もしもあの時、コイツを見つけていなかったら……きっと俺は、今よりもっとずっと自由だっただろう。
けどその代わり、ずっと孤独だった筈だ。
あの時助けたのが正しかったのか間違いだったのかは今でも分からない。
それでも、これだけはハッキリ言える。
コイツは俺の大切な弟分で、掛け替えの無い大切な、最高の相棒だって。
[ザクリス=ナルヴァ]
[ZOIDS-Unite- 番外編:6年前の“あの日”]
「一体……何があったんだ」
特に当てもなくセイバータイガーを走らせていたザクリスは、とある遺跡の傍で彼らを見つけた。
残酷な程柔らかな夜明けの日差しの中で、まるでそこだけ時が止まっているような光景だったのをハッキリと覚えている。
大破した黒いセイバータイガー。
そのセイバータイガーのコックピットの中で死んでいる少年と、その少年を守るかのように覆いかぶさって死んでいるもう1人の少年。
キャノピーが開いたまま傷付き、火花を散らしている赤いコマンドウルフ。
途方も無い絶望的な光景にザクリスは思わず閉口する。
彼は愛機から降りると、大破したセイバータイガーのコックピットに駆け寄った。
少年はどちらも16~17歳程度。覆いかぶさるようにして死んでいる少年の背には、銃創が3箇所。どれも急所を直撃している。
ザクリスはやるせない顔でその少年の遺体をそっと抱え上げ、すぐ傍の地面に横たえる。
パッと見は金髪だったが恐らく染めていたのだろう。髪の生え際が黒い。
まだ若干のあどけなさが残るその顔に、何ともやるせない気持ちが沸き上がった。
「酷ぇ事しやがる……」
ザクリスは死んだ少年の手を胸の上で組ませると、サッと十字を切って立ち上がる。
だが、セイバータイガーのコックピットで死んでいる方の少年も下ろしてやろうとシートベルトを外してやった時だった。
「こいつ、まだ生きてる?!」
先程地面に横たえた少年と違い、こちらの少年にはまだ体温があった。
ハッとして脈をとってみれば、弱々しいながらも確かにまだ心臓が動いているのが確認できる。
この重傷では間に合わないかもしれないが、とにかく急いで病院まで運ばなければ……
「グルルルルル……」
少年を抱えて自分のセイバータイガーへ戻ろうとした時、火花を散らしていた赤いコマンドウルフが威嚇するような唸り声を上げた。
開きっぱなしだったキャノピーを閉め、よろめきながら立ち上がったコマンドウルフは、まるで脅すかのようにその背の2連装ビーム砲をザクリスに向ける。
ザクリスはそんなコマンドウルフを真正面から見据えて言った。
「どけよ犬っころ。こいつはまだ生きてるんだ。早く助けねぇとこいつまで死んじまうぞ。良いのか?」
その言葉を理解したのだろうか? コマンドウルフは彼に向けていた2連装ビーム砲を下げ、再び地面に崩れ落ちるように伏せた。
「話の通じる奴で助かるぜ。後でお前も助けてやるから、そこで大人しくしてろよ」
ザクリスはそう言うと瀕死の少年を抱えたままセイバータイガーへ乗り込む。
こういう時ばかりは複座型のゾイドが羨ましいとぼんやり考えながら、彼はシートベルトも閉めず膝の上に少年を抱えたままセイバータイガーを全速力で走らせた。
~*~
少年を病院へ運び込んでからは慌ただしかった。
見ず知らずの少年の名前や血液型など当然知る訳も無い。身分証らしい身分証も身に着けていなかった為、あの大破したセイバータイガーまで少年の身分証を取りに引き返し、その後、コロニーの神父に立ち会ってもらう形で、亡くなった少年を埋葬。
傷付いていた赤いコマンドウルフは、たまたまコロニーに滞在していた運び屋の女性が輸送を買って出てくれたお陰で、何とか無事にコロニーまで運び込めた。
ついでにその運び屋の女性がゾイドの治療にいくらか知識があった為、コマンドウルフは動けるようになった途端、病院の傍を陣取り朝から晩まで生き残った少年の病室を窓から覗きこむ毎日を過ごしていた。まるで、早く目覚めてくれと祈るかのように……
そんなコマンドウルフの願いが通じたのか、病院に担ぎ込まれて1週間がたった日の昼過ぎに少年は目を覚ました。
「うっ……」
「お? やっと目が覚めたか? 坊主」
ザクリスがそう声を掛けると、少年は弱々しくザクリスへ視線を向けて訊ねた。
「此処は?……」
「帝国領の辺境。フォレストコロニーって場所だ」
そう言いながら、彼は椅子を引いてベッドの傍に寄る。
「俺はザクリス。ザクリス=ナルヴァだ。お前はアサヒって言うんだろ?」
「……アサヒ?」
彼の言葉に、少年は僅かに怪訝な顔をする。
ぼんやりと天井に視線を移して、彼はぽつりと呟いた。
「……わからない」
「わからないって……自分の名前だろ?」
ザクリスはそう言って、サイドボードの上に置いてあった少年の身分証カードを差し出す。
「ほら。坊主の身分証。アサヒ=タチバナ。帝国領独立自治コロニー「オウカ」出身。顔写真だって付いてんだから、流石に人違いじゃねぇだろ?」
「……」
アサヒは力無く差し出された身分証を眺めたが、そっと首を左右に振って目を閉じた。
「わからないんです。覚えてない……思い出せない……」
「思い出せない?……」
ザクリスは胸の底から冷たい隙間風が吹き込んで来るかのような不安を覚えた。
丁度こんな反応を昔映画で見た事がある……正直あんなのはフィクションだろうと思っていたが……
「ちょ……っと待ってろよ?」
彼はそう言って席を立つと、慌ただしく病室を飛び出し、青年を受け持った主治医の元へ駆け出した。
~*~
「全生活史健忘? なんだそりゃ」
「発症以前の自分に関する記憶が全く思い出せなくなる健忘症。まぁ、俗に言う記憶喪失のことだ」
初老の医者がアサヒを診察して出した診断は、やはり記憶喪失だった。
まだ起き上がれる状態ではないアサヒはベッドの上に横たわったまま、何処か他人事のようにぼんやりと医者の話を聞いていたが、医者の話が終わった後そっと呟いた。
「記憶は……もう戻らないんですか?」
その言葉に、医者は難しい顔をする。
「頭部外傷の場合は難しいだろうが、君の場合は脳に外傷はない。心因性のものなら記憶は次第に戻ってくることが多いと一般的には言われているが……」
「言われているが? なんだよ」
躊躇いがちに言葉を濁す医者に、ザクリスが先を促す。
医者は、カルテに視線を落としながら呟くように言った。
「いつどのようなきっかけで、どの程度記憶が戻って来るかというのは千差万別だ。記憶喪失の症例もそこまで多い訳では無い以上、ハッキリとした事は何も言えんのだよ。最悪の場合、一生思い出せん場合だってある……」
気まずい沈黙に包まれた病室で、最初に口火を切ったのはアサヒだった。
「……そうですか」
たった一言だったが、その声音は全てを潔く受け入れたのだとハッキリわかった。
まだ16~17歳の少年は、全てを失った現実をただ静かに受け止め目を閉じる。
ザクリスはそんな彼を心配そうに見つめたが、やがてやるせない気持ちを吐き出すかのような長い溜息を一つ吐くと、椅子に腰かけて俯いた。
「まぁ、まずはゆっくりと傷を癒さん事にはどうしようもない。動けるようになるまで、安静にしておるのだぞ」
医者はそう言って、そっと病室を出て行った。
「……貴方は……」
2人きりになった病室で、最初に口を開いたのはやっぱりアサヒだった。
顔を上げたザクリスの視線の先で、アサヒはぼんやりと目を見開き、天井を見つめながら言葉を続けた。
「貴方は、知り合いではないんでしょう? なら、何故僕を助けてくれたんですか?」
静かだがハッキリと聞き取れる不思議な声だった。
ザクリスは頭を掻きながらしばし黙り込み、やがて口を開いた。
「その前によぉ……お前、記憶喪失になっちまったって事は……その、なんだ。なんで自分がそんな大怪我してんのかも覚えてねぇんだよな?」
「はい……何も……」
アサヒの返事に、ザクリスは少し迷った。
覚えていないのなら、いっそこのまま忘れている方が良いのではないか?……一瞬そう考えてしまったのだ。
アサヒを守るように覆いかぶさって死んでいた少年は、恐らくアサヒの仲間だ。いや、もしかしたら仲間以上の大切な親友だったのかもしれない。心因性の記憶喪失だという事は。目の前であの少年を殺された事がその原因だろう。記憶を失う程の辛い記憶だったのなら……いっそ……
「ザクリスさん……」
思い悩むザクリスを、アサヒが真っ直ぐ見つめる。
「お願いします。一体何があったのか……何故助けてくれたのか……教えて下さい」
まだあどけなさの残る大きな茶色い瞳が、懇願するような色でザクリスを射抜く。
そんな彼の眼差しにザクリスは負けた。そして同時に、変な哀れみで話すべきではないかもしれないなどと考えた自分を恥じた。
記憶を失ったアサヒにとって、自分の事を僅かでも知っているのは、今目の前にいるザクリスしかいないのだ。此処で話してやらなければ、彼は大切な仲間の事をずっと忘れたままかもしれない。それでは死んだあの少年も浮かばれないだろう。
ザクリスは自分が知り得る事を全て話した。
自分が見つけた時には既にアサヒ達が何者かに襲われた後であった事。アサヒのセイバータイガーと仲間と思しき少年は、その時点でもう死んでいた事。生き残ったのはアサヒと、死んだ少年の機体だったと思しき赤いコマンドウルフだけであった事。少年の遺体は、このコロニーの教会墓地に埋葬した事……
アサヒは淡々と話すザクリスの声にただ静かに耳を傾けていたが、話が終わると彼はそっと病室の窓へ視線を移した。
「じゃぁ、このコマンドウルフが一緒に生き残った、僕の仲間なんですね……」
彼の言葉に、ザクリスも窓の外を振り返る。
まるでドールハウスを覗き込む子供のように、赤いコマンドウルフはアサヒの病室をジッと見つめていた。
「ああ。お前がこの病院に居るって教えてやってから、ずっとこうしてお前の事を見てんだ。こんだけ我の強いコマンドウルフも珍しいぜ。共和国で作られた軍用ゾイドなのによ」
ザクリスはそう言ってアサヒに視線を戻す。
アサヒは、微かに微笑んでいた。
「優しい奴だなぁ……」
「おう。お前を病院に運ぼうとしたら俺の事を人攫いと勘違いして撃とうとしたくらいだからな。……よっぽどこいつに懐かれてんだな。お前」
アサヒは困ったような笑みを浮かべた後、ふと悲し気な顔をした。
「何も覚えていない自分が本当に不甲斐ありません……僕を庇って死んだ人も、ずっと傍に居てくれたこのコマンドウルフも……覚えていないだなんて……」
ザクリスは何と言ってやれば良いやら分からぬまま、アサヒを見つめる。
が、アサヒはすぐに話題を切り替えるように彼へ訪ねた。
「で、僕を助けてくれた理由は? 結局まだ教えてくれてませんよね?」
人懐っこい笑顔を浮かべてそんな事を訊いてくるアサヒに思わず脱力しながら、ザクリスはぶっきらぼうに答えた。
「いや、理由も何も……さっきの話お前ちゃんと聞いてたか?」
「はい」
「瀕死の人間見つけて、病院に担ぎ込まねぇ奴なんざ、まず居ねぇだろ」
だが、アサヒはクスッと笑う。
「でも、僕を病院へ預けた時点で貴方は自由の筈なのに、わざわざ一週間も此処に残ってくれていたんでしょう? その理由がなんだか気になって……」
その言葉に、ザクリスは膝の上に頬杖を突き、呆れたような顔でアサヒを見つめていたが、やがて観念したような溜息を吐いて頭を掻いた。
「……ほっとけなかったんだよ」
ボソッと呟くようにそう言うと、彼は椅子から立ち上がり窓へ向かう。
彼は窓を半分ほど開けると、病室であるのに構わず煙草を取り出し火を点けた。
最初の一吸いをゆっくり吐き出すと、アサヒへ背を向けたまま彼は言葉を続けた。
「俺ハーフなんだ。親父が帝国人。お袋が共和国人……俺が4つの時に離婚しちまったけどな。そん時に俺の養育権は親父に。まだ赤ん坊だった弟の養育権はお袋に移って……それ以来会ってない。お袋は離婚した後国に帰っちまったから、きっと共和国人として生きてんだろうが……」
「……」
「何処でどう暮らしてるかも分かんねぇその弟は、今頃お前と同じくらいの歳になってる。だから……弟と重ねちまったんだろうな……」
ザクリスはそこまで言うと、まだ半分近く残っている煙草を携帯灰皿で揉み消して振り返った。
「それがほっとけなかった理由だ」
「……弟思いの、優しいお兄さんですね」
「さぁ……どうだかな。兄貴らしいことなんて何にもしてやってねぇし。弟だって、兄貴が居たなんて覚えちゃいねぇだろうからな……ただの自己満足だ」
「それでも……僕を助けてくれた……」
「……」
「……ありがとう。ザクリスさん」
穏やかな声で礼を告げるアサヒに、ガラにもなく気恥ずかしくなったザクリスは頭を掻きながら言った。
「あのさ……敬語やめろ。俺そう言うの苦手なんだよ。年上だからとか、命の恩人だからとか、そんな風に思われる程大層な奴じゃねぇしよ」
「でも……」
「俺はただの薄汚ねぇ賞金稼ぎだ。それに礼だっていらねぇ。お前の治療費、後からきっちり請求するつもりだしな」
「え?!」
「冗談だよ」
ザクリスはそう言って笑いながらアサヒの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「おら。そろそろ寝ろ。元気にぺらぺら喋ってけど、お前一応全治3ヶ月の重傷患者なんだかんな」
その言葉にアサヒは苦笑すると、小さく頷いた。
素直なその態度に、ザクリスも自然と微笑む。
彼のその笑みは、とても優しかった……
「おやすみ。アサヒ」
~*~
翌日から、ザクリスは来なかった。
翌日も、その翌日も……1週間、1ヶ月、2ヶ月経っても……
常に傍に寄り添ってくれたのは、窓越しにこちらをジッと見つめている主を亡くしたコマンドウルフだけだ。
「何処に行ったんだろう……」
ポツリと呟く。
もう折れていた骨も一通り治癒した。縫合個所の抜糸も済んだ。相変わらず点滴に繋がれたままだが、病院内を歩き回れるようにもなった。だからだろうか? せめてもう一度、礼が言いたかった。例え礼など不要だと言われようと……
もしかしたら、もう会えないのだろうか?
ザクリスは賞金稼ぎだと言ってた。
傷が癒え、退院したら……探しに出てみようか? 共に生き残った、この赤いコマンドウルフと共に……
そんな事を思いながら残りの入院生活を送る中、彼は不意に現れた。
「よ。ちったぁ元気になったか?」
「ザクリスさん?! 今まで一体何処にッ……」
思わず駆けよれば、走れるようになったなら大丈夫そうだなとザクリスは笑った。
「いつ退院出来るんだ?」
「来週の検診で大丈夫なら、そのまま……」
「そっか」
嬉しそうにアサヒの頭をわしゃわしゃと撫でながら、彼は笑った。
アサヒはそんな彼に、もう一度しつこく訪ねる。
「で、あんたはこの2ヶ月半、ずっと何処に行ってたんだ」
「あ? 金稼ぎに行ってたに決まってんだろ。全治3ヶ月の坊主の治療費と入院代払うにゃ、ちょいとばっかし手持ちが足りなかったんでな。あ。これ見舞い」
まるでなんでもなさそうにそう言いながら、ザクリスはジュースとフルーツゼリーの入ったビニール袋をアサヒに手渡す。
呆気にとられながらそろそろと袋を受け取ったアサヒが、袋の中身をそっと覗き、もう一度ザクリスを見上げた。
「なんで……」
「なんでってお前。治療費踏み倒す訳にゃいかねーだろ」
「そうじゃなくて! なんでそこまで……」
アサヒの目が潤む。
ザクリスは困ったように頭を掻きながら、そっぽを向いてボソッと言った。
「まぁ……助けた以上最後まで面倒見てやるのが筋ってもんかなと。思っただけっつーか……」
そんな事をいうザクリスに、アサヒが不意に抱き着いた。
ギョッとするザクリスの胸に顔をうずめたまま、アサヒは静かに泣きじゃくる。
やれやれ、と溜息を吐くと彼はそんなアサヒの頭を撫でた。
「なーに泣いてんだよ」
「もう……来ないのかと思った……」
「あー……しばらく独りぼっちにしちまったもんな。なんだ? 寂しかったのか?」
「……少し」
「そっか……ごめんな」
ただでさえ記憶を失い心細かったであろうに、傍に居てやれなかった事を少しばかり後悔する。
実を言えば、戻って来ようと思えば何回か戻って来れそうではあった。
だが、その度にこのコロニーまでとんぼ返りしていたのでは、補給や移動に時間と金をロスしてしまう。そんな僅かばかりのロスすらも惜しんでアサヒの為に賞金稼ぎに明け暮れていたのは、まぁ、黙っておくとしよう。言えばまた泣かれそうだ。
「でな、俺から一つ提案があるんだが……」
「提案?」
アサヒがザクリスを放し、涙を拭きながら顔を上げる。
そんなアサヒの頭をもう一度一撫でして、彼は言った。
「退院したら、俺と来ないか?」
「ザクリスさんと一緒に?でも……迷惑じゃ……」
戸惑うアサヒに、ザクリスは苦笑する。
「いやまぁ、迷惑じゃねぇし、すぐ答え出してくれとも言わねぇよ。ただ、俺は賞金稼ぎでずっと旅してるわけだし、一緒に旅してりゃ何か思い出すんじゃねぇかって思ってな。それに言ったろ。助けた以上最後まで面倒見てやるのが筋だと思ったって。そんだけだ。あと、俺の事は呼び捨てで良い。さんはいらねぇ」
その言葉に、アサヒの心はもう……決まっていた。
記憶を失っている以上、自分に行く当てなど無い……ついて行かないという選択肢がそもそも彼の中には端からなかった。
「俺行くよ。ザクリスと一緒に」
「言ったな? 言っとくが苦労ばっかのろくな生活じゃねぇぞ」
「良いさ。2人ならどうにかなる事だってあるだろ?」
そう言っていたずらっ子のようにニヤッと笑ったアサヒの頭を、ザクリスはまたわしゃわしゃと撫でた。
「ったく。可愛げのねぇ弟が出来ちまったな」
そんな言葉とは裏腹に、ザクリスは笑顔だった。
~*~
退院した日、アサヒはずっと寄り添ってくれていた赤いコマンドウルフを見上げながら考え込んでいた。
ザクリスはそんなアサヒの隣まで来ると、共にコマンドウルフを見上げながら首を傾げる。
「どうしたんだよ。そんな難しい顔して」
「いや……これからコイツが俺の相棒になる訳だし、名前でも付けてやろうかと思って」
「名前ねぇ……」
また面白い事を考え付くものだと思いながら、ザクリスはコマンドウルフを見つめる。
確かにゾイド乗りの中には自分の愛機に名前を付ける者もいる。ザクリスは自分のセイバータイガーに名前など特には付けていないが……まぁ、記憶を失ったアサヒにとって、共に生き残ったこのコマンドウルフは特別な存在だ。名前を付けるのも一興……
「犬だし、ポチとか呼びやすくて良いかもな!」
よし! っと言った感じで目を輝かせるアサヒを、ザクリスがギギギッと首を動かして見つめる。
「お前、今なんつった??」
「え? ポチ」
「やめてやれ……コイツ一応狼型ゾイドだぞ。犬じゃねぇんだからよ。もっとカッコいい名前ねぇのか」
「あ。そうか……うーん……」
再び考え込み始める。
そんなアサヒの目の前で、赤いコマンドウルフは何やら物申したそうにザクリスを見つめる。
まさか初めて出会った日に「どけよ犬っころ」と言ったのを覚えているのだろうか?
ふとそんな事を考えてザクリスは苦笑した。
「狼……狼か……」
アサヒはブツブツと何か呟いていたが、再びよし! と言った様子で顔を上げると、新たなその名前を口にした。
「
「なるほど。漢字の名前か。丁度お前も日系人だし、良いんじゃねぇか?」
「よし! なら今日からお前の名前は牙狼だ! よろしくな! 牙狼!」
新たな名を与えられたコマンドウルフは、それを喜ぶかのように高らかな遠吠えを上げる。
それはまるで、此処から再び歩き出したアサヒと牙狼の新たな産声のようであった……
~*~
ふと、ザクリスはサンドコロニーの宿で深夜目を覚ました。
起き上がってみれば、アサヒが開け放った窓の窓枠に肘をついて煙草を吸っている。
そんなアサヒの隣にそっと歩み寄ると、彼は先程ザクリスが起きた事に気付いていた様子で穏やかに言った。
「一体どうした? 便所かい?」
「いや、ちょっと昔の夢を見て目が覚めた」
ザクリスはそう答えると、無言でアサヒに片手を差し出す。
アサヒは慣れっこといった様子でポケットから煙草とライターを取り出すと、差し出されたザクリスの手にポンッと乗せた。
「お前さん自分のがあるだろうに」
「いちいち荷物から出すのが面倒臭ぇ」
「だと思ったよ」
苦笑するアサヒの隣で、ザクリスも煙草に火を点ける。
昼間自己嫌悪に陥っていたアサヒをふと思い出しながら、ザクリスは夢で見たあの日から今までの事をぼんやりと思い返した。
アサヒはあの後2~3年かけてゆっくりと幼少期から少年期の間の記憶を思い出した。
パズルのピースが一つ、また一つと集まって行くように……そのまま順調に記憶が戻って来るものだとアサヒも自分も思っていた。
だが、死んだ
アサヒがそんな自分に焦りを感じ、自己嫌悪に陥るようになったのは丁度20歳を過ぎた頃だった。
一番思い出したい記憶を思い出せずに苦しみ、気持ちがカラ回るままに心が少しずつ壊れていくアサヒを見るのが辛くないと言えば嘘になる……現に時折思い悩む事のだ。こんな風に苦しむくらいなら、いっそあのまま、あの少年と共に死なせてやった方が良かったのだろうか? と……
だがそれでも、アサヒはあの日の記憶を今でも思い出したがっている。きっと、自分にとって一番大切な記憶の筈だからと……
彼自身がそう言って苦しみながらでも前に進みたがっている間は、今まで通り傍で支えてやりたい。
それに、約束したのだ……
「なぁ。ザクリス……」
ふと、アサヒが月を見上げながらザクリスの名を呼ぶ。
「あの約束……覚えとるか?」
「なんだよ。まさか今その約束守ってくれって言うんじゃねぇだろうな?」
「まさか。ただふと、気になっちまってな」
アサヒは紫煙を吐き出しながら、煙に霞む月を見上げてひっそりと訊ねた。
「お前さんは、あの約束をどう思っとる?」
ザクリスはアサヒの横顔を見つめた。
その横顔は穏やかだったが、何処か悲しげに見える……
何を考えているかなど、聞かなくとも分かった。
「どうも何も。それが俺の責任だろ」
「やっぱりそう言うよなぁ」
「ああ。助けた以上最後まで面倒見てやるさ」
「そうだな。最期まで……お前さんに甘えるとするよ」
アサヒは煙草を灰皿で揉み消すと両手を組んで伸びをしてからザクリスを見つめる。
その顔は、いつもの穏やかな笑みを湛えていた。
「もし約束を守る破目になっちまったら……俺の事なんか忘れちまえ。良いな。」
「ばぁか。忘れられる訳ねぇだろ」
ザクリスは煙草を灰皿で揉み消すと、アサヒを真っ直ぐ見据えた。
「お前は大切な弟分で、最高の相棒なんだ。今更そんな事言うな」
「ホントにブレんよなぁ。お前さんは……」
アサヒは困ったように頭を掻くと、軽く溜息を吐いて顔を上げた。
「変な事言っちまって悪かったな。俺ぁもう寝るよ。おやすみ」
「ああ。おやすみ。アサヒ」
ザクリスはアサヒが自分のベッドに戻るのを眺めてから、もう一度月を見上げる。
このまま記憶を取り戻せずに、アサヒの心が壊れてどうしようもなくなってしまったら……その時は……
そう約束したのだ。
傍から見ればなんととんでもない約束だろう……
だがそれでも、この2人にとっては大切な約束だ。
例えザクリスが「これはアサヒを見捨てる事になるのではないか?」と思っていても……
例えアサヒが「ザクリスがずっと苦しむ事になるのではないか?」と思っていても……
……でも、だからこそ……ザクリスもアサヒも祈らずにはいられないのだ。
そうなってしまう前に、あの日の記憶が戻って来る事を。