「うーん………」
九校戦初日。第一高校は真由美がスピード・シューティング全試合パーフェクトでの完全優勝、摩利もバトル・ボード予選突破と、華々しいスタートを切った。だがこの2人が勝つのは大前提。そのうえで他の選手がどこまで勝ちを拾えるかで第一高校の総合優勝が変わってくる。
それでもあこがれの先輩の鮮やかな姿に未だ興奮冷めやらぬ同級生たちとは裏腹に、雫はまだ10時を過ぎてもいないのに夢の世界にいた。昨夜結局ほとんど眠れなかった上に今日一日アーティとともに行動し、昨日の大浴場で言われたことがぐるぐると頭の中でリピートされていた。雫はその言動ほどクールな少女ではなくその中身は年頃の多感な少女であるが、これほどまでに自分がかき乱された経験はなかった。その疲労で今夜はどうしようか、というほのかの言葉を耳にする前に深い眠りの谷に落ちてしまったのだ。
「誰……」
雫が問いかけても、その人物は応えない。手を伸ばせば届きそうな気がするが、しかし絶対に届かないという確信がある。腰まで伸びた燃えるように紅い髪。小さな肩に、ふっくらとした腰つき。背中越しにでも伝わる艶やかな色気はどう見ても女性だが、それにしては少し背が高い。170cm近くありそうだ。小柄な雫とは母娘のような体格差がある。
「…………………………」
女が振り向き、雫に何かを語りかける。だが、雫の耳には、いや頭には何の声も届かない。
「なんて言ってるの………」
雫の問いかけに、女はハッとしたような顔つきでこちらに手を伸ばす。相変わらず何を言っているのかはわからないが、唇の動きから「手を出して」と言っているような気がした。雫は読唇術など学んだことはないが、そう確信した。
雫がおずおずと手を伸ばすと、絶対に届かないと思っていた手が届いた。スラリと伸びた指はロウのようになめらかで、それでいて確かな暖かさを触れた者に感じさせる。手と手が触れた瞬間、雫の頭に一気にさまざまな声が流れ込んでくる。それは少し、起動式をCADをから取り込む時の感覚に似ていた。だが、その情報量は比にならないほど多く、雫はその言葉たちのどれをも理解することはできなかった。
「―――ごめんなさいね」
流れくる情報の濁流に飲まれ呆然としていた雫だったが、すぐに情報の濁流は止まり、一言の謝罪が流れてくる。
「久しぶりだったから。加減を間違えちゃった。頭、痛くない?」
久しぶり、というのも加減、というのも意味はわからなかったが、頭は痛くないかという質問にううん、と首を横に振る。
「そっか。よかった。ほんとはこんなことはしないんだけど、あの子が惑わせちゃったみたいだから。あなたも大事なものが控えているんでしょう?今回だけは、おせっかいを焼かせて」
女は伸ばされた雫の手を手繰り寄せるようにして雫に近づいてきた。もうこれなら、お互いに手を伸ばさなくても相手の体に十分触れられる位置だ。
「あの子の気持ちは、本物。でも今はまだきっと、あの子はあなたに向き合えない。だから、もう少しだけ待ってあげて」
女は雫を抱きしめるように雫の腰と後頭部に手をやり、耳元で囁くように雫には半分以上理解できないことを言う。知らない女にここまでされれば気味悪いものだが、不思議と嫌悪感はなかった。むしろ温かいような、自分の芯が熱くなるような、心地良い、というのとも違う感覚に包まれていた。そしてその声は耳元で囁かれているが、頭の中に直接響くように感じる。
「今回だけ?」
「えっ?」
ようやく返した雫の言葉に、女が間の抜けた声を漏らす。
「もう、来てくれないの」
雫は自分でもよくわからないままに、そう問うていた。
「………今回だけは、イヤ?」
女はその質問に嬉しそうに、恥ずかしそうに、更に質問を返す。
「―――うん。イヤ、かも」
なぜ自分がそう答えているのかも分からぬまま、雫は明確な答えを返す。
「そっか。クールな子なのかと思ったけど、人懐っこいのね。ううん、クールに振る舞っている分、心理的に近づいた人には心を許すのかも。あの子も隅に置けないわね」
よく晴れた日の海のように美しく蒼い瞳が無邪気に笑う。
「それじゃあ、また会いましょう。九校戦、頑張ってね。私も陰ながら応援しているわ」
そう言い残すと、女は春風のように儚く消えていった。
「―――ん」
謎めいた夢が終わってすぐか、時間が経った後か。
「………涙?」
朝日が昇り目を覚ました雫の頬には、一条の涙の跡がついていた。どんな夢を見ていたのか。それを思い出せぬまま、未だに気持ちよさそうな寝息を立てているほのかを起こすことにしたのだった。
九校戦2日目は一高にとって少々計算が狂う展開となった。真由美はクラウドボールも対戦相手に一矢をも報いさせぬ全試合無失点で優勝を飾ったものの、男子クラウドボールはいずれも予選負けと、優勝のためのロードマップを見直す必要性に迫られていた。新人戦で三高に大差をつけられる展開になると逆転を許す可能性もある。その事実は新入生の背中に重くのしかかった。だがやるべきことが変わるわけでもない。特に、昨日はずっと調子がおかしかった(理由は明白だったが)雫が今日になっていつもの調子を取り戻しているのを見て、達也は自分が担当する選手たちに限って言えば安心していた。
達也が思いの外早く届いた「試作品」を手にしていると、ドアの奥に隠す気のない気配を感じてまるで計らったようだと苦笑をこぼし「試作品」をテーブルに置き訪問者たちを出迎える。
お邪魔します、と軽く挨拶をして入ってきた深雪が引き連れてきたのはいつもの、と形容していいメンバーだ。
テーブルの上にこれみよがしに置かれた「試作品」に真っ先に興味を示したのはその「試作品」が剣の形をしていたのもあってエリカだったが、その実一番ソワソワしていたのはレオだった。得意魔法の関係から元々彼にテストさせるつもりだった達也はいとも簡単にレオをその気にさせ、夕食後に約束を取り付けると、一同は夕食をとりに食堂へ向かったのであった。
夕食後の「試作品」のテストは夜中ということもあってテスターのレオと達也のみで行われた。その間、深雪達はホテルのロビーで談笑に興じることにしたのだった。
「アーティ、委員長さんにすごい宣言したんだって」
相変わらずの無表情で爆弾を投下した雫に、アーティが目に見えて狼狽する。
「アーティは確か、バトル・ボードとモノリス・コードに出るんだよね。どっちで宣言したの?両方?」
「ほのかと同じバトル・ボードだよ」
ほのかの質問に間髪入れず答える雫。
「たしか、ゴールタイム5分を切ってみせると豪語したようですね。渡部先輩がそれはもう楽しそうに話していましたよ」
具体的な中身まで深雪に暴露され、退路を失うアーティ。
「ええ!?たしか普通15分くらいかかるやつでしょ?ほぼ1/3じゃん!」
更に過剰にも見える反応で追い打ちをかけるエリカ。これはわざとだろう。しかし驚く気持ちはあるようで、横の幹比古も美月も目を丸くしている。
「………新しい魔法を思いついたんだ。それで試算したら5分を切れそうだったんだけど、委員長に焚き付けられちゃって」
本当は横にいる森崎を意識してのものだったが、摩利のせいにしていくアーティ。幸いそこの小さな嘘を看破する者はいなかった。
そしてその大それた宣言に違う反応を見せたのは、ほのかであった。
「それ、どんな魔法なの!?」
「ほのか」
新魔法、という言葉に即座に食いついたほのかに、雫の制止が飛ぶ。魔法師同士でのお互いの魔法の詮索はマナー違反。まして、未だ見せていないものなら、なおさらである。
「………ごめんなさい」
「別に高度な魔法ではないから、全然公開するに吝かではないんだけど、ほのかは同じ種目に出場する選手だから。ここで新しい戦術を知ってイメージが崩れたら、責任持てないから。それに、達也さんに授かった戦術もあるんでしょ?ならなおさら、ほのかに余計な情報を与える訳にはいかないな。達也さんの面目を潰したら、オレは永久凍土の閉じ込められたマンモスのようになってしまう」
冗談めかしてかわすアーティの言葉に深雪がムッと頬をふくらませるが、それが場を収めるためのものだと分かっている深雪はすぐに頬をほころばせたのだった。
「え、じゃあじゃああたしたちには教えてくれるってこと?」
だがその気遣いを無にしたのはエリカ。エリカも鈍い女の子ではなく、むしろその感受性は鋭い部類だが、彼女はアーティに対してはとことん意地悪なようだ。もっとも、それも彼女がアーティをかなり気に入っている証ではあるが。
「ダーメ。本番であっと驚いてほしいからね。高等魔法ではないけど、見た目は派手だから。ハワード・サーストンという20世紀初頭に活躍した有名なマジシャンもこう言っている。種明かしをしてはならない。そして、同じマジックを2度繰り返してはならない。そして」
「マジックを演じる前に、これから起きる現象を説明してはならない。サーストンの3原則だね」
勿体つけて3つ目を言おうとしたアーティを遮り雫が油揚げを攫っていく。これにはアーティも不服そうな顔をしている。
「よく知ってるね、雫。雫はレトロな趣味があるのかなー」
棒読みの言葉で暗に抗議するアーティ。
「うん。マジックは好きだから。アーティ、本番でのあっと驚くようなショー、期待してるから」
「えっ、あ、うん。もちろん。任せて………」
その抗議に真っ直ぐな期待の視線を向けられ、先程の不満顔はどこへやら、急にしおらしくなって最後は消え入りそうな声で呟くと耳を真っ赤にして俯いてしまったアーティに、思わずエリカが疲れたように突っ伏す。
「ええっ?エリカちゃん、痛くない?」
唐突に頭をぶつけるようにテーブルに突っ伏したエリカに、美月が心配そうに声をかける。
「何よー、アンタたちもう既にいい感じじゃないの。つまんなーい」
「いいことじゃないか。僕はお似合いだと思うよ」
今の一幕だけでははーん、と状況を察した幹比古が拗ねたようにぶー垂れるエリカを慰めるようにフォローするが、
「アーティ、顔赤い。熱あるの?」
俯いてしまったアーティの額に手をおずおずと伸ばした雫に
「ええ……」
とわざとらしく呻いてエリカと同じようにテーブルに突っ伏してしまった。
「吉田くんまで………」
状況をよく飲み込めていない美月は心配そうに突っ伏した2人を交互に見る。
「こういうのは気付いてない人が得をするんだよねー」
そう言いつつエリカはちらりと横目で美月とほのかを見遣る。すると、意外なことにほのかは居心地悪そうにもじもじとしていた。
「ねえ深雪、何かあったの?」
そうでもないとほのかが気づくのはおかしい、と言わんばかりの暴言(?)だが問われた深雪は大真面目に首肯する。実はね、と浴場での件を簡潔にエリカに耳打ちする。
「はえー、なるほどね。それで」
「何?どういうことなの?」
「うっさいバカ!聞くなっ!」
興味津々でエリカに情報をせがんだ幹比古だったが、風呂でのガールズトークをレオに言うわけにもいかない。幹比古にすれば理不尽極まりない手刀を脳天にお見舞いされ、今度は演技抜きでテーブルに突っ伏してしまう幹比古。そんな幹比古を心配そうに見つめる美月。しかしそんな時間も彼女たちにとってはかけがえのない友人との時間だ。
アインシュタインの言葉に、「熱いストーブの上に手を置いている1分間は1時間のようにも感じられるが、可愛い女の子の隣りに座っている1時間は1分にも感じられる」とあるように、こんな時間は一瞬で過ぎ去ってしまう。それでも少年少女は、その時その時を全力で生き、他愛もないことで感情を大きく動かすのだ。それこそ、若き彼等に許された特権なのかもしれない。
過酷な運命によって一度は奪われた若者の特権を、アーティは意識することなく取り戻している。これこそが、彼を送り出した将輝とリーナが一番望んだことだ。
ちなみに、自分を心配ししきりに声をかけてくる雫にますます赤面し、体温を上昇させ、周りの笑い混じりの制止も聞かない雫によって医務室に運ばれ、エリカ達だけでなく「工藤スチュアートが倒れた」という知らせを聞き飛んできた真由美や摩利達上級生にも笑い話の種にされたのは、この直後のことであった。
夢の中の描写など、やはりいつもと違う場面を描くのは難しいです。他の方の小説拝見しておりますが、皆さん魅力的な文章を書かれるので羨ましい限りです。精進いたします。