みずきちゃんを泣かせたいだけの話   作:梵尻

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みずきちゃんを泣かせたいだけの話 2

「せ、ん、ぱぁーいっ」

 

 嫌な予感がする。

 今朝に引き続き聞こえてくるのは、小悪魔系後輩みずきちゃんの、甘ったるい猫なで声。たぶん、今回も彼女は何かを企んでいるのだろう。

 

「なんだい、みずきちゃん」

 

 日が傾き始めたころ、グラウンドのどこかから時刻を告げる鐘が鳴った。それは練習を終わらせ、帰り支度を促す合図だ。

 運動部のうるさい声も鳴りを潜めて、茜色が校舎の白壁を染める中、俺は居残りでの自主練習をするべく準備をしていた。

 

「先輩、もしかしてこれから自主練?」

 

「うん、そうだよ」

 

「そっかー偉いね先輩」

 

「いやー、それ程でも」

 

 かくいう自分も人一倍練習しているくせに。

 いつも飄々としている彼女も、決して努力せずに上手くなったのでは無い。いくら野球の才能があるといえ、女性であるため骨格や筋力などで差がつくのが当たり前であるところを、努力で乗り越えてきているのだ。

 彼女はそのようなところを表にはあまり出さないが、俺はこっそりと尊敬している。

 

「そんな頑張る先輩に、ご褒美をあげちゃう!」

 

「ほう、なんだなんだ」

 

 いつもご褒美をねだる彼女がまさか俺にご褒美をくれるだなんて、珍しいことがあるものだ。

 みずきちゃんはとこからか緑色に包装された、細長のものを取り出す。

 彼女とその手元にあるものを交互に見つめて、これがおそらくプレゼントであると言うことを確認する。

 

「はい、ガム! 私からのプレゼントだよー!」

 

「おっ! ありがと……」

 

 俺は、珍しくみずきちゃんから何かをしてくれたということに対して、嬉しさを感じながらガムに手を伸ばす。

 しかしまあ、ガムとはな。

 勿体ぶってプレゼントと言うのだから、正直なところもう少し何か良いものをくれるのかと思っていた。とはいえ、彼女のニヤニヤとした笑みを見ると、内心では嬉しくもある。

 ガムは既に空いている。2、3個は先に食べたのだろう。ミント味のガムを近頃食べていないなということを思い出して、以前食べたのはいつだったかと考えて、連鎖するようにいくかの記憶の木の枝たちが揺れ始めて──

 そうして、取る直前となって、あることを思い出した。

 

 ──いや、待てよ。

 

 こんな光景を、俺は見たことがあるはずだ。

 似たような映像が脳内にある。酷い経験を体が覚えていた。

 

 確か以前、小悪魔のコスプレ? をした彼女が似たようなシチュエーションで俺にガムを出したことがあったはずだ。

 その時、俺は見事に罠に引っかかった。

 

 1回目は取ろうとする際に、パチン、と指を挟んでくるやつで、2回目に関しては指先が触れた瞬間に電撃が流れる仕組みになっていた。

 つまり、脳内にある最後にミント味のガムを食べた記憶は日常の風景すぎて残っておらず、ミント味のガムを騙られて2度ほど痛い目を彼女に見せられた記憶が蘇ってきたのだ。

 

 だとすれば、果たして今回は、どんな仕掛けがあるのだろうか。みずきちゃんのことだ。まず仕掛けが何も無いとは考えられない。必ずや過去の仕掛けを上回ってくるに違いない。

 電撃以上となると……なんだ? 

 想像もできないぞ。それほどにヤバイ仕掛けがあるのかも知れない。

 

「──いや、もうその手には乗らないぞ」

 

「……えっ?」

 

「みずきちゃんがいきなり理由もなく俺にガムをあげるってのも怪しいし、それに、前にもあったじゃないか、こういう事。あの時は、まんまと騙されたなー」

 

「ち、ちがっ」

 

 みずきちゃんはなおも可愛らしく否定してくるのだが、負けてはならない。その小悪魔的部分につられて何度痛い目を見たことか。

 見事なまでにちょっとした動揺を、細かい表情や仕草までもうまく演じているなと思う。眉の端は垂れ下がっていて、肩を寄せた拍子にユニフォームのしわはいっそう深くなって。

 

「いやーでも危なかった。自然な流れで取らせようとするのは流石みずきちゃんだなぁ」

 

「違くて、本当にただのガムだよ!」

 

「はいはい」

 

 今日は珍しく粘るのだな、と思うと同時に、そこまで凝った何かを仕掛けているのだな、と改めて思う。「よく気づいたね、せんぱ〜い」とか「ちぇっ、今回は引っかからないか」とか、小悪魔的な発言をすぐさましてくるのが彼女の常だと思っていた。やはり、今回の罠は相当なものなのかもしれない。

 

 であれば是が非でもかかるわけにはいかない。どうせなら矢部くんあたりに犠牲になってもらおう。

 俺はすでに似たような罠に引っかかっているのだから、その役目は彼に譲ろう。電撃以上だとしても、もしかしたら「ご褒美だ」と言って喜んでくれるのかも知れない。

 

「でも俺、騙されそうだったし、矢部くんあたりを狙ってみれば? あざといのに弱いだろうし上手くいきそうじゃない」

 

「……先輩のバカ」

 

 珍しくみずきちゃんはうつむきがちに、何が呟くと、

 

「え?」

 

「あらら、残念。2回目じゃ引っかからないよね! さすがに学習能力はあるみたいね」

 

 いつも通りに笑って見せた。

 その流れでの小悪魔表現は、まるでいつもの感じとは違っていた。まったく普段通りに戻った彼女は、こちらに向かって上目遣いと甘えた声で難を逃れる。

 

「俺のことを何だと思ってるんだよ……」

 

 ちらりと見えた、みずきちゃんの表情。普段見ることのない表情であったし、一瞬のことであったため、その表情から心情を深く読み取ることはできなかった。俯きがちに放った「バカ」という一言も、普段から言っているような声のトーンではなくて、心臓が強く跳ねたのを感じる。

 

 しかし、それも本当に一瞬のことである。

 

 そこにあるのは、いつも通りの小悪魔的な微笑みと、いつも通りのかわいさだけだ。俺は、理由もなく安堵する。

 

「じゃ、俺は準備するから。また後でね、みずきちゃん」

 

「バイバ〜イ!」

 

 ドキリ、とした気持ちがバレないように、逃げ出すようにしてその場から離れる。

 変だ。

 みずきちゃんは可愛い後輩であって、そーゆー関係性ではないはずだ。

 一足でも早く練習を始めなければ。俺はそう思い、グラウンドを足早にかけていく。

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 彼がさった後、残されたみずきは一人ため息をつく。

 運の良いことに、ちょうどその瞬間は誰にも見られておらず、強気じゃ無い自分を守ること自体には成功した。

 だが、それでも。

 いつも以上に可愛く振る舞ってみたものの、彼はいつも通りにいなしてきただけであった。いっそのこと、本当にあのガムに何か仕掛けをしていれば、こんな思いをしなくて済んだのでは無いかとまで思う。

 

「そりゃ、……そうよね」

 

 舞い上がっていた自分が馬鹿みたいだった。

 それもそうだ。慣れないことをやるものではない。いつもの自分の態度から、先輩があのような反応をすることはわかり切っていたはずだ。それなのに、調子に乗って、自己を過信して、馬鹿みたいな失敗をする。結局のところ、いつもの行いが自分に帰ってきたのだ。

 

「もうっ……!」

 

 やり場のない怒りや苛立ちだけが積もる。

 

「あれ、みずきちゃんも居残り練習でやんすか?」

 

「メガネ先輩……、ちょっとあっち行ってて」

 

「いきなり酷いでやんす!」

 

 突然現れた矢部先輩に、その呑気な口調に腹を立ててしまう。別段彼が悪いと言うわけでも無いのに、そんな苛立ちを隠し切ることができなくて、手を強く握る。すると、そこにはタネも仕掛けもないチューイングガムがあった。

 

「………………これ、あげる」

 

 持っているのも馬鹿らしく感じた。腹を立てるのも馬鹿らしく感じた。

 捨てるようにして潰れかけたガムを矢部先輩に向けて乱雑に放り投げると、振り返ることなくその場を後にする。

 

「やったー!! でやんす」

 

 やはり、私にはできないのかもしれない。

 

 パワプロ先輩は、聖が言うのにはモテる。

 

 ……まぁ、確かに、ちょっとだけカッコいいし、野球も上手いし、性格も優しくて魅力的だし。モテてもおかしくないのかも知れない、

 それに、彼の周りには、自分より魅力的な女性もいるだろう。聖だってその一人であるし、女子マネージャー達もいる。そして、パワプロ先輩と幼なじみであるというあおい先輩もいるのだ。2人の仲は、恋人までは確実にいっていないものの、何が起こるかなんてわからない。

 少なくとも、自分よりは高い可能性があるだろう。

 

「……はぁ」

 

 深いため息を出す。重苦しくて、あたりの空気が淀んだのではないかと錯覚する。

 茜色の夕陽は、時間としてはほんの一瞬で、校舎もグラウンドも、紅潮するのはやめていて、だんだんと暗闇に浸食されていた。

 

 今日は、居残り練習やめた。

 

 重苦しさと、薄暗さを追い払うように、駆け足で更衣室へ向かう。このままでは、窒息してしまいそうだったから。

 

 ⚾︎

 

「聞いて欲しいでやんす」

 

「どうしたんだい、矢部くん」

 

「みずきちゃん、おいらに惚れてるでやんすよ」

 

「頭大丈夫?」

 

「大丈夫でやんすよ」

 

 居残りの練習を終えた帰り道。矢部くんはコンビニのホットコーナで買った、ピリ辛のフライドチキンに夢中になりながら、そんな夢物語を口にする。

 

「実は今日、みずきちゃんからガムを貰ったでやんすよ」

 

「……いや、ガムをくれたくらいで惚れてるって、どーゆー事だよ矢部くん」

 

「だって、あのみずきちゃんがでやんすよ!?」

 

 そう言えば。居残り練習の準備をしていたときのことを思い出す。あの時も、みずきちゃんが俺にガムを渡そうとしていた。であれば矢部くんはきっとあれを受け取って──

 

「で、そのガムはどんな仕掛けがあったの?」

 

「仕掛けでやんすか? 何言ってるでやんす。普通の美味しいガムだったでやんす」

 

「……え?」

 

「居残り練習の本の直前でやんすね、貰ったのは。羨ましいでやんすか〜?」

 

 おかしい。

 ちょうどそのタイミングで、みずきちゃんは俺にもガムを渡そうとしていたはずだ。なのに、なぜ矢部くんは仕掛けに引っかかっていないのか。

 

 俯きがちだった彼女の横顔を思い出す。

 

 もしかして、あのガムは本当にタネも仕掛けもなくて、ただ善意で俺にあげようとしていたものだったのではないだろうか。

 

 ──なんて。考えすぎだな。

 

 たかがガムだ。

 誰にだってガムくらいあげたりする。しかも、善意で俺にあげようとしていたのならば、彼女のセリフと合わないじゃ無いか。あの時はっきり、「あらら、残念。2回目じゃ引っかからないよね! さすがに学習能力はあるみたいね」と言っていたのだ。

 矢部くんの時には、もうガムを使っての悪戯に飽きていたとか、そんな理由だろう。

 

「矢部くんはいいなー、俺なんてまた騙されそうだったんだからね」

 

「それってつまり、みずきちゃんはやっぱりオイラのこと!?」

 

「ははは、それだけは無いかな」

 

「酷いでやんす──!?」

 

 ⚾︎

 

「聖ぃ…………」

 

「どうしたんだ、こんな時間に」

 

 時刻は真夜中の12時を、少し過ぎて13分。お風呂にも入り、朝練も早いし、さて寝ようと決意したタイミングで、聖の携帯に着信が入った。

 通話の相手はもちろん、橘みずきだ。

 いつもの勝ち気な少女は鳴りを潜めて、電話越しに聞こえてくるのは、塩をかけられた水菜のように、萎れた声だった。

 

「パワプロ先輩のこと、やっぱり無理だよぉ」

 

 どうせまた、変なプライドが邪魔をして、素直になれず失敗したんだろう。との思いは当然口に出すことはなく、心の中に秘めておく。

 

「……一応聞こう。何があったんだ?」

 

 実はね、と言い居残り練習の直前にあった一部始終を話す。

 一言で簡単にまとめれば「先輩がガムを受け取ってくれなくて悲しい」という事であり、やはり先程の私の予想は当たっていたのだなと納得する。

 

「ふむ、それは確かに先輩も酷いかもしれないが、元はと言えばみずきの今までの行動に問題があったからな」

 

「アドバイスしたの聖じゃない! そこまで言わなくても……」

 

「確かに私は提言したが、まさかガムなんてものをあげるとは思ってもいなかったぞ」

 

「ど、どうしてよ!?」

 

 スマートフォン越しでも、感情がまるごと伝わってくるみずきの悲痛な叫びに、失礼だなと思いつつも苦笑を漏らす。もし目の前に彼女がいたのであれば、どれほど機嫌がナナメになる事やら。

 しかし、パワプロ先輩に対して何かをあげると言っても、まさか、たかがガムだとは思いもしなかった。

 もう少し女の子らしいというか、乙女チックというか、何にせよ彼に対して意識付けができるアピールが必要だった事に揺るぎはない。とはいえ、自分の提言も具体性に欠けていたのであって、一概彼女を責めるわけにはいかない。

 

「考えてもみろみずき。お前は先輩にガムをもらっただけで、舞い上がるほど嬉しくなるか?」

 

「それは、その……えへへ……」

 

 この様子、想像しただけで舞い上がるほど嬉しくなっている。

 ……全く、ここまで恋の病が重症だとはとは思ってもいなかった。

 

「ま、まあそれはそれとして。例えば、先輩からガムを貰うのと、ちょっとお洒落な洋菓子を貰うのと、どちらが嬉しい?」

 

「……どっちも嬉しいわよ」

 

 みずきはさも当然かのように言う。

 

「どっちかと言ったら?」

 

「それは、まあ、お洒落なお菓子のほうね」

 

「つまり、そう言う事だ」

 

「つまり、お洒落な洋菓子を渡せばいいのね!?」

 

「そうじゃないけど……、そう言う事にしておこう」

 

 あくまで、例えばの話であり、男性から女性に対する贈り物の話である。大事なのは気持ちというのはもちろん存在するが、結局はその気持ちを表すために、それ相応の値段と、それ相応のプレゼントは必要になってくる、という話であったのだが。

 

「よーし、ならパワ堂のプリンね。いつも奢って貰ってるし、先輩にプレゼントしてあげれば、魅力的な私にイチコロね」

 

 この様子では、正確に通じていないらしい。

 しかし、間違えを犯しているというわけでもない。そもそも、本来はパワプロ先輩に対するアプローチと言うのであれば、協力する必要性も無いのだ。

 これ以上は、流石に、自分の力でどうにかして欲しいものだ。

 

 電話越しに舞い上がる彼女の存在を確かに感じながら、バレないようにこっそりと通話終了のボタンを押した。

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