だが最後の足掻きのように炭治郎が鬼化されてしまい、残りの隊士達は絶望に襲われてしまうことに。
一方、その炭治郎は己の中で無惨(残り粕)と相対するのだった。
本編200~203話くらいの流れの補完的な感じだと思っていただければ、大体あってるのではないかと。
間に一週空くからリハビリ代わりに書いてみるかというのが書くきっかけなので、本当なら4/27にはあげる予定だったのに、どうしてここまで時間が掛かったのか。一瞬ボツにすることも考えましたが、最後まで書いてしまったので供養代わりに公開しておきます。
作者が基本、本紙立ち読み組でしかないのでいろいろおかしなところあると思いますが、ぜひとも広い心でお楽しみくださいませ。
◆ ◆ ◆ ◆
――――アツい、と。
はじめに覚えた感覚はそれだった。
意識はずっと途切れていたようで、自分が誰なのかここがどこなのかさえとっさに思い出せない。わかるのは体中が熱くて熱くてたまらず、喉が痛くて痛くてしかたないほどに乾いているということだけだ。
アツイアツイアツイクルシイクルシイクルシイ――ナンダコレハナニガドウナッテイル?
今はただ、地獄のような苦しみに悶え苦しむことしかできない。そこから逃げたいと思っているのに、どこへも逃げられない絶望に心が蝕まれそうになったその時――
「…………ガ?」
甘く芳しい臭いがどこからか鼻に飛び込んできた。それはとても甘くとても美味そうで、嗅いでいるだけで頭の奥が痺れてくる臭いだ。これは――いったいなんだろう。
(――それは人の血で肉だ。つまり鬼――貴様の餌だ)
不意に、声が耳に響く。若いような年を経たような、不可思議な響きを持った男の声だ。
(人の血や肉が餌だって? それに鬼? 俺が鬼だというのか?)
(そうだ、貴様は鬼だ。鬼になったばかりの新参だからな、まだ意識が追いついていないのだろう。まずは目を開けてしっかりと周りを見てみるがいい。美味そうな餌が周り中に溢れているだろう?)
男に言われるまで気づいていなかったが、どうやら目を閉じたままだったらしい。言われるまま瞼をこじ開けると、夜明け前の薄暗闇の中、倒れている自分を囲むような形で複数の影が蠢いている。甘い臭いは、そいつらの体から漂ってきているようだ。
ごくり、と喉を鳴らす。男の言葉が正しいかどうかはわからないが、目の前の連中が美味そうな臭いを発しているのは間違いのない事実だ。餌という言葉が簡単に信じられるほど、目の前で蠢く影は蠱惑的だった。
ならば、まずはすぐ側に立っている黒覆面をかぶった男からいくとしよう。
「グゥアァァァァ~~~~ッッ!!」
無防備な男の肩へ向けて無造作に腕を振るう。爪で肉を切り裂く手応えとともに、男の体が簡単に吹き飛んでいった。……どうやら力が強すぎるようだ。弄ぶくらいならともかく、血肉を喰らうつもりなら少し手加減する必要があるかもしれない。
「グゥルルルル……」
先の一撃で飛び散った血の飛沫が頬の辺りにかかったので、舌でぺろりと舐め取ってやる。――信じられないほど甘美だった。
「qyd@¥4、uyw@?」
「fu;¥――zz!!」
こちらを見ながら、なにやら聞き取れない言葉を口にしている奇妙な連中から頂けるのが正直信じられないほどの甘露だったが。それでもこの渇きをどうにかできるならどうでもいい。
残っていた手近な黒覆面に向き直り、喉を鳴らしながら手を伸ばす。まずは慎重に捕まえようと思った、その時――
「qyd@¥4、7/¥――z!」
切羽詰まった響きの声と同時に肩の辺りに衝撃を感じて、今度は俺の体の方が吹き飛ばされていた。……ナンダコレ。痛みはそこまでではないが、邪魔をされたのは不愉快だと。
全身に怒りを滲ませながら立ち上がり、邪魔した奴を睨みつけてやる。右腕のない羽織姿のその男は残る左腕に刀を持ち、怒りと哀しみが混じった瞳でこちらを睨み据えていた。
……その姿を見た瞬間、胸の奥の方で何かが軋んだようなそんな気がした。
(g@84xy。7/¥、7/wh;……)
睨み合うその視界の端に、目映い光が入り込んでくるのがわかった。と、その光が当たった箇所が不意に熱くなる。まるで、焼き鏝でも当てられたみたいに肉が焼け爛れる感触に、思わず悲鳴を上げてしまう。
「ガアァァァァ――――ッッッッ!!!!?」
飢えとは別種の強烈な痛みに、俺は地面をのたうち回るしかなかった。
――光、光が原因なのか? そう判断して、俺は日陰に逃れようと地面を這い回るが、それを見た刀の男が邪魔をしてきてなかなか動けない。焦る俺をなだめるように、頭の中の声が優しく語りかけてくる。
(大丈夫だ■■■、お前はすでに太陽を克服している。あと少し血が馴染めば、耐えられるようになるだろう。どれ、少し手伝ってやる……)
「qyd@¥4t@6iix;q! vs0b¥rj5iqyd@¥40b¥p!」
刀の男が出した指示に応じて、周囲の連中が動き出そうとしているのが見えた。そうなる前に目の前の邪魔者を排除したいが、火傷の痛みに邪魔されて自由に動けない。それでも耐えながら腕を振り回していたところに、ドクンと鼓動が一瞬跳ねて――痛みが消え去るのがわかった。
光灼けの症状がなくなったことに気づいたのか。動きが止まった刀の男の腹を蹴り飛ばし、無防備になった首筋を狙って爪を振るう。捉えたと思った瞬間、再び邪魔が入った――
「uidwyq@――z!」
飛び込んできた猪面が振るった刃に腕が弾かれてしまう。次から次へと邪魔が入ることに苛立ちながら、俺は猪面に向き直って一声咆哮してやる。それから――今度は真正面からじゃなく――足を使って左右に飛び跳ね、幻惑させてから襲いかかってやった。
爪と刀がぶつかり合う鋼の音が響く。金髪の少年の泣き声に何故か動きが鈍るが、構わず攻撃し続け――わずかにできた隙を突かれ、首元に刃が迫った。「――ッ!?」斬撃を覚悟しながらとっさに首へ意識を集中させるが、肝心の一撃がこない。何かをためらうように、震えて止まるだけだ。
「グルァーーーっっ!!(ekr:――)」
別の声が頭に響いてくるがそんなもの無視して、猪馬鹿に一撃を加えようとした俺の体を――
不意に誰かが、優しく抱きしめてきた。懐かしい匂いが、した。
「6兄a7y、b@・y、。~~~~帰ろ4。家にt5¥う。、?」
優しく届いてくる、懐かしく感じる声。俺は、これが、誰か、知ってる……?
魂に亀裂が走った、そんな錯覚さえ覚えてしまうほど俺自身が真っ二つになった。目の前の人間をすべて喰らえと命じる鬼の自分と、それを必死で止めようとする人間じみた己と。矛盾する二つの在り方がぶつかり合い、嵐となって荒れ狂う。
「ルアアァァァァアアァァァアァ~~~~~~ッッッッ!!!!」
吠える、吠える、吠える。みんな死ねと叫びながら、そんな自分から逃げたくてすべてを斬り裂くために暴れ回る。それでも何も壊せないから同じように暴れているのに、それを止める己がいるから何も壊せないままだ。
何をやっているのかわからないまま化け物になった体が生み出した火球を吐き出すが、それもしがみついている誰かの腕に止められてしまう。鼻先のすぐ側で血が芳しく薫っているというのに、それを愉しもうという余裕すら、もはやどこにもなかった。
相変わらず刀で俺の攻撃を邪魔している羽織の男はともかく、しがみついている誰かが、金髪の少年が、何よりも自分が激しく吠え立てるせいで周囲は雑音ばかりだ。
だから――気づかなかった。蝶のように俺の攻撃の隙間を縫って、藤の匂いとともに肉薄してきた黒髪の少女のことに。
とっさに――いつの間にか体から伸びていた――刃の触手の一つを振るうものの、胸の辺りをかすめただけでその動きを止められず。無防備になった背中に、そのままなにかを突き刺されてしまう。
「炭d@¥4。q@・q@9、早h戻zwgw。禰豆子a7yutpqoq@・q@9……」
藤の匂いの少女の言葉の中に出てきた名前に、聞き覚えがあるような気が、する。
(禰豆子……?)
とてもなじみのある、大切な何かが溢れてきそうなその響きに、誰かの面影が浮かび上がってきた。それがさっきからしがみつき続けてきた少女と重なった瞬間、鼓動が跳ね上がると同時に視界が真っ白になる。
そして、俺は、意識を、手放した――
◆ ◇ ◆ ◇
――気がつけば、一人きりでよく解らない空間の中にいるようだった。
「ここは……? 俺は、なにを……?」
自分が誰で何をしていたのかを思い出そうとすると、途端に激しい頭痛がして邪魔される。それでも痛みをどうにかやり過ごして――頭の中の記憶と耳に残る誰かの声を無理やり引っ張り出すことで、ようやく現状を把握できた。
「そうだ、確か無惨と戦っていて。途中で気を失って――鬼になりかけて。でも――カナヲかな?――に注射みたいなのを打たれて……そこから先はわからないな。だったら、ここは俺の頭の中ってことでいいのか……?」
縁壱さんの過去をのぞき見? した時みたいに精神世界? の中に入り込んでしまったということだろうか。理屈はよくわからないけれど、もしそうなら早く元の現実に戻らないと。……ああでも、鬼になったままだとそれはまずいのかていうか俺は今どうなってるんだ? 人間のままなのかそれとも鬼になってしまったのかあるいはその中間辺りなのか。
その辺りを確かめたいと思っていると、体が勝手にどこかへ向けて動いていく。そしていつの間にか、気づいたら周囲はどこか見覚えのある山道に変わっていた。更に言えば、俺の格好も鬼殺隊の隊服になっている(日輪刀も当然持っていた)。
そして。
「はて、誰が来たかと思えばお前か。鬼の王になった気分はどうだ、竃門炭治郎。我に礼でも言いに来たのか?」
「鬼舞辻無惨――っ! やっぱり、お前か――!!」
辿り着いた先の、雪の降り積もった山奥の一軒家。生まれた時から見慣れていたその場所で、庭の縁石に座り込む形で待ち構えていたのは着物姿の鬼舞辻無惨だった。
一瞬、あの日の情景が頭の中によみがえる。全身の血が燃え上がった。――飢えではなく、怒りに。だが、そんな俺とは対照的に無惨はつまらなさそうにこっちを見やると、
「鬼舞辻無惨、か。成程、お前にはまだその姿で見えるようだな。王になった自覚が足りないと見える」
冷ややかな笑みを浮かべて、いつもの妄言を好き勝手に口にしてくる。
「もはや鬼舞辻無惨なぞこの世にはおらぬ。すべての役割を炭治郎、後継者のお前に委ねて果てたとも。我はさしずめただの鬼の王の血の象徴――核に当たる部分と言ったところか。ただお前の中にある鬼の王の似姿が無惨のものであるから、そうと見えるだけに過ぎない。お前が鬼の王としての自覚を持てば、我はお前自身と融合して消えるとも」
「相変わらずなにを言ってるかよく解らないぞ無惨! 鬼の王としての自覚だかなんだか知らないが、誰がそんなものを持つものか!」
「大した自信だが、そんなことが言えるのはまだ誰も喰っていないからではないか? 一度でも血の味を覚えれば、そんな戯言口が裂けても言えなくなることを教えてやらねばならんな。否、血の味そのものはすでに覚えた後か。……ふむ、では折角だから選ばせてやろう。炭治郎よ、誰から喰いたい?」
そう言い捨て唇を酷薄に吊り上げる無惨との間に、遮るような形で倒れた状態の人影が複数現れる。その姿を見た俺は、一瞬で頭の中が真っ白になってしまっていた。
「禰豆子、カナヲ、義勇さんに鱗滝さん、村田さんまで――っ!?」
全員、傷ついた状態で地面に倒れ伏している。意識もないのか身動ぎもせず、ただ傷口から漂ってくる血の臭いが強烈だった。
「さあ選べ炭治郎。我が血の誘惑に耐えようとしたところでお前ごときが耐えられるものか。潔く誰かを選び、喰え。そして我の後を継ぐ、新たなる鬼の王となるがいい」
「――――ぐぁあっっ!?」
その瞬間、全身の血が爆発したようなそんな錯覚を覚える。怒りではなく、血への渇きから来る飢えに。
視界が赤い。脈打つ鼓動がうるさすぎて、自分の呼吸の音さえ耳に入ってこない。呼吸が、しづらい。明滅する視界に途切れ途切れになる意識の中で、ただ血が放つ馨しい匂いだけが心を掴んで離さない。
――欲しい、と思ってしまう。
喰いたいと。あの肉を喰らい血を飲めばどれほど甘美だろうと。鬼としての本能が教えてくれる。気づけば、脚が勝手に動いて距離が少し縮まっている。肉を喰らえ血を喰らえ人を喰らえと――そう体が命じるままに。
「…………がはっ。う、うぅぅ……」
とっさに刀を抜いて地面に突き刺し、これ以上の前進を止める。必死で歯を食いしばっていると、噛み締めた唇からこぼれ落ちてきた血が口の中に入ってくる。……信じられない。自分の血だというのに、気が遠くなりそうなくらい甘く感じられた。
「ほう、まだ耐えようとするか。暗愚の無様もそこまでいけば滑稽を通り越して一興を感じられるものだな。さて、そんな愚か者は妹か同期か恩人か師匠か誰を選ぶ。さあさあさあいいかげん誰かを選べ。折角究極の生物になれるのだ。いまさら人間に未練など、あるはずもないだろう? なあ、我が後継者よ」
「ふざ、けるな……っ! 誰が、人間を、やめたい、ものか――っっ!!」
少しでも気持ちを奮い立たせるために吠える、吠える、吠える。それでも泰然とした態度を崩さない無惨に少しの苛立ちと、それを上回る焦燥を覚えた。
この衝動に身を任せれば楽になれることは知っている。だが、だからこそ今までの自分を否定するだけの、そんな身勝手な衝動に負けるわけにはいかない。なのに、倒れている彼らから目が離せないのはどうしてか。揺れる視界の中で、倒れている禰豆子の姿に今はもう喪われた誰かの姿が重なり合う。
その残影に、突然家族を奪われた哀しみと怒りが思い出されて、溢れ出した感情の海に溺れそうになる。ただでさえ渇きによる飢餓に苦しんでいたのに、その上新たな感情のうねりまで加わって訳がわからなくなりそうだ。
本当に苦しくて苦しくて苦しくて――笑い出しそうになる。
(そうか、禰豆子。お前、こんなに苦しかったんだな……)
無惨に家族を惨殺されたあの日。鬼化して襲いかかってきた禰豆子が感じていた苦しみが、ようやく実感として理解できた。嗚呼、このことだけなら無惨に感謝してもいいかもしれない。
成程、こんなに苦しいならあんな風に暴れ回るのも当然だろう。その苦しみを、自分ではわかったつもりでいたけれど。結局のところ、本当に理解することはできていなかったらしい。よもや血に対する渇きがこれほど強烈に理性を蝕むものだったなんて、正直甘く見すぎていたと反省するしかないところだ。
(とりあえず現実に戻れたら、禰豆子のことちゃんと褒めてやらないとな。よく頑張ったな、兄ちゃんはお前のこと誇りに思うよって……)
義勇さんの手助けはあったけれど、最後の一線をぎりぎり耐え抜いたのは禰豆子の意思の力だ。それから旅の間もずっとずっと眠ることで体力の消耗を抑えて、その末の柱合会議で不死川さんの稀血を耐えきったのもなにもかも。
(稀血って言うくらいだから、きっと今俺が感じてるのよりもっと強烈な誘因力だっただろうに。それでも頑張って耐えてくれたんだな禰豆子は。――だったら、)
妹の禰豆子が耐え抜いたものを、長男である俺が耐えられないわけがない――――っっっ!!!
「頑張れ炭治郎頑張れ! 俺は今までよくやってきた、よくできる奴だ! そして今日も! これからも! 折れていても! 挫けることは絶対にない!」
叫びながら頭を地面に叩きつける。激しい音が辺り中に響き渡った。
「いきなり自分を痛めつけるとは。相変わらず意味不明だぞ炭治郎。とうとう気でもふれたか?」
「いいや、俺は正気だよ。これ以上ないくらいにな」
不審の声を投げかけてくる無惨に、俺は冷ややかに返してやる。
さすがに頭こそ痛むけれど、それ以外は――心も含めて――凪の水面のように静かで穏やかだった。飢餓も衝動もなにも感じない。そして、いつの間にか俺と無惨の間を遮るものは、どこかに消えてしまっていた。
「…………なにがあった? 我が用意してやった餌をどこへやったのだ、屑が」
「さあ、どうだろう。餌じゃないから知らないな。それよりも、無惨。さっきまで人のことを鬼の王だとか後継者扱いしてたのに、いきなり屑呼ばわりはひどくないか?」
苛立たしさを隠そうともしない無惨に、俺は地面から引き抜いた刀を突きつける。
「俺の名は竃門炭治郎。歳は十と五つ。ヒノカミ神楽伝承者竃門炭十郎の長男で、育手の鱗滝左近次の弟子であり、鬼殺隊丙の剣士が一人――加えてかまぼこ隊の一員でもある。そして――なによりも竃門禰豆子の兄だ」
「……だからどうした。今更自己紹介してどうするつもりだ。なにが言いたい?」
「……ただの十五年だ。俺がこれまで過ごしてきた時間は、お前が置いてきた遙か長い時間に比べれば、きっと一瞬にも等しいものだと思う。それでも、たったそれだけの時間でもこれほどのものを積み上げることができるんだ、人間は」
思えば、俺はこれまでどれだけの人に支えられてきたのだろう。
家族は言うまでもなく、義勇さんが来てくれなかったら俺は禰豆子に喰われていたはずだ。鱗滝さんには禰豆子共々本当にお世話になってしまったし、最終試練に間に合ったのは錆兎と真菰のおかげだった。
刀を折ってしまう度に暴れられるのは正直迷惑だったけれど、鋼鐵塚さんの刀には何度助けられたことか。同期隊士(かまぼこ隊)のみんなは仲間として、友人として本当にかけがえのない存在だ。だから玄弥が死んでしまったのは正直辛いし、他のみんなはもう誰一人として死んで欲しくない。
そして、煉獄さんをはじめとする柱達には柱の強さと鬼殺隊士としての心構えを教えられ、珠世さんと癒史朗には禰豆子が人間に戻れるという希望と無惨に対する切り札を与えられた。その他にもお世話になった人たちは名前を挙げ切れないくらいにいっぱいいるけれど、彼らがいなければ今の竃門炭治郎が存在しないことだけは言い切れる。
だから――鬼舞辻無惨の在り方は認めることができない。
「鬼舞辻無惨、確かにお前は強かった。一人なら誰もお前には敵わなかっただろう。だけどお前が鬼になってから千年も経つというのに、どうしてお前は今も一人なんだ? 人々を襲い続け鬼を増やし続けて、十二鬼月なんてモノまで作り上げておきながらその中の誰とも心通わせることなく、勝手に使い潰すなんてお前は一体何がしたかったんだ?」
たとえば歪な形でも家族の絆を最後まで求め続けた下弦の伍。上限の陸は鬼になってしまってからでも互いを思い合う兄妹として在り続けた。そして別のなにかに変わる気配がありながらもそれを途中でとどめ、感謝の匂いとともに笑いながら自らの幕を下ろした上弦の参。
もし彼らと語り合うことができていたなら、少しでも解り合うことができていたのではないかと、今でも思っている。たとえ、最後には敵として殺し合うことしかできなかったとしても。そうすればもう少し何か救いがあったかもしれないというのは、俺の思い上がりだろうか。
でも無惨ならそれはできた。できたはずだ。自分で勝手に人間から鬼へと変えたのだ、それくらいの責任は取るべきだろう。なのに道具として使い潰すことしかしなかったその身勝手さに、王と名乗る資格なんてあるはずがない。ましてやそんなものの後継者になるなんて、ただの罰ゲームじゃないか。
だから俺は――鬼の王なんか拒絶してやる。
「下らんな。お前も含め人間どもはすぐに絆絆とやかましいが、そんなものがなんになるというのだ。心を通わせるだと? 足手まといの役立たずでしかない屑どもに心なぞあるものか」
「心はある――あるんだ無惨。人なら誰もが持ってるし、鬼だって元々人なんだから同じように持ってる。ただお前が見ようとしなかっただけだ」
だからお前は勝てないんだよ無惨。それだけの力を持っているのに。それだけの力しか持っていないから。
「いいだろう、あくまで我に逆らうというのだな、炭治郎。だが、そこまで人であることに拘ってなんになる! そもそもお前は痣を発現したのだから、せいぜい後数年しか生きられないはずだ。ならば鬼の王になって永遠の命を選べばいい、選ぶのが当然だ。そうすれば完全な生命体となれるのに、何故我を受け入れない――っ!?」
「簡単だよ無惨。俺がそうしたくないからだ。一人で永遠に生きるよりも、それがたとえ一瞬のような儚い時間であっても誰かと生きる。大好きな人たちと一緒に笑い合い、助け合って同じ時間を過ごしたいだけだからだ。そんな些細な願いも叶えられないくせになにが完全な生命体だ。ふざけるのもいい加減にしろ」
家族みんな仲良く一緒に笑い合いたい。たったそれだけのこと、そんなささやかな願いを踏みにじり、踏み潰してきた鬼が完全な生命体だなんてとんだ思い上がりだ。許すわけにはいかない。
そう怒りを込めてすべての元凶を睨みつけると、鬼の王も同じようにこちらを睨みつけながら形相を醜く歪ませて――
「ふざけるのもいい加減にしろだと? ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけているのは貴様の方だ竃門炭治郎ーーーーっっっ!!! 痣の発現で未来をなくした貴様のためを思って、我の意志を継がせてやろうとしてやったというのにその態度はなんだ!? どうやらもう一度痛い目を見なければわからんようだな。そこへ直れ、炭治郎。今から鍛え直してやろう」
「黙れ無惨。いい加減お前と話すのも嫌になってきてるんだ。逆にお前をここで斬って、早いこと現実に帰らせてもらうぞ」
爪を伸ばして牙を剥き出しにしてくる姿に、こちらも戦闘態勢へ速やかに移った。
静かに心を落ち着けて日輪刀を構える。今からなにをすべきかはわかっていたから、取るべき構えも当然知っていた。
其れははじまりの呼吸の剣士継国縁壱が編み出せし剣技。さらに磨き抜き、育て上げた末に呼吸の型を作り出したるは代々の柱達。そして受け継がれしそれらをヒノカミ神楽と重ね合わせ、産み出したる竃門炭治郎により鬼滅の刃と為す。
故に、これより振るわれるはただ鬼のみを斬り裂くための一閃なり――
「ほざけ、屑が。どうしても従えぬと言うのなら、無理矢理にでも後継者にしてくれる――っ!」
「日の呼吸 壱ノ型 円舞――」
――踏み込みはこれまでで最も鋭く。振るわれる一薙ぎはなによりも疾く。思い描いていた理想の剣筋をなぞっていった。故に、それ以上詰まらぬ些事は語るに及ばず。ただ正しき刃が悪鬼を斬り伏せたという、あたりまえでしかない結果だけが語るに足りるすべてに違いなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
――目覚めると、きれいな蒼が目に飛び込んできた。夜明けの空の、きれいな蒼だ。
綺麗だな、とぼんやりとした頭で思う。心はひどく穏やかで、すっきりとしていた。
「……ああ、綺麗だな……」
ぽつりと漏れた呟きに、綺麗な蒼を人型に遮って覗き込んできた金髪の少年が、容赦なく痛む体を揺すってくる。――必死な顔つきで。
「炭治郎、炭治郎、おい炭治郎! 大丈夫か、正気か? 生きてるか――っ!?」
「……善逸、か? うん、大丈夫――生きてるよ。体はあちこち痛むけど、うん、頭はすっきりしてるかな。たっぷり寝た後みたいに」
「うわぁぁぁぁ炭治郎生きてた生きてた生きてたよぉぉぉぉ~~~~~~~~っっっ!!! よかったよかったよかったぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~~~~~~~~~~っっっっっ!!!!!」
それから、いきなり堰を切ったように泣き喚き始める善逸。そんな同期隊士の背中に手を回してポンポンとなだめるように叩いてやると、さらに泣き声が大きくなってしまった。
まるで赤ん坊みたいに泣きじゃくっている善逸に、苦笑しながらさてどうしたものかと一瞬思い悩んだところで、
「いい加減うるっせぇぞ善逸! いつまでひっついてやがんだ、このスカタン!」
激しい怒号とともに現れた影が善逸の首を引っ掴むと、そのまま俺の体から引き剥がしていった。
「伊之助。……よかった、そっちも無事だったんだな……って、あいたぁぁぁ――っっ!?」
「ぐあぁぁ――っっ!! くっそ、相変わらず石頭だなてめーは。こんな硬い頭持ってんのは炭治郎しかいねーから、鬼になったままってってことはなさそうだな、おい。だったらいいけどよ、余計な心配かけさせんじゃねぇよな……止められなくて悪かったな、おい」
いきなり頭突きをしてきたかと思うと、まだ泣き叫んでいる善逸を引きずったまま離れていこうとする伊之助。最後にぽつりと呟き、そのまま背を向けた彼に届くように急いで感謝の言葉を、精一杯心のままに送り届ける。
「そんなこと、ないから。ちゃんと止めてくれたから伊之助も――善逸も! 二人ともありがとう、感謝してるから! だから二人とも、ちゃんと生き残ってくれて良かったって。そう思ってるから――っっ!!」
伊之助がそれに振り返ることはなかった。ただ小さく掲げられた左腕が、心の言葉を伝えてくれたような、そんな気がした。
そして。少しだけほっこりした気分になった俺の元に次に顔を見せたのは、黒髪の少女隊士だった。
「――炭治郎。気持ちはわからなくもないけど、あまり大きな声を出すのはちょっと。傷は治ってるみたいだけど、まだ鬼化の影響が残ってるかもしれないから、できるだけおとなしくしていて」
カナヲは涼やかな声で言い聞かせるように言ってくると、そっと手を伸ばして俺の右目の辺りに指を這わせてくる。柔らかい指先が目尻の辺りを優しく撫でていった。
「……よかった。腕が切り落とされて右目も潰された時はどうなるのと思っていたけど、ちゃんと元通り綺麗になって。本当に良かった……」
「ああ、うん。俺も左腕斬られた時はこの先ずっと片腕かって覚悟はしてたけど、鬼になりかけたおかげ――っていうと語弊があるか。でも、そうだな。元通りになってくれたのは本当に良かったと思うよ。これもカナヲが俺の鬼化を解いてくれたおかげだ。本当に、ありがとう」
「薬を作ったのはしのぶ様だから。お礼はしのぶ様の方に言って。私は、ただ炭治郎に注射しただけだから」
目を伏せながら、カナヲは淡々と返してくる。その眼が弱々しく揺れたように見えたのは、気のせいだったのかそれとも。いずれにしろ、彼女のお願いは今ではもう叶わないものだった――
「……しのぶさんと珠世さんには、また後でお礼を言いに行くつもりだから。その前にまずはカナヲにちゃんとお礼を言っておかないと、二人に叱られるよ。だから、ありがとうカナヲ。カナヲが薬を注してくれなかったら、俺の手で誰かを殺してしまうところだった。そうなったら本当に取り返しがつかなかったから、何度だってお礼は言うべきだと思う。本当にありがとう、感謝するよカナヲ。キミがいてくれてよかった」
「――っ。それ、でも、人として戻ってこられたのは、炭治郎が強かったからだと思う。私だったら間違いなく耐えられなかった。だから戻ってきてくれてありがとう炭治郎。しのぶ様もきっとそう思ってくれるはず」
少しばかり頬を赤らめると、若干早口口調になりながら最後に一瞬だけ頬をほころばせる。そうして立ち上がったカナヲはもう一度だけ俺の目尻に指を這わせると、最後におとなしくしておくようにと言い含めてから、その場を譲るように離れていった。
そんな彼女と入れ替わるように顔を見せたのは、満身創痍な格好の義勇さんだった。全身が傷だらけなのはみんな一緒だけど、右腕の位置にあるはずのものがなくなっている。無惨にやられたものだ。……それでも、命があるだけマシだと思うべきなのだろうか。
「炭治郎。大丈夫か?」
「あ、はい。俺の方は問題なく。義勇さんは、右腕が……」
「炭治郎が問題ないなら問題ない。無惨を倒せたのだから許容範囲だ。命があるだけ……生きているだけでも僥倖だろう。俺が、生き残るとは、思わなかったが……」
悔しそうに義勇さんが目を伏せ唇を噛み締める。聞くのに少し勇気がいったが、思い切って聞いてみることにした。
「他の柱の人は、どう……?」
「不死川だけは生き残れたようだ。だが、後は全滅だ。みんな、生き残れなかった……」
「みんな……。……そうですか、残念です」
しのぶさん、時任さんに玄弥だけじゃない。悲鳴嶼さん甘露寺さん伊黒さんまで逝ってしまったのか。自然と浮かび上がる記憶の面影に、こぼれ落ちかけるものを必死で堪える。
俺自身も含めてそれさえ覚悟で臨んだ戦いだった。そう考えれば無惨を倒すという最大の結果を得られて、義勇さんと不死川さんはとりあえず生き残った。それだけでも素晴らしい成果で、むしろよくやったと誇るべきことなのはわかっている。……それでも、大切な人たちとの別れを哀しいと嘆くことを止められはしないけれど。
「栗花落がいなければ、お前もそうなるところだった。守ってやれず、すまなかった炭治郎。俺が柱としての役割さえ果たせていたら、お前が鬼化して苦しむこともなかったはずだ。不甲斐ない柱で、本当に申し訳ない……」
「そんなことはないです――っっ!!」
反射的に大声を出した俺に、義勇さんが驚いたように目を瞬かせる。義勇さんが自分に厳しい人なのは知っているけれど、今の言葉だけは否定しないといけなかった。
「義勇さんがとっさに止めてくれなかったら、俺は間違いなく誰かをこの手で殺してました。もしそうなってたら、今頃こんな風に語り合うことなんてできなかったに決まっています。もちろん、他のみんなも俺を止めようとしてくれたけれど。俺に未来を繋いでくれたのは義勇さんが一番でした。だから――本当にありがとうございます。義勇さんが柱としていてくれてとても助かりました」
「そう――か。炭治郎がそう言うなら、信じられるな。こんな俺でもちゃんと守れたなら、よかった――□□、○○○○○」
最後の囁きが誰に当てたものか。聞き取れはしなかったけれど、その表情からわかる気はした。もちろん、わざわざ確かめようなんて野暮なことをするつもりはない。だから俺はそれ以上何も口を開くことなく、手当てを受けるために隠に連れられていく義勇さんを見送ったのだった。
そうして。
「お待たせ禰豆子。まずはごめんな、遅くなって」
「ううん、そこは謝らなくていいよ。みんなお兄ちゃんのことずっと心配してたのは私も知ってるから、少しは我慢しないといけないのはちゃんとわかってるし。それにその間はずっと傍にいてくれたもん」
人波が途切れてようやく、みんなと話してる間はずっと俺の体にしがみついたままだった禰豆子に、まともに声を掛けられることができる。こちらをわずかに見上げるその口元に、あの日以来ずっと嵌めたままだった口枷はなく、ただ赤い唇と白い歯だけが覗き見えた。
その姿に感慨深さを覚えてしまいながら、俺は妹の黒髪を優しくかき回す。
「そうか、偉いぞ禰豆子。いい子だな、お前は。さすがだ。――それで、と。やっぱりおかえりから言っておかないとな、うん。だから禰豆子、まずはおかえりだ。それと、あんなに苦しかったのを本当によく耐えてくれたよ。よく頑張ったな禰豆子は、お兄ちゃんはお前をものすっごく誇りに思うよ。よくやった、禰豆子。お疲れ様――だ」
あの強烈な飢餓感による苦しみを思い起こしながら褒め称えると、当の本人はどこか不思議そうな顔できょとんとしながら、
「おかえりって……ここ、お家じゃないよ。変なお兄ちゃん。おかしいの」
冗談交じりの口調でそう言ってくる。
「え? 俺は問題ないと思ってたけど。お、おかしいかな?」
「うん、おかしいと思う。でもいいよ、お兄ちゃんだもん」
「あ、ああ。そうか」
「でも――頑張ったのを褒めてくれたのは嬉しいかな。血が欲しくて暴れ出しそうで、苦しくて苦しくて気が狂いそうなくらいだったけど、最後までちゃんと頑張って耐えられたのは私も自分でよくやったって思えるから」
でもね――と、禰豆子は呟いてこちらを見上げた。潤んだ瞳で。
「私がそうやって耐えられたのは、お兄ちゃんが傍にいてくれたから。私をずっと守ろうとしてくれたからだよきっと。私のことを一度も見捨てないでいてくれたから、最後まで耐えようって頑張れたんだと思う。だからお兄ちゃんがいてくれなかったら、私は絶対に人間に戻れなかったよ。お兄ちゃん、本当にありがとう。ごめんね、今までいっぱい迷惑掛けて」
「迷惑だなんて一度も思ってない――っ!」
思わず上げた叫び声に、再びきょとんとしてからどこか嬉しげに眼を細める禰豆子。
「ありがとう、お兄ちゃん。そう言ってくれると私も嬉しいし安心できるよ。でもね、鬼殺隊に入ってからのお兄ちゃんを見てたら、そんなことは言えないかな。傷ついても傷ついてもそのたびに何度も何度も立ち上がり続けて、頑張ってる姿見てるの本当に辛かったんだから。私がこんなじゃなかったら、お兄ちゃんがこんなに必死になる必要なんてなかったはずなのに――って」
だから――と続ける妹の目から、ぽろぽろと雫がこぼれ落ちてしまう。
「お兄ちゃんがちゃんと戻ってきてくれて本当によかった。あんなに頑張ってくれてたお兄ちゃんが鬼になんてならなくてよかった。生き残ってくれてよかった。ほんとに、しんぱい、したん、だからぁぁぁぁぁ――っっ。よかったよかったよかったよぉぉぉ~~~~。わぁぁぁぁんんわぁぁぁぁぁんわぁぁぁぁぁん~~~~っっっ!!!」
堰を切ったように泣き出してしまった禰豆子の頭を抱えて、胸の中に優しく抱き寄せると宥めるようにポンポンと、軽く頭を叩いてやった。そんなに泣き虫ではなかったけれど、子供の頃禰豆子が泣く度にこうやって慰めてやっていたことを思い出しながら。
正直なところ、自分も危うく泣きそうになってしまったけれど、長男として我慢しないととの思いで必死に耐えながら。
「そうだな、心配しちゃうよな。ごめんな、禰豆子。お兄ちゃんのくせにお前にいっぱい心配掛けちゃって。でも、もう大丈夫だから。俺はどこにも行かないから、だから安心してくれていいぞ。な、禰豆子」
さっきまで無惨と激しく戦っていた場所で。周囲の隊士達が慌ただしく働いている中、俺と禰豆子の兄妹だけがのんびりと語り合っている。そんなちょっと奇妙な現実におかしさを覚えながら、ゆっくりと禰豆子が落ち着くのを待ち続ける。
そして――太陽が東の空にすっかり顔を出した頃になって、禰豆子が袖口で目を拭いながら顔をあげた。それから少し考えるように首をかしげてから、
「えっとね、お兄ちゃん。私もお兄ちゃんに心配掛けたのは事実だから、謝っておかないといけないよね。ごめんなさい、お兄ちゃん。それにずっとずっと助けてくれてありがとう。 ――えっと、それでね。よく考えたら、やっぱりおかえりでも変じゃない、かも。うん、だから――ただいま、お兄ちゃん。そして……おかえりなさい」
はにかむような表情と一緒に投げかけてきた言葉に、一瞬言葉を失う。
――あの日から長い時間が過ぎて。失われたもの、手放してしまったものも数え切れないけれど。失われなかったもの、取り戻せたものが確かにあるのだということを目の前に見せつけられて。俺の目からも、気づけば熱いものがこぼれ落ちてしまっていた。
「ああ、そうだな。すべて終わったんだから、全然変じゃないよな」
頬を伝う雫はそのままに、差し出された禰豆子の手の平を握りしめて立ち上がる。
あの雪の日からずっと離れることのなかった、繋がれたままだった大切な
「――ただいま、禰豆子。それじゃ、家へ一緒に帰ろうか」
と。