その日のことは今も鮮明に覚えている。
彼女と初めて話した日のことだ。
初等部に入学して最初の席替えの時に隣の席になった。中等部からは席をくっつけないようになったが、初等部だけは男女で席を並べて授業を受けていた。
「初めまして。光上晶です!」
「知ってます。自己紹介は入学式の日に皆さんやりましたし」
「うん。でも君に直接言うのは初めてだから」
「はぁ。早坂愛です。短い間ですがよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
呆れたように自己紹介をされた。それが早坂愛と初めて交した会話。
席替えはちょっとした引っ越しのようなもので、いくら秀知院学園の生徒だと言っても6歳とか7歳の子供に変わりはない。初めてやることは新鮮で、皆が浮足立っていた。
皆というのは言い過ぎか。隣の席になった早坂はそんな様子もなかった。彼女の主人である四宮かぐやでさえ、少し浮かれていたのに。後に「氷のかぐや姫」と呼ばれるようになる少女も、この時はまだただの少女だった。名家の娘というだけで、他の子と変わっていないように見えた。
「早坂さんって字がきれいなんだね」
「そうですか?」
「お手本ぐらいにきれいだよ」
「ありがとうございます。もっと女の子らしくかわいい字を書けたらいいんですけどね」
早坂は自分のノートに視線を落とした。お手本通りに綺麗に書かれた字。あまりにもそっくりに書かれており、たしかにそこに女の子らしさを感じることはできない。綺麗な字であっても、早坂の個性を感じられない字だ。
「早坂さんなら書けるよ」
「なんでそう思うんですか?」
「早坂さんかわいいから」
「……。そういうのは、むやみに言うことじゃないですよ」
「そっか、ごめんね。でも本当にそう思ってるよ」
面食いではないと思いたいが、少なくとも早坂相手にそう思っていたのは本心だろう。馬鹿正直に話すのは子供らしく、良くも悪くもそこからの
早坂はこの時はまだギャルモードではなかった。入学したてなのだから、素を出せていない生徒も多い。素直な子どもばかりだとしても、緊張して固くなっている生徒がいるのも当たり前。早坂は、普通を演じるために自分をその枠に入れたのだろう。まだ素を出せていない普通の子として。
初等部に入学するにあたって、両親とは離れ離れになった。両親はフランスへ行き、自分は使用人たちと日本に残っている。日本に残りたいと我儘を言った。それが最初の我儘で、その後10年ほどは我儘を言っていない。
両親とは1年の中で少ない日数しか共に過ごせないが、教育自体は変わらない。母から教わったことを胸に、人との距離感の調整をするようになっていた。それが上手くできていたかは別として、意識していた分失敗と言えるほどの失態は犯さなかった。藤原千花を除けば。
「早坂さんってふだんは休み時間どうしてるの?」
「クラスの子とお喋りしてることが多いですね」
2時間目と3時間目の間にある20分休み。この時間は適当にぶらついたり、図書室に行くことがほとんどなのだが、その日はお隣さんになった早坂との交流を選んだ。
どちらも席に座ったまま、体の向きだけ変えて向かい合う。なんだかお見合いしてるみたいだねと担任に言われた気がする。早坂と口を揃えてそれを否定したのに、もう仲良しだねって返された。会話が成立していないと思いつつ、仲良しになったのかと2人で顔を見合わせて首を傾げた。
昼休みもそうやって時間を費やし、5時間目の授業が終わればその日の授業も終わり。1年生のうちから5時間目の授業があるのは、政府の方針変更のせいだろう。押し付け授業は身にならないのに。
「ねぇねぇ早坂さん。ちょっといい?」
「なんですか?」
早坂愛は四宮かぐやのお付きの侍従。それを隠すために登校する時の車は別々だが、下校する時はタイミングを見計らって2人で同じ車に乗っている。リスクを抑えるためにも、2人は放課後にそれなりに時間を持て余す。だから、放課後に早坂に声をかけても特に問題はなかった。
他の生徒が帰っていく中、俺は早坂に聞きたいことがあった。まだ初日だけど、近くで見ていて気になったことだから。それは他の生徒に聞かれてもいい内容とは思えず、早坂に後をついてきてもらって人気のないへと場所へと移る。
「ここならいいかな」
「人に聞かれたらはずかしいことでも言うんですか?」
「あはは、言わないよ。聞きたいことがあるだけだから」
「聞きたいこと?」
「うん。早坂さんさ、
「え……? 泣いてませんが?」
「今はね。でも、泣いた人の目をしてる。学校来る前に何かあった?」
驚いたことで剥れかけた仮面を、早坂はなんともないようにすぐに直す。一瞬の出来事で、見間違いだったと思わせるぐらいに。
「何もありませんよ。泣いてませんし。光上さんのもうそうでは?」
「そうかなぁ? 聞いても教えてくれないのは、四宮家だから?」
「っ!」
「ごめんね。親がりじちょーしてるから、少しは知ってるんだ」
「少し……ですか」
その少しがいったいどこまでなのか。それは確認しておいた方がいい案件だ。しかし、それを聞いてしまえば、隠し事の大きさがバレかねない。早坂はリスク回避の方を優先するから、探ろうとはしなかった。わずか7歳にして、その判断もできるように教育されている。
「隠したい事があるんだね。じゃあそれは聞かない方がいいかー」
この時既に、隠し事や嘘に気づけるようになっていた。その度合いは相手との相性によってまちまちだが、早坂とは相性がよかったようだ。彼女からすれば嬉しくないことではあるだろう。
早坂がこの時から背負っているもの。何かあることだけは分かり、しかし彼女が望まないのならと踏み込まずにそれを黙ることを約束する。あっさりと引いたことに、きょとんとされたのも覚えている。
「知られたくないことなんでしょ?」
「そうですけど……。でも、なんでですか?」
「さびしそうだから」
「え?」
「早坂さん。ずっとさびしそうだから。早坂さんとは友だちになりたいなって」
「……むりですよ」
呆れてため息をつきながら肩をすくめる。それは今も何度か目にする仕草で、きっと彼女の素が出ている時なんだろう。この時はそこまで知るはずもなく、彼女のその様子に少しムッとした。
「なんでむりなのさ」
「私は四宮家の人間で、あなたは光上家の人間だからです」
「かんけーある?」
「大ありです。ありよりのありです」
「それたぶん使い方ちがう」
「……わすれてください」
「いいよ」
カモフラージュのための一般人への擬態。そのために早坂は一般人レベルのことを貪欲に収集し、取り入れようとしていた。この時はまだ認識のズレもあって、極々たまにこうして間違えることもあった。
「四宮家とあなたのお家はあまりなかよくないです」
「そんな話も聞いたような……?」
「なかよくないので、私たちもなかよくはできないんです」
「そっか。じゃあそれを気にしなくてもよくなったらさ。友だちになろうよ」
「……なんでそんなに友だちになりたがるんですか」
「? 友だちになりたいと思ったからだよ」
答えになっていないようで、それでもこれ以外の答えなんて持ち合わせていない。早坂と友だちになりたいと思った。そう思った相手は早坂が初めてで、初めての友達作りを成功させたかったんだろう。早坂にそれが伝わることもなく、何か裏でもあるのではと怪しく思われた。
「友だちになったとして、何をするんですか」
「え、いっしょに遊ぶ」
「……他には?」
「困った時に助ける。旅行とかも行けたらいいね」
「なんで旅行なんですか」
「友だちってそういうことしないの?」
「するのは高校生とか大学生とか、大きくなってからでは?」
「じゃあ大きくなったらやろう!」
仮という前提で話をしていたはずなのに、友だちになったという感覚で話していた。早坂はまた呆れていて、それでも少しおかしそうにくすりと笑ってもいた。
「やっぱりかわいい!」
「は?」
「早坂さん、今みたいに笑ってるほうがかわいいよ!」
「そんなに言わないでください! むやみに言うことじゃないって言いましたよね!」
「うん。だから、
「なっ!?」
さも当然のように、あっけらかんと言ったら早坂は面食らっていた。精神年齢が高いから、他の同級生とは違う感覚で受け取っていたのかもしれない。その事は本人にしかわからないし、覚えているかも怪しい。
「もうっ! とにかく、私と光上さんは友だちになれません!」
「その壁がなくなったらなれるよね?」
「……なくなるとも思えませんが、そうなるんじゃないですかね」
相手をするのも疲れたのか。早坂は投げやりにそう言っていて、それでもそれが嬉しかった。なんとなく、直感的に友達になりたいと思った相手。叶うかも怪しいレベルではあるが、その人と友だちになれそうだったから。
「約束だよ。お家を気にしなくてもよくなったら、友だちになろうね」
「はぁ。覚えていたらそうしますか」
そうなることはない。確信じみたものが早坂にはあったんだろう。話が終わったら早坂と別れて帰宅し、その頃はまだ存命だった祖父に学校であったことを話した。祖母は自由人で、定期的に送られてくるはがきで生存確認していた。送られてくるたびに違う国のはがきが来るのも、1つの楽しみではあった。
「そんでね、その子と友だちになろうねって約束したんだー」
「それ約束になっとるか? まぁ儂には関係ないが、四宮家の人間か~」
「なれないものなの?」
「難しいじゃろうな。お前の父は四宮家を毛嫌いしとるから」
「うーん。でもあの子とは友だちになりたいし、放っておけない感じしたから」
「それはまたどうして」
「あの子泣いてたし、いつもさみしそうだから」
「ほう」
祖父はそれを聞いてしばらく目を瞑り、寝かけたところを抓って起こした。話の途中で寝ないでほしくて、祖父は朗らかに笑いながら謝っていた。軽い調子で、でも怒るほどのことでもなく、何やら溜めていたことを聞いた。
「覚えておけ晶。女の涙は裏切るな。そして、女の嘘を許すのが男の役目じゃ」
「うそを? なんで?」
「嘘には2種類ある。相手をハメる嘘か。相手を想う嘘か」
「でも女の人みんなが相手を想ううそをつくかはわかんないよ?」
「晶が友達になりたい子は? お前の目にはどう映る? 優しい子か? それとも酷い子か?」
「早坂さんはやさしい人だと思うなー。……そっか、そういうことか」
「わかればよし!」
祖父は親代わりのように接してくれた。どちらかと言えば、年の離れた友人のような距離感ではあったものの、時折教え込んでくれることもあった。忘れてしまったこともいくつかあるけれど、この時に教わったことは覚えている。これは特に覚えようと意識していたから。
それもあったからかな。ハーサカとして振る舞う早坂と出会った時も、何も詮索せずにハーサカとしてこちらも接した。何年も同じクラスだったのに、初めましてと挨拶を交わして。
その日は四宮家主催のパーティーだった。学園の理事という立場で光上家も招待された。中立という名の敵。敵だらけの会場だったものの、両親は嬉々として参加。その場に同行させられて、ハーサカに会ったんだ。俺は大人たちの事情には絡む必要もなく、かぐやは来場者たちの挨拶に付き合わされていた。実質同年代が俺とハーサカの2人だけ。
「メイドって大変じゃない?」
「そうでもないですよ」
「今は他に誰も聞いてないし、気楽に行こうよ。別に言いふらさないし」
「うーん、それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな。えっと、メイドの仕事はね、結構大変だよ。埃の一つでもあったら即クビになるし。会場のセッティングとかも細かくて細かくて」
「体裁は格の表れってね」
自己顕示欲……はないだろうけども、プライドを示してはいるんだろう。その辺りがわりとフリーな光上家とは明らかに毛色が違う。
「お付きのメイドしてるんだけど、主人は淡々としてるし、風邪引いたら部屋を散らかすし、そのくせしてその事を覚えてないし」
「本当に大変だね。じゃあ今夜はそれを忘れたら?」
「そんなの無理だよ。パーティー中も、終わった後も仕事あるし」
「パーティー中は、忙しくはないでしょ? こっちこっち」
ハーサカの手を引き、会場の外に移動。他の使用人も会場の中にいるから、廊下は誰もいない。警備員は建物の周りを囲っているだけ。会場の音は軽くだが漏れ聞こえていて、それを確認して頷くとハーサカに頬を突かれた。
「説明してよもう。怒られるの私なのに」
「怒られないようには手を打つというか、怒られるのは俺だから安心して」
「どこに安心する要素あるのそれ!」
「ははは。それより、今はただのハーサカさんだよ」
「何する気なの?」
「今夜を楽しむだけ」
彼女と向き直り、手を差し伸べる。
「君の知らない世界を見せてあげる」
まるでナンパのような言い方だった。他に言い方はなかったのかと後から思ったりもした。それでも、その時彼女は目を丸くし、自然と笑みをこぼしながら手を重ねてくれた。
「いいよ。私をそこに連れて行ってみて」
会場から聞こえてくる微かな音楽をBGMに、彼女の柔らかな手を取りながら出かける。彼女は勝手知ったる建物内。けれど、だからこそ部外者視点での発見もあるんだ。そうやって、彼女に違った視点の世界を見せることにした。
そしてその時に疑問が生まれた。
目を覚ます。ホテルじゃない場所に移されたのはすぐに理解した。ここと似た雰囲気は知っている。白を基調とした内装。近くの病院にでも移されたんだろう。元々体は弱いから、疑われる心配もないわけだ。
点滴はされていて、残りの量を見てもあと3分の1はある。なんで点滴されてるのかは知らないが、ひとまず現時刻を確認することが優先だ。
【13時】
まだ昼かと思いかけ、時間が遡ったのかと錯覚。そんなわけがないとすぐに否定して急いで日付を確認。しっかりと日付は変わっていた。相当に強力な薬で眠らされていたらしい。
「やってくれたな本当に」
ひょっとしたら、この点滴自体にも細工されているのかもしれない。だとしたら、今起きれただけでもありがたい。
点滴の針を抜き、部屋の中を捜索。幸いにも靴と服があった。手早く着替えを済ませ、病院から抜け出そうとしたところで病室のドアが開かれた。
「あの娘にまんまと嵌められた男の寝顔でも見ようかと思ったが、存外詰めが甘いようだな」
「……2人で会うのは初めてだが」
その顔を見た瞬間に感情が冷めていく。年上だろうと関係ない。冷えきった視線をぶつけ、蔑む目を睨み返す。今はとことん気分が悪いのだ。
「お前に構ってる暇はねぇんだよ。
次回から19巻のネタバレがしっかり含まれます。お気をつけ下され。
修学旅行編について
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漫画出るまで修学旅行編待機
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18巻の内容までならOK
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ネタバレ気にしないから更新続行