ヴェルディアスは静観を決めた。ヴェルディアス自身は多大なる期待をスライム――――リムル・テンペストに向けている。しかし、その他の面子からすれば魔王種を獲得しているだけの雑魚でしかない。彼の魔物とヴェルディアスの弟であるヴェルドラの関係性など分かる筈がないのだから当然だが。
しかし、そんな評価を受ける時期はとうに過ぎた。彼の魔物が本当の姿を晒すべき時が来た。ヴェルディアスはそう確信していた。ただの魔王種としてではなく、覚醒魔王として世界にその名を知らしめる時が来たのだと。
「……と、師匠は思っているのでしょうが。あなたから見てどうなのですか?あの魔物は、覚醒魔王として目覚める可能性があると思いますか?
『それを態々知りたいと思うとは、変わりましたね。
「知りたい、と思うのは必然でしょう。これでも元とはいえ勇者を名乗っていた身です。新たな魔王の誕生という一大事に何の感想も抱かないというのは無理に等しい。あなたは違うのですか?」
『違うも何も、私はそんな意志を持ちませんよ。私の総ては、国の、そしてヴェルディアス様のためにある。ならば、ヴェルディアス様が楽しまれていらっしゃる現状は歓迎すべきであり、それ以上の感情を抱く意味などない。そうは思いませんか?』
「……相変わらず、ですね。どれだけの年月を経ようとも、あなたたちの存在は師匠にとって悪影響にすぎる」
『あなたこそ、何時の時代でも答えを変えませんね。我々はヴェルディアス様の従者であり、手足でもある。頭に位置する方の幸せを願って何が悪い?その御方が望まれることをして何がいけないというのか、私には皆目見当つきませんね』
「……幸せだけ詰めこまれても、その人のためにはなりませんよ。不幸も幸福も表裏一体。どちらとも存在するからこそ、意味がある。それが分からない訳ではないでしょうに」
『くだらない事この上ないですね。表裏一体など、言葉の綾でしかない。不幸が起こる時は不幸が続くものですし、幸福だからこそ不幸をより強く感じることもある。上げ幅や下げ幅、そんなものに拘泥するなど馬鹿馬鹿しいにも程がありますよ』
禍福は糾える縄のごとし。そんな言葉はただの詭弁だと知っている。本当に世の中がそういう風に回っているのなら、この世に破滅する生命など存在する訳がない。多くの者の思惑によって構成されているこの世界において、そんな考え方がまかり通らない。それは情報収集を主な任務とする
「まぁ、それは良いです。それより、私の意見に対する返答をまだ聞いていませんが?」
『勝手ですね……構いませんが。それで、リムル殿が覚醒魔王として目覚める器かどうかという話ですか?答えは簡単です。――――多分にある。それが答えです』
「絶対ではないと?」
『この世に絶対はありませんよ。ヴェルディアス様を除いてね。あの方は確かに魔物です。しかも、最弱の呼び声高いスライム……ですが、その評価を覆して余りある謎と人間臭さがある』
「人間臭さ、ですか?」
『その考え方が魔物らしくないんですよ。力ある者を尊ぶ精神性ではなく、人間のような弱者に対する配慮を持っている。それは普通の魔物はあまり持たないものです。恐らく、彼は転生者とみて間違いないでしょう』
「転移者ならぬ転生者、ですか……そのような事があり得るのですか?」
『事実として、目の前にいるのですからそういう事なのでしょう。それに、この事実はそれほど重要ではありません。それよりも重要なのは、おそらくあの方の保有しているスキルは己の意志によって定められている可能性が高い、という点です』
「……どういう意味ですか?」
『
「それは……」
思わない訳がない。幸いにも、アリーシャは強くなる上でこれ以上はないだろう力を得た。ユリアは敬愛しているヴェルディアスから能力を与えられた。だが、彼女らのような例は非常に稀少と言って相違ない。通常は望んだ能力を得ることはできないものだ。
しかし、ヴェルディアスがそうだったように。転生者は己の持っていた物から望むスキルを生み出すことが出来る。無論、転生先のエネルギー量に見合ったサイズにスケールが変化してしまう事にはなる。しかし、そのデメリットを差し引いても、その特殊性は目を見張る物があるだろう。
『あのスライムは……リムル殿はその特権を与えられた存在です。如何なる能力を得たのかまでは分かりませんが……それでも、我々を超越する能力、或いはその種となるスキルを持っていると判断して相違ないでしょう』
「それが覚醒魔王となる事で、開花すると?」
もし、本当にそうであるとするならば、その魔王は世界の脅威となるかもしれない。もしやすれば、かの魔王ギィ・クリムゾンに匹敵するほどの。もし、本当にそうだとするのならば、まだ弱い今のうちに処断した方がいいのではないか?アリーシャはそう思わざるを得なかった。
その気配を察知したのか、ユリアは目を細める。彼の魔物に対して、ヴェルディアスは多大なる期待を寄せている。そんな存在を殺めようとしているアリーシャの行動を容認する事はできないからだ。たとえ、将来自分たちにとって大きな障害になるとしても、今のヴェルディアスを裏切る理由にはならないのだ。
『態々言う必要もない事だとは思いますが……余計な事はしないでくださいね、
「……図に乗るな、
『無論、私だけでは無理でしょう。しかし、あなたとて分かっているでしょう?我々は、ヴェルディアス様のためにある。ならば、そのような事態になる事も織り込み済みだ、と』
「まさか、あなたは……!」
『ええ。この件は既に
本国に伝達済み。それが示すところは
その選択にあらがうという事は、
一人一人は大した問題ではない。無論、各々が
しかし、普段は仲の悪い面々でも、ヴェルディアスのためとあらば結束するのが
「あなたは……魔王を侮っているのですか?」
『侮る?まさか。彼らは災厄その物でしょう。しかし、あなたこそお忘れなのでは?彼らが地上に被害をもたらす災厄であるのなら、我らは星の大海よりこの大地を見守る者。時には我らが力を持ってその災禍を払うのが私たちの役割です』
「師匠が望むのならば……でしょう?」
『当たり前です。後は我らが国家を守るため、ぐらいですか?他の有象無象のために力を振るう気になどなりませんよ。我々はあなたのような勇者ではありませんので』
希望をもたらす訳でもなく、暗雲を払うためでもない。総ては、大いなる大地の主の曇りを払うため。星の大海に連なる力を与えられた者たちは、その目的以外には興味がない。まさしく、己の意志にのみ忠実な神々のように、主神以外の言葉には従う気がないのだ。
だからこそ、彼らは強い。強者故の傲慢を携える事を許されるのは、彼ら『
「あなたたちは本当に……」
「まぁ、そう荒れるな。『
「師匠……勝手に部屋に入らないでください」
「ハハッ、辛辣だな。なに、偶々部屋の前を通りがかったら、何やら言い争いをしているのが聞こえてな。まぁ、黙って聞いていた訳だが。流石にこれ以上は、と思ってな」
「趣味の悪い事ですね」
「まぁ、その忠言は黙って聞いておくとするさ。だが、これ以上お前たちの言い争いを続けさせるのは不毛にすぎるだろう。だから、止めに入っただけだ」
「……では、師匠にお伺いします。何故、人間の脅威となる存在の誕生を見逃すどころか促されるのですか?」
「やはり元とはいえ勇者。その選択は許容できない、か……来たるべき未来のため、と言ってもお前はきっと認められないのだろうな。だが、そうさな……断言してもいい。あの魔物は人に危害を加えるような性質ではないよ」
「そのような言葉だけで、認める訳にはまいりません」
「だろうな。お前にとっては、魔物を束ねる王という単語だけで信頼を置くには難しい。その想いは分からないではない。直接見たわけではないお前に伝聞だけで信じろというのは、あまりに酷な話だからな」
「それだけではありません。彼はおそらく、ファルムスの民を」
「皆殺しにする。当然だ。それは彼が魔王に至るために必要な過程であり、彼にはそれを行うに足る理由がある。俺は奪われた者に奪うなというほど、狭量な存在になったつもりはない。奪いたければ奪えばいい。欲するのならば求めればいい。生きる者にはそれを行う資格がある」
欲し、求め、そのために行動する。それはこの世に生まれた総ての生き物に許された行為だ。ヴェルディアスはそれを容認する。だからこそ、セリオンを統治下に置くことを拒んだ。あの国に生きる者はヴェルディアスがするな、望むなといえば、その言葉通りに従うからだ。
だが、それは生命の在り方に反する行為だ。ヴェルディアスはそれを望まない。だからこそ、此度の騒乱をその始まりから知りつつも、止めようとはしなかった。ヴェルディアスがそれを行うという事は、ヴェルディアス自身が決めた在り方に損なうからだ。
「ファルムス王のやったことも、そしてあのスライムがやる事も、共に正しい。それは生命としての在り方なのだから。強欲も、復讐も、間違いではない。過ぎれば、己を燃やすだけの炎だがな」
「だから、容認したと?」
「そういう事だな。非情と言うか?間違ってはおらんがな。今回の件が誰かのためになったか、と言えばなっていないのが正確なところかもしれん。どちらも共に痛い目を見て、反省しなければならないところがある事を痛感させただけだからな」
「……師匠」
「だが、俺は今回の一件に対して謝意など抱いていない。どちらも相手を侮った結果だからな。俺はそれを外野から見ていただけに過ぎない。問題は当事者たちだけで解決してもらうさ」
「師匠は覚醒級魔王の誕生に関して、何も言うことはないと?」
「別に。俺からすれば覚醒しようがどうしようが、たいていは木っ端に過ぎない。危険視するほどの相手などいはしないし、いたとしても俺が手ずから潰すだけの話だ。……まぁ、あの魔物がその領域まで至るのなら、好都合ではあるんだが」
「師匠?」
「気にするな。どちらにしても、お前が気にする必要もない。あの魔物が覚醒級に至ったとして、だ。お前はあの魔物がギィに勝てる姿をイメージできるのか?」
「それは……」
ヴェルディアスが挙げた話は無理難題な話だ。ギィ・クリムゾンは古来より存在する最古の魔王。現存する十大魔王と呼ばれる面々の誰であろうとも、ギィ・クリムゾンに勝つことは叶わない。ヴェルディアスの認める皇帝ルドラですら、ギィに勝った事はないのだ。
そんな相手に対して、新参の覚醒魔王が勝利するなど不可能だ。世界最強を名乗るに足るヴェルディアスとは違うのだ。それを強要するなど酷以外の何物でもない。だが、そんな事はヴェルディアス自身が理解している。
「心配など不要だ。どのような生物であろうとも、俺に勝る者は存在しない。この大地に生きる総ての生き物は俺を凌駕する事など出来はしないのだからな。もし、俺を上回る存在がいるとするなら……それは大いなる星の大海を踏破した者に他ならないだろう」
「師匠……それは、どういう意味なのですか?」
「今はまだ、お前の知る必要のない事だよ。俺は少し出てくるが、お前はどうする?」
「どちらへ?」
「件の魔物の許へ。今、世界の声が聞こえたからな。経過は順調に推移している」
「ヴェルディアス様、エレボスただ今御身の前に」
「同じく、エルピスも御身の前に」
「ああ、待っていたよ二人とも。褒賞という訳ではないが、久方ぶりだ。俺の供をしろ。行先は魔国連邦だ」
ヴェルディアスとアリーシャの前に金髪の男女が現れる。互いに配色が逆の形になっている黒と白の法衣を身に纏い、ヴェルディアスの前で膝をつく者たち。尋常ならざる気配をその身に内包しつつも、決して露にすることのない二人はまったく同じ顔つきをしていた。
「「如何様にも、
「ありがとう、二人とも。アリーシャ、お前はどうする?いずれ敵となるやもしれない相手を、その眼に映しておきたくはないか?」
「師匠、あなたは……」
「どちらを選ぼうと、俺はお前を責めない。そもそも、そういう話ではないのだからな」
「……では、この身も共に。新たな魔王の誕生を歓迎はしませんが、目にしておくことに間違いはない筈ですから。それに、師匠のやる事から目を離すほど恐ろしい事はありませんから」
「お前……まぁ、良いさ。お前の好きにしろ。俺は咎めないし、それを間違いだとは言わない。何故なら、正しいも間違いも総ては結果に付随するものでしかない。ならば、行動する事もしない事もそれその物には未だ意味がない。何故なら、その意味を作る者こそがそれを行った者なのだからな」
ヴェルディアスはその身に纏う外套を翻しながら、歩を進める。その歩みの先に何が待っているのか、未来の姿をその眼に映しながら。決して絶望することはなく、普段通りに前を向く。その難解さを誰にも悟らせることはなく、大地の竜は進む。何故なら、それこそが彼にとって意味を生み出すための行いなのだから。