秀知院学園の修学旅行はその寄付金の額から海外に行くことが通年となっていた。どこに行くかも生徒会の提案が通りやすく、ここぞとばかりにすり寄ってきて要望を出していく生徒も多い。そこで、閃いちゃった藤原千花の提案を飲み、投票制が採用された。どこを選ぶかも自由。選択肢の数は都市の数。実に膨大である。
その結果として、ものの見事に票がばらけた。アジアや欧米諸国。南アメリカ大陸の諸国だったりと国外はきれいにバラけていき、競り勝ったのが国内で京都旅行。これは民主主義を利用した巧妙な手腕だと、石上は珍しく藤原を素直に賞賛していた。
「フランスに行きたかったぁぁ~!」
当の本人は京都よりもフランスがよかったらしいが。光上からすれば、慣れた場所に行ってもという渋い顔をせざるを得ないが、現実は京都である。これには光上も一安心。
そして彼個人の戦いが勃発する。
「酔った……」
「新幹線で!?」
光上晶の弱点の1つは、乗り物である。彼は乗り物酔いが激しい。耐えられるのは、慣れている家の車と光上家の飛行機のみ。船は乗って2分で酔うし、電車も3駅と持たない。悲劇的なまでに現代文明の乗り物に弱い。そして新幹線もまた、揺れが少ないから耐えられるのかと思いきや、横浜を過ぎたあたりで酔いがきたようだ。酔い止めを飲んでいるのに。
「吐き気は?」
「今はまだ大丈夫……」
「座るより立ってた方がマシなんじゃないか? 疲れるだろうけど」
「そうしとく」
座席から立ち上がり、多少ふらつきながらも車両後方へと歩いていく。その途中で、今朝から様子のおかしい四宮と早坂の席を通り過ぎるが、そこには反応しなかった。2人だけの問題には首を突っ込むわけにもいかないからだ。
乗降口の側へと移動し、壁に背を預けながら外の景色を見る。見ないよりはマシだから。トンネルの中に入ると景色も何もないが、しばらくはトンネルもない。晴れている今日なら、富士山も綺麗に見えるものだろう。そう思いながら、ほとんど思考を停止してぼんやりと遠くを眺めていると、スマホに着信が入る。画面を見ると表示されている相手の名前は圭だった。
「もしもし。どうしたの?」
『光上さん。今大丈夫ですか?」
「うん。新幹線で移動中だからね。白銀さんの方こそ、大丈夫なの?」
『はい。休み時間なので、あまり時間はないですが』
「そうなんだ。それで、何か用かな?」
『お電話することが用事……じゃあ駄目ですか?」
「……。ううん。そんなことないよ」
その愛らしい口実に頬が緩む。正直に言えば、彼女から電話してくれたことがとてつもなく嬉しい。修学旅行の日程は短く、夏休みや冬休みの方が会えない期間が長い。それでも、今となってはその短な期間でも会えないことを寂しく思っていた。だから、夜にでも少し電話をするつもりでいた。
それがどうだ。彼女の方が先に行動してきたではないか。また受け手側に回ってしまった事に申し訳無さを感じつつ、時間の許す限り話そうと決める。
「夜に電話しようと思ってたから。ちょっとびっくりしただけ」
『それは……少し勿体無いことをしてしまいました』
「夜にも電話していいかな?」
『もちろんです! 8時以降でなら、光上さんの都合のいいお時間に出られますよ』
「そう? 食事の後に入浴って流れだったから、9時前後にはできると思う」
『楽しみに待ってます』
圭もまた、電話をしながら目を細める。彼とこうして繋がっていられることが嬉しい。無線電話という文明の利器がなければと思うと、気が気ではなかっただろう。上の空になっていたんじゃないかと自分でも思っていた。
「白銀さん?」
『あ、はい。なんですか?』
「回った場所は写真で送るね」
『いいんですか? ありがとうございます』
回った場所の話も、写真を見ながらならもっと楽しめるだろう。視覚的にも共有できるのはありがたい。できたら、他の女子と一緒にいるような写真は送ってほしくないのだが、男女別での班行動ならその心配もいらないはず。予測不能の藤原千花がいるとしても、クラスが別なら大丈夫。クラスの壁を超えたとしても、光上より四宮の方に接近するはず。
そうやって懸念材料を1個ずつ消していく。可能性を消していかないと、安心できない。自分はこんなに独占欲が強かったのかと首を傾げる。それも、母親のあの言葉に起因するのだろうか。
『光上さん大丈夫ですか?』
「え、なにが?」
『いえ、お声が少し疲れてるようだったので』
「……はは、白銀さんは凄いな。実はちょっと乗り物酔いしててね。乗り物にはめっぽう弱くて。新幹線でも酔うみたい」
『それは……お疲れ様です』
気を遣うことはできても、何をしてあげられるわけでもない。圭は光上に労いの言葉をかけることしかできない。
「白銀さんと話してると、楽になってきてるんだけどね」
『そんなことあります?』
「あるよ。白銀さんの声を聞いてると、すごい落ち着けるから」
『少しでもお役に立ててるなら嬉しいです。でも、そろそろ休み時間も終わってしまうので……』
「うん。それじゃあまた後で。電話してきてくれてありがとう」
『どういたしまして。お体には気をつけながら、良い旅をしてください』
通話を切るのがもどかしい。もう少し話をしていたい。そんな欲求は、圭の邪魔にしかならない。圭は授業があるのだ。遅刻させるわけにもいかず、切るねと一言言ってから通話を切った。
「恋の匂いはここですか! って、なんだ晶くんか」
「なんだって失礼だな」
うきうきしながら飛び出してきた藤原だったが、匂いの元が光上だとわかって落胆。分かりやすいまでに肩をがっくりと落とした。
「相手は圭ちゃんですよね? それなら間に合ってます」
「そう言われるとすげぇ複雑なんだけど……」
「いいじゃないですか。関係が良好そうで私は一安心ですよ」
「その節は本当にお世話になりました」
「えっへん! ところで顔色が少し悪いようですけど」
「今さらそこか」
彼女の自由奔放さはいつものこと。真面目にそれに合わせようとしても身が持たないと知っている光上は、話半分程度に付き合うという手法を身に着けている。対藤原においてほぼ必須だ。
「ただの乗り物酔いだよ」
「あ~。乗り物に弱かったですもんね。……新幹線でも酔うんですか?」
「みたいだね。今は少し楽だけど」
「愛の力は侮れませんね~」
にやにやと楽しげに見られても、光上としては面白いことでもない。視線を藤原から窓の外へと移すと、あやすように頭を撫でられた。身長差があるため背伸び。しかも爪先立ちで。
「なにしてんの?」
「へそを曲げられたのであやしてます」
「そういうのは自分の子供ができた時にでもしてあげたら?」
「そうですね! では会長にしてきます!」
「あいつは同い年だろ!?」
「私の子ですよ! 私が育てたんです!」
「なに言ってるの!?」
「晶くんは知らないだけで──きゃっ!」
バランスを崩した藤原が後ろへと転ける。彼女が頭を打たないようにすぐさま手を藤原の頭の後ろに回すも、転けたために自ずと姿勢は低くなり、光上も膝を付く。咄嗟のことで今度は光上が藤原をぶつかりそうになり、それを防ぐために反対の手は壁へ。実質壁ドン状況。
「──から、私の方から」
「かぐや様少し待ってください」
「なに? どうかしたの? ねぇなんで私の視界を塞ぐの?」
「教育によろしくないものがありますので」
「どういうこと!?」
それを目撃する早坂。四宮の視界を片腕で塞ぎ、冷ややかな視線を藤原と光上に向ける。客観的に今の2人の状況を見れば、態勢を崩している藤原の頭の後ろへと手を回し、逃れられないようにしながら光上が壁ドン。強引に迫っていると言われても言い逃れはできない。
光上は冷や汗を流し、藤原は気まずそうに視線を泳がせる。早坂は空いている手で親指を立て、自分の首の前を横に一線し、親指を下に向けた。有罪判決である。
今すぐに弁明したい気持ちに駆られるが、四宮の視界は塞がれている。余計なことをすればバレてしまうため、藤原と光上は速やかに無言で立ち上がり、藤原が先に客席へ。光上は何事もなかったかのように視線を窓の外へ。
「もう大丈夫そうですね」
「本当に何なのよ……。あら、光上くんはここにいたのね」
「立ってるほうが楽だし、外を眺められるから」
「そう。今しがた早坂が言ってた何かがあったと思うのだけど。光上くんは見てないかしら?」
「見てないな。俺の死角で何かあったのかな」
嘘は言っていない。自分の姿なんて見えないのだから、
秀知院学園高等部の修学旅行のプログラムは、自由度が高く設定されている。宿はセキュリティ重視の三星ホテルを用意し、京都駅からもそう遠くない。荷物をホテルに預けた後は、夕食の時間まで班毎の自由行動。どこまで行こうと時間内に帰ってこられればよし。安全対策はどうなのだと言われるプログラムだが、秀知院学園の生徒に手を出して無事でいられるわけもなく、意外と安全だったりするのだ。
クラスの男子との自由行動。ここからが光上にとっての地獄の時間。移動はタクシーか電車。どちらにしても酔うのである。そこを考慮されているのか、極力徒歩で回れる箇所をプランニングされており、それへの罪悪感が追い打ちをかける。
「光上生きてっか~?」
「わりとキツイ……。ホテル戻って休んでていいか?」
「無理させるのもなんだしな。タクシー呼んで──」
「歩いて帰る。死にたくない」
「そこまで限界だったか」
「明日に備えてゆっくり休んでろ~」
そんなこんなで光上はリタイア。自由行動でリタイアなど稀有な例であり、ある種の伝説として秀知院学園で語り継がれることになったとか。それは数年先の話だが。
外の空気を吸いながらホテルへと向かい、途中で抹茶を堪能したり、見知らぬお婆さんの話し相手になったり。余分に時間がかかったものの、誰よりも早くホテルに到着。教師に体調が悪いことを話し、許可を貰って部屋のシャワーを浴びる。気持ちもさっぱりしたらジャージに着替えてベッドにダイブ。すぐさま寝息を立てた。
それから幾ばくかの時間が経ち、目が覚めると部屋の中に他の人の気配を感じる。クラスメイトが戻ってきたのかと思いきや違った。
「なんで部屋にいるの? 早坂」
「心配して様子を見に来たのですが、いらぬ世話だったようですね」
「言い方が悪かったな。ごめん、来てくれたのは嬉しいんだけどさ。本当は駄目なことじゃん?」
男子が女子の部屋に行く。あるいはその逆。どちらも風紀委員から厳しく言われていることだった。それでもちゃっかり行くような田沼の男はいるのだが、なんにせよあまり褒められたことでもない。
「私が来た理由は変わりませんよ。今ハーブティーも出来上がりますから、1杯いかがですか?」
「貰うけども。四宮さんはいいの? なんか朝からべったりだったじゃん」
「ここに来ると伝えたら離れてくれましたよ。夕食も近いですし、活用できる空き時間も少ないですから」
「もうすぐその時間なわけか。え、じゃあルームメイトは何処へ?」
「気を遣ってくれたようですね。誤解はされてそうですが」
「後で解いとくか」
ベッドから起き上がり、部屋にある椅子に移動。淹れたハーブティーを光上に差し出したら、丸テーブルを挟んで反対側に早坂も座る。
寝起きで飲み物も欲しかったため、光上は早速それを飲んだ。半分ほど飲み、一旦カップをテーブルの上へ。
「相変わらず早坂が淹れる飲み物は美味しいね。四宮さんが羨ましいよ」
「味の良さが分かってくれる人は好きですよ」
「四宮さんって味音痴なの?」
「味音痴ではないですが、舌が肥えてしまっているので」
「あらら。それはやり甲斐が物足りないね」
「本当に」
早坂と2人で話すのは冬休み前以来だったか。回らない頭でぼんやりとそんな事を考える。圭との関係修復に、早坂も一枚噛んでいることは察している。その事のお礼をまだしていなかった。
「早坂。ありがとう」
「なんですか急に」
「早坂には結構助けられてるからさ。白銀さんのことも」
「……そんなことはないですよ」
「立場もあるだろうに。本当は俺も何かできたらいいんだけどさ」
「……いえ。……圭とはどうですか?」
「ん? あー、夜に俺から電話することになってるよ」
「そうですか……。では、後で
「なんで? っ、ッ……!」
ぐらりと視界が揺らぐ。頭が突然鈍くなったような感覚に陥る。
光上は寝起きが良い方だ。起きた直後から頭が冴えている状態。それがいつもの状態。それなのに、今日はそうなっていない。さっきから頭が回らないでいた。
「はやさか……なにした……?」
「効果が出てきたようですね。安心してください。しばらく眠っていただくだけです」
「なん、で……」
「私のプランが崩れてしまいますから」
崩れ落ちそうになる体を、肘掛けに手を置くことでなんとか支える。霞んでは晴れる視界から、意地でも早坂が外れないように耐える。視界に映る彼女の表情は上手く見えない。
早坂は椅子から立ち上がり、光上の側に寄ると彼の頬を両手で挟み、そっと上を向かせる。落ちそうになる瞼を必死に耐え、その奥にある瞳は尚も力強く彼女を射抜く。その目がもう少し弱ければ……いや、なんにせよ彼女はこうしただろう。巻き込まれてほしくないから。
「何でも言うことを聞くって約束。残ってましたね」
彼の体が強張る。嫌な予感でもしたのだろう。それは当たっている。
「私の事は忘れて圭と幸せになってください」
「はや、さか」
彼の瞳を、顔立ちを、存在をその目に焼き付ける。目を閉じて、瞼の裏にはっきりと浮かぶことを確認したら、ゆっくりと顔を近づけた。
静かに柔らかく。慈しむように。愛おしみながら。
そっと口づけをする。
文化祭の時と同じように。
「さようなら光上さん」
離れていく早坂へと手を伸ばす。
「あなたのことが好きでした」
その手は空を切り視界が暗転した。
次回は19巻の内容をほんの少し掠ってます。お気をつけ下さい。
修学旅行編について
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漫画出るまで修学旅行編待機
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18巻の内容までならOK
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ネタバレ気にしないから更新続行