マタルさんとのお付き合いは女王討伐戦より前。
今では大崩壊と呼ばれる地球規模の大災害から、数ヶ月が経った頃にまで遡ります。
当時の私は、教官の猛特訓に懸命について行こうとしていた駆け出しの兵士。
マタルさんは、サーリヤさんという商人の元で手伝いをしていた駆け出しの商人でした。
当時の小隊長に紹介された市場で、彼らと知り合ったのです。
初めての市場に圧倒されていた私を、サーリヤさんが声をかけたのがきっかけでした。
以降、彼らの扱う商品──食料品を主とした嗜好品です──を買いに来ることになり、親交を深めたのです。
が、女王討伐戦の勃発が私たちの関係を一変させました。
女王討伐戦に出兵することになった私に、マタルさんから好きだと告白をされたのです。
私は仰天しました。
何故なら、私に対するマタルさんのそれまでの態度は非常にぶっきらぼうで気難しく、嫌われているとすら思えるものだったからです。
当然、彼に恋をしていたと言うこともなく。
たまに優しくしてくれることもありましたが、今日は機嫌がいいのかなーくらいに思っていました。
ですが当時の彼からしたら、私に対する最大級の好意だったのです。
嫌われていたのではないこと、好きになってくれていたことを嬉しく思いました。
そして、精一杯の勇気で告白してくれた彼に嘘はつきたくありませんでした。
なので、こう答えました。
気持ちは嬉しいけど、そういうふうにマタルさんを見たことはない。
だから女王討伐戦が終わったら、お友達から始めようと。
一緒にお話ししたりお茶する時間を、これまで以上に作ろうと。
そして、お互いのことをもっと知っていこうと。
マタルさんは涙ぐんで頷いてくれました。
『わかった。生きろよ、ネネ。そんで戻ってこい。俺も生きて待ってるからな』
女王討伐戦が終わったら、きっと全てが上手くいくのだと私たちは信じていました。
ところが、事態は悪い方向へ大きく舵を切りました。
赤い霧に閉じ込められ、私達はこの地から出ることができなくなりました。
私はどうにか女王討伐戦を乗り越えたものの、しばらくして心が潰れ、マタルさんは女王の苛烈な攻撃によって居場所と仲間を全て失ったのです。
行くところのなかったマタルさんは私の事情を知り、祖父母の暮らしていた山へ付き添ってくれました。
そうして私たちはお互いの傷を舐め合うように関係を持ち、その生活も数年後には徐々に行き詰まりを見せていました。
マタルさんの献身は、嬉しくもありましたが重くもありました。
マタルさんが私のせいで萎れて、潰れていく様を見るのが辛くてたまりませんでしたし、そんなふうにさせている私自身に自己嫌悪を持ちました。
そんな私たちを見かねた担当医が、私とマタルさんに一定期間離れて暮らすことで自立するよう促したのです。
マタルさんは離れたくないと嫌がりましたが、私は担当医の提案を受け入れました。
このままでは、私たちの関係は最悪の形で幕を落とすことになる。
せっかくここまで築いた関係を悲しい結末で終わらせたくない。
何より、マタルさんが元気で働いている姿が見たいと、私はそう伝えたのです。
マタルさんは自分の無力を謝り、ようやく担当医の提案を受け入れてくれたのでした。
そして、今の私達に至るのです。
マタルさん。
夜のお祈りをすませてから昼間の約束を果たし、安らかに隣で眠っているマタルさんの顔を見つめます。
マタルさんはいまだに当時の無力さを嘆く時があります。
その度に私は伝えます。
その当時のマタルさんも無力なんかじゃありませんでしたよ、と。
マタルさんがいなかったら、私は生きていたかも怪しいです。
私が生きて猫たちに会えたのは、間違いなくマタルさんのおかげなのです。
私は手を動かし、マタルさんの髪を撫でました。
吸血鬼になっても揺らぐことのない厚い信仰心を持ち、この酷い世界で商人として懸命に働いている彼を、私は心から尊敬しています。
側から見たら、私達の関係はおままごとのように見えるかもしれません。
そう見られても仕方がない外見をしていますから。
でも、この数年間の共同生活はおままごとではなく真剣でした。
誰がなんと言おうとも、私達は共に生きるために必死だったのです。
しばし髪を撫でていた私ですが、そろそろ寝ようと手を離したときでした。
とっさに伸びた黒い手がガッチリと私の手を掴みました。
そして引き寄せると手の主の頬にあてがいます。
あ、起こしちゃったのかな。
すると、マタルさんの目がパッチリと開きました。
一瞬赤く光りましたが、すぐにもとの黒色に戻り、そして私の手に頬ずりしながら口を開きました。
「ああ、この手の感触、久しぶりだなあ。君の手は相変わらず気持ちがいい」
外見も声も全く変わりはないのに、口ぶりと態度がガラリと変わったのを感じました。
そもそも、さっきまで私に触れていたマタルさんがこんなことを言うはずがありません。
私は思わず目を閉じました。
私とマタルさんの関係を複雑化している、大きな要因の一つが目覚めたのです。
「サーリヤさん、ですね」
「うん。ひさしぶりだね、ネネちゃん。また会えて嬉しいよ」
マタルさんのにっこり顔とは違う、満面の笑みでサーリヤさんは応えました。
しばし頬ずりしていたサーリヤさんですが、私の手を離すことなくムクリと起き上がりました。
「マタルさんは」
「君に会えた安心感と今日の運び出しの疲れから完全に熟睡中。あ、あいつにはちゃんと許可とったよ。挨拶だけならいいってさ」
「……そうですか」
「ホントは君とやりたかったけど、明日から出店だしな。店を出している間は自重する」
飄々とした余裕のある態度は、記憶にあるサーリヤさんのまま。
相変わらずなサーリヤさんに、私は視線を下げました。
「当面自重する気は」
「ないよ。だって今更でしょ。アイツがこの選択肢を選び取り、君もこの状況を受け入れたんだから」
悪びれることなく、いっそ開き直っているとも言える態度に頭痛を覚えました。
深夜の、マタルさんが完全に寝入ってしまった時に気まぐれに現れるサーリヤさん。
雑に説明をするなら、このカラクリはマタルさんの錬血によるものです。
マタルさんの錬血の一つに、血を吸った対象を灰にし、その記憶と姿を身の内にストックするというものがあります。
幾つストックできるかは不明ですが、そもそもマタルさんが、そんな大きなタブーを犯す錬血を何度も使うはずがありません。
女王の攻撃によって完全に死にゆくサーリヤさんを引き止め、共に歩むために、彼は極めて大きな決断をしたのです。
マタルさんがどんな思いでその錬血を使ったのか。
物思いに沈む私を、彼は私の頭を抱えるように抱きしめました。
「だから前から言ってたでしょ。俺は決して君の思うようないい人じゃないって」
言い聞かせるように彼は言います。
その声も手もはどこまでも優しくて温かいのに。
……私のこと、好きだって言ってくれたのに。
「マタルほどの信仰心も持ち合わせちゃいないし、目的のためなら手段選ばないし。弱っていた君らに付け込んで、こんな関係作っちゃうような男なんだよ、俺は」
なぜこんなにズルくて意地悪なことを言うのでしょう。
本当は違うのに。
弱い私が全て悪いのに、何でそんなに自分を悪く言うのでしょう。
「サーリヤさんは、それでいいんですか」
「何度も言っているけど問題ないよ。むしろイイとこどりで文句なし。満足だよ」
私は知っています。
サーリヤさんは、本当はとても面倒見の良い優しい人なのだと。
そうでなければ、マタルさんが大きなタブーを犯してまでサーリヤさんをこのような形で連れて行こうとは思わなかったはずです。
心の傷が原因でマタルさんとの関係が音を立てて軋みはじめ、さらに弱っていた私を助けるために手を差し伸べてくれることもなかったはずです。
「君の体は服越しでも触っていて気持ちいいんだけど、うーん」
そう言うと体を少し離し、私をしっかり見つめてニッコリ笑いました。
「ね、直でおっぱい揉ませて?」
前言を撤回したくなりました。
「自重すると言いましたよね」
「だからおっぱい揉むだけ」
「それは挨拶の範疇を超えていませんか」
「超えてないよ」
「それはおかしいです」
すると、サーリヤさんは分かりやすく悲しげに表情を歪めました。
「寝る邪魔はしないよ? ……ダメ?」
マタルさんの顔でその表情はズルくないですか。
この数年でサーリヤさんの性格はわかっているつもりです。
ですがそれは、相手も同じなのです。
本当にこの人は──。
私は心を鬼にして言いました。
「ダメです」
「どうしても?」
「しばらくはご遠慮下さい」
「……わかった」
心からガッカリした様子でサーリヤさんは肩を落としました。
が、パッと顔を上げてニッコリ笑います。
「じゃあ、くっついて寝ていい?」
めげませんね、この人。
……仕方ない。
私はため息をつき、彼にそっぽを向いてベッドに横になりました。
「くっつくだけですよ」
「うん! やった!」
そう言うやいなや、素早く寝転がり私に体をくっつけると、腕と足を私の体に絡めました。
「あー、君の匂いと感触、我が家に帰ってきた感じ? 落ち着くわー」
「早速うるさいですよ」
そう言っているのに、彼の熱い吐息が耳ににかかりました。
「……また今度やろうね?」
「黙らないなら、マタルさんに言い付けてもう二度と」
「ごめんなさい黙ります」
声を固くして機械的に言うと、その言葉を遮って彼は謝り、その後は大人しくしていました。
──異教徒の祈りなんて届かないでしょうが、それでも。
弱くて愚かで罪深いのは私です。
私達三人の罪と過ちと、その責と咎は私の身に。
この二人には、安らかな眠りと幸福をお与えください。
結局寝れたのは、彼が寝落ちた後でした。
◆
次の日、天気は風は緩やかにそよぎ、雲も少し出ていましたが太陽はすっきりと顔を出しています。
午前中から山は賑やかになりました。
私とマタルさんとでタープを張っていると、ヤドリギを使ってお客さんがやってきたのです。
「おはよう、ネネ、マタル」
「お久しぶりー」
やってきたのは大きな荷物を背負った五人組の大工集団です。
リーダーのエリアスさんと出会ったのは、マタルさんと住み始めて半年くらい経った頃でしょうか。
エリアスさんは血涙を求めてこの山に登ったものの、道迷いになり遭難、堕鬼になりかけていたところを私が助けたのが始まりでした。
当初は一人だったエリアスさんでしたが、今では同じ大工仲間を引き連れて、拠点や保護区の建物の修理や改修を行いながらこの地を巡っています。
「おお、御一行、おはようございます! お早いですね」
「ああ、先に血涙取って来ようと思ってな。五人分ある?」
その言葉に私は頷きます。
「はい。まだ深層の方も十分にありますよ」
「そりゃ助かる。蟹渡りの崖は難易度高くてな」
「でも一応できるんでしょ?」
マタルさんの言葉にリーダーのエリアスさんは苦々しく頷きます。
「ビレイヤーがいれば俺はできるよ。ネネとサーベラスの連中に叩き込まれたからな。でもコイツらは──」
エリアスさんが四人に顔を向けると、彼らはそれぞれ明後日の方向に顔を向けました。
分かりやすすぎです。
マタルさんは苦笑しました。
「なるほど。でも、そろそろできるようになった方がいいですよ。深層の泉もいつまでもあるとは限りませんからね」
「だな。あの南地区でまた一つ保護区が潰れたらしいし」
「え!? マジですか。ただでさえあそこ、今は不味いのに」
「ああ。いよいよやばいんじゃねーの」
エリアスさんたちとマタルさんが世間話をしている間に、私はタープを張り終え倉庫からの品出しを進めることにしました。
この地は臨時総督府を中心とし、東西南北とで地区が分かれています。
強大な権限を持つシルヴァ司令が何故か表に出ることがなくなり、各地の治安の悪化が懸念され始めました。
そこで各地方隊の司令官が臨時で自治を行うことになったのです。
私が住んでいるこの山は北地区にあたり、私の前職の上司だった大隊長が実質統治しています。
以前、前職の小隊長がこんなことを言っていました。
『大隊長は元々優秀な将官だったのに、シルヴァ司令と吸血鬼運用の件で激しくやり合って降格、地方に飛ばされたって話だ。あの人らの仲の悪さは深刻で、本部の頭痛と胃痛の種になっているってもっぱらの噂だ』
更に聞いた話では、大隊長はシルヴァ司令の定める規定の税を、老獪で抜け目のない駆け引きを本部と行った末、据え置きに成功したのだそうです。
そのため北地区は、他の地区に比べて税は緩いと言われています。
しかし、流入してくる人は少ないです。
理由は明快で、山が多く人が住むには不便な点が多いからです。
市街地からも遠いですしね。
山が最新のトレンドや文明から置き去りにされるのは、大崩壊前から定められた宿命のようなものです。
対して南地区は、シルヴァ司令を尊敬している将官が統治していると聞いています。
南地区は市街地や臨時総督府へのアクセスも良好で、人が住むにはもってこいの場所です。
しかし税の高さもピカイチであり、人口の増加に対して血涙の数が不足している事態に陥っていると言われています。
当然、乾きに耐えかね暴走の末に堕鬼になる吸血鬼の数も増加の傾向にあるのでしょう。
堕鬼は、血涙の泉やヤドリギを枯れさせる瘴気を発生させる存在であり、この地において深刻な問題かつ、一番厄介な問題です。
堕鬼以外にも問題は山積みなのに、シルヴァ司令の政策は世間のことを無視しているかのように見えます。
当然、この地の吸血鬼の不満が高まっていることは、山に引きこもる私にも予想はできました。
マタルさんとエリアスさんの世間話に区切りがついたところで、私はエリアスさんに告げました。
「余力があったらでいいですけど、深層で活動している堕鬼がいたら寝かしつけてもらえませんか。泉とヤドリギを守るためにも必要なことなので」
「了解。あそこの堕鬼だったら俺たちでも対処できる。任せてくれ」
言って彼らは荷物を置くと、早速ヤドリギから深層へ向かいました。
マタルさんがこちらを向きます。
「あれ、山狩りはまだ先だったか?」
「本当は年末前にやる予定だったんですけど延期になったんですよ。一部の深層で堕鬼が活性化していて、こちらに手が回せないからと来年初めになりました」
「……ふーん、そう」
思案した様子でマタルさんは応じました。
「ま、ここでしっかり山狩りして自治ができていることを示せば、保護区化することなくいられる。実績作りにはもってこいだ」
「今は人が多いから助かってますけどね」
「いいじゃん、利用しようぜ。誰も損することはない。win-winだ」
笑顔で言う彼に私は頷きました。
その後もマタルさんの指示に従ってお手伝いを続けました。
猫たちはといえば、店の周辺をグルグル回って匂いを嗅いだり、商品の入った箱の上でくつろごうとしたり、足元に置いてある火鉢の近くで暖を取ったりと相変わらず自由です。
でもどこか、落ち着きがないように感じられました。
猫たちも多くの気配を感じ取っているのでしょうね。
「おーい!」
「あ! マサルだ!」
ヤドリギでなく東ルートからやってきた人影は、巻機さんたち例の三人組とクゥシンさんです。
「おはようございまーす」
「おはようございます。どーもどーも兄さんたちお久しぶり。お嬢さんは初めまして。あと少しで開店しますよ」
「おっ、そうなると俺達が一番乗りだな」
「先客は来ましたが、血涙採取に行きましたんでね」
すると三人組の最年少、石鎚さんが顔を輝かせました。
「一番乗りのサービスは?! 菓子一箱サービスとか!?」
「生憎そういうサービスはやっていませんので」
「ちぇ、なんだよ」
「イッシー先輩、そういうとこが図々しいって言われるんだよ。控えたほうがいいよ」
呆れた表情を浮かべて言うクゥシンさんに、石鎚さんが引きつった笑みを浮かべて言い返します。
「うるせー。お前にだけは言われたくねーわ」
「私はイッシー先輩ほど図々しくないもん。普通だもん」
「普通に図々しいのもどうかと思うぞ」
律儀に突っ込むのは、恐らくこの四人の中で一番理性的な黒部さん。
今日も朝からお疲れ様です。
「今日はヤドリギからではないんですね」
「ああ、ベティさんに山狩りしながら行けって言われたんでな」
巻機さんが頭を掻きつつ答えます。
「てか、最近増えているよな? さっきも二体会って倒してきたぞ」
「ありがとうございます。増えているというより、目覚める個体が多くなっている、と言ったほうが適切かと」
私は先程マタルさんに話した、サーベラスの訓練事情を話しました。
「そっかー。にしても堕鬼も冬眠してくれりゃいいのにな」
「そだな。そうすれば、もっとこの地も生きやすいんだけどな」
「残念ながらこちらで冬眠させる必要がありますので、サーベラスの訓練が行われるまでの間は、皆さんのお力をお借りすることになります」
巻機さんは笑顔で頷きました。
「ああ。この山に世話になっている間は協力するよ」
「私も頑張ります!」
「はい、よろしくお願いします」
私と巻機さんたちと話している間にも、開店の準備を進めていたマタルさんが手を一つ打ちました。
「さあお待たせしました! 開店しますよ! よく見てたくさん買っていってくださいね」
言って商品に被せていた、鮮やかな布を次々と剥がしました。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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