どうしてこうなったのか。
一体どこから、何を間違って、こんな結末を迎える事になってしまったのか。
そんなの――俺が聞きたいくらいだ。
成功の兆しが見えなくなったのは、イングラシア王国を出てから。
子供達の命を救う事に成功し、ようやく魔国連邦への帰路についた俺を待ち受けていたのは、怜悧な瞳の美女だった。
黒髪黒目、俺と同じ日本人の特徴を色濃く見せる彼女の顔は、見た事がある。
彼女もまた子供達と同じ、シズさんの心残りの一つ。シズさんの教え子だったからだ。
名前は、
今は西方聖教会に所属していて、聖騎士団団長をしているのだったか。
ルミナス教と魔物は相容れない――
それでも、シズさんの教え子であるヒナタと敵対するつもりはなかった。
しかし、それは俺の一方通行で、ヒナタは最初から最後まで俺と話し合う気など欠片も無かったのだ。
「君の国がね、邪魔なのよ」
そう言って攻撃を始めたヒナタは強く、賢かった。
俺の持ちうる攻撃は全て斬り伏せられてしまい、大賢者による
いや、実際には大賢者はヒナタに傷を負わせる事は出来た。しかし、それはヒナタを撤退させる事が出来なかったのだ。
そして、俺はヒナタによって殺害された。
――ヒナタにとって予想外だったのは、大賢者の存在だろう。
大賢者は俺が死して尚、俺を復活させようと動いていた。持ち主の意識が消失しているにも関わらず、大賢者は自らの意思を持って俺を復活させた。
その時にはもう大賢者ではなく
俺が目を覚ましてすぐに向かったのは勿論、魔国連邦だった。
けれど、そこには俺が期待していた光景はなく。
そこには濃厚な死の気配と、荒廃しきった、かつて俺達が作りあげた楽園の跡が微かに残っているだけだった。
知らずに力が抜けて、地面に座り込む。
膝をついた地面は湿っていて、纏う衣には赤い染みがじわりと広がった。鉄臭い匂いが鼻を突いて、その刺激に涙が出る。
そのまま環境に慣れるまでぼうっと周囲を見て、紫色の紐が無造作に地面に転がっているのが目についた。
無いはずの心臓が、やけに五月蠅く鳴り響いているような気がして、胸を押さえた。
状況を再認識するために大きく息を吸い込み、立ち上がる。その紫色の紐が見えている瓦礫の後ろへ回れば、そこにあったのは。
「――シ、オン?」
血塗れのまま、大太刀を握りしめるシオンが、横たわっていた。
目眩がする。腹の中から気持ち悪いものが込み上げてくる。頭が痛い。体から力が抜けそうだ。
体調不良なんて起こるはずのない体のくせに。
真っ赤に染まった魅力的だった肢体は、今や悲惨に潰れてぐちゃぐちゃになっている。
どうして、シオンがこんな事になっている?
分かってる。俺のせいだ。俺が、ヒナタに負けたから。
俺がヒナタを撃退するだけの力があったのなら、こんな事にはなっていなかった。
シオンを、国を、俺達の楽園を守れていたんだ。
「ごめん……」
弱くて、ごめん。
守れなくて、ごめん。
付いてきてくれたのに、最期の瞬間にすら間に合わなくて。
俺だったら何でも出来るって、お前は言ってたよな。リムル様がいれば、って。
ごめんな、期待に応えられなくて。
人間と、魔物と、共存する未来を作ろうって言った癖に、こんな事なってさ。
大切なものを守れないで、そんな大言壮語を吐いて。
馬鹿馬鹿しい。
何が共存共栄だ、仲間も守れない癖に。
出来もしない事を語って皆をその気にさせて、肝心な時に何も出来なかったじゃねーか。
……俺の我儘のせいで、国は滅んで仲間は死んだ。
許される事じゃない。それでも、ごめん……自己満足にしかならないけど。
せめて、せめて――冥福を祈らせてくれ。
国中の死体を、胃袋の中へ眠らせていく。
墓を掘って荒らされるより、俺の中で眠ってくれた方が、俺が安心出来るからだ。
俺の中で眠りたくない奴も、きっといるだろうけど。
止め方が分からない涙をそのままに、苦痛の表情で亡くなっている皆の顔を見る度に心が死んでいく。
このまま呪詛の言葉を吐いて生き返ってくれはしないだろうかと、都合の良い妄想をしてしまいそうになる。
そんな事あるわけが無いのにな。
そして、全ての死体を胃袋へ収めてから、死体が足りない事に気が付いた。
幹部の数名の死体が、ない。
「もしかして……生きてるのか?」
藁にも縋りたい気持ちで、俺は駆け出した。
せめて、生きている者だけでも助けたい。ほんの数人でもいい、責められてもいい。死なずに生きてくれてさえいれば。
それだけで十分だから。
変装して、様々な国や街で話を聞いた。少しでもいいから情報が欲しかった。
そうしているうちに、世界には劇震が走った。
暴風竜ヴェルドラの復活。
東の帝国の侵攻。
この二つがほぼ同時期に起こったのだ。
東の帝国はどうでもいい。大事なのはヴェルドラだった。
そうか……良かった。
あいつはちゃんと、生きてたんだな。
ヴェルドラの復活を聞いて一番に安心した。恐らくこのヴェルドラは俺の知っているヴェルドラだ。
でなければ、復活時期が早過ぎるのだ。
もしかしたらヴェルドラは、生き残った仲間の事も知っているかもしれない。
すぐさまヴェルドラに会いに、その莫大な
ようやく見つけた希望――それは、すぐに刈り取られる事になった。
「嘘、だろ」
ヴェルドラは暴走している。
そう聞いた。その理由は己惚れでなければ俺を失ったからだと思っていた。それは間違いじゃなかった。
だが、それが全てではなかった。
ヴェルドラは、怒り狂っていたのだ。
しかしその怒りを押し殺して、ヴェルドラ復活の情報が出回るまで静かに潜伏していた。
その理由は、俺の仲間を守るためだった。
ヴェルドラが復活したのは、魔国連邦陥落の直後だった。その時に息絶えようとしていた生存者――幹部数名を保護し、出来ないなりに看病をしていたのだ。
そのために
けれど、その小細工など効かない者がいた。
ヴェルドラと同じ竜種である、灼熱竜ヴェルグリンド。彼女の襲来によって、生き残っていた俺の最後の仲間は命を落とした。
それを目の前で見ていたヴェルドラは怒り狂い、理性を失った天災として暴走していたのだ。
「ソウエイ、シュナ、ガビル、ゴブタ」
ヴェルドラの必死の介抱も虚しく、姉であるヴェルグリンドによって四人の命は摘み取られた。
下手くそな包帯の巻き方で、それでも何とか治療しようと見様見真似で行ったのだろう努力の跡。地面に飛び散った、寝ながらでも食べられるように配慮したのだろう料理の残骸。
視界がぼやけるも、空の竜種二人の戦いの余波の爆風で、クリアになる。
瞳はカラカラに乾いて、崩れ落ちそうになる体を必死に動かして、四人を胃袋へ仕舞い込む。
これで、全員が俺の胃袋の中で眠った。
空を見る。
二匹の竜が絡み合うようにして殺意を向け合っている。ヴェルドラは深い怒りと悲しみがない交ぜになった殺意を。
遣る瀬ない。
それでもこの怒りを何処かにぶつけずにはいられない。
まるで、あり得たかもしれない自分を見ているようだった。
「ヴェルドラ」
彼等の起こす爆音で、俺の声は掻き消された。
けれど、それでも俺と深く繋がっていたヴェルドラには届いていた。
勢いよくこちらを向いたヴェルドラが驚愕に目を剥き、そしてその顔は歓喜に彩られる。
「リムル――!」
殺意を掻き消し、ヴェルドラは心底嬉しそうに俺の名前を呼んでくれる。
それに、どれだけ救われたか。安心して、飛び上がりそうな程嬉しくなったか。
思わず届かないと分かっているのに手を伸ばして、気付いた。
俺に意識を向けたヴェルドラの背後に、銃を構えた男の存在に。
「あ」
漏れた声は、俺とヴェルドラのどちらだったか。
撃ち込まれた弾丸は、寸分の狂いも無くヴェルドラに命中した。そして、ヴェルドラは意思の無い傀儡へと成り果てた。
唖然とする俺の前へ、蒼髪の美女が降りてくる。
彼女は、俺に向かって微笑んだ。
「ありがとう。貴方のおかげよ、ヴェルドラを確保出来たのは。感謝するわ」
「…………ぁ」
そうだ、俺のせいだ。
あの時俺が、ヴェルドラに声をかけなければ。
ヴェルドラは戦闘に集中して、あの銃の存在にだって気付いただろうに。
俺を認識して無防備になりさえしなければ。ヴェルドラは最強の竜種――傀儡になどなる訳が無かったのに。
また、失敗した。
仲間を全員亡くしてしまう大失敗を起こしたばかりだというのに、今度は盟友たるヴェルドラまで亡くしてしまうのか?
そんな事は、耐えられない。
「ヴェルドラを、返せ」
「は? ヴェルドラは貴方のものじゃないでしょう」
「返せッ!!」
極小の確率ではあるが、と。
その通りだった。百戦錬磨の竜種に、俺はほんの数分の戦闘でボロボロだった。対して、ヴェルグリンドは無傷。
歯嚙みする俺を見て呆れた顔でヴェルグリンドは「慈悲をあげる」とその場から引き、俺とヴェルドラを対峙させた。
息を呑む。
その圧倒的な存在感に、気圧される。
そうだ。元々ヴェルドラと俺には、大きすぎる実力の差がある。だというのに、俺と盟友なんて言ってくれて。
俺が死んだ後も、俺の仲間を守ろうとしてくれる程、優しい奴なんだよ。
そんな奴が傀儡になんてされて、いい訳ないだろ。でも俺は竜種二人に勝てるほど強くない。
なら、仕方ないか。
「一人でなんて逝かせない。先に行って待っててやるから――」
「――リムルさん!!」
聞き覚えのある声に振り向くと、黒髪を靡かせた少女が俺とヴェルドラの間に入り込んだ。
少女は『無限牢獄』をヴェルドラに放ち、俺を抱えてそこから飛び退いた。
「リムルさん、生きてる!?」
「あ、ああ。お前……もしかしてクロエか?」
「うん!」
イングラシア王国で最後に見た時とは違い、随分と成長しているように思える。最近の女の子って皆こうなのだろうか?
と混乱し過ぎて訳の分からない事を考え始めていたら、近くから見覚えのあり過ぎる美女と、浮世離れした美少女が出てきた。
「え……何? どういう事?」
「まずはそこから降りたらどうかしら?」
俺を殺したヒナタを警戒しながら問えば、呆れ返った表情でヒナタは言った。
クロエに抱えられている事を忘れていた。慌てて地面に飛び降り、ヴェルドラを気にしながらヒナタを見る。
殺気はなく、話も聞かずに襲いかかってきたあの時とは別人のように見える。
「説明は妾がしてやろう。二度は言わぬ故、しかと聞くのじゃぞ。時間がない」
そう言ってヒナタの隣にいた美少女は語り出した。
彼女の名はルミナス・バレンタイン。魔王の一人で、ヒナタの信仰する宗教の神も兼任しているという。
既にそこで理解出来なかった。が、質問する時間もなさそうだったから流す事にした。
ルミナスはクロエと古くからの友人で、クロエは何度も過去と未来をループしている。そのループを終わらせるために色々と策を講じているのだとか、何とか。
ヴェルドラと東の帝国を完封出来れば、何とかなる……かもしれない。
「あー、色々ごちゃごちゃ言ってるけど。要するにヴェルドラを元に戻すのを手伝ってくれるって事でいいか?」
「まあそんな感じだよね」
頷いたクロエに、ルミナスとヒナタは溜息を吐いた。
何はともあれ、ヒナタとの一件は水に流す事にしてヴェルドラの意識を取り戻すために、一時同盟を組むことになったのだった。
クロエの『無限牢獄』はヴェルグリンドによって破られ、既に二匹の竜種は臨戦状態。
厳しい戦いになる事は簡単に予想できる。だが、諦めるつもりはない。
魔王に勇者に、俺を殺した聖騎士団団長。
この三人が揃っていれば、何とかなると不思議と思えた。
「では行くぞ、三人とも」
ルミナスが一歩踏み出し、俺達がそれに続こうとした時、閃光が走った。
何が起こったのか、一瞬分からなかった。
けれど、ドサリという音と共にヒナタが地面に倒れ伏せば何が起きたのか、嫌でも分かってしまう。
ルミナスがヒナタの名を叫び、クロエが目を見開く。そして、俺達は蹂躙された。
希望の芽は、刈り取られて行く。
次に目を覚ました時には、東の帝国と最古の魔王達による激突によって、世界は地獄絵図と化していた。
ヴェルドラは真っ先に始末され、既にこの世にはいなくなっていた。
また、最期にすら間に合わなかった。何で、こんな事になったんだろうな。
一体どこから、何を間違って、こんな未来へ繋がってしまったのか。
《
共に歩むはずだった仲間達。
慕ってくれた配下達。
命を奪い、その罪を背負うと決めた敵。
魔物達にとっての楽園を作り、いつかは人間達と共存共栄の関係になれたなら。
そんな与太話に、真剣に付き合ってくれた。大好きで、愛すべき彼等はもういない。
《
この世界に俺が転生して初めて出会った第一村人。
ツンデレで、何だかんだ人間社会に詳しくて、お人好しなドラゴン。
最強の竜種が一体、暴風竜ヴェルドラ。
この世界での、俺の初めての友達。
ほんの少ししか話していないけれど、大切な友達だった。沢山、話したい事があったんだ。
今までの軌跡を、苦労した事も含めてこんな事があったんだって、笑いながら話せる日が来るのを楽しみにしていたんだ。
《
それなのに、どうして。
分かっている。全ては俺のせいだって事くらい。
皆いなくなった。
俺に付き合ったせいで、死んでしまった。人間達によって苦しみながら死んでいった。
人間と仲良くしたいなんて思ったから。
俺が、元人間だったから。
あの時下した、命令のせいで初動が遅れたんだ。だから死んでしまった。
俺のせいで、みんなが、死んだ。
《……
人間と仲良くしたいなんて願った代償。
一番大切にしていた、仲間達。笑って過ごした何でもない幸せな日常。
それは、もう二度と味わえない。
何もかもを失った。
俺にはもう、何も残ってなんかいないんだ。
《告。個体名:クロエ・オベールの保有するユニークスキル『時間旅行』を参考に開発していた『時空間移動』を不完全習得しました》
《告。『時空間移動』使用するための補填として、一度限りの制約・この世界線のリムル=テンペストの存在抹消が必要です。実行しますか?
YES/NO》
「…………え?」
ゆっくりと心が死んでいくのを体感しながら、世界が戦火で溢れていく様を見つめて何年経ったのか。
唐突に頭に響いたその声は、俺の思考の靄を取り払い、回転させていく。
じわじわと理解し始めた俺の心には、微かな希望が芽生え始めていた。
「それって、また、あいつらに会えるって事か?」
《解。あくまで他の世界線の時間軸へ移動するだけです。その世界の
「分かってる。そこまで都合良くは望んでない。ただ、あいつらが、その世界ではちゃんと、幸せに生きてくれたら――それだけで、いいんだ。それを遠くから見られるだけで」
出来るのか、と。
俺が聞く。
打てば響くように、俺の相棒は淡々と答えた。
《解。可能です。――実行しますか?
YES/NO》
YES。
そう念じるだけで、世界が歪み始めた。
「なあ……俺、全部は、失ってなかった。まだ、残ってたんだ」
ただぼんやりと世界を眺めるだけで、何もしようとしなかった俺を、見捨てずにいてくれた。
気付かなかったけど、ずっと傍に居てくれていた。
俺のために出来る事を考えて動いてくれた。
何も言わなくても望みを汲んで、その通りになるよう努力してくれる。
そんなことは普通は出来ない。それなのに、俺の相棒はやってのけた。
乾ききった心が、潤っていく。
嗚咽が止まらない。
溢れて零れる涙を何度も拭いながら、震える声で、
「俺には、俺にはまだ、お前がいたよ――シエル」
《――是。何時までも、傍に》
リムルの生涯の
続き、誰か書いてくれてもいいんですよ!(燃え尽き症候群)