「せ、ん、ぱぁーいっ」
嫌な予感がする。
わが野球部の最強にして最恐の小悪魔系後輩。
その名も、橘みずき。
勝気な釣り目をこちらに向けると、サイドに結わった水色の髪の毛をあざとく揺らす。
かわいい見た目に反して、されど投げる球は一級品で、左のサイドスローからミットをめがけて寸分たがわず放つ制球力と打者の左右を問わずに責めることのできる二種類のシンカーとスライダーというキレのある変化球を持つ、そんな素晴らしい投手。
──そして何より、彼女が猫なで声で俺の名前を呼んだ時に、いいことがあったためしがない。
「ん、おはようみずきちゃん」
「朝から会うなんて、奇遇ね。……はっ、先輩、もしかして私の事ストーキングしてる?」
「どうしてそうなる……」
出会い頭から、小悪魔節を炸裂させるあたりは流石というべきだろうか。
「そりゃあ、同じ朝練に向かってるんだから会わなくもないでしょ」
「まあ、私かわいいから、あとをつけたくなる気持ちもわかるんだけどー」
「無視ですか……というか、自分で可愛いって……」
「せんぱぁ~い? 今何か言いましたかー?」
「い、いいえ何も」
「後をつけるにしても、節度を持ってのストーキングにしてよねっ」
「あー……もう、はいはい」
俺に勝ち目はないな、そう思って適当な返事で匙を投げる。
「と、こ、ろ、でぇ~っ」
再びの猫なで声で、愛嬌たっぷりに口を開く。普段の勝ち気な目つきとキツい性格をうまく使い分けている上目遣いは、いわゆる「ギャップ萌え」を感じさせる。かわいい。
……これで人使いの荒い性格さえまともだったらパーフェクトなのに。
「む、今何か失礼なこと考えてない?」
「いやいやまさか、それはそれで需要はあると思うよ」
主にMのお方々に。
「需要? ま、いいや。それより先輩、ここで出会ったのも何かの縁だし、私の荷物持ってよ」
「ええー」
「ストーキングするほど私のことが大好きな先輩なら、荷物持ちだなんてご褒美じゃない」
「少なくとも俺にとってはご褒美じゃないから……」
一定層の方々にとっては、これもまたご褒美なのであろう。
「お願いしますよ、せ、ん、ぱぁーいっ」
くっ、相変わらずその上目遣いかわいい。
わがままで、素直じゃなくて、人使いは荒い。だというのに、毎回のように俺はこの上目遣いに負けて、結局は彼女にまんまと振り回されてしまうのだ。
だけれども、明るく活発でチームのムードメーカーにもなってくれるし、根は意外と真面目で、素直になれないのもそれはそれで可愛くて。そこのところを本人が知っているのかどうかは分からないがついつい甘やかしてしまう。
「もう、しょうがないなぁ。今日だけだからね」
「やったー!」
……まったく、みずきちゃんには敵いそうもないな。
⚾︎
「む、先輩とみずきか」
学校の近くにまで差し掛かると、みずきちゃんと同じく後輩の聖ちゃんと出くわす。朝も早いというのに、いつものように凛々しい相貌は崩れることはなく、大和撫子という感じだ。
「あ、聖ちゃん。おはよう」
「おっはよー聖」
「みずきのテンションが朝から高いのも、先輩がいつもの二倍荷物を持っているのに関係がありそうだな」
「さすが聖ちゃんの観察眼。うちの正捕手だけあるね」
細めた目でこちらを見る聖ちゃん。お手本のようなジト目だ。
彼女ももちろん、みずきちゃんに負けず劣らずの美少女であり、朝から目の保養になる。ちなみに性格はみずきちゃんと違って真面目でおとなしく、ぜひ朝ご飯を毎日作ってもらいたい。
「どうせ、みずきが先輩に無理やり荷物持たせたとかそんなところだな」
「あったり~~♪」
「うんうん、流石仲良しバッテリー。これが以心伝心というやつか」
聖ちゃんは頭を抱えると、ため息交じりに口を開く。
「先輩は何を言っているんだ、またみずきを甘やかしているのは、誰だって見ればわかるぞ」
「それもそうか」
みずきちゃんの無茶な性格は今に始まったものでもなく、多くの人が実際に振り回されている。だがしかし、なぜか俺に対する対応は輪にかけて厚かましいものであり、周りの人たちにとっても見慣れた光景となっているのだろう。
「まったく」とぎりぎり聞こえる程度の音量で吐き出すように嘆くと、
「先輩はみずきのことを甘やかしすぎだぞ」
肩をすくめて、一つ間を取って、ぴしゃりと言い放つ。
「はい……」
特に反論する余地もない俺は、親に叱られた子供のように背中を丸めて、尻すぼみに返事をする。そんなこちらの様子を見て、みずきちゃんはいつもの小悪魔ちっくなあざと可愛い笑顔で弁明する。
「いいのよ聖、先輩も好きでやってるんだし」
「いや別に好きでやってるわけでは──」
「今何か言った?」
みずきちゃんは満面の笑みを浮かべているというのに、目が全然笑っていない。有無を言わせる威圧感がそこにある。投手威圧感はリリーフでは有能な特殊能力だからセーフということにしておこう。
それと、……まあ、俺が甘やかしてる原因として、実際に憎めなくてかわいい後輩であるみずきちゃんが好きだからというのもあるのだ。先輩が好きでやっている、というのも、あながち間違えではないのかもしれない。
「いいえ何も」
くだらない会話をしながら歩いているうちに学校に到着する。この日の朝練は野球部のみがグラウンドを丸々一面使える日だ。そんなわけで他の生徒は1人もおらず、昼の騒がしい学校とは似ても似つかないほどだ。
朝っぱらからの練習というものは多少憂鬱ではあるものの、今日はバッティング練習を気兼ねなくできると考えれば、幾分か心持ちも楽になる。校門をくぐれば、校舎と部室、そして更衣室はすぐのところにある。
「まったく先輩は……。そういうところが甘いんだぞ。それと、みずき。更衣室は男女で別なんだから早く自分の荷物持って行くぞ」
「ちぇっ……はぁーい」
不服そうにしながらも俺から荷物を受け取るみずきちゃん。やっぱり、この二人でいてくれたほうが安定感があるなと改めて感じさせられる。
ずっと2人でいてくれるのならば、こちらとしてもありがたいのだ。なぜなら、不思議なことに、みずきちゃんの俺に対するあたりは一対一であるほど強くなる。原因は未だ不明であるものの、聖ちゃんがいれば多少マシになるのは事実だ。
「それじゃ、またあとでね。みずきちゃん、聖ちゃん」
「うむ」
「また後でね~~先輩」
まったく、朝っぱらからみずきちゃんと遭遇するとは。本当に嵐のような時間だ。
──でも、こんな時間も、俺は嫌いでは無い。
さて、早く着替えてしっかりと練習しますか。
「あっ、センパーイ!! 覗かないでね!!」
……。
「誰がのぞくかぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
精神ポイントが10上がった。
やる気が下がった。 ▽
⚾︎
更衣室。
それはただ単に服を着替えるために存在するだけの部屋。この言葉をいきなり叩きつけられたとしても、多くのものは「だからなんだ」と疑問を浮かべて怪訝な表情とともに足早に去っていくだろう。
だが、接頭句として「女子」とつければ。
その言葉は一瞬にして理想郷へと変貌を遂げる。
女子更衣室。
それは、男子学生にとってはムー大陸同様に神秘的かつ未踏の大地であり、禁断の果実が人数×2個ぶら下がるエデンであるのだ。
「パワプロ君は、朝からハーレムでうらやましいでやんす」
「矢部君にはあれがハーレムに見えるのかい……」
しかし残念なことに、ここは男子更衣室。
しかもそれは、そんじょそこらの更衣室ではない。硬式野球部の更衣室なのだ。
むさくるしい男たちが所狭しと詰め込まれ、汗と制汗剤と汗と汗のにおいに満ち満ちた地獄のような空間である。
「あーあ、おいらも女の子と登校したいでやんす」
「荷物が二倍になってもかい?」
「それはご褒美でやんす」
「身近に需要あったよ……」
「需要? 何のことでやんすか」
「いいや何でもないよ、矢部君」
俺はそう呟きながら、ユニフォームに袖を通す。
矢部明雄。瓶底眼鏡と独特な語尾がトレードマークの俊足外野手である。空気を読めずチャンスに弱いが、意外と憎めない男であり、クリスマスやバレンタインにはお互いの傷をなめあえる相棒的な存在だ。
「それにしてもみずきちゃん、今日は朝から容赦なかったよなー」
「また荷物持ちでやんすか?」
「そうなんだよね。まあ、別にいいんだけどさ」
「ダメでやんすよ、パワプロ君は甘すぎるでやんす! ここは先輩らしく強気に行かなきゃだめでやんすよ!!」
「それ矢部君が言えるセリフ?」
矢部君はこんなことを言っているが、彼がみずきちゃんに対して強気に出ているところを見た試しが無い。しかも、みずきちゃんの矢部君に向ける当たりの強さが普通とは別ベクトルであるのだ。あまり興味がないと言うべきか、それこそ別段思い入れのない手駒で遊んでいるだけというべきか。
……まあ可愛そうだから本人には言わないけど。
「それにしても」と仰々しく矢部君は言い、
「今頃、みずきちゃんと聖ちゃんは着替えの最中でやんすかね〜〜ムフフッ」
「流石に気持ち悪いよ矢部君」
男子更衣室と女子更衣室は、少し離れた位置にある。というのも、部室棟が男子競技と女子競技で分かれているため、野球部の女子部員もわざわざ女子部の使う部室棟に行って着替えているのだ。
距離にしては遠いというわけではないが、大声を出さない限り、本来ならば声が聞こえることはないだろう。
「ねえ、聖」
「うむ? どうした」
「なんか寒気がしたんだけど……」
「奇遇だな、私もだ」
ところ変わって、ここは件のエデン、女子更衣室。
矢部君のむふふな望みは届かず、2人はすでにユニフォームに着替え終わっていた。
「朝練はねー、メイクと前髪崩れるし、準備のために早起きしなきゃいけないから面倒なのよねー」
グローブとトレーニングシューズを鞄から取り出すと、気怠そうに言う。そんな様子を横目に、六道聖はいつものお返しだと言わんばかりに口を開いた。
「朝からちゃんとメイクして、パワプロ先輩に見せるためにか?」
「な、な、な、何言ってんのよ聖──ッ!!」
「なら、朝からちゃんと先輩に会えて良かったな」
「ちがっ、べつに、そんなんじゃないからー!?」
聖は「まったく」と呆れた表情で立ち上がり、
「そうやって素直になれないでいると、いつまで経っても付き合えないぞ。それどころか、先輩が他の誰かと付き合い始めるかも知れないぞ?」
みずきは動揺を隠しきれない様子で、手をあたふたと振る。周りには当然、聖しかいないと言うのに2、3度室内をぐるりと見回して、
「え────、いや、でも、まさか、そんな」
「……先輩はモテてるからな。そのうち、彼女を作ってもおかしくない」
「うぅ……」
この素直な姿を見せれば、パワプロ先輩もイチコロなのに。聖はそう思う。しかし同時にこの様子では当分、思いを伝えるのは無理そうだなと悟る。
なにせ、2人きりになるといつもよりキツく当たってしまうほどの、もはや絶滅危惧種ともいえる生粋のツンデレというやつなのだ。そんなに簡単に素直になれるなら、今頃付き合うことができたはずだ。
「で、でも~、今更素直になれって言われたって出来ないし、っていうか、もともとこういう性格だから仕方ないじゃん」
「そう言ってるうちに、先輩は彼女を作るのだな」
「聖のバカ──ッ!!」
「……馬鹿と言われても、先輩が誰かと付き合っても、本当に知らないからな」
聖はそのまま外に向かって歩き出す。いつも強気でSっ気の強い彼女をここまで動揺させることができるパワプロ先輩の話題は偉大だな、と思いながら声に出さず笑う。
背中を向けているためその表情に気がつかれることはなく、追いかけるようにしてみずきも駆け足で出口に向かった。
「待ってってば聖!」
「なんだ?」
「す、素直になるって、どうすればいいのよ」
手をいじりながら気恥ずかしそうにするみずきを見て、聖は苦笑を漏らす。
好きだからいじってしまうというのは、小学生男子みたいだ。アピールをするのにも、元来の性格でもあるのだが多少背伸びをして小悪魔キャラになってしまうのもなんと不器用なことか。
見た目はかわいいのだし、正統に攻めていけば良いというのに。
「とりあえず、先輩に対して優しくしてみるのはどうだ?」
「優しく、ねぇ……。例えばどういう風によ」
ううむ、と顎に手を当て聖は考える。
(そういえば、先輩。この前矢部先輩とギャップ萌えどうだとか話していたような)
しかし、ギャップ萌えとは如何なものか。俗っぽい単語には疎い聖は頭脳をフル回転させる。
ギャップというのだから、普段とは違うような差異のある行動をとることだろう。であれば、それは配球を組み立てるのと似ている。セオリー通りではあるが、速度の遅いカーブの後のストレートのように組み立てればいい。
「……たとえば、だな。みずきはいつも先輩に甘いものやジュースをおごってもらったりするだろう。だから、そこはあえて逆に、みずきが先輩に何かあげたりしてみるのはどうだろうか」
「ふむふむ」
「考えてみろ、いきなり異性から物をもらったりしたら、自分に好意があるのではないかと疑うだろ?」
「確かに」
「それが普段そんなそぶりを見せないみずきが先輩に何かをあげたとしたら──」
「!」
「どうだ、みずき。完璧な配球だろう」
「流石ね聖! これで先輩も三球三振よ!」
大人びている六道聖も、小悪魔系を演ずる橘みずきも、残念なことに、生粋の生娘であった。
確かに、男という生き物は女子からのプレゼントに弱い。
だが、理由もなく突然これをやろうとしてうまくいく保証はどこにもないのだが──
「ふふふッ、先輩のデレデレした顔がすぐにでも浮かんでくるわ」
「うむ、流石みずき。その調子でいけば必ずやる打ち取れるぞ」
自ら動くという恋愛経験に乏しい彼女らは、単純すぎる作戦を、盲目的に信じる事になったのだ。
「そうと決まれば早速──」
ガチャリと、音が経つ。年季の入った金属特有の音が、床と扉の摩擦で鳴り響く。
「あ、みずきに聖。おはよー。なんか楽しそうにしてたけど、何話してたの?」
こてんと、小首を傾げると、ぴょこりと、黄緑色のおさげが可愛らしく揺れる。橘みずきと六道聖の一つ上の先輩であり、2人の慕うサブマリンの投手。身長は167cmで、キュッキュッボンの丸型フラスコ体型(矢部明雄談)の美少女。
早川あおいが更衣室にエントリーする。
「いやー、そのー、たいした話じゃないといいますかー」
明らかにしどろもどろになりながら、言葉を探すみずき。その様子を見て、あおいは頬を膨らませる。
「もう、2人だけの秘密とか、なんかやだな」
「うう、実は──」
先程聖に責められたからか、はたまたモンスター生娘は判断を失ったのか。いつもなら恥ずかしくて他人には決して言わなかった「先輩が好きである」という趣旨の話をみずきはあおいにしようとして──
「ストーッップだぞ!」
「むぎゅ」
みずきの混乱した失投連発の口を、恋女房は体を張って見事にセーブ。左手で覆い失言を無事隠し切る。すると、みずきの耳元に口を持っていき、
(先輩のことを好きだってことはあまり他の人に言わない方がいいぞ)
あおいに聞こえないほどの小さい声でナイスなアドバイスをささやき戦術。
(な、なんで?)
なんだかんだと言われたら。
そんなの答えは簡単だ。
早川あおいもまた、パワプロくんに惚れているからだ。
この三人娘の中で、そのような複雑な事情になっている事を知っているのは聖だけであり、最悪のパターンである正面衝突を避けるために陰ながら努力をしていたのだ。
(なんでも、だ)
(わかったわよ)
「あー! そうやって、また2人で内緒のお話ー?」
「違うぞ、あおい先輩。あおい先輩だけじゃなくて、まだこの話は他の部員誰にもしていないのだ」
内心では焦りながらも、正捕手としてのプライドを見せて、冷静に対応する。
「良かったー、ハブられてたわけではないんだね」
「まさか! そんな事するはずが無いのだ」
「もしかして、新球種の話とか?」
新球種。
あながちそれは、間違いでは無いのかも知れない。
『パワプロ 先輩にものを貢いでみずきのギャップをアピールする作戦』は、いわば普段のみずきの態度をストレートだとすると明らかに変化球なのだ。つまりこれは、実質的にみずきの(小悪魔的)新球種習得イベントなのである。
「ま、まあ、そんなものだぞ。あおい先輩」
嘘では無い。決して、嘘はついていない。
なんなら、場合によっては修羅場に発展しかねないこの場を上手く乗り切ったのは、9回裏一点差ノーアウト満塁の大ピンチを自らのリードで凌ぎ切った時ほどの達成感を感じる。
「あ、あおい先輩。先に朝練行ってくるぞ。ほら、みずきも早く行くぞ」
最後には戦略的撤退。
これにて聖は、みずきの対パワプロ先輩の配球と、修羅場回避の配球を考え抜く事に成功した。
しかし。まったくもって、捕手というポジションは不遇である。
投手が打たれれば捕手の責任にされ、投手が抑えたら投手が褒め称えられる。なかなか日の目を浴びる事のないポジションだ。
気苦労は耐えることなどないし、自分が投手2人を引っ張って、背中を押さなければいけないのだ。決して、投手の足を引っ張ってはならない。
(やっぱり、私は『恋』など出来そうもないな)
淡い恋心は、野球と友と先輩と、言い訳じみた捕手の責任にして心の奥にしまうのだ。
続く