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ヴェルディアスはジュラの大森林の管理を、スライムに任せることにした。あの集団であれば、間違いなくジュラの大森林を支配下に置くことが出来るだろう、と判断したからだ。トレイニーは管理者としては向いているが、支配者には向いていない。
それよりは、あのスライムの方が人心掌握能力に長けている。力ではなく、その人物がそもそも持っているカリスマと呼ぶべきものが優れているのだ。それは、今のヴェルディアスには到底望めないものだ。何故なら、ヴェルディアスはその性質が王と呼ぶべきものから離れているのだ。
ヴェルディアスはこの世界における最強。絶対なる王である、と誰もが称する。けれど、その元となった魂は王としての資質など持たない。ただ、彼は王として生きなければならなかっただけだ。
「今の俺では、どうやってもあの光景は作れないものな」
《否定。今の主は作れない訳ではない。ただ作ろうとしていないだけだ。しない理由を何かのせいにする、というのは推奨しない》
「お前は容赦ないな、アルヌス。俺はとてもそうは思えないが」
《簡単。主は喪失を恐れている。前世で死んだ事による繋がっていた絆の喪失。そして、己と対等であった兄弟の喪失。重なった喪失によって、さらなる絆の構築を恐怖している》
「……………」
《無問題。主は主の好きなようにすればいい。どのような選択肢を選ぼうとも、我らは主の選択を歓迎する。何故なら、我らは主より生まれ出でた存在なのだから》
「そうかい。それじゃあ、精々頼りにさせてもらうさ」
ヴェルディアスはそう言うと、精霊魔法を解いた。ヴェルディアスは今、ジュラの大森林を離れてイングラシア王国を訪れていた。情報網が発達しているこの国であれば、どこの国があの森を狙うことになっても早期に把握することが出来る。
「このままあそこの集落が発展していけば……被害を被るのはファルムス王国か。この国とは仲が悪い大国……嫌な予感しかしないな」
「師匠、大丈夫ですか?」
「アリーシャ……いや、大した問題ではないよ。少なくとも今はな」
「仰っていたジュラの大森林の魔物に関する事ですか?」
「間違いではない。だが、本当に今の話ではないよ。これから……未来の話だ」
「未来の話、ですか……」
「このままあの集落が大きくなっていったら、と思ってな。あのジュラの大森林周りで厄介な国は、はてさてどこかと考えたら、ファルムス王国が候補に挙がったという話だよ」
「……師匠はなぜ、そのスライムに多大な期待を寄せているのですか?」
「ふむ……なぜ、か。難しい話だな」
「そうですか?簡単な話だと思いますが」
「そうか?俺自身としても、何かの確証があってそういう風に考えている訳ではない。まぁ、あえて言うとすれば
「そうなんですか?では、強いて言うなら、ではない師匠の理屈は何なのですか?」
「そうだな……輝いて、見えたからかもしれないな」
「……何が、ですか?」
「あのスライムの姿が、だよ。あの姿はありし日、俺が描いていた理想の姿によく似ていた。結局、俺はあんな風にあることはできなかったけれど……あのスライムは俺の理想の姿を体現していたんだ」
ヴェルディアスの前世、王であった時代。王と名乗るに相応しい力を持ち、万民を圧倒する覇王として君臨した時代。しかし、ヴェルディアスは力によって世界を支配する覇王になど、なりたくはなかった。その魂にしても、向いているとは言い難かった。
しかし、覇王として君臨するしかなかったのだ。力によって覇権を競い合う戦乱の時代。配下の者たちとの絆があったとはいえ、それは上下の関係であって横に繋がる関係ではなかった。彼は信頼できる仲間が欲しかった。しかし、信用できる部下しか作ることが出来なかった。それが彼の怠慢だと言えば、確かにその通りかもしれない。だが、それでも……彼は欲しかったのだ。
「俺は臆病者だ。いつだって、誰かを信じて頼ることが出来ない。どうしようもなく、自分と相手の間に溝のような物を感じている。本当のところは分かっているんだ。自分が心を開かなければ、相手と繋がりあう事などできはしないと。だが……分からないから、なのかな?どうしても誰かを信じることが出来ないんだ」
圧倒的すぎる力を持った影響かもしれない。誰もが彼を特別扱いする。それを不遇だと思った事はない。前世ではその壮大すぎる目的のために必要だった。その力のおかげで、今世では愛しい兄妹たちが出来た。それを後悔した事はないし、悪いと思った事はない。
だが、こう思う事もあった。この力がなかったら、俺は同じような隣人を作って仲良く暮らしていたんじゃないか、と。あのスライムの姿はちょうど、そんな俺の理想に近いと感じた。信頼し、共にあろうと思える仲間に囲まれた、あの姿が。
「……師匠は私との出会いになにか不満でも?」
「ん?」
「師匠は自分の持っている力に対して、何やらコンプレックスを持っていらっしゃるようですが。それは贅沢な不満という物です。力を持たない者からすれば、師匠の持つその力は垂涎の物。その力を持つ時点で、師匠には相応の責任が付きまとう」
「……そうだな。お前の言う通りだ」
「ですが。それは師匠が何も得なかったという証明にはならない。師匠、私は師匠の下で多くの事を学びました。多くの命を救いました。多くの命を奪いました。けれど、それを悪いことだと思った事はありません。私が師匠に拾われたことを私は何よりの救いだと、そう思っているからです」
「………………」
「確かに、師匠にはもう同格と呼べる相手はいないのかもしれません。ヴェルダナーヴァ様亡き今、本当に師匠の心を理解できる相手はいないのかもしれません。でも、それでも、あなたの傍にいたいと、そう思う人は確かにいるのです。どうか、それを忘れないでください。
どんな感情であれ、師匠のことを想っている人は確かにいるのだという事を、忘れないでください。その形は師匠の願う形ではないのかもしれない。それでも、どうか、あなたが一人ぼっちではないという事を、覚えていてください」
「アリーシャ、俺は……」
そんなつもりではなかった。ただ、自分の手に入れる事のできなかった光景を、ただまぶしいと感じていただけなのだ。そして、そんな光景を作ることのできる相手だからこそ、任せることが出来るのではないかと、そう考えただけだった。
いつだって、隣の芝生は青く見えるものだ。ヴェルディアスも例外ではなかったというだけだ。アリーシャを追い詰める意図などなかったし、何よりもそこまで大それたことを口にしているつもりもなかった。しかし、そんなヴェルディアスの姿がアリーシャの心を追い詰めたのも事実だった。
「……俺はな。皆に畏れられる存在になる事を望んだことはなかったんだ。そうならざるを得なくて、そう振る舞う事を生まれながらに受け入れるしかなかった。そこにはそこなりの楽しさがあったし、そんなに大それた文句を抱えてもいなかったんだ。だから、俺はこれまで歩んできた道で、少なくとも俺自身の問題として後悔した事はない」
ミリムや兄たちの事を後悔しなかったことはない。けれど、自分自身が歩んできた道に関しては後悔しないように生きてきた。その場その場の反省はあっても、後悔と呼べるほどの代物を抱き続けることはなかった。それはアリーシャも知っている筈で、それでもという感情があったことを理解した。
「お前を拾ったことも、お前を育て上げたことも、後悔などない。それはセリオンの者たちも同じことだ。我が星に連なる神々――――星の内海より生まれた力を宿した者たち。その存在を誇りに思いこそすれ、文句など抱いたことはない。まぁ、やりすぎる事はあったがな」
「それは……そうですね。彼らは大なり小なり、師匠の事が好きですから」
「その想いを無碍にしたいとは思わない。俺は今の俺の関係が好きだ。あのスライムが作り上げた関係は確かに、俺にとっての理想だ。しかし、その理想は俺にとって過去の残照に過ぎない。それを純粋に羨むには俺は長く生きすぎている。今更、あんな風になりたい、とはそうそう言えないさ」
どうしようもなく、胸に残る想いはある。それは彼自身にとっても切り離しがたい物であり、同時に切り離すことなく胸の奥底に抱えこんできた物でもある。あまりに理想的に見えるその光景に、思わず胸から溢れかえりはした。だが、だからといってどうしよう、という代物でもないのだ。
「俺はなアリーシャ。今までの自分も嫌いじゃないんだ。だから、俺はこれからも俺として生きていく。それ以外の選択肢などありはしないんだ。俺はあのスライムのようにはなれないし、同時にあのスライムも俺と同じようにはなれないだろう。だが、それでいい。それでいいんだよ」
どちらも同じ存在になる事はできない。ヴェルディアスにはヴェルディアスとしての在り方があり、スライム――――リムル・テンペストにはリムル・テンペストの在り方がある。どちらかがどちらかの代わりになる事などできはしない。
「だが、あれが俺の理想であることもまた事実。だからこそ、俺の描けなかった理想を描くあのスライムに俺は多大なる期待を寄せているんだ。是非とも、その理想を形にしてほしい……俺はそう思うことを止めることはできないんだ。そんな俺の事を軽蔑するか?」
「……いいえ。師匠は師匠の思うがままになさってください。私はその上で、師匠の事を尊敬し続けるだけですから」
「これはまた、重い期待を背負わせてくるものだ。まぁ、良いさ。俺は俺のしたいと思う事をするだけだ。それ以外にできることもない事だしな……一度守ると決意して、それでも守る事の出来なかった不甲斐ない俺だが、お前はまだ信じ続けていられるか?」
「あなたがそれを己の十字架として抱き続けるのなら、私も共に背負いましょう。もとより、この身もか弱き幼子すら涙から救い上げることのできなかった者ですから。師匠だけに背負わせようとは思いませんよ」
「そうか……物好きな娘だ。なら、好きについてくればいい。俺は俺として歩いていく。その隣でも、背中でも、はたまた反対方向でも。お前が歩みたいと思う場所で、歩みたいと思う方向へ歩いていくと良い。それが、アリーシャ・ヴェルンシュタインという勇者の進んだ軌跡となるのだから」
「はい。この身はいつまで御身の傍に。それは私が最初にこの身に刻んだ誓約――――たとえ、死によって離れ離れになったとしても、違う事だけはしないと決めた私の願いなのですから」