「せ、ん、ぱぁーいっ」
嫌な予感がする。
その理由は、つい先程同級生の告白を受けていたせいでみずきちゃんとの約束に遅れてしまったからだ。
彼女のことだ。
遅刻した俺に対して、きっと容赦のない態度を取るのだろう。しかも、雨の中で待たせてしまったのだ。機嫌を悪くしているのかもしれない。
「ご、ごめん、ちょっと用事があって……」
冷や冷やとしながら、校門の前に佇むみずきちゃんの様子を伺う。
彼女が傘をくるくる回すと、水滴が四方に跳ねる。怒っているのか、はたまた俺をいじる良いチャンスを得られたと喜んでいるのか。
一見した印象だと、後者であった。
「ふっふーん、まあ、許してあげる」
「えっ」
「えっ、って何よ」
「ああ、いや、その何でもナイヨー」
「変な先輩」
だが、みずきちゃんの態度は予想外のものだった。
「それじゃ、レッツゴー」
怒っている様子でなければ、こちらに対していたずらをする様子でもない。これすらも作戦なのか、と勘繰るが「レッツゴー」の掛け声に合わせて、傘を持たない方の手を、ぐっと空にかざす姿を見ると考え過ぎに思われた。
みずきちゃんは水たまりを軽快に跳ぶと、鼻歌を歌いながら歩き出す。俺も置いてかれぬようにと、後を追う。
「これじゃあまるでデートみたいだ」
俺はそう考えていた。だけのはずだったのだが。
彼女の素直な態度に呆気を取られており、また、安堵と油断もあったのだろう。ついつい口からその発言は、声としてぽろりと漏れ出ていた。
やばい、と思ってみずきちゃんを見ると、彼女はくるりとこちらに振り向いて、
「ふふふっ、こんなかわいい後輩とデートだなんて光栄に思いなさい!」
どうやら、悪い気分にさせてはないらしい。
「自分で可愛いって言ってるよ」と言おうとして、止める。喉のギリギリのところまで出かかったその言葉をすんでのところで引き返させた。安堵と油断で茫然とした自分は、正常さを取り戻せたようだ。
以前にも、こんなやり取りをしたっけか。
ふと、先程受けた告白のことを思い出す。
現状だと、野球第一で、そう簡単に誰かと付き合おうだなんて思わなかった。
だのに、どうしてか、このかわいい後輩とのデートは、心が躍っている。
「そうだね、光栄に思うよ」
「え、先輩なんか素直でキモい」
「俺はなんて答えるのが正解なんだ」
くだらないやり取りに、彼女は満面の笑みをみせる。いつにも増してみずきちゃんはご機嫌だった。
クレッセントムーンを完成させた時と同じか、もしくはそれ以上にだ。一体全体、何があったのか。
「〜〜♪」
まあ、何があったかは知らないが、こうやって上機嫌な彼女を眺めているのは嫌いではなかった。機嫌が悪い時と比べればもちろん、ご機嫌な方が良いわけであるし、嬉しそうな彼女を見るのは好きだ。
「今日はパワ堂のプリン奢ってくれるんだっけ?」
「今日だけだからね!」
「それにしても一体、どーゆー風の吹き回しで──」
「その代わり!」
俺のセリフにかぶせてくるように、みずきちゃん大きな声を出す。ぴん、と人差し指をこちらに向けて突き立てる。
ご機嫌な頬はいつもより紅潮していて、本当に楽しそうであった。
「パワ堂に行く前に買い物に付き合ってよね!」
「そのくらいなら、もちろん良いよ」
「それと、荷物持ちも!」
「……」
「何よその顔」
「いや、結局荷物持ちはさせるのね」
「当たり前でしょ」
「さいですか……」
どうやら、彼女にとって俺が荷物持ちであるのは自明の理であるらしい。
しかし、買い物となれば聖ちゃんやあおいちゃんと行く時も、どうせ自分から荷物を持つように言うのだから、結局は変わらないのかもしれない。
……ただ、みずきちゃんには、あの二人みたいなお淑やかさや遠慮などをぜひ覚えてもらいたい。あおいちゃんはお淑やかでは無いけれども……。
と言ってみたものの、気を一切使わないその態度は、親しみやすい彼女の魅力なのだろう。
「よーし、奢ってもらう分の働きはしてやろうじゃないか」
「さっすがセンパーイっ! イケメン! 男前!」
「お、褒めたって何も出ないぞ」
「野球上手い! 優しい!」
「でも嬉しい! 何も出さないけどもっと褒めて!」
「頼れる! 部員の信頼ハンパない!」
「わははは、もっともっと褒めてくれても構わんぞ!」
「あんまり調子に乗るな!」
「ひどいっ!」
「ふふふっ」
彼女は再び、綺麗な笑顔をこちらに向けた。
弱くもない雨が降る中、彼女の周りは不思議と光って見えて。小躍りするように歩くと波紋を広げる足元の水たまりも、彼女に照らされて眩しいくらい反射していた。
落ちてくる雨粒の、一つ一つがプリズムのように輝いている。周りの全てがみずきちゃんを美しく映える要因にも思えて。ここはまるで、水色の髪の彼女が主演の独壇場だった。
小悪魔のような笑顔でもなくて、作り笑顔でもなくて。
そんな彼女の笑顔に、俺はただただ見惚れていた。
⚾︎
そこそこ栄えている駅であるならば、大抵は近くにあるようなデパート。3つの路線が交わるお陰か、まあまあ賑わいのある我らがこの街にもそんな場所がある。私鉄の南口改札から歩いておおよそ3分程。駅と懇ろなのかと思うほどに、わかりやすい動線がその間には結ばれている。
駅から出て、信号にも引っかかることはないままに目的地のデパートへと到着する。
「一般的なデートだと、こんな場所は選ばないだろうな」
「それは……まあ、確かに」
ベットタウンであり、今日が雨の日だからというのもあるだろう。この施設内には平日といえどそこそこの人が入っていた。
デパートでお買い物。
デートであれば、それ自体は定番である。
映画を見た後にウィンドウショッピングをするもよし、おしゃれなレストランとの中継ぎに登板させるのもよし、街ブラのついでに入るもよしのトリプルスリーをも狙えるプレーヤーと同じだろう。言わば、デート界の山田哲人だ。
その証拠に、デパートの入り口には多かれ少なかれカップルはいた。
しかし、今向かっているのは4階。フロア名としては「スポーツ用品・アウトドア売り場」。
有名なアウトドアブランドならば、デート途中によってもおかしくはないのだが、俺たちは、デートではあまり行かないであろう、スポーツ用品売り場を目指していた。
みずきちゃんはデパートに入ると、一階のコスメショップを見向きもせずにエスカレーターへと向かった。曰く「どーせ先輩わからないでしょ」との事だ。
二階の婦人服、三階の婦人子供服、四階の紳士服も横目に飛ばして行って、辿り着いたのは4階のスポーツ用品アウトドア売り場。選ばれたのはスポーツショップ。
普通のデートであれば、やはり選ばれることはあまりない選択肢だろう。
「いいの? ここで」
「何が?」
「いや、二階とかの方が服売ってるかなーって」
エスカレーターの最後の二段を、みずきちゃん軽々しく飛ばす。四階に到着して、二段後ろにいた俺に振り返る。
「上から攻めるのが、基本よ」
「つまり?」
「上の階からまわるだけだから。ちゃんと下の階も行くから、安心しなさいってこと」
それはつまり、俺の持つ荷物は、多くなるという事だった。
「それに私、ここで買いたいものあるし」
「ちょうどいいや、俺も新しい守備手欲しくて」
お互いが現役のベースボールプレーヤーであるから、ここはここで楽しい場所なのだ。ある意味では、一般的なデートからはズレてるのかもしれない。とは言え、お互いが欲しいものがあるのだから、ここに来たのは偶然ではない。
そして何より、お互いが楽しいのなら、きっとそれがデートの正解なのだ。
「みずきちゃんは何を買いに来たの?」
「マニキュア」
「マニキュアって……一階のコスメ売り場の方が売ってない?」
「おしゃれ用のじゃなくて」
みずきちゃんはある売り場の方を指差す。
すらりと伸びる手は、毎日の練習があると言うのにも滑らかな肌だ。きちんと手入れが行き届いているのだろう。
マニキュア、と言われたからには、彼女の指先に視線が向いてしまう。
一般的に、ネイルアートと言われるようなものは付けていない。青春盛りの女の子であるといえど、彼女は我が部の大事な投手でもある。それらを犠牲にした上で、美しい球を放っているのだ。
だから、彼女の爪は特別に盛られているわけではないのだが。
だと言うのに、それは真珠のような乳白色で、月光のように透き通り、鏡面のように照り輝いていた。本当に、美しかった。
ヘタにネイルアートをしている人の爪よりも、何百倍も綺麗だ。
「スポーツ用の──」
「みずきちゃんの爪、すっごく綺麗だよね」
「──はぁ!?!?」
突然の褒める攻撃に、みずきちゃんは珍しく顔を真っ赤にする。
いつもなら褒められると調子に乗るクセに。むしろ「もっと褒めろ」と増長しているクセに。
うまく彼女の不意をつけたのだろう。
「だってさ、ネイルアートとかしてるわけじゃないけど、整ってるし、綺麗だし」
「そ、そりゃあピッチャーやってるんだから爪くらい整えて当然よ」
「いやー、爪だけじゃなくて指も綺麗だしさ、野球で忙しいのにちゃんと手入れしてるの尊敬するよ」
「あ、あったり前よ。もっと尊敬しなさい!」
ぷいっと、そっぽを向き「まあそれは良いとして」と続けて、
「その手入れをするために、スポーツ用の保護マニキュアを買いにきたの」
「そんなものまであったんだ」
「ピッチャーやってて爪割れると結構大変なのよ」
「でも、みずきちゃんの爪ほとんど傷がないし、凄い綺麗だよね」
褒め殺しの追加攻撃だ。
彼女を褒めちぎるとたまに見られる、口では否定しながらも照れている表情は、ついつい見たくなってしまう。
「そんなに褒めたって、何も出てこないわよ」
みずきちゃんは照れをの誤魔化すように仰々しい態度を取る。どんなに恥ずかしさを隠そうが、赤くなっている耳が彼女の心境を雄弁に語っていた。
横を向いたまま、彼女は黒目だけでこちらを一瞥する。
「って何ニヤニヤしてんのよ!」
「え、俺ニヤニヤしてた?」
「思いっきりしてた」
この前も矢部君に同じことを言われたっけか。
俺は少し、表情筋をうまく制御できるように鍛える必要があるのかもしれない。
まったく、と彼女は言い、スポーツ用マニキュアのある方角へと俺を置いて歩き始める。少し弄りすぎたかな、とも思ったが、そもそも普段はみずきちゃんの方が何倍も俺をいじってくるのだと気がつく。であれば、これくらいは多めに見て欲しい。
普段は弄る側のみずきちゃんだからこそ、弄られる際の防御力は低いのだろう。
俺は彼女の後を追いながら、店内を物色する。
守備用の手袋は──、あった。あそこだ。
それとみずきちゃんは──、どうやら目当てのものは手に入れたらしい。俺は彼女の近くへと遅めの駆け足で近寄り、
「選ぶの早いね、みずきちゃん」
「スポーツ用の保護マニキュアなんて、そんなに種類ないからね」
「それもそうか。じゃあ次はさ、俺の守備手を一緒に見てよ」
「次はさって、別にこのマニキュア一緒に選んだわけじゃ無いじゃない」
「うぐっ、ま、まあ……。分かった、後でちゃんと下の階を回るときに、男目線からの意見でみずきちゃんが服を選ぶの手伝うからさ」
「先輩のファッションセンス、当てになるの?」
「……それは、回ってみてのお楽しみという事で」
「まったく、もう」
そう言う彼女の表情は、決して嫌そうなものでは無かった。
俺は、自分のファッションセンスに自信があるわけではない。しかし、側から見ても可愛い彼女の試着七変化にお付き合いできるのは悪くないだろう。
「さっさと先輩の買いたいやつ選んで、下の階回ろ」
「うん、そーだね」
やはり、口ではつんけんした態度をとるし、口だけで無く行動でそれを示すことが大半であるのだが、それは彼女が決して素直でないだけで、こうやって一緒に選んでくれている姿を見るとホントに可愛い。
「またニヤニヤして、さっきから先輩のくせに生意気」
「それ、みずきちゃんの言える台詞か?」
「なんか言った?」
「いいえ何も」
慣れてしまえば、彼女の人間性を分かってさえしまえば、こんなくだらないやり取りだって、何よりも楽しく思えた。
そして俺は、白と黒をベースとして、彼女の髪と似た水色が差し色として入れられている守備用手袋を手に取って、これはどうかなと彼女に見せた。