「じゃあ雫、頑張って」
「むぅ」
九校戦4日目。ここで本戦は一旦休止され、新人戦が開始される。アーティ達新入生にとっては待ちに待った自分の出番だ。アーティの大言壮語は今や一高メンバーだけでなく周りの高校の間でも噂されるほどになっており、新人戦一日目の午前に予定されている新人戦男子バトル・ボード予選はちょっとした注目マッチになっていた。とは言っても、他校の選手の間では、無名な選手が大ぼらを吹いたという笑い話になっているわけだが、アーティの実力を知る一高選手の間ではその宣言の成就を心から楽しみにしている者も少なくない。
ここでアーティの激励に雫が膨れているのは、雫は午前のスピード・シューティングがアーティのバトル・ボード予選と被っているからだった。
その雫の子供じみた態度に、アーティも苦笑いを返すしかない。助けを求めて達也に目配せをすると、達也は目で「もういいのか」と問う。それに「お願いします」とばかりに肩をすくめてみせると、達也が雫に声をかける。
「さあ、もう行くぞ、雫。早くしないと準備の時間がなくなる」
「オレの試技は録画してもらうから。新魔法はそれで見られるよ」
「………そういうことじゃない」
アーティはフォローをしたつもりだったが、雫はますます頬を膨らませる。その様子に首を傾げるアーティに、
「……はぁ。俺が言うのもアレだが、今のはないと思うぞ」
ため息交じりに辛辣な評価を下すのは達也。
「ああ。今のはなぁ………」
やりづらそうに頬をかきながらも同意を示したのはレオ。
「ええっ、みんな揃ってそんな」
慌てふためきながらアーティは救いを求めるアーティの視線がほのかを捉えるが、
「アーティのことなんて、もう知りませんっ」
ぷいっとそっぽを向かれてしまう。
衝撃を受けるアーティに、
「こんのバカっ」
止めと言わんばかりにエリカの向こう脛への蹴りが見舞われる。
「えええっ」
突然の総攻撃に絶句するアーティを、全員が置き去りにする。
「そんな、美月さんに幹比古まで……」
縋るような声に2人は申し訳無さそうな表情を返すが、それでもお前が悪いと言わんばかりに歩みを止めることはない。
がっくりと肩を落とし項垂れたアーティだったが、その許に踵を返していた人影が一つだけあった。
「決勝は観に行くから。頑張って」
膝を付き項垂れるアーティの耳元に、そんな言葉が囁かれる。
ハッと顔を上げたアーティの視線の先には、てててと達也たちに追いつこうとする雫の後ろ姿があった。
その先では、一人の例外もなく角砂糖を不意に10個くらい口に無理やり詰め込まれたような、そんな表情をしていた。
新人戦男子バトル・ボード予選。達也は雫のCAD調整係に任命されているため、競技が被っている雫に加え達也もアーティの試合を見ることはできない。さらに、ほのかも自分の試技の前に同じ競技の新魔法を目にすれば緊張が増すだろうと、長年の親友の試合を見ることにした。深雪は達也に付いていくかと思われたが、アーティの新魔法をリアルタイムで見てその様子を後で教えてくれと達也に言われこちらを見に来るようだ。したがってアーティの試合を見に来たのは深雪、エリカ、レオ、美月、幹比古。それに加え新魔法と常識外のタイムを宣言したこともあって上級生たちはほとんどこちらの試合を見に来ていた。
「………超満員だな」
「早めに席を取っておいて正解でしたね」
後ろの立ち見席までごった返す盛況ぶりにうんざりした声音でコメントしたレオにそう返したのは美月。彼等はアーティを置き去りにした後すぐ席取りに向かい、こうして最前列を陣取っている。
彼等の後ろには一高上級生たちの姿もあった。
「出てきましたよ」
選手たちの入場に美月が嬉しそうに声を上げる。いつもおとなしい彼女には似合わぬ声の高揚ぶりだ。楽しむ時にはとことん楽しむ性根なのだろう。
「オーケー、ビデオを回すぜ」
美月の声を受けカメラ役を任されたレオが情報端末を取り出しビデオモードをオンにする。この100年でビデオカメラの技術も飛躍的に発展し、超小型化・超高画質化に成功し、レオの持つような情報端末搭載のカメラでもハイビジョンテレビに映しても粗さを全く感じさせないどころか、超スロー再生まで可能なレベルの性能を有している。
「しかし、予選1戦目から『海の七高』かよ」
レオの呟いたとおり、アーティの横には七高の選手の姿がある。下馬評でも新人戦優勝有力候補と評されている選手だ。彼がいるだけで、アーティの組は「死の組」と言えた。
「でもアーティは5分を切るんでしょ?なら、関係ないわよ」
アーティの宣言を全く疑わないエリカはそんなことは全く気にもしない表情で言い放つ。だが、観客席の中でエリカのような視線をアーティに向ける者は少ない。一高スタッフの中にさえ、アーティの無謀な宣言を笑う者がいる。他の観客など、大体が新魔法など存在しないか、派手に失敗すると思ってここにいる。
そんな観客たちの思惑など意に介することもなく、予選に参加する4人の選手は位置につく。間もなく、スタート。
『用意』
このコールが流れた後は、スタートの合図の空砲とともにレースが開始される。
パン、という乾いた音とともに新人戦男子バトル・ボードはスタートを切ることになった。
「出遅れたっ!?」
スタートの合図に動けていないアーティに、美月が悲鳴にも似た声を上げる。この場にいる者では他には幹比古しか知らぬことだが、昨日の摩利の事故に第三者による妨害という可能性が浮上していることを知っている美月の脳裏を、トラブルという文字がよぎる。そしてそれは解消されることなく、むしろその確信度は増していくことになる。
「動かないぞ!?」
「トラブルか!?」
開始から5秒。既に他の3選手とは大きな差が生じている。だというのに、アーティは全く動こうとしない。そのアーティの姿に、会場は騒然とし始めた。
騒然とする会場をよそに、アーティはスタート一で悠長に手元のCADをぴこぴこと操作していた。
「よし。アジャスト完了。それじゃあ、
のんびりした声音で呟きボードの上でCADを手にした右手を差し出すと、アーティの身体がボードごと宙に浮いた。その一瞬後、アーティとボードは宙に浮いたまま猛然とおよそ15秒遅れのスタートを切ったのであった。
「………なんだあれは」
先程まで騒然としていた会場は、先程とは打って変わってしんと静まり返っていた。それもそのはず、15秒ほど遅れてスタートを切ったアーティはその尋常ではない速度で猛追し、スタートから20秒を過ぎた辺り、アーティからすればスタートから10秒と経たぬ内に前を走る3人に追いつき、そのまま追い越してしまったのだ。
「あれは………飛行魔法!?」
「加重系魔法の技術的三大難関の一つ、飛行魔法を実現しここで使っているというのか!?」
そして、アーティが完全に宙に浮き
水上を走る他の選手と、空を飛ぶアーティ。いわば、船と飛行機でレースをしているに等しい。子供でも、それが勝負にならないことは理解できる。
「飛行魔法………まさかこんなところで見られるなんて」
呆然と呟くのは幹比古。
「高等魔法は使わないって、大うそつきじゃない、アイツ……」
興奮冷めやらぬ様子で呟くエリカ。しかし、
(違う)
この場では深雪だけが、違和感と戦っていた。深雪はその違和感の根源を確かめるべく、既に二周回差をつけ次のカーブを曲がればゴールへのストレートという驚異的な速度で「翔ぶ」アーティを目を凝らして見た。
アーティはボードごと空中に浮いている。水面との距離は50cmほど。この原理は分かる。摩利も用いていた硬化魔法の応用だろう。自分の体とボードを一つの物体と定義しその相対位置を固定しているのだ。
アーティの様子で気になる点は2つ。一つは、これほどの速度で飛翔していれば相当の風圧であろう向かい風の影響を全く受けていないこと。もう一つはアーティの横にアーティの速度に近い速度で不自然に追随する水滴が多数存在すること。
しかしこれでは深雪は結論を出すに至らない。兄ならば、その眼で即座にこの原理を暴いただろうが、彼女にそのような異能はない。飛行魔法という魔法の歴史が変わる瞬間に立ち会った喜びに大騒ぎの友人たちを背に、深雪は最後のカーブに差し掛かるアーティに目を凝らしていた。
最後のカーブ。それをアーティが全く速度を落とすことなく曲がり切った時、深雪の目に、3つ目の気になる点が映った。アーティは、まるで左右につっかえ棒を抱えているかのごとく左右両方の壁との距離をぴったり一定に保ったまま高速でカーブを曲がっていた。
「分かったわ!」
そう叫んだ深雪の声はそう大きかったものではない。しかしいつもは淑やかな深雪にしては興奮の色が濃く出ている声に、周りの友人達はしんと黙って深雪の方を見た。
「分かった、って……あれは正真正銘、飛行魔法じゃないの。水上を走るのではなく空を飛んでコースをなぞるのなら、あの速度も納得というものよ」
そう怪訝そうに首を傾げるエリカの背後のディスプレイは、アーティがゴールしている映像を写している。ゴールタイムは5分16秒。会場は大騒ぎでもはや収拾がつけられない状況だ。そのなかで、深雪の言葉に耳を傾ける一高一年生たちは異色と言えた。
エリカに疑問を向けられた深雪は、しかしすぐにエリカに答えを返せないでいた。いつも兄に解説を受けている深雪が、自分の力だけで真実を見抜いた。その喜びは、一時的に深雪の感情的な容量を少しオーバーしていた。
「………深雪?」
心配そうにエリカに顔を覗き込まれ、深雪はようやく我を取り戻す。
「ごめんなさい、エリカ。よく聞いて、みんな。アーティの使っていた魔法は、加重系魔法の技術的三大難関、飛行魔法ではないの」
深雪の言葉に、一同は信じられないという表情で目をパチクリとさせる。
「アーティが使っていたのは、収束系魔法、硬化魔法、それに加速魔法だわ」
深雪が述べたアーティの使用魔法の中に、飛行魔法に該当するものはない。一同は息を呑んで深雪の説明に聞き入っている。
「アーティの使っていた魔法が飛行魔法なら、不自然な点が2つあるわ。細かく言えばもっとあるのだけれど、大きなもので2つね。1つはスタートが大きく遅れたこと」
「たしかに。空を飛ぶのにあんなに準備時間が必要なら、コースを曲がる時に魔法をかけ直す時にまた準備時間が必要なはずだもんね」
深雪の言葉にウンウンとうなずきながら言葉を返すエリカ。どうやらこの少女がこの深雪のとんでもない発言に最も早く気持ちを立て直しているようだ。
「もう一つはコースを曲がるときでも速度が全く落ちないこと」
「ウーン。それは慣性中和魔法を使えば、速度を落とさずに曲がれるんじゃあ?」
「アーティは最速を目指したはずよ。曲がるために慣性中和魔法を追加でキャストする魔法力が残っているなら、直線ではその余剰力をさらなる速力に当てたはずよ」
「たしかにそうかあ」
エリカの反論はいいところを突いていたが、ここは深雪の推測が真実を言い当てていた。
「この2点を綺麗に説明できる仮説があるの。アーティは、いわば電車になっていたのよ」
「電車?」
素っ頓狂な声を出したのはレオ。水上を走る船でもなく、空を飛ぶ飛行機でもなく、地上のレールの上を走る電車という例えに疑問符で頭の中を満たしたのはレオだけではない。
「電車、というのはレールを敷いていた、という意味かな。でも、だとしたらアーティはどうやってレールを敷いたんでしょう?」
深雪の意図するところを見抜いて問いを投げたのは幹比古だ。
「彼はレールを敷いたのではないわ。彼はすでにコースにあるものをレールにしたの」
「どういうこと?」
「彼は、レースの水路の壁をレールにしたのよ」
深雪の説明に一同の顔の疑問の色は晴れないどころか一層混迷を極めるばかりだ。
「彼は収束魔法で自分の両翼に圧縮空気を作成、それを硬化魔法で固定し、自分の両側の壁の方に伸ばしつっかえ棒のようにして、自分が常にコースの真ん中にいるようにしたのよ。彼がレースの最初動かなかったのは水路の幅を下見する機会がなかったから、あそこで調整していたのでしょう。今回のタイムは5分16秒だから、次回以降は本当に5分を切ってくるでしょうね」
「なるほど。だからアイツは他の選手を追い越す時わざわざ上昇していたのか。両翼の圧縮空気でぶつかっては直接攻撃になっちまうからな」
深雪の説明に憑き物が落ちたように合点を返すレオ。
「でも、肝心の空を飛んでいることの説明がまだついていないよ?」
エリカがもう待ちきれないという顔で深雪に説明を求める。
「落ち着いてエリカ。それも説明するから。アーティは両翼の圧縮空気を固定した時、その形状に工夫をこらしたのでしょうね。全面に圧縮空気のシールドを展開、そして両翼の圧縮空気は飛行機の羽根のように、高速で向かい風を受ければ揚力を発生させるように」
深雪の説明に、一同は豆鉄砲を食らったような顔をしている。飛行魔法の正体見たり、その正体とは圧縮空気を工夫して成型した硬化魔法だったのである。
「後は加速魔法で加速すれば揚力が生まれ、水面の波形抵抗を受けずに高速での飛行が可能っていうこと」
深雪の説明に、一人だけ合点がいかないという顔をしている男がいた。レオだ。
「確かによ、それならアイツは空気を使って飛行機の模型を作ることができる。だが硬化魔法はオレの得意魔法だ、だから分かるんだが圧縮空気を硬化魔法で分子間の位置関係を固定しても、それは固体とは程遠い。いくらアイツの魔法力が高くて相当な気圧の圧縮空気を作ったとしても、アレ程の速度で飛翔すれば、少なからず向かい風の空気の分子は圧縮空気の分子間を通り抜けていくぜ。そうなりゃ揚力不足で落っこちるんじゃねえか?向かい風の風圧を下げるために速度を落としたりしても揚力は下がる。そこをアイツはどう解決してるんだ?」
レオの思わぬ指摘に、深雪も答えに窮する。そこに救いの手を差し伸べたのは、後ろで一緒に観戦していた五十里であった。
「もしかして、水面効果?」
「水面効果ですか?」
「うん。地面効果、表面効果ともいうんだけど、翼形状を持つ物体が地表付近を移動する際、物体と地面の間を流れる気流が受ける影響のことなんだ。揚力というのは翼形状を持つ物体の上面と底面の距離が異なることによって底面下部の気圧が上面上部に比べて高くなることによって上向きに得られる力のことなんだけど、地面や水面の近くだと地面や水面によって底面下部の空気が逃げ場を失ってより気圧が上昇するんだ。結果として揚力が同じ速度、同じ翼でも上昇する。水面効果による揚力上昇込みなら、彼の魔法力なら飛行が可能かもしれない」
高校1年生には些か以上に高度な物理の範囲だが、第一高校は勉学の面でも国内有数のレベルを誇っている。予備知識として知ってはいなくとも五十里の説明を理解できる者は、少なくなかった。
「………でもよ」
全てを理解したレオだったが、最後に一つ残った疑問をレオはぶつけずにはいられなかった。
「さっきの説明だとアーティは曲がる時に慣性中和魔法を使ってないんだったよな?」
「ええ、恐らく」
「てことはあの速度であのカーブの加速度に、生身で耐えたってことかよ……」
呻くように恐ろしい結論を出したレオの言葉に、一同は絶句を余儀なくされたのであった。
理論回になってしまいました。理論は邪魔くさいでしょうか?感想にてお気軽に言っていただければ今後理論に文章を費やすのはやめておきます。