見渡す限りの荒野の一部に、いくつもの天幕が張られたところがあった。
いくつかの軍隊の集まりであることが、簡素な木の柵で陣営がいくつも隔たれているのと、その個々の陣営に自らを主張する旗標があることで、確認することが出来る。
そのいくつもの軍隊が集まっている陣地へ……新たな部隊が加わろうとしていた。
「桃香様、新たな部隊が到着したようです」
その様子をいち早く見つけたのは、比較的小規模な陣営で旗標に「蜀」とかかれた陣営にいた存在……関羽だった。
陣地にいるということで、戦闘状況ではないため比較的に穏やかな雰囲気だが、しかしそれでもなお凜とした佇まいをしている。
目は鋭く細められ、新たな部隊に向けられている。
油断していない事がすぐにわかった。
「新たな部隊? どこの人だろう?」
そんな関羽とは対照的というべきか……ほんわかした雰囲気を纏って声をかけてきた関羽の側に歩み寄るのは、蜀の総大将である劉備その人だった。
関羽が指さす方角に手でひさしをつくりながら目を細めて、視線を投じている。
「旗標は孫の文字。江東の麒麟児の部隊だろうな」
その総大将である劉備に後ろからついてきていた存在が、少し目を細めて迫り来る部隊の旗標を認識して、劉備の疑問に答えていた。
しなやかな体躯だが、その歩き方には一分の隙もない。
関羽よりもより鋭敏な気配を纏っており、関羽と同等の実力を有しているのが、側にいるだけで感じられるほどだった。
名を趙雲。
大陸でも腕利きと名高い存在だ。
「江東の麒麟児?」
「孫策さんとおっしゃる方です。先代は孫堅さん。先代の方も江東の虎と呼ばれたほどの英雄です」
そんな二人の側でちょこんと小柄な少女が笑顔で自らの主に、迫り来る部隊の人物を説明していた。
ずいぶん小柄な少女だった。
しかしその雰囲気にはあまり幼さを感じることが出来ず、むしろ知的な雰囲気を纏っている様子だ。
幼さ故の小柄さではなく、純粋にあまり背が伸びなかったのがそれとなく察せられた。
しかしこの小柄な少女こそ、大陸でも随一の知略を持っていると噂される、諸葛孔明その人だった。
「英雄さんの娘さんで、しかもご自身も麒麟児さんって言われてるんだね。だったらきっとすっごい強い人なんだね!」
「頼もしい味方であれば良いのですが……」
純粋に新たな部隊の到着に嬉しそうに破顔する劉備と、武人として冷静に分析する関羽と……実に対照的な姉妹だった。
「きっと大丈夫だよ!」
「お姉ちゃんは相変わらずお気楽なのだ」
そんな二人の姉の対照的な姿を見て、末の妹である張飛は二人を見ながらおかしそうに笑っていた。
「う……ひどいよ鈴々ちゃん」
「まぁ……江東の麒麟児とやらがどれほどの人物なのかは……実際会って話をしてみないことにはわからないでしょうな」
そんな三姉妹の様子を内心でおかしく思いながら、趙雲は優雅に笑いながらそう締めた。
実際その通りだろう。
噂だけでは人を測ることは出来ないのだから。
「よし! なら挨拶に行こう!」
「い、いけません桃香様! あと半刻ほどで軍議がはじまると、先ほど使いがきたばかりではないですか」
「あ、そうだったね。ごめん。なら……機会を見て挨拶に行こうね!」
「はい。なら私の方から使いを出しておきます」
「よろしく、朱里ちゃん」
劉備に真名の朱里と呼ばれた諸葛孔明は、笑顔で部下に指示を出していた。
そして蜀と話をしたいのは、孫家……孫策も同様であり、後に刀月の影響で一悶着が起こるのだが、それはまた後ほどに。
「うっわ……すげぇ」
反董卓連合の合流地点。
一度合流し、お偉いさん方……本来一番呉で偉いはずの褐色ポニーが行くべきだが、面倒だと言って褐色知的眼鏡に押しつけていた……が会議へ向かい、俺は陣地の構築を手伝っていた。
その状況で……そのあまりにも数の多い人に、俺は思わず声を漏らしていた。
軍事訓練も受けている俺だが……しかし現代の軍隊ではここまで大勢の人間が集まるような事はない。
しかもただの人ではなく、ほぼ全ての人間が最低限の軍事訓練を受けている、屈強な戦士の集まりだ。
しかもさすがは己の肉体のみで戦う時代の人間のため、身体能力は現代の軍人よりもこの時代の人間の方が優れており……現代の軍人よりもより気配が強力なのだ。
強力なだけってのがポイントだな……
現代の連中はマジで一撃で殺される事が多い故に死にものぐるいで鍛えていて、しかも職業軍人のため気配が洗練されており、数が多くても不快ではない。
この時代の連中はまだ職業軍人が多くない。
それがこれほどの数集まるのは……正直少し気持ち悪かった。
気配である程度察知できることもあって……少し気分が悪くなるな
人混みに行くことは俺だってある。
だが一般人相手では正直何とも思わない。
気配を察知する訓練というのは、自分にとって脅威となる相手を察知するための物だ。
故に一般人相手では脅威たり得ないため、あまり気にならない。
しかし自分にとって脅威と感じられる存在には敏感になる。
だが何というか……この軍の集まりは、言ってしまえば中途半端なのだ。
一般人よりも強いためある程度脅威と感じられるが……しかし完全に脅威たり得ない。
中には武将とおぼしき気配がいくつもあるため、そいつらと相対するのならば俺も油断は出来ないだろう。
しかし……一般兵の中途半端な存在が山ほどいるというのが、実に気持ちが悪かった。
なんか、人酔いしそうだわ……
人に酔うことなど生涯なかったので、ある意味で新鮮だった。
「あら、珍しいわね。刀月が驚くなんて」
俺の言葉が耳に入った褐色ポニーが意外そうな声を上げている。
どういう評価なのかは不明だが……別段隠すこともないので、俺は普通に言葉を返す。
「まぁな。俺はこれほどの数の軍人が一箇所に集まるような事なんて、体験したことないんでな」
「へぇ。そうなんだ」
そんな俺の言葉が純粋に意外だったのか、褐色ポニーが少し驚いたように口を開けていた。
他の連中はそれなりに忙しくしており……褐色妖艶とおっとり眼鏡は部下への指示、呂蒙と尾行娘はそれの補佐、褐色ロングと褐色襟巻きは他の陣地の視察、褐色ツインロールは休憩中……そんな中一番のお偉いさんであるこの褐色ポニーがただ突っ立っているだけで良いのかと思わなくもなかった。
だがこいつの場合……ただ突っ立っているだけなのは間違いないが、それが一種の威圧にもなっていた。
国のトップが出なくても良いというのは、二つの意味にとれるからな……
一つは、本当に駄目な奴。
面倒だとか、行きたくないとか……いやこれは褐色ポニーも思っているだろうが……そういう本当にだだをこねて面倒事を部下に押しつける場合。
だがこいつの場合は、トップよりも優秀な存在が会議に出ているというのが一種の宣伝になる。
それだけ優秀な人材がいるという証ととれる。
そしてそれは事実といえた。
まぁ適材適所というか……確かに褐色ポニーは武人だから会議には向かないだろうが……
しかしそういう事情を知っているとはいえ、まさか本当に会議をボイコットするとは思わなかったので、少々呆れているのも事実だったりする。
ちなみにちんちくりんも最初は嫌がっていたが、従姉がいるため渋々甘やかし短髪と共に会議へと出席してた。
「それで……今回の戦、どう思う? そして、あなたのお眼鏡にかなう人はこの場にいるかしら?」
あぁ……俺と話したいって事もあったのか……
この場に残った理由が、俺と話す目的もあったことに、この女の強かさを再確認することになった。
この大陸において……現段階で俺の力をもっとも知っているのは、三つ編みマッチョを除いて直に戦いを行ったこの褐色ポニーだろう。
まだ俺自身の身体能力や技能……気配察知や気配遮断、ちょっとした呪術の類……等はわかっておらず、さらに言うならば古龍達の能力を明かしている訳ではないので、俺はとりあえず無難な言葉を返しておく。
「まぁさすがは諸侯……新たな権力者となろうとしている連中は、気合いが違うな。数もそうだがこの気迫なら……墜とせるかも知れないな」
「もう意地悪ね。もう一つの質問に答えてないわよ?」
答えたくないんだがな……
ある意味でもっとも俺のことを知られているこいつに、あまり戦闘能力における手の内を明かしたくないのが本音だった。
だが、さすがにこの規模まで拡大した状況では、俺自身も力を振るわなければいけない可能性もあるだろう。
といっても、戦うことになったとしても攻めるのではなく守る方になるつもりだ。
さすがに主君が死にかけているってのに、戦わないわけにはいかないからなぁ……
一応俺の主君は褐色ポニーとちんちくりんだ。
この二人がまずい状況に陥りそうだった場合は、仕方ないから俺が出張るしかないだろう。
手元に置いておきたかったというのがもっとも大きな理由だが、俺が戦うことも想定して、全ての得物は持ってきて……刀関係、ナイフ各種、拳銃、この世界でつくった木刀各種にねじり金棒、鉄刀……おり、最悪の事態は回避することが出来るだろう。
その覚悟の意味も込めて……俺はしょうがないので、ある程度俺の心境を語ることにした。
「そうだな……それなりに強いのはいるだろうが、まぁ何とかなるだろ」
「へぇ? この場にはこの大陸に名を馳せる武将が何人もいるって……わかって言っているのよね?」
「まぁな」
これだけの規模で、しかも諸侯には優秀な武将が多数いる。
よほどの事が起きない限り、俺の主君二人が危機に陥ることはそうないと考えて良いだろう。
通常を考えればという前置きがついてしまうのが、実に面倒だったが。
さて……行軍してきたが、果たして吉と出るか凶と出るか、大蛇が出るか何が出るかな~
まだ白装束の不気味な連中が絡んでいる確証はない。
だがこちらもある程度準備が整った段階だ。
今後の事も考えて行軍すると言うことに俺が慣れておいた方が身のためだろう。
「先に言っておくが……俺はよほどの事がない限り戦うつもりはないからな?」
だがそれでも……俺は戦う気がなかった。
何せ得物が封じられている状況だ。
無論それでもいくらでも戦う方法はあるわけだが……俺としてはぎりぎりまで戦うつもりはなかった。
この時代において……周りから見たらそれがどれほどの意味を持っているのかもわからずに。
「……前にも言っていたけど、どうして戦うつもりがないの?」
刀月の村……刀村に行ったときにも言っていた、戦うことをしないという言葉。
すぐに袁術ちゃんの元へと向かったため、まだ私はほとんど刀月と接している訳ではなく、刀月がどんな人間かもわかっていない。
だけど悪人じゃないことだけは、刀村に行けばすぐにわかることだった。
確かに自給自足が出来るだけの村を築いた男だから、信頼されるのはわかる。
部下が話を聞いた限りでは、黄巾党に襲われた人たちが死ぬ覚悟で向かった先が、噂話となっていた刀月が住んでいる村だったという。
難民となっていた彼らを刀月は誰一人拒むことなく、受け入れたという。
そして自らが栽培していた食物を与えて住まわせた。
労働力が欲しかったというのは事実なのだろうけど、それでも今のこの乱世で食料をほとんど無償で分け与えるなどあり得ないと言っていい。
そしてそのあり得ないことを行った人物が、私を軽くあしらうほどの武を有しているなど……笑うしかなかった。
それに……あれは絶対に刀月の本気じゃない
私が呉の君主となってからあまり前線に出ていないため、恐らく以前ほど強くはない。
だけど鍛錬は欠かさず行っている。
故に決して私自身が弱い訳じゃない。
けど私は刀月に手も足も出なかった。
確かに今本人が言ったとおり……諸侯で有名な武将と戦うことになっても、刀月は難なく相手をあしらうこと出来るだろう。
だからこそ不思議だった。
これほどの武を持った存在が……ただの料理人としていることが。
「前に俺には俺の事情があると言ったと思うが?」
若干不機嫌そうに、刀月は私の言葉にそう返事をしてきた。
確かに人には人の事情がある。
だけど……君主として、聞いておかなければならないと、私は判断した。
「それは確かに聞いたわ。確かにその通りね。だけど……それだけで納得することが難しいほどの力を、あなたは有しているのよ? 前に修行と故郷に帰ることが目的とは言っていたけど……それだけではとても信じられないわ」
この男はあの日の夜、確かに修行だと言ったのだ。
鍛造と料理の修業を行いたいと。
だというのに、この男は料理こそしていたけれど、鍛造についてはほとんどしていない様子だった。
何度か細作に刀月の様子を監視させて報告を受けたので間違いない。
もしかしたらそれすらも見抜かれている可能性はあるけれど……でも話す順番から言って、この男がもっとも行いたい修行は鍛造のはず。
確かに、この男の鍛造技術は異常だ。
刀村で見たあの槍……この大陸をどこを探しても、あの槍に比肩する物はないだろう。
それだけの物を作れるというのに、この男はそれに納得していない様子だった。
だから修行と言うのだろう。
だけど、それだけでは納得できない。
この男の異常さに、説明がつかない。
有能だけど……手綱を少しも握れない暴れ馬を、野放しにするわけにはいかないわね……
母様だったら御しきれたかもしれないと思うと、私としては思うところがあった。
けど私にはそれが出来そうにないから、こうして直接聞くしかなかった。
「あなたの目的は何なのかしら?」
う~~~~~む……ごまかせる雰囲気じゃないなぁ……
個人ではなく、一国の長として聞いてきているのが、何となくわかった。
ごまかそうと思えばごまかせなくもなかったが、しかしそれはあまりにも失礼だ。
今までもさんざん無礼なことをしてきたのだが……さすがに本気で聞いてきては、こちらも本音を明かさないわけにはいかないだろう。
まぁ全部は言わないが……
「ふむ……。俺の目的か……。それは前にも話したとおり修行が目的で、帰りたいってのも事実なんだがな」
「妖術を使わないと帰れないって言ってたわね」
「あぁ。信じがたいことにな」
大げさに肩をすくめて、俺は自らの境遇に対して鼻で笑った。
話すわけにはいかないが、異世界の過去に飛んできているなど、いったい誰が信じるというのか……と一瞬思ったが一刀がいるのを思い出した。
うん? もしかして言っても良いのか?
天の国……一刀がいた世界と俺の世界が一緒という保証はないが……からやってきたと人間と言えば通じるかも知れないと一瞬考えたが、しかしそうすると俺も天の御使いとやらにされかねないので、俺はその案を速攻で却下した。
あまり明かしたくはないが……これを言うのが一番かなぁ……
正直これは言いたくない事だったが……他に妙案が思い浮かばなかったため、俺はやむを得ず、まだ誰にも明かしていない秘密を言うことにした。
「うまく言えないのだが……本当に俺の目的は故郷に帰ること、そして修行が目的なのは事実だ。そして……戦わない理由は、あれだな」
「? どれ?」
俺は見える位置に置いていた現代より持ってきた認識阻害術を施してある台車に歩み寄って、同じく認識阻害術を施してある刀入れの気を解除。
刀入れから、もっとも信頼する得物である夜月を手にして、再度蓋を閉じた。
そして夜月の鞘尻を手に持ち、柄の方を褐色ポニーへと差し出した。
「これは俺がもっとも信頼する得物だ」
「湾刀かしら? それにしても……ずいぶんと見事な装飾ね」
そうか……千年以上の技術の結晶だから、柄の金具もある意味で立派なオーパーツだな
柄の装飾に感嘆している褐色ポニー。
俺自身も致し方ないとは思うのだが……話がずれてしまったので、俺は一度軽く咳払いをする。
褐色ポニーも俺の意図を察して、苦笑した後に柄を握って引き抜こうとした。
が当然……
「……抜けないわよ?」
この世界に来てから、他の奴に俺の刀をさわらせたのは初めて……というかよほどのことがない限り自らの得物を他人に触らせたくない……だったが、案の定抜くことは叶わなかった。
他人が抜けたらそれで終わりだから、そんなズルを許してくれるわけないか……
わかっていたことだが……全く期待していなかったわけではないので、夜月が抜刀できないことに少しだけ落胆する俺だった。
「何の因果か知らないが……こいつだけじゃなく俺の得物が全て封印されてな」
その言葉が嘘ではないと証明するために、俺自身抜刀しようとするのだが……相も変わらずうんともすんとも言わなかった。
「それも妖術かしら?」
「そういうことだ。信じられないだろうが」
「いいえ……信じるわ」
おや、物わかりがいいな?
と一瞬思ったが、褐色ポニーも間違いなく武人だ。
自らの得物を他人に差し出すことがどういう意味なのかは……誰よりもわかるだろう。
「まぁこういう事情でな。別段得物がなくても戦えるんだが……だが、それでは意味がないと俺は思った」
「そうでしょうね」
「俺の得物が封印されているのは意味があると思ってな。だから
得物が使えないことは事実なのだが……俺自身が戦えないわけではない。
だがそれでも俺は戦わないことを選択した。
不殺が俺に課せられた物だと思って。
まぁやばくなったら戦うしかないだろうが……
「だが、俺としてもやばい状況になったら戦うさ。俺が戦わないで済むようにしてくれると、嬉しいね」
「……はぁ。簡単に言ってくれるわね。それだって簡単じゃないわよ?」
先ほどまで尋問する雰囲気が消えて……褐色ポニーが実に盛大に溜息を吐いて頭を抱えるかのように横に振った。
といっても本当に悩ましいわけではないのだろう。
少し芝居がかった仕草をすることで、この話はこれで終わりだということにしてくれているのだろ。
「まぁさっきから言っているがやばい状況になったら戦うよ。本気は出せないだろうが、それでも十分だろうしな」
「すごい自信ねぇ。それが事実なのが少し癪だけど……」
「まぁそれだけの修行はしてきたからな。自惚れているわけではないさ。俺よりすごい奴なんてたくさんいるしな」
自惚れたくても、もっとも身近な存在に俺はまだ一度も触れたことすらないのだ。
そしてモンスターワールドでは、本当に様々な存在に助けられて、生き長らえることが出来た。
冬木では強引な力業で、俺では到底放つことが叶わない絶技を持った存在を……切り捨ててきた。
これで天狗になれるほど、愚かでもないし馬鹿でもないからな……
いつかたどり着けたらたどり着きたいものである
俺も
あの頂に……
ずるいなぁ……
私だって努力をしてきた。
だけど我こそが地上で最強だと思っている訳じゃない。
私も自惚れたくても、本当に身近な存在で……私の全てを上回る存在がいたから自惚れる事なんて出来なかった。
でもそれなりに私は自分の実力に誇りを持っている。
だっていうのに……私よりも遙かに上にいるというのに……
この男は……それよりも遙か先を見ているのが、横顔を見てわかってしまった……
いったい何を……いや、誰を見ているのかしらね……
私なんて……いいえ、他の連中なんて眼中にないのがわかってしまった。
私を打ち負かす男なんて初めてだった。
正直……少し興奮したことも事実だった。
私を軽くあしらうほどの武を持った存在に出会えたという事実は。
刀月なりの事情で戦わない事はわかっていた。
だけどいつかもう一度戦ってみたいと思っていた。
だというのに、私を打ち負かした男は、私なんて眼中にないのだ。
それが少し……腹が立った。
今思い起こせばこのときなのだろう。
私が本当の意味で……この刀月という存在を意識したのは。
「ずいぶんと楽しそうね……」
そんな私と刀月の後方より……実に不機嫌そうな声が響いてきた。
二人してそちらに振り向くと、そこには実に不機嫌そうな……冥琳が立って私を睨んでいた。
「ど、どうしたの冥琳? すっごい不機嫌そうよ?」
「それはそうだろう。人に面倒事を押しつけてきたのだから」
お~怒ってる怒ってる
苦労の絶えない褐色知的眼鏡で、よく他の連中に怒っている姿を見かけるが、今回はいつもと毛色が違う様子だった。
それは褐色ポニーもわかっているようで、ちょっと及び腰になっている。
「えっと……ごめんなさいね」
「謝るなら最初から押しつけないで欲しいが……まぁともかく軍議が終わったよ」
「あら、その割には早いわね?」
同感だな……
軍議に参加してからまだそう時間は経過してない。
体感的に一時間も経過していないだろう。
そんな短時間で終わるというのが、少々気にかかる。
短時間で終わる場合の理由はおおよそ二つに分けられるだろう。
よほど優秀な奴がいて、そいつがほとんど決めてしまって、反対意見が出ない場合。
もしくは、その正反対で……
「反董卓連合の総大将は袁紹に決まり、連合軍は一致団結して洛陽を目指すことになった」
「まぁそうなる気はしてたわ。それで? その後は?」
「……それだけだ」
「……はぁ?」
その後作戦がないことに褐色ポニーが実に間抜けな声を上げる。
さすがに何もないと思ってなかったのだろう。
それは俺も同意見だった。
「え? 嘘……本当に?」
「途中にある汜水関、虎牢関は力づくで押し通る。これが作戦といえば作戦なのだろうが……軍師としてこれを作戦と呼びたくはない」
いや作戦じゃねーし
呆れて何も言えなかったのだろう。
そして軍師として実に頭の痛い内容だったため、普段よりも怒りの色が濃い。
そんな相棒を慰めるように、褐色ポニーが肩に手を当てて元気づけていた。
「それで、先陣は?」
「劉備の軍がとることに決まった。まぁ捨て駒だろうな」
まぁまだ規模も権力も小さいだろうしな
褐色知的眼鏡の言葉に、俺は内心で合掌をしていた。
お気の毒と思えたが……これで滅びることは恐らくないだろう。
素人娘の元には片側ポニーとちみっこがいる。
そして歴史が素人娘を……劉備が死ぬことを許してくれないだろう。
まぁ俺の世界の歴史とずれていれば滅びることは十分あり得るわけだが……
「でしょうね。それで、劉備は受けたの? というよりも……」
「ご明察だ。受けざるを得ないというのが実情だろう。しかし……もしもこの状況を乗り切れば、あの勢力は大きくなると見たわ」
「へぇ……」
信頼すべき相棒である褐色知的眼鏡からの言葉に、褐色ポニーも愉快そうに目を細める。
「根拠は当然あるのよね?」
「関羽に張飛などの豪傑があの陣営にはいる。そして軍師である知将も多くそろっているようだった。そして何よりも黄巾の乱を利用して成り上がった天運を持っている」
「天下を担う英雄の一人になるかもしれないわね……」
「あぁ。そして肝心なのは……曹操よりも与しやすいところだな」
俺としてもそちらの方がありがたいな……
以前に喧嘩を売ったこともそうだが……俺自身、あの骸骨ツインテをそこまで好きになれそうになかったのだ。
もしも骸骨ツインテ……曹操と手を組むことになったとしてもきちんと仕事は行うが、それでも今よりは気持ちよく仕事を行うことは出来ないだろう。
また他に理由として、素人娘に肩入れするのには与しやすい以外にも理由がある。
「恩を売っておいて損はないだろう」
「そうね。なら会ってみましょうか。使いは出すとして……刀月、お願いしていいかしら?」
「了解」
俺としてはナナが気になっていたので、素人娘達にあえるのは都合が良かった。
「んで……会ってみて気に入らなかったらどうするんだ?」
「まぁそのときは捨てるわよ」
「だろうな」
自軍にとって利益があるからこそ助ける。
そしてその相手を自分が気に入るかどうか?
この辺の考え方は俺とよく似ていた。
「ちなみに刀月の評価としてはどんな感じなの? 劉備って子は?」
「うーむ……完全な善人だな。良い娘だよ。だが孫策と違って武力は皆無といっていい。一応剣を持っていたが、まともに振ることすらも出来ないだろうな」
「へぇ。本当に武人じゃない子が軍の一番上にいるのね」
武人として君主である褐色ポニーから考えると、信じられない事なのだろう。
ただ他にも、武人じゃない奴が君主を行っているところはいくつかあるわけで、珍しいわけではない。
だがそういう奴らは代々その土地を治めてきた連中であり、素人娘のように成り上がったわけではない。
それが意外なのだろう。
さてさて……褐色ポニーのお眼鏡にかなうと良いのだがな……
褐色ポニーが気に入ってくれればこちらとしてもある程度は、三人娘の援護を行いやすくなる。
ナナの関係があるため、出来うる限りは助けてやりたい気持ちがあった。
しかし俺の世界の歴史で、赤壁の戦いで同盟を組んでいたことを考えれば、恐らく嫌いではないと考えられる。
まぁ素人娘は俗に言う、人たらしってかんじの奴だったからな……
義勇軍の中で武力でも知力でもなく、人柄だけで隊長をやれていたのはあいつの人徳のなせることなのだろう。
俺と褐色ポニーに褐色知的眼鏡の三人で……素人娘の陣地へと歩いていく。
すると……
さすがは真面目なあいつだな……
まだ少し距離があったが、しかし気配で見張りに立っている奴が誰なのかすぐにわかった。
俺は特段何もせず……まっすぐに片側ポニーへ歩いていって、手を挙げた。
「よう、関羽。久しぶりだな」
「刀月!?」
よもや俺がこの場にいるとは思ってなかったようで、俺の姿を見た片側ポニーこと関羽が、実に驚いた表情で出迎えてくれた。
しかしすぐに破顔してこちらに歩み寄ってきてくれた。
そして、互いに久しぶりの挨拶を交わした。
「しばらくぶりだな。元気にしていたか?」
「あぁ。私たちは問題ない。そっちは……この場にいると言うことはどこかの陣営に仕えたのか?」
「成り行きでな」
大げさに肩をすくめて、俺は後方へと首で振り向き、俺の後ろについてきている二人に目を向ける。
それで俺がただの挨拶のために来たのではなく、顔合わせの使者として来たのを理解したのだろう。
また褐色ポニーは見た目的にも、発せられる気配から鑑みても武将なのは、同じく武将として片側ポニーもわかるのだろう。
俺は二人が会話を始める前に、こちらの陣営を紹介した。
「一応俺が仕えているのが呉で、呉の盟主の孫策と軍師の周瑜だ」
「あぁ、あなたが江東の麒麟児の……」
「? 何それ?」
江東の麒麟児と呼ばれて当の本人がきょとんとしていた。
褐色ポニーこと孫策も名前が売れてきたということだろう。
ちんちくりんの街だけでなく、俺の刀村にまで噂が広まっているのは俺自身が確認している。
そうなると他国へも噂として広まるのはそう不思議な事じゃないだろう。
だが、本人はそんなことには無頓着だったようで、把握してなかったようだ。
「あなたの事は最近ではそう呼ばれているわ。知らなかったの?」
自らの君主の執務を行わないことに、頭を悩ませている褐色知的眼鏡が深々と溜息を吐いた。
褐色知的眼鏡が呆れているのはわかっているのだろうが、しかし本人としては全く興味がない事なのだろう。
褐色ポニーは悪びれることもなく、ただ意外な呼び名に驚いているだけだった。
「全然ね。そんな風に呼ばれてるとは思いもしなかったわ……」
「あなたの勇名は大陸中に轟いていますからね」
「それは光栄ね。それで刀月……そろそろ私も紹介して欲しいのだけど?」
「おっと失礼。こちらは関羽。俺が公孫賛のところにいたときに義勇軍として世話になった」
「世話になったのはこちらの方だぞ、刀月」
紹介をしたら、何故か俺にあきれ顔をする片側ポニー。
その顔は……本当に嫌そうに目を細めて呆れながら俺へと視線を投じてきている。
その態度から嫌味で言ってきていることが理解できた。
しかし俺としては疑問しか頭に浮かばず……首をかしげるしかなかった。
「世話なんかしたか俺? 義勇軍でも仕事なんてほとんどしなかっただろ?」
これは事実だった。
相手が雑魚である黄巾党の連中に対して、世のため立ち上がった義勇軍の連中。
やる気満々の義勇軍を率いるのは、大陸に名を馳せる猛将になる片側ポニーとちみっこだ。
ぶっちゃけまだ不慣れだった最初期の従軍では、義勇兵はそれなりに怪我をしていたようだが、俺が従軍するぐらいからはある程度軍事行動にもなれてきて、そこまで大きなけが人は出てこなかったのだ。
そして戦闘になっても、まだ他の連中が頼りないこともあって、猛将の二人がまぁ頑張る。
故に、もっぱら医者としてより料理人としての仕事の方が多かったが……それでも俺自身そこまで働いたという認識がなかった。
ぶっちゃけ土木工事の時の方がよほど仕事してたよ……
「そうはいうがな刀月。こちらとしてはお前がいなくなってから大変だったんだぞ? 従軍中の糧食が目に見えて質が落ちたからな。兵達から私たちまで意見をすることはなかったが、しばらくは不平不満を持っている奴らは多かったのだ。そしてお前と行軍していた連中は、何とか糧食をどうにかしようと今も躍起なっている奴がいる始末だ」
「へ~~~~」
なっているというのは現在進行形と言うことなのだろう。
そう簡単にうまくいけば苦労はしない。
俺自身も結構苦労したのだから。
「ぐっ……人ごとみたいに」
「まぁ悪いが人ごとだし。それで関羽。すまないが孫策がしろう――劉備に会いたいと言っててな。面会は可能か?」
間違いなく人ごとな上に、糧食については努力してくれとしか言いようがなかったので、俺としてはさっさと話題を打ち切って、本題へと入った。
本題に入ったことで関羽が居住まいを正した。
相手が俺ではなく他国の盟主とあっては、礼儀を重んずる片側ポニーとしては居住まいを正さずにはいられなかったようだ。
そして……自分が信頼し、慕っている存在に盟主とはいえ初対面の人間がいきなり面会を申し出てくれば警戒するのは当然であり……
「面会ですか。呼ぶことは構いませんが……我らの主にいったいどのようなご用でしょうか?」
主という言葉を強調して、にこやかにそう言ってくる片側ポニー。
主人を心配するのは臣下として当然の行為なのだが……それを表に出さずに対応している。
ある意味で立派な対応だと言って良いだろう。
しかしその類の行動を、褐色ポニーは嫌っている。
故に、なんとなくこの後の展開が読めた俺は……面倒事になる前に、進んで茶番の腰を折った。
「まぁそう警戒しないでくれ関羽。劉備を大好きなお前さんが警戒するのは当然といえば当然だ。だがこちらとしても一番上である孫策が来ているんだ。用件については直接一番上の劉備に話すのが礼儀だろう? 取り次いでもらえないか?」
俺自身が居住まいを正し、言葉こそあまり丁寧ではなかったが、軽く頭を下げる。
利用する……とまでは言わないが、褐色ポニーとしても自らにとって、そして素人娘にとっても利益になることを提案するつもりでこの場にいるのは、わかっていた。
先ほどの会話で自分が気に入らなければ切り捨てると言っていたが……素人娘の人柄を考えれば恐らく問題ないだろう。
そして本来であれば、呉の連中は素人娘からの助力が間違いなく必須だったはずだ。
当初の予定であればちんちくりん……袁術を潰すはずだったのだから。
袁術を潰すのは反旗を翻すことだが、いわば内乱に近い。
内乱状態の時に他国からの侵攻を防ぐための壁役として、蜀には武力的な援助を期待していたはずだ。
まぁ他国から攻めて来られないようにするだけで、独立は自らの力でやってただろうし、間違いなく出来ただろうが……
その全てを妨害した元凶が俺だった。
その負い目というわけでもないが、俺としては呉と蜀が同盟を組んでくれれば動きやすくなる。
それに俺としては困るのだ。
白装束の連中をぶっつぶすために、どうしても「数」が必要だからだ。
異物と称した黒幕……こいつまで行くにはどうしても数が必要だ……
黒幕がどんな存在かはまだわからない。
だが虚空から幽鬼体のような兵士を生み出すことが出来る存在というのは、厄介きわまりなかった。
戦いというのは最終的には数が勝敗を分かつ……
この時代はまだ銃器の類が存在していないので、それが完全な真理となる。
敵が幽鬼体兵士をどれだけ生み出せるのかにもよるが……数は脅威だった。
仮に黒幕を前にした場合は……幽鬼体が出現するのは目に見えている。
幽鬼体相手であれば不殺は関係がない。
武力による制圧……敵を殺すことによる鏖殺が可能だとしても、俺にはそれが可能であって、可能ではない。
あの程度の実力の幽鬼体であれば、数百人単位で束になってかかってこられたとしても、
俺を殺すことは出来ないだろう。
だがそれは俺も同じ事だ……
それなりに力を持っている俺だが……狩竜を凪ぎ払ったところで、殺すことが出来るのはせいぜい10人にも満たない。
相手がそれを上回る数の幽鬼体を、俺の攻撃速度以上の速さで生み出しては……最終的には俺の体力が尽きて敗北する。
俺が古龍ほど能力を使えることが出来たら……何とか出来たのだが……
戦いにおいて、数が勝敗を分かつと先に言ったが……それを上回る方法が一つある。
数の上を行くのは……範囲だ。
一人よりも二人。
二人よりも三人……といったように、数が多ければ多いほど戦いにおいては優位になる。
そして同数であれば……質が物をいう。
しかしどれほど数がいても……仮に俺が100人いたとしても、核爆弾を打ち込まれれば、一発で俺は敗北する……。
数の上をいく範囲攻撃。
今の俺ならある程度は範囲攻撃を行うことも可能だろう。
しかし、俺の範囲攻撃は未熟だ。
俺の未熟な範囲攻撃が、相手の数の優位性を上回れば勝てるのだが……そこまで能力を扱いきれる自信がない。
風翔龍の氷を生み出す力、空気爆発、紅炎王龍で言えば広範囲の爆発は、今の俺でもあそれなりに使いこなせるようになったとはいえ……俺も所詮はただの人なのだから。
そこまで扱いきれるとは思えないし、恐らく出来ない……だから俺には必要なのだ。
黒幕と戦うときになったときに……幽鬼体を引き受けてもらうための、数が。
人海戦術だな……
故に俺としては数を減らしたくなかったのだ。
故にこそ、俺は内乱で国力を減らしたくないが故に、褐色ポニー……否、呉の連中からあまりいい印象をもたれないとわかりながらも、ちんちくりんに肩入れしたのだ。
そしてナナの関係もあって、呉と蜀には友好関係を築いて欲しいと思っていた。
俺が頼み事をするのが意外だったのだろう、片側ポニーが一瞬だけ目を見開いた。
驚いたのは後ろの二人も同様のようで……驚いているのが気配から察せられた。
さらに俺は最後の一押しとばかりに……卑怯な手札を口にする。
「それとナナにもあわせてくれないか?」
「……全く、卑怯者め。それを言われては断るに断れなくなるだろう」
ナナは基本的に片側ポニーか、素人娘の側にいるのは想像に難くない。
そして二人の内の一人がこの場にいるとなれば……ほぼ間違いなく素人娘の側にいるだろう。
そしてナナは男を恐れている。
俺と二人きりであわせることは出来ないはずだ。
そうなっては必然的に……素人娘か片側ポニーがいる必要がある。
「すまんな」
「構わん。断る理由もないのだ」
それは事実だろう。
どれほどの規模までふくれあがったのかは知らないが……しかし言い方は悪いが、まだ呉の連中が劉備をこの時点で「脅威」と認識していない。
練度や装備の質は……期間が短く、義勇軍上がりと言うこともあって、どちらも上質になるわけもない。
そしてそれを埋めてくれる数についても……他の諸侯が全員意識していないことからそこまで多くないことが容易に想像できる。
だがそれは蜀の連中側からしても同じ事だな……
蜀がまだ余裕がないのは、容易に想像できる。
そして自分たちが余裕がないという事を容易に想像できる状況下で……自ら接触を図った来た呉の連中が何を考えているのかは、蜀の連中にもある程度予測できるはずだ。
この時代故に、完全な善意はあり得ないが、しかし利用できるのならば互いに利用するのが、知恵というものだろう……
だから呉の連中がどういった話を持って来たのかは、蜀の連中にも想像がある程度出来るのだろう。
学問の神様になるほどの存在である関羽が、その程度読めないわけがない。
まぁ片側ポニーがこの世界において、後の世で学問の神様になっているのかは……わからないが……
そうして俺がくだらない考察をしていると……さすがは仲がよい三人娘だ。
軍議が終わったこともあって、早速報告に来たようだった。
「というか……来てくれたみたいだな」
「何?」
「愛紗ちゃん。軍議が終わったよ~」
ほわほわしたと言えばいいのか……悪意はない……素人娘が右手でナナの手を引いてこちらに元気に手を振って歩いてきていた。
手を引かれているナナが怯えているのは仕方がないにしても、これほどの状況下でナナがきちんと意識を保てていることに、非常に安堵した気持ちだった。
助けただけの男が……何を思っているんだかって話だがな……
命を助けただけで、心まで癒せていない。
確かにこの乱世の時代では、ナナのような孤児はそれこそ……日常茶飯事だと言って良いのだろう。
いや……むしろまだナナは幼すぎた故に助かったと行って良かったのかも知れない。
まだ、幼子で……少女ですらなかったナナは……
ただ命を救っただけで、面倒は全て丸投げ。
しかもその間事情があったとはいえ、俺はナナの事に関して何も情報を仕入れていなかった。
そしていざ自分に余裕が出来たら心配をする。
偽善以外の何物でもない。
まぁ……何ともいえんが……
自分の都合の良さに反吐が出つつも、とりあえず無事な様子に俺は安堵した。
どうやらナナに素人娘も、俺がいることに気づいたらしく……ナナは驚き一瞬顔をほころばせたが、すぐに表情を硬くした。
そしてもう一人……素人娘は満面の笑みで、俺に元気よく手を振ってくる。
「刀月さん! お久しぶりです!」
「劉備も。元気そうで何よりだ。そして……ナナも」
「―ぁ」
やっぱりまだ無理か……
ナナの反応で、俺はまだ喋れないことがわかって、複雑な気持ちになった。
蜀の大将である素人娘が手を引いている事。
そして身につけている衣服がそれなりに良い物と判断できたので、ナナの境遇が悪くないことはすぐに理解できた。
だがそれでもまだ心の傷は癒えていないのだろう。
俺自身精神科医でも何でもないのでどう直せばいいのかはわからない。
素人意見ならば、周囲の男が少ない環境で静養するのが一番のはずだ。
かといって男が皆無で治療を行ってしまっては、男と接することが出来ない状態で回復しきってしまう可能性がある。
つまり、信頼の置ける男が数人はいる状況で、静養するのが一番と考えられるのだが……この乱世でそんなことが出来るわけもない。
後は可能な限り、ナナに不快なストレスを与えないことが重要なのだが……
ストレスとは刺激と言い換えて良い。
ストレスが皆無の生活とは……いうなれば一歩も外に出ず、そして全ての行動を行わなくてもいい環境になってしまう。
いわば「退屈」な状況になると、心身ともに腐ってしまう。
故に心地の良いストレス……遊び、勉学、新たな味覚を味わえる食事……は、生きていく上で絶対に必要だ。
しかし先にも言ったとおり今は乱世。
良くも悪くも……心身ともに現代人よりも強いはずのこの時代の人間の芯の強さと、幼さ故の将来性に期待するしかできないだろう。
俺は、恐らくまともに挨拶が出来ないことを気にしているであろうナナに、満面の笑みを浮かべながら、目線が合うように膝を折ってしゃがんで……声をかけた。
「ナナも久しぶりだ。元気にしてたか?」
可能な限り怯えさせないように、心の底から優しさを声に乗せて……俺はナナへとそう問いかけた。
俺の……男である俺からの呼びかけにナナは怯えている様子だった。
だが、目を合わせることが出来ないまでも、素人娘の足に隠れず頷いている姿を見て、今度は俺が驚く番だった。
確かに俺が命の恩人であることを、ナナもそれとなくわかっているはずだ。
だがしかし、もっとも恐ろしいことをしてきたのも同じ男であるというのに、この幼子は俺から隠れることなく頷いて見せた。
本当に……子供ってのは……
そのあまりの賢明な姿を見て……
あの子を連想せずにはいられなかった……
「どうですか刀月さん!? ナナちゃんはこんなにも元気になりましたよ!」
俺と同じように感動しているのだろう。
素人娘が本当に嬉しそうに声を張り上げて、その豊かな胸を張っていた。
そんな二人の側に寄りながら、片側ポニーも同じように微笑ましいのか、ナナの頭に手を乗せて嬉しそうに撫でていた。
撫でられたナナは褒められて嬉しいのか、頭に乗せられた片側ポニーの手に自らの手をやって、片側ポニーの手を握りしめて嬉しそうに笑っていた。
もうこいつらは親子か何かか?
そう思ってしまうほどに……微笑ましく思える光景だった。
そして俺自身、嬉しいと思える姿でもあった。
「さすがだ、劉備。いや、劉備殿。義勇軍の長だけはありますね」
心からの敬意を込めて、俺は恭しく立ち上がって頭を垂れた。
何よりも、感謝を伝えたくて。
そんな俺の姿に、素人娘は慌てた様子で言葉をかけてくる。
「そんな! 別に刀月さんが頭を下げる事なんてないですよ! それにナナちゃんはきちんとお仕事してくれてるんですよ! ね、朱里ちゃん」
「はい! 桃香様!」
素人娘のさらに後方から、小さいが良く通る声が響いてくる。
そちらに目を向ければ……なんかナナとそう背丈が変わらない小柄な少女が、ついてきている。
いや、違わないんじゃない……そう感じるだけか……
なんというか、気配が小さい。
背丈は間違いなくナナより大きいのだが、気配の脆弱さが相まって、ナナとそう変わらないように思えてしまう。
衣服についてはそこまで奇抜さはないが、首元の大きな二つの鈴と、緑のリボンがついた帽子をかぶっているのが特徴だろう。
その手には何故か軍配が握られているのだが……なんかさすがは素人娘の側にいるだけあってか、ものすごく人が良いというか、柔和と言うか、穏やかな感じだった。
だがそれでも緊張はしているのがそれとなく感じられた。
見た目から言ってそこまで年齢はいっていないはずだ。
にも関わらずこれだけの規模のただ中にいれば緊張もするだろう。
だが……この状況下で大将である素人娘の側にいるというのが、この娘が一般人でないことを容易に物語っている……。
しゅりってのは真名だろうな……
劉備である素人娘が真名を読んでおり、そして軍配の少女……ミドリボンも素人娘の事を真名で呼んでいる。
ただ者ではないだろう。
「ナナちゃんは読み書きも出来て、私と雛里ちゃんのお手伝いをしてくれています! 正直文官と名乗っても良いくらいですよ」
うわ……俺負けてるわ……
読み書きは何とか出来るようになったが、ぶっちゃけ事務仕事はまだ速度が遅いので、ほとんど文官であるノブに任せきりだったりする。
故に、事務仕事的な意味ではナナに負けることは間違いないだろう。
「それは……すごいな。して……そちらの方は?」
「あ、ごめんなさい刀月さん。この子は私たちの頼れる軍師の朱里ちゃんです!」
いや、だから真名で紹介されてもだな……
自らの頼れる部下を紹介したくて仕方がないのはなんとなくわかったが、しかし完全に紹介の仕方を間違っている。
そんな自らの主に一瞬だけ天を仰いだ片側ポニーが、改めて紹介をしてくれた。
「この娘は諸葛孔明。我らの軍師だ」
なっ!?
片側ポニーの台詞に……俺はこの世界に来てすぐに知った、性転換が行っていることと同程度の衝撃を味わった。
稀代の軍師、諸葛孔明がこんな可愛らしい少女だという事実に。
「は、初めまして刀月さん。諸葛亮と申しましゅ!」
「?」
「は、はわわ。噛んじゃいました」
……嘘だろ?
もう何というか……無害な小動物にしか見えない。
しかも噛んで恥ずかしかったのを隠すためか……帽子を引っ張って顔を隠す姿が、さらに幼さを強調させている。
そのあまりにも可愛らしい姿が……とても諸葛孔明だと思えないほどだ。
これが……有名な孔明の罠か……
※そんなわけがない
「ところで刀月さん」
「……なんだ?」
俺があまりの衝撃的な事実に驚いていると……そんな俺に満面の笑みを向けて、素人娘が俺に問いかけてきた。
「この場にいるということは、どこかの陣営に所属したんですよね?」
「……そうなるな」
「そうなんですか。へぇ~」
……うん? なんか怒ってる?
どうやら自らの誘いを断ったにもかかわらず、どこかの陣営にいるのに対して、思うところがあるようだ。
確かにこいつからの誘いを真っ正面から断ったのは事実なので……怒る気持ちがわからんでもないので、正直やりにくかった。
「刀月~~~~? 再会を喜ぶのは良いけど、さっさと劉備を紹介してくれないかしら?」
そして後ろには、麒麟児と謳われる猛将が睨みをきかせていた。
確かにこちらの事情で自らの君主をほっぽらかしているのは、あまり褒められた行為ではないだろう。
前門の素人娘……後門の褐色ポニー
前門はまだ簡単に思えたが……ナナがいる時点で、俺に勝ち目はなかった。
後門は俺の君主である褐色ポニーがいるので、もちろん逃げるという選択肢は存在しない。
「……済まなかった」
そのため、素直に謝るしかなかった。
そしてとりあえず二人のことを簡素に紹介して、いざ内々的な話に進もうとしたのだが……
「あぁ! あそこにいるの、刀月さんじゃねぇか!?」
「あぁ?」
そんな声が響いてきて……そちらに俺らの視線が向けられる。
確かにそれなりに騒いでいたのと、トップが二人いるのだから注目されるのは当然と言えば当然だったが……何故か知らないが騒ぎの原因は台詞から言って俺のようだ。
「あ! ほんとだ!」
「刀月様! ご無沙汰してます!」
「おーいみんな! 刀月さんがいるぞ!?」
あ……こいつら……
かなりの人数がこちらに向かってきているのに気づいて、俺はそいつらに見覚えがある顔を見て、思い出した。
俺の方へと向かってきている連中は、俺が従軍しているときに義勇軍として参加していたら連中で、特に俺に親しげにしてきていた連中だった。
特に俺を様付けで呼んでいるのは、何人か俺が命を助けてやった連中だろう。
そいつらも仕事があるだろうに、それをほっぽって俺のところへ一目散に走ってくる。
「刀月様! お久しぶりです!」
「どうして挨拶もせずにいっちまったんです! お別れくらいしたかったですよ!」
純粋な思いというのは尊くもあるが、重くもある。
特に……後ろ暗さがある俺からしたら、それは重さ以外の何物でもなかった。
まぁ確かに命を助けたのは事実かも知れないけど……こうまで慕われる理由がわからん……
命を救ったのは事実。
飯もうまくしたのも事実。
だが俺は戦っていない。
義勇軍という……この世の腐敗を正すために立ち上がってきた義に厚い連中のただ中にいてなお、俺は自らの武を振るうことはしなかった。
故にこいつらも俺がどの程度強いかは理解していないだろう。
ただ強いと認識しているだけで……。
なのに何故?
疑問には思うがしかし……こちらとしても放置するわけにはいかず、しかしなんと声をかけて良いのかわからず、ただ無難な言葉しか出てこなかった。
「あ~~~まぁ悪かったよ。総出でお見送りかと嫌だったんでな」
「水くさいっすよ刀月さん! また酒盛りしましょうよ!」
「というかこの場にいるって事は刀月さんも反董卓連合に参加しているんですよね! どこにいるんすか!?」
「あ~~~それは……。っていうか関羽! 見てないで助けてくれ」
「皆お前を慕っているだけだ。助ける理由はないだろう?」
あ、こいつ……さっきの人ごとだって言葉、根に持ってやがる……
「それで劉備ちゃん。私が来たのは挨拶と提案に来たの」
「提案ですか?」
「そ。まぁ……ここだと少し話しづらいことだから、別のところで話をしましょうか? どっかの誰かさんのせいで騒がしいし」
「それは……そうですね」
うっわこいつらひどい……
と思わなくもないが一番ひどいのは俺なのもわかっているので……何も言えなかった。
その後は俺が群がってきた義勇軍の知り合いの連中をあしらうことが忙しくなって放置された。
何とかちぎってはなげちぎってはなげてどうにか追い払ったのだが、そのときにはすでに呉と蜀の会議は終えていた。
どうやら劉備を助けるという事で話はまとまったらしい。
まぁ今再編の真っ最中だから、あまり呉にも余力がないしな……
ちんちくりんと褐色ポニー……袁術家と呉は、俺が口車と実力と脅しで、再編成状況の真っ最中だった。
ぶっちゃけ、合体したのである。
当初こそ、このまま二分しておくということも考えていたのだが……そうなるとどうしてもちんちくりんの部隊の質が低く、あまり戦力にならない。
また、同盟もどきとして喧伝していても、やはり現段階では家柄や財力で考えるとちんちくりんの方が上なのだ。
つまり呉が下にいると周囲に捉えられると、元々呉が支配していた土地の豪族達が反乱を起こすという事件もいくつか発生したのだ。
それを防ぐために、いっそ合体という手法を採用したのだ。
そうすれば少なくとも……どちらが下でどちらが上と言うことはなくなるからだ。
まだ各地の豪族で反乱を起こす奴もいるが、間違いなくその件数は減ってきている。
また豪族の連中が反乱を起こす材料を少しでも減らすため、国名を変えておらず、合体後も呉のままだった。
当初はちんちくりんが呉という名前は嫌がっていたが、元々呉の土地であること、そして反乱が起こればそれだけ税収が下がり、俺の菓子が食えなくなる……俺自身もある程度対処する事になって、菓子とか飯を作る余裕が無くなるからだ……ということで、渋々納得してくれた。
ちんちくりんがある意味で阿呆と言うことも助けになって、何とか合体がうまくいっている。
しかし現段階ではまだ合体したばかりで、兵が均等になっていないのだ。
故に今の呉は外から攻められたくないというのが本音だった。
今回この反董卓連合に参加したのも、演習を兼ねているといっても良かった。
大部隊の大移動というのは、それだけで良い演習になる。
だがいざ戦闘になった場合は、歴戦の勇士が多く編成されている、褐色妖艶の部隊が出張る予定だった。
さて、この先にいるのは果たして
黒く煌めく邪神か……
この世全ての悪か……
それとも違う何かか……
もしくは……外れか……
なんとまぁ……面白い状況だこと……
すでに数年に月日が流れている。
これが外れだった場合は何かしら手を考えなければいけないだろう。
俺はそんなことを考えながら……進軍の準備を進めていた。
その際、公孫賛が俺に挨拶に来たので再会を果たしていた。
どうやら相変わらず治世をしっかりと行っているようで、工事の関係で俺に助力に来て欲しいと冗談を言われた。
俺が呉に入ったのは意外だったようだが、それでも笑顔で再会が出来たのは、嬉しいことだった。
だがその再会も……俺の技術のおかげで面倒なことになってしまう。
それは夕飯時に起こった。
多数の陣営がひしめくこの状況。
別段奇襲を仕掛ける訳でもないので、普通にかがり火をたいていた。
そのため火を付けることも問題がない。
そうなると……そこからは俺の本領発揮となって、独壇場だった。
暗くなりきる前に、一般兵達は食事を終え、交代で休むことになる。
そしてその食事が……問題だった。
兵糧丸という携帯食がある。
これはそば粉やきな粉などの炭水化物に、鰹節や煮干し粉などの魚粉でタンパク質に海洋性ミネラル……最後に植物性ミネラルとしてごまやエゴマ、梅干しなどを丸めたものを蜂蜜や日本酒などで味を調える。
上記は戦国時代の兵糧丸の一例で、兵糧丸の内容は家によって様々だ。
そして呉の兵糧丸は、魚を骨事すりつぶした物に、米と蜂蜜と酒で固めた物で栄養が豊富だ。
しかし……
現代人の肥えた舌からすればまずいのである。
よって……俺が改良した。
ふわり……
それは夕飯時に起こった……一種の珍事と言えただろう。
行軍中の料理など……武将などの一部のお偉いさんを除けばうまい飯など食えるはずもない。
この時代、飯が食えるだけありがたい事なのだが……それも軍に入って長年働いていれば兵糧丸などの食い物はどうしても飽きてくる。
そんな諸侯の一般兵達が辟易としている中で……一つの陣営から、とても良い香りが漂ってきたのである。
当然それを嗅いだ一般兵達は驚いた。
戦場にこんな良い匂いが漂う事はあまりない。
武将もそれなりに良い物を食べているとはいえ、それはあくまで武将という限られた人数のみ。
こんな別の陣営にまで漂ってくるほど大量に作ることはないのだ。
その陣営へと視線を巡らせると……そこは江東の麒麟児である、呉の陣営だった。
芳醇といっても、別段何か調理を行っている訳ではなかった。
ただ一般兵達が配れた飯玉にお湯を注いだだけだ。
すると中から具が現れて……実に食欲のそそられる匂いがそこら中から漂ってくるのである。
あれは一体?
誰もが驚き……そして羨んだ。
戦場で実にうまそうな物を食べていることに。
だがうまそうな物を食えるというのは、物事においては一端に過ぎなかった。
呉の陣営からの実にうまそうな食事をしているという報告を聞いて……諸侯は驚き、警戒を強める結果となった。
その中でもっとも警戒したのは……曹操だった。
あの男……でしょうね
報告を聞いて真っ先に思い浮かんだ男の顔を思い出して……華琳は口惜しそうに歯がみするしかなかった。
戦場においてなお、食事にも気を配る……食事に労力を回すことが出来るという事実は、あまりにも見逃しがたい脅威だったのだから。
まぁパフォーマンスの一種な訳だが……効果は絶大だったようだな
それが俺の感想だった。
わかりきっていたことなだけに、驚きは無かった。
俺が飯として配給しているのは何のことはない。
言うなればインスタント雑炊である。
飯玉の中には具が仕込まれており、味付け……味噌ないし醤油……してある飯にお湯を注げば中から具が出てくるという食料だ。
中の具は干物や肉、にんじん、大根、キノコを炒めたもの。
具を飯に詰めて玉状に成形して味噌か醤油を塗る。
後はその飯玉を油で揚げれば大量保存が可能。
さらに湯を注ぐだけの安易な方法で、味も見た目も栄養素も満点な食事が出来る。
これは実に脅威と言えるだろう。
うまい飯は士気があがるし、兵力の増強にもつながるからな
そして料理に気を配ることが出来る「余裕」。
食事風景という、呉にとっては当たり前のたったそれだけの事が、激震となって……諸侯を脅かす事となった。
最後の飯玉は、私の好きな作品である
信長のシェフ
からパクってきましたw
ああいう忠義物な作品すきなんですよね~