第1話
早朝も早朝。季節によってはまだ日が昇っていないような時間帯。そんな時間でも働いている人達はいる。たとえば24時間営業のお店。ネカフェ、カラオケ、コンビニなどなど。いわゆるサービス業の人たち。運送業者もこの時間にトラックを走らせている。漁業関係者エトセトラ。
挙げていけば本当に数多くの業種の人たちが働いている。その中の1つ、朝の楽しみとも言えるし、日課としているサラリーマンも多いだろう。
「新聞」だ。新聞配達の人もこの時間に働いている。
たいていはカブの荷台に新聞を積んで走っているのだが、免許がない人は自転車でそれを行っている。ギアがあるとはいえ、ほとんどハンドルを回すだけでいいカブと比べると、自転車の方が圧倒的に配達できる量が少ない。
決まった時間帯に決まった量を確実に配達しないといけない仕事。必然的に自転車で配達する人は、近い範囲での配達がメインとなる。
今自転車を走らせている彼女も、その仕事に従事している者の1人だ。
白銀圭。名門中の名門である秀知院学園の中等部に通っている少女。高等部にいる兄の白銀御行は生徒会長を務めており、彼女もまた中等部の生徒会で会計を担っている。
学年で1位を取り続ける生徒会長は、誰もが知る存在である。その妹である彼女も、中等部の生徒会会計を努めていることでそれなりに知られ、その整った容姿から男女問わず人気がある。
「まるでお人形さんみたい」という定番の表現があるが、その言葉は彼女のためにあったと言えてしまう。
「あと5件くらいかな。もう少しだね」
「はい」
そんな彼女だが、1人で新聞配達をしているわけじゃない。正確には1人で行っているのではあるが、彼女の側には1人の青少年が追従している。
彼の日課は毎朝のランニングとなっていた。そこで、ほとんどの人が寝ている時間とはいえ、中学生の女の子が1人で新聞配達するのは危ないと判断し、彼女の配達ルートをランニングコースへと変えたのだ。そこに至るまでに紆余曲折あったものの、今ではこれが"いつもの朝"となっている。
「今日もありがとうございました」
「こちらもありがとう。ペースを作ってくれるからこっちもやりやすくてね」
日課というものは習慣だ。習慣として自分の毎日というものがそれに馴染んでしまえば、特にそれを苦と感じることはない。逆に、それが定着するまでが山場だと言える。体を鍛えてる人でない限り、自らしんどいことをしようとする人は少ない。配分もわからない内に始め、そして挫折する人もいるだろう。
しかし彼はそこには困らなかった。自分のことをきちんと把握できていた。徐々に距離を伸ばしていき、順調に体力を向上させた。
今度はマンネリ化が懸念材料だった。変化なく続く毎日は望まない。だからこそ、たとえ配達中の会話が限りなく少なくても、彼女の後ろを走る状態はありがたかった。
なによりも単純な話。女性の前だと頑張ってしまうのが男という生き物なのだ。
「ですけど、私途中何度も止まりますし……」
「その辺はいいんだよ。俺もその時は適当に走ってたりしてるし」
1件1件新聞を入れていくのだ。何度も自転車を止めて郵便受けに入れるし、時には自転車をそのままに数カ所を走り回って入れる。その間はどうしても彼のランニングは中断されるのだが、そこも対処はしている。主に一定距離を往復で走ってる。
彼女は礼節を大切にしているし、とても丁寧な少女だ。彼のランニングに支障が出ることに申し訳無さを感じている。
何かお礼をと常日頃から思いはするも、「受け取るほどのことじゃない」と言われてしまう。
「あの。せめてこれを」
「タオル?」
「はい。体が冷えると体調を崩してしまいかねないので」
「……あはは、ありがとう」
新聞配達が終わればもちろん営業所へと戻る。そこで配達を終えたことを報告し、挨拶を済ませて家へと戻る。彼のランニングもその間は止まるわけで、汗で体が冷えることを心配した彼女は、用意しておいたタオルを渡した。
ランニングを終えると家でシャワーを浴び、朝食を取ってから支度をして学校へ。それが彼のルーティーンであり、だからこそタオルは持参していなかった。
報告は大した時間も要せずに終わるのだが、それでも渡されたタオル。拒む理由などなく、一瞬面食らうも朗らかに笑って受け取った。彼女も受け取ってもらえたことに安堵にする。
「それでは少しだけお待ちください。すぐに終わりますから」
「急がなくていいよ。時間はあるから」
忙しなく営業所に入っていく彼女に言葉はちゃんと届いたのか。どうやら届いてなさそうだなと思いつつ、渡されたタオルに目をやる。
彼には1つの疑問点が浮かんだ。とても大きな疑問点だ。
(本当に使っても大丈夫なのかなこれ……)
スポーツタオルだ。珍しくもない。特別なデザインがあるわけでもなく、高い品質の商品でもない。チェーン店で見かけるようなものだろうと、小さく書かれてるメーカーの名前を見ながら考える。
問題は、このタオルが女性ものである可能性が高いということ。別に彼女の名前が書かれてるわけじゃない。ただ、このタオルの色合いが水色なだけだ。兄である御行は使わない可能性が高い。彼女は兄に対して反抗期に入ってもいる。同じものは使わないだろう。よって私物の可能性が高い。
(洗って返しはするけども……使わないのはそれはそれで気にするだろうし……)
わざわざ用意して渡してきたのだ。使わないほうが失礼だろう。だが、年頃の少女の私物と思わしきタオルでもある。彼女が気にしないと言うのであれば、顔や首周りくらいは拭かせてもらおうかなとは考えている。
「すみませんお待たせしました。……? 光上さん?」
「あ、おかえり。えっと白銀さん。これ、本当に使っていいの?」
「はい。そのために持ってきたので。ご迷惑でなければですけど」
後半になるに連れてだんだんと言葉が小さくなった。かろうじて聞き取れたので、それならと顔と首周りを拭かせてもらう。新しい方なのだろうか。結構肌触りが心地よい。吸水性も悪くなく、軽く拭いただけでもわりかしスッキリできた。
「ありがとう。洗って返すね」
「大丈夫ですよ。自分で洗いますから」
「いやそれはさすがに悪いよ。他人の汗がついたタオルを洗わせるなんて」
「それがむしろ……こほん。可能ならすぐに洗いたい派ですし、これからもお渡ししたいですから」
(むしろって何……)
わりとボロを出しても誤魔化しが効くのは、お互いにボロを出し合っておきながら未だに進展がない君の兄とその想い人だけだよ。なんて言葉は胸中に仕舞い込み、気づかなかったフリをして白銀家へと彼女と向かう。家の方向が同じということもあり、彼女を送り届けてから帰宅するのが彼の毎朝の行動に含まれている。
白銀圭は誤魔化せたと思っている。そういうところとかお兄さんにそっくりだぞとか思われてるのも気づかない。自分の想いには気づいてもらえていない。
誤魔化すために言ったことはブラフというわけでもない。学校で体育の後とかは諦めるしかないものの、極力洗い物はすぐに済ませたいと考えている。後半のも嘘じゃない。簡素なやり取りではあるものの、そのやり取り自体が嬉しかったりする。
「いつも思ってたんですけど、帰りは走らなくていいんですか?」
「白銀さんを走らせる羽目になるからね。それに十分走ってるし、送り届けたあとは再開するからインターバルみたいなものだよ」
「そうですか」
真っ先に自分への気遣いが出てきてくれたことが嬉しい。緩みそうになった頬を隠すために顔を軽く横に逸らす。
(それってつまり私と歩く時間を作ってくれてるわけで、その裏には私と話がしたいという意図があるってことでいいんだよね)
そこまでの意図はない。
恋する乙女にはそう思えてしまったのだが、悲しいことにそこまでは考えていないのだ。しかしこれがまた遠からずの推測なのだから困りもの。彼は彼女と会話をしながら歩く時間を楽しんでいるのも事実なのだから。そこに、彼女が期待しているような甘い感情が入ってこないだけで。
「生徒会の調子はどう? 中等部のも仕事がそれなりに多いって聞くし、大変じゃない?」
「その分やりがいがありますから。萌葉もいて、生徒会の人たちとも仲良くしてもらえてますし、楽しいですよ」
「そっか。それはよかった」
「高等部だともっと忙しくなるのでしょうか?」
「会長はいつもゾンビみたいになってるからね~。忙しいと思うよ。あの人の場合は、学年一位を取り続けるための勉強とバイトも欠かさずにやってるからだろうけど。全力で取り組み続ける姿勢は尊敬するね」
「そうですか」
白銀圭は反抗期である。ただし、兄の白銀御行が嫌いなわけでもない。御行のことを褒められたら嬉しくなるのだから。特に、今回のように想いを寄せてる相手が御行を尊敬してるなんて聞いた日には──
(ふふっ、尊敬されるくらい頑張ってるんだ)
と、表情筋が吹っ飛ぶくらいの
素直になれないだけなのだ。それさえ解決すれば御行の心配事も1つ減るのだけど、それが叶う日はまだ遠いだろう。兄妹の関係もそこまで拗れているわけじゃない。これくらいなら可愛いものだと彼は
「白銀さんもすごいけどね」
「え?」
「中学生なのにこうしてバイトしてる。成績に支障をきたしてるわけでもないし、他校より明らかに激務な生徒会の一員で仕事をこなしてる。なかなかできることじゃないよ」
「あ、ありがとうございます……」
少し照れながらも素直に褒め言葉を受け取る。本心としては謙遜してるかもしれない。ただしそれを表に出さない。そうできるのも彼女の美点の1つだ。
そうして話してる間に白銀家のあるアパートの前に着く。圭は改めて丁寧にお礼を言ってお辞儀し、彼が油断してるところでサッとタオルを回収する。
「こうしないと持って帰って洗うつもりでしたよね?」
「あははー、なんのことやら~」
くすくすと上品に笑いながらタオルを背に隠した。渡してやらないという意思表示をされ、彼は誤魔化すように笑うしかなかった。決して長い付き合いでもないのに、もう考えを読まれるようになったことに若干の畏怖もあった。
彼は気づいていないが、答えはただ1つ。
──『恋する乙女は強いのだ』
「それじゃあ俺は帰るから。タオルありがとう」
「どういたしまして。また明日もお願いします光上さん」
「うん。また明日」
使わせてもらったのだから洗って返す。当たり前とされるそれができなかったことに後ろめたさがある。申し訳無さもある。これからは自分でタオルを用意しようかと思ったものの、彼女との会話を思い返すと彼女がこれからも持ってくることは明白だ。諦めるしかない。
そういった考えはまったく読ませることなく、彼は手を振りながらランニングを再開する。圭はその姿が見えなくなるまで見送り続けた。見えなくなったところで背に隠していたタオルを前に持ってきて、じーっと視線を落とす。
「光上さんが……使ったタオル……」
ちょっとアブノーマルなことが頭をよぎる。
(これはつまり光上さんの匂いがここにあるわけで、光上さんがここにいるようなものよね)
目がぐるぐると泳ぎ始める。一度頭を左右に振り、そんな邪なことを考えては駄目だと理性が総動員で止めてくる。
(けど
(駄目よ落ち着きなさい
(っ! それは嫌だけど……でも……!)
タオルを口元に近づけようとする
この瞬間、白銀圭は目覚めるか否かの瀬戸際に立っていた!
「あれ? 圭ちゃんおかえり。そんなとこで何してんの?」
家の前に佇む妹。左手にはスポーツタオル。その左手を何故か必死に抑えてる右手。泳ぎまくってる目。若干火照っている頬。興奮気味に荒れた呼吸。
「…………まじでなにしてんの?」
学年一位の学力を持つ白銀御行でもそれが何かはわからなかった。そしてちょっと怖かった。
「~~っ!! うっさい変な目で妹を見るな!!」
「なっ!? ご近所に誤解を招くようなことを大声で言わないでくれる!?」
「……今日も光上さんとうまく話せなかった」
修学旅行編について
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漫画出るまで修学旅行編待機
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18巻の内容までならOK
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ネタバレ気にしないから更新続行