを承諾したのです。

綿密な脱出計画を立て、辛抱強く機会をうかがい、日付が変わった今日の深夜、お仲間の留守をつき、ウィリアムさんを連れて脱出をしたのでした。

 

「もう少し時間がかかるかと思っていたけど、こんなに早く状況が変わるなんて思っていなかった。夢みたいだよ」

 

話し終わり、疲れを滲ませて言うシーハンさんに、ベティさんは笑顔を浮かべました。

 

「この山に無事に来て、フランが見つけてくれたのが幸運だったね」

 

そして、シーハンさんの背中を軽く叩きました。

 

「あんたの娘は大したもんだよ。強くて優しい子じゃないか。生前に、そして今もあんたの頑張りを見てきたからこそ、あの子もそうあろうとしているんだ。あんたはよくやっている。本当にここまでよく頑張ったね」

 

ベティさんの言葉に、シーハンさんは顔を歪ませると、瞬く間に目から涙が溢れました。

私は取り急ぎ立ち上がると、タオルを持ってきて彼女に手渡しました。

すると、リアムさんと茶トラさんで遊んでいたクゥシンさんが、こちらを向きました。

 

「あれっ? マーマ、どうしたの?! 何で泣いてるの?!」

「大丈夫。ちょっと気が抜けちゃっただけだから」

 

慌てるクゥシンさんに、シーハンさんは顔を上げて宥めるように言いました。

 

「……そっか。何か私にできることある?」

「そうだね」

 

涙を拭き、シーハンさんは笑顔を浮かべました。

 

「あんたとリアムが元気でいてくれればいいよ」

「オッケー! わかった!」

 

クゥシンさんは笑って言い、再びウィリアムさんと茶トラさんとで遊び始めました。

と、ウィリアムさんがクゥシンさんに手帳を見せます。

 

「うん? あのマーマなら平気だよ。気遣ってくれてありがと。たまーにね、ああやってベソかくの。隠れているっぽいけどバレバレなんだよねー」

 

あっけらかんと語るクゥシンさんに、シーハンさんはショックで固まりました。

ベティさんが、同情と労りを込めてその肩に手を置きます。

 

「でも、泣いた後は元気になるから大丈夫だよ。いつものマーマに戻るための、おまじないみたいなものじゃないかな」

 

表面的にはドライな発言のように聞こえますが、そこには生前から今まで共に生活を送り、交流を積み重ねてきた信頼と愛情が感じられました。

ふいに、母と並んで台所に立っていた光景が脳裏に浮かびました。

一緒に料理を作っていた光景に、凍えた心が音を立てて軋んだような気がしました。

私はしばし目を閉じ、胸に迫る諸々の思いを落ち着かせると、シーハンさんを見据えます。

 

「シーハンさん、改めておたずねします。ここに向かってきている方々をヤドリギに送ります。よろしいですね」

 

シーハンさんは神妙な表情で私を見ました。

その濡れた目には、静かな覚悟が湛えられていました。

 

「はい、お願いします。私たちを助けてください」

「わかりました。要救助者を助けることがこの拠点の存在理由のひとつです。必ずお助けします」

 

いつも通りの言葉を、いつも通りに頷いて言いました。

 

■■■

 

私は早速キッチンで簡単に食事をとり、私室で準備を始めました。

アースカラーのザックに必要な道具を詰め、防寒用の戦闘装備に着替えます。

牙装はハーネスを兼ねた、極めてシンプルなアイヴィ型を選びました。

防御や防護は旧世代の装備を流用し、代わりにデザインと元の防御力を捨て、軽量化と吸血性能に全振りしたのが、この牙装なのです。

討伐戦時、私の所属していた部隊ではこのシンプルイズベストな牙装が一般装備となっていました。

 

銃剣は、手持ちの中でも比較的火力のあるものを選択。

元々はビッグゲーム用の猟銃で、それを対堕鬼用に改造しています。

重い上に少々ブレる欠点はありますが、取り回しには問題はなく、いつもの銃剣より火力も距離も優れていました。

私は、吸血鬼の力が塵レベルの吸血鬼です。

ですから、銃で遠くから安全に攻撃し、少ない弾数で戦闘を終了させるのが理想。

いつもの銃剣はチームを組んでの戦闘を想定したもので、取り扱いのしやすさは抜群ですが、一発が軽く、一撃で仕留めることは困難と予想してのチョイスです。

 

続いて暗視ゴーグル付きのヘルメットを手にします。

四つ目のそれはまるで昆虫のようですが、視野を広げるための形です。

そして、緑の背景でなくモノクロの背景にする白管(ホワイトフォスファー)を搭載。

欠点はあるものの、個人的な見やすさをとりました。

吸血鬼は夜の住人とも呼ばれ、通常の人間よりも夜目がききます。

しかし先ほども触れたように、私は夜の住人になりそこなっているので普通の人間レベルしかありません。

そのため夜の戦いでは、この暗視ゴーグルは必須装備なのです。

と、少し開いた扉から視線を感じて見れば、いつの間にかポイントさんが来ていて私の準備を見守っていました。

私はポイントさんに歩み寄り、屈んで頭を指でトントンとしてから体を撫でます。

 

「ポイントさん、ブラッシングは見回りが終わったらしますからね。茶トラさんのこと頼みましたよ」

 

ポイントさんは手に顔を擦りつけました。

私の言葉が伝わったかどうかはわかりません。

ザックや銃剣、ヘルメット等を土間へ運び、無線機と靴をチェック。

そうしている間に、フランチェスカを先頭に、皆さんがやって来ました。

 

「外はかなり冷え込んでたよ。連中、さすがに冬山装備はしていないだろう。可哀想にねえ。さぞかし大変な思いをしているんだろうねえ」

 

ベティさんは皮肉げに口をゆがめました。

 

「怯んで麓に戻ってくれりゃ、サーベラスに任せられるのに」

「臭いの痕跡を頼りにしている以上、多少無理をしてでも先に進もうとするでしょうね」

 

時間が経てば痕跡は消えてしまいますし、サーベラスの手が確実に彼らを捉えます。

彼らも焦っているはずです。

私は靴を履き、目指し帽(バラクラバ)を被ると乱れた髪を整えながら話を続けました。

 

「ここには来ないよう努めますが、万が一の時のために備えだけはしておいてください。ベティさん、逃走ルートはわかりますね」

「ああ、大丈夫だよ」

「では、何かあったら連絡を。こちらも動きがありましたら連絡します」

 

靴を履いてザックを背負うと、フランチェスカが軽やかに土間に降り立ちました。

土間に降りたフランチェスカの顔を、ベティさんはゴシゴシと撫でます。

 

「フラン、頼んだよ。ネーネをサポートしてやってね」

 

ご主人の言葉にフランチェスカは元気に尻尾を振り、ご主人を見つめました。

 

『ご主人! 私はやってやります! 全力でやってやりますとも! お任せをっ!』

 

と、訴えたかは知りません。

ただ、とってもやる気満々なのはさすがにわかりました。

ベティさんが小袋を手渡します。

 

「フランのおやつ。頼んだよ」

「はい。では行ってきます。茶トラさん、イタズラと盗み食いは禁止ですよ」

「んにゃーも」

「私とリアムで見張ってます!」

 

茶トラさんが声を上げる横で、クゥシンさんが元気よく答えました。

 

「そうですか。では、お任せしました」

 

言って、玄関を開けてフランチェスカとともに外に出ました。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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