燔祭の吸血鬼 プロローグ
遥かな青と無慈悲な白き太陽光。
雲の海原に垣間見る山々の連なり。
命無き無彩色の岩場が織りなす生物圏の際。
ルイは、姉とグレゴリオ・シルヴァに招かれ、『血涙の泉』の源流を調査、観測をするための施設に向かっていた。
標高五千メートルをこえる山岳地帯に施設は存在し、研究に携わる人間と、施設の保守警備の任につく
施設の管理者にして招待主のグレゴリオと、護衛と案内を兼ねた五名ほどの吸血鬼の兵士たちに連れられ目的地を目指すルイだったが、高高所の山々は彼に容赦なくその洗礼を浴びせていた。
慎重に、落ち着いて。
内心で言い聞かせながら、ルイはガレ場と呼ばれる場所を歩いていた。
大きさの異なる石が積み重なったその場所は、とにもかくにも足場が悪い。
バランスを取ろうと体幹はエネルギーを燃やし、身体を安定させようとする。
酸素を求めて身体は激しく呼吸を繰り返すが、しかし圧倒的に酸素が足りない。
酸素は既に平地の三分の二以下になっていた。
身体がふらつき、足元がおぼつかなくなったルイに、偏光レンズ付きのマスクを着けた先頭を行く軍人は振り向いた。
「ルイさん、大丈夫ですか?」
年若い女の声にルイは頷くが、その拍子に足を滑らせ、岩の幾つかが転がり落ちた。
「ラック!」
反射的に声を上げながら、女兵士はとっさに彼の体を抱きかかえる。
ルイの様子を確認し、後方へ声をかけた。
「
体勢を立て直すルイを支えながら、女兵士は殿の隊長にルイの様子を伝え、休憩を提案した。
隊長はグレゴリオに確認を取り、近くの小さなテラスで休憩を取ることになった。
広がる絶景に目をくれる余裕もなく、彼は手渡された携帯酸素を口元にあて、呼吸を繰り返す。
随伴していた医師がルイの様子を看ている横で、グレゴリオはたずねた。
「ドクター、彼の様子はどうだ?」
「軽度ですが高山病の症状が出ています。すぐに引き返すレベルではありませんが、下山しない限り良くなることはありません」
「そうか」
その言葉に、携帯酸素を吸いながらルイは顔を歪ませた。
既に尾根は見え始めている。
あともう少しなのに、こんなところで躓くことになろうとは。
ルイの様子に気付いたグレゴリオは声をかけた。
「高度はもう少しで五千。どんなに対策をしても、誰もが高山病になる可能性はある。みんなが平気そうに見えるのは、ここで過ごす時間が長くて順応していることと運が良いだけだから」
慰めるように言う彼に、ルイは悔しさと情けなさを押し隠して頷いた。
だか、それすらも見透かしたようにグレゴリオは笑って続けた。
「俺だって最初にここに来たときはそうだった。ここよりももう少し前の地点で高山病になってな。ドクターストップがかかったのに登ろうとする俺を、ここにいる連中に抱えられて強引に下山させられた。あの時は本当に悔しかった」
苦笑しながら言うグレゴリオの後ろで、ひょっこりと隊長が顔を見せた。
「いやあ、あの時の閣下の愉快なお姿ときたら、彼にも是非お見せしたかったですなあ」
明るく朗らかに恐れ知らずなことを言う隊長に、その場にいた全員の表情が強張った。
当のグレゴリオと言えば、口をへの字に曲げ隊長を見ずに告げる。
「うん。大尉、少し黙ろうか」
「ハ!」
数日前に登山を開始してからここまでのやり取りで、グレゴリオと隊長の仲は立場をこえて良い方ではないかとルイは思っている。
たが、どこか綱渡りのような空気も感じられ、見ていてハラハラすることが多かった。
昨日の宿泊地で隊員たちと話す機会があった時、それとなく聞いてみたところ、隊員の一人が気安く応じた。
『まあな、隊長との仲は良い方だよ。春の陽気なふりして、冬の隙間風吹く大隊長とのやり取りと比べれば平和なもんさ』
部外者のルイには分かりかねる事情はあるようだが、上に下に、影に日向に、表に裏にと関係者は頑張っているのだろう。
その甲斐があって、この山岳地帯の平和は守られているようだった。
「ルイ君、平地の精神論はここでは通じない。帰りのことも含めて考えてほしい。先に進めそうか?」
医師の言葉に、ルイは酸素をとりながら自分の身体に意識を向けた。
息苦しいことは確かである。
しかし、心も身体もまだやる気に満ちていて、ここで体勢を整えればあの尾根までは間違いなく行ける。
究極、施設で働く姉に会えずとも、血涙の源流さえ見れればそれでいい。
そう医師に告げた。
「そうか、わかった」
医師は真面目に頷き、視線を厳しくした。
「だけど、少しでも不調が出た時点で即下山をすることを条件にする。不調に気付いたら隠さず申告すること。動けなくなるのが一番まずいから。いいね」
「はい」
「あ、でも動けなくなったら閣下と同じ体験ができるぞ」
殊勝に頷くルイに、隊長はあっけらかんと笑った。
その横で渋面を刻むグレゴリオに気づいているか否か、彼は続ける。
「そして閣下同様、ここへ来る連中に教訓として、時を超え永遠に語り継がれる存在になると。これは中々ロマンあふれる──」
「大尉、黙れ」
「イエス、ユア エクセレンシィ!」
悪気はなさそうだが、デリカシーに欠ける豪胆な隊長に、一同は内心でため息をついた。
ルイが落ち着いたのを見計らって、一行はアタックを再開した。
最後の難所である急勾配のガレ場を、ルイは一歩一歩刻むように登っていく。
太陽の光と熱が、乾燥した風が、不安定な足場が、容赦なくルイの体力を奪った。
こんな過酷な場所を、彼女はどうやって登ったのだろう。
ルイは息を切らしながら思っていると、
「ルイ君、集中しろ。兵長、もう少しペースを落とせ」
「はい」
「了解です」
ルイの様子をつぶさに観察する殿の隊長の鋭い指示が飛んできた。
ルイは指示通り目の前のガレ場に集中する。
今は登ることに専念しよう。
一行は亀の如き歩みで進み、ついに最後の岩場を乗り越え、ルイは尾根に辿り着いた。
ルイは思わず足を止めた。
サングラスを外し、眼前の光景を食い入るように見つめる。
果てなく透き通るような青の全天に、目を射抜く太陽の光。
ここよりも標高の高い山々の白。
夏でも冠雪している山々に囲まれた盆地は、その雪よりも白いものに覆われている。
その白の正体は、盆地を埋め尽くすような血涙の泉とよばれる樹氷のような木と、その中心にそびえる白い大樹であった。
この二年近くで世界各地に生え始めたものと同じものであり、吸血鬼の乾きを促進する瘴気を浄化し、実る赤い実は『血涙』と呼ばれ、人間の血の代替物として吸血鬼の乾きを癒やしている。
ここは血涙の泉の源流とされる奇跡と神秘の場所であり、そしてルイの大切な友人、クルス・シルヴァの最期の地でもあった。
やっと、やっとここまで来れた、クルス。
ルイは、胸から熱いものが込み上げるのを感じた。
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