銀嶺が青むまで   作:小栗チカ

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一日目 午後から夜

彼らをすぐにでも休ませたかったのですが、とにかくばっちぃことになっていたので、洗面道具とタオル、替えの服とサンダルを渡し、近くに湧いている温泉を教えました。

黒部さんは荷物と装備を置いていくことに警戒したようですが、他の二人に急かされて結局武器を担いでついて行くことに。

ベティさんは彼らの背中を見送りながら、再び苦笑しました。

 

「しっかりしていること。あの子がいたからこそ、三人で放浪生活ができていたんだろうね」

「ええ。間違いなく」

 

ベティさんの言う通り、しっかりした黒部さんがいたから、三人で過酷な放浪生活ができていたのでしょう。

ブレーキがあるから、安心してアクセルを踏めるのです。

彼らが温泉に行っている間に、彼らの装備と荷物、彼らが寝ていたマットを消毒しました。

 

「消毒液、だいぶ減ってきたね。来山する人、最近少し増えているせいかな」

「そうですね。今度部隊の人が来た時に頂けるようお願いしておきます」

 

消毒を手伝ってくれたベティさんは、さらにお茶の道具を片付けてくれました。

そして、ポイントさんとフランチェスカが戻ってきたところで、彼女は自分の拠点へ戻ることになりました。

 

「あの子たち、いつもの予定でいくの?」

「ええ。なので、またベティさんにもお手伝いをお願いするかと」

「問題ないよ。いつでも声をかけてちょうだい」

 

尻尾を振って、私を見上げるフランチェスカ。

彼女の顎と耳の後ろを撫でます。

 

「ええ、貴方もお願いしますね」

 

すると、彼女は相好を崩し、さらに尻尾を振りました。

そうして、東の道から山を降りる一人と一匹を見送ります。

山の知識と技術を身につけている彼女なら、天候が許す限り、ここまでの往復は全く問題はありません。

三人ということで急遽、室内の準備をし直し、たっぷり二時間近く温泉にいた彼らは、ピカピカのホカホカになって再び私の前に現れました。

 

「熱めのいいお湯だったな」

「ああ、サッパリしたよ」

「オレさー、オッサンやオバサンが温泉が好きって理由、よくわかんなかったんだけど、今日それがわかったような気がすんだよねー」

「ホントかよ」

「大人の階段一つ登ったんだな、イッシー」

 

呑気に賑やかに感想を述べる三人を室内へご案内。

元は祖父母の寝室だった部屋に通します。

南側に窓が一つつき、ベッド二つとお布団が一組置かれた必要最低限の部屋です。

サイドテーブルには、私が探索で拾ってきた、お気に入りのレイルロード型のランタンと、お茶道具がセットしてあります。

 

「ベッドは二つしかないので、お一人は布団になります。布団の下にマットを引いていますが」

「おおっ! まともな部屋だ!」

「すげー!」

「十分すぎるくらいだよ。てか、本当にここ現実か?」

 

私の言葉をさえぎって、三人は嬉しそうに声を上げました。

彼らが今までどんな生活をしてきたのかは不明ですが、少なくとも保護区を出てからは、安心して眠れることの方が少なかったと思われます。

私は説明を続けることにしました。

 

「サイドテーブルのポットはお湯です。お茶の道具は用意してあるので、お好きにお飲みください。私は午後はほぼ外にいて、夕方以降は家にいますから、何かあったらお呼びください。それと今夜、この拠点のルールと明日のスケジュールについてお話ししましょう」

 

彼らはそれぞれに返事をし、私は部屋を出ます。

 

「それではごゆっくり」

 

言って、私はドアを閉めました。

リビングまで進んだ時、彼らの賑やかな話し声が聞こえてきました。

大方、部屋の感想と誰が布団で寝るかの話し合いでもしているのでしょう。

特に興味はなかったので、そのまま仕事に入ります。

自分と猫の食器、そして私と彼らのばっちぃ服やタオルを水場で洗い、服を庭へ干してからもう一度彼らの部屋へ向かいました。

リビングでじゃれていた猫たちが、何を思ったのか足元に付いてきます。

部屋は静かになっていて、そっとドアを開けると、彼らは光が差し込む部屋でぐっすりと眠っていました。

猫たちが興味を持って入ろうとするのをとどめて、ドアを静かに閉めました。

 

「お静かに。ゆっくり寝かせてあげましょうね」

 

言葉が通じたかは知りませんが、猫たちはあっさりと身を引き、リビングの窓辺に飛び移って毛繕いを始めました。

あの三人は徹夜でハードな山歩きをし、堕鬼に襲われ暴走しかけ、犬に追い回されて山道を走ってきたのです。

そこに血涙で飢えが満たされ、温泉で綺麗サッパリ温まったら、後はもう寝るしかありません。

 

この地で生きるものならば、もっとガードを固めて警戒すべきとは思います。

しかし、ここに要救助者として来るほぼ全員、途中をすっ飛ばすことはあっても最終的に辿り着くのはこの結末でした。

体の欲求には逆らえませんから。

それとは別にガードが下がってしまう理由としては、暖かい印象を与えるこの家の外観と、二匹の猫の力も大きいと思います。

さて、お昼休憩をしましょう。

午後も仕事は山積みです。

伸びを一つして、私は台所へと向かいました。

そして、彼らは日が落ちても部屋から出ることなく、ぐっすりと眠り続けたのでした。

 

日が沈み気温が下がり始めた頃、洗濯物を取り込み、ほぼデッドスペース状態の風呂場へ移動。

日中、付属のソーラーパネルで充電したポタ電でサーキュレーターを起動し、洗濯物を乾かすことにしました。

元々乾燥しているこの地域、寝る前まで動かしておけばだいたい乾きます。

そして、家のランタンを点けて戸締り。

彼らの部屋のランタンを点けて、窓を閉めるついでに声をかけたのですが、もう少し寝かせてくれとのこと。

夕飯後、改めて起こしに行くことにします。

彼らは普通の吸血鬼でしょうから、食い意地の張った私と違って夕飯は必要ないのです。

そして、猫たちお待ちかねの夕飯の準備を始めました。

ご飯の入っている戸棚を開けた途端、耳の良い猫たちが私の足元へ突撃してきます。

茶トラさんが今朝同様、にゃもにゃもにゃもにゃも話しかけてきました。

 

『ご飯だーごはーん。ねーねーご飯なにー? お肉? お魚? ボクね、アジが食べたい。イワシでもいいよ。お肉なら鶏肉ー。ささみ大好きー。あ、モモ肉も好きだよ。ボクいい子で待ってる。だから早くしてねー』

 

なーんて。

……アジ、食べたいな。

シンプルにたたきかな。

サクサク熱々のフライや、備え付けの香味野菜と甘酢がしみじみと美味しい南蛮漬けも捨てがたいです。

イワシはオイルサーディンが出回っていますが━━原材料のイワシの出処は不明です━━、パン粉で揚げたりマリネにしたり、バリエーション豊かに食べたいところ。

個人的に大好きな鶏の唐揚げなんて、もう何年口にしていないことでしょう。

……今日の夕飯、オイルサーディンに野菜をぶち込んだアヒージョもどきにしようかな。

でもこの献立、もう何回やっていることやら。

思わずため息をついた時、ポイントさんと目が合いました。

青い目は訴えます。

 

『大人しく待ってるから早くして。待ちくたびれたよ』

 

という感じでしょうか。

えーえーわかっていますとも、にゃもにゃも。

今朝と同じご飯ですが、ウェットの配分を少し多めにしてまぜこぜ。

はい、できあがり。

遅いよー、早く出してー、隠すなー、お腹ペコリーナだよー。

声で目で訴える猫たちを退けながら、いつもの布を敷いてご飯をおきます。

 

「はい、召し上がれ」

 

猫たちは即、器に飛びつくと勢いよく食べ始めました。

そして自分の夕飯━━結局アヒージョっぽいの━━を作り、カウンターでいただきます。

何度も作っているだけあって、美味しくできていました。

赤唐辛子とニンニクが、良い仕事をしています。

ニンニク好きなので、もっと入れたかったのですが、お客さんもいるので自重しました。

食べながら、脳裏に母と祖母の姿が浮かびます。

料理上手なあの二人が生きていたら、限られた食材でもきっと家族を満足させられる食事を作れたことでしょう。

お母さん、お婆ちゃん。

もっとお手伝いして、色々教えてもらえば良かった。

死んで吸血鬼となり、一人で食事を作るようになってから幾度となく繰り返してきた後悔を、咀嚼したご飯と共に飲み込みました。

 

「にゃんもにゃーも」

 

口の周りを舐めながら、茶トラさんがこちらを見て話しかけてきます。

 

「はい、どうしましたか?」

「にゃむんにゃも、むにゃも」

「ええ、たまには別のものも食べたいですよね。今度商人さんに、他に種類がないか聞いてみますね」

「にゃも」

 

もちろん、茶トラさんの言うことは分からないので返事は適当です。

でも彼は満足したのか、再び食事を再開しました。

食事後、再度三人を起こしに行き、彼らが来る間にコーヒーの用意。

炒った豆を丁寧に挽きます。

彼らはランタンを手にして賑やかに話しながら、リビングへやって来ました。

ソファに座るよう促し、私は豆を挽く作業を続けます。

 

「おー、ここは明るいな」

「この家、壁と屋根があって窓も閉じてるから、外光が入らないんだよ。ランタンの明かりだけじゃあな」

「棘の光でこの世界って意外に明るいんだな」

「っすねー。てかこの感じ、何か停電した時みたいだ」

「それだ。台風とかで停電した時こんな感じだった」

 

彼らの指摘通り、この家は窓を閉めると真っ暗です。

この家は、冬の厳しい寒さを凌ぐために高気密高断熱の造りとなっており、窓も必要最低限の大きさと数になっています。

家にはLEDランタンを設置していますが、ランタンの数も電気の量も限りがあるので、家の隅々を照らすには至りません。

 

「蛍光灯って、実はスゲー奴だったんすね」

「な。発明した奴、今にして思えば神だよな。マジで光あれ! しちゃうし」

「確か蛍光灯の基礎を発明した奴の、親父と息子も超有名人だぞ」

「三代揃って神っすか。で、その神の名は?」

「名前は……名前。……あれ、何だったかな、思い出せない」

「ベクレルさんですね」

 

私は挽いた豆をドリッパーに入れお湯を注ぎながら、黒部さんに助け舟を出します。

巻機さんがハッとした表情で顔を上げました。

 

「あ、聞いたことある、ベクレル。確か何かの単位だった」

「へー。何の単位すか」

「だからそれは忘れたって。理数系、いつも赤点ギリギリだったし」

「オレなんていつも赤点だったすよ」

「ダメじゃん、イッシー。少しは勉強しろよ」

 

笑い合う巻機さんと石鎚さんですが、黒部さんは黙ったまま。

その様子から、その名前を聞いても思い出すことはなかったようです。

単純に時間経過に伴う記憶の劣化か、死に戻りの後遺症か。

吸血鬼は、心臓を潰されない限り死ぬことはありませんが、それでも致命傷を負うと傷ついた体を霧と化し、安全な場所で元の体に再構成する性質を持っています。

心臓を住処にする謎の寄生体の力にして、吸血鬼の不死のカラクリです。

ですが、そんな都合のいい話ではありません。

霧散する際、過去の記憶を無くしてしまうことが多々あるのです。

彼らは、この過酷な世界に生きる吸血鬼。

死に戻ることは経験済みでしょう。

一度も死なず、記憶を連続して持ち続けている吸血鬼はいないとは言えません。

しかし、限りなく数は少ないと思います。

私も例外ではなく、大崩壊前の故郷で仲の良かった友人たちの名前や、思い出のある街やお店、川や湖、山の名前、その位置情報をなくしていました。

他人からすれば些細なことでも、当事者にとっては一大事なことはよくあること。

自覚した時に大きなショックを受けたことを、今でも鮮明に思い出せます。

 

「みゃあ」

 

猫の鳴き声に、私は我に返りました。

私室で食休みをしていたポイントさんが、いつの間にか足元で私を見上げています。

巻機さんは、顔をLEDランタンよりも明るく輝かせました。

 

「ネ、ネコ、ネコチャ、ネコチャ!」

「あー、先輩の病気が再発した」

「いいじゃん。こんな機会滅多にないんだ。せっかくだし、そっとしとこうぜ」

 

引き気味の石鎚さんに、黒部さんは苦笑して宥めました。

ポイントさんの登場で、黒部さんも現実に戻ってきたのでしょう。

 

「お待たせしました。コーヒーいれましたのでどうぞ」

 

三人にコーヒーを渡すと、それぞれにお礼を言って受け取ります。

 

「コーヒー飲むのも久しぶりだな」

「ああ。見ろよ、マグカップも立派なもんだぜ」

「てか、熱くて飲めねー」

「ステンマグなので当分熱いです。お気をつけて」

 

彼らに出したステンレスマグカップは、祖父母の私物。

銀色のタフネスボディは、ちょっぴり重いですが、中身の液体の温度を長時間保ち続けてくれるナイスガイです。

陶器の類は、大崩壊の際にほぼ壊れてしまい、軽くて丈夫で収納のしやすい、アウトドアの食器がこの家では活躍しています。

無駄を削ぎ落とした美しさと機能性は抜群ですが、愛想はありませんし、老人二人の終の住処で数自体が少ないです。

ベティさんも指摘していましたが、ここに訪れる人も最近少し増えています。

今度の探索の時に探してみましょうかね。

三人のコーヒーの評価は、熱いけど美味いとのこと。

お口にあったようで何よりです。

私は椅子を持ってくると、珍しく膝の上に乗りたがるポイントさんを抱き上げて座りました。

 

「それでは、本題に入りましょう。この拠点のルールです。一つは暴力行為は当然厳禁。行為に及んだ場合は、拘束し治安維持部隊に報告します」

「えっ、ここ、サーベラス来んの?」

「ええ。この山、彼らの訓練で使用することがあるんです」

 

嫌そうな顔をする石鎚さんに、私は頷きました。

サーベラスとは、治安維持部隊の名前。

私の前職は、この前身にあたる軍事組織でした。

現在の治安維持部隊は、保護区の防衛や深層の調査等で多忙であり、こんな辺境の山の面倒まで見きれません。

そこに、山に多少の知識のある私が住み着いたことで、山の管理を押し付けてきたのです。

そんな私の立場は、この山とその周辺の管理代行者といった所でしょうか。

 

「大丈夫だ。安心してくれ」

 

巻機さんは表情を引き締め、ポイントさんを見つめながら言います。

 

「俺たちはネコチャンたちの安心安全なため、全力を尽くす」

「え、オレたち? オレも入ってんすか?」

「やめとけイッシー、猫スイッチの入ったシューちゃんに何を言っても無駄だ」

「しょうがないなー」

 

猫たちと猫好きリーダーのお陰で、どうやら暴力沙汰は回避され平和を保つことが出来そうです。

めでたしめでたし。

 

「二つ目は、この拠点の滞在期間は天候等の理由がない限り、最大で二泊三日とさせていただきます。ここはあなた方のような人の避難所で、そのため部屋に空きを持たせたいからです」

「確かにこの家、宿泊施設じゃなくて普通の家だもんな」

「新築するにしても改装するにしても、物資も技術も人手もありませんので。申し訳ないんですけどね」

 

私の膝の上に寝そべり、毛繕いをするポイントさんの体を撫でながら、そっと息を吐きます。

仮にこの三つが揃っていても、この山を含めた周辺の道路の整備が全くできていないため、それらを運ぶのも大仕事。

一見平和そうなこの山も、問題はどっさりあるのです。

 

「三つ目は猫のことです。大崩壊前にあった猫カフェはご存じですか?」

「もちろん!」

「行ったことはないけど知ってる」

「オレもー」

「そうですか。皆さんには猫カフェのルールで猫に接して欲しいんです」

 

猫カフェのルール。

それは、猫の嫌がることはしない、汚れた手や体で触らない、無理やり抱っこしない、膝に乗せない、餌やおやつをあげないなど、とても基本的なことです。

 

「この家に置いてあるおもちゃで遊ぶのはOKです。近づいてきたら触るのも構いません。基本は眺めて楽しみ、優しく接してあげてください」

「本当に猫カフェルールだ」

「人間の獣医さんの指導なんですよ」

 

感心したような口調の巻機さんに、私は説明をします。

この二匹の猫たちは書類上、保護したのは私でも、管理は人間の住む保護シェルターとなっています。

簡単に言えば、私がシェルターから猫たちを借り受けている状態になっているのです。

何故そんなことになっているのか。

色々あるんです。

 

「飼い主に何かあった時、保護してくれるあてがあるのはいいことだよな」

「そうですね」

 

保護シェルターで安定した生活が約束されている人間とは違い、私たち吸血鬼の立場は不安定そのもの。

そんな私たちが猫を飼うのなら、万が一の時のために、逃げ道や手段を用意するのも大切な務めです。

それが出来なかったから、この二匹は捨てられたのですから。

 

「最後、何かあったら必ず私の指示に従うこと。ルールは以上になりますが、ご質問はありますか?」

 

すると、黒部さんが私を見ました。

 

「質問はない。だからこれは感想みたいだもんだけど、……何と言うか、今のここの状態は、あんたが色々な組織と繋がっているから成り立つものなんだな」

「ええ。こんな環境です。組織の手助けなくして、この生活を維持することは不可能ですよ」

 

もちろん、この地には色んな吸血鬼がいます。

一人で管理できる力持った吸血鬼もいるかもしれません。

でも、私には無理です。

女王討伐戦が終わった後で心がボロ雑巾と化し、それが原因で前職を去って、今もお医者さんのお世話になっている私には絶対にできません。

 

「にゃも」

 

と、やはり私室で食休みしていたはずの茶トラさんがやってきました。

 

「おお、もう一匹のネコチャン! みんな聞いてくれ。俺は今、神々のおわす楽園にいるぞ!」

「そっすか」

「良かったな」

 

歓喜の声を上げる巻機さんを、残るお二人は呆れたマナコで見つめます。

彼は今、この地で五本の指に入るであろう幸せな人に違いありません。

そんな三人に構うことなく、茶トラさんは前足を私の足にくっつけて見上げました。

 

「にゃーも」

 

そうですか、貴方も膝の上に乗りたいですか。

私は茶トラさんを抱き上げ、膝の上に乗せました。

茶トラさんは早速ポイントさんにくっつくように寝そべり、せっせと自分の毛繕いを始めます。

二匹とも今はそこまで体は大きくありませんが、完全な大人の体になったら、二匹同時に膝に乗せるのは難しそうです。

話を戻しましょう。

 

「質問はないようなので、皆さんの明日の予定を━━」

「お、おおおおおおん」

 

私の話を遮り、謎の声を上げる巻機さん。

目元を手で覆い悲嘆にくれた様子です。

突然のことに、私は口をつぐみます。

 

「シューちゃん?」

「先輩、どうしたっすか?」

 

当然お二人も困惑して声をかけると、巻機さんは首を振りました。

 

「みんな聞いてくれ。俺は今、絶望の淵に立っている」

「は?」

「楽園にいるんじゃなかったすか?」

「ああ」

 

巻機さんは頷き、うなだれます。

また随分とフリーフォールな展開。

あまりの高低差に耳がキーンとなりそうです。

というか、この一分も満たない間に何がありましたか。

 

「カメラがない。スマホがない」

「え?」

 

悲壮感すら漂わせて言う巻機さんに、私は耳を疑います。

多分、他のお二人も間違いなく同じ気持ちでしょう。

 

「神々の心洗われる姿を目の前にして、それを記録する術が何も無い! これもう悲劇だろ! シェイクスピアも思わず涙目だろ!」

 

そう言って彼が指した場所は私の膝の上の猫たち。

茶トラさんがポイントさんに毛繕いをし、お返しにとポイントさんも茶トラさんに毛繕いをしていました。

猫好きにはたまらない、仲良し兄弟の和みマックスな光景です。

 

「森山さん」

 

なんとも言えない空気の中、黒部さんと石鎚さんが私を見ました。

その表情は揃って、悟りを開いたかのように穏やかなもの。

そして、この時この瞬間、私たちの心は確かに一つになったと思います。

 

「バカは放っておいて話の続きをしよう」

「確か、明日の予定のことだっけ」

「はい、そうです」

「お前らシカトすんなよ!」

 

喚く巻機さんを無視し、私は改めて口火を切りました。

 

「明日の皆さんの予定は決まっていますか?」

「当然。血涙を探しに行くんだよ」

 

石鎚さんが鼻を鳴らして言います。

やはりそうですか。

彼らがこの山に来た目的は、血涙を探すことでした。

 

「あんたのお陰で今は何とかなったけど、今のうちに少なくとも一人一個は確保しておきてーんだ」

「そうですね」

「そもそも、この山に血涙の泉はあるんだよな?」

 

黒部さんの確認の言葉に私は頷きます。

 

「はい。この山の周辺を含めて三箇所あります」

「三箇所!?」

 

驚きの声を上げる三人。

さすがに巻機さんも、絶望の淵からお戻りになられたようです。

 

「すげえ!」

「ここにいれば、血涙取り放題じゃん!」

 

喜びと欲望で彼らの目が輝きます。

 

「でも、それならもっと吸血鬼がこの山に来てもいいような」

 

黒部さん、鋭いですね。

 

「行くの面倒だからとか?」

「俺達も人から聞かなかったら、この山のこと知らなかったし、絶対足を向けなかったよな」

「実際どうなんだ?」

 

黒部さんがたずねたので、私は正直に答えることにしました。

 

「おっしゃる通り、ここは臨時総督府や市街地からだいぶ距離がありますから情報が広まっていないことは事実です。後、サーベラスが出入りしていますから、情報を知っても思うところのある人は、近づきたくないというのもあるでしょうね」

 

私は言葉を切り、三人を見渡します。

 

「ですが、無事にここまでたどり着けたとしても、そこから血涙を採取するまでの労力もまた大きいので、情報を知る側も勧めづらいというのもあります」

 

すると黒部さんは顎に手を当てました。

 

「そういや、あのガキの商人、行くんだったら色々な面で余裕を持って行けって言ってたな」

「ああ、言ってた」

 

腕を組み頷く巻機さん。

この場所を知る子供の商人ですか。

脳裏に、見かけは石鎚さんと同じ年頃の少年の姿が浮かびました。

間違いなく彼ですね。

 

「なあ、労力も大きいってなんだ?」

 

石鎚さんは、コーヒーをフーフーしながら聞いてきました。

 

「取るのも大変ってこと?」

「はい。山の知識と技術、装備が必要になってくるんですよ」

「んなもん、努力と根性と錬血で━━」

「錬血の内容にもよりますが、精神論でどうにかなるものじゃないです」

 

言いながら、私はちょっと考えます。

彼らが辿ってきたルートにはいくつかの岩壁あり、クライミングの技術が必要なのですが、彼らは登れています。

つまり彼らは、クライミングの技術か、移動に関する錬血を持っているということ。

興味が少しわきましたが、それはさておき、いつもの提案をすることにしました。

 

「せっかく苦労してここまで来たのに、道迷いで死に戻る、運が悪ければ、堕鬼や灰になってしまう。そんな結末は、同郷の吸血鬼として心苦しいです」

 

私の言葉に不満そうな石鎚さんに、目線を合わせます。

 

「なのでどうでしょう。私が皆さんを、それぞれの血涙の泉の近くまでご案内しようと思うのですが」

 

すると、巻機さんは表情を輝かせました。

 

「おお! マジか!?」

「いやでも、さすがにそれは。地図さえあれば、俺たちだけでもどうにかなると」

「そうですか」

 

遠慮しようとする黒部さんに、私は膝に乗っている猫たちを下ろし、地図を持ってきて彼らの前に広げました。

 

「読めますか?」

 

三人は地図をしばし見つめ、そして戸惑った表情で私を見ました。

 

「……えっ、と、これは」

「や、これ確かに地図だけどさ」

「ゲームの攻略とかにあるような地図じゃねーの?」

「残念ながら、ここはゲームではなくて現実です」

 

そうならどれだけ良かったことか。

私の見せた地図は、この山と周辺の等高線と地図記号が記されたもの。

サーベラスの測量士が作成し、管理の為にと提供してくれたものに、私がさらに情報を書き込んだものです。

すると、石鎚さんはムキになった様子で言いました。

 

「じゃあ、スマホのアプリのようなやつは?」

「過去の地図は、地形がほぼ変わってしまった現状では参考程度にしかならないです。過去の地図を見てこの地に思いを馳せたいというならありですが、なんと言いますか、お察し下さい、ということで」

「あーもー! 何だよ、このクソゲー感!」

 

石鎚さんは不貞腐れ、そっぽを向いてしまいました。

 

「しゃーねーよ、イッシー。現実はゲームみたくユーアイとユーエックスのことなんて考えてくれねーって」

「そーっすけどー」

 

宥める巻機さん。

……ユーアイ、ユーエックス?

思わず発言者を見ると、彼は私の疑問を察したのか説明をしてくれました。

ユーアイは、ユーザーインターフェースの略であるUI、使用者の使い勝手のこと。

ユーエックスは、ユーザーエクスペリエンスの略であるUX、使用者の経験、もしくは体験のこと。

ゲームに限らずあらゆる人工物は、それらを考慮して設計がなされるのだとか。

一つ勉強になりました。

そんな彼らの隣で、黒部さんは地図に目を落としていました。

 

「これは、地図読みの知識が必要だな」

「地図を読むのに知識なんて必要なん?」

「今俺ら、目の前の地図読めないだろ。山登りをする連中とかが、この手の地図を読むための知識だよ」

 

私は黒部さんを見ます。

 

「お詳しいですね」

「ば……祖母が趣味で登山してたから、ちょっと聞いたことあるってだけだ」

「ゴロちゃんのバーチャン、すげー。これ読めてたんだ」

「みたいだな。でもいい歳だったから、両親は心配していたよ」

 

素直に感心する巻機さんに、黒部さんは小さく笑い、懐かしそうな表情を見せました。

私は改めて提案をします。

 

「そういうことなので、明日は私がご案内しましょうかという提案です」

「なるほどな」

 

さすがに黒部さんも納得したようで頷きました。

不貞腐れる石鎚さんの肩を抱き、巻機さんは笑顔を浮かべます。

 

「よっし、んじゃ決まりだな。森山さん、お願いできるか?」

「わかりました。諸々の行程で時間がかかりますから、明日は早めに出発しましょう。夜明け前に起こしにうかがいますね」

「ウッス!」

 

と、私の足に体を擦りつけていた茶トラさんが、テーブルの上にビョッと飛び乗りました。

地図の上にちょこんと座り、私を見上げます。

 

「にゃも」

「茶トラさん、おりてください。踏んでいるのは大切な地図です」

 

しかし、茶トラさんは退くどころかペタリと寝そべりお腹を見せる始末。

 

「あはー、にゃもにゃもー、可愛いでちゅねー、いい子でちゅねー!」

 

再び猫スイッチの入った巻機さんに、再び他の二人と気持ちがまた一つになったことを確信します。

これと浅慮なところが改善されれば、いいリーダーになれると思うですが。

三人は部屋に戻らず、茶トラさんを眺めたり、触ったり、おもちゃで遊んだり、コーヒーを飲んだりして時間を過ごしました。

私は彼らを観察しつつ、ポイントさんに毎晩恒例のブラッシングをし、ご機嫌になった彼の腕枕になっていました。

しかし、やはり過酷な放浪生活で疲れていたのか、彼らは一時間ほどで部屋に戻り就寝。

おやすみなさい、良い夢を。

私は体を拭いて歯磨きをし、朝ごはんの準備と戸締りの確認をしてから私室へ戻りました。

しかし、眠るのはまだ後。

明日の準備をしなければなりません。

元々は祖父の仕事場だった部屋の一部は、探索のギアと祖父母の遺品置き場になっています。

バックパックに必要なギア一式と、お馴染みの各種の薬など、探索に必要な装備をつめつめ。

あの三人の持ち物も先ほど聞き出しましたが、大変に心許ない状態だったので、そちらも準備します。

また商人さんから調達しないとですね。

一通りの準備を終え、スチールラックに山と積まれる道具を眺めました。

その半分以上を占める祖父母の遺品は、ここでの生活を支える重要アイテムです。

血涙と同じか、二度と同レベルの製品が手に入らないことを考えれば、それ以上に大切な財産のように思えます。

特にキャンプや登山等のギアは、祖父が山岳ガイドだったこともあり、大崩壊前の極めて質の高いものばかり。

経年劣化で使えなくなったものもありましたが、それでも前職の装備よりも性能がいいものもあります。

本当に恵まれているし、ありがたいことです。

 

ランタンをサイドテーブルに置くと、目に入るのは時計と、祖父母と私の家族の写真です。

私はベッドに腰を下ろし、写真立てを手に取りました。

遺品を整理した時に、小箱に入っていたのを発見して、探索中に見つけた写真立てに飾っています。

箱に入っていた写真は、祖父が撮ったであろう、息を飲むほど美しく威厳のある山や谷、氷河、緑が目映い花畑、素朴でありながらきちんと整備されたオシャレな村の風景といった、今では確実に失われた大地の姿です。

中には、祖父が山岳ガイドをしている時ものや、登山家たちと一緒に撮ったものもありました。

その中に、この家が作られた時に家族が揃って写っている写真を見つけたのです。

写真の中の家族にいつもの報告をし、写真立てを戻すと、ランタンを消してベッドに横になります。

この部屋のドアは少し開けてあり、猫たちもその内やって来ることでしょう。

なので、私は一足先におやすみなさい。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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