拠点に戻ると、ベティさんたちと猫たちが出迎えてくれました。
取り急ぎ、消毒を済ませてシーハンさんに結果の報告をしました。
「本当にありがとうございます。お手数をおかけしました」
丁寧に頭を下げるシーハンさんに、私は言葉を返そうとして気付きました。
シーハンさんの顔には、疲れが色濃く出ていました。
緊張の糸が緩んで、心身の疲れが一気に押し寄せてきたのでしょう。
「頭をお上げください。いつもの仕事ですからお気遣いなく。明朝八時にサーベラスの迎えが来ます。六時に起こしにうかがいますので、今夜はお休みになってください」
シーハンさんは再度お礼を言い、客室へと戻っていきました。
私室に荷物を置き、着替えをすませて部屋を出ると、ベティさんが土間でフランチェスカの体を念入りに拭き、夜食を与えていました。
「フラーン、今日はよく働いたねえ。大活躍だったねえ。本当にお疲れさんだよ」
ベティさんに体を撫でられながら、夢中で夜食を食べるフランチェスカ。
そこに、音もなく忍び寄る怪しい影がありました。
ご飯のあるところにその影は常にあり。
この拠点の営業部長、茶トラさんです。
姿勢を低くし有効な攻撃範囲へと移動。
瞳孔を開き、お尻をフリフリしながら突撃の機会をうかがっています。
ちゃんと夕飯あげたのに、この毛玉さんときたら。
スタートダッシュが侮れない食いしん坊を抱き上げました。
「はい茶トラさん、リビングに行きましょうね。大好きなダンボール箱を出してあげます」
「んにゃーも、んにゃもー」
「ええ、ええ、そうですね。わかりますよ。おっしゃるとおりですとも」
適当に相づちを打ちながらリビングに向かう私の足元に、ブラッシング待ちのポイントさんがついてきました。
「茶トラさんを片付けますから、もう少しだけ待っていてください」
そうして茶トラさんをお気に入りの段ボール箱へと納め、ポイントさんのブラッシングを始めました。
そこへ、食事を終えたフランチェスカとベティさんがやってきました。
フランチェスカはベティさんが持ってきた敷物に横たわってくつろぎます。
「そろそろお休みになりますか?」
「一杯飲んでから寝るよ。コンロ借りるね」
「どうぞ」
ベティさんは持参したワインと小瓶、大きなマグカップを持ってキッチンへと向かいました。
「モルドワインですか」
「寒くなってきたからね。毎年恒例のやつ。あ、マタルにワインを調達してもらわないと」
「彼のことですから、次に来る時に持ってくると思いますよ」
「抜け目がないねえ、助かるけどさ」
言いながら、マグカップでベティさんは調理を始めました。
何とも手抜きな作り方のように見えますが、洗い物を増やさないようにする合理性からです。
水場はありますが、そもそも洗い物は面倒ですし、それが冷たい水ならなおのこと。
食洗機は元より、蛇口をひねればお湯が出た文明は失われたのです。
ああ、カムバック文明。
手間暇や面倒を良しとするのは、何もかもに余裕がある時だけ。
日常の家事は、時短と合理性が正義なのです。
しばらくすると、ワインとスパイスの香りが漂ってきました。
流石に作り慣れている様子で、滞りなく完成。
熱々のマグカップをタオルに包んで持ってきました。
「あんたはやっぱりお酒は飲まないの?」
「ええ。お酒は調味料ですから」
「……ここにはいろんな吸血鬼がいるけどさ、そんなこと言うのは多分あんたくらいだよ」
「恐縮です」
「褒めちゃいないよ」
部屋は薪ストーブの力で暖かく、家はようやくリラックスした雰囲気に包まれています。
ベティさんは寝酒のワインを飲みながら、私が留守中の時の話をしてくれました。
シーハンさんたちの生前の家族の様子や、ウィリアムさんのご家族のことを少し聞き出したそうです。
私はブラッシングをしながらそれを聞いていました。
三人とも生前は決して裕福な環境ではありませんでしたが、それでも幸せに過ごしていたようで、今のこの環境の落差を痛感せずにはいられない内容でした。
「本当に、何でこんなことになっちゃっているんだか」
ベティさんは大きくため息を吐きます。
「総督もさ、もう少し吸血鬼に優しくしてくれてもいいと思うんだけどねえ」
あ、いつもの愚痴が始まりそうです。
「血涙の件だけでも情けをかけてくれれば、こんなことにはならなかった。シューゾーたちや私もそう、ここに来ている要救連中はみんなそうだ。せめて理由くらい話してくれてもいいのに」
「前にもお話しましたけど、全て人間を守るためですよ」
ジロリとみるベティさんの視線を受け止めながら、私は話を続けます。
「シルヴァ総督の目的は、大崩壊から今日まで一貫して変わっていません。吸血鬼を生み出し、戦士として運用することを推進したのも、実の娘さんを最終的に吸血鬼の研究に捧げたのも、暴走してクイーンとなった娘さんの討伐を指揮したのも、全て人間を守るためです」
「わかってるけどさ」
「彼はこれからも変わりませんよ。圧政の手は緩めないし、非を認めることも無いでしょう。彼は、人間を守る吸血鬼を仲間と見なしますが守りはしません。目的のためならいくらでも非道な手段を使い、仲間も容赦なく地獄の炉にくべて見返りもしない。目的のためならどこまでも真っ黒に汚れる覚悟があると思います」
これは、私が吸血鬼として蘇った時から、前職を退職するまでの見聞と体験を元にした彼の評価です。
彼に近しい人々や直属の部下だった人々の評価は、私とはまた違ったものになるでしょう。
ブラッシングは終わりましたが、ポイントさんは膝の上から降りることなく、喉を鳴らしてくつろいでいました。
茶トラさんは、お気に入りのダンボールにミッチリと詰まってご機嫌の様子。
フランチェスカは、安らかな表情で寝息を立てています。
しかしベティさんの機嫌は、それとは正反対の状態になっていました。
「ハッ。本人と飼う犬はフランと同じ真っ白なのにね」
「ベティさん、酔ってますね」
「まだ半分も飲んでないよ。酔ってない」
ベティさんは酔うと、いつもはオブラートに包んである毒舌がキツくなる傾向にあります。
酔っていないと言っていますが、お疲れなのと、彼女の住む拠点よりここの標高は高いので酔いが回っていると思われました。
「そのせいで、守るはずの人間たちが結局とばっちりを食ってるんじゃ世話ないよ。彼のブラッドコード、アガメムノーン王じゃないの?」
「アガメムノーン王ですか」
「ピッタリでしょ? ま、こちらは奥さんがいないから止められないけどね」
ギリシャ神話の英雄、トロイア戦争におけるギリシャ軍の総大将、アガメムノーン王。
王の中の王とまで言わしめた彼ですが、その名声や偉業以上に傲慢で非道な性格は、敵味方関係なく悲劇を招いていました。
ある時、その傲慢さから女神アルテミスの怒りを買った彼は軍の運用に支障をきたし、その怒りを鎮めるために苦悩の末、神託に従って娘を生贄に捧げたのです。
最愛の娘を生贄にされたことで夫への憎悪を募らせた妻と愛人が彼を暗殺した、というのがおおまかな顛末になります。
その後もグチグチしていたベティさんですが、マグカップのワインも残りわずかになった頃、表情が改まりました。
「わかってるんだ」
毒を吐き出しきった彼女はポツリと言いました。
「私らような連中には思いもつかない、のっぴきならない事情があっての政策なんだろうさ。こんなこと、力もなければ妙案もない、下々の愚痴なのはわかっているんだよ」
ベティさんはマグカップを置くと、膝に肘をついてうなだれました。
「それでもねえ、子どもを勝手に吸血鬼にしておいて、その子どもに『吸血鬼になりたくなかった』と言わせる現状は、やっぱり間違っていると思うんだよ」
「……そうですね」
今回の愚痴の火種は、シーハンさんのお話にあった、クゥシンさんのことでした。
ベティさんらしいです。
寝酒の効果は抜群だったようで、睡魔に襲われ抵抗のできない彼女の様子に、湯たんぽを準備しました。
そしてベティさんを支えて客室へと向かいます。
薪ストーブで沸かしていたお湯を湯たんぽにしてベッドにセット。
横たわる彼女に声をかけました。
「今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
「ああ、わかってるよ。あんた、まだ起きているの?」
「はい。明日の準備がありますので」
「そう。程々にしときなさいね」
「はい。お休みなさい、ベティさん」
「お休み」
私は静かに部屋を出ました。
先程のベティさんとのやり取りが脳裏に浮かびます。
戦時中は表に出て先陣を切り、仲間たちを鼓舞していたシルヴァ総督。
現在は表舞台に出ることは全くなくなっていました。
彼は今、臨時総督府内で何を見聞きし思っているでしょう。
その時、手前の客室のドアが開きました。
ドアの隙間から見えるのは、びっくりした様子でこちらを見るウィリアムさんです。
「どうしましたか? ……トイレですか?」
彼は恐る恐る頷きました。
「そうですか。聞いているかと思いますがトイレは外です。上着と靴を持ってきますから、待っていてください」
彼に構わずさっさと準備をし、裏口から外に出ました。
相変わらず風は強く、冷え込みは厳しいままです。
あまりの寒さに、ウィリアムさんが思わず身を縮めているのが横目で見えました。
トイレは家の近くにあり、当初は臭いと排水に気を遣っただけの質素な小屋でした。
今は大工さんの手も借りてバージョンアップを重ね、風雪に耐えきれる強度になっています。
おっかなびっくりトイレに入るウィリアムさんを見送り、私は外で待ちます。
見上げれば、真っ白な月が山の端から昇ってきていました。
思いを馳せる間もなくウィリアムさんが小屋から出てきたので、消毒をして急いで家に戻ります。
「明日は六時に起こしにあがります。それまでゆっくりお休み下さい」
言ってリビングへ戻ろうとしましたが、彼は手帳を取り出すと、大急ぎで文字を書いて私に見せました。
『ありがとうございます。それとご飯、とても美味しかったです』
……そうですか。
胸に暖かいものが灯ったような気がしました。
「パンはお好きですか」
思わず飛び出す言葉。
彼は目を見張り、そして頷きます。
「故郷のパンには劣るでしょうが、明日の朝食にご用意しますね」
彼は真顔で頷き、再び手帳を開くと私に見せました。
『おやすみなさい』
「はい。おやすみなさい、ウィリアムさん」
そして、部屋の扉が静かに閉まりました。
足早にキッチンへ向かいます。
『ネネ、アズキとモチゴメはやっぱダメだった。ゴメン。でもこれを手に入れたぞ。白いのより栄養価は高いんだってさ』
ウィリアムさんの故郷のパンと言えば、ライ麦パン。
商人の彼が手渡してくれたライ麦粉が、まさかの活躍をする時が来るとは。
パン作りは温度管理が大切なのですが、薪ストーブのお陰で発酵に必要な温度は確保できます。
そして、強力粉とドライイーストはあり、薪ストーブに調理台をセットすればパンは作れるのです。
というわけでさっさと準備をし、パン作りをスタートしました。
料理を作る時間、そして食べる時間は、私にとって大切な気分転換でした。
私の枯れた心に一番最初に戻ってきた力です。
世界が壊れ、見聞きするもの全てが苦しく辛いものであっても、料理を作る間と食べる間は忘れることが出来ます。
問題が解決することはなくとも、その場しのぎの現実逃避だったとしても、それがなければ明日は無いのですから。
ベチャっている生地と格闘しながら、私はふと思い出します。
レストランという言葉は、美食大国のレストレが始まりで、ベティさんの故郷の言葉ではレストアになります。
修復する、復元する、回復する。
食事を楽しむことで、心と体を回復する場所。
元気が出たら、また笑って厳しい現実と向き合うための小さな異世界。
ウィリアムさんだけでなく、シーハンさんやクゥシンさんにとっても、この半日ほどの滞在がその一助になってくれればいいと思います。
まあ、レストランと名乗るには程遠い状態ですし、そもそも私自身がレストアしなきゃなんですけどね。
生地をどうにかまとめあげ、一次発酵のお時間。
パン作りのキモにして、極めるのが難しいとされる工程です。
乾燥しないよう蓋をして、薪ストーブから少し離れた場所に置き三十分放置。
様子を見ながら時間調整をしていきます。
と、足元を見るとポイントさんが私を見上げていました。
その目つきはどこか眠そうです。
『寝ないの?』
そう言っているのでしょうか。
土間の時計を見れば、いつもなら消灯の時間です。
規則正しいマイペースな生き物、猫。
「今夜はまだ寝ませんよ。茶トラさんと先に寝ていていいですからね」
そう言えば、茶トラさんはどうしたのでしょう。
気まますぎる生地と格闘している間も静かでした。
周囲を見渡してもいません。
そこでリビングを見ると、寝ているフランチェスカを暖にして、茶トラさんも一緒に寝ていました。
しかも、ヘソ天お股おっぴろげ状態。
危機感の全くない寝姿に、思わず力が抜けました。
すると、ポイントさんは私の足元からおもむろに離れ、茶トラさんが詰まっていたダンボール箱に歩み寄りました。
入念なチェックの後に速やかにイン。
ミチッとつまって満足そうに目を閉じます。
茶トラさん程ではありませんが、ポイントさんもダンボール箱は好きなのです。
その後もパン作りを続け、薪ストーブで焼成すること三十分、表面を焦がすためにさらに十分、ついに完成しました。
真ん丸の小山の中心につけたクープが理想の形に開いて見た目はOK。
その小山から、パリパリパキパキという音が聞こえてきました。
天使のささやきと呼ばれている音で、この音が聞こえた時点で成功は約束されたと私は思っています。
しばらく休ませたら味見です。
まずは薄く切ったプレーンなもの。
……ええ、普通に美味しいパンです。
しかし、切った時から察していましたが、フランスパン並に固い。
時間が経ったら、さぞ防御力が上がりそうな予感がしました。
あとライ麦パン特有の酸味がありません。
ライ麦パンの酸味は乳酸菌由来のパン種によるもので、これが保存に一役かってくれるのですが、これだともっと水分を飛ばさないと保存は難しく思えました。
続いて残っていたニンジンのサラダとスライス玉ねぎでサンドイッチを作成、実食。
……うん、悪くはないと思います。
あ、オイルサーディンを挟んだら美味しいかも。
とりあえず、明日の朝食はこちらを提供しましょう。
キッチンとダイニングを片付け、結局外の水場で洗い物をすることに。
山の湧き水を使っているので、冬でもそう凍らないのですが、厚手のビニール手袋を付けていても冷たいです。
設置してある温度計は氷点下五度。
凍えながら片付けをすませ、ついでに湯たんぽ用の水も補給して家に戻りました。
ああ、寒い。
討伐戦以降、この季節は本当に苦手になりました。
薪ストーブ、ありがとう。
あなた無くして、私はこの世界に留まれません。
思わずその黒くてどっしりとした体に抱きつきたくなりましたが、我に返って大きめの薪を一本追加。
しばし薪ストーブの前で温まり、立ち上がろうとして気付きました。
ポイントさんがまた私の横にいるではありませんか。
『まだ寝ないの?』
眠そうな目で訴える彼の顎を撫でました。
「湯たんぽを用意したら、リビングで仮眠をとります」
もう大丈夫だとは思うのですが、人間を預かっている以上、サーベラスに引き渡すまでは気は抜けません。
バケモノから人間を守る。
そのために生み出された人間の天敵、吸血鬼。
その頂点いる非道な王の圧政は、一体いつまで続くのでしょう。
彼の宿願であるはずの、守るべき人間すらも追い詰めて──。
お湯が湧いて湯たんぽを用意し、私室から毛布と銃剣、暗視ゴーグルを持ってリビングへ。
最後に靴をソファの近くに置いて、仮眠の準備完了。
時間は既に日付を跨いで明日になっていました。
戸締りを確認し、明かりはテーブルの小さなランタンだけ残して消灯。
おやすみなさい。
■■■
討伐戦が終わってもバケモノとの戦いは続き、赤い霧の出現後にようやく撤退命令がでて、地獄の雪山から平地へと戻ることができました。
その後、討伐軍は治安維持部隊となり、私もそのまま所属することに。
そして、他の戦友と同様に臨時総督府の命令で堕鬼の掃討や血涙の徴収の任務に就くことになりました。
堕鬼の掃討はともかく、血涙の徴収は時間の経過と共にストレスの増すお仕事でした。
でも大丈夫。
だって、あの戦場に比べたらこんなの全然平気です。
痛くない、寒くない、傷つかない、死なない、堕鬼にならない、だから怖くない。
大丈夫、大丈夫。
でも、少し寒い。
そして半年ほど経った頃、あの討伐戦時のことに加えて、自分が死んだ時のこと、堕鬼と化した友人を倒した時のことを毎晩夢に見るようになりました。
何度も飛び起き、そして怖くて眠れなくなりました。
でも、大丈夫。
眠れないなんてこと、戦時中は当たり前でしたから。
自他ともに認める私の取り柄と言えば、元気なことくらいです。
だから、大丈夫、大、丈夫、大じょうぶ。
寒い。
そして寒さが厳しくなった頃、私は眠っている時だけでなく、任務中も幻覚を体験するようになりました。
でも、だいじょうぶ、だいじょう、ぶ。
バケモノの討伐は、私にとっては慣れた物です。
ひとだったときの私とはちがうんです。
ここは地獄で、わたしは獄卒で、バケモノと堕鬼は全て霧散させる。
この星が滅びるその日までずっとずっと続く、終わりのない
だいじょうぶ。
だって、いっしょに戦ったひとたちがいる。
さむい。
辛いはずなのに、苦しいはずなのに、みんなそれでもがんばっている。
だから、わたしも、がんばらなきゃ。
さむいさむいさむい。
おとうさん、おかあさん、みんな。
わたし、がんばるから、しんぱい、しないでね。
でもさむいよ、ここはさむい。
この辺りの記憶は曖昧です。
元々正気な状態ではなかった上に、フラッシュバックで錯乱した私を止めるため、同僚が私を霧散させたからです。
ヤドリギに送られた後、医療施設で隔離入院していた私の元に、大隊長が訪れました。
その様は、大隊長と初めて会った時のようだと思いました。
挨拶とお見舞いの言葉を告げた大隊長は、いつもの落ち着いた眼差しで私を見て言いました。
「覚えているかな? 何故、君は兵士になることを選んだのか」
焼け焦げ、凍てつき、干からびて、静けさしかないがらんどうの心で、どうにか答えます。
「……一人前に、なりたくて」
「そうだね。この壊れた世界で一人で生きていくために一人前になりたい、衣食住を一人でちゃんと確保できるようになり、亡くなったご家族を安心させてやりたい。君は確かにそう言っていたね」
頷くと、大隊長は嬉しそうに、しかし同じくらい悲しそうに言いました。
「おめでとう。君は目的を達成した。君は私に最後まで付き従い、獄卒として地獄を作りバケモノ相手に全ての力を振り絞って戦い抜いた。君はもう十分に立派な兵士であり、衣食住を自力で確保できる一人前の大人だ。……こんな結果になってしまったが」
「大隊長」
「これは、部隊創設から私を信じ付いてきてくれた君への見舞いの品と思って欲しい。そして、考える力が回復したら思い出して欲しい」
大隊長は少し首を傾げて聞きました。
「一人前になった君は、この世界で何をしたいのかな?」
大隊長は言います。
これはコンパスなのだと。
計り知れない力を持ったこの巨大な濁流は、凡俗の力では決して変わらないし止められない。
では、その事実をもって君はどうしたいのか、何をやりたいのか。
社会福祉が発達した高度な文明社会ならコンパスがなくとも生きていけるだろうが、今はそれが崩壊し自然の状態に戻っている。
コンパスがなければ、濁流に身を任せることも抗うことも出来ず、一方的に翻弄され叩きつけられ押し潰され、そして消えていくだろう、とも。
「私の、やりたいことは──」
話そうとする私を、大隊長は遮るように日焼けした顔に笑みを深く刻みました。
「みゃあ」
…………えっ?
すると、ドアが開いて看護師さんが顔を見せました。
「にゃーも、にゃもんにゃーもん」
「みゃあ」
「にゃも」
何故か猫の鳴き声でやり取りする二人に、私は目を疑いました。
……何これ? 何なのこれ?
混乱する私の視界が、急速に薄れ闇の向こうへと消えていきます。
そして気付きました。
ああこれ、夢か。
目を開くと、ランタンが灯る黄色い光の中で、二匹の猫がこちらを覗き込んでいました。
いつの間にか二匹とも私の毛布に入り込み、脇に挟まっている状態です。
湯たんぽならぬ、猫たんぽ。
「おはようございます。ポイントさん、茶トラさん」
腕時計を見れば、あれから三時間ほどが経過し、まだ真っ暗ですが早朝と呼べる時間になっていました。
起きて準備しないと。
私はゆっくりと体を起こしました。
新たな一日の始まりです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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