第一高校と第九高校の準決勝の試合は渓谷ステージで行われた。
渓谷、といっても本当に川を用いたのでは上流と下流に有利不利が生じるので、実際には「く」の字に湾曲した湖である。
この試合は、幹比古の独壇場であった。
ステージにふんだんに存在する水を気化させ、霧にしてステージを埋め尽くしたのだ。
一寸先も見通せないほどの濃霧が九高選手を覆い、薄い霧が一高選手を覆う。
九高側もこの結界の完成を座視していたわけではないが、幹比古の「結界」は、空気中の水分量を飽和させて霧を発生させる魔法ではなく、飽和水蒸気量に関係なく空気中の水蒸気を凝結させる魔法であるが故に、気温を上げ霧を蒸発させようとしても霧は消えないどころか、湖からの水の蒸発量を増やしますます霧のもとになる水蒸気量を増やすだけの結果に終わった。
ほんの少し前すら見通せない霧は、霧自体に何の衰弱効果も幻惑効果もなくとも、九高選手の足を止めるのには十分だ。そして、達也は幹比古の匙加減によって達也の周囲は霧が薄い上に、観客は誰も達也を見ることができないという状況のおかげで、
あとは霧と「視覚同調」を使用している幹比古がコードを自陣で入力し、一切の戦闘なく準決勝の試合は幕引きとなった。
予選最終戦から引き続き出番無しとなったアーティはしかし不貞腐れるようなこともなく、むしろ体力を温存できたことを純粋に喜びながら、三位決定戦後に、二時間後に予定されている決勝戦に向けてと例によって仮眠を取りに行った。
ほのかと雫に付き添われながら引き上げていくアーティの後ろ姿を見送り、達也は身につけたCAD用のホルスターを外しながら目の前でアーティの去った方を見つめ続ける幹比古に話しかける。
「今の結界、見事なものだった。決勝のフィールドがまた渓谷になれば、全く同じ手とはいかないがステージ全域が幹比古の監視下に入るという点だけでも有用だ。消耗は問題ないか?」
「………ああ、達也。僕は大丈夫だよ。達也には釈迦に説法だろうけど、古式魔法は魔法の継続使用に強いんだ」
目線を達也の方に戻しながら、幹比古は静かに答える。その言葉に強がりや虚勢はない。
「やはり、アーティの調子が気になるか?」
「………うん」
先程からアーティの様子をしきりに気にしている幹比古の様子に、達也も言及する。チームメイトの状態を心配すること自体はいいことだが、これが試合中の懸念になっては悪影響を及ぼす。
「幸い、直近2試合は動く必要がなかった。しきりに仮眠をとっているし、次の決勝はほぼ本調子だろう」
達也の気休めとも取れる言葉に、しかし幹比古はそれを額面通り受け取り絶句している。
「昨日の今日で午後には本調子って………おかしいと思わないの?」
「おかしい?何が?」
本気で幹比古の言葉の意味がわからないという顔をしている達也に、「僕もまだまだ修行が足りない」と幹比古は心の中で本気でそう思った。
「アーティ、起きて」
最終決戦に向けて仮眠をとっていたアーティは、雫の声と彼女の揺さぶりによって目を覚ました。どうやら仮眠のつもりが本格的に眠りについていたようだ。
「………ん」
ふわあと間の抜けたあくびをしながら、ゆっくりとあたりを見回す。雫の隣には彼女にそっと寄り添うほのかの姿。
「2人共、ありがとう」
1時間以上寄り添ってくれたクラスメイトに礼を言うと、スッと音もなく立ち上がる。
「調子は大丈夫なの?」
心配そうに聞いたのはほのかの声だ。
「うん。もうほとんど本調子だよ。達也さんと幹比古には楽をさせてもらったからね」
今度はオレが頑張らなくちゃ、と壁にかけていたブレザーに腕を通しながら気合を入れている。
「アーティ」
手際よくボタンを掛け部屋を後にしようとしたアーティに、後ろから雫が声をかける。
「しゃがんで」
「?」
雫の要請に応え、静かに振り向いて片膝を着く。雫は、そっと目を瞑ると、その額とアーティの額をそっと近づけ、くっつけた。
ほのかの息を呑む音が聞こえるが、雫もアーティも動かない。しかしそうしていたのも10秒足らずだった。
「信じてる」
額を離すと、そう一言だけ呟いて、くるりとほのかの方を振り向いた。
頑張れ、ではなく、信じている、という言葉。アーティにはその言葉が、今は何よりも嬉しかった。
「勝ってくる」
アーティも雫に倣うようにくるりと踵を返すと、そう一言呟いて勢いよく駆けていった。
新人戦モノリス・コード決勝戦。
第一高校と第三高校の試合のステージは、草原ステージに決定された。「爆裂」の爆薬がないだけ渓谷や市街地よりはマシだが、それでも分の悪いステージである。
「来たか、アーティ」
その報せをまさに今受けていた達也と幹比古のもとに、アーティが到着した。かなりの速さで走って来たようだが、息一つ切らしていないところを見るに、本当にほぼ本調子らしい。
「草原ですか。できれば森林か岩場が良かったのですが。こればっかりはどうにもなりませんね」
言葉の内容とは裏腹に、アーティの態度はあっけらかんとしている。どうにもまだ不安そうな表情を隠しきれない幹比古と比べると、このチームメイトは実践において相当成熟したメンタルの持ち主らしいと、達也は自分のことを棚に上げ感心していた。
「思ったよりも調子が戻ったので、言っていた通りプリンスはオレがマークします」
「ああ。俺がカーディナル・ジョージをマークする」
今回はオフェンス・遊撃・ディフェンスという役割分担ではなく、マンマークを行うということを事前にアーティの要望で取り決めていた。これはアーティのこだわりによるものだが、三高の一条将輝の魔法力が卓越しており、これには確実にアーティを当てるほうが勝算が高いという側面もあり、この要望は異議なく採用された。万一アーティのコンディションが整わなければ通常通りの役割分担か、一条将輝に戦力集中を行い撃破を最優先する作戦に切り替える予定だったのだが、アーティの状態が良かったことによりこれらは杞憂に終わった。
一高対三高の試合。
一高の予選第1試合でアーティが被っていたようなローブを今度はアーティ以外の選手が被って来ていることに、観客も、そして三高サイドも困惑していた。
予選第1試合で見せた戦術は初見だからこそ機能した面が大きく、しかも遮蔽物のないこの草原ステージではダミーは目視で判別できる。
「………なんで僕だけ」
幹比古が恥ずかしそうにしながら不平を垂れたのは、そんな観客の反応が気恥ずかしかったからだろう。
「俺もアーティも『
達也の返答には諦めろ、という言外の意味が込められている。幹比古もここに至ってこれ以上の抵抗は無駄と判断したのか、三高サイドをじっと見つめて試合開始に備えた。
新人戦モノリス・コード決勝戦、その火蓋が今、切って落とされた。
試合開始とともに、両陣営の間で砲撃戦が交わされている。魔法による遠距離砲撃。互いにゆっくりと距離を詰めながら、圧縮空気弾を放ち合う。その威力は掠めただけでも大きなダメージを免れないものであり、直撃すればいかに「クリムゾン・プリンス」とアーティであっても戦闘不能は免れない威力。それを、お互いに自分との相対位置前方5mに展開した「
「一条のプリンス………確かに規格外の手数だけど………」
一高テントから試合展開を見守る真由美は将輝が放つ圧縮空気弾の密度に絶句している。だが、それ以上に一高テントを覆う驚愕の雰囲気の正体は、
「だが、アーティも負けていない。それに、あの数の圧縮空気を
摩利の分析によって代弁された。
一条将輝が規格外であることはある程度想定済み。彼は佐渡侵攻事件で名を馳せた十師族の魔法師であり、その名声は既に世界に轟いている。だが、彼にどこか似た無名の高校生が、その「クリムゾン・プリンス」と真正面から互角の戦いを繰り広げていることに、誰もが驚愕していた。
将輝の相手は「
「これまで動きが少なかったのは体力回復のためか……バトル・ボードでは卓越した魔法力を見せていた……なのに司波選手に気を取られて彼のことを意識から外していた……っ!」
戦術に絶対の自信を持つ真紅郎にとって、全く未知のものならともかく、見えていた伏兵を見落としたという事実は大きく心を付さぶられるものだった。だがこういう気の迷いが番狂わせを生むものと自覚し、迷いを振り切る。
「打ち合わせ通り、僕もいくよ」
将輝をマークする選手が変わろうとも、自分のやることは変わらない。真紅郎はそう自分に言い聞かせると、将輝の背後を迂回して一高陣地へと駆け出した。
じりじりと歩きながら砲撃戦を交わすアーティと将輝の攻防が動いたのは、真紅郎が駆け出したのをアーティが遠目に確認した瞬間だった。アーティは、このまま将輝と砲撃戦をゆっくり繰り広げることを選ばなかった。アーティは真紅郎の疾走を見るやいなや自分も猛然と将輝に向かって駆け出した。
魔法を使っての高速移動ではないが、全力疾走にほぼ近い速度での接近開始に、またも会場がひときわ沸く。そしてこれは、将輝とアーティの間で保たれていた均衡を破ることをも意味した。
ゆっくりと歩き、近似すれば静止状態に近い将輝に対して、アーティは有意に接近状態にある。このことは、互いに飛来する圧縮空気弾を「
その結果として。
アーティの側は「
「ジョージが動いたことに焦ったんだろうが………距離を詰めたのは失敗だったな」
なおも疾走を続けみるみるうちに彼我の攻撃頻度の差が開いていく状況に、将輝は勝利を確信していた。自分と同じ手段で対抗し、それで自分と真正面から拮抗してみせたこの目の前の選手には内心焦ったが、自分と彼では実戦経験が違う。最後には焦りで自滅しつつある目の前の選手はもはや殆ど攻撃にリソースを割けていない。トドメだだと言わんばかりに圧縮空気弾の頻度をさらに上げようとした時、将輝はまたしても予想外の出来事に焦ることになる。
「影分身!?」
およそ魔法の名ではない俗な名称がこぼされたのは、一高テントの中だった。観客が見守る中で、もう殆どのリソースを「
「なにっ!?」
目の前で繰り広げられた信じられない光景に、将輝は思わず息を呑んでいた。彼我の距離は100mを切っている。早く本物を特定し攻撃を繰り出さなければ。そう一瞬で判断し、将輝は即座に熱探知を行う。
(光学系魔法による撹乱ならば、熱探知によって看破できる。防戦一方になった苦肉の策だろうが、残念だが俺には通用しない)
将輝は苦手としている絡め手を即座に看破したことに安堵感を抱きながら、熱探知の結果を即座に分析し、その結果にさらに驚愕を大きくした。それもそのはず、全く同じ規模の熱反応が12人の人影全てから返ってきていた。
(なっ!?)
アーティの繰り出した術の正体を見破っているものは、会場の中に5人といなかった。その1人は、気になる若者がいると言ってこの試合だけ観客席に観に来ていた、「老師」こと九島烈だった。
(あれは、「
「
「纏衣の逃げ水」は、「
本物の判別ができない12個の「分身」に将輝は一瞬呆然とした。その間に彼我の距離は僅か50mにまで迫っていたが、この全く未知の魔法に対して将輝がたった一瞬で意識を立て直したのは流石と言える。看破不可能な幻術に対して将輝が採った戦法は至極単純。全て撃ち落とす、であった。
将輝は迫る12個の人影に圧縮空気弾の照準を一瞬で合わせると、驚くべき発動速度で発射した。12個の人影は
(やはりな。全ての幻覚を高度に操作できるはずがない。回避行動を取るのが本物に決まっている)
またも奇策を一瞬で看破したことに将輝は安堵する。
既に彼我の距離は30mを切っている。この距離ならば、将輝ならば
「アーティ!」
一高側の観客席から悲鳴が上がる。体勢を立て直せていない状態での
将輝の勝利を目の端で捉えた真紅郎は、既に一高陣地にて達也、幹比古と交戦していた。「
このままアーティからヘルメットを脱がせた(ヘルメットを脱がされたことによって戦闘続行不可能が定義される)将輝が合流すれば、圧倒的有利な2対2で勝利できる。
打ち合わせで決めた作戦をもう一度心の中でなぞりながら、決して捕まらぬように引き気味で戦い、もう倒れ伏すアーティのヘルメットを脱がせているであろう将輝の方をちらりと見た真紅郎は、信じられない光景を目にした。
最後の幻術には驚かされたが、結局将輝はダメージらしいダメージは受けていない。魔法力の消耗も、残る2人との2対2に影響を及ぼすようなものではない。自分の圧縮空気弾の集中砲火にたまらず力尽きた一高選手のヘルメットを脱がせようと手をかけた瞬間、将輝は真後ろから聞こえるはずのない声を聞いた。
「ツメもワキも甘いお坊っちゃん。あなたがそんなだから、オレは真由美さんにあんな言われようをするんですよ」
そんないわれのない暴言はその内容とは裏腹に、喜びと懐かしさに満ち溢れていた。
将輝がその声に振り返るよりも早く、将輝の身体を一条の稲妻が貫き、将輝はその声の主を確認する間もなくその意識を手放した。
将輝が敗れた―――
この事実を真紅郎が理解するのに、たっぷり3秒はかかった。だが真紅郎はその意識の空白時間の間に達也と幹比古の攻撃を受けるようなことはしない。大きく後方に移動魔法を使用して状況確認をする。今一度将輝の倒れている方角に目をやった瞬間、真紅郎はまたもありえない光景に目を剥いた。つい先程起きた出来事は、将輝の足元に転がっていたはずのアーティが、将輝の身体を稲妻が貫いた
「!?」
将輝を倒したアーティが真紅郎に向かって転進すれば3対1。その事実は真紅郎の意識を狼狽から引き剥がしたが、正常に戻った真紅郎の意識は、直後に上空から直撃した衝撃波によって星の彼方へと消えたのであった。
魔法障壁の超音速移動によるソニックブームでの攻撃。アーティが真紅郎を倒すために達也たちの背後から発生させそのまま三高陣地の方角へ超音速で移動した魔法障壁は、凄まじい轟音とともに衝撃波を発生させ、真紅郎が倒れた1.5秒には三高陣地を守るディフェンスをも吹き飛ばしていた。同時にアーティが展開した強固な魔法障壁により、達也と幹比古、倒れている将輝は衝撃波の影響を受けずに済んだ。
こうして、新人戦モノリス・コード決勝戦は三高選手の戦闘続行不能により一高の勝利に終わり、第一高校は新人戦においても優勝を飾ったのであった。
次回の冒頭で深雪に色々説明してもらいます。