黒髪が揺れる。
冬の気を混じらせた海風は頬を撫で、等間隔に押し寄せる波は自分達を海に寄せ付けないように牽制をしているようだった。
目の前の少女はただ風の流れを体に受止めながら、砂浜に座っている。
「……時雨」
夕立は時雨のすぐ後ろまで近づくが、一切の返事が返ってこない。
そのまま時雨のすぐ隣に座った時に、ようやく時雨はこちらに気づいたようだった。
「やぁ……何か用かい?」
「ふふっ……横まで来てるのに全然気づかなかったっぽい」
夕立は出会った頃を思い出し、クスリと笑った。
「時雨はここで何をしてたっぽい?」
「何もしてないさ……ただ、ここに来ると落ち着くんだ」
「そういえばそうだったっぽい」
しばらくの間、静寂が生まれる。
時雨は何かを口に出そうとして、また喉にしまってを繰り返していた。
「……いいよ、ちゃんと聞くっぽい」
時雨の意図を掴んでいた夕立は、安心させるかのように横にある時雨の手をそっと握った。
時雨は息を落ち着けたあと、ゆっくり口を開く。
「僕……戦いたいんだ」
時雨から予想外の言葉が飛び出した。
夕立は続けて耳を傾ける。
「でも、戦おうとしたらまたもう1人の僕に飲み込まれる」
「今だって寝てる時に……声が聞こえてくるんだ」
時雨は片手で頭を抑えながらそう言った。
「怖い……怖いよ……」
時雨は小さく震えながらそう答えた。
その姿は普段「艦娘」として、国のために戦っている兵器とは違う。
ただ1人の少女の姿だった。
「……。」
夕立はその感覚が痛いほどよく分かった。
自分の中にも、常に自らを飲み込もうとする得体の知れない化け物が存在していたからだ。
今の時雨も全く同じ状況に陥っている。
「ここに僕が来た意味は……姉さんに会いたかったから、姉さんに守られてるだけの僕じゃ嫌だったから」
時雨は抑えていた手を離し、自らの手のひらを見つめる。
「でも……最近は、それすらももう1人の僕に動かされてたんじゃないかって思えるんだ……」
時雨の声が震え始めた。
自分自身への恐怖、どこまでを信じていいのか分からない。
全身を蝕むような恐怖心が、齢12歳の少女の身に降り掛かっている。
自分も相手も、艤装の力で精神年齢は上がっているらしいが、それでもやはり人間であった。
「この体質のせいで、僕は今までまともには生きて行けなかった……今生きてるのは姉さんに庇ってもらいながら生きてきたからなんだ」
夕立はまた自分の過去と重ねる。
自分は信頼を寄せられる人間がおらず、鎮守府に拾われた身だったが、時雨は逆に信頼出来る存在がたった1人だけ存在した。
もし自分が時雨の立場だったら、その存在は自分の命より大事な存在になるだろうということは容易に理解できる。
「少し前に、姉さんが部屋の前に来たんだ」
時雨はそう言うと、過去の姉の言葉を思い出した。
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『時雨、私ね……装甲空母姫掃討作戦に参加することになったんだ』
白露から発された言葉に、時雨は驚くも声は出さなかった。
『最近、徐々に鎮守府は戦力が削られてきてる。ここでケリをつけないと貴方達新人も戦場に出ないと行けなくなるの』
白露は独白を続け、ドアに寄りかかる音が聞こえる。
『私が艦娘になったのは……妹である貴方を守りたいから、貴方が笑って生きてる未来を守りたいからなの』
時雨は布団に包まりながら、白露の声が聞こえるドアの近くまで近づく。
「姉さん……僕は……」
『大丈夫、お姉ちゃんに任せて!!』
『絶対に守りきってみせるから!』
時雨がドアを開けようとした瞬間、白露がその場から離れていく音が聞こえる。
回しきったドアノブを元に戻し、時雨は再び布団の中に潜る。
「僕が……笑って生きてる未来……」
時計の針の音だけが響く部屋の中で、時雨は更なる孤独感を感じながら、ぽつりと呟く。
「その未来の中に……姉さんは居る予定なの……?」
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自分が部屋の中にいた時の事を思い出し、時雨は頭を抱える。
「多分……姉さんが思い描く未来に、姉さんはいない」
「多分姉さんは……僕を守るために命を賭けて戦うんだと思う」
時雨は白露の笑顔を思い出し、たった一人の姉に思いを馳せる。
「姉さんが僕のために戦場に出ていくのは嫌だ、もう守られるだけの存在じゃないって証明したい……だから戦いたいんだ」
時雨の眼から、雫が1滴溢れ落ちる。
自分自身のやりたい事に精神が追いつかず、結局何も出来ない自分が嫌になる感覚。
夕立は時雨の涙を見て、それを直感的に感じ取った。
「ごめん……こんな話、困るよね」
時雨は目を擦り、話を止めようとする。
それを見た夕立は握る手を強めた。
「困らないっぽい」
時雨は驚いたような表情で夕立を見た。
「時雨が今、とても辛いのは凄く理解できるっぽい……夕立も、そうだったから」
「夕立も」という言葉に、時雨は夕立の境遇を思い出した。
時雨は夕立に握られた手を動かし、夕立の手を握り返す。
夕立はそれを見て微笑んだあと、ゆっくり口を開いた。
「……でも、夕立は色んな人から「生き方」を教えてもらったっぽい」
夕立は嬉しそうにそう言った。
生き方━━━━━━━━今まで戦うことしか人生に意味を見いだせなかった夕立に、先人達は心と身体を使って全身全霊で教えてくれた。
自らの基礎を作り上げ、意志を生み出してくれた恩師の存在。
底に落ちた自分の手を引っ張り、心に温かさを教えてくれた仲間たち。
そして、それら全てに気づくきっかけをくれた偉大な先人の言葉。
それら全てが夕立を構築し、深海の波動にも負けないほどの意志を手に入れることが出来た。
「それは全部、夕立が弱音を言っている時だったっぽい」
夕立は全ての人達が、どのようにしてきたかを思い出す。
「だから、困らないっぽい」
夕立は屈託のない笑顔で、時雨にそう言い放った。
「……っ!そっ……か……!」
時雨はその言葉を聞いて完全に決壊し、ポロポロと大粒の涙を流した。
「助けて……助けて欲しいよ……夕立……!もう1人は嫌だよ……!」
「ずっと1人で戦ってきた……いや、「戦うように動かされてた」」
「でも、これは僕の意思じゃない……!本当は……僕もみんなと……!」
ついに、少女から本当の言葉が零れ落ちた。
何にも制御されていない、ただ純粋な少女の願いがようやく言葉として紡がれた。
時雨の言葉を聞いて、夕立は時雨を自らの胸に抱き寄せる。
先人達から受け取った温かさを、全身で時雨に分け与えるように、ゆっくりと力を込めていく。
「もうどうしたらいいか分からないんだ……!僕を……救って……!!」
夕立は時雨の頭に手を乗せ、微笑む。
「やっと……ちゃんと仲間になったっぽい」
波の音と共に時雨の声が耳を叩く。
夕立は時雨を落ち着かせるように背中を撫でると、ゆっくり口を開く。
「時雨は……自分の姉さんを守る気持ちが偽物だって思う?」
「そんなわけない……!これは僕の意思だって思いたい……!でも……」
「じゃあ、それを信じよう」
夕立は力を込めてそう言い放った。
「自分が信じる意志を見つけ出して、そこから行動を考えるっぽい」
かつて、誰かが言った言葉を今度は自分が投げかける。
「時雨が白露を守りたい心は、時雨自身が持ってる意志になるっぽい」
時雨は夕立の言葉を、何も言わずに聞き入れている。
「時雨は1人じゃない、辛くなったら夕立達が支えるっぽい!」
夕立は時雨から離れ、夕日を背にして立った。
彼女は太陽を背負いながら、溢れ出る輝きを時雨に浴びせるように堂々と立っている。
時雨はその光に誘われるように立ち上がると、夕立の前まで動いた。
目の前で燃えている太陽に光を分けてもらうように、縋るように、夕立の手を握った。
それを見て、夕立は朗らかに笑う。
「大丈夫、夕立達は同じ体で同じ景色を見てる!仲間だよ!時雨!」
「うん……!」
時雨は嬉しそうに頷くと、夕立を強く抱き締めた。
時間が経つにつれて弱くなっていく夕日の光は、最後まで2人を照らし続ける。
出会って1年以上、遂に2人の少女は本当の意味での仲間となった。
それから数日後、時雨は艦隊のみんなと共に演習場へと立っていた。
艤装は礼花から支給された完全鎮守府権限のものを使っている。
「時雨!上っぽい!」
川内が上からかかと落としを時雨に向けて放つ。
夕立の声に合わせ、時雨は咄嗟にガードをしたが、改二兵装の出力込みのパワーに押し負け、腕ごと海面に叩きつけられた。
「大分差がついたね、慣れない艤装なのは分かるけど、体術はしっかり鍛えないと」
「はい……すみません」
時雨は立ち上がりながら、小さい声でそう言った。
時雨が圧倒される光景、夕立にとっては珍しい光景であり、新鮮さまで感じるほどだった。
「大丈夫、慣れるまで何回でも戦ってあげるから。もう一回やってみよう!」
川内が時雨に向けて手を伸ばすと、時雨はそれを掴んで立ち上がる。
「もう一度……お願いします!」
時雨は再び目に光を入れ、川内に再戦を申し込む。
川内はそれを見て嬉しそうに笑うと、再び時雨に向かっていった。
夕立は砲撃の音と水の音が響いている演習場から少し離れ、仲間の元へと向かっていく。
「時雨さん、元気になりましたね」
不知火が時雨の方を見ながら、顔を緩ませた。
「何か……憑き物が取れたような表情をしてますね!」
春雨の言葉を聞いて、夕立は深く頷く。
「しばらく時雨はリハビリだから、できる限り夕立達もサポートするっぽい!」
夕立の言葉に3人で頷いていると、後ろから村雨が近づいてくる。
村雨は時雨と夕立の戦いを見届けた存在であり、時雨の状況を案じると共に疑っている状態だった。
村雨は時雨と夕立の顔を見ると、嬉しそうに笑う。
「時雨もそうだけど、夕立も何かスッキリした顔してるわね」
「そ、そうっぽい?」
「うん、何だか迷いが無くなった感じ!」
村雨にそう言われた夕立は、照れながら頭を搔く。
「うん、皆に支えてもらったから……迷ってる場合じゃないなって思ったっぽい!」
「なるほどね……じゃあ私達も頑張らないと!」
村雨は自らの艤装をすべて展開し、射撃演習場へと進んでいく。
「私達も明石さんから艤装についての話を受けたから……練度を上げておかないと!」
村雨がそう言うと、不知火と春雨がそれに呼応して艤装を展開した。
3人は射撃演習場に向かう道に付き、夕立の方を振り向く。
「貴方達が信じてくれてるんだから、それに合う強さを身につけないとね!」
村雨はウインクしながらそう言うと、手を振ってその場から離れようとする。
━━━━━━━その瞬間、吹っ飛んできた時雨が村雨を巻き込みながら海面へと不時着した。
大きな水柱が立ち、その場に時雨と村雨が横たわっていた。
「あ、ごめん!」
川内が申し訳なさそうに夕立の後ろから近寄ってくる。
巻き込まれた村雨の艤装は小破しており、時雨の下敷きにされていた。
「む……村雨姉さん!!大丈夫ですか!?」
「全く……演習場に来たら油断してはダメだと教わったはずなのですが……」
心配している春雨と、小言を言いながら近づいていく不知火。
それに起こされながら、村雨はやいのやいの文句を言っている。
「ご……ごめん!村雨!」
時雨は申し訳なさそうにその場から離れると、村雨は仕返しと言わんばかりに時雨の頭にチョップを入れた。
「ぷっ……!」
夕立はその光景を見て耐えられず、その場で大きな声で笑った。
「あーもう!おかしいっぽい!」
「笑ってる場合じゃないわよ!もう!」
怒っている村雨を見て、夕立はさらに笑う。
1人の少女がようやく仲間と共に笑えたのを見て、川内は微笑む。
「ゆっくり……戻ってきてるね」
川内は出会った頃の事を思い出し、過去と重ねて微笑んだ。
(後は……)
川内は鎮守府の方向を見つめながら、「もう1人」の仲間の事を思う。
しばらく鎮守府に向けて視線を送ったあと、未だ笑っている部下たちの方へと近づいて言った。
それからしばらく経った平日の昼下がり。
「装甲空母姫掃討作戦」のメンバーに含まれている艦娘たち一同が、鎮守府の大広間に集合していた。
作戦の決行は1週間後、それに向けた作戦の説明会が行われる所だった。
潜水艦隊含めて総勢22名の前に、提督が現れる。
巨大なスクリーンに近海の情報が映し出され、提督はポインターを持って説明を始める。
「これより、装甲空母姫掃討作戦の概要を伝える!」
提督の声で、全員の視線が中央に集まる。
「まず作戦決行までの1週間、潜水艦隊にはこれまで通り情報を集めてもらう!」
提督はそう言うと、海図の中で赤く塗られている所にポインターを動かした。
「ここが現状、装甲空母姫が拠点として構えていると考えられている場所だ」
提督が指した場所を見て、第一艦隊の旗艦、金剛が手を挙げた。
「前にワタシ達が襲撃した三つの泊地とはまた別の場所に現れたのデスか?」
「いや、正確に言えば元々はこっちが拠点だった……が正解だな」
「金剛さんたちが泊地を破壊してくれたから、さらに奥に偵察することが出来たの!」
提督の言葉に続いて、潜水艦隊のメンバーの一人、伊19が声を上げた。
「でも、記された場所以上には進めなかったよ!もう深海棲艦がうじゃうじゃ居て、ゴーヤ達だけじゃ対処できなかったでち!」
「近海の調査は進めてみるけど、中核に行くのは普通の艦隊じゃ危険かも」
隣に立っていた伊58と伊168も次々に声を上げ、泊地がどんな様子だったかを伝える。
「遠目で見ただけだけど、戦艦タ級や駆逐ハ級の存在も確認できたわ、特に戦艦タ級は黄色いオーラを纏っていた……普段の戦闘で出てくる奴らより強いやつがうじゃうじゃいるかもね」
伊168は自身のスマホに収めた写真を提督に送り、大きなスクリーンに姿が映し出される。
画像は少し乱れていたが、本来のタ級に比べてかなり異質な気配が漂っていた。
「他にいる奴らも動きに統制が見えた、油断してたら危ないかもしれないわね」
提督はそれを聞いて頷くと、スクリーンの画面を切りかえる。
そこには総勢12名の名簿が乗っていた。
「この情報を元に、今回の作戦は連合艦隊を編成して行う。第一艦隊、第三艦隊のメンバーが対象だ」
その言葉と共に提督が次々と名前を呼び上げ、呼ばれた者は返事をする。
「旗艦は榛名、そして飛鷹……響……浜風……飛鷹……白露!!」
最後に名前を呼ばれた白露が大きな声で返事をする。
提督はその様子を複雑な表情で見つめていたが、すぐに気持ちを切り替えて全体に話を戻した。
「本来は川内が旗艦を務める予定だったが、川内は第四艦隊と共に別方向方向の泊地を破壊してくれ」
「本拠地じゃないのか……りょーかい」
川内は不満そうな声で返事をする。
「そして、今回の作戦の目標だが、勿論装甲空母姫含め敵艦隊の殲滅が第一だ……しかし、これに含めてもう一つ私達にはやる事がある」
「敵を倒すこと以外にあるのデスか?」
「あぁ、今回のもう1つの目標は「夕立を守ること」だ」
「夕立」の名前が出た瞬間、会場がどよめいた。
鎮守府の中で異常性を放っていることは皆知っていたが、ピックアップされるほどの人物とは思われていないからだ。
「装甲空母姫は何故か夕立を標的にして戦っている、そこには必ず理由があるはずだ」
「今の夕立は鎮守府の中でもトップクラスの戦闘力になっている……本来なら作戦に組み込みたいが、今回は待機だ」
提督は再び画面を海図に戻し、全体の方を向く。
「装甲空母姫との戦闘は対空が主なものになる、対空装備を指定されている艦娘は、作戦決行日までに演習を徹底するように」
「今回の会議は以上だ」
提督は一息ついて大きく息を吸うと、全身に力を入れた。
「今回の作戦は、守るべき国民の為、亡き戦友の為……我ら人類の誇りの為の戦闘である!」
「敗北は許されない!各自、全身全霊を持って、作戦に挑め!!」
提督の言葉に続いて、その場にいた全員が敬礼をする。
数十年に渡る装甲空母姫との因縁。
人類と深海棲艦の全面戦争の導火線は既に火がついていた。
その会議が開かれている裏側。
工廠では須藤礼花ともう一人、少女が自らの艤装を付けていた。
少女は何度も手足を動かし、艤装に不備がないかを確認する。
工廠に備え付けてあるプールの上にはしっかり両足を付けて立っており、艤装も正常に動いていることが確認できた。
「最終整備は完了、後は実際に動かしてみるだけだね」
少女は礼花の言葉に頷くと、自らの手を握る。
「正直、普通の艤装ならまだしも……いきなり改二兵装プログラムを使用するのは相当負荷がかかっちゃうから、しばらくちゃんと体を慣らしておいてね」
礼花はそう言いながら少女の艤装に触れると、データをスクリーンに映し出し、その中に自らが生み出したデータを入れ込む。
「これでよし……と、後は君次第だよ」
「助かるわ」
少女はプールから上がり、工廠の扉を開けると、礼花と共に演習場の方へと歩いていく。
扉を開け、頬をなぞる海風を肌で感じ取ると、少女は目を瞑って大きく深呼吸する。
「久しぶりね……ここを歩くのも」
「じゃあ、今日の分のリハビリ含め……戦闘演習をやって行こうか」
「えぇ!」
少女は振り返ると、狐色の双眼を輝かせながら元気に返事をした。
超爆速投稿ですこんにちは
今回の話は前々から決まっていたので、めっちゃ高速でした。(1ヶ月)
普段に比べると少し少なめですが、間章として丁度いいと思ってます。
ようやく明かされた時雨の本音、それを聞いた夕立は時雨と本当の意味で仲間になった。
徐々に戻っていく日常と、静かに進む決戦までのカウントダウン。
最高峰の戦いに、夕立達はどのように絡んでくるのか。
そして、時雨は己の中にいる化け物とどのように向き合うのか。
次回をお楽しみに!