角が全く無い部屋というのは些か怖気が走る。
そう思う程にサブカルチャーに毒された頭はどうやら正常に回転しているらしい。自分の部屋ではない謎の真っ白い空間である。
壁と床、壁と天井の境目すらわからないほど真っ白い空間に自分が在った。パチクリと瞼を動かした所で世界の表情は変化しない。
「神です。よろしくおねがいします」
「ご丁寧に、どうも」
神は居ます。よろしくおねがいします。と口にすればよかったのだろうか。それでも果たして目の前の発光体の事を神と呼んでいいものか、と。
神と言えばタコの頭をしていたり、火炎の塊であったり、隻眼の老父であったり。ともあれその姿は千差万別であり、日本でいう八百万の神と考えればこの発光体の事を神と呼んでも相違はおそらくない筈である。
「それで、神様がどうして?」
「我の失敗で、貴方が死んだ故。神は失敗します。よろしくお願いします」
「ご丁寧に、どうも……」
死んだ。そう死んでしまったのだ。
死後の世界という中々に興味深い世界であるけれど、白色の立方体部屋に神は発光体とは随分と味気がないとも感じてしまう。
こういう時はナイスバディなお姉様が出てくると相場が決まっている筈だ。今決めたのだから是非ともそうしてほしい。どうです?
「……我は無理です。我が神です。神はいます。よろしくおねがいします」
「ご丁寧に、どうも」
どうやら無理らしい。つまり目の前の神は神であって神ではないちょっと神様っぽい神様なんだろう。ラー油か何かだろうか。
それにしても死んでしまうとは情けない。次のレベルまでの経験値はどれほどだろうか? そもそもレベル制度なんて現実にはなかったけれど。
「その、幾つか質問をしても?」
「我は神です。答えられます。答えはあります」
「ご丁寧に、どうも」
果たして何から聞くべきだろうか。
「その、私の両親や家族は生きてますか?」
「生きてます。貴方の死を悲しんでます」
「……そうですか」
突然死した息子や兄である自分としてはどうにも出来ない事であるが、それなりに死を悲しんでくれる人が居てよかったとも言えるし、自分なんかの死を悲しんでいるのにどこか申し訳なさも感じてしまう。
ともあれ死者が生者に何かを出来る事もない。状況を知ったのは自己満足に相違無い。
「では、私はこれからどうなりますか?」
「貴方は別世界に転生させます。我は神なので出来ます」
「それは……そうですか」
どうにも目の前の発光体がフンスとドヤ顔をしている気がする。顔の造形など無いけれど。
転生という言葉に惹かれてしまうのは自分がサブカルチャーにどっぷりと浸かっている所以だろう。とっくに抜け出せたと思っていたけれど、抜け出せてもいなかったらしい。
小さく息を一つ。
「どんな世界かお聞きしても?」
「我は神なので、すぐに作ります。神です。よろしくおねがいします」
「……ご丁寧に、どうも」
急に不安になってきた。
いや、そもそもどうして自分は死んでしまったのだろう。この神と名乗る発光体の失敗とは言っていたけれど、果たしてそれは本当なのだろうか。否、それが嘘であった所で現状に変化は無い。
「なら、そうですね。何か私に下賜するという事は?」
「神です。我が神です。よろしくおねがいします」
「これは、ご丁寧に、どうも?」
どういう事かわからない。果たして通じているのだろうか?
そもそも話は元から通じていたのだろうか。そんな事すら疑問に感じてしまう。何にせよ、よくある物語のように何かしらの能力を頂けないらしい。
自分の身一つで頑張るしかないのは現実と似たようなものであるし、元々そうしていたのだから変化が無いと捉えれば問題も無い……のかもしれない。
フンスフンスと鼻息を荒くしてそうな発光体はさておき、来世での身の振り方を少しばかり考えなくてはいけない。
幸い、考える時間はあるらしいので、人生設計を簡単にしておくべきかもしれない。
おぎゃあ、と産まれて果たして数年程経過した。
そこまでの過程にはそれほど特筆すべき事などない。おぎゃぁ、と産まれてすぐに歩き始めた訳ではないし、勉強は早かったとは思うけれど特筆されるような事でもない。
今生の父はどうやら死んだらしく、片親で育てられる事に違和感はそれほどない。母も美人の類いであるし、変な感情が芽生えそうになったけれど幼い故に性欲という物は湧かなかった。
新しい性癖の扉が開いただけである。
私自身に特筆すべき事はない。前世も平々凡々を生きていた私であるから、今生もまたソレに倣い平々凡々を生きるつもりである。故に私に特筆すべき事などない。備考欄には「特になし」の四文字が飾られるだろう。
問題は私の幼馴染と言える存在である。特筆事項が多すぎて嫌になる。インク瓶を幾つ使うのか考えただけで億劫になる。
白い髪の少女が私の幼馴染である。幼馴染? 今私の横で寝てるよ? なんででしょうね……。私が一番知りたい。確かに扉に簡易的な物理防壁は立てていた筈である。
顔を上げて扉の方向を見れば立て掛けていた椅子と扉は木っ端微塵に砕け散り、おそらく盛大な音を立てたであろう惨状に思わず寝ていた自分を褒めてしまいたく思う。
おそらく下手人である少女は生きているか死んでいるかわからない程静かに眠っている。私を抱きしめて。
どうせ力では敵わない事は身に沁みているので彼女が起きるまで暫くの間ぼんやりと見慣れた天井を見つめる。シミが増えたな。
「……んぅ」
身動ぎして、薄っすらと開いた瞼から現れる空色の瞳。輝かしい宝石のように寝起きの涙で煌めく瞳が私を捉えて、私の胸へと顔を押し付けて二度寝体勢へ。
「そろそろ起きてください」
「我、眠い。よろしくおねがいします」
「駄目です。起きなさい」
「んんぅ……」
元々二度寝というよりは甘えたいだけの幼馴染は私が立ち上がれば起きてくれる事はわかっているので早々にベッドを抜け出して着替えを始める。
彼女はベッドに座り大きく欠伸をして猫のようにむにゃむにゃと枕を揉み込んでいく。枕が小麦の塊ならパンでも作れそうである。
そんな事を思っていると幼馴染は今一度私を視界に捉えてフフンとドヤ顔をする。
「我は神です。末永くよろしくおねがいします」
「ご丁寧に、どうも」
これは特筆することもない私と特筆事項しかない神である幼馴染のなんて事のない日常のいちページ目であった。