外は先程よりもさらに闇は深く、寒さも厳しくなっています。
見上げると、風に乗って流れる黒い雲とその合間から星空を確認できました。
月が見えないのは、山の向こうに隠れているからです。
軒先のヤドリギが、寒さに負けじと輝き周囲を照らしていました。
チェストバックから、高度計、気圧計、温度計、コンパスが一体となった祖父の遺品を取り出します。
気温は当たり前のように氷点下を下回り、気圧も高め。
風は刃のように鋭く、氷のように冷たくなっていました。
放っておいても、山とこの気候が追っ手を遭難させ、夜更けには低体温症でヤドリギ送りにしてくれそうですが、彼らは人ではなく超人的な力を持つ吸血鬼です。
予定通り、ヤドリギ送りにするのが安全確実でしょう。
遺品をしまうと装備を一通り確認し、マスクと暗視ゴーグル付きのヘルメットを装着します。
視界に広がるのは、モノクロな単調な世界。
しかし鮮明に山道と風景を映し出していました。
マスクの接続、吸気排気も異常なし。
ゴーグルを跳ね上げて、私を見上げるフランチェスカの顔をひと撫でしました。
「お待たせしました。行きましょう」
私とフランチェスカは歩き出し、ヤドリギの光が届かなくなった頃合で、ゴーグルを下げました。
行程は、途中までは集落跡地へ繋がる東ルートを進み、途中で西へ折れて、下りながらシーハンさんたちがやってきた道、西ルートへと進みます。
遠回りをするのは、風上に立つことでこちらの臭いを悟られないようにすることと、追っ手の後ろへ回り込むためです。
シーハンさんの情報では、追っ手の三人は登山の技術は持っていないこと、移動に関連した錬血を持っていないことがわかっています。
ならば、彼らの行く手に立ちはだかるのは西ルートの難関の一つ、岩壁の登攀です。
迂回して周り込むことも可能ですが、難儀することは間違いないでしょう。
狙い所はそこです。
数歩先を歩くフランチェスカの足取りは軽快そのものでした。
一定の距離を保ちながら、昼間の散歩と変わらぬ調子でスイスイと進んでいきます。
この山は彼女の庭のようなものなので、慣れたものです。
しばらく進むと、道が二手に別れました。
右折して山を横断する道を進みます。
地殻の変動と環境の変化に耐えきれずにへし折れたり、根元から枯れている枯れ木の森の間に、審判の棘が街灯のように光っていました。
これがある限り、この地上に星明かりや月明かり以外の、自然の状態での闇はないと言っても過言ではありません。
元々審判の棘には良い思い出が全くありませんが、この無粋とも言える光もまた、私は気に入りませんでした。
これがなければ、故郷のようなもっと美しい星空を見ることができたはずですから。
倒木や岩に注意しつつ歩を進めること三十分程。
フランチェスカの足が止まりました。
暗視ゴーグルの特殊な視界でもわかるほど、フランチェスカの顔つきが鋭く獰猛なものへと変化しているのがわかります。
何かを察知したようです。
堕鬼か、囚人か。
銃に剣をつけ、こちらを見上げるフランチェスカに頷くと、彼女は再び道を進み始めました。
私もその後に続きます。
周囲に神経を張り巡らせ、さらに足元にも気を配りながら道を下っていきます。
運はこちらに味方をしているようで、視界に堕鬼の影はありません。
しばらく歩き、西ルートへ合流する道が見えました。
ここまで来るのにそこそこ時間がかかっていますが、彼らは先に進めたのでしょうか。
フランチェスカは地面に鼻をつけると、匂いを嗅ぎながら北へ向けて進みます。
どうやら、囚人の臭いを捉えたようです。
そして、再びフランチェスカの足が止まりました。
理由は明確です。
審判の棘の光がほんのりと照らす岩壁に、三つの人影を発見しました。
さらに確認をするため、道を外れるとフランチェスカの先導でさらに前進。
闇と倒木に潜んで改めて人影を確認します。
審判の棘の光がゴーグルの解像度を下げているため──白菅の欠点です──苦労はしましたが、シーハンさんの情報と同じ人物であることは確認できました。
岩陰に隠れようとして、その動きを即座に止めて伏せました。
同時にフランチェスカの前に手を出すと、彼女もすぐに伏せの姿勢をとります。
人影の一人が錬血を発動。
その効果は素早くこちらにやって来ました。
瞬く間に周囲に薄い膜が張ったような、空気の全てに神経が張り巡らされたような感覚がありました。
これが、耳の良い吸血鬼の錬血ですか。
ベティさんが予想したように、振動探知機のような効果があるようです。
瞬きひとつ、ため息ひとつでも吐いたらあっと今に察知されるでしょう。
しかし、アクティブ錬血である以上、いずれ効果は消えます。
息を殺し、効果が消えるのを待ちました。
先程見た限り、やはり彼らは岩壁の登攀に苦戦しているようです。
感覚の優れた吸血鬼を見張りに立て、遠距離攻撃の錬血を持つ吸血鬼が登攀を試みているようですが、まだ壁の中腹にも達していませんでした。
ならば、焦る必要はありません。
『焦る必要は無い。待つんだ』
不意に聞こえた声と突然開かれる視界。
周囲は、月明かりが辛うじて差す濃密な闇に覆われていました。
モノクロの世界が、僅かな光に色づく世界へと変貌を遂げました。
まず目に飛び込んできたのが、月明かりがすっかり葉の落ちた木々を形作る光景。
冷たい空気に含まれるのは、湿った土と落ち葉の匂い。
そして目の前には、オレンジのジャケットを着た男の人の背中。
『でも、父さん』
……俺はその背に声を抑えて訴えた。
「もう一時間以上待っている。それでも出てこないってことは、今日はもう通らないんじゃないの?」
「向こうはそれを待っている」
こちらを向くことなく父さんは言った。
「俺たちが根負けをして、ここを立ち去るのを待っている。痺れを切らしてミスをすることを待っている。彼らはとても臆病で用心深く辛抱強い。それが彼らの強さだ」
家では無口な父さんだったけど、山の中では雄弁だった。
それが不思議でおかしかったけど、でも嬉しくもあった。
父さんと話す機会、こんな時しかなかったから。
「狩る側は彼ら以上の辛抱強さがないとチャンスは決して巡ってこない。だから待つんだ」
サバンナで生きる肉食動物が、狙いをつけた獲物を辛抱強く待ち続けるように。
チャンスが来た時、すぐにものにできるよう万全の体勢で。
その時、葉を擦る小さな音が聞こえた。
そちらに目を向けると、肉付きの良い牝鹿が用心深く注意を払いながら、ゆっくりと目の前の獣道を通ろうとしている。
来たっ!!
「父さん」
「構えろ。仕損じるなよ」
「わかってる」
父さんに応じて俺は静かに銃を構える。
今まで狩ってきたキジトリやアナグマとは比較にならない、初めての大物だった。
「呼吸が浅くなっている。力むな」
指摘され緊張でガチガチになっていることに気付く。
大丈夫だ。
だってあれほど練習してきたじゃないか。
だから落ち着け。
頭に言い聞かせ、深呼吸をして、普段のコンディションにもっていくよう努めた。
そして、息を潜めて獲物が射線上に入るのを待ち続ける。
ドロリとした油のように、恐ろしくゆっくりと感じる時間の流れ。
そして、獲物が射線に入った瞬間、俺は躊躇いなく引き金を引いた。
瞬間、視界がモノクロの世界に切り替わりました。
……一瞬、何が起こったのかわかりませんでしたが、どうやらいつもの幻覚が起こったようです。
薬、飲んでるのに。
この幻覚は、吸血鬼として蘇った時からたまにある症状です。
私の記憶に全くない、それどころかかなり過去の時もある知らない人達の幻覚。
それに加えて吸血鬼になってからの記憶のフラッシュバックも重なり、私を悩ます種となっていました。
でも今は、気持ちを切り替える時です。
素早く目線を動かすと、私たちに気づかなかった様子の三人と、伏せをしながらこちらを見るフランチェスカがいました。
そして、例の感覚が消えていることに気づきます。
すぐに伏せをとき再び前進。
射撃のできる位置を見つけると、私はザックを下ろして立ち上がりました。
距離は二百メートル強。
風速は右から三メートルほど。
周囲は枯れ木や倒木があるものの、射線上に障害物なし。
目標は手前に一人、奥に一人、壁に一人。
装備は手前が銃剣、奥は槍、壁は片手剣。
牙装はアイヴィ二人と、オウガ一人。
左手前にいるフランチェスカが、目標に向かって前傾姿勢をとりました。
牙をむき目標を見据える目には、戦意がみなぎっています。
こちらの準備よし。
一呼吸置いた後、私は小さく鋭く命令を発しました。
「フランチェスカ、ゴー!」
瞬間、フランチェスカは弾けるようにかけ出しました。
距離、温度、湿度、風速、気圧などを即考慮し、銃を構えて狙いを定めます
吸血鬼の母娘と人間たち、標的となっている彼らも含めた悪夢の安寧はこれで終わりです。
ひと呼吸おき、私は引き金を引きました。
同時に命を狩る確かな手応え。
枯れ木だらけの死せる森に銃声が響き、同時に手前の吸血鬼の腰から下が弾けながら吹っ飛びました。
そしてうつ伏せに倒れ込んだ途端、霧散します。
思わず動きを止める残った二人に、フランチェスカが回り込みながら恐ろしい速さで突進。
奥にいた吸血鬼に側面から飛びかかりました。
「いっ、犬の堕鬼っ!?」
風の音とともに聞こえてくる吸血鬼の怒声。
吸血鬼はフランチェスカの飛びかかりを、間一髪かわしました。
しかし、これは陽動。
こちらに背を向けた吸血鬼は無防備です。
射線上に入っている背中に向けて、引き金を引きました。
轟音と共に右胸が弾けて前のめりに吹っ飛び、倒れ込みながら霧散しました。
これで後は、壁に取り付く吸血鬼のみです。
フランチェスカが、壁の吸血鬼に向かって獰猛に激しく吠えたてました。
私は吸血鬼の頭に狙いを定めます。
「何だよこれっ! どこだっ!? どこにいるっ!?」
こちらです。
混乱し喚く彼に、躊躇なく引き金を引きました。
轟音と共に頭が弾け飛び、続いて首から下が呆気なく落下。
地面に叩きつけられた瞬間に霧散しました。
周囲を見渡し、何も無いことを確認してから銃を下ろしました。
作戦終了です。
ザックを背負うと、岩壁に向かって歩きだしました。
フランチェスカは大いに尻尾を振り、私を出迎えます。
『やりましたね! 私はやってやりました! やってやりましたよ!』
と、思っているかはやっぱりわかりません。
審判の棘の薄明かりに照らされたその体には、吸血鬼の体が弾けた際に飛び散った血が付いていました。
堕鬼の血、冥血は外気に触れたままだと霧散する特性がありますが、吸血鬼の血はそうではありません。
ベティさんが念入りに手入れしている体毛が血で汚れていることに、いい気分はしませんでした。
私はゴーグルを上げて彼女の前に膝を落とすと、ザックからタオルを取り出し、その顔と身体を拭きながら撫で回しました。
「お疲れ様です。あなたは本当に凄いですね。素晴らしい働きでしたよ」
タオルをしまうと、大喜びする彼女にベティさんから貰ったおやつと水を取り出します。
おやつは、貴重な牛の骨を一口大にくだいたものです。
豪華なおやつにフランチェスカのテンションがさらに上がり、嬉々としておやつに齧りつきました。
立ち上がりチェストバックから無線機を取り出すと、サーベラスへ連絡を取ります。
「お疲れ様です。囚人三名をヤドリギへ送りました」
≪了解。つい先ほど三名全員、確保したとの報告があった。夜の寒空の中、ご苦労だったな≫
明るい調子で応対したのは、リーヴァさんです。
≪拠点に戻るのか≫
「いえ。最近、堕鬼が頻出するようになっているので、このまま見回りを続けます」
≪そうか。年内に部隊を出して訓練のついでに大掃除をすることになっている。それまでは、こまめにやっといてくれ。それと迎えは明朝八時だ。それまで頼んだぞ≫
「わかりました」
無線を切ろうとして、思いとどまります。
私はあることを思い出し、確認をすることにしました。
「リーヴァ隊長。ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」
≪ん? 言ってみな≫
「はい。討伐戦時の第二中隊中隊長のお名前を覚えておいでですか」
≪当然だろ≫
小隊長の声が真面目な調子になりました。
≪ハオラン・ワン……中佐か。俺たちが地獄から生き延びることができたのも、勇敢に最後まで戦い抜いた第二中隊あってこそだ。忘れるものかよ。それがどうした≫
「人の子供を連れ出した吸血鬼の女性、配偶者の名前がハオランで、娘さんの苗字がワンです。現在は行方不明からの戦死扱いになっているらしく、もしかしたら彼のご遺族ではないかと」
≪……わかった。確認しておく≫
しばしの沈黙ののち小隊長は答え、無線は切れました。
私が所属していた部隊の第二中隊。
討伐戦後も撤退命令が出ず、雪山でバケモノの相手に地獄を作っている最中、赤い霧の出現と同時に大規模な雪崩が発生。
雪崩によってバケモノとともに第二中隊は赤い霧の向こうへと押し流され、捜索することも叶わない状態です。
その部隊には、私が前職に就職した時からの友人もいました。
その思い出に、瞬く間にあの雪山が迫ってきている気配を感じてしゃがみこみ、呼吸を整えます。
大丈夫、ここはあの雪と氷の地獄じゃない。
落ち着いて深呼吸。
マスク越しですが時間をかけて呼吸を整え、どうにか落ち着きを取り戻しました。
やっぱり、寒いのはいけませんね。
私はゆっくりと立ち上がり、次はベティさんに連絡を取りました。
追っ手をヤドリギへ送ったことと、見回りの続行、明日のお迎えの時間を報告します。
拠点の方も問題は全くなく、リアムさんとクゥシンさんが疲れから眠気に勝てず、客室でひと足早く休んでいるとのことでした。
≪猫たちが待ってるからね。無事に戻ってきなさいよ≫
「わかりました」
無線をしまうと、おやつを食べ終え水を飲みきったフランチェスカが私を見上げていました。
「あともう少し見回りを続けます。お付き合いください」
彼女は言葉を理解したのか、嬉しそうに目を輝かせ尻尾を振りました。
その後、三人の残したヘイズを回収。
夜食を物色していた堕鬼たちを先ほどと同じ手順寝かしつけながら見回り、一時間ほどで拠点へ戻ったのでした。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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