光上晶という存在は抑止力になる。裏での駆け引きが得意な連中は、光上が選挙管理委員会に入ったことに嗤った。彼がいる中で、どういう裏の攻防が起きるのかを愉しく見届けるからだ。
はっきり言えば、四宮かぐやがどう動くのかの観察だ。去年と今年では候補者のタイプが大きく異なる。品行方正、曲がったことを許さない伊井野ミコ。一定の人気を持ちつつ、手堅く事を運ぶ本郷。そして、四宮かぐやを擁する前会長の白銀御行。
人のタイプを二分するのなら、この3人は
それは賢いやり方だ。一部の人間を引き込むより、その手のことを知らない多くの人間を引き込んだ方が票を集められる。多数決で決まる以上、「数」は絶対だ。
何よりも時間が足りない。前会長という印象により数歩リードしている白銀陣営ならともかく、自前の認知度から始まる他の陣営ではそこに割く余裕はない。協力者が多いならまだしも、伊井野も本郷も手伝ってくれる人員は限られる。
だから、そこの票を回収するのは実質的に四宮かぐやの独壇場だった。少数であろうと一定数。それを不確定な票ではなく、
だが、裏工作はそこで終わらない。今回は自分の発言が引き金となった白銀の出馬。なんとしても会長にさせなければ、四宮家の名折れ。一定数の確保ぐらいなら光上も見逃す。選挙活動の一環として、選挙管理委員会が手を出せない範囲だ。
四宮かぐやはそこからさらに手を打つ。将を討つ。
要は──候補者を狩る。
「お忙しい中お呼びして申し訳ありません。本郷さんにお話がありまして」
「選挙に関わる話と言われたら断れないよ」
「ささっ、まずはお座りください」
まずは、比較的狩りやすい本郷に狙いを定めた。同学年であることから、伊井野より呼び出しやすいというのもある。他には、伊井野に関する情報集めがまだ終わっていないということも。
そんな事情はさておき、四宮は内心少し焦っていた。
今からやる交渉が、光上のセンサーに引っかからないわけがないのだから。
わかっていて行う。覚悟の上だ。光上がここに来るまでの間に、本郷という対抗馬を
(足止め頼むわよ。早坂)
そう、結局手段としては彼女を頼るしかないのだ。四宮かぐやが学園内で最も信用できる人物。このやり方に眉一つ動かさず同意し、遂行してくれる侍従。
時は遡り、早坂は放課後にしっかりと光上を捕捉。同じクラスなのだから動向はいち早く察知できる。この選挙期間とは関係なく、夏休み前から何度も放課後を共に過ごしている。それと同じように誘い出せばいい。
「早坂は他にもやることあるんじゃないの?」
誘い出すこと自体はあっさりと成功する。光上は可能な限り他人の誘いに応える人間だから。それに加え、相手が早坂であるとより確実性が増すのだが、それは周囲の誰も気づいてはいない。
誘いにあっさりと応じ、いつもと同じ空き教室で椅子に座る。普段は机に対して横を向き、二人の間にある机にタブレットを置くのだが、今日は向かい合うように座っている。生徒会の任期が終了しているのだ。タブレットで生徒会室の様子を見ても仕方がない。
しかも、これから四宮が本郷を呼び出すのだから、その場面を見させるわけにもいかない。
「お気遣い感謝しますが、優先順位をつけているのでご安心を」
「安心ね。俺をここにいさせたい理由があるのに?」
「駄目ですか?」
「四宮さんが何かしようとしてるなら──」
「私があなたと一緒に居たいと思うのは、駄目ですか?」
「えっ……」
バレるのは当たり前。光上と対面した状態で、しかも今の時期に呼び出して怪しまれない方がおかしい。彼は甘い人間なだけで、裏側を知らない人間ではない。光があれば必ず闇ができる。表裏一体のそれが、どこにだって存在することを知っている。
だから、四宮のことがバレることを前提に早坂は動かないといけない。光上に嘘など通用しないのだから、自分でも驚くほどの本心を言うしかない。
「花火。本当に嬉しかったんですよ? 今でも感謝してます」
「それはやったかいがあったというか……。掘り返されると照れくさいんだけどな」
「私だって思い出すと恥ずかしいですよ。ですが、あの日は私にとってそれだけ大きな出来事だったんです」
「そっか……。そう言われると俺も嬉しいもんだよ」
湧き出る温かな気持ちと、押し潰されそうになる罪悪感。それらが同時に胸の内から湧き出ては抑え込む。彼に気づかれてはいけない。裏に何かあると気づかせることなく、自然な運びで迫らないといけない。
早坂の任務は長期戦。それは頭の片隅に残しておけばいい。幸いにも彼は恋愛が絡むと鈍くなる。ゆっくりと距離を詰めていけばまず気づかれない。
「改めて疑問に思うんですけど、なぜ私のためにあのようなことを? たまたまツイートを目にしたからですか?」
「たしかにツイートがなければ、早坂と花火を見ることはなかったな。でもま、早坂のためにできることはしたいってのは、あの日だけのことじゃない」
「……そうですか」
早坂はきっと覚えていない。光上は早坂の反応からそう受け取っていた。光上が早坂に力を貸す原点。そうする理由はどこから来ているのか。それは出会った頃へと遡る。初等部に入学し、1年生の間のある日に。
その話を掘り返し、覚えているかを聞くこともない。それは今する話ではないのだから。彼女が覚えていようとそうでなかろうと関係ない。
「かぐや様を見ていると、羨ましくはなるんですよ」
「うん」
「生徒会で書記ちゃんや会計くんと楽しそうに話していて、会長と独特な恋愛の駆け引きをしていて。これがかぐや様の青春なんだなって」
「早坂がよく一緒にいるあの女子2人は?」
「彼女たちとは……ええ。楽しめてますよ。楽しめてますが、後ろめたさもありますから」
早坂といつも一緒にいる2人組。彼女たちと過ごす時間は楽しい。それは間違いないことで、学園生活をそれなりに楽しめているのも、彼女たちのおかげだと思っている。だからこそ、偽装のための性格で接していて、偽りの顔で築き上げた関係に申し訳無さもあるのだ。
もっと冷酷でいられればよかったのか。もっと冷めきった心であれば、こんな思いはしなくて済んだのだろうか。
それは世間一般的に言えば間違った選択なのかもしれない。きっとそれが大衆の普通なのだ。
しかし、それは四宮の人間として正しい選択なのだろう。優しさも甘さも必要なく、すべてを利用し、すべてを思いのままに動かし、目標を達成し、何だって手にする。四宮の人間なのだから、こちら側を選べた方が楽だったのかもしれない。
「早坂って…………不器用だよな」
「どこを見てそう言うんですか」
「だって優しいじゃん」
「意味がわかりません」
「その優しさがあるから、自分の行動に後ろめたさを感じるんだろ? 捨てた方が楽だっただろうに、なまじ強いから保てる。それで苦しむ。ほら、不器用じゃん」
「まさかあなたがそう言うとは思いませんでしたよ。四宮家をよく思ってないあなたが」
普段と変わらない調子で話してくる光上に、早坂は僅かに苛ついた。同じ調子でそんなことを言ってくるとは思ってなかった。四宮家に染まればいいと言ってるのと同じ。それは──と同じで、早坂は瞳の奥に落胆した様子を映す。
「客観的で合理的な判断をしただけだよ。所属する場所に染まれば、そこで息苦しく感じることなんてないんだから。けど、早坂はそうしないことを選び続けてるからさ。早坂のそういうとこ好きだな」
「……は?」
思考についていけない。今の流れから急に方向を変えられた。ヘアピンカーブどころじゃない。もはや反射。白髪少年にでも当たったのか。
「あ……。人としてって話だからな?」
「わかってますよ。それとも、勘違いしてほしかったですか?」
「いや求めてないっす」
「揶揄いがいがないですね」
「息するように揶揄おうとするなよ」
苦笑する彼に釣られ、早坂も頬が緩む。やはり彼とこうして駄弁っている時間が心地いい。何をどこまで見抜かれているかわからない不安はある。しかし彼はそのほぼ全てを見逃す。
今がライン上。半歩も踏み出せないギリギリの距離感。
それは彼も把握していて、踏み込んでこない。ろくな事にならないとわかっているから。そのラインの先は崖だ。踏み出せば落ちるだけ。
「あ、そうだ」
「?」
「ちょっとここで待ってて」
「どちらへ?」
「生徒会室」
「そうですか」
自然と見逃してしまった。
「ん? 生徒会?」
このままでは駄目だと気づく。彼がドアを開けたところで早坂は慌てて席を立ち、その様子を尻目に彼は教室を飛び出す。早坂もすぐにそれに続いた。
廊下を走ってはいけない。走らずに素早く移動する手段。それは競歩。
「なんで競歩でそんな早いし!」
真似たところで追いつかない。歩幅の違いが決定打となってしまう。仕方なく早坂は走った。止めないと後で主人に怒られてしまう。教師に怒られる程度ならどうってことないが、主人からのは避けたい。明らかに面倒なのは目に見えている。
「早坂。パルクールって知ってるか?」
「欧米で流行ってるやつでしょ。それくらい知ってるし!」
「あれってあの町並みじゃないとできないよな」
「そりゃ向こうで生まれた遊びだし! 日本では珍しいのも当然だし!」
「だよなー」
そう言って光上は窓から外に出た。生徒会室がある棟は、校舎から少し離れている。校舎から直接行くことも可能だが、こうして一回外に出てから移動するのもおかしくない。窓から出ている点を除けば。
「ここ2階! って、パルクールの前フリはそういうこと……」
帰宅してから筋肉痛やら何やらで苦しむだろうに、光上はそれをお構いなしに進んでいく。しかも外なら走っても問題ない。
早坂は一瞬躊躇った。飛び降りる事自体は何も問題ない。それぐらいできる身体能力がある。問題は今の服装。制服である。秀知院学園の制服はワンピースに近い。こんな服装で飛び降りたら
だが迷ったのも一瞬。光上をここで逃がすわけにもいかない。瞬時に周囲へと視線を飛ばす。人がいないことを確認すると、スカートを手で抑えながら飛び降りた。ついでに、手荒だが光上にドロップキックをかませるように狙いもつけて。
着地の衝撃も、光上を蹴った感触もなかった。光上の背を蹴る寸前に、視界が急に回る。見えていた光上の背も敷地の地面も見えない。代わりに見えるのは雲が多い青空と、呆れた様子の彼の顔。
「恥を捨ててまですることか?」
「……仕事は優先されますから」
冷ややかな視線から、ぷいっと横を向いて逃げる。誰が原因かと言えば、早坂から逃げる光上が原因なのだ。こんな恥ずかしい真似をしたことにも、彼に責任がある。光上からすれば、そこは自己責任だろと言いたい。
横を見て現状を把握。いま体は横たわってる状態に近いようだ。しかし妙に視線の位置が高い。地面から1mくらいだろうか。
膝裏と背中にあるのは、彼の腕のようだ。自分の肩に添えられてるのも、彼の手なわけで。
「おろしてください」
「今後こういうことしないのなら」
「それは光上くん次第! いいから早くおろして!」
「わかったから……」
早坂をおろし、生徒会室がある方向に視線を向ける。今起きていることは見逃せない。四宮のやり方を、彼は看過できない。
「早坂」
時間がない。これから早坂を振り切るのも難しい。ならば、そこに割く時間を無くすしかない。
彼の声の重さが変わる。その声に攻撃性が乗り、これまで早坂に向けたことのない視線を向ける。敵対的な視線を。
「できれば早坂とはやり合いたくない。だから、一度だけ言うぞ。俺の邪魔をするな」
「っ……!」
なるほど抑止力。ただ1人の存在が他への牽制になる圧。四宮かぐやでも取りたくない手段を平気で取る連中が、一目置いて警戒するだけのことはある。四宮家が取り入れようと判断したのも、早坂はこの瞬間に正しく理解した。
これをデフォルトにさせたら、四宮家が欲しがる人材に様変わりする。
早坂だってそういう世界を知っている。そちら側を行ったり来たりしてる。だからこそ余計に認識できてしまう。
以前にかぐやに向けたもの。あの時早坂は場に紛れていたが、光上に直接
「俺は努力する人が好きだ。直接的なことはしないけど、応援ぐらいはしてる。この学園の生徒会長になろうと本気で思ってる奴を、その意気込みを潰すのは見逃せないんだよ」
「……しかし……」
「早坂の立場も理解してるつもりだ。だから本郷と伊井野のことを調べてるのは見逃した。あの2人のことを知るくらいなら構わない」
早坂は冷や汗をかいた。彼を侮りなんてしない。しかし、実情を掴めていなかったのも事実。彼の本気がどういうもので、彼の情報網がどれほど広いのかも。
「本当にさ……君とは敵対したくないんだ。たとえ四宮家を敵に回したとしても」
「なんで……」
「……。君が覚えていなくても、俺はあの日の約束を果たしたい」
急に圧が消えたことで早坂の呼吸が荒くなる。途中から呼吸すら忘れてしまっていた。相手を静かに圧迫する圧。彼が夏休みに、四宮家の別邸を正面から入り、早坂がいたかぐやの部屋に着いたのもこれかと理解する。
約束──彼が口にしたそれに、早坂も心当たりはある。だが、思い至ったものであるという確証はない。あれは、約束と言えるのかすら怪しい曖昧なもの。
「じゃ、俺は生徒会室行くから。早坂を怒らないように、四宮さんにお願いしとくよ」
それを確かめることはできなかった。
修学旅行編について
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漫画出るまで修学旅行編待機
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