もしも、オリオンがクソ真面目な堅物だったら   作:萃夢想天

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 神の息吹満ちる海洋に降り立つ星々よ。
 
 どうか、どうか。

 その命を擲ち放つ輝きで、星見の旅路を照らしたまえ。



狩人の伝説 ~三ツ星が灯す未来の物語~
第五異聞帯・アトランティス編 #0


 

生まれ落ちた生命が繁栄すべく、他を蹴落とし合う競争に明け暮れたように。

 

人類の積み上げてきた歴史にもまた、勝敗がある。

 

”現在”とは正しい選択、正しき繁栄による勝者が歩んだ歴史を指す。

 

この事実を、現霊長に君臨した者らは【汎人類史】と呼んだ。

 

一方で、過った選択、過った繁栄による敗者が辿った歴史も存在する。

 

”不要なもの”として運用を中断され、並行世界論にすら切り捨てられた時間。

 

”行き止まりの人類史”――これを異聞帯(ロストベルト)と呼ぶ。

 

人の行く末を嘆いた『憐憫』の獣…人理補完式ゲーティアによる人理焼却の末路。

 

それは、多くの未来に打ち克つ物語――

 

――人理再編の旅路を、彼ら(カルデア)は歩み続ける。

 

 

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 其処は、正しく運行されている歴史に於いて大西洋と呼称される海域。遮るものの無い青が一面に広がる、水の惑星たる地球に相応しい環境。しかし、汎人類史が白紙化現象に晒された現在、その場所には嵐の壁が現れている。内側に広がっているのは、既に”未来無し”と打ち切られてしまった異なる歴史の歩んだ世界。

 

 複数出現した嵐の壁の数にちなみ、『第五異聞帯』と銘打たれたその世界の中に、彼らは立っていた。

 

「進めぇ!」

 

 大海原に白波を立てて進み往くは、古めかしさと荘厳さが両立する木製の大帆船。その名を後世へ知ら占めたる通り、数多の英雄豪傑を乗せて運ぶ雄姿はまさしく、英雄船団(アルゴノーツ)である。

 

「【魔術師(キャスター)】部隊は風を起こして加速を維持し続けるんだ。魔力は温存させつつでいい。本番はこれからなんだからな!」

「はい、イアソン様。皆さん、イアソン様のご命令通りにしてくださいね」

「承りました」

「ムカつくなァ…アイツはヘラクレスの後ろで威張ってるだけじゃんか」

「なんだ、魔術師のくせして頭が足りないのか? ヘラクレスに命令を出すに足るリーダーシップを、このいかにもな寄せ集め英霊連合団の中で発揮できるのなんて、俺ぐらいなもんだろうが! 威張るだけの理由も価値も、俺にはあるんだよ!」

 

 一騎当千の英霊達を睥睨し、的確に指示を飛ばす彼こそが船団の長。筋骨隆々の大男に凭れ掛かりながら、ガッハッハと品性の欠片も無い大笑いを飛ばす姿に、唾を吐く者もいれば笑みを向ける者もいる。だが決して、船長の座を力ずくで奪おうなどと考える者は誰一人いない。彼の背後に立つ巌の如き巨漢を恐れ敬う気もあるが、それと同じぐらい彼の発言に納得を示しているからだった。

 

 英霊とは、その誰もが大小の差はあろうと我を貫いて後世へ語り継がれた者ばかり。そんな個性の塊である彼らの意思を統一し、団結させ得る統率力を持つ存在など、決して多くはない。彼――英霊イアソンはその類稀なる才能を有する者である。

 

「ぼさっとするな【弓兵(アーチャー)】ども! 周囲を警戒しつつ、敵からの攻撃があらば即座に反撃せよ! 弓でも石ころでも何でもいい!」

「無茶を言い為さる船長さんだこって。大体、俺らのショボい矢なんか届かんでしょ。それなら宝具で船持ってるお歴々にでも哨戒させた方が、反撃って点では有効じゃないですかい?」

「ふん。神代から遠い世に生まれた者は、その程度の腕しか持たぬからな。とは言え、この者の言葉に理がないでもない。そこはどうなのだ、ボンクラ(イアソン)

「おいアタランテ。お前いま俺の呼び方に含みを持たせなかったか? ったく…いいか? 現在展開させているもの以外の船は、全て離脱用の足なんだよ。俺達はこれからあの大渦へ向かうが、その先で撤退を余儀無くされるかもしれない。そうなった場合の保険として、この船以外にも生き残った英霊を乗せる船が欲しいだろうが」

「なるほど。ごもっともで」

 

 フードを被った若い弓兵と、イアソンと縁深い獣耳の少女の言葉に、傲岸不遜な態度を崩さないまま丁寧に説明をする。話を聞いた両者は納得し、不承不承と言った体で付近の海面に敵勢力が現れないか警戒し始めた。

 その後も適宜、英霊のクラスやそれぞれのスキルと宝具が持つ長所を活かす号令を発するイアソン。その彼を、爛々と輝く瞳が見上げていた。

 

「ふぉぉ…! こ、これが、これがかのアルゴノーツ…! ワシは、ワシは今、神話の中にいるのだ! 見ろサンチョ、彼が名高きヘラクレス殿だぞ! すごいなぁ…デッカイなぁ…!」

「旦那様。あまり興奮されますと、高血圧がたたってぽっくり退去してしまいますよ」

「なぁにをバカなことを。ワシは人理が大敵、ギリシアの巨神を討つ英霊の末席にして遍歴騎士! ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャだぞ! それが高血圧で戦う前に退去とかお前さん、そんなことあるわけ……ないよね?」

「あったら困るから申し上げているんです。子どもじゃないんですから、英雄譚を前に気ぶるのはお止めください。貴方様も、彼らに並び立つだけの立派な英霊なのですから」

「おぉ、流石は我が従者サンチョ! そうとも、そうであるとも! ワシは無双の大英雄ヘラクレスと肩を並べる大騎士であーる!」

「そこまでは言っておりませんよー」

 

 夫婦漫才の様な掛け合いで会話しているのは、一つの霊基を二人で共有しているという珍しいタイプのサーヴァント。

 片や煌びやかな黄金の甲冑をまとい、身の丈を優に超す長大な長槍を掲げる小柄な老騎士。片や侍女の風体をしながらも頭頂部にロバの耳を生やした、見目麗しい少女。

 なんとも凸凹で、しかしこれ以上ない程に噛み合った組み合わせの二人は、同じく船に乗り合わせた他の英霊に声を掛けられた。

 

「いやいや、それがそーとも言えねぇでしょうよ。なんてったって貴方さんは、世界の誰もがその名を知る騎士様なんですから」

「世界中に名を轟かせたる物語の騎士、か。武勇ではなく万民に親しまれるとは、まさしく英雄の本懐を垣間見たと言えるな」

「なんだじぃさん、アンタそんなにすげぇ英霊だったのか。サインくれよサイン。あ、俺の真名はな――」

「お待ちください。彼は王にこそ仕えずともその来歴は騎士なのです。であれば、同じ騎士である私から友誼を交わすのが道理」

「うるせぇぞ円卓フォロワー! せいぜい辺境の領地護った程度の逸話しかねぇ、ナンチャッテ騎士団長がしゃしゃり出るなや!」

「言ったなチンピラバーサーカー! お前だって地元の超マイナー英霊過ぎて、知名度補正ほぼ無いじゃないか!」

 

 あっという間に喧々囂々。我の強い英霊なんてのは、本来集えば真っ先にこうなるのが常。それを迅速かつ適切にまとめ上げていたイアソンの手腕と弁舌の、如何に巧みなことか。少なくとも自分よりも「功績」という側面では遥かに優秀な彼らの諍いを、単なる自称遍歴騎士でしかないドン・キホーテには止められない。あわあわと彼らの足元で慌てふためき、事態の収拾がつくのを見上げるしか叶わなかった。

 

■■■■■■■……!!

 

 しかし、例えどれほどの誉れを誇ろうと、この船に乗り込んだ英霊で彼の伝説に勝る者など存在しない。いやさ人類史を最古から最新まで遡ろうと、今まさに腕を組んで仁王立つ黒鉄の大男…大英雄ヘラクレスの名を薄れさせる程の英雄はいないのではないか。その事実をよく分かっているからこそ、赫赤の双眸に睨みつけられてしまえば、一言の文句も出てこない。互いを罵り合っていたはずの英霊達も一瞬で身を翻し、肩を組んでそれぞれの地元の凱歌を唄い出す始末。

 情けなくも当然の光景に、集った者らはゲラゲラと笑みを零す。どんな逆境にも立ち向かう汎人類史の英雄の屈強さを、ドン・キホーテは理解できた気がしていた。

 

「しっかし、ドン・キホーテねぇ。俺……私の時代には騎士道という理念は無かったが、武勇の為に邁進する意思は評価できる。何よりお前の逸話は縁起がいいしな」

「こっ、これはイアソン船長殿! 有り難きお言葉! しかし、吾輩の逸話の何処に縁起の良さがあったとお思いで?」

 

 ヘラクレスの傍から見下ろしつつ投げかけられた言葉に、恐縮さと誇らしさを感じて身悶えながらも尋ねる老騎士。英雄船団の長は自分を敬う態度に気を良くしつつ、詩を諳んじるように語り出す。

 

「決まっているじゃないか。風車を巨人に見立てた一騎打ちの逸話だよ」

「あ、アレはその……あまり蒸し返してもらいたくない話といいますか」

「まぁ当人の望まぬ形での逸話の継承なんてのは、英霊としてはよくある話だし深くは言わん。だが、話の肝はそこじゃない。宝具やスキルは逸話を昇華したものがベースになるのなら、お前の宝具或いはスキルには『自分より巨大なものに立ち向かっても生きて帰る』ことが刻まれている。もしくはその可能性があるはずだ。これから我らはオリュンポスの神々に戦いを挑むのだぞ? 自分より強い相手と戦って生存できる可能性があるってだけで、優秀な駒に違いはあるまい」

「おぉ…。おぉ…!」

 

 人を小馬鹿にしたような鼻持ちならない声色で、けれど的確に相手の長所を見抜いて活用する戦術眼で、見抜かれる。その瞳には確かに己の姿が映されていると、小柄な老騎士は小さく涙した。

 正直に言えば、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャという騎士は架空――空想の中に根付く偽りの姿であり、本来の彼はアロンソ・キハーノという農夫でしかない。騎士たる自分に確固たる自尊心を持ちながらも、その心の奥底ではどこまでも凡人であるアロンソが俯瞰的に状況を捉えていた。自分は彼らの様な輝ける英雄ではないのだと。ただ夢を見続けただけの老骨なのだと。

 

「故に、ドン・キホーテよ。世界に最も名を轟かせた騎士よ。私はお前を見事に使ってみせよう。かつては風車に阻まれたその槍を、巨人すら見下ろす神の臓腑へ突き立てさせてやろうじゃないか。なに、一番槍は得意中の得意だろう? せいぜいヘラクレスの露払いとして懸命に働くがいい!」

 

 だが、此処では違う。中世(かつて)に叶わなかった夢想が、神代(ここ)では空想に敵うのだ。多くの英霊を見知り、数多の英雄を束ねたアルゴノーツの船長が、自分を必要としてくれた。ドン・キホーテにとって、戦う理由はそれで充分だった。

 

「……お任せ下されぇい! このドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ、必ずや巨神を穿ち、我らの後に現れるだろう人理の希望を繋ぎ止める道標となりましょうぞ!」

「その意気だ、勇壮なる騎士よ。さぁ、お前らもいいか! これより我らは、神話の世界へ踏み入り、神々の支配から人類史を奪還する! アルゴノーツの名を貶めるような真似だけは許さんぞ!」

「「「おおぉッ!!!」」」

 

 彼の存在自体は軽んじられることこそ多いけれど、放たれる言葉には英雄の心胆を熱く滾らせる熱を宿す。老騎士を褒めそやすだけだった言葉はいつしか、人理の為にと集った星々を奮い立たせる号令へと形を変えていた。幾多の英傑を、そして古今無双の大英雄をすら従える船長の一声に、誰も彼もが握り拳を突き上げる。

 我ら海原往く英雄船団。恐れるもの等有りはしない。いざ往かん、希望の箱舟となりて。

 

 意気揚々と突き進むアルゴノーツと汎人類史の英霊達。しかしその旅路に今、暗雲が立ち込める。

 

「………なに?」

「どうした、メディア?」

「…いえ。きっと気のせいだと思います」

「――いや、気のせいじゃない! 上だ!」

 

 いち早く異変に気付いたのは、イアソンの傍らに侍っていた魔術師の少女、メディア・リリィだった。

 海とは濃度の違う蒼い空を見上げて、表情を陰らせた少女は首を振る。そんなはずないと可能性を排除しようとしていた。今の今まで何もなかった空の果てに、突然超々級の魔力反応が現れるなんて恐ろしい事実は有り得ないと。だが、彼女より数瞬遅れて他の魔術師クラスの英霊も同じように反応を示し、全てが現実なのだと悟る。

 その、ほんの僅かな現実逃避が、彼らの命運を決定づけた。

 

『――汝、星を穿つ黄金(シューティングスター・オルテュギュアー)

 

 それは英霊にとっての真名解放された宝具と同義であり、しかし実態はこの異聞帯に健在しているオリュンポス十二機神が一柱、対地攻撃用宇宙攻撃機アルテミスの放つ砲撃であった。人の歴史や神話が紡いだ英霊の視座(スケール)では計測もままならない圧倒的魔力量を照射する、まさに神の裁きに相応しい一撃がアルゴノーツの頭上に迫る。

 魔術においては、人類史の中でも最上位に並ぶ才能を誇るメディア・リリィですら計り知れない魔力の波濤に、抵抗よりも先に意思が挫かれていく。どう立ち向かえばいいのか、何をすればあの攻撃から生還できるか。自身の頭脳と魔術の研鑽を走馬灯のように駆け巡っても答えが出ず、半ば思考を放棄しかけていた。そして、それは彼女だけでなく、周囲の英霊達も同様だった。皆が皆、遥か天空の彼方に光る脅威の星に怯え竦み、口を開けて目を開く無様を晒す。

 

■■■■■■■――!!!

「な、にを…!? おい、止せ! ヘラクレス!」

 

 ただ一人、狂気に堕ちてなお無双を誇る最強の英雄だけは勇猛に、落ちてくる”死”に抗おうと吠えた。

 巌の身体が弾む様に船から飛び上がり、音すら置き去りに飛来する光の矢へ真っ向から相対する。無二の友であり己の誇りでもある大英雄の吶喊を、イアソンは留めようと叫ぶが遅かった。手を伸ばすよりも早く、落下する彗星の如き矢とヘラクレスが衝突し、大爆発を起こす。

 

「くそっ…バカが! 逆なんだよ! お前は何があっても()()()()()()()()()()()()だろうが! お前さえ居れば、神々なんざ敵じゃない! お前だけでも辿り着けば俺達の勝利なんだよ! なのに、なんで庇った…!」

 

 眩い閃光から数秒遅れて轟く爆発音。雷にも似た振動はたちまち、波とは異なる振動となって船と英雄達を激しく揺さぶる。尋常ならざる動きで傾く船は、さながら集いし英雄達の動揺を表すようだった。

 それでも、彼らは…特にイアソンはまだ、希望を捨てていない。何故ならアレはヘラクレスなのだから。一人の英雄が生涯を賭しても果たせるか分からない難行を、幾度も踏破してみせた最強の人類。それが我らの大英雄。不死身に等しい強さと頑強さを併せ持つギリシャ最強の男、ヘラクレス。

 生前の逸話が昇華された宝具『十二の試練(ゴッド・ハンド)』により、十二回分の命のストックを保有する怪物染みた狂戦士。負ける理由を探す方が難しいのだ。そんな彼が負けるなど考えられない。いや、考えたくなかったが正しい。

 

 ヒュゥゥゥゥ――ズドォン!!

 

「………あ、ぇ?」

 

 火を見るよりも明らかな事実を前にしても、誰もがそう思っていた。そう願っていた。ヘラクレスだったら大丈夫だと。例えどんな逆境にも負けず、悉くを凌駕して粉砕せしめる。まさに勝利を約束する者なのだ。

 そんな彼らの淡い希望を、非情な現実が打ち砕く。

 

「ヘラクレス殿…?」

 

 何が起きているのかさっぱり分からず、ただ蹲って震えていたドン・キホーテの真横へ、巨大な物体が落下してきた。否、物体ではあるが、正しくない。震えあがる老騎士の目に飛び込んできたのは、全身が炭化して四肢や頭部の大半が欠損した英雄だったモノ――つい数分前まで最強だと疑わなかったヘラクレスの姿に、声も出ない。

 網膜に焼き付いた光景が信じられず、誰もが呆然と静まり返る。それも当然だろう。神すらも捻じ伏せる勇猛なる英雄が、抵抗すら許されずに殺された。誰もが「自分の出る幕じゃない」と声すらも挙げることなく、傍観者に徹する。当事者になりたくないと、深層心理が働いたのかもしれない。だって、当事者になった者の末路を、今まさに目にしているのだから。

 

「…………■■■

 

 それでも、甦る。人理に伝説を刻んだが為に、その現身として召喚された境界記録帯(ゴーストライナー)は、魔力の許す限り再現されてしまう。禍々しい赫の雷光が迸ると同時に、ボロ炭となって失ったはずの肉体が巻き戻る様に再生していく。黒々と燃え尽きた細胞組織が驚異の速度で復元され、あっという間に巌の巨躯へ立ち上がる事を許す。

 これこそがヘラクレス。前人未到の最高峰。およそ人類最強の名を与えられて然るべき存在。何が異聞帯、何が汎人類史より栄えた歴史、何がオリュンポスの神々。目の前で死すら超越してみせた我らの最たる英雄の向ける背よりも、説得力のあるもの等、この場に在りはしなかった。

 

「……っ!? そんな、また!?」

 

 メディア・リリィが大英雄の復活に安堵の息を溢す暇すらないまま、遥かな宙に先程と同量の魔力が集束していく様子を感知する。同時に、冷や汗が頬を伝う。ついさっき目撃した超特大の魔力放出すら、魔術王と呼ばれる超一級のサーヴァントでなければ御し得ないレベルの総魔力量の一撃だったのに。それを三十秒と経たず再充填など、悪い冗談だとしても度が過ぎている。内心で悪態を吐かなければ直視できない理不尽を前に歯噛みする彼女は、普段は決して聞くことのできない愛する男の切羽詰まった命令を耳にした。

 

「――防御の魔術を奴へかけろ! ありったけだ、急げ!」

 

 振り返ろうとして……それを踏み止まり、彼の号令通りの行動を実行する。絶望に打ちひしがれる寸前だからこそ、愛する彼の全てを目に焼き付けておきたいのだが、それをしている暇があれば彼の命令に従う。それこそが、結果的に彼を含めた我々全員の利になるのだと、長い旅を共にした彼女は知っていた。

 

「……其は、魂の設計図。我が命脈を以って、復元・回帰・遡行を命ず――『修補すべき全ての疵(ペイン・ブレイカー)』!」

「どれだけ小さな加護でも良い! とにかくヘラクレスを生かせ! その為に死ぬ気で魔力を振り絞れ!」

「くそっ! 頼むヘラクレス……アンタじゃなきゃ、あんなのに勝てっこねぇよ! 『防御術式・五連』!」

「お願いだから何とかしてよ! 私の魔力ぐらい根こそぎ持ってっていいから! 『多重加護付与』!」

「ほっほ。どれ、儂も一つ……銅に水針、呉蜀の山海。陰陽房中、黄老へ戻りたらん。そら、飛び往けよ『縮地法(しゅくちのほう)』、と」

 

 魔術師のクラスを獲得して現界したサーヴァントは、死力を尽くして大英雄を強化保護していく。力を、命を、魔力を底上げされていくヘラクレスを見上げるが、その瞳のどれもが恐怖に染まっていた。これほどまでに能力を向上させても、神に挑めば先の焼き直しになるではないのか。そんな考えが脳裏に過る。最強すら届かない絶対の死を前に、希望を抱き続けることはひどく難しい。

 それでもと、彼らは持てる全てをヘラクレスへ注いだ。そして再び、空気が悲鳴を上げるような魔力の矢が、海原に浮かぶ小さな灯を目掛け、放たれる。

 

『――汝、星を穿つ黄金(シューティングスター・オルテュギュアー)

 

 膨大な熱量が、どこまでも平淡に、冷徹に、彼らを射抜かんと迫る。それは攻撃ではあるが、殺意は無い。汎人類史を取り戻すべく異聞帯を滅ぼそうという英霊達への憎悪等、欠片ほども含まれていなかった。一方的で事務的な、「不純物の処理」程度の認識でしかない女神の一矢は、機械的に地表の敵を殲滅する。加えて高度な演算機能を搭載している彼女は、三発目の装填が不要であることも既に確定させていた。

 

「ヘラクレ――」

「イアソンさ――」

 

 悲鳴すら上げる間もなく、冷たく暗い宙より降り注ぐ裁きの矢は、標的を過たず貫く。

 何一つ変わらない。神の決定は絶対故に、滅ぼすと定められた以上はどうあれ滅ぶのみ。この結末は、決まっていた。

 

「………ぁ、あぁ」

 

 ヘラクレス、消滅。

 英霊が霊核を破壊された際、霊体を構成していた霊子が拡散する事で生じる黄金色の光の粒すら、見送ることを許さず。アルゴノーツはヘラクレスを失った。神の攻撃で、最強の英雄を殺された。それも、神の怒りを買ったが故の裁きでもない、ただのシステムによるもので。

 あまりにあっさりと最高戦力を失った英雄船団は、船が沈められたことよりもヘラクレスを呆気なく殺された事実に、心を折られた。

 

 そこから先は、壊走だった。敗走ではない。死に物狂いの、壊走。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった彼らは、異聞帯内に点在する島の拠点へ潜み、アトランティス防衛軍に一人、また一人と狩られる末路を辿っていく。

 絶望が心だけでなく霊核まで染み込んだ者の中には、バーサーカーでもないのに狂を発し特攻する者や、「勝てるわけがない」と自害する者も少なくなかった。だがそれらの行動はある種、英雄だから取れた選択であった。逆に言えば、そもそも英雄として成り立っていない者には、絶対に取る事の出来ない手段でもあった。

 

「無理じゃあ…! ワシには、無理じゃぁ…!」

「旦那様…」

 

 夢想の冒険譚を喜劇として人理に刻まれた老騎士は今、空想の世界の中でただ一人現実に屈し、震えていた。神に刃を向ける愚行の先に待つ結果を見て、恐怖と後悔に支配される。彼の名は、アロンソ・キハーノ。英雄を夢見る男の目は英雄すら勝てぬ事実に打ちのめされ、溢れ出る涙で視界を歪ませていた。

 

「分かっていた…! ワシは英雄になどなれないと、分かっていたつもりじゃった…」

「いいえ、旦那様は間違いなく英雄です。こうして召喚されたことが、何よりの証明ではありませんか」

「ドゥルシネーア姫……いや、今の其方は我が従者サンチョにして愛馬ロシナンテでもある。ならば、今のワシが何者か、よく分かるはずだ。いや、分かってほしい」

「旦那様…」

 

 絶望で血色の悪くなった老人を懸命に励まそうと、薄桃色の髪を靡かせる美女が傍らで声を掛け続ける。それでも効果は見られない。なにせ既に騎士の心は完全にへし折られ、現実として存在した農夫アロンソの精神性に戻ってしまっているのだから。

 

「知らなければ良かった……空想の方が、現実よりも恐ろしい世界だったなんて」

「……」

 

 誰もが知る英雄がいた。僅かに知られるだけの英雄がいた。ただ知られているだけの自分も、そこにいた。自分にはない輝きを放つ英雄豪傑が、ゴミの様に殺された。英雄的な最期を迎えたのではない。あれは処理だ。事務的で、義務的で、機械的な。単なる作業として英雄を殺す空想の世界を、彼らは目の当たりにした。

 アロンソと同じように苦悩し、恐怖し、絶望しきった者は少なくない。それでも英雄の矜持を見せようと無意味な特攻をかけ、散った者もいた。あんな惨めに死ぬくらいならと、自ら霊核を砕いて退去した者もいた。しかし、アロンソには出来なかった。

 

「無理じゃ、無理じゃよ…!」

 

 だって――死ぬのは、怖い。

 

「だんな、さま…っ!」

 

 言葉にせずとも読み取れてしまう。従者サンチョとして彼に仕え、愛馬ロシナンテとして彼と歩み、美姫ドゥルシネーアとして彼を支えた。そんな複数の役割を統合して生まれた存在である彼女には、アロンソがもう立ち上がれないことが分かってしまった。

 

「……でしたら、逃げましょう」

「は…? いま、なんと…?」

「逃げてしまえばいいのです。貴方様は人の世界で生涯を全うした御方であって、神々と生死を掛けて争うような神話の世界に生まれた勇者ではないのですから。逃げたところで、何の誹りを受けましょうか。迫り来る異聞帯の兵士に怯えて死を待つぐらいなら、いっそ…」

 

 彼女の言葉は、この異聞帯に集った英雄達を見殺しにして、後に続く汎人類史の希望となる者達を見捨てることを良しとするもの。到底認められるものではない。何故なら自分は、英霊ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャは、人理の為に遣わされたサーヴァント。今を生きる人々の未来を切り開く為に、文字通りの礎とならねばならない。

 だとしても、その役割を放棄してでも、生きたいと願うことの何が罪なのか。揺れる瞳で訴えかけてくる彼女の想いを、アロンソは受け取った。受け取ってしまった。

 

 それから次の朝日が異聞帯の空を照らす頃に、誰にも知られずひっそりと、老騎士とその従者のいた痕跡は、この世界から消え去っていた。

 

 

□□□□□□…Loading…□□□□□□

 

 

 夕陽が空を青から紅へ染め広げていく頃。第五異聞帯アトランティスのとある島で、生き残った汎人類史の英霊達が最後の抵抗を試みていた。

 剣劇の音が無人の緑地へ響くが、数秒後には血飛沫舞う水音と、肉体が力なく倒れるドサッという音しか残らない。今もまた、どうにか希望を繋ごうと足掻く英霊の一人が、霊核を砕かれ退去しかけている。

 

「――ここまで、か…。すまない、デオン…!」

 

 黄金の霊子が空気へ溶けるように消えていく。かつてはフランスにおいて、死の美徳と尊厳を守らんとした処刑人の英霊が、倒された。本来は戦う者はないはずの彼が剣を握る事を余儀なくされている時点で、既に追い詰められているのは明白。消えていった彼が背に庇っていたもう一人の英霊もまた、包囲を縮める敵に対し、一矢報いようと細剣(レイピア)のような薄刃を構える。

 

「サンソン! ……っ!」

 

 薄金色の髪を振り乱し、自らが武器とする美貌が血と埃で汚れることも厭わず、抗戦する竜騎兵。先に倒された処刑人と同郷の英霊であり、彼やそれ以前にも退去していった仲間から希望を受け継いだ者であった。

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 細身の女性らしい外見をしていても、人理に刻まれた英霊。その剣の一振りは容易に空気を裂き、敵を切り刻むことが叶う――はずだった。けれど、人の身からは並外れた膂力で振るわれた剣閃は、彼女の前に立ちはだかる敵の命には届かない。

 

「ぐっ…! (弾かれた!? 硬い…!)」

 

 フランスが誇る白百合の騎士――シュバリエ・デオンは歯噛みする。この異聞帯に現れる敵の戦力及び兵力は、英霊に比肩し得ると見做していた。加えて自分自身も戦闘行為に特化している訳ではない為、白兵戦では一段劣ることは否めないと正しく認識していた。それでも立ち向かえると考えていたことを、認識が甘かったと遅まきながらに理解する。

 彼女の眼前には、周囲を覆う逞しい肉体のアトランティス兵が複数と、()()のサーヴァント。片や全身を鎧のようなもので覆い尽くし、ケープかマントを纏う者。声からして男性のようだが確定ではない。そしてもう片方は、外見からして女性と判断できた。おまけにその四肢は枯れ枝の様に痩せ細り、肉弾戦が得意とはお世辞にも評価できない程度に隙だらけである。恐らくは【暗殺者(アサシン)】か【魔術師(キャスター)】だろうと判断し、狙いを切り替えて即座に切り札を切った。

 

「宝具――『百合の花散る剣の舞踏(フルール・ド・リス)』!」

 

 身体を捻り、右足の爪先を突き出す独特な構えから翻って剣を振り抜き、虚空を裂く。振るわれた剣の軌跡が淡く発光し、それらが白百合の花を模した幻惑の効果を発揮する。惚れ惚れするような美しい舞踏の如き連撃を、幻惑による無防備状態へ叩き込む事が出来れば、少なくともどちらか一騎は倒せるはず。

 果たして、デオンの宝具を用いた奇襲は、鎧の男によって阻まれる。

 

百合(クリノス)の花による幻惑と連撃、か……児戯だな」

「なっ!? 無傷…っ!」

 

 流れるような攻撃の悉くを打ち消され、宝具の発動直後の僅かな時間を狙い澄ました拳が、デオンの意識を千々に乱れさせた。人体の急所を的確に穿たれ、通常の肉体であれば骨折どころか内臓破裂にまで至る損傷を与えられてしまう。

 

「…終わりだ、汎人類史。お前達のねぐらは、一つ残らずこちらが潰した」

「………」

「――ハッ! 終わりじゃ、ないさ…」

 

 当たり前のことを告げるように平淡な口調で、男は報告する。汎人類史の生き残りが隠れ潜んでいた拠点は、全て壊滅させたと。後ろに控えた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、男の言葉に口を挟まず寡黙に佇む。嘘偽りなど無いと示すかのように。それでも、口端から垂れる赤黒い筋を拭いもせぬまま、デオンは決意に満ちた目を向ける。

 

「とっくの前に始まって、とうの昔に終わっている」

 

 今にも手折れそうな白百合を前に、鎧の男は事もなげに淡々と言葉を放つ。

 

「あぁ、連中のことか。あれはオリュンポスのアルターエゴが対処する。到着すればそれで終わりだと思ったか? お前達に未来は無い。これから先の道筋も無い」

「………」

 

 冷酷なまでに無感動な口調は、一切の躊躇いなく現実を突きつける。

 

「従えば生、逆らえば死。選べ、汎人類史」

 

 恭順か、叛逆か。これが単なる個人間の問題ではないことを、両者は正しく理解していた。男も騎士も、自らが生きた世界の命運を担っていることを、言われるまでもなく把握していた。だからこそ、デオンの返答も決まっていた。

 

「断るッ!」

「そうか。では死ね」

 

 そこには、互いへの理解もなく、どちらか一方の世界への同情の余地も無い。我らは相容れぬのだと判断してから攻撃に移るまでの差が、男の方が短かった。それが勝敗を分けた理由と言えるだろう。白百合の騎士は首を刎ねられ、大地に流れた血が渇くよりも早く、彼女の存在した痕跡が霊子の崩壊と共に霧散していった。

 

「……やはり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「………そのようですね」

「己を認めた世界を裏切るとは、どんな気分だ?」

「特に何も。元々、世界の価値には興味がありませんので」

 

 また一騎の英霊を倒した男がぽつりと溢した言葉に、白仮面の女は淡々と答える。そこに感情は感じられず、全くと言っていいほど興味や関心が向けられていないことは鎧の男でなくても察せられた。

 汎人類史の英霊が退去する様を確実に見届けた直後、彼らを包囲していた大柄の防衛兵が参じる。

 

「霊脈を発見しました」

「これが最後の霊脈だ。サーヴァントを召喚して霊脈を不活化させた後、完全に破壊する」

「……利用されないのですか?」

「利用される愚を犯さない為だ。一切の勝機を与えん。我々に時間を与えたことが、連中の敗因となる。触媒がこちらに存在しない以上、召喚されるのは偶然で引き寄せられる英霊だろうが…」

 

 大気に魔力が満ちる神代だからこそ、潤沢な魔力を用いて強力な英霊を幾度も召喚させてしまっている。どれほど堅牢で強固な防衛網を敷こうとも、敵が湧いてくる根本の要因を叩かねば真の解決とは至らない。それを熟知する知将でもある鎧の男は、引き連れている防衛兵に命令を下す。

 

「離れろ。バーサーカークラスが召喚されないとも限らん」

「はっ」

「お前も一応離れておけ。新たに召喚された英霊と手を組むようなら、すぐさま処断するが」

「ここまできて死ぬような愚行は致しませんわ」

 

 この世界の存在である防衛兵と、唯一異聞帯側へ寝返った汎人類史の英霊を下がらせた男は、右手を翳して大地に魔術の紋様を転写する。瞬く間に円陣の中心へ凝縮されていく魔力の波動が、青白い霊子となって光を迸らせていく。

 

「――我が偉大なる主神の名において告げる。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手。そして、その命をオリュンポスへ捧げよ。神の息吹くこの大地に!」

 

 汎人類史の魔術師が積み重ねてきた呪文とは異なる文言を口にして、鎧の男……異聞英雄オデュッセウスは英霊を召喚する。異聞帯の霊脈を使おうと、召喚に応じるのは汎人類史の英霊のみ。何故ならこの神の息吹き満ちる海洋世界に、人の英雄など産まれ得ないのだから。

 視界を白に塗り潰す閃光が、一瞬だけ夕暮れを押しやり、幽かな輝きが消えていく。そこに残ったものは…否。現れた者は、危機感なく周囲を見回す少女。

 

「ここ、は…? あ、あなたは、わたしのマスターですか?」

「ふむ…そうだ。その身、その心、その魂。全てを我らオリュンポスへ捧げろ。髪の毛一本、血の一滴…骸の一片に至るまでな」

 

 召喚されたばかりで、状況が呑み込めていないのだろう。ましてや正規の魔術師が召喚したのではなく、術式も詠唱も滅茶苦茶な状態なのに高濃度の魔力でゴリ押したのだから、細かな部分で支障をきたしているのかもしれない。だが、男にとってそんな事情はどうでも良い事だった。

 

「――お前の生に、意味を与えよう」

 

 






 ――カルデア。世界を亡ぼす悪魔ども。

 ――この世界は、お前達を容赦なく殺しにかかる。

 ――戦闘準備。
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