ジュラ・テンペスト連邦、通称魔国連邦と呼ばれるそこは、今火急の事態に陥っていた。ファルムス王国と神聖法皇国ルべリオス直下の聖騎士からの強襲を受け、多くの犠牲者を出した。そして、現在は主であるリムルの願いを叶えるために戦闘状態へ移行していた。
そんな中、リムルが
そんなヴェルディアスの反応から、アリーシャはリムルが覚醒種へと至ったことを理解した。それを止められなかった事もさる事ながら、それを歓迎しているヴェルディアスにも納得できない思いを抱いていた。傍らにいるエレボスとエルピスは理解していたが、特に反応する事はなかった。
「ほう、見事な結界ができているじゃないか。エレボスが手を出したのは二層目か?」
「はい。一層目の
「なるほど。相も変わらず、お前の魔法は芸術的だな。外側にある結界も中々の物だが、やはり事魔法に関してはお前を上回る術者は見た事がない。同種の悪魔であってもな」
「ありがたきお言葉です。これからも精進を続けていきたいと思います」
エレボスはヴェルディアスの誇る最巧の魔法使いである。ヴェルディアスが右腕とするのがアリーシャとし、左腕とするのがラーマとするなら。ヴェルディアスが自信を持ってラーマの片腕を担っていると言えるのが、エレボスである。(ちなみにもう片腕はエルピス)
「さて、破るのは簡単だが、そういう訳にもいかんか。この結界も反魂の秘術のための物だろうしな」
「反魂の秘術というのは……魔王ルミナスの神聖魔法とはまた違うのですか?」
「ルミナスの神聖魔法というと、
「……師匠であっても、ですか?」
「さて、どうだろう。使おうと思った事もないし、その機会にも恵まれなかったからな。だが、使おうと思えば使えるだろうよ。魔素量は竜種を上回る者などいないし、魔力制御に関してもそんじょそこらの相手に劣るとは思っていない。制御、という一点で言えば、俺は譲らんよ」
どれだけ少なく見積もっても万年以上、
「しかし、究極の領域に至らぬ身でこれほどの規模なら十分にすぎるか。さぁ、お邪魔させてもらおう」
そして、ヴェルディアスは結界の足を踏み入れる。ヴェルディアスとしては最大限の配慮をした一歩だった。しかし、強大すぎる存在に結界の方が悲鳴を上げる。次なる一歩で薄氷を踏み砕くように結界が砕け散った。
不幸中の幸い、と言うべきか。既に儀式が行われており、結界の中には魂を含めた魔素は収集されていたので問題はなかった。だが、もし到着が一刻でも早かったなら。総ての希望を砕く一手となっていたと言っても、過言ではなかった。
しかし、次の瞬間。先ほどまで張られていた三重の結界を凌駕する結界を張ってのけた。エレボスが張っていた結界が芸術的な代物であったとするなら、ヴェルディアスの張った結界は神秘的な代物と言えた。エレボスもそれなりの時間をかければ、同じ物は作れるだろう。しかし、ヴェルディアスは事もなげに成し遂げた。それはヴェルディアスにとって、この程度は造作もないという事実を示唆していた。
そのヴェルディアスの行動に、エレボスは感嘆の感情を抱いていた。ただの存在強度によって、周りの結界は元より自分が構築した結界すら粉砕された。その事実と共に、結界の構築技術でも上の技術を見せつけた。そんな事は今まで一度して、目の前に立つ存在以外為せた者はいない。それを軽々となす主の姿に改めて敬意の念を抱いていた。
そして、歩を進めていった先。そこには神秘的と言ってもいい光景が広がっていた。白い布で身体を覆う少女の姿をした魔物――――リムル・テンペストと思しき者が反魂の秘術を行っていた。すぐ傍には貴族服をまとう悪魔が跪いていた。
「
原初と名付けられた七体の悪魔。その一角が目の前にいる。その事実をその場にいた誰も気づくことなく、粛々と儀式は行使されていく。ヴェルディアスとしても、ここで余計な口を挟んで邪魔をする気は欠片もない。それに、ヴェルディアスとしても反魂の秘術を目にできる機会はそうはない。だからこそ、その様は一見の価値があった。
そして、儀式も終盤となった時、ヴェルディアスはリムルに近づいた。そんなヴェルディアスを阻もうとするように動こうとする黒に対し、エレボスとエルピスが立ちはだかる。ヴェルディアスの邪魔をする者は何人であろうとも、認めないという意思が二人の行動からは見られた。
「邪魔をするな、黒」
「それはこちらの台詞です、金。我が君の邪魔をするなど言語道断」
「ならばどうする?我らを相手にして無事で済むと思うか?名前もなき一悪魔が」
内側に抑えられていた魔素を露にしながら、エレボスとエルピスはそう告げた。その感情と魔素の高まりに反応するように、二人の身体から漆黒と純白の翼が現れる。戦闘態勢に移ろうとしている三体の動きを遮るように、ヴェルディアスとリムルが手を挙げる。
「そう急くな。俺はちょっとこの魔物に聞きたい事があるだけだ。邪魔をする気は欠片もないよ。構わないだろう?」
「了。そちらの要望に応じましょう」
他でもない主に争う気がない。ならば、臣下たるこの身が立場を弁えずに暴れる訳にはいかない。互いに矛を下げ、自らの主に一礼する。その姿にアリーシャは特に感じいる事はなく、傍にいた魔人ミュウランと獣人グルーシスは胸を撫で下ろしていた。
「さて、質問をさせてもらうか。
「解。我が名は
「ほう……なるほどな。それはこんな事もできるだろうな。では、次の質問だ。お前は何を願う?」
「解。我が願いは
「ハハハッ、そうかそうか。それは重畳。ならば、そのまま主のために尽くすがいい。お前の主はこれから様々な敵と相対する事となるだろう。それを支えてやることが出来るのは、お前を始めとした臣下の尽力あってこそだろうしな」
「解。言われるまでもない事です」
「言うじゃないか。さて、態々ここまで来たんだ。俺も贈り物の一つもしなければならんだろう?」
ヴェルディアスはそういうと右手を掲げるように開く。そこには金色の光に満ち溢れており、掌を開くのと同時に大空に飛んで行った。そして結界に衝突し、まるで粉雪のように落ちてくる。ちらちらと降り注いでいく黄金の光は地面で眠る魔物たちに当たり消えていく。
「遍く天の星辰よ、汝らの輝きでこの者らに星の祝福を。――――無謬の輝きに永劫変わらぬ福音を」
ヴェルディアスはその瞬間、何人にも理解しえぬ領域にいた。少なくとも、その場にいた総ての生物にヴェルディアスを理解する事はできなかっただろう。そう、長年ともにいたアリーシャですら、その瞬間のヴェルディアスを理解することは出来なかった。あの時の彼を表現するのなら、まさしく『神』という言葉こそが相応しかっただろう。
「疑。一体何を……?」
「……知りたいか?なに、いずれ知る事もあるやもしれん。その時を楽しみに待っているがいい。可能であれば読み解いてみればいい。お前にできるのならば、な。代行者よ」
ヴェルディアスの両眼に黄金の輝きが宿る。万物を圧倒するその輝きを前に、ラファエルは黙りこむ。少なくとも、ヴェルディアスに語るつもりはない。今の状態で語らせるにはタイミングが悪い。たとえ、ここで反魂の秘術を中止にしたとしても、ヴェルディアスとリムルの間には隔絶していると言ってもいい戦力差があるからだ。
ヴェルディアスは単独でリムルを始めとした魔国連邦にいる総ての魔物を全滅させることが出来る。それは傍に控えているアリーシャも同じく。そして、次点で傍に控えている悪魔と天使のペア。単独で来るならいざ知らず、組まれた状態でこられれば勝率はかなり低いと言わざるを得ない。
「なに、心配する必要はないさ。この力はお前たちの力になる事はあっても、お前たちの害となる事はない。俺の、大地竜ヴェルディアスの名に賭けて、それだけは保証しよう」
ヴェルディアスのその言葉を、ラファエルは信じるしかない。圧倒的上位種たる竜種の言葉を疑っても仕方がない。それ以上に、ヴェルディアスはラファエルたちに対して、嘘偽りを述べる意味がない。たとえ、害があるとしても、リムルたちにはそれに対して責める力がないのだから。
弱肉強食という魔物たちの掟。その絶対的上位種に位置する竜種に敵う存在などそうはいない。ヴェルディアスは望む望まさざるに関わらず、その意志を否定する事を許さない。
「そんな事より、今はその儀式に集中した方がいい。俺がやったことは将来の保険でしかない。必要なければ、使う機会も生まれないような代物だからな。滅多にない機会だ。俺もゆっくりと眺めさせてもらおう」
そう言うと、ヴェルディアスはそれ以上手を出さないという意思を示すように、道の端に退いていく。ヴェルディアスのその行動にラファエルは何も言わず、アリーシャは困惑した表情を浮かべる。ヴェルディアスの行動、その意味が理解できないからだ。
ヴェルディアスの行動、それを理解する事が出来るのはヴェルディアス以外にはいない。星神たちの王たるヴェルディアスの内心を、アリーシャは測りかねている。エレボスもエルピスも、そして他の連なる究極の領域に立つ者たちも、それを当然として捉えている。
しかし、そこで思考を止めていい訳がないのだ。ヴェルディアスは超常の存在だから、我々に理解できなくても仕方がない――――そんな思考が出来るなら、アリーシャはヴェルディアスの傍に仕えていない。弟子など長く勤められる訳がないのだ。
他のヴェルディアスに連なる配下たちにとって、ヴェルディアスとは神に等しい存在である。生まれ故郷を奪われた者がいた。突如として、この世界に放り込まれた者がいた。悪魔に、時に人に騙され、死に瀕した者がいた。様々な困難に見舞われた者たちがいた。
ヴェルディアスはその尽くを救ってきた。目に映る範囲で、己に救える範囲で、手を伸ばせる範囲で、あらゆる不幸を砕いてきた。そして、救われてきた総ての者たちが、ヴェルディアスに信仰を捧げた。様々な分野でヴェルディアスの力になりたいと願っている。
その強大すぎる愛を、アリーシャはいつも危険視している。何故なら、愛情とは最も憎悪に近い感情なのだから。彼らの在り方が信仰に近い物であるとしても、その本質は崇拝であり愛情なのだ。ならば、それは受け止めなければならない物だ。理解を止めてはならない物だ。
一つ一つが並大抵の熱量ではないそれを、受け止める絶対の存在。それがヴェルディアスという存在。そして、その行動には何かの意味がある。それを理解しなければ、アリーシャは共に立つことなどできない。だが、アリーシャはヴェルディアスの真意を測りかねていた。
ヴェルディアスは保険だと言った。必要がなければ使う機会も生まれないと。ならば、何故このタイミングでヴェルディアスは『■■』を与えた?一体、ヴェルディアスの目には何が見えているのか?アリーシャはそれを見極めることが出来なかった。
「見てみろ、アリーシャ。美しい景色だとは思わないか?俺でもそうやすやすとは使わない秘術だ。しっかりと目に焼き付けておくといい」
だというのに、当の本人が呑気なことを言っている。そのありようにはさすがのアリーシャでもイラっと来ていた。ヴェルディアス本人はそんなアリーシャの反応に苦笑を浮かべた。
「そう怒るな。言っただろう?保険のような物だと。さっきの行動には本当にそれ以上の意味はないんだ。必要なければ、最後まで眠り続けるだけの代物だ。気にしても仕方がない」
「そういう事ではありません。その行動の意図が分からないからこちらは……」
「悪いな。だが、無意味に緊張を強いる訳にはいかない。俺が垣間見た未来が絶対に訪れるとは限らない。しかし、絶対に訪れないとも言い切れない。ならば、そのための備えをしなければならない。今はまだ、この未来を知るのは俺だけで良い」
「師匠……」
目の前の光景を見ているようで、どこか遠くを眺めているような視線。その視線を前にした時、アリーシャはいつも言葉に詰まる。それが何故なのかは分からない。どこか申し訳なさを感じている自分もいるが、その事にアリーシャは気づいていない。
そんなアリーシャを見て、ヴェルディアスは苦笑を浮かべたまま髪を撫でる。お前のせいではないと、そう告げるように。髪から手を離し、ヴェルディアスは眼前の神秘的な光景に視線を向ける。死者を光が包み、その光を目に焼き付けながらヴェルディアスは刻み込むように告げる。
「ああ、そうだ。俺が必ず……この運命を覆すんだ」
今はまだヴェルディアス以外誰も知ることのない運命を、彼は必ず覆す。何故なら、それが彼の前世から一貫した在り方であるがゆえに。