関東一都三県に緊急事態宣言が発出されましたね。該当地域にお住まいの方はくれぐれもお気をつけてお過ごしください。
横浜ベイヒルズタワー。東京湾に面し大亜連合の揚陸部隊が上陸の起点としようとした横浜港に隣接する高層ビル。揚陸部隊は洋上で殲滅させられたものの、予め市内に潜伏していたゲリラ部隊にとって第一に優先すべきなのは揚陸部隊のために横浜港を占拠することであり、この度の戦乱でいち早く戦端が開かれた場所である。東京湾洋上にて使用者不明の大規模な攻撃魔法により大亜連合の揚陸部隊が全滅したことはすでに十師族の情報網、国防軍の知るところであり、蜂起とともに戦闘が開始されたとしても肝心の揚陸部隊が全滅したとあっては横浜港及びその周辺地域の占拠は優先度は落ち、魔法師協会本部や論文コンペ会場といった機密情報をはじめ戦果がある場所の占拠、及びそれらの回収がその優先度を上回る。さらに日本の名だたる企業のオフィスが入った横浜ベイヒルズタワーに限って言えば、常駐の魔法師が抵抗を続けたはずであり、敵性ゲリラ部隊はその熾烈な抵抗を抑え横浜ベイヒルズタワーの制圧を試みるよりも優先度の高いエリアに転進している可能性が高い。
風間がここを合流場所に選んだのはそう言った理由からであり、果たして横浜べイヒルズタワーに到着した風間を迎えたのは日本人の魔法師であった。
「国防軍の指揮官とお見受けする。所属と氏名をお教え願いたい、何しろこの状況ですので」
ハイパワーライフルを抱え、ジープから降り立った風間と藤林を迎えた魔法師は最低限の礼を失せぬよう背筋を伸ばして問いを投げる。しかしその声音からは明らかな警戒心があった。後ろに控える藤林は物陰にすでに攻撃魔法を展開した魔法師が何人も隠れているのを知覚する。
「国防陸軍第一〇一旅団独立魔装大隊少佐、風間玄信です」
その風間の言葉を聞いた瞬間、目の前の魔法師の警戒心は目に見えて薄まった。
「貴官があの風間少佐でしたか。大変失礼をいたしました。近隣地域から敵性力はすでに撤退しております。こちらには」
何用か、と問おうとした魔法師の言葉を、近くで無線機に耳を当てている魔法師の言葉が遮った。
「敵襲!所属不明の魔法師と思しき人影が8時方向より飛来!12秒後、当ビルに到着します!」
その言葉に、その場にいる魔法師のみならず、藤林までもが緊張の表情を浮かべ身構える。だが、風間は悠長に8時の咆哮と言われた南西の空を見上げる。
「いや、恐らく敵ではない。真夜殿と通信している時点で、あちらはこちらを捕捉していた。我々がここで止まったのを見てこちらの意図を察したのだろう。すまないが、迎撃はよしてやってくれ」
「了解しました。攻撃中止!」
風間の言葉を受けた魔法師の号令を直ちに無線機を持つ魔法師がこの場にいる魔法師たちに伝え、ビルのあちこちで展開されていた魔法の気配は霧散した。そして先ほどのアナウンス通り、きっかり12秒経過した時点で飛来した人影は横浜ベイヒルズタワー上空で停止し、ロビー前で人影を見上げる風間たちの前に降り立った。
「貴官が風間大…少佐ですね。早速ご挨拶と行きたいのですが、あいにく私が挨拶を許されているお相手は風間少佐とその側近の方のみ。場所を移させてはいただけないでしょうか」
降り立つとともに風間をまっすぐ見据え言葉を発したのは、全身を赤いローブで包んだ若い女だった。女性にしては日本人離れした身長とその服装の異様さが威圧的な雰囲気を醸し出しているが話し方、物腰は敵意を感じさせるものではない。
「わかりました。藤林、ジープで埠頭までお連れしろ」
「了解しました」
呆然とやり取りを見つめる魔法師たちをよそに、藤林は風間と赤い女をジープに乗せ、エンジンをかける。
「では」
軽く会釈をし敬礼を風間が魔法師たちに向けたのをバックミラーで確認し、藤林はジープを発進させた。
「では、改めて」
ジープが止まったのは、横浜港の隣接する埠頭。戦闘の痕跡はあるものの、藤林の索敵に引っかかる存在は確認されず、風間と「四葉からの協力者」の顔合わせが始まった。
「本来ならばこのような場所ではなく、こちらの拠点にお招きした上でご挨拶申し上げたかったのですが。戦時中とあってはそうもいきません。ご無礼をお許しください、風間少佐」
先刻までは被ったままでその顔を隠していたフードをとり、女は恭しく頭を下げる。フードから現れた長髪は日本人に多い黒、瞳の色も黒であり、顔だちも派手で毒々しいともいえる服装に比べれば地味な顔立ちであった。
「いえ。こちらこそ、合流場所をお伝えもせずご足労いただきかたじけない」
女の謝罪に風間も社交辞令を重ね、女の出方を待つ。今回四葉からの協力者を紹介すると真夜から言われてはいるものの、目の前の女がどの程度の情報を開示してくれるのか、今後どの程度の協力を約束してくれるのかは完全に未知数であった。
「私は四葉家現当主、四葉真夜の
深々と下げた頭を上げながら女が口にした自己紹介の言葉に、風間も藤林も怪訝な顔をする。どう見ても目の前にいるのは女性であり、その人物の口から自分は四葉真夜の
「これは失礼をいたしました。自己紹介をするのに隠形を解かぬままお話するなど、無礼千万でした。どうかお許しください」
そういいながら女は胸元からロケットを取り出すと、ロケットを開き中の写真に触れる。するとたちまち女の姿は赤髪碧眼の少年の姿に変わった。
「変身魔法、ですか」
「似たようなものですが、違います。変身魔法が不可能であることはご存じでしょう。捉え方によっては、それ以上のものです」
感心しながらつぶやいた藤林の言葉にアーティはにこりと笑いながら応じる。その言葉に藤林は感嘆の言葉すら返すことはできなかった。目の前にいる少年の振る舞いが、およそ自分の知る四葉のイメージとあまりにかけ離れていたからだ。
「さて、風間少佐」
じっとアーティの目を見つめ続きを待つ風間にアーティも向き直り、いかにも本題へ入るというような表情と口ぶりで口火を切る。
「母から聞いておられるとは思いますが、今回は達也さんを動員する代わりに私が協力するということです。すでに横浜において相当数の戦力を撃破しております。現時点で保土谷の駐留部隊と現地の魔法師のみで掃討を完了できる程度の戦力しかもう敵には残されていません。風間少佐麾下の隊も到着なされたようですが、ほとんど戦闘に参加することはないかと思われます」
アーティの言葉を聞いた風間の心をかすめたのは落胆の念だった。今回は国防軍に先んじて四葉が今回の戦乱を察知し、この少年を横浜に配置、戦乱の初期においてこの少年の活躍で被害を大幅に減らしたことを誇示して達也の動員を拒否しようという算段であると風間は察知したからである。ゆえに、目の前の少年の口から紡ぎだされた次の言葉に、風間は思わず耳を疑うことになる。
「しかし、この度このような大規模な戦闘を仕掛けてきた大亜連合本国がこのまま攻撃の手を緩めるとは思えません。この一連の大亜連合の作戦行動が終息するまでの間、私は貴官の麾下に入り、貴隊の作戦行動に従事することをお約束します。………意外でしたか?」
アーティの言葉に黙ったままの風間に、アーティは首をかしげながら笑いかける。
「実は、今回の要請は母の意向ではないのです」
どうも信じきれないでいる風間にアーティは笑みを崩さずに続ける。
「達也さんに出てほしくないのは私で、ゆえに今回の条件を決めたのも私です。風間少佐にはもう一つ、個人的なお願い事がございますので」
お願い事、と言われ表情を崩すことなく警戒心を強めた風間にかけられた言葉は、意外なものだった。
「私のことを、一切他言無用としていただきたいのです。無論、達也さんにも」
そう続けたアーティの顔を見て、今度は藤林がはっとしたような表情を見せた。
「君は…第一高校の…」
「そうです。九校戦では拙いところをお見せしました」
「いえいえ…歴史に残る、見事な試合でしたよ」
目の前ではにかむ少年が、九校戦で目にした第一高校のエースであることに気づき、藤林は目をむく。
「では、四葉殿」
「アーティ、でお願いします」
「では、アーティ君。これより貴官を我が国防陸軍第一〇一旅団独立魔装大隊特務少尉に任ずる。直ちに現在残敵掃討中の我が隊に合流し、これを支援せよ」
「は。………一つだけ、お許しを得たいことがあります」
「言ってみなさい」
「風間少佐と藤林少尉以外の人物がいるときには、私は常に先ほどの姿で作戦行動に従事いたします。よろしいですか?」
「許可する」
「ありがとうございます」
言い終わるや否やアーティは胸元から先ほどのロケットを取り出し、その姿を先ほどの赤いローブ姿に変え、腰につけた飛行デバイスをたたいて横浜の空へと飛び立っていった。
あずさの魔法によって静まり返ったホールに、真由美の声がこだまする。七草本家からの連絡を受けている真由美はこの場にいる誰よりも少しだけこの状況に関しての情報を握っている。そして七草家令嬢たる真由美ならばこの状況に対して情報を持っているはずであるという期待がこの場にいるものの中には共通認識としてあり、その期待は今この場における真由美への求心力となる。真由美とてこの戦況の詳細を知っているわけではないが、真由美はその求心力を最大限に生かすために自身の不安をおくびにも出さない。真由美がひとまずこの状況で下した判断は「この場での待機」だった。「マルチスコープ」でこの建物内だけでなくその周辺の状況をも観察している真由美の知覚する限りにおいて、およそ戦闘らしい戦闘は行われていない。先刻攻め込んできた勢力が一瞬で殲滅されて以降、第二波が来ていないのである。本来ならば機密情報のあるこの論文コンペ会場は優先度最高レベルの目標であり、第二波第三波の戦力投入が行われなければならないのであるが、その向かっている最中にそのことごとくが壊滅しているために論文コンペ会場は追加部隊による攻撃にさらされずに済んでいる。
「かいちょぉ…」
壇上から降りてきた真由美を迎えたのは今にも泣きだしそうなあずさの声であった。というよりはもうすでに涙でその瞳がにじんでいる。
「あーちゃん?今の会長はアーティくんだし、それに今この場においてはアーティくんに委任されたあなたこそが会長なのよ?………でも、ありがとう、あーちゃん。おかげですごく助かったわ」
真由美を会長、と呼んだことをやさしく窘めながらも梓弓の行使を労う。小心者のあずさがこのような緊急事態において本来使用に大きな制限がかけられている魔法を大勢に使用することがどれだけ精神的に負担になったのかは真由美は理解している。今でもぐすん、と鼻を鳴らしているあずさをそっと抱きしめ、頭を優しく撫でている。
「しかし、七草先輩」
あずさをあやす真由美に少し声をかけにくそうにしながらも話しかけたのは、防弾装備に身を包んだ服部だった。
「この会場は地下通路で駅のシェルターにつながっていたはずです。そちらに避難したほうがよかったのでは」
服部のこの提言はともすれば失礼にもあたる提言ではあるが、それで気を悪くする真由美ではない。
「そうね、この場に脅威が迫っているならば多少移動のリスクを伴ってでもその選択肢が最良だったでしょう。ここはあまりに立てこもるには不利すぎる」
「では、今この場所に差し迫った脅威はないと?」
「ええ。先刻この建物内で起きた戦闘で敵性戦力は全滅、現在に至るまで周囲1㎞以内に侵入した敵はいないわ」
この返答に服部が舌を巻いたのはこのような状況であずさを鼓舞しながらも半径1㎞という広範囲にマルチスコープを使用し一見危険にも見える「この場に留まる」という決断をしたことに対してだ。ゆえにこの会話に二の句を継いだのは服部ではなく達也だった。
「しかし、大局がわからないのでは結局のところ最適解はわからない」
その達也の言葉を裏付けるように、真由美の表情にもどこか不安の色が浮かんでいた。
「とにかく、今の状況に関する情報が欲しい」
風間とも、真夜とも連絡がつかない、というより連絡を取るわけにはいかない状況にひそかに歯噛みする達也だったが、天啓は思わぬところからもたらされた。
「VIP会議室を使ったら?」
いつものその思惑の読めぬ表情でちょいちょいとこの建物の上の階を指さす雫に、この場全員の視線が集まった。
運動不足を解消する方法をこの状況下で見つけるのは大変ですね。しかしどうにかしなければ…