赤の広場にもゲートが開いてしまったようです 作:やがみ0821
日本側はスターリン来日にあたって周辺区域の封鎖に加え、マスコミも区域内には誰一人入れなかったが、それは正しかった。
大勢のマスコミ――日本だけでなく世界各国から――が周辺には詰めかけており、封鎖区域内に入らないよう、警察が押し止めるのに大いに苦労していたからだ。
警察側に報道の自由がうんたらかんたらと叫ぶ者も多数おり、面倒くさいことこの上ない。
もしも、彼らを入れていればソ連の――スターリンの不興を買いかねなかった。
さて、日本においてスターリンの詳細について知らなくとも、連日テレビや新聞で取り上げられていることから、彼が独裁者であったことや史実ではヒトラー率いるドイツと戦争したことなどそういった基本的な情報は周知されていた。
また当時を知る者達――特に戦前・戦中世代は別の世界とはいえスターリンに対して、酷く嫌悪を示しており、それがかえって子や孫の興味を引いた。
ソ連は日本との中立条約を破って侵攻してきた、と彼らは子や孫達に教えて回った。
一方で西側諸国や東側諸国からの過激な行動はかろうじて抑えられていた。
事前に日本政府は、ソ連より別の歴史を辿っていることを各国に広めてもらうよう多数の映像フィルムを渡されており、それを日本が各国政府に複製して渡した為だ。
映像フィルムにはソ連領内の都市や街、村といった様々な場所がカラーで記録されていたのだが、1939年のソ連とは思えないほど道路が整備され、さらに多数の自動車が行き交っていた。
またソ連だけでなく、イギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・日本の列強諸国が仲良く満州で企業活動を行っていることも、そのフィルムには記録されていた。
言うまでもなく、史実での1939年に満州でそんなことがあったという記録はない。
プロパガンダ映像だと切って捨てるのは簡単だが、トハチェフスキーやブハーリンといった粛清された人物が来日することから、ちょっと様子を見ようという判断が働いた。
また、うまくいけばとんでもないビジネスチャンスでもある。
特にロシアは様々な製品に加えて型落ちした――それでも1939年では圧倒的な性能を有する――戦車をはじめとした兵器を売却するにはちょうど良い。
また別世界とはいえ、アメリカをはじめとした西側諸国にソ連が負けてほしくない、という心理もあった。
核兵器や弾道ミサイル、人工衛星などの技術供与も既に検討されているが、問題はどうやって接触を持つかだった。
この為、ロシアは日本政府にこれでもかと圧力を掛けるが、そうはさせないよう、日本に圧力を掛けているのがアメリカ及びEUである。
中国はスターリン時代はともかくフルシチョフ時代からソ連とは対立していた為、今のところは静観の構えだ。
別世界であることから、スターリンがどのような思想であるかを知りたいという思惑もある。
あちこちから大きく圧力を掛けられた日本政府は、別世界とはいえ歴史に大きく干渉するのは良くないという理論を持ち出して、うまくはぐらかした。
とにもかくにも門が銀座にある以上、日本を通さねばソ連と接触するのは難しいのは事実である。
昔ならばいざ知らず、あまり強引なことはできないのが現代であった。
しかしこれで諦めるロシアではなく、アメリカもそれを予期していた。
外交圧力を日本政府に掛けつつ、ロシアとアメリカは互いに水面下で日本を舞台にして牽制し合っていたのは言うまでもない。
そのような情勢下で12月8日、遂にスターリンが来日した。
ゆっくりと自動車のドアが開かれる。
そして、そこから出てきたのは白い軍服に身を纏ったスターリンであった。
マスコミは入れていなかったが日本政府により、リアルタイムでインターネットにおける複数のサイトにて放送されている。
某サイトでの放送ではУpaaaや同志スターリン万歳やら何やらの多数のコメントが赤い文字で視聴者によって書き込まれたりしたが、些細なことだ。
またこれらインターネットでの放送が行われているサイトには日本だけでなく全世界からのアクセスが殺到しており、視聴者数は鰻登りであった。
全世界の人々が見守る中、スターリンは出迎えた本位首相らに微笑む。
日本側の通訳が第一声を聞き逃すまいとすかさず身構える。
そして、スターリンはゆっくりと本位首相へ歩み寄り、利き手を差し出し、告げた。
「はじめまして、本位首相。時空を超え、このようにお会いできて光栄です」
流暢な日本語に首相をはじめ、日本側は完全に思考が硬直した。
ソ連側の随員は悪戯が成功したと言わんばかりに笑みを浮かべる。
本位は慌ててスターリンの手を握りながら、問いかけた。
「あ、え、は、はい。こちらこそ、光栄です……その、日本語を?」
「勿論です。日本はソヴィエト連邦にとって、とても重要な国でありますので……我々の世界の日本と同じように、あなた方とも友好関係を構築できるものと私は確信しております」
笑みを崩さずしっかりと握手をしつつ、スターリンはそう答えるのだった。
「おー、すごいことになってる」
伊丹はスマホを弄りながら、あちこちのサイトを巡回していた。
現在、日ソ首脳会談の真っ最中であり、それが終了したならば伊丹が率いる案内役兼護衛部隊との顔合わせだ。
要するに終わるまでは暇であった。
「スターリンが日本語で挨拶をしてくるなんて、誰も予想してなかったですからね」
横にいる富田の言葉に伊丹は頷く。
某巨大掲示板は祭り状態になっていた。
それだけでなく、短文投稿サイトや動画サイトでもスターリンのタグがついた投稿が凄まじい勢いで増えており、早くも某芸能人との比較動画が出る始末で、その動画を見た外国人達がスターリンが2人とかいうコメントを送っていたりもした。
なお、日本を重要な国とスターリンが言ったことから、悪い意味で発狂している界隈もあり、全体的にカオスな状況だ。
一方でスターリンの挨拶に関して、そういった一部界隈を除いて好意的な反応が多い。
中には某ファストフード店で女子高校生達が話していたとかいう胡散臭いものもあるが。
「しかし、隊長。ソ連が連れてきた警備の人達なんですけど……」
「栗林、彼らはNKVDの所属だぞ」
すかさずそう告げる伊丹。
その言葉に彼女は深く溜息を吐いて尋ねる。
「ハニトラですか?」
「そういうこと。美男美女揃いだろ? だけど手を出したら、一発でアウトだ。情報を全部取られるぞ」
「友好関係を構築したいとか言ってたじゃないですか……それでも?」
「それはそれ、これはこれだ。もしかしたら、友好の架け橋とか言って利用するつもりかもしれないけど……っていうか、一般人相手にはやらないよな?」
「可能性はあるぞ。そこらを歩いている大学生でも、彼らからすれば情報の宝庫だからな」
伊丹の問いに答えたのは富田でも栗林でもなく、横からやってきた駒門であった。
「あ、駒門さん。やっぱりそうなんですか?」
「ああ。もしもマスコミ連中を入れていたら、コロッとやられていただろうな。現代でソ連の厄介さを知る者は少ない……」
「今のロシアや中国よりも?」
「どちらもやり方はソ連から学んでいる。意味は分かるだろう?」
その答えに伊丹達がげんなりとした顔となったところで、駒門は告げる。
「ま、そうはさせないようにこっちも動いている。幸いにもスターリンはインターネットにご執心でな。ネットで生放送をしてくれるらしいぞ。ブハーリンやトハチェフスキー、リトヴィノフと共にホテルで。警備の連中は人員を取られて、悪さをする暇はないだろう」
スターリンがインターネットで生放送――?
伊丹達は目が点になり、彼らの顔を見て駒門はくつくつと笑うのだった。