「やはり手強い………!」
九校戦4日目、達也達は一高が取りこぼせない種目の一つ、女子バトル・ボード準決勝を見に来ていた。素晴らしいスタートを切った摩利だったが、予選のようには行かず、すぐ後ろに二番手がピッタリとついてきている。
「さすがは『海の七高』」
「去年の決勝カードですよね、これ」
雫と美月の言葉通り、去年の決勝カードでもあるこの2人のレースは、今年に置いても事実上の決勝と言えるほど白熱したレース模様になっている。既に多少の差をつけられてしまっている3番手の選手も、これが事実上の決勝カードでなければもう少し善戦しただろう。気の毒なことだと、そんなことを達也は思っていた。
スタンド前の長い蛇行ゾーンを過ぎ、ほとんど差がつかぬまま、鋭角コーナーに差し掛かる。ここを過ぎれば、スタンドから直接は見えなくなる。スクリーンによる観戦になる。
「まずいっ!」
そう叫んだのはアーティだった。それに続いて
「あっ!?」
ほのか達含む観客から悲鳴が上がる。彼等の視線の先では、七高選手が大きく体勢を崩していた。
「オーバースピード!?」
誰かが、そう叫んでいた。アーティのように一息先に異変に気づいた者は少なくない。鋭角コーナーに差し掛かる直前、減速しなければならない場面で加速魔法をキャストしていることに気付いた者は、この一瞬先の未来を予知していた。
ボードは水を掴んでおらず、このままならば七高選手は壁に激突するしかない。
そこを、唯一救える者がいた。直前を走る、摩利である。摩利は迷いなく前方への加速をキャンセルし、水平方向への回転加速に切替。水路壁から反射してくる波も利用して体捌きの要領でボードを反転させた。さらに、高速で飛来し凶器と化したボードを吹き飛ばす移動魔法と、七高選手を受け止めた時に自分が吹き飛ばされないように、加重系・慣性中和魔法をキャスト。非常にシビアで危険な状況であったが、摩利の対応は完璧だった。悲劇は、摩利の見事な対応によって回避された。そのはずだった。
不意に水面が、沈み込んだりしなければ。
サーフィン上級者ではない摩利が、咄嗟に高速で飛来する相手選手を受け止めるという所業を成し遂げるために行った魔法行使は、針の穴を通すが如き絶妙なバランスの上に成り立っていた。不意の水面陥没により浮力を失い一県警を狂わされれば、それらの計算はすべて破綻する。慣性中和の魔法をかけられないまま、摩利は七高の選手を受け止めることになる。
その結果として。
もつれ合うように、2人共がフェンスの方へと吹き飛ばされた。
「委員長!!!!」
思わず席を立ち叫んだのはアーティだけではない。スタンドからは大きな悲鳴が複数上がっている。
「お兄様!」
立ち上がった達也を、深雪が青褪めた顔で見上げている。
「行ってくる。アーティ」
達也の言葉で、アーティは我に返った。みんなを頼むと目で訴えられたアーティは深く頷き、そのまま駆け出した達也を見送った。
「私達も!」
「いや、オレ達にできることはない。混乱を増幅させるだけだ。みんな、ここで待つんだ。今人だかりの中を割って進もうとすれば、オレ達まで怪我をすることになる」
腰を浮かせたほのかたちを制止し、アーティ自身も腰を下ろしながらも、アーティは摩利の身を案じていた。
(重症なのは相手選手と壁に挟まれる形になった委員長のほうだろう。後遺症など残らないといいが)
そう案じながら、その可能性が十分にある事実を受け止め、アーティは騒然とする同級生たちを宥めにかかったのであった。
同日、夜。アーティは人知れず、事故のあった水路の調査をしていた。
(委員長の足元で起きた水面の陥没。アレは不自然なものだった。達也さんは第三者による妨害の可能性を考えているらしい)
当事者によるものであるとは考えにくい。摩利本人はもちろんとして、姿勢制御不能状態に陥っていた七高選手、3番手の選手もレース中止になるような事故を起こす動機はない。
(だが)
第三者による妨害など、この九校戦では重々想定されているものだ。それらを監視する機器は死角なく何重にも張り巡らされているし、国内屈指の魔法師が対抗魔法を構えてレースを見張っているのだ。
(であれば、予め何らかの仕掛けがあったに違いない)
残るは、遅延型の術式。または、水面下に工作員が潜んでいた可能性。しかしそれならば、何らかの痕跡が残されているはずである。
(おかしい)
だが、その事故の地点に潜ったアーティは、いかなる痕跡も見つけられなかった。
「おやおや。コースに侵入している者がいようとは。これは大問題ですよ。何らかの工作をしていたと言われても言い訳できますまい」
「!?」
痕跡の調査に夢中になっていたとはいえ、意識外から声をかけられたことに、びしょ濡れのアーティの背中に冷たい汗がツーと流れる。
(コースへの侵入を見張るセーフティはすべて無効化したはずだ)
「昼間の事故の調査を、と思いまして」
振り向きざまにアーティはとっさに言い訳を口にしたが、流石に苦しい。
「痛ましい事故でした。その件については
大会実行委員を名乗る男の言葉はもっともなものだ。だがアーティはなにか引っかかるものを胸に感じていた。
「どうしました。ここで抵抗すれば私どもも問題を大きくせざるを得ません。最悪、一高全体の失格ということになる」
じっと動かないアーティにかけられた追い打ちの言葉は、コースへの不法侵入という重大な違反を犯した選手を動揺させるには十分すぎる殺し文句だった。
だが。アーティはこの言葉に、自分の胸のつかえの正体を看破した。
「ほう、一高全体、ですか。確認しますが、それはこの九校戦に出場している国立魔法大学附属第一高校を指して言っている、という解釈でよろしいですか?」
「何をわかりきったことを。さあ、ご同行ください」
一高といえばその一高に決まっているのに、それを念を押して確認するアーティに、男も苛立ちを隠さない。
「なぜオレが一高選手だと?」
「はい?」
「なぜオレが一高選手だと分かったのか聞いている」
「それは見ればわかりますよ。君は一高のユニフォームを着ているじゃありませんか」
ユニフォームを着ていながら何を馬鹿なことを、と付け加えて男はアーティに歩み寄る。だが。
「いいや。これは七高のユニフォームだ。ちょいと拝借してきたのさ。この暗がりなのと、調査不足が裏目に出たな」
「………何?」
自分のユニフォームの襟をビヨンビヨンと伸ばしながら七高のユニフォームであることを誇示するアーティに、男の足が止まる。
「さあ、応えてもらおうか。七高のユニフォームに身を包むオレが、一高の生徒だと分かった訳を」
「私は大会実行委員です。選手の顔くらい覚えていますよ」
「ほう。では千代田花音。この選手はどこの選手だ?」
「………」
「彼女は一高の選手だ。今日女子アイスピラーズ・ブレイクで決勝リーグ進出を決めた。彼女の名前も覚えていないのに、新人戦が始まってもおらずまだ試合に出場していないオレの顔と名前だけ覚えてるってのはどういう訳だ?」
「………」
アーティの言葉に返す言葉をなくした男は、キッとアーティを睨みつけている。
アーティはすっと右手をかざすと、
「っ!」
男が姿勢を崩した隙にすかさずフラッシュキャストで自己加速術式を使用し、男の側面に回り込む。
予想外の高速魔法で
「やはり。今回も鬼門から気配を偽っていたか。今度は方位ではなく距離を。さしものオレも数キロ先にまで気配の位置を偽られては気付くことはできないな。だがやり方を変えても所詮同じタネだ。『2度、同じマジックを演じるな』。
そういうアーティは何度も同じ加重系魔法を強度を上げながら使用している。同じ魔法の連続使用だが、男はもはやもがくことすらできないでいる。
「どうせまた式神なのだろう。だが、次会うときには本体を殺す。その準備をしておく。次来るときはその覚悟をしてくるんだな」
そう無慈悲に告げると、アーティはまたもやCADを用いることなくほぼノータイムで魔法をキャストした。その次の瞬間、男の肉体は爆発四散していた。魔法の名は「爆裂」。父親から受け継いだ得意魔法。前回名乗りそびれた相手への名刺代わりだった。
「ふぅ」
アーティは発散系の魔法で死体の痕跡を気化させ消すと、びしょ濡れになった
(こんないい加減なハッタリに引っかかってくれるやつで良かった)
自分の隠形に自信満々で、見つかった時の策を講じていなかったことを反省しながらも、見つかった相手が本当に大会実行委員でなくてよかったと胸をなでおろす。
(だが、痕跡は結局見つけられなかった)
結局の所、アーティには今回の妨害の手口の見当すらつかなかった。
(だがヤツが現れた以上、何らかの妨害はあったと見て間違いないな)
それだけでも収穫だと満足することにして、今度こそ大会実行委員に見咎められる前にアーティはそそくさと会場を後にしたのであった。
九校戦会場付近、某所。薄汚い廃屋の中で、男は冷や汗を額に浮かべコップに注いだ水を飲んでいた。
「本来は式神の同調を切るにはいくつもの工程が必要なのだが……人間の式神を用いても歯も立たんとは」
式神の使役はリスクを伴う。感覚の同調を切らないまま式神が損傷を受ければ、本体にもそのダメージが精神的ダメージとしてフィードバックされる。あまりに凄まじい致命的なダメージを受ければ、ショック死することもあり得る。故に式神が破壊される直前に強制シャットアウトを行う。数秒であればシャットアウト後も行動できるが、正規の手順を踏まない強制シャットアウトは負担が大きい。前回は回復に1ヶ月を要したが、こう短期間に連続して強制シャットアウトを行えば、そのツケは前回よりも大きくなる。またしばらく動けなくなるな、とひとりごちた男は、自分の体が思うように動かせないことに気付いた。
(な、なんだ?体の動きがに…にぶいぞ)
ボロボロのベッドに腰掛けコップを口にしたまま、動けない。
(ち、ちがう
動きがにぶいのではない…う…動けんッ!ば…ばかな)
式神のシャットアウトのダメージはこのような形では現れない。式神を使役する際に脳の奥に激しい痛みを伴い失神するという形で現れる。故に男は、今自分が置かれている状況が全く飲み込めていないのであった。
(ま…まったく…か…体が動かん!?)
体が動かないという表現は比喩ではない。男は今瞬きはおろか、呼吸すらできていない。
「どうかしら」
脳に直接響くような(比喩ではなく本当に脳に響いているのだが)女の声に、しかし男は狼狽し息を呑むことすらできない。
「式神の強制シャットアウトで精神を摩耗したのは失敗だったわね。まあ、そうでなくとも私ならあなた達ごときの情報強化による精神防御など寝ながら突破してみせるのだけれど」
鈴の鳴るようなその声は、平時に聞いたならば聞いただけで日常のしがらみから開放され安らぎを得られそうだが、今の男にとってはその恐怖を呼び起こさせる声に他ならない。
「あらあら。そんなに怖がってはいけないわ。時計の針を御覧なさい」
御覧なさい、と言われても男は目を動かすことすらできない。
「あら。ごめんなさい。私としたことがうっかりしていたわ。目だけは動かせるようにしたから、時計を御覧なさい」
そう言われるがままに時計を見た男は驚愕するとともに、先程から心の奥底をかすめていた疑問の答えを得た。
瞬きもせず息もできないのに、眼球は乾くことなく呼吸ができない苦しみも感じない。その理由は、時計の針の動きにあった。
殆ど動かないのである。時計の故障ではない。男の感覚が何十倍にも加速されているのだ。
「わかったかしら。こんな状態で恐怖を増大させていったらどうなるか、あなたなら分かるかしら」
男は式神の使役、隠形と、精神に作用する魔法を多く扱う魔法師だ。それ故に他の魔法師よりは精神の仕組みというものに詳しい。
「極小時間中の恐怖の急激な増大。その先に待ち受けるのはショック死よ」
恐怖すれば、死。それはどうしようもなく恐怖を呼び起こすものだが、男も流石なもので、己の内に生まれ出た恐怖を抑え込むのではなく隅に追いやる方法というものを知っている。
「あら。さすがはタイムトラベルという大役を任された魔法師と言うべきかしら。まあ、ここで死んでもらっても困るわけですけれど」
ころころと笑いながらそんな心にもない賛辞を並べる女の声を、男は黙って聞くしかない。
「このまま後1分、ああ、あなたの感覚なら数十分てとこかしら。放置しておけば、今のあなたは心臓も止まっているから、あなたは死ぬわけだけれど」
女の言葉に男は慌てて自分の心音に意識を集中させる。女の言う通り、自分の心臓は何十秒待っても拍動音を鳴らすことはなかった。
「このままだと私も消えてなくなってしまうわ。貴方の精神に間借りさせてもらっている状態だから。もうすぐ少しくらいなら自由に動けるようになると思うのだけれど、如何せんあの子が眠っている間しか試せないものだから」
女の言葉は男には理解できないものばかりだった。今の男を支配しているものは心臓が止まっているという焦りと、恐怖すれば死という極限状態に耐えようという意思のみである。
「だから、ね?貴方には私が帰るための手伝いをしてもらうわ」
それまで全く理解できなかった女の言葉が、具体的なことは一つも言っていないにも関わらず、手にとるように理解できた。
「ダメよ。怖がっては、ダメ」
抑えきれず男の意識を押しつぶさんとした恐怖が、女の言葉で凍りついたようにその増大を止め、一瞬後に消えてなくなっていた。
爆発四散し発散系の魔法で分子レベルで気化させられた式神の肉体と、未だ微かに残る本体であるこの男との間の
一流の式神遣いでも一度強制シャットアウトを行った式神の肉体との同調を再び儀式を行うことなく繋ぎ直すことは不可能なはずだが、本来恐怖に押しつぶされていたはずの男はそのことへの疑問すら浮かぶことはなかった。
男は完全に気化してしまった肉体へと精神を移し、その瞬間、男の精神は文字通り気化したのであった。
「?」
急いで会場を後にしたアーティは、何者かが自分の中に入ってくるような奇妙な感覚に襲われたが、不思議と先程までが何かが欠けた状態で、今ようやくそれが満たされたように感じられて、ホテルに着いた頃には自分が先刻何を疑問に思ったのかすら忘れていた。
謎の女X(?)のシーンを書いている時が一番楽しいです。