早坂愛は避けられたい~有能侍女の恋愛伯仲戦~【完結】 作:鍵のすけ
花坂は打ち間違えではなく、他の使用人の名前のつもりでしたが、紛らわしいので「花咲(はなさか)」という風に名前を修正しました。今後ともよろしくおねがいします。
「……」
目を閉じる。すぐ開く。再び目を閉じる。すぐまた開く。
小倉は今、ベッドの中に入ったは良いが、ずっとこの調子なのであった。
あれから一瞬たりとも寝てはいない。ただ身体を休めているだけに過ぎない。
仕事はおろか、学校も当然のごとく休み。
抜け出そうとすれば他の使用人たちに見つかり、すぐに部屋に連れ戻される未来が見えていたので、その気も起きず、ひたすら待機の時間を繰り返す。
無為に過ぎる時間への恐怖。この感情が今日一日降り掛かってくることの絶望。
詩的に語ってはみたが、要はめちゃくちゃ暇なのだ。
「仕事を……したい」
働かざる者食うべからず。常に働き続け、それに生きがいを見出していた彼にとって、これはあまりにも残酷な生き地獄となっていた。
既に頭の中では、この別邸の掃除を行っていた。何を言っているかわからないと思うが、彼はこうすることで働きたい欲求を何とかして抑えていたのだ。
脳内ワーキングの最中、それを遮るようにノックの音がした。
「仕事の応援か!? 手が足りなくなったか!? もう仕事をして良いんだな!?」
「そんな訳無いでしょ」
とことん呆れ返っていた早坂がそこにいた。
彼女は手近な机に小さなお盆を乗せた後、小倉の方を見やる。
「何回も何十回も言っているけど、今日はぜっっっっっったい休んでもらうから」
「俺に仕事をさせなかったら、俺に何が残るんだよ」
「休むという大事な仕事がある。……はい」
「ん、土鍋? お粥か?」
「せーかい」
土鍋の蓋を取ると、味噌の香りがふわりとした。その匂いだけで脳細胞が活性化する。
それは間違いなく、小倉の大好物の――。
「味噌粥か!」
「お粥なら味噌粥が好きだって聞いたことあったから」
その話をしたのは一体いつのことだろうか。記憶にも無いことを覚えていてくれたことが少しだけ、嬉しかった。
彼は味噌粥が好きだった。
単純に味もそうなのだが、これを食べるとぼんやりと母を思い出すのだ。
しんみりしそうだったので、早速食べようとレンゲに手をのばすが、それよりも早く、早坂がそれを取り上げていた。
粥を一度掬い、小倉の元まで運ぶ。
その行為に、小倉次郎固まる。
「……その行動の意味を理解しているのか己は」
「は? どういうこと……」
粥が乗ったレンゲと、そしてそれを掴む自分の手、目の前の小倉。
一度見、二度見、そして三度見。
今度は早坂愛固まる。
「んなっ……!」
幾多もの男性をドキリとさせてきた神代の頃より受け継がれし妖刀が今、抜き放たれる!!!
無自覚に凶刃を振るいし魔物・早坂愛は今、自分が置かれた状況を確認する。いや、この際確認する意味は無い。
これではまるで甲斐甲斐しく尽くす妻のようではないか。
「…………誰が妻よ」
「何か言ったか?」
「な、ん、に、も。あぁーもう。食えさっさと食え。食ってしまえ」
「あっっっつ! あっつ!! 口の中があっついんですが早坂さん!?」
温かなお粥を一息に口へと突っ込まれる、拷問と呼んでも差し支えない鬼畜な行動に小倉悶絶。
味噌の風味、米の食感、煮えたぎるような温度。口の中がズタズタになりそうな、それはそれは奥深い味わいであった。
すぐに水を受け取り、一気に飲み干した小倉。すぐに自分のペースで食べようとするが、第2の矢が放たれた。
「何だ……結構食べられるじゃん。はい、次。あーん」
「次!? これ以上やったら口の中の肉ボロボロになるんだが!?」
「あーん」
ずい、と突き出されるレンゲ。その目が割と真剣だったので、無闇に嫌がる事もできない。
それに、と小倉は彼女を見る。
(……自分の仕事があるのに、ほんと何でわざわざ俺の所なんかに世話焼きに来るんだか)
早坂愛は多忙である。
本来ならここ、四宮の別邸の全てを取り仕切るという重責があるのだ。手抜かりなど許されないこの現場、全神経を研ぎ澄ませて臨むべきであるこの鉄火場で、彼女はこうして時間を作ってきてくれている。
その好意を無碍にするなど、小倉次郎が許容出来るはずがない。
気合一声。小倉は早坂の突き出すレンゲへ口を開いた。
「あんッ!!!」
なんとも色気のない咆哮と共に一口で味噌粥を頂いた小倉。当然熱かった。
涙目になるのは当たり前と言えただろう。
こちらのペースを気にせず、わんこそばのようにひたすらレンゲを近づけてくる早坂には一言も文句を言わず、ただただ食す小倉。
そして、とうとう土鍋を空にできたのだ。その時の達成感はさながら、フルマラソン完走に成功したときのソレと似ていたかもしれない。
「おいし……かった、です」
「それは、良かった」
フイと顔をそらす早坂。彼女は何故か口元が緩みそうだったので、それを隠すため、咄嗟に行った動作である。
「ほら、薬。これ飲んで寝れば多分治るよ」
「何から何まで悪いな早坂」
「知ってる? アンタが熱出したの4年ぶりなんだって」
「え、そうなのかよ。知らなかったわ」
「かぐや様が言ってた」
「すげーなかぐや様、本人でさえ気づかなかったぞ。あの人いつ俺のことなんか見てるんだよ」
その言葉に少しだけモヤっとした早坂は、思わず口を開いていた。
「……私はアンタの状態にすぐ気づけた」
「……まあ、俺も早坂の状態はすぐ気付けるし、案外そんなもんなのかねぇ」
「……そんなもんだよ」
途端に恥ずかしくなった早坂は早急に話題を終わらせることにした。これ以上喋っていれば、余計なことを言ってしまいそうになったのだ。
お盆に入った水と薬を押し付け、土鍋だけを持った早坂は出入り口へと向かうことにした。
「早く治して。アンタが何日もいなくなると仕事が回らなくなるから」
「任せろ。俺を誰だと思ってんだよ。俺はさっさと治してお前に認め――」
何かを言いかけた小倉。その言葉に反応した早坂が素早く振り向くと、寝息を立てる彼の姿が。
あれだけぎゃあぎゃあと騒いでいたのに、次の瞬間にはすうすうと眠りに入る彼の切り替えの早さにある意味感心する。
「…………おーい」
軽く呼びかけてみると、何も反応がない。もう一度呼びかけてみても、これまた反応なし。
「……」
少しばかり悪戯心が芽生えた早坂は土鍋をまた手近な机に置き、彼の元へと近づいていく。ゆっくりと、足音を立てないように。
側まで近づくと、無防備という言葉がぴったり似合うほどに緩みきった顔があった。
じっと見つめる早坂はやがて人差し指を伸ばす。
頬を軽く一突き。起きない。もう一度頬を触る。それでも起きない。
「ふふ……」
面白くなってしまった彼女のそこからは大胆だった。両手で頬を掴み、弄くり回す。女性顔負けの肌質であった。いつ手入れをしているのか分からないくらい澄み切った肌だ。
何より手触りが良い。
不意に片手で自分の頬を触ってみた。もう片方の手は小倉の頬をキープ。揉み比べをしてみると、なんと僅かだが小倉の勝利に感じた。
「嘘だ……もう少し入念にお風呂に入らなければ……。小倉に負けている……?」
少しばかりの敗北感に打ちひしがれていたからこそ、早坂は眠っている彼の次の行動を予測できなかった。
「へ……」
突如伸ばされる手!
伸びる先は早坂の手へ!
突然起きた出来事に、早坂思考を停止する。
「お、小倉……?」
呼びかけてみるが、反応がない。そして未だ続く寝息。先程よりも深い寝息になっていた。
別に起きたわけでは無いことにホッとしつつも、彼女はこの降って湧いた問題に対して思考を巡らせる。
「……どうしよう」
無理に引き剥がすと起きてしまいそうだった。流石に病気で寝ている者を起こす趣味はない早坂、悩む。
そうすると、次に考えられる一手だが、時間が経って手の力が緩むまでこのままの状態でいることが挙げられる。
しかし、それは仕事の放棄と同義である。だからこそ彼女は悩んだ。仕事を取るか、彼の安眠を取るか。
そんな彼女の憂慮を吹き飛ばすかのように、扉がノックされた。
「
「花咲さん。確かにいますけど、どうしたんですか?」
「いえいえ。先程、使用人たちで話し合ったことをお伝えにあがりました」
「話し合い? 何をですか?」
すると、使用人・花咲は元気にこう言ってのけた。
「私たち、今日死ぬ気で働くんで、早坂さんは確認だけお願いします! その代わり私たち使用人の誰一人、小倉さんの看病は出来ないので、早坂さんが全面的にお願いしますね!」
「え……!? ちょ、それは困る……!」
「大丈夫です! 私、これでもあなた達より少し年上なんですよ! それに他の人たちの士気は今最高潮に達しています! だからお任せください! それじゃ失礼します!」
そう言い残し、花咲は消えていった。嵐のような出来事に、早坂は引き止めることすら忘れてしまった。
「えぇ……」
小倉の部屋に取り残された早坂は、このドラマのような状況に思わず乾いた笑いをしてしまった。
寝ている小倉と、そして繋がれている手をもう一度見る。
「えぇぇぇ……」
こんなの、一体どう対応を判断していけばいいのか分からない。分かるわけがない。
思考回路がバグった早坂はとりあえず1つだけ方針を決める。
「はぁ……仕方ないか」
こちらの気も知らずにぐっすりと寝ている小倉へ、後で絶対にマッサージを要求することを決め、とりあえず今は近くの椅子に座ることにした。
本日の勝敗――早坂愛の敗北。
早坂に看病されたい
新しく感想をくださった
霞花 悠馬様、AvengerRaki様ありがとうございます!