意図的に作られた暗がりの中。鮮やかな色たちによって照らされた幻想的なエリア。いくつもある円柱型の水槽の中では、それぞれの種類によってわけられたクラゲたちが漂っている。このエリアにかけられている曲が、彼らの動きをダンスへと変えていく。それらの動きはじっと見ていられるもので、人によってはここで多くの時間を費やしてしまうかもしれない。
ひとつひとつの水槽をゆっくりと見て歩く。週末ということもあり、他の客も多いのだが、彼らのようにここで時間をかける人は少数のようだ。
「クラゲって、海水浴とかで刺されたりってイメージが強いですけど、かわいらしい見た目の種類もいるんですね」
「数年前には大量繁殖で問題視されてたっけ。白銀さんが言うかわいらしいクラゲは、あまり見かけない種類だけど」
今日というこの日。光上と圭は水族館デートに来ていた。圭の誕生日の時のように、指摘されてデートだと気づいたものではなく、初めからデートであると認識しての今回。この幻想的な空間が作り出す雰囲気のせいか。彼らはそっと手を繋ぎながら見て歩いている。
その速度は、鑑賞していることを考慮しても明らかに遅い。お互いに気を遣っているせいで、このエリアで時間をかけているのである。なかなか視線を合わせられないのも、意識し合っているから。
そもそも彼らがここにいるのは、高等部の生徒会での出来事がきっかけである。『今日あま』に多大な影響を受けた一部のメンバーが、少女漫画脳で駆け引きを始めたのだ。校長からの差し入れの中に、水族館のチケットが含まれていたのである。そのチケットの枚数は2枚。どうせなら全員分用意すればいいのに、とか光上は思いながら眺めていた。
水族館のチケットが現れたことで始まる恋愛頭脳戦ver.少女漫画脳。よくそんな恥ずかしいセリフを言えるなと思いながら、光上は巻き込まれないように距離を取っていた。お前も大概だぞとツッコむ存在はその場にいなかった。
少女漫画の影響により、異性と水族館に行くことが大前提となる。少女漫画脳になったのは御行と石上と四宮。女子が1人であることから、御行と石上が競い合う形となる。
どういう駆け引きをしていくのか。成り行きを楽しんで見ていたものの、全く空気を読まず、少女漫画脳になっていなかった藤原が乱入。カオスが生み出されたせいか、決死の思いで四宮を水族館に誘った御行が断られるという結果になった。
「男2人で行きます?」
「使わないのは勿体無いしな」
少女漫画脳になっていた男同士で行くかと結論が付きそうになったところで、石上はその状態から脱することに成功。慌てて2人で行くのを中止しようと提案。
「石上にもフラレた……」
「すみません! そういう事じゃなくてですね!」
ダブルパンチにより、自尊心が削られた御行。石上が慌ててフォローを入れ、より良い使い道があるのだと話を持ちかけた。そんなものがあるのかと御行も食いつき、光上には聞こえないように部屋の外に出て2人で話し合う。
「これの使い道は自由じゃないですか」
「そうだな」
「四宮先輩には断られましたし、藤原先輩と伊井野は論外です」
「藤原はともかく伊井野はさすがに可哀想なんだが」
「残ってるのは僕らと光上先輩です」
「あ! そういうことか石上!」
「そういうことですよ会長!」
石上の狙いに察した御行が表情を明るくする。さすがは年下の友人だと感心した。エンジンがかかると大変だが、何度も相談させてもらっていたりする。
「俺たち3人で行けばいいんだよな! 1人仲間外れにするのは悪いし! いやぁ俺は視野が狭かったぜ」
「違いますよ!!」
「えっ!?」
「男3人じゃなくて! 光上先輩と妹さんに行ってもらうんすよ!」
「……っ!!!! 天才か……!」
今度こそ御行は石上を心の底から称えた。誕生日の一件という功績を持つ石上は伊達ではないのだ。
御行は妹の恋路を心配するあまり、見守る姿勢を取ってばかりだった。時には兄として、使える手段を提供してもいいというのに。
感銘を受けたのはいいとして、問題はどうやってそれを実現させるかだ。さっきまでの一部始終を見られている以上、光上に渡すと怪しまれる。しかし、圭に渡すとなると御行からになるわけで、それを受け取ってもらえる自信が御行にはなかった。自分でそう思って少し凹んでいるのは、彼のプライドによって秘密にされている。
「現実的なのはやはり光上に渡す方か」
「僕らの予定が合わなかったってことにして渡します?」
「有効期限が地味に長いんだよなこれ……」
「なんの話をされてるんですか?」
「伊井野……!」
彼女の出現に焦る2人。彼女が使えるかどうか目配せで会議。
まず、伊井野ミコは唯一白銀圭との接点がない。先日顔合わせをしたくらいだ。圭が光上に恋していることを知らない。たしかに伊井野なら切り込んでくれる。しかしそのためには圭のことを教えないといけない。それはリスキーだった。
「まさか……また変なことを?」
2人の反応から伊井野は疑いを持った。彼女が抱いていた生徒会のイメージと現実がかけ離れ過ぎており、今日も何かおかしなことをしようとしてるのではと考えてしまうのだ。
ここで御行が持ち前の頭のキレを発揮し、解決の一手を打ち込む。
「いや、実は校長からの差し入れにこの水族館のチケットが含まれていてな。残念なことに2枚しかないんだ」
「はぁ? それで?」
「これは本人のために内密にしておいてほしいのだが、実は光上のことを好きな子がいてな。せっかくだから光上とその子に行ってもらおうと思うんだ」
「それはいい考えだと思いますけど、それならなぜこんな場所にいるんですか?」
「あの光上にこの手の話を切り出しにくいからだよ!」
「あの人
「は? 石上より腹立つ人間なんていないでしょ」
伊井野の中で光上の評価はとても高いのだ。生徒会のイメージこそ崩れているものの、自分と同じ新メンバーの光上はそこに含まれていない。相対的に評価が上がっていたりする。
その光上の浮いた話など聞いたことがない。その点もまた伊井野が高い評価をしている理由の1つなのだが、どうやら彼の周りはそうもいかないらしい。しかし伊井野だって鬼じゃない。光上なら清く正しい付き合いをすると確信している。光上のためになるのなら、そう思うと協力するのもやぶさかではないのだ。
「思えばもう頼れるのは伊井野ぐらいしかいないんだ!」
「そ、そうですか? それなら私の方から言いますね!」
「こいつのチョロさが怖い」
御行からチケットを
「光上先輩!」
「ん? どうしたの伊井野さん」
「光上先輩に好意を寄せてる方がいるそうなので、このチケットでその方と出かけてあげてください!」
「そんなストレートに言うか普通!?」
「人選ミスだったか……!」
石上が発狂し、御行が絶望的な顔になる。それで圭のことがバレるわけでもないのだが、
色恋話に藤原が浮かれる。その相手はいったい誰なのだとはしゃぎ出した。どう収拾をつけるか焦った御行を、静観していた四宮が助けた。四宮も圭の恋を知っている者の1人。選挙戦時に垣間見た光上の面倒さから、これは良くないと察したのである。
甲高く響くように手を鳴らし、浮かれていた藤原さえも静かにさせる。全員の視線が四宮に集まったところで、彼女はにこりと微笑んだ。
「その方が誰かはこの際置いておきましょう。今の流れで誘われたと知れば、その方も複雑でしょうから」
「あ……。すみません、私ったら……」
「伊井野さんなりの援助だったのでしょう。そのお気持ちは素晴らしいものですし、方法はこれから覚えましょうか」
「はい……」
「光上くん。せっかくですから、あなたがお誘いしたい相手を選んだらどうですか? 例えば、普段お世話になってる方とか、いつも頑張ってる子とか」
「なるほど」
例を2つ示したものの、そのどちらもが圭のことを言っているのだと御行と石上は察した。彼女の機転にアイコンタクトでお礼を言う。
「お節介を焼かせていただきますと、水族館には男女で行くほうが
ダメ押しの一手。先程の提示では、御行が選ばれる可能性が高かった。それを先に潰したのである。一般的なことのほとんどは知識として抑えている程度の光上。社会的にも中間な位置を測っておきたい彼にとって、一般的という言葉は有力に働く。
あとの問題としては、早坂が選ばれかねないことなのだが、万が一誘われたら断るように手早くメールを打っておいた。これで圭が誘われるという未来が定まる。
「購買のおばちゃんか」
「圭ちゃんと行きなよ。ぶっ殺すよ?」
「はい」
圭の気持ちは気づいていないものの、2人はお似合いだと思っている藤原。ここで圭以外の選択肢を出すことを決して許す気はなかった。
こうして圭は水族館デートに誘われ、生徒会メンバーが尾行することが決まったのだった。
「そろそろ次の場所行こっか」
「は、はい」
初々しいほどに2人は緊張していた。意図せずにデートが発生したことはあるものの、デートだと認識して誘い誘われ、待ち合わせをして出かけるのは初めてのこと。誘うのも誘われるのもお互いに初めてのことだ。2人とも服装をどうするか悩んだりした。
光上は使用人に相談したところ、使用人たちが大騒ぎ。全員での議論が始まり、白熱した結果選ばれた服装を光上は着ている。圭のことを考慮し、ブランド品を避けての組み合わせ。
反対に圭は、1人で何役かを分けながら作戦会議。それとなく萌葉や千花から、以前の買い物のことを聞いていたのも役に立った。
「次は2階になるみたいだね」
時間こそかかったものの、その分1階にいる海洋生物を見られたのも事実。入ってすぐの場所では、四季と生き物の調和をテーマにしたエリアがあった。その次にはカフェバーもあり、そこで2人は飲み物を購入している。ボトルで販売されているため、持ち歩きが可能なのだ。
エスカレーターで上がっている最中、2人の会話はなかった。いつもならその時間も気にならないのだが、今日は気まずく感じてしまう。
「白銀さんは水族館に来たことあるの?」
「えっと……小さい頃に。あまり覚えてないですけど」
「そうなんだ」
そこで途切れてしまう。手は繋がっているのに、どうにもいつものように波長を合わせられないでいる。エスカレーターから降りて数歩進むと、そこは円形のスタジアムになっていた。イルカショーがここで行われるようだが、次のショーが始まるまで時間がある。他の場所を見て回ってから戻ってくる方が良さそうだ。
他の人の邪魔にならないように壁際に寄る。一旦圭から手を放した。その事に圭の胸に棘が刺さった。彼と繋いでいた手が空を掴む。行き場をなくしてしまった。その手をだらりと下げそうになったところで、彼は自分の両手で頬を思いっきり挟むように叩いた。
「っ、ふぅー」
「光上さん?」
「ごめん。調子狂ってた。せっかく水族館に来たのに、このままじゃ楽しんでもらえないし、それじゃ駄目だからさ」
気合い入れ直したというか。強引に気持ちを切り替えたようだ。決してヤケになったわけでもない。彼の緊張はなくなり、いつものような雰囲気に変わる。下がりかけていた圭の手に、自分の手を近づける。
「いいかな?」
「ぁ、はい。私からもお願いしたいくらいです」
「……ははっ。照れくさいな」
そう言いながらも、優しい笑顔とともに圭と手を繋ぐ。彼女の方からもしっかりと繋ぎ直された。仕切り直しだと言わんばかりに。彼女もまた、緊張が和らいだようだ。
「この隣りでもショーがあるみたいですよ」
「見に行こっか」
「はい!」
イルカショーと入れ替わるようにショーが行われているようだ。2つのショーを交互に。間に空き時間もあるようだが、せいぜい15分くらいのもの。今から見るショーはもう始まるらしく、開幕とほぼ同時にそちらに入った。後ろの席しか空いていないが、見る分には十分だ。
こちらではアシカのショー。その前座として、ペンギンが登場していた。よちよちと歩いている様はなんとも愛らしい。
「かわいい……!」
「ほんとにね」
彼と繋いでいる手に力が入る。彼女がどれだけ興奮しているのか物語っていた。瞳を輝かせてペンギンを見ている彼女も可愛らしく、光上は自分が今どちらに対してかわいいと思っているのかわからなくなっていた。
「きゃぁぁあ! ペンギンさんかわいい!!」
遠くの女性や子供の興奮した声の中で、何やら聞き覚えのある声。具体的には生徒会で書記とかやってそうな声も聞こえてきた。圭はそれに気づいておらず、もしやと思って書記を探し出した光上の胸をぽんぽんと叩きながら、ペンギンの動作について話しかける。
「ほら今跳ねました! あの子かわいくないですか!」
「本当だ。たしかに愛くるしいね」
「ですよね!」
探し出すのは中断。今は圭との時間を優先だ。彼女が指差すペンギンに目をやる。ぴょこぴょこと階段を跳ね上がっている。登った先には滑り台があり、そこから水槽に滑り込んでいくらしい。既に何羽か滑っていっているが、彼女のお気に入りの子は今からのようだ。ものの数秒でお気に入りの子が決まるのは、女子の特徴だろうか。
「頑張って……あと1段!」
応援がしっかり声に出てる。彼女のその姿に、彼もまた頬が緩まる。
見守っていた観客のほとんどが心でツッコんだであろう瞬間。そのペンギンが後ろ向きで滑り出した。慌てた様子からして、うっかりなのだろう。これはどうなんだと光上は隣りに座る彼女に目を向ける。
「ドジっ子なのもいいですね!」
そこでようやく彼女の興奮状態も落ち着き、さっきまでの自分がプレイバックされて急に恥ずかしがる。空いている手で顔を隠しながら俯き、消え入りそうな声を絞り出した。
「忘れてください」
「白銀さんのそういう一面が見られてよかったよ」
「もうっ! 光上さんのいじわる」
「そんなつもりはないんだけどな……」
「……じゃあ秘密にしてください」
「わかった」
恥ずかしがったり頬を膨らませたり。圭がころころと表情を変えるのも珍しい。それだけ圭が素直になれている証で、光上への好意の表れ。徐々に自分を出せていけている。そしてそれを受け入れてもらえている。そのことの喜びを圭は噛み締めていた。
「ペンギンで忘れてましたけど、アシカショーがあるんでしたね」
「忘れないであげて!?」
そう言いながら、アシカが芸をするたびに笑顔で拍手を送っている圭の純粋さに、光上もまた好感を抱くのだった。
アシカショーが終わると、今度はイルカショーがある。それが始まるまでの時間を、他を見て回りながら過ごすことに。時間からしてどこか1箇所が限度。それならばと2人が向かったのは、この水族館の目玉とも言える海中トンネル。長さ20メートルのトンネルで、頭上からは自然光が射し込む。
中を泳いでいるのはマンタやエイといった海洋生物。それ以外にも一部のサメが混ざっているようだ。左右だけでなく上も水槽の中。この仕様は年齢問わず人気が高い。2人も空いている場所で立ち止まり、雄大な景色に没入する。
「本当に海の中にいるみたいだね」
「すごいです……」
2人の視線の先からマンタが近づいてくる。トンネルに当たらないように泳いでいるが、スレスレを泳ぐことよくある。間近で見られるだけでなく、真下からも見ることができる。その光景に目を奪われないわけがない。視線で追いかけているうちに、2人の体は向かい合う形に。マンタから目を離したところでそれに気づいた。
「白銀さん?」
目が合ったら、圭は光上に半歩近づいていた。距離が近くなる。繋いでいない手が肩に添えられ、視線は真っ直ぐに向けられる。その瞳に映るのは、不安と覚悟。
「私……もっと光上さんに見てほしいです」
「それはどういう……。白銀さんのことは見てると思うんだけど」
「それは感じ取れてます。きっと、光上さんは他の方を見るよりも私を見てくれてます。でも……少し違うんです」
「違うってどういうこと?」
僅かに瞳が揺らいだ。少し瞳が潤んでいるのは気のせいだろうか。
彼女は小さく口を開き、一旦閉じてから意を決したようにもう一度開いた。その頬は僅かに上気している。
「女性として見てほしいんです」
「……それは」
「私のことを、もっと知ってほしい……。光上さんのことも……もっと知りたいです」
光上は同じ枠じゃない人を恋愛対象から外していた。特に年下の人はそうだ。これまでそうしてきたし、これからもそうするつもりでいる。それでは自分の想いは届かない。叶わない恋なんかに憧れない。惹かれない。この気持ちはそんな
ならばどうするか。枠組みという壁を取り払えばいい。壁を作ることで調整する距離感を狂わせる。自分の力だけでなく、彼自身からも崩させる。そうしてようやく始められるのだから。
枠組みという考え。先輩後輩という言葉。それは実に便利なもので、日本では1歳差でもその上下関係が生じる。そしてそれは距離を簡単に保てるものだ。言い訳にならないような言い訳ができる。
しかし、彼女にそれはもう当てはまらないのではないか。勇気を振り絞り、作っている壁を突破をしようとしている彼女には。
1人の女の子にここまで言わせてしまった。枠組みという言い訳は無礼というものではないか。
自分の信条を曲げるか。彼女の覚悟を踏み躙るか。
彼は後者を選べなかった。
それは、彼女が相手だったからなのかもしれない。
修学旅行編について
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漫画出るまで修学旅行編待機
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18巻の内容までならOK
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ネタバレ気にしないから更新続行