少し多忙でした。
MMA部の部活帰り。九校戦で深雪が飛行魔法を披露し、その起動式が世に出てから、アーティは遠慮なく飛行魔法を使用できるようになった。アーティの飛行魔法への熟達の速度は周囲を驚かせたが、九校戦にて獅子奮迅の活躍を見せたおかげか驚かせることはあっても怪しまれることはなかった。
一高から飛行魔法で寺に戻ったアーティを、怠惰と責める者はいない。飛行魔法は現状その修正頻度の高さから消耗の激しい魔法であり、飛行魔法でひとっ飛びしてくることもまた魔法を燃費良く使うための鍛錬であることは、八雲を始めとし門下生たちも心得ていた。
いつもなら帰宅を歓迎する声もかけずに掛かり稽古が始まるところであるが、今日に限って誰もかかってこない。
嫌な予感がして境内の気配を探るが、幸い敵襲を受け全滅したということはないようだ。
「―――っ!!!」
境内を歩き回る門下生たちの気配にほうと息をついたところで、アーティは言いようのない寒気を背筋に感じて身を捩りながら振り向いた。
振り向いたアーティの右の頬を、八雲の人差し指がプニュっと突いた。
「……………」
不本意そうに不貞腐れるアーティに、満足げな八雲。
「まだまだだねえ」
「……………」
楽しげな八雲にジト目を返すアーティ。不覚を取ったのは確かだが、いつもと異なる光景に心配したアーティへの仕打ちがこれなのはアーティとしては納得がいかない。
「いやあ、失敬失敬。君を驚かせるためにお弟子さん達を下がらせていたわけではないよ。忍んでしまうのは僕の忍びとしての性さ。許してほしい」
つるりと剃られた頭をポンポンと叩きながら軽口混じりに謝る八雲に、アーティはじっとりとした視線を浴びせ続ける。
「それで、今日お弟子さん達を下がらせていた理由はね。今日の鍛錬をお休みにするからなんだ」
だが、八雲の続けた言葉にアーティは真顔に戻ってしまった。これまで、八雲の鍛錬が欠かされたことはない。前触れもなく唐突に現れた例外に、アーティは即座に反応することができなかった。
「それは………なぜですか?」
やっとのことで理由を尋ねたアーティは呆然としながら八雲の言葉を待つ。
「うん。今日は君とゆっくり話がしたいと思ってね。よければこのまま話したいんだが、いいかな?」
話すことがある、と答える八雲に、アーティは無言で頷きを返す。真夜との件については既に全てを報告している。アーティは混乱する思考の中で、先日の真夜の件についてかもしれないと一瞬考えたが、その仮説はすぐに続けられた八雲の言葉によって否定された。
「話というのは、君のお姉さんのことだ」
八雲の言葉に、アーティはますます混迷を極める。自分の身の上話をした際に当然亡き姉についても話している。だが、現時点では存在すらしていない姉について、八雲から話をされるというのは不可解な話だった。
「その、ね。僕から言うのは野暮かと思ったんだが。どうにも言うつもりがないのか、伝えたくても伝える手段がないのか、一向に伝えないし。だが僕はそろそろ伝えておくべきだと思うんだよ」
アーティにとって意味不明な言葉を続ける八雲の言葉は、どこか言い訳じみている。一体何について言い訳をしているのかさっぱり心当たりのないアーティは、そんな八雲の様子に混乱を深めるばかりだ。
「…………………」
「?」
突然言葉を切ってアーティの顔をじっくりと見つめる八雲に、アーティは首を傾げる。どうにも八雲との間に致命的なすれ違いがあると感じたアーティは口を開こうとするが、その試みは思わぬ闖入者の登場により妨げられた。
「私もそろそろ、と思っていたのですが。なかなか切り出せなかったんですよ」
ころころと笑いながらその場に現れたのは、八雲の門下生の一人だった。
「昌栄さん。何か知っておいでなのですか?」
「昌栄くん……?」
訳知り顔の兄弟子に問いを投げたアーティだったが、八雲は彼の登場に驚いているようだ。だがアーティがその事に気づいて疑問に思う前に、昌栄と呼ばれた八雲の弟子の口から信じがたい言葉が飛び出した。
「今の私は昌栄さんではないわ、アーティ。私は、サラよ」
亡き姉の名を名乗る兄弟子に、アーティの意識が凍りつく。八雲の門下生は一人としてアーティの素性を知る者はいない。それは目の前にいる昌栄とて例外ではなく、故に伊達や酔狂でアーティの亡き姉の名を名乗ることはできない。何よりも、アーティの直感が全力で自分の目の前の兄弟子が今は亡き姉そのものだとアーティに囁いていた。
「…………初めまして、サラくん。突然で悪いのだけれども、昌栄くんはどこかな?」
落ち着いた口調で弟子の意識の在り処を問う八雲の表情には、隠しきれない後悔の念がにじみ出ていた。藪をつついて蛇を呼び出したという後悔が。
「お久しぶりです、大師匠。とはいっても、私はいつも大師匠の教えをアーティとともに受けていましたが」
八雲の言葉に嫋やかに腰を折りお辞儀をしながらころころと鈴が鳴るような笑いを漏らしながらゆっくりと挨拶を口にする。
「…………昌栄くんはどこかな」
無視された質問を再度口にした八雲の表情には絶望が色濃く表れていた。自分の姉を名乗る存在に何らかの報復をすることを八雲が完全に諦めていることを感じ取り、アーティはなおも絶句する。
「昌栄さんは無事ですよ。この中で眠っておられます。今の記憶は残りませんが、私がアーティの中に戻れば全て元通りですよ」
実に楽しそうにころころと笑いながらサラは八雲の質問に答える。今のところはそれを信じるしかない。
「オレの中に?姉さんはオレの中にいたのか?」
サラが口にした一つの言葉がアーティを我に返らせ、一つの確認を口にさせる。
「そうね。全て話してしまいましょうか。せっかく大師匠が下さった機会ですもの」
淑やかに人差し指を口に当て、小首をかしげるサラの仕草は、その肉体が筋骨隆々とした昌栄のものであることを忘れさせるほどに艶めかしかった。
「アーティも知ってのとおり、私は死んだわ。四葉家の洗脳技術によって、私が精神構造干渉魔法を行使するに相応しい構造の魔法演算領域を持てるようにする手術が失敗して。そのプロセスは私の魔法領域にフラッシュ・キャストの技術を応用し少しずつ精神構造干渉魔法を刷り込み、私がその精神構造干渉魔法を起動すればその精神構造干渉魔法によって改造された私の魔法演算領域がそこでインプットされた新たな精神構造干渉魔法を起動し、そのようにして私の精神構造を段階的に改変するというものよ」
サラが施された手術の内容は、アーティが知っていたものではなかったが理論として理解できる話ではあった。精神構造干渉魔法を使いこなしたのは四葉深夜ただ一人であり彼女亡き未来世界において、サラの精神構造を精神構造干渉魔法を使用可能なものに改変することができる者はいない。そこで、サラでも行使可能な精神構造干渉魔法をサラの魔法演算領域にインプットし、それにより少しだけ変化したサラの魔法演算領域でまたサラの精神構造を少し変化させる。この繰り返しによって、サラを「
この目的は「コキュートス」を始めとし「
「手術自体はうまく行ったの。ただ、結果から言えば私の負担を軽減するために自動的に次の精神構造干渉魔法をスケジューリングする構造にしたことは間違っていた。度重なる急激な精神構造の改変に対して、私は恐怖から私自身の魔法行使に抗ってしまった」
サラに埋め込まれた精神構造干渉魔法はサラの精神構造を改変する魔法式に加え次に使用すべき魔法式をサラの魔法演算領域にインプットする魔法、さらには改変された後のサラが自動でそのインプットされた精神構造干渉魔法を行使させる魔法が含まれていた。このことにより、サラは膨大な回数の段階的な自己の精神構造改変を意識して行うことなく、最初の魔法を使用すればドミノ方式にサラの精神構造が改変される仕様になっていた。だがその途中でサラは自分の精神が改変されていく恐怖に駆られ、魔法の行使をストップしようとした。
「でも、スケジューリングされた魔法は止まらない。次々に私の精神構造を書き換えてゆく。恐怖で支配されて立ち止まった私の意識を置き去りにして、私の魔法演算領域は数分にして完全に精神構造干渉魔法を使用可能なものに変化したわ。でも置き去りにされた私の意識はもはや魔法演算領域をコントロールできなくなっていたの。コントロールを失った私の魔法演算領域は今まで行ってきた『精神構造干渉魔法を行使するのに適したカタチに自己を変えていく』行為を継続したわ」
サラの言葉に八雲もアーティも息を呑む。コントロールを失ったサラの魔法演算領域はそのまま更にサラの魔法演算領域を改造し続けたのだ。「
「最終的に、私の魔法演算領域はすべての精神と融合するために自己と外界の境界線を消し去ることを選んだ。その瞬間に私の肉体は精神を失い、即座に死んだの」
サラが死んだあの日。未来にある過去。アーティはサラの目の前にいた。サラの手術が終わるのをサラの目の前で心待ちにしていた。あの日のアーティにはサラが眠るように死んだということしか分からなかったが、そのサラから語られた事故の裏側は壮絶なものだった。
「じゃあ………その姉さんが今こうしてここにいるのはなぜ?」
サラの口から語られたのはサラが死んだ一部始終だ。サラの死を受け入れていたアーティにとって目下最大の疑問はサラの死の経緯ではなくなぜここにサラがいるのか、ということだった。
「世界との融合を選んだ私の精神は、広すぎる世界へと解き放たれ極限まで希釈されて消滅するはずだった。でもその直前、アーティ。私の意識はあなたの意識と融合することで消滅することを免れたのよ」
「オレの意識と……?」
「そう。あなたと融合した私の精神は私とあなたの精神を即座に同じ肉体の中で分離した。双子とはいえ意識が融合すれば自我の喪失は免れない。私の精神の自衛行動として、その精神分離は行われた。そのことがあなたのことも救ったのは、喜ぶべき幸運ね」
意識せぬ間に起こっていた自分の命の危機に、アーティは冷や汗を流す。全て無意識とはいえ、サラは自分の死に臨しながらもアーティのために戦っていたのだ。
「それからは長い年月をかけて私はあなたの中での私の在り方を変えていった。今は、私の意識はあなたの意識という広い机の片隅に小さく畳んで置かれた地図のようなものよ」
サラの例えがピンと来ず首をかしげるアーティに、サラが説明を重ねる。
「私の意識はあなたの意識を邪魔することはない。あなたの意識は広大で、その中に私は小さく折りたたまれた状態で置かれているだけだから。そして私はあなたへの影響力をほとんどなくした状態であなたの意識の上にいるから、あなたのすべての行動は私も認識できる。そして、私はそのつもりになればいつでもあなたの意識というテーブルいっぱいに私の意識という地図を広げられる。そうなれば私の意識の下敷きになったあなたの意識は失われ、私の意識があなたの肉体を支配する」
サラの説明は恐ろしい内容だったが、それが長い年月をかけサラによって築き上げられた、アーティを極力害しないようなサラの精神の在り方であることはアーティも八雲も理解していた。
「最近になってアーティの外に出られるようになったの。肉体の代わりに、私の精神と外界との境界線を私の魔法で定めて、ね」
アーティの中で進化を続けてきたからこそ、サラはこうして昌栄の肉体を借りアーティと会話ができている。
「本当は何度も夢の中でアーティともお話しているのだけれど。アーティの使命のために私は伏兵になるから、アーティには忘れてもらっていたのよ」
「それは無粋なことをしたね。せっかくの伏兵を暴いてしまった」
サラの言葉に、自分のお節介を詫びる八雲。
「いいえ。先程申しましたように、そろそろアーティに存在を明かそうと思っていたのです。私がアーティの精神の中に間借りしているせいで、アーティの魔法の制御能力は落ちています。九校戦ではそのせいでこの子は自滅しかけましたし。それに、10月に予定されている出来事については、お話しましたね?」
だがその謝罪を否定したサラが指し示すのは、2095年に起こる「灼熱のハロウィン」。
「私なりに考えて、私は伏兵ではなくアーティと別働したほうが良いかと思いまして」
「別働?」
「そう。今の私なら他の人に移れば戦えるから」
「えっ。そんなことできるの?」
アーティの疑問はもっともなものだった。アーティの中にいる状態ならばともかく、他の人間に乗り移って魔法行使ができるのか。だがその疑問は、魔法行使の本質を知らぬがゆえの勘違いであった。
「魔法演算領域はヒトの器官ではないの。精神の無意識領域に存在するものよ。だから、私が魔法を行使するときには私が乗り移っている人の魔法演算領域を使っているわけではないの」
魔法演算領域は肉体に付随するものではなく、精神に付随するもの。魔法研究の部門の中で発展が遅れている精神や
「そういうことなのか。姉さんは今、どのくらいの魔法が使えるの?」
サラリと最先端の精神に関する研究の結論を言ったことに驚きを示しつつも、アーティはサラの魔法について尋ねる。その答えはサラではなく、八雲からもたらされた。
「彼女は今、精神に関してはこうしたいと思うだけで物事を変えられるはずだよ。魔法行使という意識ではなく、こう思ってほしいだとかこう考えてほしいと思っただけで彼女は周囲の精神体の構造に影響を与えるレベルだ」
飄々と述べているが、八雲の表情は硬い。彼の見立てが正しければ、こと彼女は精神に関して言えば完全に全能だ。
「自分の影響力をカットアウトすることはできます。今なんかは影響力を及ぼさないようにしている状態ですよ」
それに対して返された部分否定は、大筋を肯定するものだ。そのことに、アーティはもちろんその見解を口にした八雲までもが絶句している。
「ただその代わり、精神干渉魔法以外は本当に何の魔法も使えないの。基礎単一系の魔法でさえ使えないわ」
サラが精神構造干渉魔法の会得のために支払った対価は命だけではなかった。その事実に八雲もアーティも沈黙せざるを得なかった。
「まあ、魔法師の意識を乗っ取った上で魔法師に意識を半分ほど返せば、意のままに魔法を行使させることは可能よ。何事もやりようよ」
続いたサラの言葉に八雲とアーティは沈黙を続けたが、この沈黙は絶句だった。
「……………っ!」
しばらくして何かに気付いたように飛び上がったアーティを見て、サラがニッコリと微笑む。
「オレの経験は全て見てたってことは………」
「雫ちゃん、いい子だと思うわよ」
今更気づいて悶絶するアーティを笑う八雲とサラの声が、夜の丘の寺にこだました。
夏休み編はこれにて終了。
次回から横浜騒乱編へと突入します。
プロットは四葉継承編までなので、そこで完結するかもしれませんし、原作を読み進めてプロットが伸ばせれば原作の簡潔まで続けるかもしれません。